キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

映画『リバーズ・エッジ』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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始めに結論を書いておくが、今まで何度も映画レビューを行ってきた当ブログにおいて、僕は初めて星5つの最高評価を下すつもりでいる。


映画『リバーズ・エッジ』を語る際には、映画とは関係のない部分にスポットが当てられることが多い。例えば当時23歳だった二階堂ふみが劇中で乳首を出しているとか、吉沢亮が日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したとか、R15作品であるとか……。


はっきり言って、そんなことはどうだっていいのだ。


僕が声を大にして伝えたいのは、この映画は人の真っ黒な部分を剥き出しにした、最高峰の人間偶像劇であると言うことだけだ。


登場人物には、いわゆる世間一般で言う『普通の人間』に分類される人はひとりもいない。セックス依存、ヤンキー、神経性過食症患者、ニート、ヤンデレ、未成年喫煙者、性同一性障害……。予め学校生活で孤立を約束されているような、不遇な人生を送る学生たち。そのどれもが痛く、苦しい。


そして重要なのは、彼らはいずれも意思を持たない『からっぽの人間』であると言うこと。セックスも学校生活もドラッグも。何となく手を出しただけで、そこに確固たる自分らしさは一切見出だせないでいる。日々を食い潰してただ息をしているだけの人間だ。


この映画では無為な人生を送る学生が『死体を見付けた』ことから端を発する。死体の存在は自分しか知らない……。それはからっぽの人間が初めて見付けたアイデンティティーであり、次第に絶対に守り抜きたいという感情へと変わっていく。


ここまで述べた事柄からもお分かりの通り『リバーズ・エッジ』は万人受けする映画ではない。人によっては嫌悪感を抱く部分も多いだろうし、オブラートに包む気配すら見せない過激な描写の数々は、どす黒い内面をありありと映し出す。


あなたにとってこの映画はどう映るだろう。クソ映画か、大傑作か。はたまたそれ以外の何かか。いずれにせよハンマーで頭をぶん殴られたような、未だかつてない衝撃を与えられるのは必然。


鬱屈した人間や周囲を俯瞰で見る人間にとっては、間違いなく名作となり得ると思う。少なくとも僕個人としては、後世に語り継ぎたい名作であると感じた次第だ。脚本を考えた人はどうかしているし、「面白い」と思う人もどうかしている。


よってこの映画を「つまんね」と感じた人は、世間一般で言う『正常な人間』なのだろう。おめでとう。

 

ストーリー★★★★★
コメディー☆☆☆☆☆
感動★★★☆☆
配役★★★★☆
正常ではない人間度★★★★★

総合評価★★★★★

 


映画『リバーズ・エッジ』本予告

【ライブレポート】yonige『君のおへその形を忘れたツアー 追加公演(ダーツで決めた編)』@松江Aztic Canova

こんばんは、キタガワです。

 

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3月11日、松江Canovaで開催されたyonigeの追加公演『君のおへその形を忘れたツアー 追加公演(ダーツで決めた編)』に参加した。今回はそのレポートを記したい。


今回のライブは昨年に開催されたyonigeのワンマンツアー『君のおへその形を忘れたツアー』の追加公演である。通常、追加公演と言えば比較的人が集まりやすく、高い収益率が見込める東名阪あたりで行うのが定石。ではなぜ今回数ある都道府県の中で、地方都市である島根県が選ばれたのか。話は昨年まで遡る。


ツアーファイナルであるZepp Divercity TOKYOのアンコールにて、メンバーは次なる追加公演の地を決める方法として、ダーツを行うことになったのだ。結果的にはごっきん(Ba.cho)が埼玉県、牛丸(Vo.Gt)が海外を見事射止めた。そしてサポートメンバーであるホリエ(Dr)が放った矢は、ここ島根県に刺さったというわけだ。


8月には日本武道館単独公演も決まり、今のyonigeは脂が乗り切った最高の状態だ。そんな彼女たちの約2年ぶりとなる島根でのライブを見ようと、チケットは即ソールドアウト。最終的にはキャパシティを大きく上回る客入りとなった。


定時を少し過ぎた頃、暗転。


穏やかなSEが流れる中、牛丸とごっきん、サポートメンバーのホリエが静かにステージに立つ。

 

ホリエのシンバルを打つ音と共に雪崩れ込んだ1曲目は、最新アルバム『HOUSE』リード曲でもあるロックナンバー『リボルバー』。

 


yonige「リボルバー」official music video


〈永遠みたいな面した後 ふたりは別々の夢を見る〉

〈君のおへその形すらもう 忘れてしまっている〉


男女の切ない恋愛模様を、今ツアーのタイトルにもなっている歌詞を織り交ぜながら描いていく。牛丸は終始両目を瞑りながら、まるでひとつひとつの歌詞を噛み締めるかように観客へ届けていく。


間髪入れずに『our time city』『バッドエンド週末』へと進んでいく。まるで楽曲に憑依したかの如く鬼気迫る演奏を繰り広げるyonigeに、観客は手を挙げることもなく聴き入っていた。


『バッドエンド週末』演奏後に「島根楽しみにしてました。ありがとうございます」という短いMCがあったが、すぐに演奏へと移行。


今回のライブは総じてストイックに楽曲と向き合っていた印象を受けた。曲間のMCはほとんどなし。水分補給やチューニングの時間も同様で、終始ヒリヒリとした緊張感が会場を支配していた。


セットリストに関しては昨年リリースしたミニアルバム『HOUSE』を中心に、yonigeの知名度を飛躍的に上昇させたキラーチューンやワンマンライブならではのニッチな楽曲など、幅広いラインナップで進行していく。


『悲しみはいつもの中』終了後には、今回初めてとなる長尺のMCへ突入。


まずはベースのごっきんにスポットが当たる。しかし今まで一言も話していなかった彼女が突然話し始めたことで、会場は一瞬にして笑いに包まれる。ごっきんは「何笑とんねん!」と一喝。


「島根ホンマ、断トツで来るとこちゃうからな!」と辛辣なディスをかます。車で10時間かけて島根に来たことを明かし、「ライブハウスの前にセガ(ゲームセンター)あるやん。ヤバない?他にいろいろ置ける店あるのにセガて」、「ご飯食べようと思ったらほとんどが閉店してた」と語るごっきん。そう。特に今回のライブ会場となった松江Aztic Canova周辺は島根県松江市の中でも辺鄙な場所として知られており、地元民としては本当に申し訳ない気持ちである。


その後も島根での思い出やライブ会場に到着するまでのエピソードが語られるのだが、中でも面白かったのは自由人・牛丸の行動。本日の昼の12時にはホテルのロビーに集合予定だったらしいのだが、牛丸は早起きして誰にも告げず、自分でレンタカーを借りて出雲大社に行っていたという。


更に牛丸は「島根でスタバに行くのは逆にレアでは?」という考えの元、出雲大社近くと松江駅のスターバックスに立ち寄っていたそう。「1日でコーヒー2杯飲んでお腹壊した……」と呟く牛丸に、今日一番の爆笑の渦に。


ここからはニューアルバム『HOUSE』の楽曲を織り交ぜつつ『悲しみはいつもの中』や『しがないふたり』『沙希』『また明日』といったレア曲もどんどんプレイ。


これらは対バンライブやフェスではほとんど演奏しない楽曲ばかり。ワンマンライブならではの選曲に、観客は皆一様にゆったり体を動かしながら聴き入っていた。


最新アルバム曲の中ではイントロを鍵盤楽器に託していた『どうでもよくなる』と『ベランダ』も演奏されたのだが、該当するイントロ部分は一切演奏しなかったのが印象的だった。ややもすればキーボード類を配置したりPCの打ち込みで代用しがちなのだが、yonigeは一貫して3人による生楽器の演奏に拘っていた。


