キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

埃被った最後のボタン

死ぬことばかりを考えている。毎日、毎時間、酷い時には数分に一回。仕事をすればコミュ力のある同僚と幸せに笑う家族。家に帰ればハッピーなバラエティ。現実逃避の先として行き着くYouTubeや漫画を見ていても、決まって襲い来る。そしてそうした生き地獄にも等しい風景を目にするたびに、僕は改めて思うのだ。今すぐに死にたいと。


僕が強い希死念慮を感じるようになったのは、もう十何年も前のことである。小学校入学から高校卒業に至るまでの僕は今以上に持病の皮膚炎が酷く、体中が血塗れ、かつ真っ赤な顔で校内をうろつくことからとても居心地が悪かった。まさしくそうした肉体的に痛みを感じる人間にとっては改めて学校という場は生き地獄そのものであり、体育の授業で強制的に半袖を着させられることや、周囲に合わせて暖房を調整したりといった当然の行動でどんどん追い詰められていき、肉が張り付いて一切表情が作れなくなった顔で早退を告げることも少なくなかった。


同時期に苦しめられたのが、皮膚炎のストレスに伴って併発した精神疾患。先述のあれこれで痛みに耐性が出来ていたためあらゆる自傷をしたが、全てが顔面や指先、頭髪など視覚的に人の目に入る場所で発生した関係上、それらを指摘されることを恐れるあまり日増しに人との関わりを持たなくなった。そして何より絶望したのは、一貫して無関係を装うように振る舞いながら、更には僕を嘲笑の的にしようと組織的に画策するクラスメートの姿勢にあった。当時は明らかに異様な風貌だったので、近寄り難い存在として見なされるのはまだ分かる。ただそんな弱者の一挙手一投足を陰口として吹聴したり、偶然Aさんに話したプライベートな内容が翌日にはクラス中に広まっていたり、吃音症状を物真似として披露する者がいたりと、いつしか僕にとって人間関係は極めて難しく、また意図的に避けるものになってしまった。


その頃の僕が何をしていたのかと言えば、ハガキ職人としての活動をしたり人が死ぬ類の小説を貪り読んだりしながら、クラスメートたちの不幸を毎日願っていた。結果妬ましくも自意識過剰なそうした日々が希死念慮の増幅に繋がったのは言うまでもなく、総じて身体的にも精神的にも酷くやられたのが小学校〜高校までの義務教育期間だったのだと、今更ながらに回顧することがあったりもする。よくイジメられた人間に「イジメられる側にも責任がある」、学生時代が鬱屈していた人間に対して「改善出来なかった自分が悪い」とする声があるが、それは絶対的にNOである。何故ならば当時の自分が何を試みたとて、状況が好転する可能性など皆無だったのだから。


あれから数年間、僕は未だに鬱屈したかの義務教育時代のトラウマを引き摺って歩いている。確かに歳相応の出来事は経験してはきたけれど、人への恐怖心と精神疾患だけはそっくりそのまま持ち越して、歳だけを重ねてきた。しかしながらこの年齢にもなるとこれらのステータスは圧倒的なマイナスにしか働かず、あの頃陰口を叩いていたような人々は逆に結婚し、貯金をし、挙げ句の果てには「○○さんって人と関わらないよね」などとかつてと同じ陰口を言っている。かくして希死念慮を増幅させる要因がすっかりかつての時より増えてしまった僕は、今まで以上の死にたい願望を抱えながら生き長らえてしまっている。


……僕は結局、どうすれば良かったのだろう。また、今後どうすれば人並みの生活を送れるのだろう。答えは変わらず今日も闇の中だが、きっと悩みながら明日も明後日も生きていく。眼前にあるボタンが埃を被るまで、何とか耐え忍んでいかなければ。

 

THURSDAY'S YOUTH / 独り言 (official music video) - YouTube

夜風の中、ゲームで導く思考変換

昼夜問わずゲームに没頭していた学生時代を終え、仕事の日々に忙殺されるようになって久しい。あれほどプレイしていた代物はいつしか週に数時間程電源を入れれば満足するようになり、そんな限られた時間しかないものだからストーリーを進められるはずもなく、積みゲーと化していく。実際問題、1日の大半を娯楽以外にベットせざるを得ない環境下でゲームの優先順位がどんどん下がっていくのは絶対に避けられない。ではどうするのが最良なのかと問われれば答えはひとつで、少ない時間でも満足度の高い作品をプレイする他ないのだから、難しいところだ。


