キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

夢が少しだけ報われた日

こんばんは、キタガワです。


1年半。1年半である。本当に長い道程だったが、ようやく辿り着いた。


『音楽文 入賞』。やっとこの言葉を見ることが出来た。漠然と「取ったら泣くだろうな」と思っていたのだが、不思議と涙は出なかった。人体の仕組みというのは分からないものだ。


さて。今回は珍しく僕自身の心の整理の意味も込めて、1年半の旅路を書き記す記事にしようと思っている。


普段当ブログで記述している内容とは180度違った個人的内容ばかりのため、興味のない人はブラウザバックを推奨する。


なおrockin.on事務局側から送られた情報等については、当ブログでは一切開示しないことをご了承願いたい。何かしらの指摘を受けた場合、記事自体消します。

 

 

ドロップアウトの果てに

100記事更新の記事で詳しく書いたことの繰り返しになるが、2018年の3月に、僕は本気で死ぬつもりだった。


新卒で入社した会社を半年で退職して再度就職活動を始めたものの、一向に採用が決まらない。始めこそ「何とかなるっしょ」とお気楽思考だったが、気付けばどんどん疲弊していった。そしてお祈りメールが10通を超え携帯電話料金も払えなくなった頃、限界が来た。


最期の電車を待つプラットホームで、僕の心は妙に穏やかだった。「今から逝きます」と感傷に浸るわけでもなく、ただただ『無』だった。このときは本当に死に直面した人間の行動は、極めて突飛で理解不能なものであると初めて知ったものだ。


そして運命の瞬間が訪れる。プラットホームで最期の曲として聴いたとある楽曲に、僕は死の淵から救出された。と同時に「これからは夢に向かって生きていこう」と心に決めたのだった。

 

音楽文投稿とブログ活動スタート


中学生の時から、僕の夢は『音楽雑誌の編集者』だった。幼い頃から毎月欠かさずrockin.onの雑誌を読んでいたし、音楽についてはクラスメイトの誰よりも深い知識がある自負があったからだ。


加えて小学校からは『ケータイ大喜利』や『IPPONグランプリ』といったハガキ職人として活動し、高校~大学と文芸部に所属。大学では言葉について学び、小説を貪り読んだ。


もちろん当時は無意識的に、遊び感覚でやってきたものだ。しかし今この境遇になってみると「この結果は運命なのではないか」と感じるものがあったのもまた、事実だった。ここまできたら、もうやるしかないと思った。


「もちろん目指すは雑誌編集者!」と意気込んではみたものの、現実は残酷だった。rockin.onの募集要項にははっきりとした字で『正社員経験を3年以上積んだ者』とあったのだ。


僕は半年で退職した身だ。雑誌編集者としての道は絶たれたかに思えた。おそらく今までの僕ならば「そっすかー」とふんぞり返り、簡単に諦めていただろう。だが今の僕は違う。コミュニケーション不随、嫌われ者、社会不適合者であると自覚し「生きるにはもうこれしかない」というところまで追い込まれた、最下層の人間なのだ。もし諦めたら、きっと次の人生はない。


諦めてたまるかと思った。


僕は別の手段を探し求めた。正規の方法でなくても良い。何とかしてrockin.on社にアピールできるような方法はないかと。


すると『音楽文』というサイトに行き着いた。このサイトは一般から送られる音楽の文章をrockin.onが評価し、毎日サイトに載せるものだ。そして優秀な作品に対しては、毎月表彰するというものだった。


光明が射した気がした。rockin.on直々に作品を評価してくれるまたとない機会。もしここで評価されれば、ライターとしての仕事を頂ける可能性もあるかもしれない。


僕は毎月作品を提出する生活をしようと決めた。しかしながら『大多数に読まれる文章』というのは、それ相応に文体を整えて時間をかける必要がある。しかもそれが目標とするrockin.onとなれば、更に話は変わってくる。他の投稿者以上に情報を収集して時間を掛け、練りに練った文章にしなければならない。


僕は本当に興味のあることしか書けない。そのため、月に2本書ければ上々。だがそれだけでは望み薄だと考え、編集者にアピールする意味を込めてブログをスタートした。


音楽雑誌にとって大事なのは『良い文章を書く』ことだけではなく、『いかにコンスタントに文章と向き合っているか』だと思ったからだ。練りに練って月に2本書いたとしても、「その2本以外は何も書いてませんよ」では意味がない。実際に仕事を与えるなら後者……。定期的に文章を書いている人を取るだろうから。