通常であれば「鍵盤楽器使わないのか」と落胆してしまいそうなシチュエーションである。しかし今回のライブにおいては余計な音を省いたことで、直接的に楽曲に感情移入できた感覚があって良かったと思う。


中盤のMCでは事前に島根について調べてきた牛丸と、事前情報一切なしのごっきんの対比が顕著に表れた時間だった。


「島根ってらっきょうが有名なんやろ?」と語ったごっきんはあっさり観客に論破されてしまい(実際に有名なのは鳥取)、逆に牛丸はしっかり調べた分「のどぐろ?」とアピール。


それ以外にも牛丸は「しじみ……あとは赤てん?」と次々に名産品を語っており、島根県民からすれば心から感謝するレベルで知識を蓄えて訪れていた。ありがたい……。


「ここからは皆さんが知ってる曲もどんどんやっていきたいと思います」というのはごっきんの弁だが、その言葉の通りここからはyonigeのキラーチューンで畳み掛けていく。

 


yonige -アボカド-【Official Video】


『センチメンタルシスター』『さよならアイデンティティー』ではサビ部分に多くの観客が手を挙げ、この日一番の盛り上がりを見せる。yonigeの知名度を爆発的に上昇させた『アボカド』では牛丸が歌詞を忘れて鼻歌でカバーする場面もあったが、それもまたライブでしか体験できない一場面として昇華していた印象だ。


本編最後のMCでは「島根でライブするって友達に言ったとき『集まらないんじゃないの?』って言われたんですけど、始まってみればキャパを超えた人が集まってくれて嬉しかったです」と牛丸が語り、盛大な拍手が沸き上がる。


「ラスト2曲です!」とごっきんが発した後に「最後の1曲やります」と演奏を始めようとする天然の牛丸に笑いが起こりつつ始まったのは『さよならプリズナー』。

 


yonige「さよならプリズナー」【Official Video】


〈さよなら 次に会うまでは他人でいようよ〉

〈それが私にできる 最後のこと〉


期せずして失恋ソングの連発となった後半戦だが、その中でも『さよならプリズナー』は最も憂いを帯びていた。心から愛した恋人が出ていった喪失感と虚無感を、この楽曲はあまりにもリアルに映し出していく。


時折苦しげに歌う牛丸を見ていると、更に強く心に突き刺さる感覚にも捕らわれる。日本には様々なバンドがいるが、恋愛模様を歌わせたらyonigeの右に出る者はいないのではないか。そう思わせるほどの迫力があった。


本編ラストはこれまた愛すべき恋人との別れを歌う『最愛の恋人たち』でシメ。ギターのアウトロが響き渡る中、メンバーは静かにステージを去った。


アンコールを求める拍手が鳴り響く中、メンバーが再登場。


牛丸がすうっと息を吸って始まったアンコール1曲目は、auのCMソングとしても話題となった『笑おう(Short ver.)』。アルバムバージョンとは異なるアレンジで、短いながらもエネルギッシュなロックを鳴らした。

 


「笑おう」 フルver. /yonige【公式】


続いて牛丸がギターを爪弾く調べから始まった正真正銘最後の楽曲は、今回のライブのセットリストの軸となった『HOUSE』の中で、唯一演奏していなかった『春の嵐』だった。


〈不安とか憂鬱が 消えてなくなってしまうことは〉

〈僕にとって本当に 求めてたことなのかな〉


倦怠期に差し掛かった男女の関係を表した『春の嵐』を、残りの力を振り絞るように歌った牛丸。偶然にもこの日は、関東に爆弾低気圧が直撃し春の嵐が吹き荒れた日でもあった。


その風の勢いと反比例するかのように、楽曲自体はゆっくりと進行していく。しかし静かな中に熱のこもった演奏でもって、観客の脳内には楽曲の情景がありありと映し出されていたはずだ。


打ち込みやアレンジなど余計なことは極端に省き、徹頭徹尾人力演奏だけで挑んだ2時間のライブ。それはとてつもなくストイックなものだったが、それでいて楽曲の持つ力を最大限見せ付けたライブであったとも思う。


汗まみれの体で会場の外に出ると、強い風で飛ばされそうになった。おそらく島根県にも春の嵐が、すぐそこまで迫っているのだろう。


〈ある朝寝ぼけ眼で 見慣れた君にキスして〉

〈外では春の嵐が 通りすぎていった〉


僕はと言えば、つい数分前に聴いたばかりの『春の嵐』を聴きながら、寒さに震えながら家路を急ぐのだった。

 

 

【yonige@島根 セトリ】
リボルバー
our time city
バッドエンド週末
顔で虫が死ぬ
2月の水槽
最終回
悲しみはいつもの中
ベランダ
しがないふたり
沙希
どうでもよくなる
また明日
トラック
センチメンタルシスター
アボカド
さよならアイデンティティー
さよならプリズナー
最愛の恋人たち

[アンコール]
笑おう(Short ver.)
春の嵐

観客がウザすぎた歴代最低の『R-1ぐらんぷり2019』を書き殴りたい

こんばんは、キタガワです。

 

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僕はR-1ぐらんぷりが好きだ。M-1グランプリやキングオブコントなど、一年を通してお笑いの賞レースはいろいろある。しかしその中でもR-1は別格の面白さだった。


僕がこう思う理由はひとつ。ノンジャンルだからだ。M-1は漫才、KOCはコント……。お笑いの賞レースというのは全体的に、ネタ自体に何かしらの制約が課せられていることがほとんどである。


しかしR-1は違う。『ピンでやること』という縛り以外は何をやっても良い。濱田祐太郎やあべこうじのような喋くり漫才でも、COWCOW多田のような一発ギャグ集でも。シュールもモノマネも何でもござれ。いわばプロレスで言うところの総合格闘技の如き面白さが、R-1の魅力なのだ。


今回も例に漏れず、各ネタをひとつひとつ紐解いていこうと思うのだが、本題に入る前に言いたいことがある。


それは『観客が邪魔』ということ。


今大会は総じて、観客がやかましくて仕方なかった大会と言える。個人的には、エンタの神様やテレビショッピングがウザく感じる現象と極めて似ていた。


ダウンタウン松本人志もツイッターにて「R-1の客。。。」と苦言を呈していたが、テレビショッピング並みの「わぁー!」「アハハ!」「えぇー!?」「フゥー!」……。まるでADがボタンで流しているレベルだ。こんなにストレスフルなお笑い番組は初めてである。お笑いの賞レースにおいては観客の笑いはなくてはならないものであるが、ここまでとは度が過ぎていると思う。


R-1の場は断じてパリピのパーティー会場ではない。芸人にとってはお笑い番組自体が少なくなっている昨今、全国放送で最も注目を浴びることができる日。誇張でも何でもなく、人生を変える重要な一夜なのである。


本当に面白い部分で笑うのはありがたい。しかし今回のR-1は全く予期せぬ場面で下卑た笑いに包まれたり、笑い声で演者の声がかき消されたり、時には本気の悲鳴が上がったりと、総じて観客のレベルが絶望的に低い大会であったと言える。


詳しい話はネタ解説で触れるつもりだが、まあ酷かった。練り上げたネタで本気で挑む芸人たちと、ただのいちエンターテインメントとして楽もうとする観客の齟齬が浮き彫りになっていた。芸人は何も悪くない。ただただ友人同士で番組閲覧に参加した観客たちの、悪い部分が凝縮された一夜だったと思う。


