キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

【ライブレポート】ASIAN KUNG-FU GENERATION『Dive/Connect@Zepp Online Vol.1』@KT Zepp Yokohama

こんばんは、キタガワです。

 

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去る9月8日、オンラインライブイベント『Dive/Connect@Zepp Online Vol.1』が開催された。今イベントは、新型コロナウイルスの影響によって多くのライブの機会が失われてしまった現在の状況の中でも「皆で同じ時間を共有している」という文字通りのライブの高揚感を届けるべく、「この時代ならではのライブ配信コンテンツを」との思いの下にSonyMusicが毎週火曜日に配信を試みる、新型オンラインライブイベントである。


記念すべき第一回目となるアーティストは、日本を代表するロックバンドの一組とも言うべきASIAN KUNG-FU GENERATION(以下アジカン)。アジカンが行うコロナ禍におけるオンラインライブとしては、7月24日に行われた『J-WAVE LIVE 2020 #音楽を止めるな』から数えて通算2回目となる。出演を予定していた夏フェスが軒並み中止となり、今回のライブ終了後には全7箇所を回る全国ツアー『ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2020 酔杯2  ~The Song of Apple ~』の全公演中止を正式に発表したアジカン。彼らにとってこの日々刻々と変化する状況に振り回され続けたこの数ヵ月間は、強いフラストレーションを覚えるものであったことはおよそ間違いない。故に今回のライブはネガティブな感情に支配されていた世の中のムード、及び「それでも前を向かねばならない」とする思考変換を、音楽を通して具現化するライブでもあったように思う。


ライブは定刻となった20時を少し過ぎてスタート。淡い照明が全体を照らす中、今回のライブのナビゲーターであるダイスケ(グランジ・遠山大輔)に呼び込まれる形で、“新世紀のラブソング”におけるパーカッションの打ち込みのオケと共にメンバーがひとり、またひとりとステージに姿を現し、それぞれの楽器のチューニングを行う。柄模様の絨毯ステージを敷いて中央に立つ後藤正文(Vo.G)も同様、集中してチューニングに臨んでおり、そのすっかり見慣れた光景でもって、静かに心中の興奮が引き上げられていく感覚に陥る。

 


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『新世紀のラブソング』


いつしか僅かばかり変化した打ち込みを合図に、緩やかに始まった1曲目は“新世紀のラブソング”だ。今までのアジカン像を大きく覆すその強いメッセージ性とラップが絡んだ稀有な曲調を武器に、2009年にシングルカットでリリースに至った“新世紀のラブソング”。死亡事故とアメリカ同時多発テロのニュースに涙を流すキャスターや後悔、憂鬱など悲痛な場面が描かれていることからも分かる通り、この楽曲はとりわけ震災や原発事故、政権交代など時代の転換点とも言える出来事が訪れた際に、たびたびセットリストに組み込まれてきた楽曲としても広く知られている。そして今回久方ぶりにセットリスト入りを果たした事実が意味するところは言うまでもなく、コロナウイルスによるネガティブなムードによるところが大きいのではと推察する。中でも最終節で歌われた《ほら 君の涙/さようなら旧世紀/恵みの雨だ/僕たちの新世紀》の一幕は誰しもの心中にネガティブな感情を生成させたこの2020年を抜け、希望的新時代の到来を希求する強いメッセージにも感じられ、感動的に映った。


全編通して特段血気盛んなアクションは皆無で、あくまで自然体。サウンドの要を形作る楽器隊は皆安定なる演奏でどっしり構えているし、バンドのフロントマンである後藤も同様、終始肩肘張らない軽やかな印象で、“遥か彼方”や“ソラニン”に顕著なCD音源では声を張り上げて歌う場面においても、フラットな落ち着きのある歌唱に徹する余裕綽々ぶりだ。今回のライブはサポートキーボードである下村亮介(Key・the chef cooks me)を有するもはやお馴染みとも言える編成で行われたが、彼のキーボードもサウンドの軸を担うというよりはサウンドに広がりを持たせる演奏に留まっていて、アジカンをアジカンたらしめるその楽曲の存在感の高まりに一役買っていた印象だ。


『Dive/Connect@Zepp Online』の公式ツイッター内の事前動画にて喜多建介(G.Vo)が「所謂王道フェスセットリストから、ちょっと違うアジカンというか」と語っていたが、その言葉を体現するように、この日のライブは“リライト”や“君という花”、“Re:Re”を筆頭とした鉄板のライブアンセムの多くが演奏曲から外されると共に、昨今のライブでは長らく演奏されていなかったファン垂涎のレア曲を多く展開。結果としてキャリア全体の総括の意味合いすら感じさせる稀有なセットリストとなった。

 


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『未来の破片』


その中でも極めて大きな驚きをもたらしたのは“未来の破片”、“ブラックアウト”、“ブルートレイン”に顕著なキャリア初期の楽曲群、そして実に2015年に行われた全国ツアー『Wonder Future』以来の披露となった“或る街の群青”の4曲。後のアフタートークでセットリストの主な部分を決めたのは喜多と山田貴洋(B)であったとの説明が成されたが、おそらくは今の状況下で画面越しに観るファンにとってどの楽曲を演奏するのが適切か、熟慮した結果なのだろう。結果として定番のセットリストから大きく外れた今回のライブは、ともすれば悪い意味での予想外な印象を与えてしまう可能性もある。しかしながらイントロが鳴らされた瞬間にリアルタイムで流れるコメント欄は驚きと興奮の声がひっきりなしに書き込まれ、異様なスピードで更新されていく様を見ていると、やはり単独の有観客ライブでもフェスでもない、長いアジカンの歴史で触れる機会自体がほとんどなかったオンラインライブという場において今回のセットリストは何よりの最適解であったと称して然るべしだろう。


演奏終了後に何度か「どうもありがとう」と端的に語るのみで、MCらしいMCは行わなかった後藤だが、“ソラニン”後には数分間にも及ぶ長尺のMCでもって、飾らない今の心境を赤裸々に伝えていた。普段のライブでは自身の服装に触れたり、突発的に叫ばれたファンの言葉に反応することも多い後藤のMCだが、今回は無観客であるため、当然観客のレスポンスはない。アジカンらしからぬ静まり返った空間で彼がこの長いMCで語ったことは主に3つ……すなわち過去、今、そしてライブへの思いである。


「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです。……誰に話し掛けてるかっていうのをイメージするのが難しいのは、今俺たちはここ、横浜に新しく出来たZepp Yokohamaっていうライブハウスにいて、ここにはまあ、撮影のクルーとか、あとは照明のクルーだったり、あとは音響のみんなだったり、それこそたくさんのスタッフに囲まれてやってはいるけれども、観客はひとりもいなくて」

「とにかくフェスとかコンサートとかライブとか、お客さんを前にして演奏して……そういうとこのやり取りでいろいろな悩み事だったり、メンバー仲悪くなったりとか。アルバムあんまり売れねえなとか思ったりとか。そういうことも……何だろね。実際に俺たちの音楽で楽しんでくれる人、喜んでくれる人、そういう人たちを観て感じて、俺たちも息を吹き返すみたいな」

「そういう繰り返しで、来年で結成25周年っていうんだけど、25年以上バンドをやってきて、改めて聴く人がいなかったらこういうコンサートとかも成立しないし。誰も音楽を聴く人がいなかったとして、それでも俺、自分の作ったものは凄く好きだから、自己完結としてね。音楽を続けるのかっていったら……ちょっとね。やっぱり誰かに『超いいね! とか『凄い好きです』とか言ってもらえることが、自分の表現の後押しをしてくれてたんだなって凄く思うというかね」

「このコロナのこともそうだけど、それ以外にも嫌なこと、クソなことってたくさんあって。それに抗うためにあらゆる表現があるんじゃないかなって、最近思うんだよね。またみんなで集ってね。何かを出来る日は、規模はどうあれ戻ってくるはずだと信じながら、束の間のこういう距離感を楽しみながら」

「いろんな事情でライブに参加出来ない人も、この機会に俺たちのコンサートを観れるかもしれないし。とにかく、こういう演奏出来る場……誰かに届けられる場があることを感謝しながら最後まで演奏しますんで。一緒に楽しんでくれたら嬉しいです」


世の『ミュージシャン』と呼ばれる職業は全てのミュージシャンに当て嵌まる訳ではないが、基本的にはコンスタントな楽曲制作とライブを毎年繰り返すルーティーンワークだ。近年の時代柄、メディア露出やSNS等知名度獲得的な活動を行うミュージシャンも増えてきてはいる。しかしながらアジカンは長い活動の中でもそうした音楽外の活動からは極力距離を置き、愚直に音楽制作とライブに焦点を当てた活動を精力的に行ってきた。そんな中でひとつの活動指針であった『ライブ』という行為自体に多大な制限がかけられると共に、ライブハウス界隈へのネガティブイメージが蔓延していたここ数ヵ月間の彼らが如何なるフラストレーションを抱えていたのかについては、想像に難くない。


