キタガワのブログ

島根県在住。音楽ライター。酒浸り。

映画『イエスタデイ』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。 

 

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『ホワイトアルバム』再評価とサブスクDL数爆増と、海外で突如巻き起こったビートルズブーム。その再燃の火付け役とも称されるのが、今回観賞した映画『イエスタデイ』である。


ポスターの写真やタイトルを見れば一目瞭然だが、今作は伝説のロックバンド・The Beatlesに焦点を当てた作りとなっている。端的に表現するならば、昨年QUEENを題材に世界的ヒットを記録した『ボヘミアン・ラプソディー』とほぼ同じ系統だ。


物語は10年以上に渡って泣かず飛ばずの無名ミュージシャン・ジャックが、とある事故を契機とし「ビートルズを誰も知らない」というifの世界線に進んだことから幕を開ける。“Yesterday”、“Help!”、“Let It Be”……。かの名曲を自分以外の誰もが知らない世界で、主人公は藁にもすがる思いでビートルズの楽曲に手を出し、一躍スターダムへと駆け上がる、というのが今作の主なあらすじである。


言うまでもなく、今作の肝となるのはビートルズの楽曲群。映画内では物語のキーとなる箇所はもちろんのこと、日常シーンにも往年の名曲が流れ、没入感を引き上げる。


少し話は逸れるが、現状CD音源としてリリースされているビートルズの曲というのは、総じて音が良くない。これに関してはCD自体が1960年代に制作されたものなので仕方のないことではあるのだが、ボーカルが右側、楽器隊が左側のみで聴こえるというその特異なサウンドは、かねてより大きな違和感として存在していたのも事実だ。


だが今作で流れるビートルズの曲は全て新規リマスター音源。必然臨場感も段違いであり、爆音で流れる名曲の数々には、慣れ親しんだ人であっても驚くこと間違いなしだ。個人的にはあるシーン以降、ビートルズの曲が絶えずクリアな爆音で流れてくる時点で「こりゃすげーわ」と思ったものである。


しかしながら今作『イエスタデイ』において、僕には一種の懸念事項があった。それこそが後半からラストにかけての展開である。『ビートルズの曲をそっくりそのまま演奏して陽の目を浴びる』という一見輝かしいシンデレラストーリーにも思えるシナリオだが、その非人道的な行動の数々には疑問が浮かぶ。


映画のみならず、映像作品やゲーム等を観ていて思うことだが、伏線とストーリー展開を有耶無耶にして「俺たちの戦いはこれからだ!」と打ち切りになる漫画よろしく、昨今は突拍子もなく終わる作品が多くなってきている印象が強い。ゲームで例えるなら『FF15』『龍が如く6』辺りがそうだが、「内容が適当でもブランドイメージである程度売れるだろう」と製作された物には、嫌悪感を抱いてしまう。総じて作るならしっかり最後まで作ってくれよと、そう強く思うのだ。


だからこそ開始30分で頭に浮かぶ「盗作なのでは?」「ビートルズに対しての侮辱では?」「それはミュージシャンとしてあるまじき行為なのでは?」という数々の疑問に対し、僕はずっとヒヤヒヤしていた。だからこそもしもこれらの疑問(伏線)を無視して冗長なラストを作り、ただビートルズの曲を流して最後を迎えるのならば、僕は問答無用で駄作のレッテルを貼るつもりだった。


けれどもそれらの思いは杞憂に終わり、最終的にはそれらの疑問をほぼ消し去る、スッキリしたラストを迎えた。正確には、全く粗がないわけではない。多少強引な展開もあるし、よくよく考えると「ん?」となる場面も存在した。しかし総合的に極上のエンターテインメント作品として大団円で終幕するその作りには、ネガティブな点以上に「面白かったなあ」との気持ちが圧倒的に上回るのだ。


加えてビートルズを知っている人であればニヤリとする場面も随所に取り入れられ、ビートルズファンに対してのリスペクトも完璧。ビートルズを知らない人には「CD聴いてみようかな」という思いに駆られるだろうし、元々ファンである人にとってはコレクションにもなり得る、愛に溢れた名作であった。