以下ネタ解説。

 

 

チョコレートプラネット・松尾

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今まで培ってきたIKKOさんネタのオンパレード。出し惜しみ一切なしの、文字通り全力のネタだった。


出演者とのトークを交えたIKKOモノマネには定評があった松尾だが、R-1だとそうはいかない。全てひとりで進行し、なおかつ笑いを生み出す必要がある。そこで彼が選んだ手法は、まさかのコント。


冒頭の「どんだけ~!」で爆発的な笑いが起きたことからも分かる通り、間違いなく『IKKOの4文字セリフ』は松尾の一番大きな武器である。だが逆に言えば、4分のネタ時間で観客が次第に飽きてしまう可能性と、「○○○○~!」に頼りきってしまう可能性のふたつを孕んでいる、危険なネタでもある。


なもんで今回の松尾のネタは、IKKOモノマネ一辺倒の笑いにならないように考えられていた印象を受けた。「これって本当に本当で……本当なんですね」の一幕やファンデーションを塗りたくるなど、ひとつのコントとして完成されていた。


極めつけは『おかげでした』の全落オープンネタをぶち込むという、お茶の間のお笑いファンを唸らせる展開。ラストはダメ押しの「どんだけ~!」による力で捩じ伏せるシメ。


一本目としては申し分ない出来。しかしいかんせん後の出演者のネタも面白かったのと、松尾自身が緊張によって時折噛んでいたのがマイナスか。

 

クロスバー直撃・前野悠介

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観客がウザい……。このネタにおいてはR-1史上、後世に語り継げるレベルで観客が笑いを殺していたと思う。前野は悪くない。悪いのは100%観客。


前野のネタは『○○かと思ったら○○だった』という、観客を巻き込んで笑いを生み出すタイプのもの。そのため「ええ……?」とバラエティー番組じみた声を上げる観客や、中にはガチの悲鳴を上げる観客がいた今回のR-1は、とてつもなくやりにくい環境だったろう。お前らはチンパンジーか。


おそらく毎回繰り出される『実印推し』がひとつの盛り上がりポイントだったと思うのだが、観客の声によって全く頭に入ってこない。それどころか『大袈裟なことをやったらそれだけで笑いが生まれる』という地獄のような状態だったこともあり、小道具を連発する前野は意図しない部分で笑われている感覚さえあったはずだ。


このパターンのネタは、どれだけ毎回笑いが得られるかが一番の鍵となる。そのため4~5回目は笑いが薄まる場合が多いのだが、前野は後半の「メルカリに出品した」というテクニックでカバー。前野としてはここにきての二段構えで、一気に突き進む算段だったろうと思う。


出品者のコメントである「どういうことですか?」や「ヒントをください」はかなり面白かったのだが、前半で笑いが分散していた会場には伝わりづらかったか。特に後半はもっと大袈裟なボケを入れた方がウケたとは思うのだが、そもそも『大袈裟なボケを入れないとウケない』という状況自体がおかしいわけで。


完全にチンパンジー化した観客にやられたと見るべきか。

 

こがけん

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本編では『ダークホース』と紹介されていたが、こがけんは長い間準決勝で涙を飲んできた苦労人である。初の決勝進出は、さぞかし嬉しかっただろうと思う。


『マイクのせいで原曲と全く異なるアレンジになる』というネタ。冒頭の「思ってたのと違う!」でまずひとウケ。その後は洋楽をピックアップした歌詞で笑いを誘っていく。


中盤「コブクロの桜ならわかるな……」と言った後に観客が「おおー!」と盛り上げたり、手拍子をし始めた時は「は?」とぶちギレてしまったけれど。「マイク100万したけど」には「ええー!」とドン引きする観客……。しかも歌い終わった頃には「フゥー!」と拍手喝采。のど自慢大会じゃねえんだぞ馬鹿共。今大会での個人的ワーストキレポイントは、間違いなくここだった。何度も言うが、芸人は悪くない。


『音にも反応してしまう』といった後半の畳み掛けは見事。中でもニュースZEROのくだりはひとつのハイライトか。大きな笑いで終わるという理想的なオチでもって、初の決勝大会を終えた。

 

セルライトスパ・大須賀

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歴代の優勝者である中山功太や三浦マイルドの2本目を彷彿とさせる、爆発力のある発言をひとつずつ落とし込む『1ボケ1オチ』のネタ。


この手法はピンネタの教科書とも言えるものなのだが、このネタは『純粋にどれだけウケる話を量産できるか』が一番のポイントである。それにプラスして大須賀は、ゆっくりした話し方でもって「○○ってあるじゃないですか?」と観客に一度疑問を抱かせる方法を取った。


これらが項を奏し『スーパーカッブはアイスとラーメンの2種類がある』、『メロンパン専門店』といったストーリーがバンバンハマる。更にはネタ完成度もさることながら「ひそひそ声で話す」という斬新なシチュエーションも加わり、唯一無二の世界観を形成していた印象だ。


常に沈黙が与えられるがその分爆発力も大きい。もちろん滑ったら大怪我だが、逆に笑いが生まれればその分「ウケた」と思わせることができる。


結果としてAグループ勝ち抜き。見事2本目に駒を進めたのだが、「面白いネタの大半を1本目にまとめたのかな?」と思うほどに、2本目は少し弱かった。1本目は間違いなくネタに加えて『ひそひそ声』のインパクトが強かったのもあるだろうが、とにかく。面白い着眼点だった。天晴れ。

 

おいでやす小田

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今年で4年目の決勝進出。『はじけろ!怒りのボルテージ』と紹介があったことからも分かる通り、今年も『怒り』をキーワードとしたネタで笑いを誘っていく。


全てを手に入れた富豪が防音部屋で「ロレックス重いー!」「飼ってるシェパード怖いー!」と狂乱する様は予想外で面白い。かつ「フードコート行きたい!」「上の階のメダルゲームやりたい!」という馬鹿客でも分かる日常の風景の切り取りは感情移入しやすかった。


流石と言うべきか、じんわりとした伏線回収やワインのストーリーなどを織り交ぜることで、ただ叫ぶだけでは終わらないネタに昇華していた印象だ。


ひとつだけ残念だったのは、時折聞こえづらかったことか。僕が感じたのは2箇所ほどだったが、あれらの部分もはっきり聞こえて笑いに落とし込めていたならば、結果は変わっていたかもしれない。


結果はなんと粗品と同率1位。同点ルールにより敗北してしまったが、過去4年間で最高の順位であった。かねてより「ずっと2本目でやろうと温めているネタがある」と語っている小田だが、来年はその伝説の2本目が見れるかも。

 

霜降り明星・粗品

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僕が初めてネタ番組で粗品を見たのは7年前のオールザッツ漫才だった。矢継ぎ早に繰り出される卓越したフリップ芸により、高校生にして初の優勝を勝ち取っていた。


僕はそれを見て感動してしまい、周囲の友人らに「すげー面白い芸人がいる!」と吹聴して回ったものである。その日から僕にとって粗品は、大好きなピン芸人のひとりとなったのだ。


しかし僕は、今回の1本目と2本目の粗品のネタには不満があった。なぜそう思うのかというと、ネタが7年前とほぼ同じだったからである。

 