ただ一度考えてみると、こうした社会人環境に寄り添ったゲームというのは然程ない。プレイがゲーム内スタミナに左右されるアプリゲーはまずまずの及第点として、特に家庭用ゲーム機においては「パッと出来てパッと止められて、それでいて満足出来るもの」に関してはFPSなどのオンラインゲーム以外にはあまりないのではないか。「何とかひとりで完結出来る没入ゲーがあれば……」と探すもなかなか見付からない。そんな思いを抱くユーザーは決して少なくないと推察する。


ならばと編み出した方法こそ、今やっているゲームを満足度の高いものとして昇華するという思考変換である。取り敢えず最近個人的にプレイしている『ロストジャッジメント 裁かれざる記憶』を改めて起動し、限られた時間で大いに楽しめる点を探した。このゲームは歴代『龍が如く』シリーズと同様にメインシナリオ面は大いに楽しめる代物として評価が高い一方、所謂メインとは一切関係のない『サブイベント』や、ダーツや双六、賭博といった『プレイスポット』と呼ばれるストーリーとは関係のない寄り道要素に関しては評価が分かれており、こと今作ではプラスアルファで学校講師としての外部活動も存在するために、賛否がこれまで以上に分かれてしまっている点が耳の痛いユーザー意見として存在するゲームとして知られている。実際自分もメインは時間を忘れて楽しめたのだが、それこそサブは「○○さんが非行をしているそうです」→現場に向かう→解決→また新たな非行が立て続けに発生という、もはや学校教育というより道徳の授業に力を入れてくれと思ってしまう展開のオンパレードで、これがなかなかボリュームもあるためある意味では難儀だなあとは感じていた。


そこで試みるものこそ思考変換である。そう考えると仕事から帰って飯を食べ、風呂にも入って「2時間くらいゲームやって寝るか」との状況においてこのサブストーリーの連続は、とても有意義な存在のように感じるのだから驚きだ。しかもひとつひとつの話は長くても30分以内には終わるし、内容も起承転結がはっきりしているので読後感もある。後はこれらの幸福な寄り道を4回ほど繰り返せば、いつでも楽しく終えることが出来る。これまで作業と見なしていた要素にはっきりと光が点った瞬間だった。


こうした試みの利点は、何もゲームのみに当て嵌まる話だけではない。僅かな2時間に読書をし、結果月に何冊か読破すれば知識の吸収になるし、アプリゲームをすれば話のネタになるし、たとえ何もしなくても睡眠時間が増えたり悩まなくて済んだりと何かしらのメリットは与えられているはず。とどのつまり有意義なのかを定めるのは、決まって自分自身なのだ。……何をやって良いのか分からない暗中模索の渦中でも、生きている証だけは心に積み重ね続ける。「きっと未来は明るいだろう」と自分だけは諦めない。そんな存在でいたいと、肌寒い夜風を浴びながら思う。

 

変態紳士クラブ - YOKAZE (Official Music Video) - YouTube

詩羽をフロントウーマンに迎えた、新たな水曜日のカンパネラのライブを観た

こんばんは、キタガワです。

 

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水曜日のカンパネラからコムアイが脱退することについて、何もイメージが湧かなかったと言えば嘘になる。その理由はいくつかあるけれど、やはり突飛なライブパフォーマンスで会場を沸かせてきた絶長期を超え、現在の彼女は政治的な活動に傾倒したり舞台への出演と、水カンとしての表舞台の活動からもう何年も姿を消していたことが要因で、心のどこかでは「多分コムアイはこのままフェードアウトするだろうな」との漠然とした思いは何となく感じていた。


その次に考えるのは、決まって「水カンはどうなるんだろう」ということ。そもそも水曜日のカンパネラは3人ユニットではあれど他の2人はまずメディアに出てこない。故に注目されるのは常にコムアイひとりだった訳で、だからこそ彼女の予測不能な言動がブーストとなって話題になっていた節もあり、逆に言えば中心人物であるコムアイがいなくなる未来だけは一切予想できなかったのである。


