キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

黒い太陽326号

「おいーキタガワー!」「どこ行っちょーや!」「チームプレイやっちょーけんなこっちは!」「またクリア出来んかったがん!」

久方振りに起動したかと思えばこの仕打ちである。先週買ったばかりのグレーがかったゲーム機は「クソッタレ」とやけにやさぐれた顔でこちらを睨み付けている。そんな虚無的な時間が嫌で、たまらず僕は手元にあるウイスキーの瓶を傾けた。瞬時に胃がかっと熱くなる感覚に陥ったが、今は緩やかな自殺とも言うべきそれが妙に心地良かった。

……コロナ禍以後、僕は只ひたすら月180時間のアルバイトに忙殺される日々を送っていた。あれほど舞い込んできた執筆依頼メールは約1年の間一切届くことはなく、かつて唯一の心の拠り所としていたライブも同じく約1年間参戦出来ず仕舞い。これではいかんと奮起した投稿系の執筆活動も結果は散々で、僕の心にはいつしか諦めにも似た鬱々しい思いが日常的に押し寄せるようになった。漠然と「このままだと死んでしまう」という直感を抱き始めてから早1年。今日も僕は未だ終わりを選ぶこともなく、のうのうと生き長らえていた。思えば「何か心が揺さぶられるようなことをしなければ」とある時期から焦り始めたのは、本能的な危険を告げるアラートだったのではなかろうか。

長らくの熟考の末、僕は数年ぶりにゲーム機を購入した。3月26日に発売予定の『モンスターハンターライズ』。かつて数百時間も昼夜問わずプレイし、友人らとの協力プレイで天井知らずの盛り上がりを記録したこの代物に没入することが、おそらく今考え得る最上の『心が揺さぶられるようなこと』であると考えたためだ。それから時間を経たずして、僕のゲーム機購入をどこからか聞き付けたかつての友人から直ぐ様ラインで連絡が到来し、あれよあれよという間に全員が発売日当日に足並みを揃えてプレイする算段を立てるに至った。ただ僕はメンバーの中で唯一ゲーム機を所持していなかったため、まずは4万円近い高額なゲーム機を購入することから始める必要性があったが、既に精神が限界に達していた僕は躊躇なくそれを引き落とした。たとえ毎月精神科に通院して得体の知れない薬を貰うより、ゲームを無為にプレイする方が圧倒的に安全であろう。

……発売日が約2週間後に迫った某日、その友人からひとつのラインがグループに投下された。彼の話を紐解くに、現在オンラインではモンハンの体験版がリリースされているらしく、来たる興奮を先んじて体感するには絶好の機会であるとのことだった。当時半酩酊状態だった僕はふたつ返事でそれを了承し、月額料金を支払ってオンラインへ繰り出した。元々PSP時代のモンハンのコアユーザーだった僕は、空中を自在に翔んだり、武器の攻撃表示が都度画面上に出現するといった事前情報から「もしかしたらクソゲー化してしまうのでは」と危惧する気持ちも存在していたのだが、結果は杞憂。確かに独特の操作方法に戸惑いはしたものの数十分もすれば馴れ、新たなモンハンの存在感に少しずつ魅力されるようになった。『心が揺さぶられる』とまでは行かないまでもなかなかの及第点であることは間違いなく、初級のモンスターを撃破するまでは極めて楽しくプレイすることが出来ていた。

しかし一転、上級になった瞬間に楽しさは少しずつ消失していく。その要因としてはやはり、難易度が飛躍的に高まったことが挙げられる。具体的には制限時間は約4分の1に短縮され、今ゲームのメインボスとも言える存在を相手にする関係上、我々の立ち回りひとつ取っても慎重に、かつ如何に効率的にダメージを与えられるかを常に思考する必要性が出てきたのだ。そこで友人から発せられたのが冒頭の言葉。僕の心から次第に、楽しさ以上に憂鬱が増していくのが分かった。

そこからの僕は、すっかり味の無くなったガムの如きクエストを淡々とこなした。出来る限り仲間プレイヤーに攻撃を当てないように。回復アイテムは大事に使うように。友人のボケに対して普段は矢継ぎ早に繰り出しているはずの突っ込みもいつしか消え、言葉少なになるたけ波風を立てないように務めた。結果クエストはクリア。必然友人らは万々歳で「明日も仕事あるから」との言葉を最後に、パーティーは即時解散となった。息抜きのために始めたゲーム。ただ実際は僕の休日の貴重な時間と心の安寧を奪う形で終了してしまった。いつの間にか体内からアルコールはすっかり抜けていて、「僕は何のために大枚はたいてゲームを買ったのだろう」という思考が頭をもたげた。

僕はざわつく心を宥めるように濃い目のウイスキーを胃に流し込むと、鬱々と物思いに耽った。彼らとはもう長い付き合いである。学生時代は昼夜問わず毎日集まってゲームに興じ、校内の可愛い女子がどうのこうのと他愛のない会話を繰り広げた親密な間柄だ。しかしながら一切不変であると無意識に思い続けた関係性には長い年月を経て、少しずつリアルが干渉するようにもなった。無論仲の良さは折り紙付きで、3人で集まれば一瞬で学生時代に戻るような楽しさはある。ただ我々はもう良い大人であり、事実僕以外は正社員、そのうちひとりは既婚者だ。わざわざ仕事話を内々で行うことは然程ないけれど、きっと人生で様々な喜怒哀楽を経験したことだろう。中でも正社員業務に必要不可欠な『チームワーク』については、肌感覚で身についているはず。今回の一件は正に、そうした日常的なチームワークの差が如実に表れた一幕であったように思えてならない。

……僕は昔から、人と何かを真剣に考え、実行に移す所謂『チームワーク』がまずもって出来ない。正確には、自分ではやっているつもりでも他者からは拒絶され、迫害され、陰口へ結び付く。結果居場所を無くして精神異常となり、自主退職する鉄板の流れを気付けば僕はたかだか数年間で10数回繰り返してきた。そして行き着いた答えこそたったひとりでひたすら文章を書き続ける行為だったが、やはりライターとして大成するにはコミュニケーション能力が必要不可欠であるという事実も、身に染みて理解していた。実際某執筆関係で遠回しにクビを宣告されたのも自身のコミュニケーション不全が招いた結果だったし、先の見えない執筆活動も気付けばもうじき5年目になる。ほぼ誰にも見向きもされないアルバイトを終え、何になるとも知らない執筆を続ける日々に訪れた、気心知れた友人とのゲームというオアシス。しかしながらそれすらも僕の人間性から破綻し、オアシスと思っていたそれが単なる泥水だと知った時、自分でも予想だにしていなかったショックがあった。「お前は普通じゃないんだ」と、退っ引きならないリアルを突き付けられるようでもあった。

時刻はいつしか3時を回っていた。明日も朝からバイトだが、こんな精神状態を打破するためにも、更なるアルコールが必要だと思った。漠然と「酒を飲めばなんとかなるだろう」と思ったが、そういえば昨日も一昨日も同じ夜を過ごしていたように思う。おそらくはこうした人間がアル中になるのだろう。ぼんやりとゲーム画面を見詰めつつ飲んでいると、次第に画面は靄がかかったようにダークな色調に変化し、スリープモードに入ったが、対して気にも止めなかった。そのとき僕の心に内在していたのはただひとつ。「どうか生きていて良かったと思える日が訪れてほしい」という切なる願いだけだった。

 


10-FEET 太陽4号

【ライブレポート】フレデリック『FREDERHYTHM ARENA 2021 ~ぼくらのASOVIVA~』@日本武道館

こんばんは、キタガワです。

 