『ボヘミアン・ラプソディー』は大衆に受け入れられ、結果的にQUEENの何度目かのブレイクに繋がった。『イエスタデイ』も同様に、この映画を契機としてビートルズへの注目が高まることを、切に願っている。……あわよくば、今までビートルズに触れてこなかった若者たちの第一歩となれば。


ストーリー★★★★☆
コメディー★★★☆☆
配役★★★★★
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★★☆

総合評価★★★★☆

 


映画『イエスタデイ』予告

平手友梨菜脱退から見る、欅坂46とこれから

こんばんは、キタガワです。

 

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1月23日、21時。欅坂46の公式サイトにて、織田奈那、鈴本美愉のグループ卒業と、平手友梨奈の脱退が発表された。


ツイッターには直ぐ様ファンによる文字制限の140文字には到底収まりきらない、けれども僅かな文章でもはっきりと絶望が汲み取れるほどの、悲痛な叫びが踊った。だが公式サイトを何度読み返しても、純然たる事実は覆らない。


平手友梨菜は、平手は、てちは、紛れもなく脱退したのだ。


……思い返せば、確かに予兆はあった。平手が初めて『山口百恵の再来』と呼ばれ崇拝されるようになったのは、彼女が初めてセンターを務めた“サイレントマジョリティー”の頃だっただろうか。ライブ映像を見れば一目瞭然だが、平手の存在感は圧倒的だ。笑顔を見せず歌詞に自分を憑依させ自傷的に歌い踊るそれは、もはや『アイドルのライブ』というより一種の演劇に近く、観る者全てを虜にするカリスマ性を持ち合わせていた。

 


欅坂46 『黒い羊』


いつしか平手の存在は欅坂46のファンのみならず、広く認知されるようになった。アイドルらしからぬ憂いを帯びたパフォーマンスは多くの支持を集め、欅坂46はいつの間にやら平手を中心に据え、日常生活における鬱屈した感情を体現する楽曲が圧倒的に多くなった。《一人が楽なのは話さなくていいから》(“避雷針”)、《目配せしてる仲間には僕は厄介者でしかない》(“黒い羊”)、《誰かと一緒にいたってストレスだけ溜まってく》(“アンビバレント”)……。そんな思いの丈を吐き出す楽曲群は、かつて“僕たちは付き合っている”で魅せた『一対一の恋愛』とも、“二人セゾン”で魅せたアイドル然とした爽やかな雰囲気とも、大きくかけ離れたものだった。


そして飛躍的なブレイクを果たした欅坂46と反比例するかのように、平手の精神状態は次第に悪くなっていった。前述の通り、平手のパフォーマンスは楽曲に自身を投影して行われる。かつてとりわけ歌詞の内容がハードで、一時期セットリストに入れることをタブーとした“エキセントリック”で平手が苦痛を訴えたことに顕著だが、辛い境遇を歌詞に敷き詰めた楽曲が大半を占めた現在の欅坂46において、彼女の負担は相当なものだったろう。


しかし彼女は今や欅坂46不動のセンター。更にはセットリストの決定権も持ち、……こんなことを書くのは申し訳ないのだが、欅坂46に一切興味のない人が「欅って平手のいるグループでしょ?それしか知らないけど」と語っているのを観たこともある。学校生活も交際も全て犠牲にし、欅坂46というグループの中心人物となってしまった、18歳の女の子、平手友梨菜。彼女は良く頑張ったと思う。それこそ山口百恵が「普通の女の子に戻ります」と語ってステージを降りたように、平手にはこの選択肢しか残されていなかったのだろうと、心苦しい思いにも駆られてしまう。そしてステージ上で見せる儚げな姿そのまま、消えるようにいなくなってしまったのは悲しいかな、彼女らしいなとも思う。


昨今のライブは欠席が続き、世間的にはミステリアスなイメージが付き揶揄されることも多かった。それでも彼女はラジオやテレビ番組に出続けたのだ。欅坂46を有名にしたのが平手なのだとするならば、平手を潰れさせた戦犯も、紛れもなく欅坂46なのだ。