多くのファンに周知されていることではあるが、アジカンはライブ中、観客に多くを求めない。ライブにおける前半部のMCの多くが「みんな好きなように楽しんでください」とする後藤の一言で締め括られることもそうだが、彼らのライブは曲間のコール&レスポンスもなければ何らかのアクションの要求自体がほとんど成されない、言うなれば淡々と楽曲を連発するタイプのバンドであるとも言える。けれども思い返せば思い返す程、それこそ前述の“君という花”の途中の「ラッセーラッセー!」なる合いの手や“Re:Re”のラストのメロに至るまでの手拍子に顕著に表れている通り、ライブの楽しみ方を個々人に任せている中にもある種の双方向的な一体感を生み出していたのだと実感する。後のアフタートークで喜多が観客がいないことを忘れてギターソロの際に前に進み出てしまったことを語っていたが、少なくとも彼らにとってステージに立つことと眼前の観客が拳を突き上げる様はイコールであって、今回の後藤のMCはその無意識的な渇望が最も直情的な形で発現した一幕のようにも感じた次第だ。


ハイライトとして映ったのは、やはり数年の時を経てセットリストに組み込まれた“或る街の群青”。

 


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『或る街の群青』


《異次元を回遊/青ク深イヨル/セカイヲカエヨウ/ソコカラナニガミエル?》


Cメロ部分で歌われるフレーズは、制作当初は別の意味……もとい、アニメ映画『鉄コン筋クリート』の主題歌に抜擢された事実からも分かる通り、劇中で紡がれる、諸行無常の波にもまれながら懸命に日々を生きるふたりの少年の成長物語を強く踏襲したものだった。しかしながらコロナウイルスにより現在に生きるおよそ多くの人々の心中に何らかのブルーな思いを生じさせている現在、また違ったイメージを携えて響いていたのが印象的。後藤による気だるげな《光だって/闇だってきっと》と繰り返されるリフレインがいつしか途切れ、冒頭で奏でられたメロに変化した瞬間には、まるで非日常的な空間が日常に戻っていく寂寥すら感じられた。


その後はかが屋・加賀によるリクエストでもってサプライズ的にセットリストに組み込まれたという“無限グライダー”、ダンサブルな音像が熱量を段階的に引き上げた“踵で愛を打ち鳴らせ”、今やアジカンのライブのキラーチューンとしてすっかり定着した“荒野を歩け”と矢継ぎ早に楽曲を投下。ロック然としたサウンドの中に確かなメッセージ性と熱量を携えたそれらの楽曲の求心力は圧倒的で、ひとつの例外なくイントロが鳴った瞬間にコメント欄の動きが超加速。総じて今年結成25周年を迎える彼らの楽曲が長い時間をかけ如何に世間に浸透し、また多くの人々の生活に寄り添ってきたのかを視覚化するようでもあり、不思議と涙腺をも緩ませる。

 


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『ボーイズ&ガールズ』


ラストに披露されたのはアジカンの新たなるライブチューンであると共に、メンバー全員が40歳を越えた今だからこそ生み出されたメッセージナンバーのひとつ“ボーイズ&ガールズ ”。歌われるのは、日本の未来を担う若き夢追い人へのエールである。たとえスケープゴートと見なされることで、他者への嫉妬を呼び起こすことがあろうとも。周囲の人間と馴染めず、結果として何も成し得ず歳を取ろうとも……。全ては長い旅路の序章に過ぎないのだと背中を押すこの楽曲を高らかに歌い上げ、ラストは掻き鳴らした後にスタンドに置かれたエフェクターを介したギターによる宙に溶けるノイジーな音が鳴り続ける中、メンバーがステージ裏へと消える形でライブは終幕した。アンコールなし。今後の予定における周知事項もなし。突飛な演奏やメッセージも、同じくなし。……それでいて徹頭徹尾音楽の持ち得る力のみを駆使して駆け抜けた約1時間の熱演は、何故長らくアジカンが第一線で活躍するロックバンドとして確立しているのかを何よりも雄弁に証明する代物であった。


繰り返すが、彼らにとって今回のライブは自身2度目となるオンラインイベントだ。後藤のMCでも、また後のアフタートークでも赤裸々な言葉で語られていたように、やはり無観客でのライブ配信はキャリアを重ねた彼らにとっても、ある種やり辛い環境であったことは否めない。ただたとえ画面越しであろうとも、ファンに音楽を届ける場だけは失われていないということは、現在様々な制限が課せられる音楽業界における一筋の光として垂直に立っていることもまた、事実としてある。


元号が平成から令和に一新されたように。現金以上に電子マネーが普及したように。そして、今に生きる我々がマスク着用やソーシャルディスタンスの確保といった行動に慣れてしまったように……。時代は緩やかに移り変わり、当たり前だと思っていた事象はその実、決して当たり前ではなかったということを特にこの数ヵ月で、我々は痛感したはずだ。そんな中アジカンは未来を見据えた上で、今何が必要なのかを我々に問い掛け続ける。いつしか画面には、アフタートークの『ファンコネクト』なるコーナーでアンケート上位を獲得した“新世紀のラブソング”の映像が、再放送として画面上に流れていた。……思えばアジカンの奏でる音楽は、いつの時代も日常を彩ってきた。そしてそれはコロナ禍に疲弊する現在もこれからも、何ら変わらない。総じて新時代の素晴らしい未来を希求するメッセージ的な意味合いすら感じ入る今回のライブは紛れもなく、今だからこそ実現に至る必然さえ携えた運命的な一夜だったのだ。


【ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Dive/Connect@Zepp Online Vol.1』 セットリスト】
新世紀のラブソング
遥か彼方
未来の破片
ソラニン
ブラックアウト
ブルートレイン
或る街の群青
無限グライダー
踵で愛を打ち鳴らせ
荒野を歩け
ボーイズ & ガールズ

映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』は、平手友梨奈とメンバーの何をつまびらかにしたのか?

こんばんは、キタガワです。

 

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欅坂46初のドキュメンタリー映画を、先日映画館で観てきた。欅坂46の歴史で初、そして先日の無観客生配信ライブにて改名を宣言している欅坂46にとっては間違いなく、最初で最後のドキュメンタリー映画となる。タイトルは『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』。何とも彼女たちらしい決意表明ではないか。


2時間という長い上映時間に描かれるのは、端的に言えば欅坂46の全てである。ファンの誰もが知るところである既知の欅坂46と、我々ファンが確かな違和感として長年感じつつも、どこかで目を背け続けていた悲壮的な真実がつまびらかにされていく。確かにこの映画はドキュメンタリーの体を成した映画作品だ。しかしながらこの映画はただのドキュメンタリーではない。言わば欅坂46のメンバーとして5年間を必死に駆け抜けてきた総勢数十名にも及ぶ彼女たちの生きざまを、痛いほどに証明する備忘録でもあるのだ。

 


欅坂46 『ガラスを割れ!』


映画は真っ白な空間の中、キャプテンである菅井友香がゆっくりと中心部に置かれた椅子に歩を進める映像から『夏の全国アリーナツアー2018』幕張メッセ公演における、“ガラスを割れ!”のパフォーマンスで幕を開ける。背後には鮮烈なVJ、前面にはバイロが吹き上がり熱狂的な盛り上がりを見せる中、ラスサビに突入した瞬間にセンターポジションを務める平手友梨奈が完全なるアドリブで花道を疾走。がむしゃらなダンスとヘッドバンギングを幾度も繰り出したためか、いつの間にやらイヤモニは耳から外れ、首元から垂れ下がっている。


そして楽曲終了後、フラつきながら呼吸を整える平手。肩で息をする声が会場全体に響く中、突如会場全体に何かが地面に叩き付けられたような鈍い音が響いた。誰もがステージに目を凝らすがそこには誰もいない。それもそのはず。何故ならそのとき平手は、ステージから落下していたのだから……。