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去る2月23日、フレデリック初となるアリーナライブ『FREDERHYTHM ARENA 2021〜ぼくらのASOVIVA〜」が日本武道館にて開催された。ロックバンドにとって聖地との呼び声高い日本武道館だが、この日ばかりは、フレデリック色に染まる極上の遊び場となったのだ。


定刻になると、ステージ中央に置かれた様々な色合いで構成された公園の遊具とおぼしき謎のオブジェに、まずはピンスポが落とされる。未だステージは暗転しており、集まった観客は拍手を試みるでもなく、ただステージ上のそれに目を奪われるばかりだ。誰しもの脳裏に疑問符が浮かぶようなミステリアスな雰囲気がしばらく空間を包む中、袖からステージに出現したのは“Wake Me Up”のMVにも出演していたオリジナルキャラクター・ワケメ。黄色のオーバーコートに腰まで掛かる長髪というあまりに印象的な彼が観客に向かって右手を振って拍手を求めれば、突如大型モニターに映像が流れ始める。その映像はふたりの少年(アソビキッズ)が家庭用知育用品で思い思いに遊んだ果てに武道館に辿り着き、ワケメに誘われるように武道館内部へと侵入するというもの。そして「ワン、ツー、スリー……」とのエフェクターを介した声が響き渡ると赤頭隆児(Gt)、高橋武(Dr)、三原康司(B.Vo)、三原健司(Vo.Gt)の4名が登場。健司が開口一番「はじめます」と宣言すると、幕開けを飾る“Wake Me Up”が力強く鳴らされた。

 


フレデリック「Wake Me Up」Music Video / frederic “Wake Me Up”


先日リリースされたニューEP『ASOVIVA』のリード曲たる“Wake Me Up”。地に足着けたベースとドラムの重低音、飛び道具的に響き渡るギターによるグルーヴ感溢れるダンサブルなサウンドが会場を緩やかに温め、健司はハンドマイクの身軽さを利用しつつ、幾度も前に進み出て中毒性の高い《Wake Me Up》のフレーズを届けていく。メンバーは一様に満面の笑みを湛えており、かねてより目標のひとつに掲げていた武道館でのパフォーマンスを噛み締めている様子だ。背後にはVJによる視覚的な楽しさも取り入れられていて、フレデリックの現在地を見せ付けていたのも素晴らしい。


その楽曲性はもちろんのこと、ライブでは所謂『B面曲』として位置する楽曲を積極的にセットリストに取り入れる、アレンジを加える、MCをほぼほぼ行わない、アコースティック編成たる『FAB!!』としての活動と、今まで様々なアクションを試みてきたフレデリック。無論タイトルに冠されている通り、先日発売されたEP『ASOVIVA』からの楽曲も多く披露されたが、彼らの名を広く知らしめる契機となったキラーチューンの他、アコースティックセット、レア曲など、既存の枠に留まらずフレデリックの10年以上に渡る歴史を総括するが如くのセットリストとなった今回のライブは、結果としていつでも『今』と『未来』をポジティブに見据える彼ららしい、挑戦的な形となった。

 


フレデリック「KITAKU BEATS」Live at 神戸 ワールド記念ホール2018 / frederic“KITAKU BEATS”


早くも前半の印象部として映ったのは、4曲目に投下されたフレデリック屈指のライブアンセム“KITAKU BEATS”。楽器音が渾然一体となった爆発的なリフに熱狂が混じる中、健司は「折角の遊び場やで?みんなどうすんの?遊ぶ?遊ばない?遊ぶ?……遊ぶやんなあ!」とこれでもかと観客を焚き付け、楽曲へ雪崩れ込む。サビ部分で挟まれるハンドクラップも、健司と康司が左右のステージ端へ移動しての歌唱も……。彼らの笑顔は確かに観客へと伝播し、マスク越しでもはっきりと分かる笑顔の海を作り出していく。ラストは彼らのライブでもはやお馴染みとなった「遊びきってから帰れよ!」との一言に観客はみな声は出せないまでも腕を大きく掲げて答えていて、あまりに双方向的な信頼を携えた光景に思わず胸が熱くなる。


以降はフレデリックが日本武道館に立つ未来を想像し構想を長らく練ってきたこと、今回のライブを生涯の思い出のひとつとして残してもらえれば嬉しいということ、各々の楽しみ方で今回のライブを満喫してほしいことなど感動的な思いが健司の口から語られると、以降は興奮を底上げする“トウメイニンゲン”、“リリリピート”といったアッパーチューンの数々と康司がボーカル部分を担うメロウナンバー“もう帰る汽船”をシームレスに届けたかと思えば、“ふしだらフラミンゴ”と“他所のピラニア”から成る生き物をメインテーマとする楽曲を連続でドロップ。それでいて一連のラストは怒りの感情をナチュラルに落とし込んだ“正偽”でもってビシッと締める。それは多種多様な試みで各地を沸かせてきた彼らのライブバンドとしての地力を見せ付けるようでもあった。

 


フレデリック「トウメイニンゲン」Music Video | frederic"Tomei-ningen"


一旦のブレイクタイムとして、健司が感慨深げに感謝の言葉を観客に伝え、メンバーそれぞれが思いを吐露するMCへと突入したのは“正偽”後のこと。しかしながら前もって挙手制にする算段であったにも関わらず、誰も手を上げない武道館ならではの緊張感もあり、健司が直接メンバーを指名する形に。まず矛先が向けられたのは赤頭で、この日の3日前に誕生日を迎えた双子の兄弟にしてバンドのキーマンである健司と康司の誕生日プレゼントについて語る。赤頭はふたりに高価なDOLCE&GABBANAのマスクをプレゼントしたとのことだが、どうやら共に未だ着用はしていないらしく、それならばと会場に集まった観客にDOLCE&GABBANAのマスクを着けている可能性について触れるも、手を挙げる者はゼロ。モニターに観客の多数の真っ白なマスクが映され、失笑を買う。あまりにフレデリックらしいアットホームな雰囲気だ。続いて全楽曲の作詞作曲を務める康司は、日本のロックバンドとしては極めて神聖な場所たる武道館について語り、締め括りとして「みんなと一緒に積み上げてきた」と改めて観客に感謝の思いを届けていく。そして健司が不意打ちとばかりに「康司の曲が連れてきてくれたんですよここに」と語れば「いや泣く泣く!そんなん」と照れ隠しのように笑っていた。康司の反応を観てか次第に大きくなる拍手に堪え切れなくなったのか、次第に康司は泣き笑いのような表情を浮かべながら「(本当に)泣くぞ!」と幸せな忠告。瞳を潤ませながら「ありがとうございます」と伝え、顔を背けながら高橋にバトンを渡した。ラストは健司による「……というわけで、フレデリックは3人でバンドをやっております」との突拍子もないコメントに盛大に突っ込んでの高橋のターン。トークテーマに迷った結果、高橋はふたりにミラーボールをプレゼントしたことについて回顧。高橋曰く、このプレゼントは音楽に命を捧げる彼らに対しての「毎日音楽を聴いて踊ってほしい」という深意を込めたものであったが、当の健司は「説明書が英語とフランス語で、しかもどこに使っていいかわからんネジがあった」「(外国語を)勉強してくださいというメッセージなのかなと思った」と苦言を呈し、挙げ句の果てに康司はプレゼントの開封自体未だ行っていないという衝撃の事実が発覚。そして一頻りの盛り上がりが収まると、メンバーは笑いの渦に包まれるそのステージ上で表情に万感の思いを湛え、改めて感謝を伝えた。