 


欅坂46 『角を曲がる』


これからの平手は、きっと欅坂46に代わる新たな光を探して生きていくだろう。映画『響』にて鬼気迫る演技を見せたように女優業を主とするかもしれないし、もしくは“角を曲がる”や“渋谷からPARCOが消えた日”のように、独特な歌声を活かしたソロ活動を行うかもしれない。


脱退前最後のライブも握手会も行われない今、僕らが出来ることはひとつ。それは彼女の行く末を見守り、今までで以上に応援することである。彼女が選んだ脱退。彼女が選んだネクストステージ。それはきっと光輝いているはずだ。


最後に、残された欅坂46について。今回の平手の脱退は、間違いなく大きな痛手となって欅坂46を直撃するだろう。それは決して、売上の減少や活動ペース低下といった一面のみに留まらない。ダンスパートの見直し。シングルの完成。何より、平手を超える求心性を宿した人物をセンターに据えること……。今やることは山積みだ。そしてこの窮地を脱して平手の脱退が過去の出来事として下火になった頃、ようやく欅坂46は次の一歩を踏み出すことができる。


そして同時に気付くはずだ。欅坂46には、平手が必要不可欠であったということを。


「欅坂はずっと、世の中に何かを届けていくグループだと思ってるから。それがなくなったら、(欅坂46としての平手友梨菜は)終わりかなあって思う」……。昨年4月に発売された某雑誌にて平手が放った一言が、僕は今でも忘れられない。一体彼女が脱退を決意した理由は何だったのか。彼女は脱退の後、何をしたいのか。彼女の口から語られる真実を、今はじっと待ちたい。


てち、今までお疲れさまでした。今後に訪れるであろう素晴らしき未来を、心より願っております。

【ライブレポート】Starcrawler『JAPAN TOUR 2019』@梅田BANANA HALL

こんばんは、キタガワです。

 

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帰路に着きながら「とんでもないものを観た」という酷く抽象的な思いが頭を支配していた。今すぐ誰かに熱弁したいような、事件を目撃した野次馬じみた思い。……大阪のディープな繁華街の一角で行われた約1時間半に及ぶライブは、紛れもない大事件であった。


2015年にアメリカ・ロサンゼルスで結成されたスタークローラー。彼らの来日公演は2018年のフジロック及び全国ツアー、そして今回のツアーを含めると通算三度目となるが、今回はニューアルバム『Devour You』リリース後という絶好に脂の乗り切ったタイミングでの来日となる。


紅一点のフロントウーマン、アロウ・デ・ワイルド(Vo)による血みどろのパフォーマンスや、平均年齢21歳の若者ならではの初期衝動全開で展開されるライブが話題を呼び、一部では「スタークローラーはロックの未来である」と語られるほどに、こと海外ロックシーンで注目を一身に集める彼ら。


そんな彼らのライブを一目観ようと会場である梅田・BANANA HALLでは、オープニングアクトであるThe ティバのライブ終了後には観客の多くが前方へと大移動。収容人数は約500人と決して広くないライブハウスではあるものの、結果的に前方は完全なるすし詰め状態。対して後方に留まる人はまばらという両極端な光景が出来上がり、スタークローラーへの期待値の高さを証明する形となった。


ステージで一際目を引くのは、188cmの身長を誇るアロウ用のセッティングが施された、およそ日本のバンドではまず見ることはない高々と鎮座したマイクスタンド。それ以外はギター、ベース、ドラムとロック然とした配置ながら、スピーカーの上にポツンと置かれたキモカワの人形も、ミステリアスな雰囲気を演出するのに一役買っている。


定時を少し過ぎ、暗転。軽やかなミッキーマウスのSEに乗り、まずはオースティン・スミス(Dr)が配置に着く。瞬間全体重でもって振り下ろされる重厚なドラミングの後に現れたのは、ティム・フランコ(Ba)とヘンリー・キャッシュ(Gt)の2名。演奏が一種のジャムセッションの様相を呈したところで、アロウがゆっくりとステージに降り立った。


