こんばんは、キタガワです。
先日、ブログの総記事数が300を超えた。人生に絶望し『キタガワのブログ』を開設してから早いもので2年半の月日が経過した訳だが、今思い返しても僕の人生はブログと共にあった。新しいことを成し遂げた日には「この経験は記事に出来るな」、映画やライブを観た後には「早くブログ書かないと」と、思えば日常生活のほぼ全てをブログ基準で考えていたように思う。
けれども今の僕は未だ、ブロガー界の地べたを這いずる底辺ブロガーである。日々の閲覧数は500行けば良い方(前は700だったが最近は大幅に下がった)だし、ブログの月収は約60円だし、ブログを更新してもいいねひとつ付かないし、読者登録数は50にも満たないし、もちろん企業からの案件など一切ない。かつては「これで飯を食べていけたら」との思いで一心不乱に更新を続けてきたが、以前とある記事で記したように僕にとって今のブログは『個人的な趣味のひとつ』に成り下がってしまったというのが正直なところで、過度な期待はせず惰性で続けている形だ。
今までも何度か僕自身の経験と照らし合わせながらブログ運営の現状について筆を取ってきたが、今回はこの2年半、通算300記事を執筆した今の僕が至った『ブログ運営に大切な3つの真理』について記していきたい。どうか僕のように軽い気持ちでブログに手を出し、痛い目を見ないよう、今一度自身の運営の仕方について一考してもらいたい。
そもそもの話として、ブログ運営は『本気』として捉えているるか、『単なる趣味』として捉えているかで大きく変わる。
かつての記事で記したように、ブログを始める人間というのは主に2種類しか存在しない。それは『アフィリエイト等で収入を得ようと画策している人』か『自己顕示欲の極めて高い人』である。そして後者のタイプのブロガーというのは、基本的に大成しない傾向にある。
その理由は簡単。純粋に閲覧数が伸びないからである。事実この3年間、僕のブログや個人ツイッターに様々なブロガーが「僕こんな記事書いてるので読者登録お願いします!」と声をかけてきたりもしたが、総じてそうしたブロガーのブログを訪問した際に感じるのは「つまらんなこれ……」との淡白な思いだった。原稿用紙1枚にも収まらないぺらっぺらな内容を毎日更新している人、起承転結や文章構成を何も考えていない陳腐なブログ、音楽の特徴というタイトルであるにも関わらず「というわけで今回調べてみて分かったことは、やっぱりめちゃくちゃ最高な曲だということでした!」と締め括るもの……。もちろん全てが悪いとは言わないまでも、他者に押し付けるように勧めてくる大半のブログは自慰行為をひたすら見せ付けられているようで、気分が滅入るものばかりだった。
そしてそうしたブログを運営している人間は大抵1ヶ月、長くて半年以内には特に引退宣言もブログ閉鎖の報告もなしにぱったり更新を止める。これは個人的にはブログ開設時に思い描いていた期待値が高い人間ほど早く挫折する傾向にあると思っていて、理想と現実のギャップにうちひしがれた結果、積みゲーの末路を辿るゲームのように「何かつまんなくなっちゃったな」との軽い気持ちで止めてしまう。おそらくそのような挫折者にとっては『文章を書く』という行為そのものが元々向いていなかったのだろう。……事実ブロガーを辞めた後にはYouTuberになったり、特定の音楽アカウントを作成して「ファンの人同士でライングループ作りましょう!」と楽しくやっている人間も観たことが何度かあるため、そうした人たちにとってブログは自己顕示欲を満たす手段のひとつに過ぎなかったのだろうと感じる次第である。
そして対照的に、明確なビジョンを持ってブログ運営を行っている人間は強い。具体的には『読者の知識向上のためにブログをやっている人』や『ブログ運営から何らかの仕事に繋げようとする人』、『本当に好きなことを純粋に書き続ける人』、『ブログ以外の退路が絶たれている人』などが該当する。そうした人間はたとえ閲覧者が増えずともアンチコメントが流れても、何糞根性で奮起出来る。
日本には「継続は力なり」との諺が存在するが実際のところこの表現は言い得て妙で、やはりブログである程度の成功をおさめる人というのは、コンスタントな更新を行うことが出来ている人間なのだ。逆にどれだけ頑張って毎日更新をしようが毎日ネタを見つけようが、辞める人は簡単に辞める。だからこそそれでも辞めない人間の心には、間違いなく尋常ならざる熱い思いが存在すると見て良い。一発逆転のホームランは、積み上げた者にしか打てないのだ。
前述の通り、当ブログはかつての自分自身が社会生活に絶望した結果、何か身一つで出来ることはないかと思案した末に辿り着いたものだ。しかし僕は3年経っても300記事費やしても、目に見える結果は付いてこなかった。……いや、結果が出る出ないという話ではもはやない。現実的には「さっさとブログを辞めて、他の行動で日銭を稼がなければ生きていけない」という次元にまで落ち込んでいるというのが正直なところである。