そして健司が「その気持ちを持ったまま、後半戦いきますか」とメンバーを促すと、いつの間にやらステージ前方に多数の楽器が設置された特設ステージへと歩みを進め、フレデリックのアコースティック編成『FAB!!』のリアレンジでもって“ミッドナイトグライダー”と“うわさのケムリの女の子”の2曲をゆったりと聴かせていく。中でも原曲と比べてBPMをグッと落とした形で披露された“ミッドナイトグライダー”はそのサウンドの意外性も相まって強い印象を抱かせるものでもあり、全体像の見えないなだらかな幕開けから徐々に点と点が線になるアコースティックならではの試みで、観る者を圧倒。


以降は健司の笑い声にも似たサビ部分でバイロが盛大に噴き上がった“まちがいさがしの国”、ぐるぐる回るワンフレーズとアッパーサウンドが誰しもの鼓膜を掌握した“TOGENKYO”、表裏一体の感情を抱きながらも絶対的な好意に収束する“スキライズム”と間髪入れずに楽曲をプレイし、天井知らずの興奮へと導いていけば気付けばライブはクライマックスに。「今日、この時間を選んでくれたあなたのオンリーワンに感謝します」と語って鳴らされたのは、彼らの人気を飛躍的に高めた1曲たる“オンリーワンダー”だ。

 


フレデリック「オンリーワンダー」MusicVideo / frederic“ONLYWONDER”


あのリズミカルなギターリフが鳴り響いた瞬間から、会場の興奮は一気に沸点へ到達。MVの振り付けを模倣する者、楽曲における唯一無二な鼓舞性を人差し指を突き上げて体現する者、手拍子を試みる者……。そのアクションは各自様々だが、先程のMCで言うところの『遊び場』で無邪気に楽しむような、衝動的な様子が光る。健司が「俺に任してな」と呟いて雪崩れ込んだラスサビでは、音玉と共に色とりどりの紙吹雪が舞い散り、全身全霊で楽しむ観客の頭上にシャワーの如く降り注いだ。

 

暫くのブレイクを経て、このコロナ禍の1年間を振り返った健司。最後に「俺らは俺らのやり方で、俺らは俺らの遊び方で、これからも世の中面白くしていきたいと思います。たかがミュージックじゃない。されどミュージックです。そんな思いを乗せて、最後1曲やろうと思います。本日は本当にありがとうございました。“されどBGM”!」と叫び、ラストソングに選ばれた楽曲はコロナ禍に産み落とされた“されどBGM”だ。そのミドルテンポな音像とは裏腹に、バックモニターには政府の緊急事態宣言の発令会見、様々な夏フェスの開催断念の報、人の動きが減少した東京の街並みなど昨年以後我々が何度目にしたか分からない、あのネガティブな情報の数々が映し出される。……思えばコロナウイルスが世界的に蔓延した昨年から、所謂『不要不急の行動』には大きな制限が課されると共に、世間からの絶望的なまでの風向きの悪さがあった。それはアーティストをアーティストたらしめるライブ活動も同様で、取り分けコンスタントに全国各地を回り音楽を届けてきたライブバンドには、極めて惨い時代であったと言える。

 


フレデリック「されどBGM」Official Lyric Video from New EP「ASOVIVA」(2020.9.22 Release)


ただフレデリックはそうしたコロナ禍にも万全の感染対策のもと行われた全国ツアー『FREDERHYTHM TOUR 2020 ~たかがMUSIC されどMUSIC~』の他、アコースティックライブ『FABO!! ~Frederic Acoustic Band Online~』やフルバンド編成での『ASOVISION ~FRDC × INT~』といったオンライン形式でのライブを多数開催。ライブに飢えたファンに新たな楽しみを提供し続けてきた。モニターにはいつしか全国ツアーでの各地の様子や自粛期間中におけるメンバーによる前向きなツイートの数々が踊り、サビ部分で健司が発する《たかがBGM されどBGM》との様々な思いを内包したキラーワードは揺蕩う音に乗り、会場に集まった観客の耳にダイレクトに侵入。終盤、モニターに長らく映し出されていたのは会場に集まった観客の姿であったが、その中には感情が揺さぶられるあまり号泣しながらリズムに乗る観客も多数見受けられた。どこまでも強固な絆で繋がれた、フレデリックとリスナー。直接言葉を交わすことは出来なくとも、ファンそれぞれがどうフレデリックと出会い、どう心酔し、どう応援してきたのか……。その強い思いを密接にリンクさせる決定的瞬間であったように思う。


楽曲が終わりアンコールを求める手拍子が辺り一面を完全に支配した頃、突然モニター上に出現したLINEとおぼしきメッセージ画面から「モット遊ブ?」「マダマダ遊ブ?」といった観客を焚き付けるメッセージを連投するワケメの一幕から、フレデリックの第二幕はスタート。まもなくアンコールの開始であることを察した観客たちはひとり、またひとりと座席から立ち上がっての巨大な拍手の波が広がり、ステージは明転。ステージ袖から再度メンバーが入場し、盛大な歓迎を受ける。どんどん大きくなる拍手を見て「みんな手痛くない?大丈夫?」と語る健司も心底嬉しそうだ。


アンコールで披露されたのは計3曲。なおそのうちの2曲はこの日初めて存在を明かされる新曲であり、観客を大いに驚かせた。アンコール1曲目は“サーチライトランナー”と題されたフレデリック色の強いアッパーなナンバー。正式なリリースがないため明言は控えるが、ダンサブルな中にも壮大かつ新鮮さも内在する、今後のフレデリックの重要なナンバーとなる予感がひしひしと感じられる楽曲であったのが印象的。この日のライブから数日後には“サーチライトランナー”が人気漫画"アオアシ"とJリーグのスペシャル・コラボ・ムービーのタイアップ・ソングに抜擢された楽曲であることが明かされたが、そうしたある種明るいイメージを抱かせるタイアップ群も頷ける程の存在感が“サーチライトランナー”には含まれていた。


そして「冒頭でさ、俺さ、この武道館の楽しみ方のひとつとして、俺らの曲をあなたの記憶、思い出と重ねてもらったらもっともっと楽しくなるって言ったじゃないですか。この曲はそういう記憶も全部塗り替える。そんな俺らを新しいところに連れて行ってくれる、そんな曲をやって帰りたいと思います」との口上から「『聴いてください』って言おうと思ったんやけど、『聴いてください』じゃないんよ。『聴いてください』より『楽しんでください』。『楽しんでください』より、『踊ってください』です」と健司が語り、フレデリック屈指の代表曲のひとつたる“オドループ”へと突き進んでいく。「今日一番のクラップください!踊ってない九段下は気に入らないですよねえ!」と冒頭から焚き付け焚き付け、その後はもはや言うまでもない熱狂的空間が出現した。健司の肩に肘をやる形で仲の良さをアピールした後に行われたもはや“オドループ”でお馴染みとなった鬼頭のギターソロも、エビ反りのような形で披露するアグレッシブぶり。それを観て爆笑するメンバーの一幕からラスサビに移行する一連の流れも素晴らしかった。今回のライブで彼らは日本武道館をしきりに『遊び場』と語っていたけれど、この瞬間、間違いなく日本武道館は日本中どことも比較不可能な最高の遊び場となっていた。そしてアンコール後はアソビキッズの荒唐無稽なVTRの果てに再び現れたメンバーが「ただの思い出にされるのは嫌なので……。もう1曲新曲やって帰ります」との発言から更なる新曲“名悪役”をドロップ。彼らの最高の舞台は晴れやかな余韻を残しつつ、幕を閉じたのだった。

 


フレデリック「オドループ」Music Video | Frederic "oddloop"