驚くべきはその服装で、ヘンリーは白を基調とした多数の花が描かれた一昔前のロックスターを彷彿とさせる華々しい風貌であったのに対し、アロウはと言えば露出の多い白いドレスに身を包んではいたものの、胸から下半身にかけてはまるで重症を負っているかのように真っ赤に染まっている。その光景はともすれば淫靡な雰囲気も覚えるが、血の気が引いたようなアロウの顔色と、何より一部分が深紅に染まった上半身にも目を向けると、それはあまりにも異質であった。その当人のアロウはと言えば頭を抱え、何かに怯えるような表情で客席を見渡していた。精神的に不安定な挙動に心配してしまうが、この情緒不安定なステージングこそスタークローラーの基本スタイルなのだ。


1曲目はニューアルバムから“Home Alone”。印象的だったのはやはりヘンリーとアロウの2名。ヘンリーは右へ左へと暴れながらギターを掻き毟り、早くも演奏と衝動のバランスが著しく失われた暴走列車の様相。アロウに至っては時に体をびくつかせ、時によろめきながらハンドマイクで鬼気迫る歌唱を繰り広げていた。終始彼女が放さなかったマイクスタンドはアロウの体重を支える役割を果たしていて、まるで獰猛な野獣を強制的に繋ぐ鎖のようでもあった。


そんな暴れ馬状態と化した2名と対照的に、地に足着いた正確なリズムを刻んでいたティムとオースティンにも注目したい。ティムはほぼ直立不動で主張の少ないベースラインで地盤を固め、オースティンは鼓膜にダイレクトに届くドラムを展開。……一歩間違えば瞬時に破綻しかねない猪突猛進型のライブパフォーマンスがスタークローラーの売りのひとつではあるが、スタークローラーのライブが決して『荒々しいだけのロック』との印象を抱かせないのは、タイトにリズムを刻む彼らの存在も大きいのだろうと感じた次第だ。


“Home Alone”のラストは轟音のアウトロの中、アロウはマイクケーブルで自身の首を力一杯締め、そのまま背後に倒れ込んでしまう(これは誇張表現ではなく、実際に頭が地面に叩き付けられる音がした)。1曲目から限界突破のパフォーマンスに、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。


その後は“Used To Know”、“Love's Gone Again”、“Lizzy”と立て続けに4曲を披露。終わった時点で未だ10分にも満たない性急さには驚かされるばかりだが、結論を述べると今回のライブで、彼らは曲間にまともな休憩はおろかMCも水分補給も、ほぼ行わなかった。まるで何かに取り憑かれたように一方的に演奏のみを繰り広げるその姿は一種の焦燥に駆られているようでもあり、凄まじいポテンシャルの高さをありありと見せ付けていく。


この日のライブは『Devour You』リリース後のツアーとのことで、セットリストの大半を担っていたのは言うまでもなく『Devour You』の収録曲。具体的には唯一のバラード曲“Call Me a Baby”を除く全楽曲を網羅すると共に、ファーストアルバム『Starcrawler』からのファストチューンも随所に取り入れた現時点までのベスト的なセットリストで進行。決して演奏は上手くはないし、卓越したテクニックや奇抜な楽曲展開もない。スタークローラーが今回行ったのは、徹頭徹尾ロックンロールに人生を変えられた4人の若者たちによる、ただただひたすら泥臭く武骨な存在証明であった。

 


Starcrawler - I Love LA


この日のハイライトとして映ったのは、中盤で演奏された屈指のライブアンセム『I Love LA』。限界突破のテンションで飛び跳ねながらギターを掻き毟るヘンリーと目をひん剥きながら歌うアロウ。これまでは観客へ何らかのアクションを促す行動は取らなかった彼らだが、サビ部分ではアロウがマイクを客席に向けシンガロングを促す一幕も。必然「I Love LA!」の大合唱に包まれての凄まじい一体感を見せ、演奏終了後に満面の笑みで会場を眺めるヘンリー、心から嬉しそう。


