キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

途中で音楽の方向性が大きく変わったバンド5選

こんばんは、キタガワです。


テンションの上がったときや辛いときに聴きたい音楽があるように、音楽家というクリエイティブな職業は自身の思いを歌詞とメロディーに落とし込むことから、制作者のその時々の精神性と完成作品がほぼイコールに至る稀有な職業である。事実星野源や斉藤和義といった名だたるアーティストが「当時の自分が精神的に落ちていたためこうした曲調になった」「この楽曲は○○にハマったときに出来た曲です」と頻繁に語っていることからも分かる通り、当時の自身の思いや嗜好というのは音楽にも反映されやすく、同時にそうした強い思いが楽曲完成時の達成感にも繋がっている。


しかしながら結成当初こそ「こういう感じでバンドをやろう」と思っても、年齢と日常生活を重ねるごとに方向性が変わるアーティストというのは多く存在し、「1stアルバムと最近のアルバム、曲調全然違うじゃん」と感じることもしばしばある。そこで今回は様々なアーティストの中でも群を抜いて、初期とは大きく曲調が変化したバンドに焦点を当てて5組を紹介する。なお今回、各アーティスト紹介の下部には『かつての音楽性』と『今の音楽性』を比較したふたつの楽曲の公式MVを載せている。長い年月を経て変遷したその過程を辿ると共に、双方をじっくり聴き比べた上で果たして自分の好みなのは新旧どちらのサウンドなのか、との個人的比較についても思いを馳せてみてほしい。

 

 

avengers in sci-fi

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同期をほぼ使わずに極力人力で、多種多様なエフェクターを繋げて四次元的サウンドを鳴らすアベンズの音楽は、当時『ロックの宇宙船(スペースロック)』とも称され、日本においてギターとベースの新たな可能性を開拓した稀有なバンドである。実際のライブでは足の踏み場が見つからないほどにエフェクターが並び、その光景はまさに要塞。足元のペダルを踏むたびに聴いたことのないサウンドが響き渡る、あまりに独自性の高いバンドとして確固たるオリジナリティーを築いていた。


けれどインディーズ時代のアベンズの特長であった、端的な言葉の羅列でファストチューンを奏でる手法はメジャーデビュー以降は極端に鳴りを潜め、いつしか彼らがメジャーレーベルを離れて個人事務所に落ち着いた頃には、本人たちの『自分たちが今鳴らしたい音楽像』とかつてのアベンズの音楽は酷くかけ離れていることを核心的に理解。そして今ではiPhoneのアラーム音からSNSを中心とした現代社会へメッセージを投げ掛ける『Unknown Tokyo Blues』、政府や世の中への怒りを具現化した『Dune』といったアルバム群を筆頭とした緩やかなグルーヴで魅せる形へと変化。更には国内バンドでは珍しくVJ(映像技術)をライブに用いたり音源をデジタル専用リリースするなど、新たなアベンズのリアルを日々体現している。


前述の通り、かつてのアベンズは徹底してアップテンポな楽曲を中心に展開してきた。そして彼らが先導した所謂『四つ打ちロック』と呼ばれる楽曲展開はいつしかKEYTALKやKANA-BOON、クリープハイプやTHE ORAL CIGARETTESといった若手バンドにも強く伝播。昨今の日本のバンド界隈では誰が何と言おうと間違いなく、ライブで分かりやすく盛り上がる四つ打ちでかつ速いロックというのは必修科目と化している。


バンドの中心人物である木幡は最近のインタビューにて「日本の音楽シーンは画一的で、テンプレートがあるようなものが多くなってきている」と語っていた。そしてこの発言は同時に、かつての自分たちが今の音楽シーンの基準を作ってしまったことへの思いも強く含まれている。だからこそ彼らはいつまでもニューモードを崩さず、前衛的な試みを続けることが出来るのだろう。

 


[PV]avengers in sci-fi NAYUTANIZED


avengers in sci-fi - I Was Born To Dance With You [Official Music Video]

 

 

Arctic Monkeys

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音楽誌内ではマンチェスター出身のロックバンドとして名を馳せたoasisを引き合いに出し「oasis以来の衝撃」とされ、国内最大級の洋楽フェス・SUMMER SONICでは史上最年少でのヘッドライナーに起用(当時彼らは21歳)。あれから数十年が経った今も未だ根強い人気を誇っており、現在におけるロックバンドきっての重鎮と言えよう。


そんな彼らの独自の試みとして挙げられるのは、矢継ぎ早に繰り出される散弾銃とも言うべき圧倒的言葉数と、それに比例して加速度的に疾走するサウンドメイクである。


彼らの名を欲しいままにした“I Bet You Look Good On The Dancefloor”や“When The Sun Goes Down”といった楽曲群に顕著だが、アークティック初期に作られた楽曲(1st、2ndアルバムあたり)はとにかく速い。けれども活動を続けるうち、彼らのある種生き急ぐような性急な音楽性はアルバムをリリースするたびに薄れていき、3rdアルバムではダークな曲調、4thアルバムでは音数を減らし、5thアルバムはヒップホップに着手。そして最新アルバム『Tranquility Base Hotel & Caino』ではムーディーな歌謡曲的サウンドに変貌を遂げた。

 


Arctic Monkeys - I Bet You Look Good On The Dancefloor (Official Video)


Arctic Monkeys – I Bet You Look Good On The Dancefloor live at Maida Vale


ちなみに未だ旧作のファンに賛否が分かれるこれらの行動は、意図して「BPMを遅くしよう」「言葉数を減らそう」とした訳ではなく、純粋に「前と同じような曲を作りたくない」とのバンド内の意志が色濃く反映された結果であると後のインタビューで語っている。そしてその発言を体現するかのように最近のライブでは前述した代表曲“I Bet You Look Good On The Dancefloor”もBPMを大幅に落とした形で演奏されており(上記動画参照。上は活動初期で下は最近の演奏)、ドラム担当のマット・ヘルダースは「昔の楽曲を演奏すると嘘っぽく感じてしまう」とまで一蹴するなど、今のアークティックは昔の面影が皆無であるどころか、本人たち自らかつてのアークティック像を遠ざけようとしている感すらある。


ここまで書き連ねてきたが、海外音楽シーンにおいてこの変化は実に好意的に捉えられている。実際1stと比べて180度変化したニューアルバムの評価も高く、今やフェスに出ればトリ確定、チケットは瞬殺と何度目かのブレイクを果たしているアークティック。個人的にはやはり初期の音像が好みなのだが、読者貴君の好みは果たしてどちらだろうか……。

 


Arctic Monkeys - Brianstorm (Official Video)


Arctic Monkeys - Four Out Of Five (Official Video)

 

 

毛皮のマリーズ

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古き良きロックンロールを鳴らす稀有なロックバンド、毛皮のマリーズ。ロックファンから絶大な人気を獲得していた矢先、突如ラストアルバム『THE END』をもって解散を表明。なおこのアルバムは当初『毛皮のマリーズのハロー!ロンドン』なる別タイトルで発売が決定していたが、店頭に置かれるまで関係各所に厳重な緘口令が敷かれており、発売当日に買い求めたファンによる悲痛な叫びがネットに踊ったとか何とか。


まず角の立つ言い方をしてしまうと、毛皮のマリーズは所謂『志磨遼平バンド』であり、全作曲の作詞作曲は元よりメンバー全体の演奏指導、セットリスト、MCに至るまでバンドを司るほぼ全ての決定権、及び運営方針は彼が担っている。言わずもがな、解散もアルバムタイトル変更も志磨のアイデア(というより独断)なのだが、彼の意見が最も極端な形で発現した一幕が、2011年に発売されたアルバム『ティン・パン・アレイ』である。


このアルバムがバンドシーンを揺るがす大問題作とされた理由はひとつ。メンバーの演奏する楽器の音がほぼ入っていないためである。そう。今作に収録された全ての楽曲は管楽器やオーケストラを軸にしたもので、志磨がメンバーに黙ってひとりで作詞作曲とレコーディングを進め、世に送り出したのだ。


無論、レコーディングの時点で数十人の楽器隊を率いていたこのアルバムの楽曲群をライブで再現など出来るはずもなく、結果『アルバムのリリースツアーにも関わらずアルバム曲を一切披露しない』という前代未聞の試みが成された。なお志磨はこのアルバムのリード曲“愛のテーマ”を指し「もう二度と出来ない人生で一番良い曲が出来た。でも僕が作った一番素晴らしい曲がロックじゃなかったというのは、とても驚いている」と語っている。


前述の通り、この数年後に毛皮のマリーズは解散。そして首謀者・志磨は解散から僅か数十分後に新バンド『ドレスコーズ』を結成し、アニメ主題歌を手掛けるなど多大な活躍を博したが、ある日を境に志磨を除く全メンバーが脱退。現在は志磨ひとりのソロバンドとして、全国各地を回っている。