……コロナ禍のずっと前から、フレデリックはいつも日本国内様々なバンドと比較しても出来うる限りのやり方で様々な試みを可視化させ、ポジティブなニュースを我々に与え続けてきた。今回のライブは結果どこを切っても多幸感に満ち溢れた素晴らしい空間となったが、そう決定付けた要因はやはり彼らの長年の活動あってのこと。フレデリックの活動は決して必然ではなく、文字通り努力の賜物なのだ。かねてより目標に掲げていた武道館公演を完遂したフレデリック。ただ彼らはアンコールのラストのVTRにて、今の思い出のまま再度ゲームを始める『強くてニューゲーム』を自ら選択したけれど、そうした事柄から鑑みるにフレデリックは今回の武道館公演も到達点ではなく、まだ見ぬ高みの景色に向けた過程のひとつと捉えていることは明白。……様々な思いを携えた『遊び』を経て。これからも彼らはどこまでも、歩みを止めることはない。


【フレデリック@日本武道館 セットリスト】
Wake Me Up
シンセンス
逃避行
KITAKU BEATS
トウメイニンゲン
リリリピート
もう帰る汽船
ふしだらフラミンゴ
他所のピラニア
正偽
ミッドナイトグライダー(FAB!!)
うわさのケムリの女の子(FAB!!)
まちがいさがしの国
TOGENKYO
スキライズム
オンリーワンダー
されどBGM

[アンコール]
サーチライトランナー(新曲)
オドループ

[ダブルアンコール]
名悪役(新曲)

 

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素顔を公開したアーティスト5選

こんばんは、キタガワです。


発展を遂げる音楽シーンの中で今取り分け大きなブームを巻き起こしているのが、匿名性を極める所謂『素顔を明かさないアーティスト』であることは、もはや疑う余地がない。ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。、amazarashiらを筆頭に、昨今ではAdoやりりあ。、ひらめといった姿を見せないティーンアーティストにも注目が集まっている。総じて改めて現代の音楽シーンを振り返ると、素顔を明かさないアーティストの距離感は我々リスナーに年々近付いていることが見て取れるはずだ。


かつて当ブログでも『素顔を見せていないアーティスト12選』と題し、メジャーインディー問わず様々な素顔非公開のアーティストについて記述してきたが、今回はその逆……。活動当初は素顔を非公開であったにも関わらず、一転ある時期より突然素顔を公開するに至ったアーティスト5組に焦点を当てて記述していきたい。なお今回に限り各アーティストの紹介文の下にはMVをふたつ掲載していて、上が素顔公開前の楽曲、そして下が素顔公開後の楽曲と前後を比較出来る試みにも着手。その風貌の変遷と共に、楽曲自体の作品性、歌詞の変化などその深みに興味を抱いてもらえれば幸いである。

 

 

CHiCO with HoneyWorks

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音楽クリエイター・HoneyWorksがボーカルにCHiCOを迎えて結成されたポップバンド、チコハニ。処女作のリリースからインターネットシーン発のアーティストとして第一線を走り続けている彼女たちだが、その結成は8年前であり、何気にグループとしての活動歴は長い。ただチコハニのその幾度ももたらされた爆発的なバズとは裏腹に、メディア出演時には直筆のコメントやCHiCOの声のみの露出に徹しており、素顔を明かすことはこれまで一切なかった。彼女の素顔を知る者は実質的には実際にライブに赴いたファンのみで、当然ながら写真撮影といった拡散の可能性が少しでもある行為については全面的に禁止する手法を取っていた関係上、長年CHiCOについては「可愛い」「綺麗」など抽象的なイメージばかりが先行していた。


そんな状況が一変したのは2020年。今やYouTubeの一大トピックのひとつとなった一発録りの生ライブエンタメ『THE FIRST TAKE』で、CHiCOの素顔は突然解禁されたのだ。元々はチコハニが出演すること自体明かされていなかった当企画。必然ライブ映像の収録すら今までほぼなかったチコハニが出演することが決まった時点でも大きな衝撃として広がったが、更に驚くべきはその内容であり、サムネイルに映っていたのはなんと約8年間素顔を隠し続けてきたCHiCOその人で、これがチコハニ史上初となる、ライブ以外での素顔を公開した映像となった。


2020年にリリースされたアルバム『瞬く世界にiを揺らせ』では今まで一対一の恋愛を歌ってきたチコハニにとって、新機軸とも言うべき楽曲が並んでいた(推しへの愛、家族愛、姉妹愛など)ことからも、コロナ以後のチコハニの中で確かな意識改革があったことはほぼ間違いない。今回の素顔解禁もその意識改革の一環として位置しているはずだが、概ねファンの反応は良好。THE FIRST TAKE以後、素顔のCHiCOのアクションはほぼなく沈黙を続けているけれど、今後は素顔のCHiCOによる等身大の言葉と歌でもって、様々なリスナーに急接近する日も近いだろう。

 


CHiCO with HoneyWorks 『世界は恋に落ちている』


CHiCO with HoneyWorks 13thシングル『鬼ノ森』

 

 

 

パスピエ

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今や変幻自在のポップ集団として頭角を表すパスピエも思えば、当初は素顔を公開しないミステリアスなバンドだった。パスピエの主要人物と言えば、作詞+フロントウーマンたる大胡田なつき(Vo)と、そのクラシック畑で育ったバックボーンで作曲の中心部を形作る成田ハネダ(key)の2名。早くして四つ打ちロックシーンの仲間入りを果たした彼らであるが、アーティスト写真は当時全て大胡田画伯のイラストが用いられており、MVもメンバーの首から下のみを映したものや、顔面に加工を施したものばかりで、実際ロックバンドの聖地との呼び声高い日本武道館公演を収めたDVDでも、約2時間に渡りカメラはやや遠くからの撮影に徹し、表情はほぼ映っていない。


そんな彼らは自身3枚目となるフルアルバム『娑婆ラバ』リード曲たる“裏の裏”のMVから徐々に素顔の一端が明らかとなっていき、アニメ『境界のRINNE』のOPとなった“トキノワ”のMVが投下された頃には、いつしかパスピエは素顔を完全に公開するようになった。これには度重なる新譜のリリースによりライブの比重が大きくなったことと、注目度がアニメのOPへの抜擢により飛躍的に高まったためであろうと推察するが、その選択が間違いではなかったと証明するように、後のパスピエは更なる高みへ到達。ライブ本数の増加のみならず、楽曲についてもかつてのロック然としたサウンドから広がりを見せ、雑多な曲調を網羅。言わば『パスピエ』というひとつのジャンルを確立した感さえある。


新型コロナウイルスの影響により、ライブ活動に強制的なブレーキがかけられた音楽シーン。かねてよりライブに重きを置いてきたパスピエも例に漏れず、ライブ活動に多大なダメージが及ぶ事態となったが、彼らはそんな渦中においても精力的に制作を続け、遂には新作アルバム『synonym』をリリース。その振り幅の大きい楽曲群に改めて驚かされる結果となった。コロナ収束後は一段とパワーアップしたパスピエが目の前に現れる……。新たなパスピエの楽曲を聴くたび、そんな確信にも似た予感が心を擽って離さない。

 


パスピエ- S.S  Music Video


パスピエ - ハイパーリアリスト , PASSEPIED - Hyper Realist

 

 

ミオヤマザキ

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言葉のナイフとも称すべき鋭利な歌詞で、主に20代の女性を中心に絶大な人気を誇るロックバンド、ミオヤマザキ。彼女たちの魅力と言えばセックス、浮気、自殺願望、精神的不安定を忌憚なく楽曲に落とし込むその強いワードの数々。実際メジャーデビュー以後もその切れ味は一切鈍ることなくむしろ一層の磨きさえかかっているが、ミオヤマザキはデビュー当初はまだ顔出しをしておらず、そのダークな楽曲の存在も相まって異端なバンドとして語られることも多かった。それどころか実際のスレ(ミオヤマザキのライブの俗称)でも照明が基本的に暗く設定されている関係上、ライブでも場所によってはほぼ姿が見えないという匿名性も、長らくキープし続けてきた。