かくしてブログと音楽文の投稿、アルバイトという3足のわらじ生活がスタートした。

 

SNSのストレス

音楽文には現時点で16記事ほど投稿している。おそらく投稿数ではトップであろうとは思う。しかし結果が出ていたかと問われれば、それはまた別の話だった。


前述したように音楽文とは『音楽の文章を書きたい者が集う場所』だ。僕が戦うべきは他の投稿者で、月に数十と群がる彼らを倒さなければ、未来は照らされない。


それはお笑いで言うところの、毎月賞レースが開催されるようなもの。自分の中で高得点を出したと思った次の日には、他者の更なる高得点で下位に追いやられるような、ストレスフルな日々が続いた。毎月月間賞の発表になるたびに肩を落としていた。


中でも辛かったのは、SNSの存在だ。今の世の中は『読まれるようにする方法』というのは大量にある。


例えばツイッターで、某アイドルアカウントを作っている人間がいたとする。もちろんそのアカウントは、共通のアイドルを好む人たちを多くフォローしているアカウントのはず。日々リプライやDMで交流し会い、密な関係を築き上げている。


だからこそ、某アイドルについて書けば拡散されやすくなる。それがどれだけ陳腐な表現であっても。中には「大好きな○○について書きました!読んでください!」と媚を売る人もおり、結果として、その文章に対する評価はぐんぐんと上がっていた。


片や僕は、孤独に文章を書くばかりだった。ブログでもそうだが、アクセスを集めるために手段を選ばなければいくらでもやりようはあった。エゴサーチしてリプライを送りまくったり、フォローとフォローバックを繰り返したり。


だが僕はプライドの高さから、そういった行為は断固として行わなかった。元々コミュニケーション能力が著しく低かったのもあるが、そんな姑息な手段を使わなくとも「力を込めた文章は評価されて然るべし」と思っていたからだ。


しかし現実は甘くなく、手段を選ばない人間がどんどん勝利を勝ち取っていった。僕は性格が悪いため、やけに高いいいね数を記録していたアカウントは特定したりしていたのだが、やはりと言うべきかほとんどが『某アーティスト専用アカウント』だった。


同時期に毎日更新していたブログでも同様の事態が発生しており、僕は次第に病んでいった。自分では最良の文章を書いているが見向きもされない。片や別のブロガーは、実力とは見合わないテクニックを使った文章で伸び続けている……。読者数が僕の約30倍であったり、僕が目標としていた「ライターの仕事をいただきました!」という人さえいた。


怒りとストレスで文章が全く書けない状態に陥ったのも、一度や二度ではなかった。

 

何度目かの挫折と、意識の変化

時は流れ、僕は2018年の11月に行われたamazarashiのライブの文章を書いていた。


文字数にして5000超え。過去最高の1週間かけて書いた代物だった。何度も遂行を重ね、これ以上ないレベルまで仕上げて投稿した。


……結果は落選だった。


そのとき、僕の中で何かが崩れた気がした。「もう無理かもしれない」という思いが頭を駆け巡り、何も手に付かなくなった。「毎日投稿します!」と意気込んでいたブログも、ぱったり更新しなくなった。


僕がここまで病んだのには、もうひとつの理由があった。それは入選した作品が、同じamazarashiのライブを取り上げていたからだ。


そう。全く同じ内容を書く戦いにおいて、僕は完敗したのだった。何時間もかけた文章。一番大好きなアーティスト。島根から東京に飛んで書いた文章が、ボロボロになって横たわっていた。この事実は信じたくなかった。


当然のように、入賞した作品は長い間読めなかった。そりゃそうだ。一筆入魂した作品を打ち倒した作品など、読めるはずがない。なもんでその『勝者』の作品は、心が幾分か落ち着いた1週間後に、やっとこさ読むことができたのだった。


一読して思ったのは「面白い」だった。


アーティストへの熱意、ライブの臨場感、文章力……。そのどれもが僕より一枚も二枚も上手だった。生まれて初めて「負けた」と思った。完敗も完敗。相手に賛辞を送りたくなるほどボロ負けだった。


その相手はおそらく自分の持てる最大の力で、ライブの興奮冷めやらぬうちに一気に書ききったのだろう。そんなことさえ読み取れてしまうほどに、心に訴えかける文章だった。


偶然にもその数週間後には、実際に本を数冊出版してライターを生業にしている、ある親戚に会う機会があった。


そこで言われたことは「ブログと寄稿する文は180度違うよ」ということと、「心から書きたいと思わなかったらそれは文章に出る」というものだった。


それからというもの、僕は文章との向き合い方を大きく変えた。いつでもしっかりした文章が書けるよう、ブログではおちゃらけた表現を撤廃し、全編通して真面目かつシリアスに書いた。書き進めるうちに少しでも興味がないと感じたら、毎日更新に穴を空けることも厭わなかった。