粗品 オールザッツ2012 優勝 霜降り明星


今回のネタ、若かりし粗品を知っている人ならば誰しも既視感を覚えたはずだ。下の動画は7年前の『オールザッツ漫才』の実際に披露したネタなのだが、これを見るとはっきり分かる。ほぼ同じだと。


それこそ決勝においてはそれが顕著で、中にはイラストも当時のまま、フリップの形さえ同じといった始末でリテイクした跡すらないものさえあった。新規のフリップはバンクシーの絵くらいで、それ以外は8割方過去のネタと同じものだったのだ。


そう考えると、今回のネタで観客が爆笑していた部分はほぼ7年前のネタそのものなのだ。僕が7年前に「こりゃ面白いぞ!」と思ったのと同様に、おそらく観客や視聴者も「面白い」と感じたのだろう。


しかし過去の粗品を知っている身からすれば同じネタだ。そう。彼は言うなれば、全く同じネタでピン芸人の賞レースを2冠したのと同義なのである。


……とまあここまで酷評してきたが、やはり粗品をネタは面白いなと再認識した大会でもあった。「2本目の3人の中から選ぶなら、何だかんだで粗品かな」と思うほどに。いい映画は何度観ても面白い。名曲は何百回聴いても飽きない。それと同様に、面白いネタは何回見ても面白いのである。粗品、おめでとう。

 

ルシファー吉岡

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『学校の日常を切り取る』というルシファー吉岡おなじみのコント。かつても『生徒の持ちネタ』や『息子のエロ画像』といった独自の着眼点でネタを構成していたが、今回は満を持しての『男子校が来年から共学になる』というシチュエーションでスタート。


ネタは終始、誰も傷付けないほんわかムードで突き進んでいく。特異なことは何もしていない。普通に先生がホームルームで話しているような空気感でもって、じんわり会場を吉岡色に染めていく。


中でも秀逸だったのは、生徒の心に寄り添う話し方。これは生徒に好かれる理想の教師像そのものであり、感情移入しやすかった。特に「俺だって、学食のおばちゃんが大盛りにしてくれるだけで好きになるぜ」の一言はゲラゲラ笑ってしまった。


ネタ後に宮迫が「上手だなあー」と語っていたが、シナリオの構成力といい雰囲気といい、いちピン芸人のコントとしては完全に確立している印象を受けた。『ピンネタの教科書』とも言おうか。


しかしながら、良くも悪くも4回目の決勝進出である。小田もマツモトクラブもそうだが、何度もネタを見てしまうと、観客側はある種のマンネリ感と共に飲み込んでしまう。これが賞レースの怖いところで、『新鮮に見れる』という意味では絶対的に初見の芸人の方がウケる傾向にあると思う。どうしようもないことだけれど。


インタビューにて「もちろん今年も行くっしょ?」という周囲からのプレッシャーから、ストレスも多く抱えていた年だったと語った吉岡。大丈夫。絶対に花開く時が来る。また来年に期待。

 

マツモトクラブ(復活ステージ2位)

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ルシファー吉岡と同様、数年前の復活枠から頭角を現してきたピン芸人。今年も復活ステージを勝ち抜き、決勝へと駒を進めた。


今まで録音音声を用いた1対1でのやり取りに定評があったマツモトだが、今回はツッコミ要因を追加。しかもそれが人間ではなく『犬のジョン』というのが、何ともマツモトらしい。


『嘘を読み取る』という能力を持ったジョンが、今回のネタの肝である。しかし逆に言えばほぼ全ての笑い部分をジョンに託していたのは、若干一辺倒な感じも否めなかった。


もう少し言わせてもらうと、人間というのは逆言葉に一瞬考えがちである。「○○じゃなくなくない?」とか、「裏の裏の裏は表」といったものがそうだ。例えば時間が与えられている環境下であれば面白いだろうが、マツモトクラブのネタはスピードが命。中には『俺じゃない→ワン!→本当』といった流れもあるわけで、僕としては「ん?これはどっちだ?」と考えて真実が分かった頃には、もう次の話になっているといった状況が多かった。少し伝わりづらかったかなと。


だが最終的にはオチもバッチリ決まり、完成度の高いネタではあった。毎年良質なネタを携えてR-1決勝に進む彼を見ていると、単独ライブはさぞ面白いだろうなと思う。敗退という結果にはなったが、爪痕を残した一夜だったのでは。

 

だーりんず・松本りんす

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バラエティー番組で公言している通り、松本は『おじさんキャラ』を確立している人物である。それこそコンパあるあるであったり、今回のカツラの一発芸のような、いわゆる『盛り上げるネタ』を複数持っている。


だーりんずがKOC決勝に進むようになってから僕がずっと感じていたのは「ピンネタも見てみたいなあ」という気持ちだった。実際松本は長い芸人人生で今大会がR-1初出場。「面白いネタが出来たから出ようと思った」と述べていたが、まさか決勝進出、しかもCグループを突破するとは思っていなかっただろう。


前述したように今大会は、観客のレベルがあまりにも低かった。だが松本のネタにおいては唯一それが項を奏した結果となったと思うのだ。「カツラです」とのカミングアウトでまず観客の心を掌握し、その後は『歓声が上がってこそ爆発的にウケる』ようなネタを連発した。


「おぉー!」という驚き + バカ観客の笑いでもって、一気に笑いの導火線に火が付いた。これに関しては松本にとって、最良のウケ方だったのではないだろうか。


既視感が芽生えてしまった2本目こそ低迷気味だったが、決勝常連組を押し退け、初出場にしてCグループ突破は素晴らしい。今後カツラ関係の仕事も増えそうな予感。だーりんず、結成8年目にして遂にブレイクか?

 

河邑ミク

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今回披露した関西ディス系のネタで炎上している河邑であるが、実際河邑は関西出身。ネタ中は標準語だったが、日常会話は関西弁。ネタだけで彼女を批判している人は、ぜひこの事実を覚えておいてほしい。


河邑の事務所が東京にあることから、彼女は予選会場を常に東京に絞ってネタを行っていた。もちろん今回のネタも披露しておりバカウケしていたそうだが、もし予選を関西でやっていたら決勝進出は危うかったかもしれないと思う。それほどまでにキワキワのネタであった。


個人的に面白かったのは『大阪のひったくり件数全国1位』からの「もっとコスパいい犯罪あるのに!」という一幕。関西出身でありながら、女優業やお笑い活動で頻繁に東京に訪れている彼女。そんな彼女ならではの着眼点は流石の一言。


なぜここまで会場がウケていたのか考えたのだが、おそらく彼女の発言ひとつひとつが『イメージ通りの大阪』だったからではなかろうか。


例えば僕は島根県出身だが、東京に行った際は周囲の人間から「島根ってパソコンないんでしょ?」や「田んぼばっかりでしょ?」といった話ばかりされていた。実際その地域で長年暮らす人からすればぶちギレる話ではあるが、まあ何も知らない人からすればそういうイメージだろうと思うし、何なら僕が「そうだよー!」という返答をするのを待っている節すらある。


そう考えると今回の河邑のネタは、いわゆる『自虐ネタ』の部類に入ると思うのだ。彼女自身、東京に来た際に関西についていろいろ言われたのだろう。その経験を笑いに落とした今回のネタを批判するのはお門違いであるし、彼女に対して失礼な気もするのだ。普通に面白かったし。

 

三浦マイルド

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前回に引き続き広島弁ネタで勝負をかけた三浦。更に今回はフリップを大きく使うことで、広島弁特有の言葉の荒さや衝撃を魅せていた印象。