そんな彼女たちのスタンダードが改められる契機となったのが、2019年に行われた全国47都道府県を回る無料ワンマンツアー。このライブでは公演終了後に即刻出口を4名のメンバーに塞がれ、メンバーと直接会話をしなければ会場から出ることすら叶わないという悪魔的な布教活動でもって、距離感をグッと縮める試みが(半強制的に)行われた。僕自身もこのライブに参加した身だが、無論今までほぼ素顔を見ることが出来なかったミオヤマザキの全体像を目に焼き付けるのに必死だったことを今でも覚えているほどだ。


そして翌年の12月には暗がりながらも素顔を公開した新たなアーティスト写真を投下、ファンを大いに驚かせるに至った。以降新たに投下されたMV“じゃあどうやったら愛してくれんだよ”では完全にメンバーの素顔が露になり、今まで実質的な非公開状態であったライブ映像についても次々ツイッターへの公式投下を始めたミオヤマザキ。かつては架空の存在的に重々しいリアルを歌ってきた彼女たちだが、今後は生身で、より直接的に心中を掻き乱しにかかる。生半可な気持ちで楽曲を聴いて寝首を掻かれないよう、精々気を付けることだ。

 


ミオヤマザキ デビューシングル「民法第709条」リリックビデオ


【じゃあどうやったら愛してくれんだよ】ミオヤマザキ - MV -

 

 

H△G

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インターネットシーン発、青春期の葛藤や胸の痛み、そしてその蒼さを言葉やサウンド、デザインで表現する稀有なクリエイター集団・H△G(ハグ)。かつて当ブログで記した『素顔を見せていないアーティスト12選』でもその匿名性について取り上げたが、H△Gは3月1日になり、ボーカルChihoの素顔を公開。当ブログのみの話で言えば『素顔を見せていないアーティスト』と『素顔を公開したアーティスト』の両記事でH△Gの名が刻まれる、稀有な結果となった。


元々H△Gは、人気アニメソング“君の知らない物語”に多大なるインスパイアを受け制作された“星見る頃を過ぎても”の時点で、表情の一部をカメラに収める試み自体は行っていて、Chihoにピントをあえて合わせない形を取っていたとはいえ完全に素顔が非公開であったとは言い難い。しかしながらH△Gのメディア露出が極端に少ないことや、ライブでも基本的に会場は東京近郊、それでいて本数も少ないために倍率が非常に高い関係上、彼らの素顔が公になることはライブ含めても長らくなかった。


そんな中、卒業シーズンである3月1日、H△Gはこの数日前に公式ツイッター上にて行った宣言通り“卒業の唄”のMVを公開。しかしながらその内容については赤髪の女性が主演を務めるとの断片的な事柄しか明かされておらず、どのような代物となるかは不明であった。ただ翌日に公開されたMVの概要欄にて、この赤髪の女性こそボーカルであるChihoその人であるという衝撃的な事実が判明。“星見る頃を過ぎても”時代とは全く異なるそのビジュアルも相まって、強い印象を与えたことだろう。昨今のH△Gは人気アニメ主題歌に起用された“瞬きもせずに”がブレイクし、緩やかにニューカマーの階段を登りつつある。おそらく素顔を公開したことで、今後のメディア展開も広く深く変化するはず。H△Gの存在を未だ認知していない音楽ファンは、絶対に今を逃す手はない。

 


【公式】H△G(ハグ)「星見る頃を過ぎても」MV


【公式】H△G「 卒業の唄 」Music Video( アルバム「瞬きもせずに+」収録曲 )

 

 

YOASOBI

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今をときめく『小説を音楽にするユニット』ことYOASOBI。彼らは今回紹介するアーティストの中では唯一、素顔を公開しない時期に日本国内を巻き込む大ブレイクを果たし、完全に世間がYOASOBIの存在を認知している状況下で徐々に素顔を公開。最終的にはCD媒体として正式なリリースなし、活動2年目としては異例のタイミングでの紅白歌合戦出場を果たすに至った。


もはや誰もが知る流行歌となった“夜に駆ける”が記憶に新しいYOASOBI。けれどもこの楽曲がバズを記録した際、アーティスト写真はMVのワンシーンを切り取ったもののみが使われていて、必然YOASOBIの中心人物たるAyaseとikuraのイメージとしては多くの憶測が混在。ファンの間で議論が交わされていた。だがYOASOBIは程なくしてメディアに素顔を大々的に公開。加えて雑誌のインタビューや作曲風景の暴露、バラエティー番組出演とかつての彼らのイメージとは打って変わって、広く存在をアピールするようになった。


おそらくそうした試みは今思い返すと、紅白歌合戦ないしは更なる飛躍の布石であったように思うが当時まだ未成年であったikura(幾田りら)と、口ピアス+タトゥーのおよそ作曲イメージとは対極に位置するAyase(コンポーザー)の対照的な風貌は広く話題に。周知の通り紅白歌合戦後YOASOBIの活動は本格化の一途を辿り、2021年には待望のEP『THE BOOK』のリリース、各種タイアップへの起用、果ては著名なアーティストへの楽曲提供+ボーカル参加と、その躍進ぶりは枚挙に暇がない。そんな中でも最近は紅白歌合戦やCDTV、オンラインライブ等で魅せる肉体的なパフォーマンスを見ていると、やはりYOASOBIはバンドとしての強い求心性も備える稀有なアーティストであると改めて思うし、逆に言えば大爆発へと導くシナリオのひとつに『素顔を出す』とのアクションが、初めから組み込まれているように思う程、様々な面でYOASOBIはデビューから今までの道程自体が完全な形で完成され尽くしている印象さえ受ける。

 


YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video


YOASOBI - 群青 / THE FIRST TAKE

 

 

……さて、いかがだっただろうか。素顔を公開したアーティストの世界。


冒頭で記述したずとまよ、ヨルシカらの存在と、そうしたアーティストが今の音楽シーンの第一線をひた走っていることからも分かるように、現代の音楽シーンでは生身の人間としての存在感以上に、楽曲の持つ印象度がものを言う、徹底した音楽至上主義の状態にある。故に紹介したアーティスト5組も、悪い表現をしてしまえば「素顔を公表する必要性が真にあったのか」と問われれば、難しいところもある。ある一定数のファンの中には「ミステリアスな存在でいてほしかった」と望む者も少なからずいるだろう。


ただ、素顔を彼らが公開した背景には、今後の音楽活動を円滑に進めるため以上に、行く行くは我々ファンにとってもプラスになると見越しての判断であるということは、ゆめゆめ忘れてはならない。……虚像から実像へと変化したアーティストたちは今、より肉体的に自らの存在をアピールしている。素顔公開前と公開後を比較して楽しむのもまた一興。是非とも今記事を契機とし、読者貴君には今回紹介した5組のアーティストの更なる深みへと突き進んでいってもらいたいと強く願って、ひとつの締め括りとしたい。それでは。

R-1グランプリ2021から永久追放されたベテラン芸人による『R-1グランプリクラシック ~集え!歴戦の勇士たち~』を観た

こんばんは、キタガワです。

 

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去る3月6日、『R-1グランプリクラシック ~集え!歴戦の勇士たち~』がCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて行われた。既に承知の通り、翌日(記事執筆時点では本日)に開催予定のR-1グランプリ2021は芸歴10年以内に参加資格が大きく変更されたことにより、必然芸歴11年を超える所謂『ベテラン』は出場資格を消失。どう足掻こうともR-1の出場権を完全に足切りされた中での今回の試みは、過去準決勝以上に出場したピン芸人・ないしはコンビにおける過去のR-1ぐらんぷり出場者を対象として厳正なる選定の元、芸歴もネタも、年齢もバラバラな35名が参加。決勝前日の言わば前哨戦として、2時間以上に渡って笑いの空間が形成された。