毛皮のマリーズとドレスコーズを解散に導いた独善的フロントマン・志磨遼平。彼はドレスコーズ解散後のインタビューにて「これで前科2犯ですよ、僕」と自虐的に語っていたが、今や全く新しい音楽を探求する志磨を見ているとやはりこの解散は必然であったとも、運命的だったのだとも思うのだ。

 


毛皮のマリーズ「ビューティフル」


愛のテーマ/毛皮のマリーズ

 

 

BOOM BOOM SATELLITES

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今でこそONE OK ROCKやMAN WITH A MISSIONなど、日本と同等かそれ以上に海外で評価されるバンドも多い中、海外進出の火付け役とも謳われるバンドが、ブンブンサテライツである。


彼らの知名度を飛躍的に引き上げた契機となったのは、CMソングにも抜擢されお茶の間に鳴り響いた“KICK IT OUT”。歌詞と曲展開を出来る限りシンプルに研ぎ澄ませ、キャッチーかつ爆発的な魅力を備えた独自のサウンドはロックシーンのみならず一般大衆の耳にも深く刻み込まれ、結果としてブンサテの存在を広く知らしめることとなった。


けれども“KICK IT OUT”直後、バンドには暗雲が立ち込めるようになる。それはボーカル・川島道行の体を蝕む脳腫瘍の進行である。川島の脳腫瘍の存在は活動当初から公表されており、ファンにとっては周知の事実ではあった。しかし川島の体調は年を追うごとに悪化の一途を辿り、“KICK IT OUT”のブレイクから8年後の2014年には、医師から余命2年の宣告を受けるに至った。そして宣告から2年後の2016年に、川島が逝去(享年47歳)。バンドは27年間の活動に幕を降ろした。

 

……川島が亡くなる前に作られたアルバムが、今回取り上げる楽曲“A HUNDRED SUNS”を有した『SHINE LIKE A BILLION SUNS』である。このアルバム制作時点で川島の脳腫瘍は深く進行しており、今作に残された川島の歌声は言わば、最期の存在証明であったようにも感じてしまう。必然的にサウンドはアルバム通してスローテンポであり、かつての“KICK IT OUT”と比較すると少ない音数でじっくり聴かせる形の音楽性に変化していることが分かる。


なお下記の“A HUNDRED SUNS”では、闘病中の身ながらビルの屋上で高らかな歌声を響かせる川島の姿が映し出されている。このアルバムは事実上の川島の遺作となり、同時にブンサテ最後の作品となった。未だにファンのみならず、ロックシーン全体で不朽の名作と謳われる名盤。

 


BOOM BOOM SATELLITES 『KICK IT OUT-Full ver.-』


BOOM BOOM SATELLITES 『A HUNDRED SUNS』

 

 

OGRE YOU ASSHOLE

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かつて若手注目株としてロックシーンに現れたOGRE YOU ASSHOLE(オウガユーアスホール)。かつて彼らは四つ打ちのロックを鳴らす至って教科書的なバンドであったが、2011年発売のアルバム『homely』から、あまりに極端な変貌を遂げた。


『homely』では徹頭徹尾、所謂ロック然とした楽器の音色は主張を潜め、女性の話し声や鐘の音、更には風や海といった環境音を大胆に取り入れる前衛的な試みを行うことにより、総じて「ロックバンドかくあるべし」との固定観念を根本から問い質す問題作と化した。


何故突如として前述したサウンドメイクに至ったのかと言えば、それは彼ら自身の音作りの環境自体が大きく変化したことに起因している。ある時期、既存の音楽に辟易した彼らは森の奥深くにバンドスタジオを建設。鹿や鳥が頻繁に遊びに来る自然的な環境下で音楽と向き合うことで至った結論こそが、かつてのオウガ像とは180度異なるどころか、日本国内においても例のないオリジナリティー溢れるサウンドであったという。


なお現在のオウガの楽曲は完全にこの『homely』をアップデートした形となっており、事実その後に発売された『100年後』、『ペーパークラフト』、『ハンドルを放す前に』、『新しい人』のアルバム群では歪んだギターや分かりやすいサビは一切含まれておらず、今やかつてのオウガに見られたロック的な姿どころか、まともにギターを弾く姿すら視界から消え去る緩やかな音楽性となった。昨今のライブにおいても同様にセットリストから初期の楽曲は基本的に排除されており、CD音源では3分少々であった『homely』収録の楽曲“ロープ”に至っては、今や数十分に及ぶ長尺で披露されるという独自解釈でこれまた変容しているのも面白い。

 


OGRE YOU ASSHOLE / advantage


OGRE YOU ASSHOLE - 夜の船[OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

 

……以上が表題に記した『音楽の方向性が変化したバンド』の全貌である。


先に記したように、目に映るもの全てが新鮮で、ある種無敵のようにも感じ入る学生時代と同様の心持ちで30代の日常を送っている人がいないように、ミュージシャンも活動当初こそがむしゃらに音楽を鳴らすが、次第に歳と共に凡庸な日々に染まりつつ、その中で新たな『自分が今伝えたいこと』を再確認し、音楽に落とし込んでいく。


僕個人の意見で恐縮だが、やはり音楽というのは『自分がその音楽と出会った瞬間』がそのアーティストへの心酔値のピークであると思っていて、その後にどれほど熱量を湛えたアルバムが発売されても、最終的には「昔の方が良かったな……」と感じて初期の楽曲ばかりを聴いてしまうことが多々ある。


けれどもこの変化を正確に評価する観測者は我々リスナーではなく、アーティストサイドであることを忘れてはならない。アークティック・モンキーズのマットが「昔の曲を演奏すると嘘っぽく感じてしまう」と語ったように、やはりミュージシャンにとっては何よりも今現在が最優先事項であり、かつての栄光(昔の曲)はブレイクを果たした今に至るまでの道程を作り出したに過ぎないのだ。


今回の記事は冒頭に記したように、各アーティストの紹介の最後に上に過去の音楽性のMV、下に現在の音楽性のMVを配置し、そのアーティストにおける音楽性の変化を対比させることの出来る形で制作している。読者ひとりひとりのアンテナにビビっと刺さった音楽に出会うことが出来れば、それは何よりの喜びだ。ぜひくまなく聴き比べていただき、長年活動を続けるロックバンドの面白さの根底部分を感じ取ってもらいたい。

4月某日

孤独な部屋で缶ビールを8本空け、すっかり酩酊した午前3時。不本意ながら僕が文章を書くのは、決まってしこたま酔っ払った時である。畜生め。


……ライターとしての夢を追い求めてから、約2年半の月日が経過した。


会社の方針に背いて半ばクビ同然の自己退職との末路を辿ってからというもの、僕は全財産を単身渡米で失ったり自殺未遂を働くといった破滅的な行為の果てに、「某音楽会社のライターになりたい」という思いを抱いた。実際現状に直接繋がる行動を始めたのは2017年の11月頃であったと記憶しているため、やはり大まかに考えても2年半の月日は最低でも経過した計算になる。


今現在の僕はそうした空虚な行動の結果、かつて夢見ていたライターとなった。しかしながら「夢が叶った」とは僕の成功体験のみを切り取った美談に過ぎず、現実は然程上手く行っていないというのが現状である。依頼をこなして幾ばくかの原稿料を貰ったとしてもそれだけでは到底暮らしていけないため、事務的なアルバイトに明け暮れる日々だ。そのアルバイトも週に20時間以内、月に80時間以内しか働けないとの労働基準が定められているため、僕の今の収入はおそらく一般的な正社員の半額以下に落ち着いている。僕は言わば、親の金を食い潰して生活する欠陥品だ。


最近は蔓延の一途を辿るコロナの影響か、はたまた僕が大いなるヘマをしたためか、全く仕事が舞い込まない。そうなると必然精神的にも異常をきたすもので、酒とゲーム、映画やYouTubeで自尊心を保ちつつ無為な日常を送っている。


……この歳になってくると、世間一般的な『普通の幸福』が否が応にも目につくようになる。「彼女が出来ました」「子どもが産まれました」「新車を買いました」……。そうした年相応の当たり前を地で行く『普通』は、心をざわつかせるひとつの要因となる。つい先日も風の噂で、大学時代の友人が人妻になったと知らされた。取り敢えず表面上は「そげかー。良かったがん」と返した僕だが、心の奥底で希死念虜が増幅するのを感じた。人の幸せも祝福出来ず、少しでも心に傷を負えば瞬時に病んでいく……。僕はそうした人間なのだと言うことは重々理解しているつもりではあるもののここまで他者と異なるクズっぷりを発揮すると、やはりこの性格は人間的欠陥ではないかとの思いにも陥り、更なる闇へ突き進んでしまう。