フリップネタのメリットはテンポよくこなせることだが、その分どれだけひとつのフリップで笑いを取れるかが大事になってくる。かつての三浦マイルドもフリップネタを行っていたが、どれも爆発的な笑いを出すフリップが何個も入っていた。


それこそ過去の大会での「うちの母ちゃんええとこづきじゃけえ、宗教4つ入っとるんじゃ」「わし市民税払ろたことなー」「わしパープーじゃけえ、指定高推薦で大学落ちたんじゃ」という破壊力抜群のものと比較すると、どうも笑いが少なかったように思ってしまう。


『広島弁漢字ドリル』という使い方は秀逸であるし、世の漢字の数だけネタができる意味では、2本目のネタも見てみたかった。もし爆発的のあるフリップが量産できれば、優勝の可能性も十分にあった。残念。単独ライブで長尺でじっくり見たいネタである。

 

岡野陽一(復活ステージ1位)

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KOCで2度ファイナルに進出した『巨匠』というコンビがいた。当時岡野の借金800万のクズっぷりを大々的に押し出したネタはかなりウケ、根強いファンがついていた。しかし巨匠は解散。結果として岡野はピン芸人となり今年のR-1に出場した、という背景があるわけだ。


さて、ネタに関してはもう完全に『相方・本田がいない巨匠』だった。「○○だろお前!」と連呼する岡野を観ていると、いつもの岡野が帰って来た感覚があって嬉しかった。


しかし今回のネタはウケなかった。理由はひとつ。観客である。今回の岡野のネタは終始悲鳴が木霊する、ひとつの地獄絵図となった。


今回の岡野のネタは総じて『コアなお笑いファン』と『対して興味のない一般客』の違いが顕著に表れたステージであったと思う。巨匠時代からサイコパス・岡野を受け入れていたお笑いファンと、ひょっこりはんや夢屋まさるで爆笑するような若い一般人。太陽と月。陽キャと陰キャ。肉食と草食……。そんな対極に位置する人たちが混ざり合うわけがない。


決勝で岡野がウケなかったのは必然と言える。岡野にとって、そして敗者復活戦会場で観ていた観客にとっては、あまりにも辛い思いを抱える大会となった。総じて「えぇ……」とドン引きしていた観客たちを一人ずつシバき倒したい思いに駆られた時間だった。お前らは全員帰れ。

 

おわりに

長々と書いてしまったため、続く2ネタ目については省略する。基本的に似通ったネタであったため、新たに何か書き記す必要もないだろう。


さて、僕が今回のR-1を観て感じたのは「より直接的な笑いがウケる大会になったのだなあ」ということだ。


もちろんそう感じる大きな要因はクソ観客だ。『エンタの神様』レベルの下卑た笑い声。甲高いウェイ系の爆笑。「フゥー!」と盛り上げる馬鹿。驚き。悲鳴。拍手喝采……。間違いなく今年のR-1を歴代最低の大会にした理由は観客である。


だからこそ、今後R-1に挑む芸人は考えるはずだ。「どうすればあの状況でウケるか」と。そうなると必然的に、馬鹿でも分かるレベルの直接的な笑いを軸としてネタ作成をすることになるはずだ。


でも僕は思う。「それってどうなの?」と。R-1はそんな大会だったか?様々なジャンルのネタを考え、それを披露する大事な大会ではなかったか?


R-1は一夜にして人生が変わる、お笑い芸人にとっては年に一度の運命の大会のはずだ。辛い思いでアルバイト生活をしながら、「これしかない」と全力を注ぎ込む。負ければ悔しい。時には涙を流す。しかし今の生活を一変させる最大のチャンス……。R-1はそんなピン芸人たちを救済する、唯一の高尚な大会ではなかったか。


僕は毎回DVDを購入したり、10回以上見返すほどにR-1が好きだ。しかし今回の大会は二度と見ようとは思わない。おそらくこの記事をアップしたら、もうR-1ぐらんぷり2019を見ることは十中八九ないだろう。


製作者よ。R-1はただのバラエティー番組ではない。燻っている芸人が人生を変えるための、重要な大会なのだ。そこを履き違えるな。


来年は今年の反省を活かし、より良い大会にしてほしいと強く願う。僕が言いたいことはこれで全部だ。

 

→M-1グランプリ2018の感想はこちら

→キングオブコント2018の感想はこちら

映画『祈りの幕が下りる時』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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僕がこの映画を観るのは2回目なのだが、最初に劇場にて鑑賞した際「これは今年のベスト映画だ!」と持て囃したのを覚えている(結果としてはカメ止めが断トツ1位だったが)。


昨年は僕の人生において、最も映画を観た年だったと記憶している。アニメや洋画、インディーズ作品やミュージカル映画まで。それこそ幅広い作品を鑑賞した自負はある。


それらの中でも『祈りの幕が下りる時』は別格だった。僕は劇場で鑑賞したのだが、ラストに向けての盛り上がりと感動シーンの連続に、胸が震えた。特に家族愛に満ち溢れたとあるシーンに差し掛かった際は、気付けば涙を流していた。


この作品は『新参者』という有名ドラマをモチーフとしているのだが、僕はこのドラマを一度も観たことがない。それどころか存在すら知らなかった。そんな予備知識がない状態ではあったものの、この映画は楽しめた。


……様々な人物が描かれるこの映画の冒頭は、人によっては冗長に感じるかもしれない。「大風呂敷を広げすぎて収拾が付かなくなるのでは?」と。しかし後半に差し掛かるにつれ、パズルのピースが何個もハマる感覚に陥るストーリーは圧巻。


物語は『ホームレスの焼死体が発見された』との一報から幕を開ける。始めはよくある事故として処理されようとしていたが、遠く離れた親戚の死や某行方不明事件と密接に関わっていることが明らかとなり、次第に強い事件性を帯びたものとなる。


そしてそれら全てが一本の線で繋がった瞬間、事件は思わぬ展開を見せる。そこにあるのは衝撃の結末と家族愛。感情移入間違いなしのサスペンス作品に仕上がっている。


ただひとつ気になるのは『新参者シリーズのキャラクターが総出演する』という点。全作品を網羅している人ならいいが、おそらく大多数の人は初見のはず。前半は特に「おっ!○○さん!元気?」といったフレンドリーなシーンが多いため、全く知らない人からすれば『よくわからんキャラがひとり増えた』と感じてしまう。只でさえ登場人物ごとの関連性がごちゃついているのに、更に謎のキャラが出てくるのでパンクしそうになる。物語には関係ないので無視してもいいのだが、そこだけはマイナス点か。


しかし、それを補って余りあるほどの感動の結末が待っている。タイトルの意味を知ったとき、きっと切ない気持ちになることだろう。僕は映画館で泣いた。あなたはどうだ。

 

ストーリー★★★★☆
コメディー★★★☆☆
感動★★★★☆
配役★★★☆☆
家族愛度★★★★★

総合評価★★★★☆

 


映画『祈りの幕が下りる時』予告

夢が少しだけ報われた日

こんばんは、キタガワです。


1年半。1年半である。本当に長い道程だったが、ようやく辿り着いた。


『音楽文 入賞』。やっとこの言葉を見ることが出来た。漠然と「取ったら泣くだろうな」と思っていたのだが、不思議と涙は出なかった。人体の仕組みというのは分からないものだ。


さて。今回は珍しく僕自身の心の整理の意味も込めて、1年半の旅路を書き記す記事にしようと思っている。


普段当ブログで記述している内容とは180度違った個人的内容ばかりのため、興味のない人はブラウザバックを推奨する。


なおrockin.on事務局側から送られた情報等については、当ブログでは一切開示しないことをご了承願いたい。何かしらの指摘を受けた場合、記事自体消します。

 