以降は欅坂46の長い活動を遡り、膨大なビデオテープの中から厳選された『真実』が克明に映し出される。ファーストシングル“サイレントマジョリティー”リリースに際してのレコードショップ行脚、MVとアーティスト写真の撮影風景、ライブ映像……。そのどれもがまだ中学生、ないしは高校生ながらアイドル界に足を踏み入れた彼女たちにとってはその全てが衝撃的だったはずだが、その都度メンバー同士で茶化し合ったり「欅坂46ファーストシングル 予約受付中」とのポップが貼られたCDショップでは「すごーい!」と口々に喜びを見せるなど、メンバーの表情は朗らかだ。無論ライブのバックステージでは緊張の面持ちを見せるシーンも多々あったけれども、そうした場面でさえも「何としてでも成功させなければ」「ちゃんと上手く出来るだろうか」という人前に立つ『職業』としての決意によるものが大きく、終了後は緊張からの緩和からか、メンバー同士で抱き合って涙を流す場面も垣間見ることが出来た。後のインタビューで菅井が「アイドルって入る前はギスギスしてるんじゃないかとか、ハブられるんじゃないかとか、足踏まれたりするんじゃないかみたいなこととか思ってたんですけど、欅は全然そんなことなくて」と語っていた通り、これもライブのバックステージに顕著だが、喜びは常に共有し、逆にメンバーのひとりが不安に駆られた際は誰かが空気を察知して気付くという無意識的な思いが漂っていて、実に良好な関係がメンバー同士で築かれている印象を受けた。

 


欅坂46 『不協和音』


しかしながら奇しくも欅坂46の名前を広く知らしめる契機となった“不協和音”から、長らく欅坂46は混迷の時期を過ごすこととなる。激しいダンスや矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々、《僕は嫌だ》との絶叫でもって世間の同調圧力と既成概念にNOを唱える“不協和音”は、ファーストシングル“サイレントマジョリティー”で組み上げられた反逆のアイドル的立ち位置を完全に確立した。そして以降にリリースされた“ガラスを割れ!”や“アンビバレント”、“黒い羊”といったシングルカットされた楽曲に顕著に表れているように、そのダークなイメージはいつしか欅坂46における最大の『売り』のひとつとなり、音楽番組やインターネットサイト、他外部媒体で欅坂46が紹介される際にはほぼひとつの例外なく歌詞、もしくはライブパフォーマンスに言及される程だった。


ここでどうしても触れざるを得ないのが、欅坂46絶対的センターと謳われた平手の存在である。“サイレントマジョリティー”リリース当時、最年少の14歳でセンターに抜擢された事実からも分かる通り、彼女の所謂『憑依型』とも呼ばれるその表現力と求心力はずば抜けて高く、楽曲の持つメッセージ性を伝える上で、彼女は推されるべくして推された人間だった。


ただ、彼女自身の憑依タイプの感情表現における弊害もあった。今回の映画が進むにつれ、前半部分では晴れやかな笑顔を見せていた平手の姿は一転、無表情か、前髪で顔が隠れているか、精神的に疲弊しているかのどれかの表情しか見せなくなる。中でも“不協和音”のMV撮影の際には誰とも関わらず、項垂れて椅子に座る平手の姿や、メンバーと一瞬たりとも視線を交わさない姿がリアルに映し出されているが、これはすなわち「孤独な楽曲を表現するのであれば自身が誰よりも孤独にならなければ」という平手独自の考えに基づくものであり、そうした楽曲のリリースが続いたことのひとつの結果として、欅坂46が世間的に広く受け入れられた一方、欅坂46全体の雰囲気を変化させる一因にもなってしまった。前述の映画の冒頭でとあるメンバーが放った「みんなで手繋いでずっと崖にいる感じでした。ひとりが落ちたらみんなが落ちちゃうみたいな」「ひとりが辛いこと思ってる横で、私たちが隣でワイワイしてちゃ絶対駄目だなっていう」との一言が僕は強く印象に残っているのだが、まさにそうしたギリギリの状況にいたのだろう。ファンに姿を見せていた一方で、崩壊の一途を辿っていた優しい嘘。これこそが今回の映画における『嘘』の部分である。


平手がライブ出演を直前でキャンセルしたことでフォーメーションを変えざるを得なくなったミーティングの場において「欅坂って平手がいないと成り立たないのか?俺はそうじゃないと信じたい」と叱責された映像も撮られているし、実際インターネットでは「平手坂46」や「平手しか知らない」などと揶揄されてもいた。しかしながらインタビューにおいても、そして5年間の活動の全てを追い結果的に膨大な数となった動画においても、平手について悪く言ったり、彼女に白い目を向けるメンバーはひとりもいなかった。誰もが平手の表現力を賞賛し、彼女のためならとフォーメーションを変え、平手がライブ終わりにくずおれた瞬間には駆け寄って、共に泣いていた。欅坂46はアイドルだ。故にメンバー選抜や握手会、知名度などある程度の競走は当然ある。けれども嫉妬とは無縁の、メンバー同士が尊重し合う……。本当に欅坂46は素晴らしいグループだったのだとそう強く思わされ、同時にグッと涙腺が緩む感覚に陥った瞬間でもあった。

 


欅坂46 『誰がその鐘を鳴らすのか?』 from KEYAKIZAKA46 Live Online,but with YOU!


終盤におけるハイライトのひとつとなったのは紛れもなく、先日のオンラインライブ『Live Online, but with You!』の映像だった。本来ならば4月3日に公開される予定であった今作が未曾有のコロナ・ヴァイラスによって延期となり、晴れて公開されたのは9月4日。そしてこのオンラインライブが配信されたのは本来の映画公開日より後の7月16日であるため、おそらくはこの間急ピッチで編集を進め、何とか公開に間に合わせたのだろうと推察する。“風に吹かれても”や“Student Dance”などそして誰もが固唾を飲んで見守ったそのとき……つまりは改名の発表が菅井の口から正式に発せられ、欅坂46最後の新曲“誰がその鐘を鳴らすのか?”でもって、映画はその幕を降ろす。


欅坂46は幸運にも、下積みらしい下積みこそ経験することなく陽の目を浴びたアイドルグループだ。だがそこには名前が大きくなるに従って生まれた様々な喜怒哀楽があって、今やそのアイドルイメージは強固なものとして広まった。最終的に欅坂46は改名による再出発という、考えうる限り辛い決断を迫られたけれども、「リスタートになるので相当な茨の道が待っていると思います。でも、まだ色のない真っ白なグループを、皆さんと一緒に染めていけたらと思っています。「欅坂46で培った経験がきっと私たちを鍛えてくれます。この経験を信じてまた、新たに強いグループになることを約束します。ですので、これからも私たちに期待していてください」との菅田の言葉を胸に、今はただ彼女たちの選んだ道を応援していきたい。


タイトルに偽りなく、嘘と真実を詰め込んだ2時間。ただひとつ語られていないことがあるとすれば、それは今は脱退し女優業をメインに活動するとしている、平手の心中のみである。ただTOKYO FMの『SCHOOL OF LOCK!』にて「その件については、今は話したいと思わないので、いつか自分が話したいと思ったときに、どこか機会があればお話させていただこうかなと思っております」と自らの口で語っていた通り、それが数年後かはたまた数十年後かは分からないが、我々はそのときを座して待つのみだ。


……欅坂46は駆け抜けた10月7日にリリースを予定しているベストアルバム『永遠より永い一瞬 ~あの頃、確かに存在した私たち~』と、10月12日と13日に国立代々木競技場第一体育館にて行われるラストワンマンライブをもって、その5年間の活動に終止符を打つ。繰り返すがこの5年間は一般大衆が決して経験不能な幸福なものであったと同時に、様々な事象に翻弄され続けた5年間でもある。これについて外野から口を出すのは野暮なものであるし、個人的に本音を綴ってしまえば……本人たちは否定するだろうが『他と違うアイドルグループ』としてパフォーマンスと楽曲群の存在そのものを巨大化し、そしてひとりの少女を象徴的に奉り挙げ、結果として神経衰弱に貶めたことはファンである我々にも責任の一端があるのかもしれないとも思う。


ただ彼女たちは、ラストのインタビューで口々に語られたように、今は強く前を向いている。新たなグループ名にはなるが、志は変わらない。ラストシングル“誰がその鐘を鳴らすのか?”の『その鐘を鳴らす者』の正体は最後まで明言されることはなかったけれど、未来の門出たる鐘を鳴らすのは他でもない、彼女たちの楽曲に心酔し、そして救われ続けてきたファン……すなわち我々でなければならないのだ。

【ライブレポート】サカナクション『SAKANAQUARIUM 光 ONLINE』

こんばんは、キタガワです。

 

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去る8月中旬、サカナクション史上初となる初のオンラインライブ『SAKANAQUARIUM 光 ONLINE』が開催された。総額1億円以上の予算を注ぎ込み、2日間での総視聴数6万人を記録した今回のライブは紛れもなく、サカナクションの真骨頂とも言えるライブの興奮を画面越しにパッケージングすると同時に、誰しものサカナクション像を体現するような感動的な代物だった。


定刻を少し過ぎると、画面上には今回の『SAKANAQUARIUM 光 ONLINE』における見所を紹介するアナウンスが差し込まれ、今回の生配信の総合演出を“新宝島”や“多分、風”などサカナクションのMVを多く手掛けた映像ディレクター・田中佑介が務めること、ドイツに本社を置くKLANG社による3Dサウンドを採用し、このシステムを日本で初めて導入したオンラインライブを行うことが示され、期待を底上げする。