翻って、コムアイの脱退発表当日の動きを改めて見てみよう。発表されたのは去る9月6日。コムアイは「3年くらい前から、このプロジェクトで私が活動を続けていくのが想像できなくなりました(略)」と活動を通じて次第に肥大化した思いをを吐露、水曜日のカンパネラ・コムアイとしての立場から脱し、今後は個人名義で様々な活動をノンジャンルで行うことが明かされた。そしてコムアイに代わってフロントウーマンとしてステージに立つのは2001年生まれ、『ミスiD2021』でアメイジング ミスiD2021と赤澤える賞を受賞した詩羽(うたは)で、イメージ的にも大きく変化したそのパフォーマンスに、にわかに注目が集まっていた。

 

P.O.N.D. 〜パルコで出会う、まだわからない世界〜2021/10/8 OPENING PARTY ④水曜日のカンパネラ - YouTube


そんな折に先日YouTubeで公開されたのが、P.O.N.Dオープニングパーティーでのライブ映像である。言うまでもなく新たな水曜日のカンパネラにスポットを当てる場としてはおよそ始めてのステージ。セットリストは“シャクシャイン”と“ディアブロ”、“桃太郎”というかねてよりライブアンセムとして確立していた3曲で構成され、更にはバックボーカルもコムアイなので意識的にコムアイ時代と比較してしまう感はあったけれど、それ以上に印象的に映ったのは詩羽の自由奔放なパフォーマンスだった。にこやかな笑顔を称えながら練り歩き、果てはフロアに突撃するその予測不能な行動はまさしく水カンのライブ。まだまだ荒削りな雰囲気もプラスの作用を及ぼす程の圧倒的な求心力で、ある意味では不安もありながらもいつしか画面に釘付けになっていた、というファンは決して少なくないだろう。中でも詩羽とコムアイがリンクする感覚に陥ったのは大浴場への無常の愛を叫ぶ“ディアブロ”で(おそらくは多くのライブ動画で研究を重ねてきたのだろう)、彼女の歌い方はもちろん随所の動きまでコムアイを想起させつつ新たな魅力を見せた一部始終は感動もの。


新たな水カンの活動は、ここから本格化の一途を辿るのは間違いない。現在公開されている新曲は“アリス”と“バッキンガム”の2曲で、それらはラップ主体というよりは明らかに歌メロ路線を意識しボーカル面に自信のある詩羽らしさを前面に押し出した楽しいポップチューンに仕上がっており、11月には水カンの存在を広める契機にもなったフェス『りんご音楽祭2021』への出演も決定。認知度も高まる一方だろう。……水カンの第二章。まだ朧気にしか見えないけれど、その歩みはきっとこれまで以上に輝かしいものになりそうだ。

 

水曜日のカンパネラ『バッキンガム』 #Shorts - YouTube

普遍で不変なエド・シーランのニューアルバム『=(イコールズ)』の躍進

こんばんは、キタガワです。

 

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孤高の天才SSWことエド・シーランについて我々が知る情報は、世界各国を見てもかなり多い部類に入ることだろう。16歳から音楽をプレイし始めた。どんな巨大な会場でもギター1本で立つスタンドアローンぶり。タトゥー愛好家。シングルの売れ行き1億枚。ファン思いの性格……。たとえ彼についてほとんど知らない人であっても、代表曲“Shape of You”のイントロ程は最低限聴いたことがあるはずだ。


しかしながらエドは興行収益7億3670万ドル(日本円でおよそ800億円)・総動員数815万684人という約2年半の長期に渡った前代未聞のツアーが終わると、すっかり表舞台から姿を消した。ではその間彼が何を行っていたのかと言えば、多数の著名なアーティストとの共作活動であり、アン・マリー“2002”、BTS“Permission to Dance”、ONE OK ROCK“Renegades”……。ジャンルレスに様々なアーティストとコラボレーションを図る様はおよそ今までのエドのイメージとは対極に位置するものでありながら、結果全てが大ブレイク。なおこうした試みについては「ソロ以外の活動をしたい」ではなく「志の高い人たちと曲を作ることで更に成長したい」との思いに基づいてのことだったのだが、特にここ数年の彼はもはや大物アーティストを後押しするプロデューサーのような印象が強く、合間に『No.6 Collaborations Project』なるまさかのコラボアルバムをリリースしたことからも、エドの次回作については当分先のことだろうと誰もが思っていた。

 