そして最終的に人と関わるたびに病んでいくことを自覚した僕は、他者比較を認識しない方法のひとつとして、人間関係を極力避けるようになった。けれども同時に、ライターとして文章を書いている自分が「自分らしいなあ」と感じる場面に悲しいかな、遭遇することも増えてきたように思う。


話は変わって。前述の通り僕は人とほとんど関わらないけれども、ある時ツイッターにて中学時代の同級生のアカウントを発見した。その同級生は中学時代から男女問わずちやほやされていて、持ち前の明るさと背の小ささを武器にクラスの中心人物と化していた人間だった。結論から言えば、そんな彼はツイッター上で出会い系アカウントに変貌していた。正面からの自撮り写真を添付し、文面は実際文字に起こすことすら憚られるほどで、数年前の品行方正な彼のイメージが瞬時に瓦解するのを肌で感じた。同時に心底関わりたくないとも、「こんな奴にならなくて良かった」とも思った。


しかしながら、ふと思案する。僕が彼のような順風満帆な学生生活を送れていたとすれば、おそらく僕は彼のようになっていたのだろうと。そして、彼とは真逆の鬱屈した学生生活を経たからこそ、今の僕はいるのだと。


僕が今の彼を嫌悪するように、間違いなく今の彼は何らかの心理的不快感でもって、僕を嫌悪するだろう。サッカーと読書。クラブと一人飲み。陽キャと陰キャ……。水と油の関係性は10年経った今も、根本的には変わらないのだ。


そう考えると、今の僕は僕らしいとも思う。あのかつての友人は今の僕のようなある程度の体を成した文章は書けないだろうし、逆に言えば、僕には彼のように社会で上手く渡り歩ける精神性もない。「隣の芝生は青い」とは言い得て妙で、僕が病む最も大きな原因となっている『他者比較』とは無い物ねだりとイコールなのだと強く感じた。そこには嫉妬も優劣もない。結局のところ自分の悩みは自分で解決し、欠点を許容し、折り合いを付けて生きていくしか道はないのである。


社交性を軸とする社会が是とするならば、人と関われない死にたがりの人間もいたって良いじゃないか。ストレスの発散方が、酒と文章しかない人間もいたって良いじゃないか。死にたい夜を越えて見える最終的な景色は未知ではあるが、きっとそれは世間一般的な『普通』を手にした人間には分からない魅力的なものであるとも思うのだ。


「もう少しだけ頑張ってみるか」……。ここまで書き進めた末に、ようやっと何十回目かの結論に至った。多分、僕はこうした思考を繰り返しながら一生を終えていくのだろう。しかしながらこういう人生も悪くないんじゃないかと考える自分もいたりする。


名状し難い気分に陥った僕は取り敢えず、もう1本ビールを空けることにした。こうした日々も、未だ見ぬ何かになるだろうと期待を込めて。

300記事を迎えたことで至った、ブログ運営に大切な真理じみた事象

こんばんは、キタガワです。

 

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先日、ブログの総記事数が300を超えた。人生に絶望し『キタガワのブログ』を開設してから早いもので2年半の月日が経過した訳だが、今思い返しても僕の人生はブログと共にあった。新しいことを成し遂げた日には「この経験は記事に出来るな」、映画やライブを観た後には「早くブログ書かないと」と、思えば日常生活のほぼ全てをブログ基準で考えていたように思う。


けれども今の僕は未だ、ブロガー界の地べたを這いずる底辺ブロガーである。日々の閲覧数は500行けば良い方(前は700だったが最近は大幅に下がった)だし、ブログの月収は約60円だし、ブログを更新してもいいねひとつ付かないし、読者登録数は50にも満たないし、もちろん企業からの案件など一切ない。かつては「これで飯を食べていけたら」との思いで一心不乱に更新を続けてきたが、以前とある記事で記したように僕にとって今のブログは『個人的な趣味のひとつ』に成り下がってしまったというのが正直なところで、過度な期待はせず惰性で続けている形だ。


今までも何度か僕自身の経験と照らし合わせながらブログ運営の現状について筆を取ってきたが、今回はこの2年半、通算300記事を執筆した今の僕が至った『ブログ運営に大切な3つの真理』について記していきたい。どうか僕のように軽い気持ちでブログに手を出し、痛い目を見ないよう、今一度自身の運営の仕方について一考してもらいたい。


そもそもの話として、ブログ運営は『本気』として捉えているるか、『単なる趣味』として捉えているかで大きく変わる。


かつての記事で記したように、ブログを始める人間というのは主に2種類しか存在しない。それは『アフィリエイト等で収入を得ようと画策している人』か『自己顕示欲の極めて高い人』である。そして後者のタイプのブロガーというのは、基本的に大成しない傾向にある。


その理由は簡単。純粋に閲覧数が伸びないからである。事実この3年間、僕のブログや個人ツイッターに様々なブロガーが「僕こんな記事書いてるので読者登録お願いします!」と声をかけてきたりもしたが、総じてそうしたブロガーのブログを訪問した際に感じるのは「つまらんなこれ……」との淡白な思いだった。原稿用紙1枚にも収まらないぺらっぺらな内容を毎日更新している人、起承転結や文章構成を何も考えていない陳腐なブログ、音楽の特徴というタイトルであるにも関わらず「というわけで今回調べてみて分かったことは、やっぱりめちゃくちゃ最高な曲だということでした!」と締め括るもの……。もちろん全てが悪いとは言わないまでも、他者に押し付けるように勧めてくる大半のブログは自慰行為をひたすら見せ付けられているようで、気分が滅入るものばかりだった。


そしてそうしたブログを運営している人間は大抵1ヶ月、長くて半年以内には特に引退宣言もブログ閉鎖の報告もなしにぱったり更新を止める。これは個人的にはブログ開設時に思い描いていた期待値が高い人間ほど早く挫折する傾向にあると思っていて、理想と現実のギャップにうちひしがれた結果、積みゲーの末路を辿るゲームのように「何かつまんなくなっちゃったな」との軽い気持ちで止めてしまう。おそらくそのような挫折者にとっては『文章を書く』という行為そのものが元々向いていなかったのだろう。……事実ブロガーを辞めた後にはYouTuberになったり、特定の音楽アカウントを作成して「ファンの人同士でライングループ作りましょう!」と楽しくやっている人間も観たことが何度かあるため、そうした人たちにとってブログは自己顕示欲を満たす手段のひとつに過ぎなかったのだろうと感じる次第である。


そして対照的に、明確なビジョンを持ってブログ運営を行っている人間は強い。具体的には『読者の知識向上のためにブログをやっている人』や『ブログ運営から何らかの仕事に繋げようとする人』、『本当に好きなことを純粋に書き続ける人』、『ブログ以外の退路が絶たれている人』などが該当する。そうした人間はたとえ閲覧者が増えずともアンチコメントが流れても、何糞根性で奮起出来る。


日本には「継続は力なり」との諺が存在するが実際のところこの表現は言い得て妙で、やはりブログである程度の成功をおさめる人というのは、コンスタントな更新を行うことが出来ている人間なのだ。逆にどれだけ頑張って毎日更新をしようが毎日ネタを見つけようが、辞める人は簡単に辞める。だからこそそれでも辞めない人間の心には、間違いなく尋常ならざる熱い思いが存在すると見て良い。一発逆転のホームランは、積み上げた者にしか打てないのだ。


前述の通り、当ブログはかつての自分自身が社会生活に絶望した結果、何か身一つで出来ることはないかと思案した末に辿り着いたものだ。しかし僕は3年経っても300記事費やしても、目に見える結果は付いてこなかった。……いや、結果が出る出ないという話ではもはやない。現実的には「さっさとブログを辞めて、他の行動で日銭を稼がなければ生きていけない」という次元にまで落ち込んでいるというのが正直なところである。


では何故真剣にやりつつもここまでブログの結果が出なかったのかと思い返してみると、「最初からブログ運営の仕方自体を誤っていたのではないか」との後悔に行き着く。そう。僕は手段を選びすぎていたのである。


これも前述の話に繋がるけれども、僕はブログ開設当初から現在に至るまで「時間をかけて熱心に取り組んだ文章は評価されるべきである」との考えを持っている。例えばオモコロライターのAfuFa氏やブログ本を出版する数々のブロガーに顕著だが、今ブロガーとして大成している人間というのは内容(音楽・お笑い・実生活系など)を問わず、その記事にかけた強い思いは文章を読むだけでひしひしと感じるのだ。分かりやすい部分で言えば文字数や知識量、事前調査がそれに当たる。総じて僕は「読者にこれを伝えたいんだ!」との強い思いが感じられる文章を好む傾向にあるし、更に言えば「そうした力のある文章が正当に評価されないのはおかしいのではないか?」とさえ思っている。