画面はいつしか、街灯が柔らかに照らす歩道に遷移。そこには白のオーバースーツに身を包み、手元のスマートフォンに視線を落とす山口一郎(Vo.G)の姿が映し出されていた。そして彼が見詰める先のスマートフォンには我々が今現在観ている画面と全く同じ……つまりはスマートフォンを見る山口の姿が映し出されており、今現在我々が観ているこの光景が完全なるリアルタイムの映像であることを直感的に察する。しばらくして山口がもう片方の手に握っていた缶コーヒーをダストボックスに捨てると、ポケットに手を突っ込みながらおもむろに画面右部へと移動。物憂げに歩みを進める山口の姿こそある種“アルクアラウンド”のMV的でもあったけれども、その間も山口を回り込むカメラワークやローマ字で記されたスタッフの名前が現れては消えていく光景はさながら、ライブというよりは映画における叙情的なワンシーンを彷彿とさせる代物だ。


しばらくの時間が経過した後にはどこからともなく音が聴こえ始め、その音量は山口が目的地への距離を縮めるにつれ増していく。そしてようやく辿り着いた建物の扉を山口が開けた瞬間、今まで微かに聴こえていた音は山口が数十年の時を共に過ごしてきた信頼のおける楽器隊による確かな『音楽』となった。臨場感溢れるサウンドの中、まるで讃美歌の如き壮大さでもって響き渡るのは「世界……世界……」との一節である。山口の背後を追尾するカメラ越しの映像に集中するうち、山口はゆるりとステージに進み出ている。立て掛けてあった自身のアコースティックギターを構えてメンバーと拍を合わせること数秒、山口が開口一番「オウ!」と叫ぶと、1曲目“グッドバイ”が高らかに鳴らされた。

 


サカナクション - グッドバイ (MUSIC VIDEO)


淡いオレンジ色に照らされた照明の中、メンバー5人の織り成す渾然一体とした楽器の音色が3Dサウンドで増幅され、穏やかな中にも確かな温度を感じさせる“グッドバイ”。《だけど僕は敢えて歌うんだ/わかるだろう?》と歌うメロ部分や《グッドバイ 世界から知ることもできない/不確かな未来へ舵を切る》とのサビ部分に顕著だが、“グッドバイ”は圧倒的なライブパフォーマンスととりわけBPMの早い楽曲が世間的に次々評判を呼んだことの弊害で、多方面から「更にアッパーな楽曲を」と求められていた当時の山口がそうしたサカナクションとのイメージに意図的に背き、自分の本当に今書きたい曲をと制作に着手した楽曲である。あれから数年の時が経過し、今や“グッドバイ”はサカナクションの愛される楽曲として確立し、この日、サカナクション初のオンラインライブの記念すべきオープナーを飾っていることには、ある種の感慨さえ覚えてしまう。中でも最も注目を集めていたのはやはりステージの中心に立つフロントマン・山口であり、メロ部分では幾分と軽やか、対してサビ部分では声を張り上げる素晴らしき歌唱で、ボーカリスト然とした魅力を一時も逸することはない。ラストはマイクを介して草刈愛美(B)と岡崎英美(Key)の「世界……世界……」と歌われるアウトロが余韻を形作る中、次第に音がフェードアウト。全ての音が鳴り止むと、そこには暗闇だけが残った。

 
今回のライブは、本来ニューアルバム『834.194』を携えて行う予定であった、全公演即日ソールドアウトのプレミア的全国ツアー『SAKANAQUARIUM2020 “834.194 光”』がコロナウイルスの影響で中止を余儀なくされたことを受け、急遽決定したオンラインライブである。故に前半は5曲目に2009年にリリースされた“ネイティブダンサー”を組み込んだ以外は、基本的に『834.194』の楽曲を連続でプレイするモードを貫いており、逆に後半ではフェスセトリとも言うべき否応なしに興奮を底上げする楽曲をひっきりなしに連発。結果として今のサカナクションと、ライブマスターとしてのサカナクションとのふたつの強みを見せ付けるが如くのコンセプチュアルなライブとなった。

 
加えて、ライブの臨場感に一役買っていたサウンド面についても記述しておきたい。思えばこの数ヶ月の間に様々なアーティストがオンライン上での生配信ライブに乗り出し本来の対面型ライブの代替を図り始めたが、今回サカナクションが行った生配信ライブは、様々なオンラインライブと比べてもこと音響という点のみに関して言えば、あまりに別格だった。公式ツイッターにて山口自らが実践して見せたように、確かにイヤホン及びヘッドホンを装着しながらライブを視聴すると、四方八方から耳に楽器の音がダイレクトに鳴り響くサラウンド空間に酔いしれることができる。今回のライブに没入させる一因となった理由のひとつは間違いなくサウンド面の技術にあったと言えよう。


全編通して歌と演出、音響効果で多幸感をもたらしていた今回のライブの中でもとりわけ大きな衝撃をもたらしたのは、報道番組『NEWS23』のオープニングテーマとしても知られる“ワンダーランド。開幕と同時にピンスポが山口に当たり、白を基調としたVJで彩られつつの焦らしに焦らした長尺の前奏から、爆発力を内包したサビに向けての助走を形作っていく光景こそあまりに幻想的なものであったが、最も盛り上がるはずのサビに突入した直後には一転、今現在のアナログテレビのチャンネル放送を彷彿とさせるが如くの砂嵐のVJがステージを覆い尽くすよもやの展開に。照明についても赤や緑、青といった明らかなネガティブイメージを感じさせる色合いに変貌しており、その弊害でメンバーの表情はシルエットとなり、顔の輪郭程度しか分からなくなる。そうした幻想的なメロと、目に痛いほどの色彩と砂嵐が覆い尽くすサビとの対比は楽曲が終わるまで続き、その光景はコロナウイルスの影響により『ワンダーランド(お伽の国)』の意味合いとは完全に対極に位置する世界となったことへの彼らなりのアンチテーゼさえ思わせるものだった。

 


サカナクション / ナイロンの糸


その後はいつまでも終わらない余韻のような、BPMを落とした緩やかな楽曲が続く。メンバーそれぞれの影をバックにしっとりと聴かせた“流線”、温かな燈籠の明かりに包まれる中、山口のロングトーンが鼓膜を震わせた“茶柱”、かつての『君』との記憶を糸を手繰り寄せるように回想する“ナイロンの糸”、メンバーの姿すら視認できない暗闇に支配される中、突如白い光が浄化して広がり、神秘的な空間を演出した“ボイル”……。ツアーが中止になったことで、こと『834.194』の楽曲は初めてライブ演奏という形で見る人も少なくなかったはずだが、類い稀なる求心力でもって観るものを圧倒していく。


穏やかな空気が一変したのは、“陽炎”での一幕から。今まで一切のMCを挟まなかった山口はおもむろにステージの縁に腰掛け、ピーンと鳴るピアノの旋律で今しがたその存在に気付いたようにカメラに向き合うと、画面越しの観客ににこやかに語りかける。


「SAKANAQUARIUM 光 ONLINE。皆さん楽しんでますでしょうか。家族で観てる方、友達と観てる方、恋人と観てる方、ひとりで観てる方……。いろんな方がいらっしゃると思いますが、今日は、一緒に踊りましょう。夏フェスも……まあ……なくなっちゃったし。今日ぐらいね。いろいろ忘れて、一緒に楽しみましょう。ね。踊ろう!僕も今日はもう、思いっきり踊れますよ。踊り倒して、一緒に夜を乗りこなしましょう!準備はいいか!」


ステージを降り、元の定位置から徐々に下手へと移動する山口。すると山口は自身の進む先に立てられた『スナックひかり』なるきらびやかな看板を発見。看板を指差しながら「行く?」とのボディーランゲージ的口パクでカメラに視線を促すと瞬間、一足飛びに左方向へと移動。するとそこには本物さながらのスナックが作り上げられており、山口の「皆さん!サカナクションですー!楽しみましょう!それではいってみよー!」の合図と共にスナックのママも従業員の女の子も、俳優・古舘佑太郎扮するお客さんも巻き込んでのキラーチューン“陽炎”に雪崩れ込みだ。

 