【和訳】Ed Sheeran「Bad Habits」【公式】 - YouTube


そうした現状を踏まえて、最新アルバム『=(イコールズ)』である。今作は約4年ぶりとなる4枚目のオリジナルアルバムで、2011年『+(プラス)』、2014年『×(マルティプライ)』、2017年『÷(ディバイド)』ときて「絶対次はマイナスだろうな」とする大方の予想を裏切ってのタイトルでも話題を呼んだ。そして何よりも驚きなのが今作にはコラボ曲が1曲も収録されていない点で、この数年間のシンガーソングライター・エドの現在地をはっきりと観測する手段としても位置していたのである。


大前提として、エドは自分の身の回りで起きた出来事しか歌にしない。今作にもそれは顕著に現れているのは当然として、内容はこれまでの楽曲と比較しても良い意味で一貫性がないことが大きな特徴となっている。子どもが生まれたことで一家の主としての決意を描いた“Sandman”と“Leave Your Life”、明らかな時の人となった現状を俯瞰する“Tides”をはじめ、彼自身「個人的な作品だし、自分が大人になるまでの成長の記録だと思っている」と今作について語っていたように、ポジティブもネガティブも引っ括めてその時にしか生まれなかった楽曲を敷き詰めたのが『=』なのだ。

 

【和訳】Ed Sheeran「Visiting Hours」(パフォーマンス・ビデオ)【公式】 - YouTube


中でもアルバムで重要な存在を担っているのは2曲。それはエドの師匠であり友人である人物が亡くなった報告を受け急遽制作に着手した“Visiting Hours”と、アッパーなサウンドで牽引するリード曲“Bad Habits”。サウンド的にも内容的にも完全に対極を行くこれらの楽曲を「今だから出来た」とするのがエドの主張だが、長期的に見手これらが今後何十年とライブで歌われ続けることも考えると、ある意味ではエドがいつでもこの時の時分を思い出すことが出来る記念碑的な2曲であるとも言える。特にエドは亡くなった人物がまだ存命だった頃から様々なインタビューで言及していたので、ファン的には“Visiting Hours”への感動は強いことだろうし、それはまるで『誰かが聴き続ける限りその人は亡くなってもなお心に残り続ける』という、彼なりのメッセージを体現するかのようで感動的に映る。


これからのエドは長い時間をかけてニューアルバム『=』のプロモーション活動に奔走するスケジューリングが組まれており、数々のテレビ番組出演も既に決定。おそらくはあの小さいリトルマーチンギターで広く歌声をお茶の間(とYouTube)に届けていくことだろうが、その心中に携えた『=』への思いについても同様に語られ、更なるファンを増やし続けるに違いない。……アルバムを出すたびに「昔の方が良かった」と言われる厳しい音楽業界で、徹底して今に照準を合わせるエド・シーラン。前作『÷』で巻き起こった一大ムーブメントのように、日本でふたたび爆発が起こるのはもう目の前まで迫っている。。

【ライブレポ寄稿のお知らせ】『シマネジェットフェス2021』

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株式会社SW(StoryWriter)様の公式ページにて、先日ライター枠として参加いたしました『シマネジェットフェス2021』のライブレポートを掲載していただきました。ブログとほぼ同内容となりますが、当日個人的に撮影した写真も散りばめてあります。ぜひ。 

 

storywriter.tokyo

コロナ禍に開催されたフェスは全て赤字です、という話

こんばんは、キタガワです。

 

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ワクチン接種率が全体の64%を超え、全国の感染者数も下火に。2021年10月現在、コロナウイルスによる悪しき年にも渡る戦いもようやっと見通しが立ってきた。今思い返してもこの期間はずっと辛い制限に四苦八苦してきたので、時間はかかってしまったもののその後の幸福度を加味すれば結果オーライ。様々な規制が緩和される時はもう直ぐ側まで訪れている。しかしながら、我々の生活が完全に元通りになるかと言えばそれはまた違った話。例えば我々が愛してやまないフェスシーンもその限りではなく、収容人数制限や発声制限、Googleの入場フォーム提示などの対策は感染者数減少に関わらずこれまでと同様に行われることが当分確定している。最悪の危機は脱した中で、どう感染拡大防止策との折衷案を取ってライブを行うかが、今後の課題になっているのだ。