音楽文に関しても同様で、書きたいと思ったことは何よりも優先させ、スピーディーに書き進めた。それこそamazarashiの入賞した作品のように「気付けば書き進めている」という理想に向かった。


そんな生活を続け、数ヵ月が経過した。

 

運命の日

2019年のある日、島根県民会館にてサカナクションのライブが開催された。


今考えると奇跡的な参加だった。というのもその日は元々、バイトのシフトが入っていた日であった。それが店長からの「間違えてシフトを入れていた」という理由でもって、急遽休みになったのだ。


休みになったのと同時に思ったのは、「それならサカナクションのライブに行きたい」という至極当然の気持ち。しかし手元にチケットはない……。


苦肉の策として、僕は『チケットリセール』に申し込んだ。チケットリセールとは、ライブに行けなくなった人が正規の価格で人に譲り渡すというサービスだ。この業界最前線のサービスを、サカナクションは導入していた。


売りに出されていたチケットは4枚。僕は自分と父親の2枚分を申し込んだ。しかし漠然と「望み薄だろうな」と思っていた。全ソールドアウトのサカナクションのチケットである。僕と同じような境遇のファンの、それこそ県内外からの申し込みがあるだろうから。しかもライブ開催まであと1週間。一番申し込みがピークになる時期だ。間違いなく取れないだろうと半分諦めていた。


だが数日後「当選しました」とのメールが届いた。奇跡だと思った。僕は父にその旨を伝え、あとは当日を待つばかりとなった。


そんな中、ひとつの懸念が頭を掠めた。それは100歳を超えた祖母の体調が思わしくないことだった。医者からは「今夜が山だ」と言われていたらしく、ライブ前日には父から「明日のサカナクションのライブ、ワシは行けんかもしれんわ。だけん、そげなったらお前だけでも行けや」と言われた。


もちろん『最悪の事態』が起きれば、僕は明日に控えたライブをキャンセルするつもりだった。しかし結果として、何事もなかったかのように当日になった。


サカナクションのライブについては、僕が文中で述べた通りである。今まで観てきたどのライブよりも感動的で、刺激的だった。僕はその日のうちに文章をまとめ、ブログに上げた。


その次の日、祖母が亡くなった。102歳だった。


バイトの休み、チケット、祖母の体調……。これらのうちのどれかが欠けていれば、僕はこの運命のライブに参加すら出来なかったし、ライブレポートを書くこともなかった。全てが運命的だった。


……そしてその文章は受賞したのだった。


現在

『受賞』というひとつの目標には達成したものの、相変わらず僕はバイトと執筆活動に追われる生活を続けている。


バイト代も雀の涙ほど。ブログのアクセス数も横這いだ。おそらくは今月も節約生活を送らなければならないだろう。成功には程遠い。


だが今、僕には確固たる自信がある。「この生活を何年も続ければ、必ずや花開くときが来るだろう」と。


次なる目標は『最優秀賞の受賞』である。あと何年後の話になるかは分からないが、実現させたいと思う。欲を言えばブログも。音楽のみならず、僕の書く文章自体に何らかの評価を頂けたなら、これほど嬉しいことはないだろう。


まだ『ライターになる』という夢は叶えられていない。正直どれだけ先の話になるかは分からない。間違いなく険しい道だろうし、どう転んでも世間一般の『普通の生活』とはかけ離れたものになるだろう。


だがこれこそ、自分が決めた道なのだ。全てを決めるのは自分次第。勝つも負けるも自分次第。


死ぬ間際、背中を押した曲が木霊する。

 

死ぬ気で頑張れ 死なない為に

言い過ぎだって言うな もはや現実は過酷だ

なりそこなった自分と 理想の成れの果てで

実現したその自分を 捨てることなかれ

 

君自身が勝ち取った その幸福や喜びを

誰かにとやかく言われる 筋合いなんてまるでなくて

この先を救うのは 傷を負った君だからこそのフィロソフィー

 

(フィロソフィー/amazarashi)


足掻いてみせよう。いつまでも。

 

音楽文受賞作はこちら↓

ongakubun.com

 

→『死ぬ間際』について書いた記事はこちら