以降も彼らはフルスロットル。ヘンリーは事あるごとにステージドリンクを霧状に吹き出し、変顔を頻発しながら大股でギターを弾き、アロウは大迫力のブリッジを見せ付けたかと思えば、時折ケタケタと笑い始めたり、全てに絶望したような表情を浮かべたりと終始情緒不安定。更に演奏終了後はマイクをゴツンと落としたり地面に倒れ込むなどヒステリックに感情を露にし、まるで何かが憑依したかのようなパフォーマンスの一挙手一投足に目が離せない。あまりにも激しく動くため服の隅々からは艶かしい肌が露出し、乳首に関しては完全に透けているのだがおかまいなし。ふとステージ下部に目を凝らすと、ローディーにより貼り付けられたセットリストは一切の判別が出来ないほど粉砕され、破片がそこかしこに散らばっている有り様。集まった我々が、いかにクレイジーな時間を過ごしているのかを物語っていた。


本編ラストはニューアルバムのリード曲のポジションを担っていた“Bet My Brain”。

 


Starcrawler - Bet My Brains


MV同様前のめりで歌唱するアロウ。ステージに目を凝らすといつの間にかヘンリーの姿はなく、客席前方のフロアでギターを弾いていた。ヘンリーの長尺ギターソロに沸くその間に、アロウは映画『呪怨』のキャラクター・貞子を彷彿とさせる動きでもって地べたを這いずりながら裏へと消えていった。かくして本編は残った3人のメンバーが鳴らす面妖なノイズに呑まれながら、大盛り上がりで終了したのだった。


しばらくして、事前発生的に広がった大きな手拍子で再び迎え入れられたスタークローラー。アンコールで演奏されたのは、現状リリースされているふたつのアルバムでとりわけダークな存在感を放っていた“She Gets Around”と“Chicken Woman”だ。

 


Starcrawler - 05 - Chicken Woman - Primavera Sound 30 May 2018 - Primavera Sound - Barcelona


中でも最終曲“Chicken Woman”はあまりにも衝撃的だった。“Chicken Woman”はスローな前半こそダークな印象の楽曲だが、後半にかけては一転、速いBPMに変貌するスタークローラーきっての代表曲。ノイズに包まれながら、楽曲は徐々にボルテージを高めていく。そしてベースオンリーのサウンドに変化した頃、待ってましたとばかりにテンポが変化。その瞬間、アロウの口から大量の血糊が吐き出される。口元はみるみるうちに赤く染まり、アロウは真っ赤に染まった口元を触り、髪や顔に血糊を塗りたくっていく。口元のみならず全身がみるみるうちに赤く染まっていく。

 

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楽器隊が演奏に加わるまさに絶好のタイミングで、アロウは客席へとダイブ。ヘンリーは観客から見て左側にある柵へよじ登り、ヘッドバンギングを繰り出しながらギターを鳴らす。更に定位置へと戻る際にはいち観客としてライブを観ていたファンの女性の手を引いて共にステージに上げると、自身のギターを手渡して力一杯弾くよう指示。そうして血みどろのアロウが地面を転げ回り、ファンの弾く解放弦による爆音が延々鳴り響く中、この日梅田・BANANA HALLで行われた『事件』は大団円で幕を閉じたのだった。


僕は何を観ていたのだろうか。ロック。恐怖。エロ、血糊……。1時間半に渡って目の前で繰り広げられていた光景はおよそこの世のものとは思えない、音楽の形を成した『何か』であった。


彼らは未だインディーズバンドであり、別段音楽シーンで絶大な人気を博すほどではない。多くの偉人たちが「ロックは死んだ」と揶揄するように、彼らのような無骨なロックをがむしゃらに鳴らすバンドは今やほぼ売れないとされ、こと海外音楽シーンでは敬遠される存在でもある。この日壮絶なライブで観客を魅了し大歓声に沸いた彼らも、その限りではないだろう。