では何故真剣にやりつつもここまでブログの結果が出なかったのかと思い返してみると、「最初からブログ運営の仕方自体を誤っていたのではないか」との後悔に行き着く。そう。僕は手段を選びすぎていたのである。
これも前述の話に繋がるけれども、僕はブログ開設当初から現在に至るまで「時間をかけて熱心に取り組んだ文章は評価されるべきである」との考えを持っている。例えばオモコロライターのAfuFa氏やブログ本を出版する数々のブロガーに顕著だが、今ブロガーとして大成している人間というのは内容(音楽・お笑い・実生活系など)を問わず、その記事にかけた強い思いは文章を読むだけでひしひしと感じるのだ。分かりやすい部分で言えば文字数や知識量、事前調査がそれに当たる。総じて僕は「読者にこれを伝えたいんだ!」との強い思いが感じられる文章を好む傾向にあるし、更に言えば「そうした力のある文章が正当に評価されないのはおかしいのではないか?」とさえ思っている。
そして逆に『あまりにも陳腐なブログ』が内容に伴っていない高い評価を受けていると、僕は心底腸が煮え繰り返りそうになるのである。それこそ内容の薄いブログを毎日更新したり「読者登録お願いします!」と媚を売って閲覧者の母数を増やすなどが該当する主な行動である。これに関しては自分自身が嫉妬深い性格であることが大いに関係しているとは思うのだが、恥も外聞もなく言うと、怒りで夜も眠れなかったりする。
しかしながら、おそらく将来的なビジョンを見据えて行うブログ運営の方法として正しいやり方というのは、そうした『手段を選ばない』側なのだ。実際、誰とも関わらずただ黙々と書いているだけのブログがバズって大金を得たとのお伽噺はまず存在せず、実際多くの世間一般的に『ブロガー』と呼ばれる人間は自ら他のブロガーにアプローチし、質より量だと記事を量産してGoogle検索上位を狙っている人が多い。
僕はそうした教科書的な行動に徹底して背いた。その結果どうなったか。2年半も運営を続け、日々の閲覧数は僅か500。読者登録数は50未満。記事を更新しようがいいねもリツイートも付かず先の見えない暗闇をもがいているのが現状だ。……この数字だけを見ると何も知らない人からは「今が下積み期間なんだよ」、「そんなネガティブになるなよ」との声も挙がるだろうが、実際問題としてこの異常な数字の奮わなさというのは冗談でも何でもなく、かなり結果が出ていない部類に入る。
事実記事を50個しか更新していない人間の読者数が200人を上回っていたり、開設半年足らずで1日の閲覧数が1万を超えているブロガーも大勢おり、以前拝見した某有名ブロガーの記事には「1年やって毎日の閲覧数が1000に届かない人は辞めた方がいい」とまで書かれていたこともある。「自分を貫く」との言葉は聞く分には美談として映るだろうが、結果が出ていないのでは話にならない。今後も僕はこのやり方を崩したくはないし、なるたけ密度の濃い記事を書いて、本心から「良い」と思っていただいた読者の方だけに評価されたいと思っている。けれども、その思考の末路が今のこのランクであり、それはこの記事を書いている今も、決して避けられない現実として垂直に立っている。
……ここまでつらつらと書き綴ってきたが、僕はブログを辞めるつもりはない。何故なら僕から文章を取ってしまえば、何も残らないのは明白であるからである。僕にとってブログ運営とは言わば、空っぽな自分を正当化するために続けている唯一の免罪符なのだ。
冒頭に「今の個人ブログには過度な期待をしていない」と記した。しかしながら何のポテンシャルもなしに結果の出ないブログ運営を続けられる訳がないため、おそらく心の奥底ではこのブログに一縷の望みをかけているのだろうと思う。現状を打破しうる何かを。もしくはそれに代替しうる、心を動かす何かを。……だからこそ大なり小なり悩みを抱えつつも、最終的にはブログに戻ってきてしまうのだ。
今この記事を読んでいる人は、おそらくは僕と同様ブログを定期的に更新しつつも、成功するか否かの不安と現在進行形で戦っているブロガーが大半であると推察する。感情の赴くままに書き殴ってはきたが、正直な気持ちとしては、別に誰かがブログを辞めようが辞めまいが僕個人としてはどうも思わない。そもそも、その人が考えて出した結論に容易く「もっと続けてれば良かったのに」「あなたの文章好きだったのに」と部外者が口出しするのは総じて不誠実である。
しかし『辞めない』という選択肢を選んだ、もしくは現時点では選んでいない人間は悲しいかな、頑張り続けるしかないのだ。数打ちゃ当たる精神で更新をしても、精度を極限まで高めてマイペースな更新をしても、バズる人間はバズるしバズらない人間はバズらない。……自分で選んだ蕀の道。どうせなら、潰れるくらいまでやりきって引退したいものである。