キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター。

7月某日

7月某日、17時。久方ぶりの休日を持て余していた僕は、ふらりと立ち飲みのバーに赴いた。開店直後に入店したため怪訝な顔をされる事も覚悟していたが、店のマスターは予想に反して、僕の来店を歓迎してくれた。僕はこの店が移転する以前から通っていた、言わば常連と呼ばれる類いの人間だ。しかしながらコロナ禍に陥ってからというもの、ここ数ヵ月はバーのみならず駅周辺の店舗へ赴くことすら一切なく、必然、長らく空白の期間が長くなっていた。

僕とマスターの間にはいつも、主だった会話はない。マスターは只いつものように視線を巧みに逸らしながら「今日は何飲まれます?」と問うのみで、僕がビールを頼むと直ぐ様サーバーから生ビールを注いで眼前にグラスを置き、その後は店の奥に引っ込んで姿を見せなくなる。端から見ればあまりに不用意だが、そんなマスターとの双方向的かつ不思議な関係性が、僕は心底好きだった。

テーブルに生ビールが置かれると、懐で出番を待ち望んでいたであろう愛用のイヤホンを装着した。眼前には、白く塗り潰された壁。A4ノートを開くと端がはみ出しかねない小さなスペースでひとりグラスを傾けるのが、この店における僕の基本スタイルだった。

《あれほど刻んだ後悔も/くり返す毎日の中でかき消されていくのね/真っさらになった決意を胸に/あんたは堂々と また肥溜めへとダイブ》

無意識的に普段好んで聴くロックンロールではなく、スローリーなジャズ的な音楽を選んだことが功を奏したようだ。緩やかな音楽に身を任せているためか、必然酒も進む。……バックでは今世間でバズを記録しているイケメンアーティストの音楽が流れており瞬間的に憂鬱を起こしたが、イヤホンから流れる音量をふたつほど上げたことで、次第に気にならなくなった。

僕は酒を飲む際は、つまみを一切食べない。故に自身の酩酊をコントロールする術もそれなりに身に付けている筈ではあるが、まだ1杯目にして連日の労働が祟ったのか、思ったよりアルコールの回りは早かった。開きっぱなしにしていたメニュー表の文字はやたらと歪み、窓から見えるまだ明るい筈の空は空転して見えた。

僕には普段ほとんど言葉を発しない代わりに、酔っ払った際は饒舌になるという酷く自覚した悪癖がある。ビールを3分の2程飲んだ後にトイレから出てきたマスターを捕まえた僕は、この日初めての発語がもたらす酷くひび割れた声で問うた。「……どんな感じだったっすか。最近」。

主語も述語もぶん投げられた僕の言葉に、マスターは「店開けてはいたんですけどね。やっぱり人は少ないですよ。誰も来ない日も多くて、だんだん閉めざるを得なくなりました」と優しく語った。僕自身報道等で重々理解していたつもりではあったが、やはり現実は厳しいらしい。そんな赤裸々な内情を真摯に語ってくれたマスターとは裏腹に、僕は「そっすよね」との素っ気ない言葉を返し、そこからはビールをチビチビと飲みつつひとりイヤホンから流れる爆音の音楽と、この日新規感染者数が100人の大台を突破した事に端を発した東京都知事の記者会見を肴に日本酒や再びのビールをオーダーし、ひとり泥酔の果てへと突き進んだ。その間1時間半。バーには最後まで僕以外に、一切の客は来なかった。

眼前には、マスクを着用した人々が足早に帰路に付く様子がガラス越しに映っている。子供連れ。カップル。学生。集団で屯する若者。サラリーマン……。そのうちの大半が、幸せそうな笑顔を浮かべていた。そんな光景に謎の苛立ちを覚え、僕は飲みさしてあったビールを一気に飲み干した。混濁する意識の中、いつの間にか通りに人はいなくなっていた。そんな一部始終に瞬間的な憂鬱を自覚したことが嫌でたまらなくなり、追加で濃い目のハイボールを注文した。1杯だけのアルコールを引っ掻けて帰宅の途につく計画は、いつの間にやら破綻していた。

マイペースに執筆活動に励むこの生活が、いつか実を結ぶことはあるのだろうか。僕の名前を見て誰かを感化させたり、何らかの依頼に繋がることはあるだろうか。そんなことは、おそらく今後もないだろう。だが僕には音楽と文章しか残っていないという事実も骨身に染みて理解していたし、同時に自分は正社員や結婚、金の蓄え、マイカー購入といった世間一般的な『普通の生活』に適応出来ない劣等な人間であることも、重々承知していた。僕が連日アルコールを摂取する根元的な理由はおそらく、島根県でひとり憂鬱の沼に沈むひとりの劣等生が、肯定感を錯覚するための最良の手段であるからだ。

景色が空転を通り越して曼陀羅模様に見えてきた頃合いを見計らい、会計とした。「それじゃ、また」とのマスターの声をバックに、僕はまた日常へと戻る。店を出た瞬間、ファミチキを食べながら談笑する男子高校生の集団を目撃した。その姿に再び不明瞭な怒りを覚えつつ、僕は帰りがけに立ち寄ったファミリーマートでハイネケンを購入し、プルタブを空けた。……音が酷くこもっている感じもしたが、今度は大して気にならなかった。

 


藤井風(Fujii Kaze) - “何なんw”(Nan-Nan) Official Video

【ライブレポート】セックスマシーン!!『緊急ワンマンライブ「すぐにライブやっとんねん!」』@心斎橋ANIMA

こんばんは、キタガワです。

 

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「楽しい!」「最高!」「音おっきいぜー!」……。バンドのフロントマンを務める森田(Vo)はライブ中、何度もそう絶叫し、心からの喜びを爆発させていた。未だ多くの課題が残されているライブハウス。だが確かにこの日、再びライブハウスは動き出したのだ。


此度コロナ禍の影響で長らく営業自粛期間が続いていたライブハウスが再開する契機となったのは、5月28日に大阪府知事が表明した「6月1日に施設への休業要請を全面的に解除する」との一言だった。これはライブハウスにとっての事実上の解禁宣言であり、これによりライブは原則着席、ステージと観客の間を2メートル以上空ける、透明のカーテンを設置する等の感染防止指針を遵守すれば、ライブハウスで再びライブを行うことが可能となった。


この一報を受けて最も速くスタートダッシュを切ったのが、関西出身の4人組バンド・セックスマシーン!!(以下セクマシ)である。『緊急ワンマンライブ』と冠されたタイトルからも分かる通り、大阪府知事の記者会見から1時間も経たないうちに発表された今回のライブは、一見ライブを信条として突き進んできたセクマシならではの先走った行動のようでもあり、その実大阪府の掲出したガイドラインに徹底的に従うという、並々ならぬ決意を秘めての敢行だった。会場に選ばれたのは大阪心斎橋に居を構えるライブハウス・ANIMA。本来であれば350人のキャパを誇るANIMAだが、来場者は49人に限定。7行7列で観客同士の距離をしっかりと離し、当然来場者及びスタッフは全員マスクまたはフェイスシールドを着用。果ては万が一感染者が出た場合に備えて来場者の連絡先も伺うといった、隅々まで行き届いた感染防止措置が取られた。……無論こうした試みはやれクラスターだ、やれ三密だと何かと槍玉に上げられるライブハウスの始まりを告げる1日を成功させるにあたり「やるからには絶対に感染者を出してはならない」とのセクマシの強い思いを体現した形であったということは、本題に入る前にしっかりと記述しておきたい。


こうして6月1日、運命の夜は幕を開けた。腕を前後左右に広げても人と接触しない距離感の取れた49脚の椅子の他、座席付近にはカスタネットや鈴、でんでん太鼓といった鳴り物も用意されている。異様な光景ではあるものの、コロナウイルスと共存する新たな生活様式を余儀なくされる渦中において、ライブハウスにとっての第一歩に立ち会える貴重な瞬間でもあった。

 


すぐにライブやっとんねん!!