当然今後のフェスシーンは少しずつ前傾姿勢で活動していくと思う。ただ今までもこれからも、完璧な形とは行かずともある程度の体裁を伴って行われるフェスであってもそれらは軒並み赤字であるという事実は、音楽ファンとして絶対に認識しておかねばならない。まず第一に2020年〜2021年に行われる、若しくは行われているフェスは基本的に収容人数制限により、1日あたりの来場者数を1万人以下に抑える必要があることが挙げられる。これについては散々多くのイベントで語られていることなので説明不要のようにも思えるが、1万人以下の収容ということはその分チケットと飲食系の売上が明らかに減少することを意味しているため、想像以上に辛い。この計算で言えばチケット代を1万円と見積もった場合例えば全日ソールドアウトになったとして、単純計算で『1万円×1万人』で1億円近い収入が見込めるので一見一見黒字のようにも思えるが実際はもちろんそうではなく、アーティストの出演料、スタッフの遠征や宿泊費、ステージ装飾、飲食店店へのギャラ、他光熱費やら何やらが圧倒的な額で上乗せされるので、1億という額では明らかに足らず、少なくともあと3倍程度はなければ成り立たないことが分かるはず。


加えて今のご時世、直接的な問題ではないにしろ真綿で首を絞めるように襲い掛かってくるのが感染防止対策費だ。先日開催されたヒップホップフェスティバル『NAMIMONOGATARI 2021』が感染防止を怠った結果大炎上したことは記憶に新しいが、そもそも『フェスで感染者が出る』ということだけは今後のことを考えても絶対に避けなければならない。故に感染防止対策を徹底して開催に漕ぎ着けようと尽力する訳だが、これもかなり難しい。消毒機械を大量に設置することは元より、全チケットを電子にする手間であったり、何かあった時の救護班の派遣など注目すべき点は多岐に渡るので、もはや全体レイアウトを『感染対策ありき』で考えなければならず労力的にもキツい部分があるのである。なお世の中にはご存知の通り「ほぼ出歩いてないのに感染した」「マスクはいつも二重にしている」など十分な感染対策を取りながらも感染する例が後をたたないので、もはや感染する時はする丁半博打のような感すらあるが、それでもやらなければならないのだ。この労力が如何ほどのものか、想像するのは部外者の我々でも難しくない。


他にもよくよく考えてみればステージの制作費だったりアーティストのギャランティー+交通費+宿泊費、シャトルバス運営費、当日の警備もカメラ映像もVJもトイレの設営に至るまで、これまで当たり前のように観てきたフェスを俯瞰で見ると相当な金が動いている。だからこそタイトルにも記したようにコロナ禍に開催されたフェスは全て赤字であり、そうした中でフェスを運営する会社はどれも採算度外視で、フェスの灯を消すまいと尽力していることは同時に、絶対に忘れてはならない。特に今冬のフェスからは取り分け『コロナ後』の動きが活発化すると推察されるので、これらの動向を注視しながらフェスの希望を持ち続けようではないか。

 

SHISHAMO「君と夏フェス」 - YouTube

「ロックは死んだ」の通説を真っ向から問い質す運命のロックバンド・マネスキンの魅力

こんばんは、キタガワです。


気付けば、かつてあれほど叫ばれていた「ロックは死んだ」という言葉を聞かなくなって久しい。ここだけを記すとおそらくは誰しもがポジティブにこう思うだろう。「この言葉を聞かなくなったってことは、ロックはだんだん盛り返してきたの?」と。もちろんそうなら嬉しいけれど、実際は違う。……そう。この言葉が聞こえなくなった理由はひとつ。それは「ロックが盛り返してきた」からではなく「ロックが完全に死んだ結果、誰にも見向きもされなくなったから」だ。日本においてもロック離れは進む一方だが、特に海外では音楽の中心部にポップを置く動きが急加速しつつある。ミュージシャン側としても当然、音楽をやる以上は売れなければならない。そして世間的なブームがポップであるならばそこに乗っからない理由がないというのが正直なところで、そうした現状を踏まえて敢えて辛辣な言葉で表現するならば、今や『ロックを鳴らし続けるバンド=自ら売れない選択をした人たち』というレッテル貼りをされることも少なくない。

 