そして逆に『あまりにも陳腐なブログ』が内容に伴っていない高い評価を受けていると、僕は心底腸が煮え繰り返りそうになるのである。それこそ内容の薄いブログを毎日更新したり「読者登録お願いします!」と媚を売って閲覧者の母数を増やすなどが該当する主な行動である。これに関しては自分自身が嫉妬深い性格であることが大いに関係しているとは思うのだが、恥も外聞もなく言うと、怒りで夜も眠れなかったりする。


しかしながら、おそらく将来的なビジョンを見据えて行うブログ運営の方法として正しいやり方というのは、そうした『手段を選ばない』側なのだ。実際、誰とも関わらずただ黙々と書いているだけのブログがバズって大金を得たとのお伽噺はまず存在せず、実際多くの世間一般的に『ブロガー』と呼ばれる人間は自ら他のブロガーにアプローチし、質より量だと記事を量産してGoogle検索上位を狙っている人が多い。


僕はそうした教科書的な行動に徹底して背いた。その結果どうなったか。2年半も運営を続け、日々の閲覧数は僅か500。読者登録数は50未満。記事を更新しようがいいねもリツイートも付かず先の見えない暗闇をもがいているのが現状だ。……この数字だけを見ると何も知らない人からは「今が下積み期間なんだよ」、「そんなネガティブになるなよ」との声も挙がるだろうが、実際問題としてこの異常な数字の奮わなさというのは冗談でも何でもなく、かなり結果が出ていない部類に入る。


事実記事を50個しか更新していない人間の読者数が200人を上回っていたり、開設半年足らずで1日の閲覧数が1万を超えているブロガーも大勢おり、以前拝見した某有名ブロガーの記事には「1年やって毎日の閲覧数が1000に届かない人は辞めた方がいい」とまで書かれていたこともある。「自分を貫く」との言葉は聞く分には美談として映るだろうが、結果が出ていないのでは話にならない。今後も僕はこのやり方を崩したくはないし、なるたけ密度の濃い記事を書いて、本心から「良い」と思っていただいた読者の方だけに評価されたいと思っている。けれども、その思考の末路が今のこのランクであり、それはこの記事を書いている今も、決して避けられない現実として垂直に立っている。


……ここまでつらつらと書き綴ってきたが、僕はブログを辞めるつもりはない。何故なら僕から文章を取ってしまえば、何も残らないのは明白であるからである。僕にとってブログ運営とは言わば、空っぽな自分を正当化するために続けている唯一の免罪符なのだ。


冒頭に「今の個人ブログには過度な期待をしていない」と記した。しかしながら何のポテンシャルもなしに結果の出ないブログ運営を続けられる訳がないため、おそらく心の奥底ではこのブログに一縷の望みをかけているのだろうと思う。現状を打破しうる何かを。もしくはそれに代替しうる、心を動かす何かを。……だからこそ大なり小なり悩みを抱えつつも、最終的にはブログに戻ってきてしまうのだ。


今この記事を読んでいる人は、おそらくは僕と同様ブログを定期的に更新しつつも、成功するか否かの不安と現在進行形で戦っているブロガーが大半であると推察する。感情の赴くままに書き殴ってはきたが、正直な気持ちとしては、別に誰かがブログを辞めようが辞めまいが僕個人としてはどうも思わない。そもそも、その人が考えて出した結論に容易く「もっと続けてれば良かったのに」「あなたの文章好きだったのに」と部外者が口出しするのは総じて不誠実である。


しかし『辞めない』という選択肢を選んだ、もしくは現時点では選んでいない人間は悲しいかな、頑張り続けるしかないのだ。数打ちゃ当たる精神で更新をしても、精度を極限まで高めてマイペースな更新をしても、バズる人間はバズるしバズらない人間はバズらない。……自分で選んだ蕀の道。どうせなら、潰れるくらいまでやりきって引退したいものである。

 


amazarashi 『ナモナキヒト』

SUMMER SONIC特別版『SUPER SONIC』のヘッドライナー発表から見る、今知っておくべき重大ポイント

こんばんは、キタガワです。

 

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夏の恒例行事として親しまれてきたSUMMER SONIC(サマソニ)。昨年時点で既に東京オリンピックの影響により来期のサマソニ中止が正式決定されており、どんよりした空気にもなっていた。けれども突如として発表されたのが、開催日を1ヶ月遅らせることで正当後継者的秋フェス、スーパーソニック(スパソニ)が誕生。そして本日、スパソニの記念すべき第一弾出演アーティストが発表された。


ヘッドライナーはThe 1975、スクリレックス、ポスト・マローンというジャンルも音楽性もバラバラの3組。更には遂にサマソニに降臨した完全無欠のロックンロールスター、リアム・ギャラガーやEDM界の重鎮ファットボーイ・スリム、トロピカルハウスの立役者カイゴに世界的なバズを巻き起こしているTONES & Iなど、多種多様なアーティストが脇を固める最強の布陣となり、同時に東京1日目(大阪2日目)はロックンロールデイ、東京2日目(大阪1日目)はダンスミュージックデイ、そして東京のみ開催となる3日目はポップ&ヒップホップデイとなることがほぼ確定事項となった。正直ここまで素晴らしいラインナップというのは、世界規模で見てもほぼないと見て良いのではなかろうか。


そこで今回は現時点で発表されているアーティストの中で、ヘッドライナー3組を中心に紹介。まだ開催まで5ヶ月以上の月日が残されているが、現時点で公開済みのアーティストを予習するなどして少しずつ気持ちを高めていってほしいと切に願う。

 

 

The 1975

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卓越したライブパフォーマンスははもとより、VJを多用した視覚的演出も高評価を呼んでいるThe 1975。昨年度はB'zの出番前というポジションから遂にここまで駆け上がったこともあり、感動もひとしおである。


The 1975の根幹を担っているのはフロントマンであるマシュー・ヒーリーその人。ライブごとにガラッと変わる出で立ち(最近のライブではスーツ姿、入院患者、上半身裸などで登場)や、何をしでかすか分からない躁鬱入り乱れたパフォーマンスは是非目撃してもらいたいところだ。


そして昨年のサマソニ出演と大きく異なる部分として挙げられるのは、ニューアルバム『Notes On A Conditional Form(仮定形に関する注釈)』リリース直後のタイミングであるということ。セットリストの大半がこのアルバムから繰り出されることはもはや言うまでもないが、現代社会を生きる人々に焦点を当てた問題作“PEOPLE”をはじめ、“Me & You Together Song”や“The Birthday Party”など、クソッタレな世の中に対しての強烈なメッセージ性を秘めたアルバム曲がどのような形で鳴らされるのか、期待が高まる。


昨年はステージ上にて日本酒の一升瓶をがぶ飲みした結果、何度も倒れたり客席に降りてファンの手にキスをしまくるなどある種自己破壊的なライブを繰り広げたマシュー。昨今のツイッターでは「海外のフェスでファンの男性とキスをしたけど何も悪いと思ってない」、「男女の評価が対等なフェスにしか出演しない」といった発言を繰り返している彼であるが、言わずもがな世界規模でウイルスが蔓延し、自国では医療体制や外出禁止令が問題化している今、彼の頭は新たな怒りで一杯のはず。前述の通り、昨年はその怒りが『酒をがぶ飲みしてステージを転げ回る』という極端な形として発現したが、果たして今回はどうなるか。

 


The 1975 - People

 

→The 1975のサマソニ2019ライブレポートはこちら

 

スクリレックス

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同日出演となるカイゴと比較すると一見同様のDJスタイルにも思えるが、こちらはゴリゴリの低音が炸裂する凶悪なEDM。この日夜中のスパソニは、まさに狂喜乱舞との言葉が相応しいダンスフロアに変貌することだろう。


スクリレックスはもちろんカイゴやファットボーイ・スリムもそうだが、彼らのライブスタイルは基本的に自身の楽曲及び他者の楽曲をシームレスに繋いで展開するものである。昨年のザ・チェインスモーカーズが約1時間半で42曲を流し切ったように、彼らも間違いなくほぼ同程度の形で休む暇なく爆音を鳴らすことだろうから、ぜひアルコール片手に踊り狂ってほしい。


そんなスクリレックスの特筆すべき点としては、やはり原曲を歪な独自解釈で変貌させた極悪サウンドだろう。スクリレックスはCD音源の時点でも不協和音一歩手前の常軌を逸した音でお馴染みであるが、ライブになると音響効果も相まって更に暴力的に変化する。所謂『ダブステップ』と呼ばれる音楽性で話題のスクリレックス。なぜ彼が数あるDJの中でもここまで注目を集めているのかと言えば答えは簡単。彼のように徹頭徹尾低音サウンドをぶちかます人間は音楽シーンにほぼいないからである。足はガクガク、耳はガンガン。体はアドレナリン出っぱなしという唯一無二のライブが彼の魅力なのだ。