定刻を少し過ぎたところで、暗転。直後眼前のスクリーンに『新しいライブハウスの楽しみ方(案)』なるVTRが投影された。そこにはマスクの着用を求めると共に、飛沫感染防止の観点からライブ中は発声を禁止し、代わりに手拍子や鳴り物、胸の前で拳を握る「ぐっ」とする等で感情表現を試みること、万が一体調を崩した際はスタッフに直ぐ様申し付ける等、ライブを安全に行うにあたっての観客に対する協力事項を森田が実演する形で流された。なおこの映像はぶっつけ本番で撮影されたものらしく森田がたびたび噛む場面も見られ、その都度笑いが起こっていたのも彼ららしい。


そして「それでは皆様、ごゆっくりとライブをお楽しみください」との森田の一言の後にスクリーンが廃されると、そこにはギター、ベース、ドラム、マイクスタンドが鎮座するもはや目撃すること自体数ヵ月ぶりとなった、正真正銘ライブハウスのステージがお目見え。もちろんコロナウイルス対策のため前面が透明なビニールシートに覆われていたり、各楽器の配置に距離がある等の違いは確かにある。けれどもその光景は誰もが愛してやまない、ライブハウスのステージそのものであった。


しばらくすると、観客の鳴らすカスタネットや鈴、でんでん太鼓による打音と拍手で祝福される形でメンバーが入場。森田は「こらまた変わった景色ですね……」とボソリ。そして公演中は声を挙げると飛沫が飛んでしまうことから無声を心掛けてもらうこと、バンドメンバーも一定の距離を保って演奏すること、更にはライブの途中で数分間の換気時間を設けること等を会場全体で改めて確認。


業務的な言動に終始し、この日のライブに求められる鉄壁のルールを繰り返しレクチャーする森田。彼ら自身ライブハウスでのライブが数ヵ月ぶりということもあり、その表情には幾分と緊張が伺える。しかしながらその心中には抑えきれない興奮も内在していたようで、森田は一連の注意事項の説明が終わった瞬間には「いやあ、なんか……こう……嬉しいなあ。嬉しいけど、ドキドキするなあ」と顔を綻ばせていた。そう語る最中も、バックではアンプに繋いだギターのフィードバック音が反響したりノイズが鳴ったりと、ロックバンドのライブ独特の不協和音にも似た音が響いていたが、これさえも今の彼らを祝福しているようにも感じられて感動的に映った次第だ。


そして近藤(Gt.Key.cho)が打ち鳴らしたドラムを合図に楽器隊全員がジャーンと爆音を轟かせ、森田の「俺たちライブするの、久しぶりー!」との一言から雪崩れ込んだ1曲目は、まさに開幕を飾るに相応しい“久しぶり!”。


《柿の木が育つほどの時を僕ら離れ過ごした/会ってみりゃもう一瞬だ》

《あぁ素晴らしい今日だこの気持ち君は今どうだ/どうなんだ》


“久しぶり!”はセクマシのライブにおいて、とりわけ久方ぶりに訪れた地でたびたび披露されるライブチューンだ。けれども記念すべき1曲目に再スタートの意味合いを含む“始まってんぞ”でも、ロケットスタートを切るが如くの数々のキラーチューンでもなくこの楽曲が選ばれたことには、やはり久方ぶりのライブにおいて、喜びとライブハウスの楽しさを共有する理由も十二分に含まれていたのではなかろうか。事実“久しぶり!”がもたらした興奮は凄まじく、集まった観客たちは皆声には出さないまでも拳を天に突き上げていた。森田が歌詞の一部を《久しい君のその顔が》を《久しぶりの君たちが》に変えて歌唱する場面も含めて、まさしく久しぶりな一体感の共有に一役買っていたのはもはや言うまでもないだろう。


その後は外出自粛期間中に発表された新曲を含む、ワンマンライブならではのキャリアを総括するかの如きセットリストで進行していく。正直、セクマシの楽曲はCD音源の時点で観客がもたらすレスポンスを前提として作られているものが大半であるため、従来のライブと比較するとある種やり辛い環境であったことは否めない。けれども森田が御法度であると知りながらも無意識的に観客を煽ってしまったり、歌詞をすっ飛ばしたりと何度か感情が理性を上回ってしまう一幕も全て引っくるめて、紛れもなくこの日のセクマシは決して画面越しの生配信では体験できない、どこまでも肉体的な姿だった。


“始まってんぞ”後のMCにて、森田は職業的、ひいては様々な理由でこの場に来ることが叶わなかった人々を労いつつ「今回いろいろ……もちろんありましたし、『ライブハウス動けるのいつなんだろう』とかありましたけど、よく思い出してくださいよ。ライブハウスって元々、不良扱いだったじゃないですか。怪しいもんだったんすよ。何となく隠微なというか。皆さんも酸いも甘いもいい歳してるからそういうのにも耐えれるようになりましたけど。なので別に状況が変わってもいろいろより戻しであったり、オルタネイティブなものだったりするのかなと思ったりします。(中略)でも何も考えずに何かをやっちゃうといろいろマズいんじゃないかなと思って、我々の出来る限りの知恵絞って、今日実現しました」と語った。そして「ロックとかライブハウスが少し怪しくて、何かちょっと触れたら怪我しそうな感じで、少し淫靡な感じがしてたそういう気持ちを思い出して歌います」との一言の後に鳴らされた“かくせ!!”は、紛れもなくひとつのハイライトだった。

 


セックスマシーン!!「かくせ!!」MV


《悪いことしてんじゃない 何となく人に言えない/難しくもなんともない 集まって歌っているだけ》

《ちょっとだけ変かもしれない 何となくバラしたくない/心配をかけたくはない かといってやめられはしない》


MVの時点ではサビで歌われる《親からかくせ!!》の一幕からも、青少年特有の様々な秘密にスポットを当てた楽曲であると思っていた。けれども前述のMCや、三密を避ける行動を徹底するようしきりにメディア等で叫ばれていたMVの公開時期(MV公開日は緊急事態宣言の1週間前の4月1日)等を鑑みると、“かくせ!!”は世間に後ろ指を指されていた渦中のライブハウスを如実に表していることが分かる。中でも《悪いことしてんじゃない 何となく人に言えない/難しくもなんともない 集まって歌っているだけ》の歌詞はパンク道を地で行き、更には長いキャリアの大半を地道なライブ活動に現在進行形でベットするセクマシならではの歌詞として高らかに鳴り響き、心を震わせた。

 