まず宣言すると、今記事では過去当ブログで行ってきたR-1ぐらんぷりの各解説や、出場者を順々に紐解いていくような構成は一切行わない。今回僕が語りたいことはただひとつ。それは『R-1グランプリの出場資格が狭まったことへの抗議』である。


そもそも昨今のテレビという媒体は視聴者の興味・関心を第一義として考える傾向にある。例えば連日新型コロナウイルスについて報じることも、昼のニュース番組でバズった動画を特集することも、音楽番組で今流行りのアーティストばかりを抜擢することも……。今現在テレビ番組で流れるものの大半は今や世間の目、ないしは企業的利益に大きく左右されていて、言うなればその内容如何に関してはほぼほぼ我々いち国民が握っている。……テレビ番組は視聴率を稼がねば話にならない。ただ何でもかんでも好き放題放映すれば良い時代は完全に過ぎ去った関係上、視聴者を稼ぐ最も簡易な手段はやはり『誰もが知る話題を特集すること』以外にないのだ。


「テレビがつまらなくなった」との話はよく聞くが、それは至極当然のことだろうと思う。何故なら興奮がなくなったから。全てがそうではないにしろ、明らかに今のテレビ番組は様々な箇所に配慮を重ねた弊害で、制約が多くなった。お笑い的な例を挙げればかつては志村けんのバカ殿様が下世話な内容で絶大な視聴率を記録したり、めちゃイケが自由奔放な番組制作で頭角を現した時代もあったが、そうした事柄は今や実質的なタブー。どこから流れるかも分からない風評被害やクレームに戦々恐々としながらある種無難に、そして視聴率のために『視聴率を生む物事』を最重要項目として取り上げるような、窮屈な時代になってしまった。故に現在に生きる若者がどんどんYouTubeに流入していく理由も、頷けるというものだ。


……話は変わって、R-1グランプリである。結果として約16年続いてきたR-1グランプリは、出場資格が芸歴10年以内でなければならないとのルールを科した。前述の時代の変化を鑑みるに霜降り明星や四千頭身、ぽる塾といった所謂『第七世代』との言葉が広く浸透した現在、この際若い芸人のみに絞って開催し、またかねてよりのお笑いファンのみならず幅広い層にアピールしようという狙いがあってのことだろうし、正直そうしたルール変更については仕方がないとは思う。昨今はバラエティー番組然りネタ番組然り「若い芸人ばっかりテレビ出るなあ」とも常々思っていたため、然程驚きはなかった。むしろ時代が変遷する中でR-1グランプリを存続させるためには、やむを得ない措置でもあったのだろう。


ただ、そこにベテランへの配慮が圧倒的に欠けていたことに、僕は疑問を感じていた。……思えばいつの時代も、R-1グランプリを象徴していたのはベテラン芸人だった。現に優勝したハリウッドザコシショウもアキラ100%も。決勝進出者ではとにかく明るい安村もおいでやす小田も、みな芸歴は10年を超えるベテランばかりだ。そうしたR-1を彩ってきた立役者たちを半ば切り捨てるも同然の悪どい措置には心底怒りを覚えたし、おそらく僕と同様に怒髪天を突く思いをした人は、取り分けお笑いファンに多かったのではないか。加えて突然のルール改正に無念を滲ませつつ、ポジティブな発言をほぼ強制される芸歴11年以上の芸人によるツイートの数々も、いたたまれない思いで一杯だった。


そんな折に行われたのが、前述の 『R-1グランプリクラシック ~集え!歴戦の勇士たち~』である。MCはR-1グランプリ初代優勝者でもある浅越ゴエ(ザ・プラン9)が務め、大いに集まった観客を盛り上げた。そして「明日が本戦ですよR-1は。でも何か結局終わったら、今年のR-1ってクラシックの方やったなって思わせたくないですか皆さん!」との一言でもって会場には盛大な拍手が巻き起こった。背後に設置されたR-1グランプリクラシックの看板を指して「これ2021とも書いてないし第1回とも書いてないんですよ」と自虐的に浅越が語る場面もあったが、間接的に運営的には上手く行かなかったら来年からはクラシックは廃止する予定で動いていることも、やんわりと理解出来た。良い意味で捉えるなら『R-1に出場出来ない芸歴11年以上の芸人に救済措置を与えた』とも取れるが、僕は完全に悪い方……。もとい『もしも視聴率が良くなかったら来年からは廃止にする』との上層部の冷たい感情を強く感じた一幕でもあった。


そして総勢35名にも及ぶ芸人のネタがスタートする。個人的にはここ数年で考えても一番笑った時間だったし、芸人たちのネタはキャリア全体を考えてもベストなものを選出して披露している印象も受けた。それこそもしも今回のR-1グランプリに芸歴の縛りがなく、彼らが今回のネタを思う存分プレイ出来ていれば、決勝進出も夢ではなかったような、完成度の高いネタがどんどん続いた。僕は腹が引きつる程に爆笑しながら、彼らがどう足掻いても決勝には出演出来ない事実を再度思い知り、またも怒りを覚えた。ここには一昨年度のR-1グランプリのように岡野陽一やだーりんずの松本りんすのネタで何故か悲鳴を上げるような馬鹿げた観客はいないし、分かりやすいネタのみに反応して諸手を挙げて喜ぶネット民もいない。ただ目の前で繰り広げられる様々な笑いを純粋に楽しんでいる。その光景がとても美しく、またテレビ的には遠い昔に存在した出来事のようにも思えた。


『R-1グランプリクラシック ~集え!歴戦の勇士たち~』の栄えあるMVピン(最も最多得票数を獲得した芸人に送られる賞)を受賞したのは、何の因果かR-1グランプリ決勝に6年間にも渡って辿り着いた苦労人・ヒューマン中村。彼は結果発表前のインタビューにて「どーんと売れなかったから今があるんですよ」と語り、優勝後は賞金である50万円が入った金一封を一時も離そうとはしなかった。……確かに彼は現在37歳で、爆発的に売れてはいない。ただその過程で様々な芸風を模索し、芸を磨き、こうしてある種強制的に永久追放されたR-1グランプリの特別版で結果を残した。ヒューマン中村に限らずこの日披露された様々なベテラン芸人による円熟味のあるネタの数々は、地上波で言うところの視聴率とはまた違う、素晴らしき代物でもあった。彼らを差し置いて若い芽を成長させるのがR-1上層部が選んだ未来であるとするならば、彼らは単なるコンクリートに生える雑草なのか?否、決してそうではないはずだ。


日付は変わり、本日19時からは待ちに待ったR-1グランプリ2021が開催される。繰り返し綴っているように芸歴は10年以内で、必然ゆりやんレトリィバァ以外の9組が決勝初進出という、フレッシュな顔ぶれとなった。本当に楽しみにしている。個人的には高田ぽる子、吉住、土屋、ゆりやん、ZAZYあたりに期待しているところではあるが、そうした事前予測すらも楽しい。どう転んでも最高の大会になるのは間違いないと言えよう。ただ、今大会でピン芸人の全てを知っているように吹聴する人々には、是非とも知ってもらいたいのだ。その陰で努力を重ね、そして目標に見限られた芸歴11年以上のベテランの存在がいることを。

 


[HUMAN] ダウンタウンになれなかった男 | ひとモノガタリ | NHK

ファンファン脱退から見る『あのときのくるり』と『それからのくるり』

こんばんは、キタガワです。

 