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そんな鬱屈したロックシーンに突如舞い降りた救世主こそ、イタリアはローマ出身の4人組・Måneskin(以下マネスキン。イタリア発音はモーネスキン)である。マネスキンはメンバー全員が現在20歳〜23歳のフレッシュな面々で、結成間もない2017年にはイタリアの有名タレントショーで2位を獲得。そして今年は『サンレモ音楽祭2021』で優勝し、その優勝特典でイタリア代表としての参加資格が与えられた『ユーロビジョン・ソング・コンテスト2021』でなみいるバンドを抑えて何と優勝してしまい、一気にスターダムへの道を駆け上がることになった。ちなみに『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』はかつてABBAやセリーヌ・ディオンらを輩出したことでも知られ、毎年2億人以上が視聴。イタリア勢の優勝は実に31年ぶりであり、総じてマネスキンの活躍がとてつもない快挙であることが分かる。

 

Måneskin|マネスキン - 「ジッティ・エ・ブオーニ」 (日本語字幕ver) - YouTube


彼らの楽曲の中でも絶対に注目すべき代物があるとすれば、それは『ユーロビジョン・ソング・コンテスト2021』で優勝を掻っ攫った代表曲“ZITTI E BUONI”で間違いない。歌詞においても80年代〜90年代の古き良きロックという感じで和訳を見ると面白いのだが、我々日本人的には歌詞の数々はほぼイタリア語の羅列以上の意味をもたないので、あまり関係がない。彼らを語る上で重要なのは何よりも、雰囲気とサウンドなのだ。


上記のMVを観てもらえば一目瞭然だが、メンバー全員には「俺らはロックのバンドマンだ!」とロックを知らない人にも雄弁に訴え掛ける圧倒的な印象度があるし、淫靡なMVのイメージも合わさってどこか近寄り難いキワキワ感も内在している。とりわけボーカルのダミアーノ・デイヴィッド(Vo)のフロントマン然とした立ち居振る舞いは衝撃の一言で、もはや何をやっても映える明らかなスター性だ。ロックの顔といえばフレディー・マーキュリーやデヴィッド・ボウイらが挙げられるけれど、20歳そこそこの若手バンドとしてこのポテンシャルを纏っているのは非常に稀有で、ロックを鳴らすために生まれてきたような気さえしてしまう。


加えて、サウンド面も我々ロック好きのアンテナをビンビン震わせるシーンのオンパレードで最高だ。“ZITTI E BUONI”に限らず彼らのほぼ全ての楽曲では楽器の音圧を取り敢えずフルで上げ、耳馴染みを良くするような大衆向けのエフェクトは使っていない。要するにやっていることは一昔前のロックバンドと同じで、それが何十年もの時を経て『サブスク向けにキレイに聴かせよう』とか『広く受け入れられるようなものを目指そう』というある種固定化された音ではない新鮮な驚きとして、鼓膜に直接的に響いてくる。更にはコード進行も徹底してシンプルでドラムに関しては力任せに叩いており、どこを切ってもロックなのだから痛快である。MVを観るだけでこれなのだから、生音のライブで聴いたら心臓飛び出るんじゃないだろうか……。

 

Måneskin - I WANNA BE YOUR SLAVE (Official Video) - YouTube


もちろんその他の楽曲についても素晴らしく、ラテンやポップ、バラード、何ならヒップホップの要素もありと実はロック以外の引き出しもとてつもなく広いギャップも、彼らの今後の飛躍を予感させる。おそらく最近リリースされたアルバム『テアトロ・ディーラ VOL.1』が今後のセットリストの軸になるのだろうが、言わば「全部違う曲だけど全部ロック」な若き彼らにしかなし得ない初期衝動全開の楽曲ばかりが集まっていて一切退屈しない。再生数的にも多くの楽曲が1000万回に近いバズを記録していることからも、それは明らかだろう。


繰り返すが、冒頭にも記した「ロックは死んだ」との有名なフレーズはおそらく現在の音楽シーンを踏まえてもおよそ正しい。が、死んだということは同時に生き返る可能性も大いにあって、今回のマネスキンの登場はまさしくロックの復活を意味するもののような気がしてならないのだ。今年末から始まるヨーロッパツアーは全公演が即日ソールドアウト、更には『テアトロ・ディーラ VOL.1』は日本を含め全世界で爆発的ヒットを飛ばしている。……まだまだ楽しませてくれそうな期待の神聖・マネスキン。今彼らを知ることはすなわち、すっかり失われたロックの魅力に目を向けることと同義である。