セックスマシーン「君を失ってWow」


中盤以前のハイライトが前述した“かくせ!!”であるとするならば、その以降におけるハイライトは言わずもがな、彼らのライブの最大のキラーチューンと名高い“君を失ってWow”だ。原曲では3分少々で疾走するこの楽曲はライブではほぼ決まって森田が客席に突入し、会場の外でシンガロングを試みる、観客を弄る等感情そのままのステージングを繰り広げるために結果的にかなりの長尺に変貌することでも知られている。実際今回もステージを降りる一幕こそあったものの、それは演奏途中で行われた5分間の換気タイムのみ。しかしながら此度の“君を失ってWow”がかつてのライブと比較して良くなかったのかと問われれば答えは断じてNOであり、あくまでこの限られた環境下で圧倒的な熱量を見せ付けてくれた。その中で「テンションを……腹の底から上げろ!」「確かにビニールは歯痒い。けどこれ越しだとしても、お前に音が聴こえてるぞー!」といった楽曲の合間に挟まれる舌足らずな絶叫も、集まった観客のボルテージを一段階の上昇に転じさせる重要なスパイスとなっていた。本来シンガロングによる大合唱を求めるサビ前においても「グッとしろ!」と耐え続けた森田の姿は、ライブを鑑賞している観客のリンガロングを防ぐ意味合いの他にも、猛る自身の感情を自制するよう言い聞かせるようでもあった。


そして森田が客席後方の防音扉へと移動し、大サビ前に行われた換気タイム。無論この換気タイムは三密で言うところの『密閉』を回避するための行動であり、結果的簗は約5分間に渡って今まさにライブが行われている防音扉を含む店内のあらゆる箇所を開け放った。とはいえこの場は爆音が鳴り響くライブハウス。必然ギターとベースは実質ミュート状態、ドラムに至ってはスティックのカウントオンリーの中、本来であれば大合唱が永続的に発生するサビは歌えない。そのためこの換気の5分間はほぼ観客の鳴らす鳴り物に頼らざるを得ないという寂寥感漂う時間となった。だが森田はテンションの著しい低下を生まざるを得ないこの状況下でも「ちょっとごめんなさい近寄りすぎました。2メートルですよね……」「僕ここいたらあれですね。トイレとか行きづらいですよね」としきりに笑いを誘ったり、果ては「知ってました?ライブハウスの客単価を変えるのはドリンクなんすよ。セカンドドリンク以降」と今後のライブハウスの活動に繋がる裏事情を暴露したりと、ライブが行われている今とその先の未来に繋がるトークで緊張の糸が切れないよう工夫を凝らし、このおそらく今までのライブハウスでは考えられなかった『換気タイム』という未曾有の時間を乗り切った末に、後の大爆発へ至ったのだった。

 


セックスマシーン "春への扉" (Official Music Video)


その後は昨年の6月に発売されたミニアルバム『明日を見に行く』収録曲を含む比較的新しい楽曲群の中に、“頭の良くなるラブソング”や“春への扉”といった定番のライブアンセムを配置する興奮必至のセットリストで最後の畳み掛けを図り、最後は「ラスト行きます、楽しかったです。またね」との森田の短い一言の後、キーボードをつま弾いて始まった正真正銘最後の曲は2017年発売のニューアルバム『はじまっている。』より、“胡蝶の夢”でフィニッシュ。


現実と夢の区別がはっきりとつかない状況を喩えた言葉としての意味で広く知られる言葉をタイトルに冠した“胡蝶の夢”。キャパ350人に45人の入場制限、世間の意見に逆行しての敢行、ガイドラインの徹底した遵守がもらたした窮屈さ……。確かにこの日、大阪の小さなライブハウスでひっそりと行われた今回のライブはあまりにも異質だった。これは大入りのライブハウスで観客と双方向的なレスポンスを繰り広げるセクマシにとっても、様々なライブに足を運んだ経験のあるオーディエンス側にとっても、正に良かれ悪しかれ夢のような一夜であったと言えるだろう。けれどもサビで歌われる《ひとときの短い夢だった とても気持ちの良い夢》は決して悲観的な意味合いとしてではなく、明らかな希望的観測の一面を携えて響き渡っていた。ラストは「叫んでいた俺たちと、今日来てくれた、今日観てくれた、今日ライブハウス空けてくれた、もう全部引っくるめてロックバンド・セックスマシーンだったウォー!」との森田の絶叫でもって、運命的なライブの本編は終了。満面の笑みでステージを降りたのだった。


数分後、照明が落ちまさに森田が前述したような『淫靡な雰囲気』となった暗転時間を経て、各自の鳴り物がもたらす多種多様な打音で再び呼び込まれたセクマシ。直ぐ様演奏に取り掛かると思いきや「鳴り止まぬ太鼓、そして鈴。アンコールありがとうございました。おまけターイム!」との森田のアンコール宣言を皮切りに、長尺のMCへ突入。その間もパコパコと鳴る鳴り物には試合中にメガホンを叩く様をイメージしたのか、日野(Ba.Key.cho)による「なんかワールドカップみたいやね」との応酬から、思い付くチーム名を列挙するサッカー談義に花咲かすメンバーたち。そのグダグダなトークは観客との熱量の不一致を感じた日野が「もうええねん!」と終演を告げるまで続いた。ライブ前とは大きく違うリラックスムードである。


その後は集まった観客のマスクの着用、心斎橋ANIMAが用意したビニールシート、鳴り物を販売する楽器店等、改めてこの日が多くの協力の元に成り立ったものであることを強調したかと思えば森田が「三密言えますか?」と近藤を問い質した結果ほぼ言えないという予想外の展開に帰結してしまうのもまた、セクマシらしい。


そして「今日のライブのスタイルはひとつの案です。もっといろんな人がいろんなことを思い付いていくと思うんで、楽しみで仕方ありません。最後おまけで1曲だけ。そういう新しい時代の未だ見ぬライブハウス・スタイル目指して」との言葉の後に鳴らされた最終曲は、良い意味ではこの日のライブハウス再開を彩る、また悪い意味ではコロナウイルスとの共存を余儀無くされる時代へと突入した今鳴らされるべき1曲“新世界へ”でもって、運命的な夜は出し惜しみなしの完全燃焼で終演を迎えた。

 


セックスマシーン「新世界へ」MV


《君が向かう先は 何が待ってるのだろうか/空っぽのその世界に 何を描き出すんだ》


多くの課題が山積するライブハウスの未来は、未だ明るいとは言えない。三密やキャパシティの問題はもちろんのこと、感染防止策をどう講じるのか、ライブハウス存続に値する採算が取れるのか……。考えは尽きない。人数を大幅に制限したライブならまだしも、ソーシャルディスタンスの観点から、今までのような大入りのソールドアウト公演が実現するのはおそらく何ヵ月も先の話になるだろう。


しかしながら悲観的に捉えるだけでは何も始まらない。今回セクマシが集まった観客が声ではない他の方法で感情を表現する手法として鳴り物を提唱したように、ライブハウスには未だ無限の可能性が秘められているのも事実。例えば日々アーティストによる生配信が行われているように、今までにはなかった某かがこれからのスタンダードを担うかもしれない。そう。ポジティブな考え方次第で、きっとライブハウスは何でも出来るのだ。そして今回のセクマシのライブはライブハウスの未来を占う試金石と称するに相応しい、紛れもない歴史的一夜だった。


【セックスマシーン@心斎橋ANIMA セットリスト】
久しぶり!
ウッドストック2019
サルでもわかるラブソング
いいよね
始まってんぞ
かくせ!!
明日月曜
(It's only)ネクラ
君を失ってWow
夜の向こうへ
響けよ我が声
春への扉
頭の良くなるラブソング
夕暮れの歌
胡蝶の夢

[アンコール]
新世界へ

ずとまよ、ヨルシカ、YOASOBI……。『夜』の世界で今、何が起こっているのか?