映画「曇天に笑う」曇天ダンス~D.D~ サカナクション/陽炎


時に跳び跳ね時に席に身ぶり手振りを繰り出して歌う山口の姿は、バンドメンバーの姿も見えないため、ともすればオケを流して歌っているだけにも見えるが、スナックに設置されたテレビにはリアルタイムで演奏を繰り広げるメンバーの姿がありありと映し出されており、これが編集ではなく紛れもなく現実の出来事であることが分かる作りに。ふとカメラが切り替われば『スナックひかりさんへ』と宛てられた橋本環奈や川谷絵音、水川あさみ、朝の情報番組『スッキリ!』のメンバーのサインが壁に並べられていたり、当の山口に関しては席に座ってママがこしらえたドリンクが入ったグラスを傾け、「古舘!踊れるか!」と突然古舘に問い掛けるなどやりたい放題。噴飯ものの光景に笑みが溢れると共に、この日のライブが如何に作り込まれた上で臨まれているのかを視覚的に表すものでもあった。

 


サカナクション / モス


そして山口がステージに戻ると、以降はフェスさながらのライブアンセムの連続だ。まずは爆発的なサビが鼓膜を揺らした“モス”で熱量を底上げしたかと思えば、2名の舞妓が山口の両脇を固めて妖艶な踊りを繰り広げた“夜の踊り子”に驚き、山口の「みんなアイデンティティ歌える?」というもはや分かりきった問いで幕を開けた“アイデンティティ”で誰しもの心中に呼び起こされる例のサビの絶唱を誘い、緑のライトが艶やかに広がる“ルーキー”に心酔する。かと思えば楽器を廃し、Macの前でクラフトワーク的演奏から生バンドにスイッチする“ミュージック”あり、YouTube上の総再生回数1億回超のもはや待ってましたとばかりのキラーチューン“新宝島”ありと、楽曲が鳴らされるごとに天井知らずの興奮へと視聴者を誘っていく。


一息ついた頃、岡崎によるピアノの音色をバックに、山口が口を開く。


「SAKANAQUARIUM 光 ONLINE、皆さん楽しんでいただけたでしょうか。まだまだライブが普通に行われる状況ではないんですが、こうやって楽しいことをこれからもたくさんやっていきたいと思います。やっぱワクワクすることがないと、面白くないんですよね。チャレンジしてチャレンジして、頑張ります」


コロナウイルスの影響により全国ツアーの全公演中止が決定し、夏フェスの機会も失われたサカナクション。僕はかつて昨年行われた全国ツアーのMCにて、最前列の観客席をひとつ潰して低音を響かせるスピーカーを配置したためか、チケットが瞬時にソールドアウトしたにも関わらず「赤字なんですけどね」と笑顔で語った山口の姿を見たことがあるが、オンラインとしては例を見ないレベルで音響に拘り、更には様々な演出や多数のカメラ、VJを駆使した今回のライブはおそらく、全体的に見れば赤字であろうと思う。ただ、そう語る山口はただひたすらに笑顔だったことを強く覚えている。そして、今回のライブである。最後まで彼の発言の深意こそ分からなかったまでも、多くの仕事が失われアルバイト等で生計を立てざるを得ない現状を抱えるチームサカナクションのクルーをある種救済し、そして彼ら自身が約半年ぶりにファンに伝わる形で爆音を鳴らした今回のライブは、損得勘定では決して図れない、価値のあるものだったに違いない。


そして「こうやって音楽で遊ぶこと、ライブがないとどんどん忘れていっちゃうんですけど……。チームサカナクション一丸となって、これからもどんどんチャレンジしていきたいと思います。どうか今夜も皆さんにとって忘れられない夜になったことを、祈っております。今日はどうもありがとうございました!サカナクションでした!」と語り、最後はラストナンバー“忘れられないの”でもって万感の幕切れだ。

 


サカナクション / 忘れられないの


猛威を振るい続けているコロナウイルスが忘れられないネガティブな事象であるとするならば、状況が悪化の一途を辿ったその瞬間から『春は必ず来る』『夜を乗りこなす』とのハッシュタグでもって希望的未来を渇望してきた山口にとっても、サカナクションが数千人の前で圧巻のライブを繰り広げたあの空間もまた、忘れられない出来事なのだ。宙から銀テープが降り注ぐその下で、山口は正拳突きを繰り出したり、岩寺基晴(G)におもむろに近付いたりと視覚的なパフォーマンスを多く行うバンマスっぷりを発揮し、最後は出し惜しみなしの満面の笑顔で放たれた「今日はどうもありがとうございました!また必ずライブで会いましょう!」との一言でもって、文字通り忘れられない一夜は幕を閉じたのだった。


“さよならはエモーション”をバックにライブのリハーサル風景が流れるスタッフロールを見ながら、じんわりと余韻に浸る。今回のライブは間違いなく「最高だった」と諸手を挙げて友人らに吹聴出来る代物であったし、1週間に渡って残されるアーカイブも、随所まで目を凝らしながら楽しむに値するものだった。しかしながらただひとつ、どうしても「もしこのライブが実際観ることが出来ていたなら……」という切なる思いが頭をもたげてしまうのも同じく、切り離せない事実として垂直に立っていた。新しい感動を届けた今回のライブは結果として2日間で総視聴数が6万人を記録する成功を収めたが、ライブシーン全体を見れば未だ完全に元通りになってはいない。まだまだこれからだ。


耳元で流れるエンドロールでは、“さよならはエモーション”の《忘れたい自分に缶コーヒーを買った》との一節が耳に飛び込んでくる。そういえば冒頭のオープニングで、山口が缶コーヒーを買っていたことをふと思い出した。……多大な時間はかかるだろうが、最後には必ず『密』なライブシーンは戻ってくるはず。そう。今回のサカナクション初のオンラインライブは誰が何と言おうと、ライブシーンに未だ見ぬ可能性と一筋の光を見出だす運命的な空間だったのだ。


【サカナクション@『SAKANAQUARIUM 光 ONLINE』 セットリスト】
グッドバイ
マッチとピーナッツ
「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」
ユリイカ
ネイティブダンサー
ワンダーランド
流線
茶柱
ナイロンの糸
ボイル
陽炎
モス
夜の踊り子
アイデンティティ
多分、風
ルーキー
ミュージック
新宝島
忘れられないの

『ドキュメンタル』Amazonに怒られてお蔵入りになった幻のシーズンの失敗と成功

こんばんは、キタガワです。

 

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先程、本日深夜0時に公開された『ドキュメンタリー・オブ・ドキュメンタル Amazon怒りのお蔵入り! 幻のシーズン&誰が悪かったのか!?緊急討論会』を見終わった。僕の記憶が確かならば、前回の記事を執筆したのも、全話を消化しきったこの深夜の時間帯だったなあなどと思いつつ、筆を取っている。


『ドキュメンタル』はAmazon Primeにて好評配信中の、芸人・松本人志が企画構成を担った芸人同士の笑わせ合いサバイバル番組だ。この作品は登場するなり多大な人気を獲得し、昨今では「芸人で知らない者はいない」とのレベルで芸人間で語られるお笑い番組と化した。のみならず現時点でAmazon Prime以外では番組を視聴することがまずもって不可能な関係上、Amazon Prime自体の加入者を飛躍的に高めた契機でもあったのだ。


けれども前回の記事でも触れた通り、前回大会(シーズン7)から1年近くのスパンを経て8月21日に公開された待望のシーズン8は個人的には酷くつまらない出来で、Amazonレビューでも総投稿数が1500以上にも関わらず総合評価は★2という事実上の過去最低得点を叩き出し、レビューには「何故この芸人を出したんだ」「笑えるところがひとつもなかった」「最低のシーズン6を更に下回る出来」など悲痛な声が躍った。


そんなシーズン8のラストに松本人志の口から語られたのが「実はお蔵入りになったもうひとつの回がある」との一節である。彼の発言を鑑みるにコンプライアンス的観点から、そのあまりの下品さにAmazon本社から公開自体を中止する判断を下されたとのことで、続けて「後日問題部分を再修正した形で公開する」と語っていた。そしてそれこそが今回公開された、表題の『ドキュメンタリー・オブ・ドキュメンタル Amazon怒りのお蔵入り! 幻のシーズン&誰が悪かったのか!?緊急討論会』という訳だ。


まず結論から述べると、個人的には非常に面白かった。各参加者のネタの応酬はシーズン8を遥かに凌駕する面白さだったし、コロコロチキチキペッパーズ・ナダルやジミー大西における芸も確かに悉く滑ってはいたものの、それが『絶対に笑ってはいけない』という緊張状態の中上手く作用し、結果としてはまるで原点に立ち返った笑いの始祖のような笑いを生み出していた。参加者の次長課長・河本がポロリと溢していたように、お蔵入りのお達しがなければこの回が実質的な『シーズン8』、そして1か月前に公開されたシーズン8は『シーズン9』と名を変えて誕生していたことになるだろうが、もしもこの幻の回が通常回として投下されていれば、ドキュメンタルの未来は大きく変わっていたのだろうなと心底思う。