 

ドロップアウトの果てに

100記事更新の記事で詳しく書いたことの繰り返しになるが、2018年の3月に、僕は本気で死ぬつもりだった。


新卒で入社した会社を半年で退職して再度就職活動を始めたものの、一向に採用が決まらない。始めこそ「何とかなるっしょ」とお気楽思考だったが、気付けばどんどん疲弊していった。そしてお祈りメールが10通を超え携帯電話料金も払えなくなった頃、限界が来た。


最期の電車を待つプラットホームで、僕の心は妙に穏やかだった。「今から逝きます」と感傷に浸るわけでもなく、ただただ『無』だった。このときは本当に死に直面した人間の行動は、極めて突飛で理解不能なものであると初めて知ったものだ。


そして運命の瞬間が訪れる。プラットホームで最期の曲として聴いたとある楽曲に、僕は死の淵から救出された。と同時に「これからは夢に向かって生きていこう」と心に決めたのだった。

 

音楽文投稿とブログ活動スタート


中学生の時から、僕の夢は『音楽雑誌の編集者』だった。幼い頃から毎月欠かさずrockin.onの雑誌を読んでいたし、音楽についてはクラスメイトの誰よりも深い知識がある自負があったからだ。


加えて小学校からは『ケータイ大喜利』や『IPPONグランプリ』といったハガキ職人として活動し、高校~大学と文芸部に所属。大学では言葉について学び、小説を貪り読んだ。


もちろん当時は無意識的に、遊び感覚でやってきたものだ。しかし今この境遇になってみると「この結果は運命なのではないか」と感じるものがあったのもまた、事実だった。ここまできたら、もうやるしかないと思った。


「もちろん目指すは雑誌編集者!」と意気込んではみたものの、現実は残酷だった。rockin.onの募集要項にははっきりとした字で『正社員経験を3年以上積んだ者』とあったのだ。


僕は半年で退職した身だ。雑誌編集者としての道は絶たれたかに思えた。おそらく今までの僕ならば「そっすかー」とふんぞり返り、簡単に諦めていただろう。だが今の僕は違う。コミュニケーション不随、嫌われ者、社会不適合者であると自覚し「生きるにはもうこれしかない」というところまで追い込まれた、最下層の人間なのだ。もし諦めたら、きっと次の人生はない。


諦めてたまるかと思った。


僕は別の手段を探し求めた。正規の方法でなくても良い。何とかしてrockin.on社にアピールできるような方法はないかと。


すると『音楽文』というサイトに行き着いた。このサイトは一般から送られる音楽の文章をrockin.onが評価し、毎日サイトに載せるものだ。そして優秀な作品に対しては、毎月表彰するというものだった。


光明が射した気がした。rockin.on直々に作品を評価してくれるまたとない機会。もしここで評価されれば、ライターとしての仕事を頂ける可能性もあるかもしれない。


僕は毎月作品を提出する生活をしようと決めた。しかしながら『大多数に読まれる文章』というのは、それ相応に文体を整えて時間をかける必要がある。しかもそれが目標とするrockin.onとなれば、更に話は変わってくる。他の投稿者以上に情報を収集して時間を掛け、練りに練った文章にしなければならない。


僕は本当に興味のあることしか書けない。そのため、月に2本書ければ上々。だがそれだけでは望み薄だと考え、編集者にアピールする意味を込めてブログをスタートした。


音楽雑誌にとって大事なのは『良い文章を書く』ことだけではなく、『いかにコンスタントに文章と向き合っているか』だと思ったからだ。練りに練って月に2本書いたとしても、「その2本以外は何も書いてませんよ」では意味がない。実際に仕事を与えるなら後者……。定期的に文章を書いている人を取るだろうから。


かくしてブログと音楽文の投稿、アルバイトという3足のわらじ生活がスタートした。

 

SNSのストレス

音楽文には現時点で16記事ほど投稿している。おそらく投稿数ではトップであろうとは思う。しかし結果が出ていたかと問われれば、それはまた別の話だった。


前述したように音楽文とは『音楽の文章を書きたい者が集う場所』だ。僕が戦うべきは他の投稿者で、月に数十と群がる彼らを倒さなければ、未来は照らされない。


それはお笑いで言うところの、毎月賞レースが開催されるようなもの。自分の中で高得点を出したと思った次の日には、他者の更なる高得点で下位に追いやられるような、ストレスフルな日々が続いた。毎月月間賞の発表になるたびに肩を落としていた。


中でも辛かったのは、SNSの存在だ。今の世の中は『読まれるようにする方法』というのは大量にある。


例えばツイッターで、某アイドルアカウントを作っている人間がいたとする。もちろんそのアカウントは、共通のアイドルを好む人たちを多くフォローしているアカウントのはず。日々リプライやDMで交流し会い、密な関係を築き上げている。


だからこそ、某アイドルについて書けば拡散されやすくなる。それがどれだけ陳腐な表現であっても。中には「大好きな○○について書きました!読んでください!」と媚を売る人もおり、結果として、その文章に対する評価はぐんぐんと上がっていた。


片や僕は、孤独に文章を書くばかりだった。ブログでもそうだが、アクセスを集めるために手段を選ばなければいくらでもやりようはあった。エゴサーチしてリプライを送りまくったり、フォローとフォローバックを繰り返したり。


だが僕はプライドの高さから、そういった行為は断固として行わなかった。元々コミュニケーション能力が著しく低かったのもあるが、そんな姑息な手段を使わなくとも「力を込めた文章は評価されて然るべし」と思っていたからだ。


しかし現実は甘くなく、手段を選ばない人間がどんどん勝利を勝ち取っていった。僕は性格が悪いため、やけに高いいいね数を記録していたアカウントは特定したりしていたのだが、やはりと言うべきかほとんどが『某アーティスト専用アカウント』だった。


同時期に毎日更新していたブログでも同様の事態が発生しており、僕は次第に病んでいった。自分では最良の文章を書いているが見向きもされない。片や別のブロガーは、実力とは見合わないテクニックを使った文章で伸び続けている……。読者数が僕の約30倍であったり、僕が目標としていた「ライターの仕事をいただきました!」という人さえいた。


怒りとストレスで文章が全く書けない状態に陥ったのも、一度や二度ではなかった。

 

何度目かの挫折と、意識の変化

時は流れ、僕は2018年の11月に行われたamazarashiのライブの文章を書いていた。


文字数にして5000超え。過去最高の1週間かけて書いた代物だった。何度も遂行を重ね、これ以上ないレベルまで仕上げて投稿した。


……結果は落選だった。


そのとき、僕の中で何かが崩れた気がした。「もう無理かもしれない」という思いが頭を駆け巡り、何も手に付かなくなった。「毎日投稿します!」と意気込んでいたブログも、ぱったり更新しなくなった。


僕がここまで病んだのには、もうひとつの理由があった。それは入選した作品が、同じamazarashiのライブを取り上げていたからだ。


そう。全く同じ内容を書く戦いにおいて、僕は完敗したのだった。何時間もかけた文章。一番大好きなアーティスト。島根から東京に飛んで書いた文章が、ボロボロになって横たわっていた。この事実は信じたくなかった。


当然のように、入賞した作品は長い間読めなかった。そりゃそうだ。一筆入魂した作品を打ち倒した作品など、読めるはずがない。なもんでその『勝者』の作品は、心が幾分か落ち着いた1週間後に、やっとこさ読むことができたのだった。