かつて来日した際はSFチックな飛行船に乗ってプレイするという大規模なライブスタイルだったスクリレックス。けれども昨今の彼はメカメカしい形でステージに立つことは然程なく、どちらかと言えば地に足付けた安定した指裁きで爆音を鳴らすことが多くなってきた。2020年の彼もおそらくは前年度と同様シンプルなセットで赴くと予想されるが、やはり気になるのはSNS上で仄めかされている新曲の存在で、これらがどのようにセットリストに組み込まれるのか楽しみなところ。加えてカニエ・ウェストやDJドレイク、ダフト・パンクやアヴィーチーといった音楽家のサウンドがスクリレックス色に染め上げられて放出される様も期待大。

 


SKRILLEX - Bangarang feat. Sirah [Official Music Video]

 

 

ポスト・マローン

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サマソニのヘッドライナーというのは基本的に、ある程度の実績を積んだベテラン勢が抜擢されることが多い。事実昨年はRed Hot Chili PeppersとB'z、その前はノエル・ギャラガーとBECKであった。けれども今年のヘッドライナーはThe 1975やスクリレックスと全体的に若返った感が強く、中でもポスト・マローンは何と1995年生まれの24歳。無論ここまで若くしてヘッドライナーに起用されたのはサマソニではアークティック・モンキーズ以来となる。


何故彼がここまでの地位を確立しているのかと言えば、それは純粋に彼の音楽が人気を博しているためだ。ビルボードTOP100の10位から1位までの間に4曲がランクインし、最終的には「新人として最もストリーミング再生されたアーティスト」に選ばれるに至った。余談だが、実際に海外に拠点を置いている友人に話を聞いたところ「ほぼ毎日ポスト・マローンの曲が街中で流れている」と語っていた。そんなの人間が来日し、フェスでトリを務める……。これだけで事の重大さは理解してもらえるはずだ。


顔や全身に大量のタトゥーを施している彼は一見、ヤンチャな若者に見られがちだ。事実海外の音楽雑誌・ローリングストーン紙では「ポスト・マローンはアルコールと煙草をやりまくっていて家中に拳銃がある」と書かれたほどで、正直今でも彼を支持するファンと同程度、彼にヘイトの目を向ける人間は存在する。


けれども彼はそうした怒りや憂鬱、絶望を全て歌に宿すことで、自己を保ってきた人間でもある。実際ポスト・マローンの楽曲には《君が去ったとき窓から飛び降りたかった》と希死念慮を綴った曲や、政治や世界、差別問題といったものが数多く存在する。そして今やそうした楽曲群が世界各国に強固なメッセージとして広まり、最終的にYouTube上で公開されている大半の楽曲の再生数が1億回を超えるバズをもたらしている。


散弾銃の如きスピードで放たれる彼の言葉を全て認識するのは難しいだろうが、熱いMC含めて少しでも理解してもらえればと思う。そうでなくともツアーのチケットが1秒で瞬殺してしまう今、「俺ポスト・マローン観たことあるよ」の一言は一生誇れる記憶として吹聴出来る。日本の最前線の音楽がOfficial髭男dismだとすれば、海外の最前線は間違いなくポスト・マローン。この2組が同じ日に観ることが出来るというのも、スパソニならではだ。

 


Post Malone - Congratulations ft. Quavo

 

 

……さて、いかがだっただろうか。


サマソニ中止を受け、突如爆誕したスパソニ。……思えば今や若手最有力株のビリー・アイリッシュとレックス・オレンジ・カウンティらの初来日は、ここサマソニ(スパソニ)だった。そして今回はヘッドライナーのみの紹介ということで省いてはいるが、7月にはソロ映画が公開されるリアム・ギャラガー、世界各国で尋常ではないバズを記録しているTONES & I、『アナと雪の女王2』劇中歌として話題を呼んだAuroraなど、そうそうたる面々が並んでいる。


コロナウイルスの蔓延いかんでは中止の可能性もあるだろうが、前述の通りこのラインナップは世界的に見ても二度とないほどの豪華さ。どうか中止にならないことを願うと共に、今記事がスパソニに参加する予定の方々にとって、少しでも期待を高める契機となれば幸いである。最高のスパソニまであと5ヶ月。コロナウイルスによって地獄のような環境と化した今を、それまで辛抱して耐えようではないか。

 

→サマソニ2018のライブレポートはこちら

→サマソニ2019のライブレポートはこちら

【ライブレポート】坂口有望『聴志動感』@YouTube

こんばんは、キタガワです。

 

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世界各国で猛威を振るう新型コロナウイルス。記事執筆時点で、死者数は全世界で3万人を超えた。なお現在の各国の動きとしてスペインのサンチェス首相はテレビ演説で不要不急の労働禁止を要請する考えを表明。イタリアでは医療崩壊が叫ばれるのみならず、ここ日本においても日々十数人にも及ぶ感染者が確認され、東京オリンピック延期の正式な決定が成されるなど、終息の兆しは未だ見えていない。


そんな中多大な影響を被っているのが、ライブハウスを始めとするエンタメ業界だ。当初自粛は大規模なイベントに限定して呼び掛けられていたが、次第にライブハウスで感染者の確認されたことやコロナウイルスにおけるクラスターになり得る状況として密閉・密集・密接という所謂『3つの密』が報道番組等で取り上げられるようになり、今では日々拡大し続けるコロナウイルスの蔓延とそうした世論の同調圧力に屈するかのように、大小問わず多くのイベントが中止・もしくは延期の措置を講じざるを得なくなった。『自分』から進んで『慎む』ことから自粛と名付けられた自粛という言葉は今や、刃物にも勝る足枷の言葉としてエンタメ業界に暗い陰を落とし続けている。


そうした現状を踏まえ3月某日、このような状況下でも音楽を愛する人々に安全に、そして安心してライブエンターテイメントを届ける方法がないかを考え「今だからこそ、心3(試み)る」のコンセプトのもと敢行されたライブイベント、『聴志動感』が開催された。


『聴志動感』は土日の2日間に渡り新進気鋭のアーティストが画面越しにライブを繰り広げる、言わばインターネット版の音楽フェスの体を成したイベントである。配信中にはSuper Chatによる所謂投げ銭の受付も行われ、集まった収益はイベントの制作費を差し引いてアーティストの支援、ひいては音楽業界へと還元される形を取り、更にはアーカイブも残さず徹底して生のライブをそのまま画面越しに届ける『聴志動感』は、まさにこうした未曾有の状況であればこそ至ったアーティストにとってもリスナーにとっても救いの手と言うべき試みであったのだ。


当然の如くスタジオには観客はおらず、転換の際は出演者の今後のライブ予定に加えて『換気中』とのテロップが交互に挟まれ、スタッフも間隔を空けひとり残らずマスクを着用するという万全の態勢でもって配信が行われた。背後にはリアルタイムのコメントがひっきりなしに流れており、この日この時間にしか起こり得ない興奮が沸々と高まる感覚にも陥る。


16時過ぎ、この日3番手としてカメラの前に姿を現した坂口有望(さかぐちあみ)。去る2月19日にニューアルバム『shiny land』を発売した彼女は、ニューアルバムを携えて全国ツアーを回る予定であった。しかしコロナウイルスの感染拡大を防ぐため、やむなくツアー全公演の延期を決定。そう。本来であれば現時点でツアーファイナルを残すのみとなっていたはずの坂口は、一切人前でライブを行うこと叶わず、この場に立っていたのだ。転換の動画から坂口を映すカメラに切り替わっても、言葉を発さず真剣にチューニングを始めるその姿は自然体にも、内なる思いを圧し殺しているようにも見えた。


そしておもむろにギターを爪弾き「始めまして、坂口有望と言います。……歌います」と語って奏でられた1曲目は、“おはなし”。

 


坂口有望「おはなし」Music Video


《いつもと同じ時間に/流れるニュースは/悲しい出来事ばかりで/少し真面目にみたんだけど/心の奥のどこかで/そっと思っているんだ/あぁ 私じゃなくてよかった/あぁ ここじゃなくてよかった》


言葉の一言一言を噛み締めるように、高らかに歌う坂口。坂口の良く通る抜けのある歌声を伴ったパフォーマンスも当然素晴らしいものであったけれども、何より、あまりに直情的なその歌詞は今のコロナウイルスに辟易する現状を体現するかの如く、絶大な説得力を纏って響き渡っていく。