こんばんは、キタガワです。


毎年少しばかりの変遷を繰り返し、発展を遂げてきた音楽シーン。けれども数年前のある時期を境に、音楽シーンは新たな局面へと突入した感すらある。その主たる要因こそ、正体不明の謎のアーティストの台頭である。


今や楽曲どころか、かつては名前すら聴いたことのなかったアーティストが次々脚光を浴びる『音楽新時代』とも称すべき令和。無論それら度重なるムーブメントの背景には、SNSとYouTubeを筆頭としたバズの存在があるというのは言うまでもないが、一昔前には『一発屋』の烙印を押されていたそれは、現在ではインターネット上での爆発的人気のみに留まらず日本全国が認める楽曲として街中で流れ、最終的には多くのタイアップにも繋がる最大の武器として誰もが欲する名誉のひとつ。そう。今や曲自体1曲も発表していなかったアーティストでさえ初出したひとつの楽曲により、翌日にはシンデレラストーリーを突き進むが如くのロケットスタートを切ることも可能な時代となったのだ。


そんな謎のアーティストがブームを呼び起こす中において、取り分け昨今の音楽シーンを牽引する存在がいる。それこそが今回のタイトルにも冠したずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)、ヨルシカ、YOASOBIらに象徴される徹底して楽曲の力だけで大いなるバズを記録したアーティストだ。


ピアノをメロの主軸としている、ボーカルが女性、YouTube上で数千万回を越える閲覧数を記録した等何かと共通項のあるこの3組。けれども一目で視認可能な直接的な共通点として挙げられるのは、3組とも『夜』をモチーフとした名で活動している点ではなかろうか。ずとまよは言わずもがな、ヨルシカは『夜しか』、YOASOBIは『夜遊び』……。実際、夜を名前に冠した謎のアーティスト3組が短期間のうちに注目を浴びたことについては、かねてよりファンの間でも議論が交わされていた。無論彼女らが日本全国にバズをもたらした根元的な理由については、「楽曲の完成度の高さ」の一言に尽きるだろう。しかしながら確かに3組全てに『夜』のワードが使われるのみならず、そのうち一組さえもあぶれることなく3組全てが爆発的なブレイクを果たしたというのは偶然にしては出来すぎのような気もするのも事実としてある。


そこで今回は、各自のとりわけ『夜』の部分に焦点を当て、3組におけるそれぞれの独自性について迫っていきたい。当記事が新たな音楽への出会いとして、ひいてはメッセージ性の強い彼女らの楽曲群に一層心酔するひとつの契機となれば幸いである。

 


ずっと真夜中でいいのに。

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ずっと真夜中でいいのに。OFFICIAL SITE

 

完全無名の状態で投稿された初音源“秒針を噛む”が大いなるバズを記録し、一躍ネットシーンのトップを駆けるに至ったずとまよ。彼女らについて語られる際には姿を一切見せず活動するミステリアスさや曲調、意味深なMV等にスポットが当たることも多いが、やはりずとまよをずとまよたらしめている最重要項目はズバリ、何にも増して歌詞であるとの認識でいる。


それは《でぁーられったっとぇん》との異次元的造語から幕を開ける“こんなこと騒動”や《近づいて遠のいて 笑い合ってみたんだ》のサビが最終的には《チカヅイテ トーノイ十 ワライアッテミタンダ》に変化する“正義”、しゃっくりの応援団と元気のない亡霊、そしてその仲間の髑髏による一部始終を“居眠り遠征隊”とする特異な視点にも表れている通り、言葉を濁すというよりは敢えて抽象的な物言いに終始するずとまよの歌詞はあまりに独特であり、何度歌詞を観察したとて、その本心を読み解くことはほぼ不可能である。


けれども《すぐ比べ合う 周りが どうとかじゃ無くて/素直になりたいんだ》と絶唱する“蹴っ飛ばした毛布”然り、内向的な少女が空想の世界でアイドルへと変身する“ハゼ馳せる果てるまで”然り、他者の顔色を伺い自身が精神的に疲弊してしまう結末を防ぐための策のひとつとして『ACAねの感情参考書』を事前に熟読しておいてほしいと切望する最新曲“お勉強しといてよ”然り、ひとつ確かなことがあるとすれば、ずとまよの歌詞には元来感情を表すことができない……しかし心中では様々な悩みが渦巻いているボーカル・ACAねによる、おそらくは自分自身でさえ理解不能な無形の寂寥と孤独が落としこまれている。


ずとまよにおける夜を感じさせる一幕があるとすれば、間違いなくこうしたACAねの心中の部分である。自身の活動名を『ずっと真夜中でいいのに。』という酷く無希望かつ意味深なものとし、鬱屈した感情を記しつつもストレートに暗さを感じさせないように言葉遊びを駆使するずとまよは言わば、本心を具現化することに加えて、今回紹介する3組の中では最も私小説的なグループと言っても良いのでは。

 


ずっと真夜中でいいのに。『お勉強しといてよ』MV(ZUTOMAYO - STUDY ME)

 

 

ヨルシカ

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ヨルシカ OFFICIAL SITE

 

日常で起こり得る憂鬱を歌詞に起こすことに加え、世のダークな部分に多面的にフォーカスを当てた歌詞が特徴的なヨルシカ。ヨルシカの楽曲はかつてボーカロイドプロデューサーとしても活躍していたn-bunaが手掛けていることは周知の事実だが、彼の楽曲にはある種の哲学的視点と、物事を俯瞰して見る客観性とが混在している印象を受ける。


実際彼らの知名度を飛躍的に高めた契機とも言える楽曲“言って。”では、《私実は気付いてるの/ほら、君が言ったこと》と幕を開ける展開が一転、後半では《私実はわかってるの/もう君が逝ったこと》ともうこの世に存在しないことが示唆され、最終的にはその人物が『“逝った”前に“言った”こと』へと繋げている。そうしたある種悲観的かつ重厚なストーリーは結果として、無表情な少年を描写し続けるMVと共に大きく広がるに至った。また2019年に発売されたふたつのアルバムは小説における上下巻の如き作りとなっており、1枚目『だから僕は音楽を辞めた』では音楽に挫折したエイミーを、2枚目『エルマ』では彼の音楽に影響を受け音楽活動を始めたエルマの対比が描かれている。総じてヨルシカはソングライティングの中心を担うn-bunaの日常的な思考と創作的ストーリーを体現する、極めてコンセプチュアルな音楽グループであると見なすことが出来る。


そして類い稀なるストーリーの中心には、決まって死や憂鬱、自問自答、希望的未来への渇望が描かれている。おそらくヨルシカという名前自体が彼らのとある楽曲の歌詞から拝借されていることからも、意図せずして夜のイメージを担ってしまったのは結果論に過ぎないだろう。だが約3年間に渡る活動を紐解いていくと結果的に『夜』を無意識的に活動の主軸としているようにも、楽曲自体も今の生き辛い世の中と密接にリンクしているようにも感じられ、単なる偶然と一蹴出来ない部分というのも多分に存在している。

 


ヨルシカ - 言って。(Music Video)

 

 

YOASOBI

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YOASOBI オフィシャルサイト

タナトスの誘惑 | 物語詳細 - monogatary.com

 

突如音楽シーンに降り立った新進気鋭のユニット・YOASOBI。現在YOASOBIがメディアやSNSで注目される一因となっているのが、彼女らのその独特の活動姿勢である。それはYOASOBIの楽曲は全て、既存の小説をテーマに楽曲を書き下ろす『セルフ主題歌制作』というひとつの音楽革命の体を成している点だ。


ではYOASOBIとは「ただ単純に原作に180度沿ったオマージュ音楽を作るユニットなのか?」と問われれば、それはまた違う。YOASOBIが取り上げる小説は数十分もあれば読み終えることが可能な短編ばかりだ。故にシナリオが完璧な形として着地しないものや、描写の詳しい明言が成されないままに終わってしまう作品も多いのだが、楽曲中では小説内で語られるストーリーと共に別角度からの解釈も複数織り混ぜることにより小説における考察や補完の役割も果たしているという点においても、あまりに独自性が高い。