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思えば2021年の2月に入って以降、こと音楽シーンにおいてはネガティブなアナウンスが目立った。印象深い出来事のみをピックアップするだけでも、新型コロナウイルスによるライブの中止・延期の数々、中にはサマソニを牽引する洋楽プロモーターからの「このままでは潰れてしまう」との衝撃的な発言、ダフト・パンクと赤い公園の解散が公式発表されたのもごく最近の出来事だった。ただこれらのアナウンスは完全に予期不可能の事象であったかと問われれば決してそうではなく、例えばダフト・パンクと赤い公園の解散にしろ、絶対にそれだけは避けてほしいと強く思う一方「おそらく解散するだろうな」とのネガティブな思いも心中に存在していたのは事実。故に「今後は何が起きても絶対驚かないぞ」という心構えは出来ていたように自分では思っていたが、今回ファンファン脱退の公式発表を自分の眼球が捉えた瞬間、僕の脳裏を様々な思い出が駆け巡った。依頼されたくるりの寄稿記事を死ぬ思いで書いたこと。2018年のレディクレの初日に[Alexandros]とくるりで散々迷った挙げ句、くるりを選んだこと。カラオケで“Remember me”を歌って90点を出したこと。最近では夜中に酒をあおりながら新曲“益荒男さん”を聴いて爆笑したこともあった。そして気付く。素晴らしきくるりの記憶のその全てに彼女……ファンファンがいたのだと。

 


くるり - Remember me


くるりは『ロックバンド』だ。ただくるりは岸田繁(Vo.Gt)と佐藤征史(Ba)の2名のイメージが強く、くるりを追っているかねてよりのファン以外の人々からすると、元々2名編成の『ユニット』であるとのイメージも強い。ただ事実は少しばかり異なり、実際は森信行、大村達身、クリストファー・マグワイアなど様々なメンバー増減を繰り返した後、2名で活動する時期が長かったというだけで、くるりの中では「メンバーを増やしてはどうか」との思いは常に存在していた。そうした彼らの思いが直接的に結び付いたのが2011年。そう。吉田省念、田中佑司、ファンファンから成る一挙3名増員である。実際当時の音楽雑誌やメディアではこぞって新生くるりの特集記事が組まれ、その驚きに満ちたメンバー加入の経緯であったり、今後のくるりの展望であったり、未来的なトークが多く繰り広げられたことを今でも鮮明に覚えている。ただそうしたメンバー大加入の裏ではファンから少しばかりのネガティブな声が上がったのも事実としてあって、中でも『岸田と佐藤時代』に産み出された楽曲に心酔し、足しげくライブに通った人々からは増員の必要性について疑問を唱える者もいた(都度サポートメンバーを加えて完璧なライブを行っていたことも要因のひとつであろう)。


そして取り分け槍玉に挙げられたのが、唯一トランペットパートを担うファンファンの存在だった。新たに加入した3名のパートはそれぞれ吉田はギター、田中はドラム、ファンファンはトランペット。ただ今までにリリースしたどの楽曲でも基本的にトランペットは鳴っておらず、あくまでギター+ベース+ドラムに打ち込みを重ねたものがほとんど。故にファンファンが加入したことで必然、ライブで披露される際には今までリリースした全ての楽曲にファンファンのトランペットが挟み込まれる新アレンジタイプに変化することとなり、これも称賛の声が上がる一方、所謂『くるりらしさ』が失われることを危惧したファンからは疑問の声が上がった。実際僕自身も当初はトランペットの追加に否定的な考えを持っていた人間のひとりで、正直な気持ちとして「今のくるりで完成されているのに何でメンバーを入れるの?しかもトランペット?」と思っていた時期もあった。

 


くるり - everybody feels the same


念願叶って、ようやく『バンド』となったくるり。しかしその幸福も長くは続かず、程なくして田中が脱退。吉田も次いで脱退し、くるりはいつしか岸田、佐藤、ファンファンの3名のみとなっていた。2名の脱退について岸田は某紙でまたもや訪れたメンバー増減を悔やみつつ、今後はファンファンを含めた3名で活動を行うことを宣言。そのインタビュー通り、以降のくるりは長年……期間で言えば約8年の間、3名で度重なる音源制作とライブ活動に着手。次第にくるりは3名編成のバンドとして認知され、今では完全にファンファン含めてのくるりが確立した。前述の通りファンファンは本日をもってくるりを脱退するが、長文で綴られた赤裸々なファンファンからの報告を見るに、彼女自身が考えに考えを重ねて決断したことであり、母親として全力で家庭を守るという決意は、脱退に際しての至極全うな理由であるとも思う。おそらく今後様々なメディアが岸田、ないしは佐藤にファンファン脱退の経緯等を質問するだろうが、それはファンファンのみぞ知ることであるため、野暮だろう。彼女が加入してから多くの作品に触れ、ライブも鑑賞した身としては「ファンファンが脱退する」という未来が来るとは思ってもみなかったけれど、ここまでポジティブに応援したくなる脱退が来るとも思っていなかった、というのが本音である。


来たる4月28日にはくるりのニューアルバムにして、結果としてファンファン最後の作品となる『天才の愛』がリリースされる。ファンファンからの報告の最後に記されていたのも「新しいアルバムが最高です。ぜひともお聴きください」との強い願いだった。……であるとすれば、我々ファンが取る行動はひとつである。ファンファンへの最大限の感謝を込めて隅から隅までアルバムを聴き込み、彼女の最高の門出とすることをここに誓おう。

 


くるり - 益荒男さん

赤い公園解散と、津野米咲と佐藤千明

こんばんは、キタガワです。

 

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赤い公園、解散……。ツイッターを無為にスクロールし、目に留まったひとつの記事。衝撃のあまり瞳孔を開いてそれを凝視し、直ぐ様公式サイトに飛ぶも、ページはアクセス過多により重くなかなか開かない。数分後、幾度も再読み込みを繰り返しようやっと観ることが出来たアナウンスの全貌と、メンバーの一言一句にゆっくりと目を通す。それから約30分間、ツイッターで『赤い公園』とエゴサーチし様々なファンの声を目に焼き付けた今、改めて思う。彼女たちは本当に愛されていたのだと。


全ての始まりは約9年前。弱冠20歳という若さでメジャーデビューを果たした赤い公園は、独自のポップ路線を打ち出した『透明なのか黒なのか』とダークな楽曲を中心に構築した『ランドリーで漂白を』の2枚でもって、音楽シーンに殴り込みを掛けた。以降赤い公園は確かにベクトルとしてはロックでありながら、あらゆる要素ををごった煮した独特な曲調や難解な曲展開で、およそガールズバンドでは数少ない『ジャンルレスバンド』として根強い人気を獲得するに至った。

 


そんな赤い公園の中心人物こそ、当時ボーカルを務めていた佐藤千明(Vo)、そしてソングライティング全般とギターを担う津野米咲(Gt)のふたりだった。前述の通りシューゲイザー、ポップス、フュージョン等様々な音楽性が犇めき合う赤い公園の楽曲を鑑みるに、元々ジャンルに拘らず雑多な音楽を好んでいた津野が総指揮を執っていたことは間違いないが、その音楽にパワフルな歌声で命を吹き込んだのは佐藤の力によるところも大きい。2013年以降には当時のSMAPの代表曲のひとつ“Joy!!”を作詞作曲したことで津野は名を上げ、佐藤についても浮遊的な楽曲に力強い歌声が乗るという良い意味での異物感が話題を呼び、赤い公園の動員は右肩上がり。その後リリースされた3枚のフルアルバムは各方面から絶賛され、赤い公園の未来は希望的な報告へ向かうと、誰もがそう思っていた。