そして肝心の問題になったシーン(これが原因となってお蔵入りにならざるを得なかったシーン)については今作の4話目、まさに優勝者が決定する少し前の場面で発生する。結論から述べるととろサーモン・久保田が他者の陰部を口に何度も含むというシーンなのだが、もうこれに関しては誰がどう見ても完全にアウトである。加えてAmazon側はこの回を雪降り頻るクリスマスに公開しようと考えていたことも含めても、もう色々とアウトである。実際この幻の回は結果的に久保田が優勝することになり、そして今回の放送後に松本が「久保田の1000万円は没収」との措置を講じたことで久保田へのある種の贖罪としてチャンチャンで終わったが、それはそれとして……。


もはや記述するまでもないが、この一件でAmazon側から大いなるお叱りを受けたことで、本来シーズン8になるはずだったそれはお蔵入りになり、新たなシーズン8が製作されるに至った。もっとも前回の記事でも述べたように、試合前にまず松本が「実はお蔵入りになった回がありまして。あのAmazonさんでも完全なる無法地帯ではないということなので」と参加者にきつく釘を刺した為か、結果的にシーズン8は他の芸人を笑わせる『攻め』が全体的に少なくなり、低評価の嵐となった訳だが。


ただ、今回お蔵入りになった幻の回はとても面白かった。これこそがおそらく視聴者を悶々とさせる一因だろうと思う。松本自体も「何が悪いか分からない」と繰り返し語っていたように今回のAmazonの審判にはどちらかと言えば否定的なようだったし、参加者に関しても皆シーズン8におけるギスギスした雰囲気は然程なく、霜降り明星・粗品に至っては敗北後に「とても幸せな空間でした」とも語っていた。故に例のシーンを抜きにすれば間違いなく審査は通っていたことを考えると、少しばかりの物寂しささえ感じてしまう。


けれども仕方ないなとも思うのが、番組を製作する上では大前提として、大勢の人間が関わっているということだ。番組を製作する上ではテレビ局の人間がいて、企画構成の人間がいて、照明やカメラ、宣伝……様々な人が関係している。ラストに番組製作総指揮のスタッフが本気の眼差しで久保田を睨み付け、当の久保田は「いや!マジの目してるやん!」と笑いに変えようとしていたあたり「爪痕を何とか残してやろう」ともがく久保田側と、それ以上に多大なプレッシャーの中でひとつの人気番組として成功させようと奔走していたスタッフ側との乖離も絶対的にあっただろうが、そんな中でも本来非公開にすべき今作を『ドキュメンタリー・オブ・ドキュメンタル Amazon怒りのお蔵入り! 幻のシーズン&誰が悪かったのか!?緊急討論会』と名を変えて無理にGoサインを出した製作者サイドには、本当に感謝するばかりである。


ドキュメンタルは、今やM-1グランプリやR-1ぐらんぷり、キングオブコントと並ぶ一大お笑い番組として完全に認知されている。だからこその成功や失敗も当然あるだろうし、それが今回結果として完全なる失敗の形で終幕した訳だが、やはりドキュメンタルは下世話な部分も含めて、手放しで面白いと思える番組なのだ。次回のシーズン9がいつになるかは分からないが、期待して待ちたい。そして松本がラストに語ったように、今回大ポカを犯した久保田も参加するなどの救済措置が取られれば、いちお笑いファンとしてこれ以上の喜びはない。

 


『ドキュメンタル』過激すぎてお蔵入りになりかけた問題作 9月4日(金) 配信決定!「ドキュメンタリーオブドキュメンタル 誰が悪かったのか緊急討論会」トレーラー

 

映画『青くて痛くて脆い』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。


コロナウイルスに生活を脅かされてから、早半年。その中でも最も猛威を振るった月……具体的には外出自粛がメディアで頻繁に呼び掛けられるようになった頃から、様々な新作映画の公開延期が発表されるに至った。アカデミー賞入選間違いなしとの呼び声が高かった注目はもちろん、毎年大々的なヒットを飛ばすことで知られる『名探偵コナン』に関しては全てが完成している状況下でありながら来年4月に延期されるなど、映画館は甚大な被害を被った。のみならずその代替として急遽『君の名は。』や『シン・ゴジラ』、数年も前に公開されたはずのジブリ作品の一挙公開という時代錯誤な試みも成され、必然多くの人の足が映画館から遠退く結果となった。


故に今回、個人的には数ヵ月ぶりの映画館来訪となった。最も入場口に「マスク未着用の方はご遠慮ください」とのメッセージが掲示されていたり、場内は上下左右ひとつ分の席が紐でギチギチに座席を固定する形で強制的に空けられていたり、鑑賞前にはドラえもんが『新しい映画の生活様式』なるVTRが挟まれるなど、少しばかりの違和感は禁じ得なかった。ともあれ、久方ぶりの映画館である。


閑話休題。

 

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そんなこんなで今回鑑賞した映画は、『青くて痛くて脆い』。今作は『君の膵臓をたべたい』で話題をさらった小説家・住野よるの同名小説を題材としており、公式ビジュアルには『「君の膵臓をたべたい」の住野よるが「キミスイ」の価値観をぶっ壊すため書いた衝撃作』との文字が躍り、期待値を無意識的に底上げしている。


今作の主要人物は、コミュニケーションが苦手で他人と距離を置いてしまう田端楓(主人公)と、理想を目指すあまり空気の読めない発言を連発して周囲から浮いている秋好寿乃(ヒロイン)。彼らは入学早々に「世界を変える」という目標を掲げる秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げ奮闘。しかしながら秋好はしばらくして、「この世界」からいなくなってしまう。その後のモアイは、当初の理想とはかけ離れた、コネ作りや企業への媚売りを目的とした意識高い系の就活サークルへ成り下がってしまい取り残された田端は秋好がかなえたかった夢を取り戻すため、親友や後輩と手を組んで「モアイ奪還計画」を企てる……以上が今作の主なストーリーである。


PVでもビジュアルでも繰り返し述べられている事柄であるため事前に結論から述べてしまうが、この映画はかねてよりの住野よる像……つまりは甘酸っぱい恋愛の果てにダークな出来事が起こり、悲壮な結末を迎えるという流れを完全に度外視した問題作である。それこそ『君の膵臓をたべたい』が多くの一般層に受け入れられたレンジの広い作品であるとすれば、今作は間違いなく賛否両論が渦巻く映画。それでいて『賛』の意見も『否』の意見も両方理解できるような、あまりに癖の強い人情劇が全体を覆い尽くしている。であるからして、今作を気に入るか気に入らないかというベクトルはおそらく『鑑賞した貴方自身がこの数十年でどのような生活を送ってきたか』に大きく左右されると思うのだ。例えば基本毎日友人に囲まれていた人間であるかそうでないかでも区別出来るし、もし一人きりの状況に陥ったとして、誰かに連絡するか否かにも左右される。


そうした点を全て鑑みた上での意見だが、僕は個人的にこの映画はとても良かった。その理由はいくつかあるが、やはり全体通して『無理がなかったから』といの思いが強い。物語では主人公の行動がディベートよろしく様々な否定意見に晒される場面が多く存在するのだが、どの意見もはっきりと筋が通っているのである。故に「お前の言っていることはおかしいと思うけれど、100%理解出来ない訳ではない。だが確かに僕も境遇が違えばお前のようになっていたかもしれない。しかしながら僕は今お前に反対する」とも称すべき、表裏一体の感情が渦巻き続ける。これが賛否両論を生まずに何を生むというのか……。


僕がこの映画を最終的に好評価としたのは、僕がこの“青くて痛くて脆い”の主人公の如き鬱屈で、かつ穿った目線で学生生活を送っていたからに過ぎないのかもしれない。ただこの映画には既存の映画には絶対に作り上げることが不可能なレベルの、言わば『誰しも一歩間違えばこうなる』とのネガティブ過ぎるリアルがふんだんに積み込まれているのもまた事実なのだ。公式サイトには「今を生きる学生に見てほしい」とのコメントが寄せられているが、個人的には様々な経験を経た結果、すっかり現実を知り過ぎてしまった大人に是非とも観てもらいたい映画である。今作の主人公のようなあまりに悲壮的な経験はないにしろ、見続けるうちにあの頃のまだまだヒヨッコだったかつての自分自身と主人公を、自然に照らし合わせてしまうはずだ。

 

ストーリー★★★★☆
コメディー★★☆☆☆
配役★★★☆☆
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★★☆

総合評価★★★★☆

 


『青くて痛くて脆い』予告【8月28日(金)公開】

コロナ渦におけるリアルを逆説的に説く、RADWIMPSの新曲“夏のせい”を聴いた

こんばんは、キタガワです。

 