例えばYouTube上、ひいてはサブスクリプションで大いなるバズをもたらした“夜に駆ける(原作小説は『タナトスの誘惑』)”では男女の邂逅と、終着へとに至った某日が描かれている。言わずもがな、タイトルに冠されている『夜に駆ける』とは投身自殺と同義であり、実際楽曲(MV)と小説を比較してもその内容に大きな相違点はない。しかしながらそれぞれの媒体にしか存在しない事柄もいくつか含まれていて、具体的には楽曲内で《終わりにしたい》と直接的に彼女が語る一幕は小説ではカットされていたり、片や小説では主人公がブラック企業に勤めている、加えて彼女が架空の存在の姿を視認出来ていたりと、楽曲から小説へ、小説から楽曲へと双方向的な関係性となるよう工夫が凝らされているのだ。


故にYOASOBIは上記のずとまよやヨルシカらとは異なり、自身が楽曲内で伝えるべき主なテーマを小説にある程度一任するに加え、プラスアルファで色付けすることの出来る唯一無二の音楽ユニットであるとも言える。実際“あの夢をなぞって”では純愛、“ハルジオン”では抽象的かつ意味深な人情劇を、そして前述した“夜に駆ける”では自死を選ぶふたりの男女と多種多様なテーマで記しており、それぞれの曲調はバラバラ。おそらく今後はYOASOBIのイメージをガラリと覆す楽曲も次々生まれることだろう。よってYOASOBIは夜をモチーフに何かを試みるというよりは、その時々で夜を昼に、昼を夜に、もしくは昼を夜に見せ掛けることの可能な、音楽に新たな革命を見出だした、令和にブレイクするに相応しい稀有な存在なのではなかろうか。

 


YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video

 


本題から少しばかり外れる話で恐縮だが、思えば海外における現在の音楽シーンで所謂『流行歌』と呼ばれる楽曲の中では、社会に異を唱えるものがトレンドと化している。例えばアメリカにおける銃社会や警察の失態、貧富の格差を体現したその名も“This Is America”がバズをもたらしたチャイルディッシュ・ガンビーノであったり、他にもトランプ政権を批判したグリーン・デイ、若者の薬物中毒を嘆いたビリー・アイリッシュ、LGBTQ問題に異を唱えたThe 1975……。それが今の情勢とシンクロするに加え、音楽を通して今の世の中の悪しき風潮にNOの意思を唱える一種のムーブメントなのだ。


片や日本では、むしろ政治や風潮といった事柄を真剣に考えること自体がタブーとされている印象すら受ける。事実そうしたネガティブな事柄を取り上げる楽曲は一定層にのみ好まれる印象で、街中で流れる流行歌は恋愛や我々の日常風景等、ポジティブなものが大半を締めている。無論そうした音楽シーンを別段悪いとは思わない。だが心中や世間のダークな部分を赤裸々に切り取った楽曲が脚光を浴びることがほとんどない事実には、少しばかりの疑問を抱いていたのも正直な気持ちとして存在した。


ここまで綴ってきたように、3組にはそれぞれの個性が確立していて、少なくとも完全に同じ部分というのは一切ない。しかしながら、楽曲をじっくり観察した結果3組には共通して「夜を感じさせる一面がある」というのもやはり、簡単には一蹴出来ない事実として垂直に立っている。


こと日本においても匿名性の高い形で、それでいて世界的に見ても間違いなく『平和』な部類に入る日本ならではの生き辛さや孤独感、他者比較をつまびらかにする3組は、言わばYouTube発信で一躍時の人となった現代ならではの現状に加えて「ダークな部分にフォーカスを当てる音楽」の時代が遂に日本にも訪れたことの証明であり、同時に3組の楽曲が今世間一般的に好意的に受け取られていることも、間違いなく偶然ではない。よく言われる「時代が彼女たちに追い付いた」というものではなく、言うなれば彼女らが時代の受け皿となったのだ。


今後の日本の音楽シーンを正常なものに変遷させるべく、一般大衆にとっての音楽の在り方の転換点となり得る存在。それこそが今回取り上げたずとまよ、ヨルシカ、YOASOBIの3組なのではないか……。そんな確信にも似た予感が彼女らの活躍を見るたび、頭の中を駆け巡ってやまないのだ。

開催中止と分かっていながら、スパソニのチケットを買った話

こんばんは、キタガワです。


本日6月16日、僕は9月に開催が予定されている秋フェス・SUPER SONIC(スパソニ)のチケットを購入した。19日と20日の二日間。金額は各種手数料込みで25640円。この他にも島根県から会場に向かう為の交通費や宿泊費、有給休暇の申請に伴う労働日数の追加等を含めれば、金銭的にも体力的にも、大いなる負担を強いられることとなる。だがそれでも構わない。僕はこの今世紀最悪な年とも言える2020年における最後の希望を、スパソニにベットしたのだ。

 

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先程から幾度も名前を挙げているスパソニは、今年初開催となる秋フェスである。元々はSUMMER SONIC(サマソニ)として20年間に渡って8月下旬に毎年開催されているフェスであるが、昨年度の時点で今年は東京オリンピックの開催の弊害として、中止が決定していた。しかしながらサマソニを主催するプロモーター・クリエイティブマンプロダクション30周年を祝うその代替として、オリンピックと時期を1ヶ月離す形で急遽今年誕生したのが、今回のスパソニである。現時点で20年代最大の注目株とも称されるThe 1975、完全無欠のロックンロールスターLiam Gallagher、エレクトロハウスの申し子Steve Aoki、今最も注目を集めるラッパーPost Malone等、本家サマソニをも凌駕しかねない最強のラインナップが決定し、来たる開催に期待が高まっていた。そんな中立ち込めた絶望的な暗雲。それこそがコロナウイルスの存在だ。


実際問題、開催が決定していた時点でも海外を中心に感染者が増え続けていたコロナウイルス。しかしながら当時はそれでもある種楽観的というか、「遅くとも6月頃には治まるだろう」と多くの人間が高を括っていたように思う。具体的には確かに2月~3月頃に開催予定だったライブも次々と延期に追い込まれてはいたものの、その全ては『中止』ではなく『延期』であり、それも数ヵ月先に伸びるのみであったために対して問題とは思っていなかった、というのが正直なところだった。


そんな予想に反して、コロナウイルスの勢いは文字通り、日増しに拡大した。東京オリンピックは来年度に延期され、テレビを点ければ軒並み在宅勤務かつソーシャルディスタンス。店には飛沫感染を防ぐ透明のビニールが設置され、学校授業は延期。そして芸能界では志村けん氏がコロナウイルスによる肺炎で死去し、大きな衝撃を与えた。そして現在ではコロナウイルスと共存する『新たな生活様式』が提唱され、最低でもこの窮屈な生活は今年一杯は続くとされている。今やコロナウイルスはかつての新型インフルエンザや麻疹のような、安易に考えられるものではない。検査や隔離、そして最悪の場合他者を死に至らしめる加害者にもなり得るそれは『感染したら社会的に終わり』な恐怖の象徴として、日々を生きる人々の深層心理に刻み込まれている。