一読して思ったのは「面白い」だった。


アーティストへの熱意、ライブの臨場感、文章力……。そのどれもが僕より一枚も二枚も上手だった。生まれて初めて「負けた」と思った。完敗も完敗。相手に賛辞を送りたくなるほどボロ負けだった。


その相手はおそらく自分の持てる最大の力で、ライブの興奮冷めやらぬうちに一気に書ききったのだろう。そんなことさえ読み取れてしまうほどに、心に訴えかける文章だった。


偶然にもその数週間後には、実際に本を数冊出版してライターを生業にしている、ある親戚に会う機会があった。


そこで言われたことは「ブログと寄稿する文は180度違うよ」ということと、「心から書きたいと思わなかったらそれは文章に出る」というものだった。


それからというもの、僕は文章との向き合い方を大きく変えた。いつでもしっかりした文章が書けるよう、ブログではおちゃらけた表現を撤廃し、全編通して真面目かつシリアスに書いた。書き進めるうちに少しでも興味がないと感じたら、毎日更新に穴を空けることも厭わなかった。


音楽文に関しても同様で、書きたいと思ったことは何よりも優先させ、スピーディーに書き進めた。それこそamazarashiの入賞した作品のように「気付けば書き進めている」という理想に向かった。


そんな生活を続け、数ヵ月が経過した。

 

運命の日

2019年のある日、島根県民会館にてサカナクションのライブが開催された。


今考えると奇跡的な参加だった。というのもその日は元々、バイトのシフトが入っていた日であった。それが店長からの「間違えてシフトを入れていた」という理由でもって、急遽休みになったのだ。


休みになったのと同時に思ったのは、「それならサカナクションのライブに行きたい」という至極当然の気持ち。しかし手元にチケットはない……。


苦肉の策として、僕は『チケットリセール』に申し込んだ。チケットリセールとは、ライブに行けなくなった人が正規の価格で人に譲り渡すというサービスだ。この業界最前線のサービスを、サカナクションは導入していた。


売りに出されていたチケットは4枚。僕は自分と父親の2枚分を申し込んだ。しかし漠然と「望み薄だろうな」と思っていた。全ソールドアウトのサカナクションのチケットである。僕と同じような境遇のファンの、それこそ県内外からの申し込みがあるだろうから。しかもライブ開催まであと1週間。一番申し込みがピークになる時期だ。間違いなく取れないだろうと半分諦めていた。


だが数日後「当選しました」とのメールが届いた。奇跡だと思った。僕は父にその旨を伝え、あとは当日を待つばかりとなった。


そんな中、ひとつの懸念が頭を掠めた。それは100歳を超えた祖母の体調が思わしくないことだった。医者からは「今夜が山だ」と言われていたらしく、ライブ前日には父から「明日のサカナクションのライブ、ワシは行けんかもしれんわ。だけん、そげなったらお前だけでも行けや」と言われた。


もちろん『最悪の事態』が起きれば、僕は明日に控えたライブをキャンセルするつもりだった。しかし結果として、何事もなかったかのように当日になった。


サカナクションのライブについては、僕が文中で述べた通りである。今まで観てきたどのライブよりも感動的で、刺激的だった。僕はその日のうちに文章をまとめ、ブログに上げた。


その次の日、祖母が亡くなった。102歳だった。


バイトの休み、チケット、祖母の体調……。これらのうちのどれかが欠けていれば、僕はこの運命のライブに参加すら出来なかったし、ライブレポートを書くこともなかった。全てが運命的だった。


……そしてその文章は受賞したのだった。


現在

『受賞』というひとつの目標には達成したものの、相変わらず僕はバイトと執筆活動に追われる生活を続けている。


バイト代も雀の涙ほど。ブログのアクセス数も横這いだ。おそらくは今月も節約生活を送らなければならないだろう。成功には程遠い。


だが今、僕には確固たる自信がある。「この生活を何年も続ければ、必ずや花開くときが来るだろう」と。


次なる目標は『最優秀賞の受賞』である。あと何年後の話になるかは分からないが、実現させたいと思う。欲を言えばブログも。音楽のみならず、僕の書く文章自体に何らかの評価を頂けたなら、これほど嬉しいことはないだろう。


まだ『ライターになる』という夢は叶えられていない。正直どれだけ先の話になるかは分からない。間違いなく険しい道だろうし、どう転んでも世間一般の『普通の生活』とはかけ離れたものになるだろう。


だがこれこそ、自分が決めた道なのだ。全てを決めるのは自分次第。勝つも負けるも自分次第。


死ぬ間際、背中を押した曲が木霊する。

 

死ぬ気で頑張れ 死なない為に

言い過ぎだって言うな もはや現実は過酷だ

なりそこなった自分と 理想の成れの果てで

実現したその自分を 捨てることなかれ

 

君自身が勝ち取った その幸福や喜びを

誰かにとやかく言われる 筋合いなんてまるでなくて

この先を救うのは 傷を負った君だからこそのフィロソフィー

 

(フィロソフィー/amazarashi)


足掻いてみせよう。いつまでも。

 

音楽文受賞作はこちら↓

ongakubun.com

 

→『死ぬ間際』について書いた記事はこちら

BLACKPINK(ブラックピンク)が日本で売れた理由を紐解く

こんばんは、キタガワです。

 

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あなたは『BLACKPINK(ブラックピンク)』という名のグループをご存知だろうか。


彼女らは2016年にK-POPアイドルとしてデビューし、今最も人気を博しているグループのひとつとして知られている。


公式ツイッターには日々大量のリプライが相次ぎ、先日『SUMMER SONIC 2019』への出演が発表された際は、他の出演者を凌駕する程感謝のメッセージで埋め尽くされた。


僕は「そんな確固たる地位を築いているブラックピンクの楽曲とは、どんなものなのだろう」と興味を持ったのは必然だった。


そこで今回は『ブラックピンクが日本で売れた理由を紐解く』と題し、その特徴的なサウンドや売れ方に関して徹底的に掘り下げていきたいと思う。


それではどうぞ。

 

 

そもそもK-POPの需要は高かった

東方神起やBTS(防弾少年団)、KARAや少女時代。今ではSEVENTEENやTWICEなど。日本の音楽市場において、K-POPが占める割合はかなり高い。 ドームツアーは毎回ソールドアウトし、週間売上チャートにも毎回名を連ねる存在。それがK-POPアーティストなのだ。


それこそ前述したKARAの華々しいデビューから考えると、日本国内だけで見てもざっと10年以上に渡ってK-POP人気は持続していることになる。僕はK-POPの造詣が深い訳ではないので理由は定かではないのだが、日本にはない独特な歌詞や顔面偏差値の高さからのアイドル性が、人気の秘密なのだと予想する。


聞くところによると、韓国国内よりも日本のライブ動員の方が圧倒的に上であるというデータさえあるほど。要は日本におけるK-POP人気は他国と比べても異常なレベルで高く、簡単に廃れることはないのである。


だからこそ。ブラックピンクが日本に進出してきた時点で、ある程度の人気は獲得していたと見るべきだろう。


レコード会社からすれば「韓国アーティストは出せば売れる」と言うと言葉は悪いが、間違いなく一定数の需要は見込めると踏んだ。そしてそれは現実のものとなったわけだ。


次はブラックピンクの音楽性に迫っていきたい。

 