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小池百合子東京都知事が公の場で「今年の夏は特別な夏です」と語ってから、早いもので1ヶ月もの月日が過ぎ去ろうとしている。その言葉を体現するかの如く、結果として今年の夏は夏祭りもイベントもフェスも軒並み中止となり、体感温度的には今までと然程変わらないようでいて、その実明らかな何かが消失した寂しき季節となった。今日も灼熱の太陽の下、昨年と比べて明らかに色素が薄い腕を見ながら僕らは一考する。「今年は夏らしいこと全然してないな」と。


そんな折の夏真っ盛りの某日、RADWIMPSが新曲“夏のせい”を配信リリースした。事前告知もほぼないサプライズ的発表であり、必然“夏のせい”はその楽曲が一切公開されていないにも関わらず、世間の注目を一身に浴びるに至った。配信ジャケットにはすっかり水が抜かれた学校のプール内で、晴天に照らされる中学習机に腰を降ろす4人の男衆が描かれており、どこか夏の情景を思わせる代物。けれども“夏のせい”との責任を押し付けるような独特なタイトルからも、必ずしもポジティブな内容の楽曲ではないということだけは、誰しもの脳裏に浮かんでいたはずだ。

 


夏のせい RADWIMPS MV


《夏のせいにして 僕らどこへ行こう/恋のせいにして どこまででも行こう》

《胸踊るものだけが 呼吸するこの季節に/取り残されて 置いていかれてみようよ》


“夏のせい”は夏ならではの情景と合わせて『僕』と『君』との青春が描かれる、夏の情景を思わせる穏やかなバラード曲。思えばRADWIMPSはこの未曾有のコロナ禍においても、多種多様な楽曲を大々的に発表してきた。鬱屈した状況下でも前向きに生きようともがく“猫じゃらし”、コロナウイルスが収束した未来において自身の行動を模索する“新世界”、コロナ禍(コロナカ)における現実と、未来に光あれと希望を希求する“ココロノナカ”……。彼らがこの数ヶ月の自粛期間で生み出した楽曲には、総じてストレートな絶望的な思いと希望が混在するメッセージソングが必然、多くなっていた印象すら受ける。


そうしたここ数ヶ月の彼らの動向を踏まえて、今作“夏のせい”を見ていこう。昨今の音楽番組等々で大きく拡散された“ココロノナカ”や“新世界”に顕著だが、今年に入ってからのRADWIMPSはコロナウイルスの影響もあってか、ある種ストレートに『今』と『未来』に焦点を当てる楽曲が多かった。対して“夏のせい”はというと、楽曲を聴いて直接的にコロナウイルスを想起させる描写は極めて少ない。それどころかネガティブな描写さえほとんどなく、楽曲全体を覆い尽くしているのは酷く抽象的な『夏っぽさ』のみで、更には《胸踊るものだけが 呼吸するこの季節に/取り残されて 置いていかれてみようよ》との上記の一節のように、ある種このコロナ禍の現状をすっかり受け入れているような場面も見られ、ともすれば夏らしい爽やかな楽曲とも、叙情的魅力を携えたRADWIMPSらしい楽曲とも捉えることが出来る代物である。


けれどもこの楽曲は様々なメディアで野田洋次郎(Vo.G.Piano)自身が幾度も述べている通り、コロナ禍なくしては生まれなかった楽曲には違いない。かつてリリースした夏を題材にした楽曲で例えるとするならば、甘酸っぱい青春を経て9月に至る“セプテンバーさん”的でも、英詞が炸裂するアッパーな“イーディーピー ~飛んで火に入る夏の君~”的でもない。夏に全責任を押し付けて安寧を錯覚する“夏のせい”はコロナ禍におけるリアルを逆説的に説く、言うなれば夏の情景で徹底的にカモフラージュされたドキュメンタリーなのだ。


バンドのフロントマンであり、全楽曲の作詞作曲を務める野田はこのコロナ禍において、多くの苦い思いと共に生きてきた人間だ。ライブツアー延期の報に落胆し、政治に怒り。関係者各位の悲痛な声に耳を傾けては、思考を巡らせた。そしてそれら以上に、RADWIMPSの野田洋次郎として自分はこのコロナ禍で何が出来るのかを模索し、耐えず制作活動に生活の軸を置いてきた。その末に辿り着いたひとつの答えこそが、此度急ピッチでリリースされた“夏のせい”である。表面的には『僕』と『君』とのスタンダードな夏を想起させる。だが歌詞を深掘りすれば明らかなコロナ禍のリアルが顔を出すそれは、夏やコロナを主題に据えた楽曲ならいざ知らず、ここまでのフラットな形で描くというのは、やはり此度のリリースは無意識的にではあるにしろ、RADWIMPSが世間から与えられた役割なのではとも思ってしまう。


繰り返すが、2020年はただただ熱いだけの夏に終始した印象が非常に強い。前々から企画していた行事やイベント事はすっかり霧散。のみならず、休日にストレス発散として行っていた様々な行動にも制限がかかり、テレビを点ければコロナ関連のニュースに追われた。それ以外にもマスク着用の半強制化や外出自粛で人間関係の希薄さにも拍車がかかったことも追い打ちとなり、本当にコロナが猛威を振るい始めた2月から現在にかけての半年間は、おそらく大半の人間が苦しい日々を過ごしていたことと推察する。


これらのネガティブな事象全てを『夏のせい』と見なして一息つくことは、結局は現実逃避に過ぎない。しかしながらそう考えることで少しばかりは心が軽くなるというのも、確かな事実として垂直に立っているはずだ。そしてこの日々の鬱屈した生活を“夏のせい”とするなら、秋になれば。冬になれば。来年になれば……。そのときにはまた新しい景色が広がっているのではなかろうかと、希望的な思いにも繋がる。後日アップされたRADWIMPSのスタッフブログでは、前述の“夏のせい”のアートワークに関して「現実のような非現実のような」との言葉が繰り返し出されていたことや、元々“夏のせい”の制作は昨年の夏に着手されていたことも鑑みるに、RADWIMPS側が今回のリリースのタイミングはズバリ、コロナウイルスに翻弄されるこの時期であると判断したということだろう。そしてその判断は“夏のせい”が音楽番組『FNS歌謡祭』で初披露され反響を呼んだことや、多くの人々に楽曲が再生されている現状を鑑みても、おおよそ間違っていなかった。


そしてこの発表から数十日後の9月2日には、“夏のせい”を含む計6曲を収録した『夏のせい ep』をリリースしたRADWIMPS。世界の行方が今後どうなるかは、未だ分からない。今年中にコロナが収束するのか、はたまた来年もこの恐怖と共に日常を過ごすのか……。それすらも不明瞭だ。だがこの暑いうちは少なくとも、全てを夏のせいにして、乗り切っていこうではないか。炎天下の中イヤホンから流れる“夏のせい”は、いつでもそう僕らに訴えかけている。

ツユの新曲“過去に囚われている”に見る、過去に囚われ続ける少女と未来を見据えるツユの対比

こんばんは、キタガワです。

 

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ツユの快進撃、来たる。2019年6月12日に“やっぱり雨は降るんだね”を突如としてYouTube上に投下し、一躍注目を浴びたツユであったが、公式ホームページも確固たる所属契約も未だ存在しない彼女たちは現在、楽曲の魅力のみで着実に人気を獲得するのみならず、その間にも楽曲という名のリモート爆弾を大量にこさえていた。音楽業界を揺るがしかねない大爆発が起こる日は、着々と近付いている。


ツユが今回YouTubeに投稿したニューMV“過去に囚われている”は、先日公開された“泥の分際で私だけの大切を奪おうだなんて”のMVが公開されてから1週間にも満たない、短スパンでの公開に至った。思えばツユのファーストアルバム『やっぱり雨は降るんだね』がリリースされたのは、去る2月19日。加えて8月に公開された2曲のみならず、6月にも“くらべられっ子”のリミックスと新曲“雨を浴びる”のMVが突如投下された経緯からも、首謀者であるぷすが極めてワーカホリックな状態にあることはおよそ間違いないだろうが、それにしてもまるで焦燥に駆られたような制作スピードには脱帽するばかりだ。

 


ツユ - 過去に囚われている MV


“過去に囚われている”は、ツイッター上で「そろそろブチ上げゾーンに入りたいと思っている」とのぷすの呟きを体現するかの如くのBPM速めのロックナンバー。過去の楽曲にも見られた事柄ではあるが、今作もミュージシャンにおける楽曲制作のセオリーを完全に度外視した独自性の高い進行で、それに伴って礼衣のボーカルパートは息継ぎが困難なレベルの言葉の洪水が襲い来る代物。実際ツユの楽曲においては、希死念慮を抱く思いを絶唱的歌声で表現した“あの世行きのバスに乗ってさらば。”然り高音と低音を幾度もスイッチする“ナミカレ”然り、歌唱の難度が極めて高く設定されているのも特徴のひとつだが、この楽曲の歌唱はかつてないほどハードだ。