けれどもロックとは、本来そうしたあぶれものたちによる音楽でもあったはずだ。遥か昔ブラックミュージックに端を発したロックンロールは時に規制され、時に無礼な存在として、社会に蔑まれ、そして同時にある一定の人々には、自身の思いを具現化する反逆の象徴として長年愛されてきた。


……2020年現在、ロックの在り方は大きく変化した。楽曲にメッセージ性を孕んだり、四つ打ちを多様したり果てはSNSや動画アプリを巧みに使ったりと、音源以外の部分がフィーチャーされて話題に繋がるバンドも少なくない。だが言いたいことや奏でたい音といった数々の欲求が高まって抑えきれなくなり、全てを内包して衝動的に鳴らされるもの……。それこそがロック本来の形ではなかろうか。

 

そう。だからこそ「ロックは死んだ」と揶揄される今、彼らのような若い年代の人間が直接的なロックを鳴らすことには、大きな意味があるような気がしてならないのだ。具体的には絶体絶命の危機にあるロックンロールの、救世主たる役割を果たすことを期待せずにはいられない。この日のライブは彼らが巻き起こすストーリーのほんの一部分に過ぎないということを、2020年は彼ら自身の手で証明してくれるはずだ。

 

【Starcrawler@大阪 セットリスト】
Home Alone
Used To Know
Love's Gone Again
Lizzy
Hollywood Ending
Toy Teenager
Lets Her Me
Tank Top
I Don't Need You
Ants
I Love LA
Rich Taste
Pet Sematary(ラモーンズカバー)
No More Pennies
Born Asleep
Different Angels
You Dig Yours
What I Want
Pussy Tower
Train
Bet My Brains

[アンコール]
She Gets Around
Chicken Woman

映画『カイジ ファイナルゲーム』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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映画カイジの最終章にして完全オリジナルストーリー。更に映画における中心部分を担うゲーム要素は原作者・福本伸行自らが手掛け、過去作の主要人物に至っては軒並み再登場という大盤振る舞いっぷりで話題を集めた『カイジ ファイナルゲーム』を観た。


先に断っておくが、僕は現在もヤングマガジンにて絶賛連載中の原作『カイジ』の大ファンである。原作はもちろんのこと、雑誌の発売日には毎週欠かさずチェックする。……言わばカイジのヘビーリーダーと言っても過言ではないだろう。


そんなこんなで意気揚々と劇場へ足を運んだ訳だが、端的に表現するならば、個人的には然程良くなかった。具体的には頭を空っぽにして雰囲気のみで楽しむ分には十分だが、とりわけ映画カイジの1作目、2作目と比較してしまうと大きく見劣りする印象を受けた。


ストーリーの主だった展開は過去作とほぼ同じ。金を得ようと模索するカイジが大規模なギャンブルゲームへの参加を決意し、最終的にはイカサマとあからさまな侮蔑で翻弄する相手側に対し、大勝を収める流れである。


今作において過去作にも原作にもない確固たるオリジナリティーとして描かれているのは、貧富の超拡大だ。東京オリンピック終了後に急激に景気が落ち込み、その結果失業率は40%を超え、給料からは実に7割がピンハネ。ビールは350ml缶1本1000円と、かつての地下帝国ばりの格差社会となっていた。そのため過去作や原作では一貫して自身の借金返済を理由に行動してきたカイジだが、今回カイジが大金を得ようとするのは純粋に「生活をより良くするため」であり、その点も過去作と大きく異なる。


そうしたシナリオを踏まえて何故今作が個人的駄作として成り下がってしまったのか。その理由は、希望的観測に満ち溢れたそのストーリー展開だ。


思えばかつてのカイジは勝利への可能性を徹底的に思案し、相手への劇的な対処法然り、万が一のトラブルにも対応できるような工夫然り『攻略の糸口』と『成功に至るまでの確たる可能性』を病的なまでに突き詰めていた。