『ヒップホップEDMアイドル』の確立

かつて当ブログでも取り上げてきたが、今の音楽シーンは世界的に見て、ヒップホップ人気が高い傾向にある。


ドレイクやケンドリック・ラマー、チャイルディッシュ・ガンビーノといったヒップホップアーティストがグラミー賞総なめにした事実からも、おおよそ間違いない。


加えて世界的に『売れるための教科書』とも言うべきサウンド、EDMについても触れておこう。AviciiやCalvin HarrisといったDJ人気により、一時期の海外チャートはEDMアーティストが独占することもしばしばあった。それこそ今まではEDMを頑なに拒んでいた有名アーティストでさえも『新機軸のサウンドだから』とプライドを捨て、EDMに片足を突っ込むこともあるほどだった。


しかし時が経つにつれ、かつて一世を風靡したキラキラとした盛り上がり一辺倒のEDM音楽は下火になった。代わりに今は少しBPMを落とした楽曲や、憂いを帯びた楽曲が売れるとされている。


……以上の事象を踏まえて、ブラックピンクの楽曲を見ていこう。


彼女らのサウンドは、それこそヒップホップとEDMのハイブリッドである。


もちろん歌メロ要素が大半ではあるのだが、楽曲中には必ずヒップホップのテイストが含まれている。それこそ『DDU-DU DDU-DU』における、LISAの歌唱がそれだ。韻を踏みつつ矢継ぎ早にリリックを繰り出す手法は、あまりにも特徴的。自身のダークな恋愛観を剥き出しにする散弾銃の如きスタイルは、完全にヒップホップのそれだ。

 


BLACKPINK - ‘뚜두뚜두 (DDU-DU DDU-DU)’ M/V


サウンドに焦点を当ててみると、総じてバックで鳴る音像にはギターはほとんど含まれておらず、ドラムもPCの打ち込みで鳴らしている。核となっているのは鍵盤楽器で、印象的なフレーズをループさせることによって進行する。この形に関してはEDMをモチーフにしていると推測される。


『感情を伝えるのに最も適した方法』とも称されるヒップホップと、今流行りの低音EDM。このふたつを組み合わせたブラックピンク。ことサウンドに関してはいわゆる『美味しいとこ取り』だ。世間一般の音楽ニーズに寄り添う、非常に賢い方法と言えよう。

 

サビ部分の完全EDM化

音楽理論上、音楽において最も印象に残る部分はサビ部分であるとされている。


DA PUMPの「カーモンベイビーアメリカ」然り、米津玄師の「あの日の悲しみさえ」然り。サビが印象的であれば印象的であるほど、楽曲自体が認知されやすくなる。そのため基本的にはどんなアーティストでも、最も力を入れる部分はサビ部分なのだ。


ここで注目したいのがブラックピンクのサビ。


ブラックピンクのサビ部分の大半はメロディーのみの進行である。そこに印象的なフレーズはほとんどない。『BOOMBAYAH』や『DDU-DU DDU-DU』といったヒット曲も同様。サビに歌詞を付ければ良さそうなものを、BLACKPINKはあえてそうしなかった。


これこそEDMの王道的手法と言える。曲が最も盛り上がる段階にメロのみを投入する……。これは音楽用語で『ドロップ』と言われる手法なのだが、ブラックピンクはこのドロップが極めて多い作りになっている。

 


BLACKPINK - '붐바야'(BOOMBAYAH) M/V

 


TWICE「One More Time」Music Video


同じK-POPアーティストであるTWICEと比較すると分かりやすい。上に比較PVを用意したので見て貰いたい。これを見ると、サビ部分だけを考えても180度異なる作曲方法を取り入れていることが分かる。

 


ここ数年で『ドロップ』は世界各国で使われ続けている。もちろん理由は記憶に残りやすいから、ということからだが、この手法をK-POPアーティストが使うというのは僕自身ほとんど聞いたことがない。


音楽には『定番+多少のズレ』を含んだものがベストとされているのだが、僕がブラックピンクのアルバムを聴いて初めて抱いた感想がその『ズレ』だった。他のK-POPにはない作曲方法に対し、少し違和感があった。


だが聴き続けるうちに気にならなくなり、今ではガンガン聴けるようになった。そう。結果としてひとつの魅力として昇華していたのだ。間違いなく作曲者はこの違和感を意図して作っているのだろうと思うし、もっと言えば今の楽曲の認知度に至っても、全て計算ずくなのだろう。

 

おわりに

さて、いかがだっただろうか。ブラックピンクが日本で売れた理由の解説。


もちろん僕個人が勝手に解釈した事柄なので、100%正しいとは言い切れない。しかしこの考えを「間違っている」と一蹴出来ない部分もまた、事実だと思うのだ。


僕はブラックピンクの楽曲をまだファンと呼べるほど聴き込んではいないが、漠然と「いい曲だなあ」と感じている。それこそTSUTAYAでガッツリレンタルするくらいには。


何事も売れるには理由がある。今後も彼女らは国内外問わず、幅広く活躍する存在となるだろう。世界中が『BLACKPINK IN YOUR AREA』になる日も近い。まずは8月の来日ライブに期待したいところ。

映画『ALONE』レビュー

こんばんは、キタガワです。


世の中には『戦争映画』というジャンルの映画は数あれど、正直やり尽くされた感があると思うのだ。


「我が国のために命を捧げます!」「愛すべき家族が待っているんだ!」と孤軍奮闘し、結果としてお涙頂戴の結末を迎える戦争映画はもう飽き飽きしている。


戦争映画はそれこそ世界に何百とある。そのためひとつくらいは、誰もが考えもしなかったベクトルから着眼点を見出だす作品も生まれて然るべきだとも思っている。


そんな中満を持して2018年に公開された作品、それが『ALONE(アローン)』である。

 

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時は戦争真っ只中。砂漠のど真ん中で対象を狙っていたスナイパー2人組は、暗殺任務失敗のみならず、砂漠を歩き続けるという地獄のような体験をすることとなる。


町までは徒歩で残り2時間。「日暮れまでには着けるだろう」と過信していた彼らの元に、地雷源が姿を現す。十中八九、目視出来ない位置に隠されているのが地雷である。勘で通りすぎられる筈もなく、仲間の一人は無惨に爆死する。


直後、残された主人公も地雷を踏んでしまう。ここからがこの映画の肝。主人公は水も食料も尽きた中、約52時間堪え忍ぶ選択を強いられてしまうのである。


この映画を観るに当たって、読者の脳裏を過る懸念はひとつ。「本当にこのシチュエーションだけで2時間やれるのか?」という点。


左足は地雷を踏んでいるため動けない。使えるのは両腕と右足だけだ。通常、映画は多くの場面展開が必要不可欠と言える。そんな常識を『ALONE』は完全に無視し、この最低限の状況下だけで起承転結を描こうというのだ。


だが結果として『ALONE』はラストまで描ききった。ネタバレになるので詳しくは書かないが、物語上の起伏や重要なポイントもしっかり押さえていたし、なおかつこの状況下で人との関わりも描いていた。


冒頭部分の謎が残ったりもしたが、総じてまあまあ面白かったと言えよう。もしも自殺するオチを持ってきたのならばぶちギレていただろうが、満足のいく出来だったと思う。


全編通してシリアスな戦争映画であった。何度か疑問に感じるシーンはあるものの、着眼点は見事。既存の映画に飽きた人、違ったシチュエーションで映画を楽しみたい人には良いのでは。

 

ストーリー★★★☆☆
コメディー☆☆☆☆☆
感動★★☆☆☆
配役★★☆☆☆
左足動かせない度★★★★★

総合評価★★☆☆☆

 


ALONE/アローン - 映画日本版予告編