キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

4月某日

孤独な部屋で缶ビールを8本空け、すっかり酩酊した午前3時。不本意ながら僕が文章を書くのは、決まってしこたま酔っ払った時である。畜生め。


……ライターとしての夢を追い求めてから、約2年半の月日が経過した。


会社の方針に背いて半ばクビ同然の自己退職との末路を辿ってからというもの、僕は全財産を単身渡米で失ったり自殺未遂を働くといった破滅的な行為の果てに、「某音楽会社のライターになりたい」という思いを抱いた。実際現状に直接繋がる行動を始めたのは2017年の11月頃であったと記憶しているため、やはり大まかに考えても2年半の月日は最低でも経過した計算になる。


今現在の僕はそうした空虚な行動の結果、かつて夢見ていたライターとなった。しかしながら「夢が叶った」とは僕の成功体験のみを切り取った美談に過ぎず、現実は然程上手く行っていないというのが現状である。依頼をこなして幾ばくかの原稿料を貰ったとしてもそれだけでは到底暮らしていけないため、事務的なアルバイトに明け暮れる日々だ。そのアルバイトも週に20時間以内、月に80時間以内しか働けないとの労働基準が定められているため、僕の今の収入はおそらく一般的な正社員の半額以下に落ち着いている。僕は言わば、親の金を食い潰して生活する欠陥品だ。


最近は蔓延の一途を辿るコロナの影響か、はたまた僕が大いなるヘマをしたためか、全く仕事が舞い込まない。そうなると必然精神的にも異常をきたすもので、酒とゲーム、映画やYouTubeで自尊心を保ちつつ無為な日常を送っている。


……この歳になってくると、世間一般的な『普通の幸福』が否が応にも目につくようになる。「彼女が出来ました」「子どもが産まれました」「新車を買いました」……。そうした年相応の当たり前を地で行く『普通』は、心をざわつかせるひとつの要因となる。つい先日も風の噂で、大学時代の友人が人妻になったと知らされた。取り敢えず表面上は「そげかー。良かったがん」と返した僕だが、心の奥底で希死念虜が増幅するのを感じた。人の幸せも祝福出来ず、少しでも心に傷を負えば瞬時に病んでいく……。僕はそうした人間なのだと言うことは重々理解しているつもりではあるもののここまで他者と異なるクズっぷりを発揮すると、やはりこの性格は人間的欠陥ではないかとの思いにも陥り、更なる闇へ突き進んでしまう。


そして最終的に人と関わるたびに病んでいくことを自覚した僕は、他者比較を認識しない方法のひとつとして、人間関係を極力避けるようになった。けれども同時に、ライターとして文章を書いている自分が「自分らしいなあ」と感じる場面に悲しいかな、遭遇することも増えてきたように思う。


話は変わって。前述の通り僕は人とほとんど関わらないけれども、ある時ツイッターにて中学時代の同級生のアカウントを発見した。その同級生は中学時代から男女問わずちやほやされていて、持ち前の明るさと背の小ささを武器にクラスの中心人物と化していた人間だった。結論から言えば、そんな彼はツイッター上で出会い系アカウントに変貌していた。正面からの自撮り写真を添付し、文面は実際文字に起こすことすら憚られるほどで、数年前の品行方正な彼のイメージが瞬時に瓦解するのを肌で感じた。同時に心底関わりたくないとも、「こんな奴にならなくて良かった」とも思った。


しかしながら、ふと思案する。僕が彼のような順風満帆な学生生活を送れていたとすれば、おそらく僕は彼のようになっていたのだろうと。そして、彼とは真逆の鬱屈した学生生活を経たからこそ、今の僕はいるのだと。


僕が今の彼を嫌悪するように、間違いなく今の彼は何らかの心理的不快感でもって、僕を嫌悪するだろう。サッカーと読書。クラブと一人飲み。陽キャと陰キャ……。水と油の関係性は10年経った今も、根本的には変わらないのだ。


そう考えると、今の僕は僕らしいとも思う。あのかつての友人は今の僕のようなある程度の体を成した文章は書けないだろうし、逆に言えば、僕には彼のように社会で上手く渡り歩ける精神性もない。「隣の芝生は青い」とは言い得て妙で、僕が病む最も大きな原因となっている『他者比較』とは無い物ねだりとイコールなのだと強く感じた。そこには嫉妬も優劣もない。結局のところ自分の悩みは自分で解決し、欠点を許容し、折り合いを付けて生きていくしか道はないのである。


社交性を軸とする社会が是とするならば、人と関われない死にたがりの人間もいたって良いじゃないか。ストレスの発散方が、酒と文章しかない人間もいたって良いじゃないか。死にたい夜を越えて見える最終的な景色は未知ではあるが、きっとそれは世間一般的な『普通』を手にした人間には分からない魅力的なものであるとも思うのだ。


「もう少しだけ頑張ってみるか」……。ここまで書き進めた末に、ようやっと何十回目かの結論に至った。多分、僕はこうした思考を繰り返しながら一生を終えていくのだろう。しかしながらこういう人生も悪くないんじゃないかと考える自分もいたりする。


名状し難い気分に陥った僕は取り敢えず、もう1本ビールを空けることにした。こうした日々も、未だ見ぬ何かになるだろうと期待を込めて。