最後に《いつもと同じ毎日は/あたりまえなんかじゃなかったって/私はそっとつぶやいた/これはそんなおはなし》と絵本におけるストーリーの結末を語るが如く締め括られた“おはなし”。この楽曲が制作されたのは14歳の頃で、この時期の坂口はまだレーベルにも所属せず、地道にストリートライブを行っていた。そのため“おはなし”はコロナウイルスを表しているわけではなく、あくまで別の事柄をモチーフにしていることは言うまでもない。しかしながら、コロナウイルスの蔓延によってさながら絵本の世界にあるような世界的な大恐慌が現実化している今だからこそ、“おはなし”は明らかな別の側面を伴って響いていた。


歓声も拍手もない独特な環境の中チューニングの微調整をしつつ、その後はひとしきりのMCへと以降。


「改めまして、大阪出身19歳、シンガーソングライターの坂口有望です。今日は初めて無観客ライブというものに今取り組んでおりまして。私ずっと……中学二年生の時にライブハウスに立って、凄くライブというものが大好きで。ツアーも延期になってしまって、ずっと待っててくれたお客さんにやっとこうやって、こういう機会を頂いて。(ライブを)観せれる嬉しさっていうのももちろん一番あるんですけど、私自身が凄い、ライブがずっとない日々で。こうやって今オンラインではありますが、たくさんの人の前で歌えてるということが私にとって凄く嬉しいことです」


「今日企画してくらはったスタッフさんに改めて感謝を出来るように、最後まで心を込めて歌っていきますので、画面の前の皆さん、短い間ですが楽しんで帰って……ちゃうわ。楽しんでください!」


今回のライブは先日発売されたセカンドフルアルバム『shiny land』に加え、2018年発売のファーストアルバム『blue signs』収録曲を軸としたセットリストで進行。更に原曲においてはエレキギターが先導するロックナンバーとして鳴らされていた楽曲は良い意味で誤魔化しの効かない新機軸の主張を繰り広げ、楽曲の各所では緩急を付けたりと、全曲通して弾き語りならではのアレンジで再構築。総じてバラードは説得力を増し、アッパーな楽曲は新鮮味を感じさせる作りとなっていた。

 


坂口有望 『LION』MV(Short)


“LION”前には「今こんな異常な事態に、全世界がぶち当たっていて。その中で頑張ってるみんなのことを、何かこうして動画を通して勇気づけられたら、それは本当に、音楽の力かなって思います。乗り越えていきましょう」と語っていたが、前述した通り《わたしじゃない わたしのせいじゃない/誰でもない 誰かのせい 全部全部》とする“紺色の主張”然り《わたしを笑い飛ばした陰を/風が笑い飛ばす日を待とう》と前を向く“LION”然り、このような状況に陥っている『今』に対してのメッセージを体現するような歌詞にも聞こえ、心を震わせる。


ライブは「ぜひまた今度は笑顔で会えるように。……いや、絶対会いましょう」と語って始まったラストナンバー“東京”でもって、40分に渡るライブは幕を閉じたのだった。

 


坂口有望 『東京-Studio Live Ver.-』(Short)


作品をリリースし、ツアーを回る。……一概に全てに当て嵌まる訳ではないにしろ、大半のアーティストはそうした形で音楽活動を行っている。無論坂口自身も例に漏れず、活動当初から繰り返し同様のサイクルを経て、シンガーソングライターとしての道程を歩んできたひとりだ。けれどもコロナウイルスの影響によりニューアルバムに冠されたタイトルとは対極に位置してしまった今、数ヶ月前と寸分の狂いもない活動を行うのはほぼ不可能。それはライブツアー延期の決断を下した坂口自身も、重々承知している筈である。


坂口が身ひとつで挑んだ今回のライブは、これから控える坂口のツアーとは趣を異にするものだ。しかし弾き語りという音楽を奏でる上で最小の形を貫き、今とリンクする楽曲が並んだ今回のセットリストを鑑みても、今回のライブにあたって彼女自身が並々ならぬ決意を抱いて挑んでいたことの何よりの証明であったのではなかろうかとも思う。


ライブ終了後、個人のツイッターにて「40分間、間違いなくわたしがここ最近で1番生き生きとしてる時間だった、ライブがすき、ライブがすきです」と綴った坂口。コロナウイルス終息の目処は未だ立ってはおらず、音楽イベントが元の輝きを取り戻すのが果たして何ヵ月先なのかは分からない。だがこの未曾有の事態が去った暁には、必ずや晴れやかな景色が広がっていることだろうと、『聴志動感』にて画面越しに映った随分と久方ぶりに鳴らされる彼女の音楽と笑顔を観て、改めてそう確信した次第だ。


【坂口有望@聴志動感 セットリスト】
おはなし
紺色の主張
あっけない
夜明けのビート
好-じょし-
radio
LION
東京

ナンバーガール初の地上波生ライブは、どこまでもナンバーガールだった

こんばんは、キタガワです。

 

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「全国のフジテレビジョンネットワークを御覧の皆さん、福岡市博多区からやって参りました。俺たち、ひょうきん族!……違うか。ナンバーガールです。いつまで経っても、やめられないのね……。おかみさーん!Do it!」


これは開幕の冒頭、ナンバーガールのフロントマン・向井秀徳(Vo.G)により語られた言葉の全貌である。ナンバーガール特有の緊張感とは対照的に、どこを切っても意味不明なお馴染みの向井節に何故か泣きそうになりながら、漠然と「この後のライブは一生忘れないだろうな」と思った。そしてそれは寸分の狂いもなく、現実のものとなったのだった。


……日々猛威を振るう、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。世界各国で終息の兆しが見えない中、少しでも多くの感染拡大を防ぐため大半のライブイベントは中止もしくは延期となり、音楽業界は未曾有の窮地に立たされた。そして3月4日、主要コンサート制作会社含むエンタメ関連会社は苦難の続く現状を受け公式声明を発表。そこに書かれていたのは、今現在におけるエンタメ業界のリアルな心境とエンターテインメントを愛する人々への思いと、そして先の見えない今を共に堪え忍び、いつか再び元の環境に戻ることを切望する『春は必ず来る』とのハッシュタグであった。


日増しに音楽への距離が遠くなっていくフラストレーションがじわじわと肥大化する最中、去る3月21日に『緊急生放送!FNS音楽特別番組 春は必ず来る』なる特別番組が放送された。これは『緊急生放送』との副題に顕著だが、コロナウイルスの影響で音楽へ触れる機会が減少傾向にある今だからこそ「少しでも音楽の力で元気を取り戻そう」とのコンセプトのもと企画された番組である。


番組内では『ライブが中止・延期となり直接的に被害を被ったアーティスト』と『春を題材とした楽曲』のふたつを主なメインテーマに据えて進行。事実アーティストのパフォーマンス時には本来予定していたライブの中止・延期を余儀なくされた事実がテロップに映し出され、DA PUMPの“桜”然りWANIMAの“春を待って”然り、セットリストもとりわけ春を題材にした楽曲が並ぶなど、総じて音楽業界の今と未来を一考させるような流れを意図的に組んでいたように思う。


そんな中一際異彩を放っていたのが、解散から17年の時を経て再結成を果たした、我らがナンバーガールである。


19時から22時、計3時間に及んだこの番組。アイドルや流行歌、果ては映画音楽やミュージカルも並ぶ多種多様なラインナップの中において、ナンバーガールの存在はあまりにも浮いていた。もちろん彼ら自身も全国ツアー『逆噴射バンド』の一部公演が延期に追い込まれ、被害を被ったアーティストの一組ではある。だが彼らは今回の出演者の中においては唯一無観客のライブ配信を敢行し、画面越しにではあるにしろライブの熱量をお茶の間に届けたことや、彼らのタイムテーブル上で公開されていた演奏曲が“桜のダンス”ではなくもはや春を完全に追い抜いて《気づいたら俺はなんとなく夏だった》とうそぶく“透明少女”であったこと、そして何より地上波に出るようなバンドイメージが皆無であったことからも、今回の起用は異物感漂うものであったのは間違いなかった。


時刻は20時を過ぎ、CMに入ろうかというその時、突然カメラが切り替わった。そこに映し出されたのはリアルタイムのZepp Tokyoであり、ステージ上では4人の男女が入念な準備を始めている。この日ライブハウスで生演奏を披露するのはナンバーガールのみ。よってこの後CM明けに演奏するアーティストはナンバーガールであると、ほぼ確約された瞬間であった。言うまでもなく、ナンバーガールの地上波における生演奏は初。けれども彼らのパフォーマンスに内なる期待が高まる一方で、インタビューやライブ等で突拍子もない言動を頻発させる向井を幾度となく目に焼き付けてきた身としては鬼が出るか蛇が出るか、緊張の面持ちで待機せざるを得なかったというのが正直な気持ちとしてあったのも事実として存在した。