例えば当てれば13億の金を得る高額パチンコ『沼編(映画ではカイジ2で、結末も異なる)』では、僅かな傾斜により後方に存在する当たり穴に絶対的に玉が到達しないことを見抜いたカイジが、建物内にある端の空き家の一室を借りて水貯めを大量に設置し、パチンコとは逆側の地盤沈下を引き起こして強制的に当たり穴に入れた。更に同じく沼にて、店側の調整器具のちょうど真上に穴を空け、そこから磁石を吊り下げて日増しに調整器具を大きくする細工を施し、最終的には玉がブロッキングされないようにもした。


……これらは全て構造とルールを逆手に取ったもので、事実カイジは地盤沈下に先駆けてあえて店に潜入して警備を強化させたり元土木作業員に話を聞いたりし、調整器具に至っては「パチンコ中はどんなことがあっても店側の責任で中止は無効である」との注意書きを免罪符とし、行動の正当化を図っていた。総じて一見無謀なそれらの行動は綿密な計算と勝負の状況に合わせたものであり、カイジが「建物を傾けたのさ」「調整器具の上見てみな。穴空いてるだろ」と語った当初こそ「それはルール的に駄目だろ」という思いは抱くにしろ、物語が進むにつれて腹落ちし、気付けばカイジの着眼点に感服してしまう。それこそがカイジの面白さであり、今なお愛され続ける所以なのだと信じて疑わない。


さて、そうしたかつてのカイジの行動を踏まえると、今作のゲーム展開及びストーリーにはいささか無理がある。ゲームの攻略法を語れば物語の核心に触れる可能性が高いので名言は避けるが、選択を誤れば死ぬゲームや、負ければ全資産を剥奪されるゲームの攻略があまりに天文学的確率とは言わないまでも運否天賦に賭けたものが多く、『金を稼がないと死ぬ』という過去の絶体絶命の境遇と異なり『ただ金を得たいだけ』という今作のカイジにおける目的とも釣り合わない。加えて今まで慎重に事を運んできたカイジにしては非常に短絡的というか「勝負に勝てたのはただのラッキーだっただけでは?」と思う場面も多かった。


そして主立ったひとつが気になり始めると全体の悪い点も見えてくるもので、基本的な会話の流れで「それは○○だ」「○○って何だよ」といったオウム返しが頻発することや、もはやネット上でもお馴染みとなった藤原竜也の絶叫が過去作と比べて極めて多いこと、何より、全体を覆うカイジにとって有利に運びすぎるストーリー展開とゲーム構成の粗さに気付いてしまう。何も考えずに観るならいざ知らず、日常的に様々な物事を俯瞰で判断し、思いを巡らせる人間にとっては極めて不向きな映画であると思った次第である。


正直映画を1時間程経過した瞬間には「これは早くも今年の映画でワースト1位かもしれない」との思いも頭を過ったが、辛うじて持ち直した理由は後半部分の存在。序盤から中盤にかけての若干強引な流れを引き継いでうまく帰結させる手法はなかなかに筋は通っているように思えたし、加えてクライマックスへと突き進む高揚感にも繋がっていた。この部分だけを鑑みれば、確かにカイジの良さは出ている。しかし中盤までのストーリーとゲーム展開がどうにも……。という訳で、この点数に。


今作は様々な映画に触れた人であればあるほど、ある種の批判点が目につくだろう。だが藤原竜也による「キンキンに冷えてやがる!」の一言を観たいがために劇場に足を運ぶ人なら満点か。『ジョーズ』にしろ『ターミネーター』にしろ、人気映画の3作目に関しては嫌な予感が付き物だが、今作もまさにその類いであった。うーん……。


ストーリー★★☆☆☆
コメディー★★★☆☆
配役★☆☆☆☆
感動★★☆☆☆
エンターテインメント★★★☆☆
藤原竜也のカイジ度★★★★★

総合評価★★☆☆☆
(2019年公開。映画.com平均評価3.0点)

 


映画『カイジ ファイナルゲーム』予告

 

[コラム寄稿のお知らせ]くるり×サカナクション『相鉄都心直通記念ムービー』

こんばんは、キタガワです。

 

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rockinon.com様へ『くるり×サカナクション相鉄都心直通記念ムービー』のコラムを寄稿いたしました。是非。

 

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