ぷすも過去にはツイッターにて「ツユの曲の難易度は多分日本トップレベルだと思うんだけど、それを当たり前のように歌いきる礼衣はガチで特別な人間だと思う」と礼衣のボーカリストとしての強みを綴っていたが、今回の歌唱難度はそれらを大きく上回る。一瞬訪れる空白の後に突如として《黒 黒 黒 黒 黒だ》と高音に転じる場面に顕著だが、今回の彼女の歌声は普遍的な日常が一転、何らかの拍子で絶望に囚われてしまう少女の心情を最も直接的に表すのに一役買っていると共に、サビでその勢いは最高潮に達する。裏声の一歩手前まで声を振り絞ったかと思えばAメロに戻る頃には再度低音に逆戻りし、その後も幾度も声色をスイッチしていく。カラオケ等でキーの高い楽曲を歌った際に突然声が飛んだ経験をした人は少なくないだろうが、それと同様のことがひとつの楽曲で頻発するのである。無論楽曲制作の運命を司るのはぷすであるため、歌唱を礼衣に託す際には難易度の高さや声色、場面場面の強弱等を事前にレクチャーしているはず。しかしながらまるでボーカロイドに歌わせるレベルの難しい楽曲を抵抗なく礼衣に依頼し、結果として礼衣自身も軽々と歌ってのけるあたり、総じてツユというユニットでトップを目指す上で、ぷすが礼衣に、そして礼衣もぷすに対して絶対的な信頼を寄せていることさえ感じた次第だ。


そして前述の通り、この楽曲はかなり異質な作りをしている。実際街中で流れる流行歌や音楽番組で猛プッシュされている楽曲というのは基本的に『Aメロ→Bメロ→サビ。Aメロ→Bメロ→サビ。Cメロ→サビ』の構成になっている。この構成は最も歌われやすく聴く上で馴染みやすいということもあり(海外やクラシックシーンはともかくとして)、特に日本ではある種教科書的な作曲方法として使われることが多い。それを踏まえて“過去に囚われている”を改めて聴いてみると、常識破りのメロの頻発や明暗をはっきり区別するサウンド、突然の無音等明らかにスタンダードな進行に意図的に背き、あくまで自己の音楽性を第一義に捉えていることが分かる。ツユをツユたらしめる主犯格とも言えるぷす、絶好調である。


ここまではサウンドメイクやボーカル面といった、楽曲における聴覚的部分に焦点を当てて記述してきたが、続いては今楽曲“過去に囚われている”の極めて重要な点とも言える歌詞について迫っていきたい。


“過去に囚われている”におけるイレギュラー部分の最も分かりやすい箇所として挙げられるのは、『今』というワードが幾度も出現することがまずひとつ。その数、4分弱の楽曲内で34回。しかもそれがサビではなく、言わばロック然とした爆発に至る助走的ポジションであるAメロ部分で連発される点に関してもあまりに異質だ。けれども悲しいかな、少女が当たり障りのない『今』を過ごし続けることが結果として、自身の空っぽな人間性を痛感してしまう一種のトリガーとなってしまうのだけれど……。


《今 私は息を吸っている/今 普通の生活送って/今 私は上を向いている/今 飛行機が飛んでるわ/今 あの雲を追いかけたくて/今 走ろうにも動かなくて/今 立ち止まって何になるんだ》


上に記した歌詞は、この楽曲の冒頭を飾るAメロ部分である。この部分だけを見ても、前半部分は当たり前の日常が描かれているのに対し、後半部では心の奥底に仕舞い込んだネガティブな思いが顔を出していることが分かる。そんな中で《黒 黒 黒 黒 黒だ》との絶唱の後にサビに突入した頃には、少女はすっかり強大と化した絶望でもって一切の身動きが取れなくなってしまう。少女にとっての『今』は無機質で憂鬱な、空虚な存在。同時にふとした拍子に脳裏を過ってしまうのが、かつての輝かしい自分自身である。そう。MVで真っ黒な姿に変容してしまう少女の姿に顕著だが、突発的に「昔は良かった」「こんな筈じゃなかった」「今の私は何をしているんだ」と焦燥に駆られ、暗中模索状態に追いやられる少女は、言わばセルフネガティブとも称すべき勝手な自意識過剰さでもって、少女自身を緩やかな絶望へと落とし込んでいる。


大人になった我々は今だからこそ、当時の鬱々しく悩み続けていた『今』を「そういうこともあったなあ」という『過去』として、笑い話として昇華することが出来る。人間は様々な辛い経験の果てに大人になるし、それはこの楽曲の主人公として画面に映る少女も同様。とどのつまり“過去に囚われている”と冠された意味深なタイトルは、彼女の長い人生における絶望期のほんの1ページなのだ。ただ、またひとつ確固たる事実として垂直に立っているのは、そうした事実を踏まえてもこの物語の少女が今を……常に自死を考える程悩み苦しんでいる事実も同時に、変えることが出来ないということだ。


《今 私は塞ぎ込んでいる/今 私は息を吸っている/今 私は塞ぎ込んでいる/今 砂浜に立っている/今 あの雲を追いかけたくて/今 広い海原を走って/今 立ち止まらない私に出会えたね》


故に『過去に囚われていた』との過去形ではなく、悩む自分自身を『過去に囚われている』とする彼女の未来は暗い。就職。お金の蓄え。夢の実現。結婚。出産……。世間一般的に幸せと見なされる事柄が将来的に訪れたとて、おそらく彼女は心のどこかでネガティブな思いを抱えてしまうはずだ。楽曲は上記のアクションでもって幕を閉じる。絶望の底に沈んだ少女が入水自殺を試みたバッドエンドが最も可能性は高いだろうが、MV内で死んだ魚の目で日常を過ごし、堰を切ったように大粒の涙を流してしまう少女の姿を見ていると、やはりその中でも雲を追いかけるが如くの目標に出会い、それに向かって奔走するという希望的な未来地図の可能性にも、期待したいと思ってしまう。


そしてこの楽曲と対極に位置するように、ツユは一貫して未来を見据えている。


ぷすは自身のツイッターにて「実は今、『ツユ』は超大手メジャーレーベル7社からスカウトされてていつでもデビュー出来るんだよね」とリアルなツユの現状を吐露し、続けて「そしたら速攻で朝の番組とかで特集組まれて、『今若者が最も共感するアーティスト!!』とか言って、くらべられっ子~~って流れ始めて即有名になると思う」とも綴っていた。そして間違いなく、彼の言葉は正しいだろう。YouTubeに公開されたMVの総再生数。ファーストアルバム『やっぱり雨は降るんだね』のチャート順位。礼衣の歌声。作り込まれたMV。そして首謀者であるぷすが形作ったサウンド……。どこを切ってもブレイクに至る要因は揃っているし、更に踏み込んだ話をしてしまえば『年に1枚は必ずアルバムを出してツアーを回る』といったメジャー的契約事項も今の制作スピードなら十中八九クリア出来る。カラオケの本人映像でツユのMVをバックに歌ったり、様々なメディア(雑誌・テレビ番組・ラジオ等)で注目され、果てはツユ初となる全国ツアー等も、メジャー契約如何では今後あるかもしれない。


ただ、彼らは今現在も無所属を貫き、どこのレーベルや事務所にも属していない。それは言うまでもなく、ぷすの「どうしても自力でそうなりたいんだよ」とする思いを体現したものであり、実際無所属のまま今後大々的なヒットを飛ばせば、それは今までのセオリーとして位置していたメジャーアーティストのブレイクとは趣を異にする風を吹かせることだろう。


今年、誰もが予想のしなかったコロナウイルスが猛威を奮い混沌とした数ヶ月を全国民が耐え忍んだように、未来は誰にも分からない。そしてそれは此度“過去に囚われている”を発表し更なる躍進を続けるツユも同様だ。けれどもそうした『未来』の出来事さえも年を追うごとにいずれは『今』になり、最終的には『過去』になる。であるからこそ“過去に囚われている”はこれからのツユの巨大なキラーチューンとして名を馳せてほしいと強く願っているし、今後インディーシーンでは異例とも言える争奪戦必至なライブ活動で披露されるたびに、集まった観客にも、そしてステージに立つツユ自身にも様々な思いをその都度巡らせるものになればと思う。


過去に囚われ続ける少女とは対照的に、未来を見据えるツユ。けれどもその悲壮的な楽曲を世に送り出したのも言わずもがな、ツユである。そして今、ツユの不思議な自己同一性は大きなうねりをもって多数の共感者に広く伝わり、結果として“過去に囚われている”の総再生数は40万回を越えた。……売れてしまってからではもう遅い。彼らに出会う契機があるとすれば、ズバリ『今』しかないのだ。