そしてCM明け、静まり返ったZepp Tokyoにて、向井の口から放たれたのが、冒頭に記した口上である。たとえ地上波であろうとも自然体を貫く、我々が愛してやまないナンバーガールがそこにいた。


そんな向井による荒唐無稽な流れの果てに田渕ひさ子(G)によるお馴染みの金属的なギターリフが響き渡り、向井がそれに合わせるように力強いカッティングでテレキャスターを掻き鳴らす。そしてアヒト・イナザワ(Dr)の「1.2.3.4!」に近い、しかし明確に数字を発語しない独特のカウントと共にドラムが打ち下ろされ、中尾憲太郎(Ba)の低音ベースがサウンド全体を牽引するように鳴らされる。かくして血沸き肉踊る狂乱の宴は、幕を開けたのだった。

 


NUMBER GIRL - 透明少女


普段は決まって押しつ押されつの蒸し風呂状態となるフロアには観客はゼロ。代わりに多数の撮影クルーが待機し、彼らの鬼気迫る演奏に合わせ忙しなく動き回っている。それはかつてYouTube上で配信された無観客ライブの延長線上にそのまま立つような、あまりにも冷たく、どこか寂しさを覚えるライブであった。けれどもそうした欠落的なZepp Tokyoの光景は彼らの他の楽曲の言葉を借りるならば『冷凍都市の暮らし』を体現するかのようでもあり、熱い中にも冷たさが残るこの日の独特の雰囲気に一役買っていたように思う。


結果、彼らのライブはどこまでもナンバーガールだった。


演奏中、右上に表示されたテロップには常に「伝説のバンドが音楽ファンのために緊急出演!!」との文字が映し出されていた。おそらく番組出演自体を打診したのは、番組サイドなのだろう。しかしながら再結成がアナウンスされた際の向井による「2018年初夏のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。稼ぎてえ、とも考えた。またヤツらとナンバーガールをライジングでヤリてえ、と」とのコメントにもあるように、おそらく向井は(他のメンバーの思いは定かではないにしろ)、そうした思い以上に自分自身の「爆音でロックを鳴らしたい」という突発的に抱いた強い思いを第一義として快諾し、出演に至ったのだと推察する。


……彼らの演奏が始まる前には、今のライブハウス、及び大規模イベントが置かれる現状をつまびらかにしたVTRが流れた。ナンバーガールの演奏終了後にはSNSに、この番組でナンバーガールの存在を初めて知った人たちやかねてよりのファンによる称賛の声が踊った。けれども向井が中尾と向き合って演奏する一幕も、向井のシャウトに似た絶唱も……。今回テレビの向こう側で繰り広げられたそれは本来生でしか体感出来ない、言わばライブ特有のパフォーマンスだ。そう。コロナウイルスによりライブ自粛のムードが漂う今現在は要するに、そんなライブでしか体験できない唯一無二の興奮と感動が失われているのと同義でもある。


3月も終わりに差し掛かり、気付けば春の到来も近付いている。ライブが今が四季で言うところの冬であるとするならば、番組内で言われていた春とはきっと、コロナウイルスが終息の兆しを見せ、ライブイベントへの悪しき風潮が一旦の落ち着きを取り戻すことを差しているのだろう。そして彼らが今回演奏した“透明少女”における《気づいたら俺は夏だった風景》はきっと、その更に先……。具体的にはコロナウイルスが蔓延する以前のようにライブイベントが完全に戻り、全ての音楽ファンが笑顔で日々を送る日常に他ならない。


結局彼らは最後まで、自身の胸の内を語ることはなかった。普段のライブではハイボール、もしくはビール缶を高々と掲げながら「乾杯!」と語って颯爽と去る向井は、画面が生放送会場へと切り替わるまで、カメラの方向をじっと見つめていた。彼の抱える胸の内は最後まで分からないままだったけれども、それは回り回って、非日常の空間が日常から消失した欠落感染を拡大するクラスターのひとつとして後ろ指を指されるライブイベント全般への、何よりも強いメッセージであったのではなかろうかと、そう思わずにはいられなかった。

[後編]珍しい楽器を使うアーティスト10選

こんばんは、キタガワです。


さて、今回は前回記した『珍しい楽器を使うアーティスト10選』の後編をお届けする。テスラコイルやオープンリールを紹介した前回も特殊な楽器が多かった印象だが、後編も負けず劣らず。パンチの効いた楽器の宝庫となっているため、気になった方は是非動画をクリックし、その独特な音像に触れてみてほしい。


それではどうぞ。

 

→前編はこちら

 

 

POLYSICS(使用楽器:ボコーダー)

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サンバイザーがトレードマークの電子音バンド、POLYSICS。彼らのサウンドの主軸を担っているのは言わずもがな、シンセサイザーと打ち込みの音像であるが、彼らの魅力を更に引き立てるのが、多くの楽曲で使われる『ボコーダー』の存在だ。


ボコーダーとはボイス(声)とコーダー(IT用語)の略であり、自身の歌声をロボットの如き機械音に変化させることが可能なエフェクターのこと。下記のMVでも描かれているように、POLYSICSのライブでは決まって向かって左側に通常マイク、右側にボコーダーを連結したマイクを配置し、楽曲ごとに地声と機械声をスイッチした楽曲展開を披露する。


昨今の音楽業界ではSEKAI NO OWARIの“Dragon Night”然りPerfume然り、高音の機械声サウンドを武器とするアーティストも多い。しかしながら彼らが用いるそれはボコーダーとは少し趣の異なる『オートチューン』と呼ばれ、あくまでも地声をメインに加工するものである。POLYSICSのボコーダーはそれとは違い、老若男女誰が歌ってもほぼ同じ声になるというのがひとつのポイント。もちろんこれらはPOLYSICSの代名詞の電子音に埋もれないようにした結果であることは言うまでもなく、事実POLYSICSは結成当初から現在に至るまで、同じ系統のボコーダーを使い続けている。なお以下のMV“MEGA OVER DRIVE”にてハヤシ(Vo.Gt)が弾く謎のキーボードはショルキー(ショルダーキーボード)と呼ばれ、こちらもレア楽器である。

 


POLYSICS 『MEGA OVER DRIVE』

 

 

Red Hot Chili Pipers(使用楽器:バグパイプ)

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フジロックフェスティバル2019で一躍脚光を浴びた、スコットランド出身の謎のインストバンド。彼らの名はレッドホットチリパイパーズと言い、かつてフジロックの出演者が発表された際には某有名ロックバンドRed Hot Chili Peppers(ちなみにレッチリはこの年、別の日本フェスへの出演が内定していた)との名前の類似性が大いなる誤解を招き、SNS上では「フジロックもレッチリが!」とのツイートが相次いだ。無論蓋を開けてみれば彼らの正体は『ペッパーズ』ではなく『パイパーズ』であり、逆にこの騒動が彼らの名前を広める貴重な機会となった。


その編成はギター、ベース、ドラムといったスタンダードな楽器に加えてパーカッションやマーチングドラム、果てはトロンボーンとシンセサイザーまで織り混ぜた大所帯っぷりであるが、中でも一際目を引くのが『バグパイプ』なる民族楽器だ。バグパイプとは平たく言ってしまえば、笛版のアコーディオンだ。吹いた息を循環させて音を鳴らすもの。そんなバグパイプの特徴としては雅な音像と消費カロリーの高さであろう。前後編通して言えることだが、なぜ国内外に多くのアーティストがいるにも関わらずレア楽器を演奏しないのか、最も大きな理由として挙げられるのは、その難易度の高さと楽器管理の大変さにあると思うのだ。事実バグパイプの砂漠地帯を思わせる音はオリジナリティー溢れるものであるが、笛の全体に息を与えなければならないため、演奏の難易度は極めて高い。


更にはバグパイプを取り扱う店というのは国内外含めてほぼ存在しない。それこそ彼らが拠点とするスコットランド以外の場所で長期間滞在するとなるとデメリットも出てくる。だからこそ彼らは海外を飛び回り一夜限りのパフォーマンスにしているのだろう。


なお彼らの音楽は基本的には他者のカバーであり、オリジナル楽曲は少な目。具体的にはAvichiの“Wake Me Up”やQueenの“We Will Rock You”、Deep Purpleの“Smoke On The Water”などがライブの定番曲となっているが、バグパイプの存在も相まって言い意味で原曲とは似ても似つかないサウンドに昇華。今では彼らを名指ししてカバーを熱望する声も多いことからも、今後彼らの名前の存在は広く知れ渡ることになりそうだ。

 


Red Hot Chilli Pipers cover Avicii's Wake Me Up for the Radio 1 Breakfast Show

 

 

住所不定無職(使用楽器:ツインネック)