そこで考えなければならないのが、スパソニの動向である。FNNプライムオンラインにて実施されたスパソニ主催者へのインタビューでは「6月12日の時点では、予定通り開催の方向で進めています。ただ、新型コロナの問題があるので、人数の制限などで全体のキャパシティを減らすことも考えなければならないかもしれません」とし、加えて「現時点では、出演が決まっているアーティストのキャンセルなどは起きていません」と、改めて開催に前向きな姿勢を明らかにした。この発言を見るに、今後世界的にコロナウイルスが余程悪化に至らなければ十分な感染防止策を講じた上で開催。対して7月~8月時点で海外渡航が不可能で、かつクラスターを生む可能性を無視できないと主催者側が判断した時点で、開催を中止するということだろうと思う。


けれども僕はスパソニは十中八九、中止になると考えている。


まずひとつは演者の問題。言わずもがな、スパソニは洋楽アーティストが多く出演するフェスである。そのためメンバーの他、ライブをサポートする十数名にも及ぶ関係者も日本に招かなければならず、アメリカやイギリスの他全国各地に点在する彼らを、現時点で渡航が禁止されている箇所も含めて全員日本に入国させるというのは、まず国が許すだろうか。そして何より、観客が安心してライブを楽しめるか、と問われれば、現時点では絶対的にNOなのだ。会場に行くために必須となるシャトルバスや公共交通機関は密も密。やっとこさ会場に辿り着いたとしても、近い人間と肩と肩が触れ合うフェスはやはり怖く、更には本来大合唱に次ぐ大合唱となる洋楽フェスにおいて「歌うな」というのは非常に酷で、猛暑の中マスクを着用する熱中症の危険も付き纏う。


前述のインタビューにて、主催者側は人数の制限などで全体のキャパシティを減らすことも考えなければならないかもしれません」と語っていたが、それでは採算が取れないことは明白。もしもチケットが売り切れたとて間違いなく大赤字で、来年度からのサマソニ復活にも黄信号が点ってしまう。他にも未だ「ライブ=悪」と見なす世間の目や県を跨いでの移動、会場の設営、万が一クラスターが発生した際の個人情報の入手等、課題は尽きない。以上のことから、例えば何がなんでも開催に漕ぎ着けなければサマソニ自体がこの年で終わってしまうとか、フェス1ヶ月前には全国各地の感染者数がゼロになったとか、努力や感染防止策ではない『開催可能になるための確たる証明』がない限り、開催は不可能であると僕個人としては思っている。


けれども僕は前述の通り、本日チケットを購入した。その理由はひとつ。なにがしかの生きる希望が欲しかったからだ。


思えばコロナウイルスが全国的に猛威を振るい始めた2月~3月あたりから、ライブハウスを始めとした音楽関係の施設は世間からの風評被害に屈するように沈黙。新譜のツアーやイベントは軒並み延期かキャンセル。今年来日予定だった洋楽アーティストの来日公演も、大半が来年度に延期された。


かく言う僕自身も毎月他県に遠征し、ライブレポートを執筆するというのが誇るべきルーティーンと化していた人間だが、このコロナ禍で全て消失してしまった。正直な気持ちとして、音楽と一定の距離を取らざるを得なかったこの数ヵ月間はあまり記憶がなく、今もまるで生きる上での何かがぽっかりと欠如したかの如き、空虚な日々を生きている。これに関しては僕以外にも、同じく人生において音楽が趣味娯楽ではない、もっと根本的な『生きる理由』として位置している人間は大勢いるはずだ。


ロックインジャパンもスペシャもライジングサンも、そしてスパソニと肩を並べる洋楽フェスであるフジロックも、今年は開催中止がアナウンスされている。そう。今やスパソニは単なる『秋に開催される洋楽フェス』ではもはやない。そして受難の時代をもどかしく生き延びている我々音楽ファンにとっての、最後の希望であるとも言えるのではなかろうか。


今まで綴った一連の文章というのは、普段話題の音楽やYouTubeの関連動画に挙がった楽曲しか聴かず、ライブさえ行かない類いの人間にとっては一笑に伏される事柄であろうとも思う。けれども過去のライブ映像や画面越しの生配信ではなく、音楽をただ爆音で広大な地で浴びたいという欲求は、決して理屈ではないのだ。だからこそスパソニの開催がほぼ不可能であると頭では理解していても、何度でも「でもやっぱり行きてえな」と思ってしまう。完全な形で開催に至るのは難しいだろうが、音楽が正真正銘息を吹き返す瞬間を、僕はいつまでも信じ、待ち続けていたい。

 


The 1975 - Guys (Official Video)


《It was the best thing that ever happened to me(それは僕にとって一番の出来事)》

《It was the best thing that ever happened(それが人生において一番の出来事)》


→サマソニ2019ライブレポートはこちら
→サマソニ2018ライブレポートはこちら

→The 1975のライブレポートはこちら

昨今の音楽の広がり方、並びに「こうすれば売れる」という絶対的な方法論について

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https://t.co/r3iAWqGcBY

 

去る6月某日の深夜1時に、僕は約30分間のラジオ放送を行った。500mlの本麒麟をかっ喰らいながら語り散らしたあの演説は最後まで誰にも目撃されることはなかったけれども、紛れもなく僕が常日頃感じているフラストレーションを体現したものであると言って良かった。だからこそ今回この『キタガワのブログ』を開設してから初となる、自分自身の肉声を白日の元に晒す決意を固めた次第だ。

前述の通り、僕自身が考える昨今の音楽の広がり方や、並びに「こうすれば売れる」という方法論について言いたいことは上記のラジオで全て語っている。ではそんな30分にも渡るラジオで僕は何に憤り、何を問題としているのについては答えはひとつで、それは「現代は世論に圧倒的に支持される音楽ばかりが消費される世の中になっている」ということだ。

既に周知の事実だろうが、Official髭男dismも、King Gnuも、世間的なバズが大いなる成功をもたらした成功例である。それだけではない。2019年の紅白歌合戦では米津玄師が作詞作曲を務めた楽曲がいくつも歌われた。TikTokに使われた音楽が売れた。ツイッターで何十万人ものフォロワーがいる人物が音楽活動を始めた。歌い手が歌った。MVが面白かった。みんなが聴いてるから……。今の音楽シーンにおいて広くバズをもたらした例を挙げれば、枚挙に暇がないほどだ。

実際今回のラジオでも幾度となく「そういう時代なんですよ」という話をしているけれども、やはり実際問題CDそのものの価値やアルバム全体を通して抱く感情、自分が本当に好きな音楽と出会った喜びというのは、最近の若者には少なくなっている。何故なら、1曲単位での消費に完全に慣れてしまったからだ。

ふいに訪れたCDショップでジャケ買いをしたり、アーティスト名の「あ行」から「か行」にかけてじっくりと吟味してCDを借りたりといった経験も、今の若者にはほとんどないのではなかろうか。無論そうした風潮を全て悪いとは言わないけれども、ジャケ買いで何万もの金を溶かした結果素晴らしい音楽に出会い、結果音楽に命を救われるに至った身としてはやはりある種の寂しさを感じてしまうし、何より現状売れていない、けれども奮起しながら音楽活動を行っているアーティストに一切のスポットが当たらないという今の風潮は、どうかしているとも思うのである。

そして逆に、絶対的に世間の好む音楽性ではないけれども、それでも本当に良い音楽を作り続けているアーティストが一切の成果もないまま30歳を過ぎ、友人らとのギャップ(収入格差や幸福度等)に悩んで音楽自体をドロップアウトしてしまうような光景も僕は今までに何度も見てきた。最近では主軸としている音楽活動の芽が出ないことからYouTuberとして活動したり、世間の流行に同調したメロディーの楽曲を作っているアーティストも目にしたことがある。『バズった』ことが一種のステータスとなる一方で『売れていない』アーティストは淘汰されてしまう。それこそが今の音楽シーンであり、日本に生きる人々が無意識的に行っている、音楽への触れ方なのだ。

そしてそうした風潮が続けば音楽シーンは、心底つまらないものになると思うのだ。だからこそ一石を投じたい。だが何の知名度も発信力もない今の僕に何が出来るかと思い立ったところで何も無かったがために、かくしてスタンドアローンのラジオ放送に至ったのである。

今一度、自分自身の胸に問い掛けてみてほしい。「あなたが聴いているその音楽、本当に好きですか?」

 

※ラジオ本編は、本日から約1週間の限定公開となります。

PEOPLE 1の新曲“フロップニク”における、決して打算的ではない衝撃

こんばんは、キタガワです。

 

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初めて表題に挙げた楽曲“フロップニク”を聴いた瞬間「新世代のロックンロールだ」とも、「これだから音楽探求は辞められないな」とも思った。今後彼らは売れる売れないといった所謂チャート上の成功事象に関わらず、間違いなく2020年の音楽シーンを引っ掻き回す存在となることだろう。


彼らは名をPEOPLE 1(ピープルワン)と言い、現状活動歴や人数、メンバーの名前に至るまでその一切が謎に包まれている。彼らが発信源の母体として用いているのはツイッターやインスタグラム等のSNSと自身のYouTubeチャンネルが主であり、未だCD音源としての正式なリリースはなし。なお全楽曲は各種サブスクリプション、及びYouTubeを通して聴くことが出来る。


そんな彼らと出会った契機となったのは、YouTubeで動画が始まる前、僅かな時間流れる“フロップニク”の広告だった。実際何気ない広告から彼らの音楽に辿り着いた人間は少なくないようで、YouTubeのコメント欄を見る限り同様の人間が大勢コメントを残していたのが印象的だった。後に調べて分かったことだが、彼らのYouTubeチャンネル及びSNSのアカウントが作成された時期は2019年の12月とまだ日が浅く、加えてメディア露出やライブ経歴すら現状追うことは不可能。そのため大多数の人間の目に留まった理由が『YouTube上の広告』であったことは現在の音楽シーンの風潮を体現しているようでもあり、良い意味で現代の地の利を生かしたと言えるだろう。


けれどもYouTube上の広告というのは、情報商材や美容、ゲームアプリといった内容がほとんどで、広告収益を得る人間以外には心底不必要だ。故にどのような形であっても広告は数秒流した瞬間にスキップされて然るべきであり、彼らに行き着いた大半の人間も、基本的に同様の考えを抱いていると推察する。しかしながら何故かそのとき僕は、PEOPLE 1による“フロップニク”なる楽曲に心の底から衝撃を受け、最後まで聞き入ってしまったのである。未だ『衝撃』の根元的な理由は分からないが、ただひとつ確かなことがあるとすれば、その一瞬の出会いこそが僕と同じように、多くの同種のリスナーの心を動かしたということだ。

 


PEOPLE 1 "フロップニク" (Official Video)


冒頭の打ち込みのサウンドの後に流れるのは、気だるく脱力感溢れるボーカル。ジャンルは言うなればオルタナティブロックに似た代物で、他のロックバンドと比較することが難しい独自の形を打ち出している。けれども全編通して打ち込みを多用して作られているばかりか、ドラムとベースの音色に関しては一切聞き取れないという点においてもロックバンド然とした肉体的な響きは皆無で、総じて名状し難い無機質さが楽曲を覆い尽くしている。


バンドをバンドたらしめる歌詞についても触れておきたい。そこには大半のアーティストが歌詞を書く上で最重要視するはずの心を揺さぶるメッセージ性も、自身の心情を吐露する思いも、その一切が存在ない。楽曲内で歌われるのは物事を徹底して俯瞰した、言葉の羅列である。


《みんな話題を選んでいる/誰もが結末を揶揄している/遠巻きに様子を伺っている/僕は黙っている アナウンスは待たない》

《みんな話題を選んでいる/誰もが隣人に固執している/気まぐれに昔を思い出している/僕は黙っている 君は笑わない》


上記はサビで歌われる歌詞の一節であるが、これらの一部分を切り取るだけではあまりに抽象的だ。しかしながら「それでは」と他方の歌詞に目を向けたところで、《思っていたより僕らは大人になれなかったんだ》とネガティブな心情を晒け出したかと思えば、次なる歌詞の《モーターサイクルダイアリーズ ねえスエリー 飲みきれんサイコソーダ》でもって瞬時に想像が霧散したりと、どことなく掴み所がない。


『話題』『結末』『隣人』を妙にリズミカルに発言するサビ部分に顕著だが、“フロップニク”は全体通してあくまでも言葉をメロディー(リズム)の一部と見なしている節がある。これがPEOPLE 1による策略なのか、はたまた無意識的に行っていることなのかは定かではないにしろ、とにかく“フロップニク”では『言葉』が言葉としての意味合い以上に、この言葉でなければ絶対的に生まれない独創性の高いリズムを生み出しているのだ。無論何十年にも渡るロックバンドの歴史の中で、こうした試みが成されたのはPEOPLE 1が初めてであるとは決して言わない。けれども通常どんな流れにおいても自身の悩みや葛藤、はたまた世論や風潮等を歌詞に潜り込ませることが暗黙の了解と化したバンドシーンにおいて、ここまで徹底的に『リスナーが思案に至るような主だった意味を宿さない』という結果どのバンドも行っていない特異な手法には脱帽であり、同時に発明なのではなかろうかと思う。


イラストレーター・coalowlが手掛けたMVも秀逸で、キュートな女の子と3匹の土竜たちの掛け合いを中心として、歌詞で記されている場面場面で切り替わるストーリーを完全再現。それだけに留まらず、映像の端々にリズム天国やアンダーテールといったリズム系ゲームのパロディを組み合わせたり、後半部では印象的なイラストをコラージュの如く画面内に散りばめるなど、総じてリズミカルな楽曲のテンポとの視覚的効果でもって没入感を高める工夫が成されている。


長く続いてきた音楽シーンも遂に2020年代に突入したが、今ではバンドの売れる楽曲というのはある程度固定化されている。ひとつはOfficial髭男dismやBUMP OF CHICKEN、米津玄師のような分かりやすくサビがあり、誰が口ずさめるポップ路線。もうひとつは普通とは違う特異な楽曲だ。そして後者の『普通とは違う特異な楽曲』は更に二分化することが可能で、具体的には『インターネット上のバズを狙った打算的な楽曲』と『素で異端な行為をやってのける楽曲』に分けられる。


言うまでもなく、今トレンドと化しているのは圧倒的に前者の『打算的な音楽』だ。SNSやYouTube、Tiktokがブームの最前線となった現在、一発当てて認知度を飛躍的に上昇させることに重点を置いた音楽は実際非常に多い。他者の楽曲を盛大にオマージュした楽曲を生み出す犬も食わねえよ。や音痴なボーカルを中心に据えたLOOP H★Rといったバンドであったり、バンド以外では岡崎体育やRADIO FISHが近年大きな注目を集めたことからも、それは明らかである(なお当然、その中でも本気の情熱を持って取り組んだ者だけが今なお生き残っている、という事実は特筆しておきたい)。