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数年前、ロックシーンに彗星の如く現れたポップの異端児、住所不定無職。一時は無名ながらrockinon主催のカウントダウンジャパンのトリを務めるなど大躍進を果たしたが、ある時期を境に突如音楽シーンから失踪。そして現在は住所不定無職の既存メンバーに2名の男性メンバーを追加した新バンド『Magic, Drums & Love』を結成し、更なる音楽を探求し続けている。なお住所不定無職は現在も活動休止及び解散については明言しておらず、ユリナ(ギターとか)は「脱退とか解散とか結構どうでもよくて、住所不定無職は凄いいい曲たくさんあるからライブやりたいなと思ったし、今はMagic, Drums & Loveてゆー新しくはじめたバンドにすごく夢中だからそっちでライブしてくだろうし」とツイッターで語っている。


そんな彼女らが結成当初より話題になっていたのが、そのヘタウマな演奏スキルと、『ツインネック』なる楽器であった。


ツインネックとは持ち換えずとも異なる楽器を弾くことが出来る、端的に表すならばギターとベースをそっくりそのまま繋ぎ合わせた楽器である(なおギター+ギターならツインギター、ベース+ベースだとツインベースと呼ばれる)。住所不定無職は当時スリーピースであったため、他メンバーがギターとドラムであることから基本的に誰かはベースを弾かなければならない。けれども前述の『ギターとか』なるパート説明に顕著だが住所不定無職にはこれといった演奏楽器は存在せず、メンバー全員が曲ごとにパートチェンジするというあまりに異端なスタイルであることから、必然的にギターとベースを時間差なしに両立する人物を補う必要があった。そこで白羽の矢が立った楽器が、ギターとベースを混在させたツインネックなのだ。


けれどもツインネックは当然の如くギターとベースの計2回のチューニングが必須であり、何より重い。ほとんどのバンドがツインネックを使わない理由はここにあり、大半は「じゃあギターとベースを別々に入れ換えて使えば良い」との結論に至るのだ。だが彼女たち自身が特段演奏に重きを置いておらず、多少のチューニング狂いは気にしないスタイルのため、ツインネックはまさに彼女たちの初期衝動を極限まで突き詰めた形であろうとも思う。なお、後に住所不定無職はメンバーを増員。その追加メンバーの担当パートはギターであるが、頑としてツインネックを廃さないのは彼女たちのオリジナリティーを確立させているようでいて、好感が持てる。今後もライブで是非とも使ってほしいとは思うのだが、正直「じゃあ別にツインネックいらないのでは……」との気持ちにも陥ってしまう。難しいところだ。

 


住所不定無職 / I wanna be your BEATLES 【PV】

 

 

THUNDERCAT(使用楽器:6弦ベース)

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海外ベースシーンの重鎮、サンダーキャット。この日本でもアルバム『DRUNK』がヒットを飛ばしたため、衝撃的なジャケ写に見覚えのある人も多いのでは。


そんな彼のプレイを支えているのは、もはやトレードマークと化した『6弦ベース』である。言うまでもなく、通常ベースは4弦で作られる。その理由はベース自体がバンドの全体像を支える役割を主としているためであり、弦がひとつ増えるということはベースの音の高さが更に高くなるのと同義なのだ。それはすなわち低音を武器とするベースの売りが消え去ってしまうことに他ならず、だからこそ大半のベーシストは初心者ベテラン問わず、4弦を基本とする(多弦ギターが少ないのもほぼ同じ理由)。


しかしサンダーキャットは、ベースをタッピング奏法で弾き倒すどころか、下手すればギターより高い音を鳴らすという完全に一般的なプレイを逸脱した形を取る。彼が世界各国でベースヒーローとして崇められる理由はそこにあり、そんじょそこらのベーシストでは絶対に辿り着けないそのバカテクぶりは、彼特有の最強の演奏と言っても過言ではない。なおこの神業で繰り出されるサウンドがロックではなくジャズやファンクというのも意外性たっぷりで面白い。


彼は現在においても立つステージにはほぼ拘らないらしく、各地のフェスでは最も小さなステージで若手と同じ舞台に立ち、軽やかにライブを行うこともしばしば。その明るいキャラクターも人気の秘密だが、かなりの親日家としても知られており、加えて一度ライブを行えば雰囲気が一変するというサンダーキャット。近々ニューアルバムを携えた来日も控えており、あのプレイをバカテクぶりを目撃出来る日も近いのでは。

 


Thundercat – Black Qualls

 

 

星野源(使用楽器:シンセパッド)

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今や世間に知らぬ者なし。一流アーティストの仲間入りを果たした星野源だが、彼の楽曲にもレアな楽器が使われている。


その楽曲とは朝の連続テレビ小説『半分、青い。』に起用され、紅白歌合戦でも披露した“アイデア”である。壮大な幕開けから耳馴染みの良いサビに至るまでポップを地で行く“アイデア”は一見、軽やかなポップソングにも思える代物だ。けれどもその裏側を紐解いてみると彼は前作“恋”の大ヒットをきっかけにマスメディアに追われる身となったことから精神的に疲弊し、明と暗をしっかり分けた楽曲を作ろうと臨んだのが“アイデア“であると語っていた。


そのため“アイデア”では5分少々の短い時間の中において、大きく艶やかな一面と鬱々とした一面のふたつの展開に分けられる。そして今回取り上げるレア楽器『シンセパッド』が用いられる箇所は所謂鬱々とした一面の部分であり、具体的には1番のサビが終わり2番のAメロに差し掛かった頃合いとなる。


シンセパッドとは主にPC上で事前に入手可能な音の数々をそれぞれのパッドに割り振り、実際に触って音を出す楽器だ。“アイデア”ではパーカッションの音をプログラミングしているためにドラム的ポジションを担っているが、シンセパッドに取り入れることの出来る音の種類は様々であり、中には猫の鳴き声や叫び声、シンセサイザーの音色、果ては自身が録音した短音など、理論上『音』であればほぼ何でもセッティングすることが可能だ。


そんな万能楽器・シンセパッドだが、その面の数のみしか音がセッティング出来ない点と、音圧がなく平坦なサウンドになってしまう点には注意が必要。だからこそライブで使用される際には「ドラムの代わりにずっとシンセパッド使います」という手法はほぼ成立せず、例えばCD音源において波の音が鳴っていたり、話し声が流れているような箇所をライブで再現する上で飛び道具的に使われることが多い。よって基本的にシンセパッドを配置する箇所は、ドラムを担当する人物の横である。


なお“アイデア”にてシンセパッドを担当する人物は指で押して音を鳴らしているが、これは直接押すことが出来れば何でも良いため、見映えを良くするためにドラムスティックで叩くバンドマンが多い。けれどもこのシンセパッド、叩く箇所が少しでもズレると別の音が鳴ってしまうことに加えて全ての音の面を把握することが必須事項となるため、習得するにはかなりの時間を要する。シンセパッドは全国各地の楽器屋にはほぼ必ずある楽器なので、気になった方は実際に体験してみてはいかがだろうか。

 


星野源 – アイデア (Official Video)

 

 

……さて、いかがだっただろうか。以上が『珍しい楽器を使うアーティスト10選』の全貌である。


前編でも触れた話ではあるが、やはり様々な音楽に触れていると「同じような音が多いな」との思いを抱いてしまうことは多々ある。そしてその思いは実際にライブや音楽番組を観ると、瞬時に確信に変わる。何故ならOfficial髭男dismやKing Gnuなど、世間一般的に売れたと目されるほとんどのアーティストの演奏楽器は完全に固定化されているからだ。ギター、ベース、ドラム……。一風変わったアーティストでもキーボードやシンセサイザー、管楽器のパートが加わる程度で、良く言えばお馴染み。悪く言えば面白味がない。


何故レアな楽器を用いないのかと問われれば、そこには演奏する上で大きな障害となり得る確固たるデメリットが存在するためである。事実今回紹介した楽器はいずれもスペースが大きい、セッティングに時間がかかる、物理的に重いなどのデメリットが存在する。だからこそ普段見掛ける機会もないし、存在すら知らない。けれども世界各国に散らばるレア楽器は、その存在のインパクトや独特の音色を一度知ってしまえば、なかなか面白いものなのだ。


常々綴っている事柄で恐縮だが、僕個人としては音楽の入り口は何でも良いと思っている。友人が歌うカラオケでも良し。ネットでバズった音楽でも良し。YouTubeの関連動画に出て偶然クリックしてしまったというのも全然アリだ。ならば『珍しい楽器』をまとめた今回の記事が新たな音楽の発見に繋がる可能性も、アリなのではなかろうか。


総じて今回の記事が、貴方の新たな音楽の発見に貢献できれば幸いである。それでは。