けれども自身の本心で楽曲を制作した結果、意図せず『異端なもの』としてカテゴライズされてしまうバンドも一定数おり、おそらくPEOPLE 1はこちらに属する。独特のリズム。バンドらしからぬ音像。意味不明な歌詞。翻弄するMV……。彼らの音楽には打算的な楽曲に共通する不快感の一切がなく、それ以上に「俺らはこうした曲を作るけど皆はどう?」とのある種達観したオリジナリティーを持ち合わせている。だからこそ広告として一般大衆の耳に触れたという経緯こそあれ、最終的には決して打算的ではない衝撃に繋がり、心をときめかせるに至ったのではないか。


売れているアーティストでもバズを狙ったバンドでもなく、無我夢中で猪突猛進的で、それでも目が離せない衝撃を携えた彼らのようなバンドを僕は追い続けていたい。前述の通り、今や音楽そのものの向き合い方も出会い方も、以前とは大きく変化している。それどころかコロナ禍の影響により、音楽市場は今後更に危機的状況になる可能性すらある。しかしながら、2020年にもなってPEOPLE 1のような実直なバンドが売れない世の中というのはきっと、どうかしているとも思うのだ。

幻のフジロック'20……。『フジロックフェスティバル2020』延期について思うこと

こんばんは、キタガワです。

 

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気候的にも体感的にもすっかり夏が近付いてきた感覚にも陥る6月5日午前11時。フジロックフェスティバル2020の開催延期が遂に、正式に発表されてしまった。けれども「楽しみにしていたフェスが中止になった」とのネガティブな思いは今は然程ないというのが正直なところで、それ以上に全国各地の夏フェスが次々中止・及び延期に追い込まれ、世論的にも反フェスの声が挙がる中において、開催に尽力した制作に携わってくれたスマッシュとホットスタッフプロモーションには、心からの感謝の念を表したい。


思えば去る3月17日に第一弾アーティストが発表された時点で、フジロックには暗雲が立ち込めていた。その理由は言うまでもなく、新型コロナウイルスである。この日は国内での1日の感染者数が868の大台に乗った日であり、この状況下においてフジロックの出演者を発表することに対しては、当時インターネット上で舌戦が繰り広げられていたことを覚えている。けれどもまだこの時点ではまだある種の楽観視というか、漠然と「8月には何とかなるかもしれない」との思いが首をもたげていた。今思い返すと、この時はまさかここまでコロナ一色の未来が訪れるとは誰も考えていなかったのではなかろうか。


そして開催不可能との雰囲気が一層現実味を帯びたのが、4月3日。全ヘッドライナーと第二弾の追加出演者が発表された時だった。この時期になると現在ではほぼ日常的な光景となった、透明なビニールカーテンや客同士の間隔を空けるテープの設置といった対策がどの店にも見られるようになり、テレビ番組は次第にリモート出演が本格化。更には自発的な外出は極力自粛するようにとのお達しが頻りに取り沙汰されるようになっていた。なお4月3日は奇しくも僕が暮らしている島根県でも初の感染者及びクラスターの発生が確認された日でもあり、直ぐ様夜の飲食店街に営業自粛の措置が取られたり、この日を境に人の出入りがグッと少なくなったのを記憶している。中でも世間に最も衝撃を与えたのはコメディアン・志村けん氏死去のニュース(3月29日)であり、その余波も相まってか、3月には「無事に開催できるの?」と語られていたものが「この状況で開催するなんてあり得ない」という非常に強い非難の言葉に変わっていた。おそらくこの瞬間、大半の人間はフジロックの開催はほぼ不可能と見ていたはずである。


けれどもコロナ禍で首を真綿で絞められるかの如く、ゆるりと心身が憔悴する今、フジロックの開催を一種の心の拠り所としていた人々も事実として存在する。洋楽アーティストを起用する国内フェスとしてはサマソニとフジロックが最も知名度が高いが、これらふたつは個人的には全く異なるものとして捉えている。まずサマソニは観たいアーティストを事前に調べ、その計画に沿って動く人が大半を占める。そのため景色や流れている音楽にふと足を止めて聞き入るケースというのは少数派で、実直に求める音楽に突き進む人が多いためにステージごとに人数の集まりに大きなバラつきが生じてしまう。対してフジロックは言葉を選ばずに言えば、赴く人々の大半はその雰囲気と音楽の相乗効果を楽しんでいる人が多いのではなかろうか。自然に囲まれた穏やかな地で行われるフジロック。そこには木陰で寝ている人も、アルコール片手に踊り狂う人も、中には昼過ぎからゆっくり入場して楽しむ人もいて、正に多種多様だ。どんな場所にいてもどこからか音楽が流れ、気になったらフラリと立ち寄る……。言わば音楽の媒体を介したアウトドアイベントの様相で、あれほど心が洗われる音楽体験というのは、日本中どこを探してもない。そして所謂『フジロッカー』と呼ばれる人々はそれを熟知しているからこそ、東京から何十キロも離れた苗場に、また今年も行こうと思えるのだ。


……今年のフジロックは歴史的に見ても、間違いなく重要な年になるはずだった。テーム・インパラとザ・ストロークス、電気グルーヴがヘッドライナーを務めることはもとより「フジロック、変わります」との声明を発表し、問題視されていたゴミ問題と、設置禁止場所に立てられる椅子問題の改善を実行に移す心持ちでいた。エリア同士を繋ぐ橋が大雨の影響で流されたことを受けて橋を強固なものとする取り組みもアナウンスされており、総じて前年度とはまた違った快適なフェスとなる予定だった。今「一体どんな景色を観ることが出来たのだろう」と空想しても、今思い浮かべることの出来るのは昨年の風景だけ……。それが心に僅かな寂寥感を抱かせる。


前述の通り、今回のフジロック延期は英断だ。やはり今の状況で海外アーティストが来日出来る可能性は限りなく低く、会場に向かう道中及び会場内ではどう足掻いても密が生まれる。何より完全に感染者を出さないという希望的観測は現時点では絶対に出来ないし、コロナウイルスが世界規模で収束するか、もしくはワクチンが確実に手に入る100%の保証がなければ開催は出来ない。だが今回の延期の決断はオーディエンスのことを第一義とした結果であることだけは、我々は決して忘れてはならない。


国内の主だったフェスにおいて、残されたのは9月に開催されるサマソニの特別版・スパソニ(SUPER SONIC)のみ。本来8月に行われるはずだったサマソニを東京オリンピックの影響で中止し、その代替として9月開催の2020年だけのフェスとしてアナウンスされたスパソニ。まさかスパソニが国内フェス最後の砦になるとは当時全く考えていなかったが、とにかく。この流れていけばスパソニも十中八九中止・もしくは延期となるだろう。よって今年の夏はフェスもライブもない、単に暑いだけの苦痛なものになるかもしれない。


ただフジロックの今回の決断が中止ではなく延期となったことは、ひとつ希望的に捉えたいところだ。事実公式ツイッターでは来年度について「新たなラインナップを織り交ぜ、よりパワフルで新鮮なエネルギーに溢れたフェスティバルを呼び戻したいと考えています」と綴られている。よって今回ヘッドライナーに選ばれたテーム・インパラとザ・ストロークスと電気グルーヴ、更にはFKA twigsやナンバーガールなど発表時に大きな反響を呼んだアーティストの起用は来年度も引き継がれるかもしれないし、「新鮮なエネルギー」という点では今話題の若手注目株……。それこそレックス・オレンジ・カウンティやビリー・アイリッシュ、ヤングブラッド等が大舞台で弾ける可能性もあるのだ。次は必ず。1年分のフラストレーションを爆発させて楽しむ想像を多いに膨らませながら、1年後、2021年8月20日~23日に開催されるフジロック2021を楽しみに待ちたい。