だが順調にバンド街道を突き進む最中、赤い公園には複数の暗雲が立ち込める。それはどちらも誰もが予想だにしていなかったことで、そのうちのひとつは佐藤の脱退である。佐藤は脱退理由について「7年の活動の中で自分の手に負えない程のズレが生じていることに気付いた。そのズレが迷いとして音楽にまで介入してきたとき、赤い公園のボーカルという使命に限界を感じた」としており、その発言通り程なくして佐藤はソロアーティストとして転向。しかしながら言うまでもなく、ボーカルの脱退はバンドの根幹を揺るがす非常事態。必然赤い公園は長らく実質的な活動休止状態に陥り、暫く表舞台から遠ざかるも、数ヵ月後には元アイドルユニット・アイドルネッサンスのメンバーであった石野理子(Vo)を迎え再始動。オリジナルメンバーより8歳近く若く、ピンボーカルとしての活動もほぼない彼女の起用は多方面に衝撃を与えたが、そうした戸惑いの声は度重なるライブと音源制作の面でカバー。あれから数年が経過し、今では石野のボーカルははっきりとした実力を携えて響き渡る形に変化。赤い公園の第二章の成功を決定的なものとした。


そして忘れることのない2020年10月18日。そのニュースは瞬時に日本列島を駆け巡り、全てのバンドマン、ひいてはロックファンに衝撃を与えた。そう。津野の急逝である。思い返せば津野は確かに体調不良で活動を休止していた時期もあったし、思うようにライブが出来ず自宅で孤独に過ごすことを余儀なくされていたコロナ禍も、もしかすると彼女の精神状態の悪化に拍車を掛けたのかもしれない。ただ我々が津野の
死をどこかフィクションの世界で起こった出来事のように受け入れられなかったのは、彼女には笑顔のイメージしかなかった、というのも大きいのではなかろうか。少なくとも僕が何度かライブに赴いた際には彼女がネガティブな表情を湛えていたことはなかったし、それはメディアでも同様だった。当然の如く、現在YouTube等で観ることの可能な赤い公園のMVの全てに津野が映っているが、やはり暗い表情はない。だからこそ今でも僕は彼女の死を受け入れられていないし、おそらくファンの大半もそうだろうと思う。


ただ、状況は極めて深刻だった。未だニューボーカルの石野を入れた赤い公園のライブを目撃していないファンも多い中、全楽曲の作詞作曲を務める津野が亡くなったことで、バンドは大きくコントロールを失った。結果として昨年、津野急逝後の赤い公園のスケジュールは長らく懇意にしていたrockin.on主催の大型フェス・COUNTDOWN JAPAN 2020への出演のみであったが、コロナウイルスの影響によりフェス自体が中止に。そしてSNSもホームページも長らく更新されない時期が続いての、今回の解散である。それはあまりにもショッキングだったが、心のどこかでは解散の可能性を予想していた自分もいる、というのが正直なところだ。ただ赤い公園という素晴らしいバンドが完全に消えてしまうことだけはどうしても避けてほしかった、という思いもやはりある。今となっては単なる我儘だけれど、長年彼女たちの音楽を愛聴してきたいちファンとして……。


赤い公園は解散する。それぞれのメンバーは音楽活動を今後も続けることがアナウンスされているけれど、赤い公園の音楽が今後何かのライブで披露されることはおそらくないだろう。故に我々が出来ることは、今後も彼女たちの音楽を愛し、聴き続けることだけである。日本ロックシーンの宝物こと赤い公園よ、永遠に。


《せめて せめて/Please Don't Stop The Music Baby!!》

【後編】爆速で終わるロックバンドの曲15選

こんばんは、キタガワです。


前編中編に渡って記述してきた『爆速で終わるロックバンドの曲15選』。今回は遂に最終回となる後編をお届けする。後編では誰もが知るあの重鎮バンドや、世界に否定を突き付けるガールズバンド、今やフェスに引っ張りだこのホープまで、幅広い全5組を紹介していく。世界中どこを見ても極めて母数の少ないファストチューンの真髄を、前中編と合わせてどうか目と耳に焼き付けてもらいたい。つまらない人生に辟易した時、己の不甲斐なさに落ち込んだ時、気分を底上げしたい時……。今回取り上げた楽曲群は、必ずや貴方の日常のワンシーンに溶け込むことだろう。

 

 

生理/日本マドンナ(1分33秒)

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クソッタレな世間に鋭く切り込むガールズパンクバンド・日本マドンナ。ことパンクバンドと言えばどしゃめしゃなサウンドを牽引するその音楽性であるが、日本マドンナは初期曲“幸せカップルファッキンシット”や“村上春樹つまらない”、そして解散を経てドロップされた“社会の奴隷”など、日本の音楽シーン全体を通しても誰もつまびらかにしてこなかった……否、語ることを意識的に恐れてきた穿った心情を吐き出す点こそ、大きな特徴のひとつだ。


以下の楽曲では、性別上決して逃れられない月に一度訪れ長らく尾を引く地獄の苦しみをこれでもかというリアルで落とし込んでいる。中でも後半部の《女はいつでも 男に散々負けてきた/でもこんな生理があるうちは 負ける気がしないわ》との絶叫にも似た一幕は女性として生を受けたこと、また現実的に大衆受けするロックバンドがほぼほぼメンズバンド一強となってしまっている現代の恨み節とも、強い決意表明とも取れる。


前述の通り、日本マドンナは2013年に解散を宣言するも、それから後2016年には再結成へと至っている。おそらくその間の日本マドンナは社会の一員として何らかの企業に属し、ある種音楽と切り離した生活を送っていたことと推察するが、結果バンドは甦った。後にリリースされたミニアルバム『ファックフォーエバー』では圧倒的に目線が社会に向いていることからも、やはり彼女たちにとって混じり気のない『白』でいることを半ば強要される社会生活は極めてストレスフルなものであったのだろう。当時高校生にして脚光を浴びた日本マドンナは様々な人生経験を経た現在、高校生時代と不変のパンクサウンドへと回帰した。彼女たちは今もどこかのライブハウスで泥臭く、真っ白な世間へ『NO』を突きつけている。

 


日本マドンナ「生理」

 

 

アンドレア/ザ・ビートモーターズ(1分52秒)

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直情的なロックバンド、ザ・ビートモーターズ。ロック然としたサウンドに乗せて内に秘めた衝動を愚直なサウンドで具現化する3人組である。そんな彼らの記念すべきファーストアルバム『素晴らしいね』のオープナーとして冠されている楽曲こそ、今回取り上げる“アンドレア”である。


短い楽曲となるとサウンド的な主張はとにかくとして、短い尺のドラマやアニメでその全ての伏線を回収することが不可能なように、楽曲も簡素な内容に徹し、全体像を明確にしない場合がほとんどだ。ザ・ビートモーターズの“アンドレア”も例に漏れず、坂を駆け登る女性とそれを眺める人物、更には何かをきっかけとして自殺願望を抱く男という荒唐無稽な内容となっている。そうした果てに歌われるのも《アンドレア 君はきっと/「水を挿さないで」って言うだろう》というこれまた曖昧模糊な世界だ。何故登場人物は坂を登り下りするのか。何故アンドレアは水を拒むのか。そもそもアンドレアとは何なのか……。様々な疑問は一切の解を得られないまま楽曲は気付けば始まり、気付けば終わっていく。ただ耳馴染みの良いサウンドとボーカルだけは何よりの印象部として残っていて、その歌詞の不可思議さに思考を傾けること自体、次第にどうでも良くなる魅力を携えている。


現在は主要な音源リリースはサブスクリプションに移し、マイペースながらも活動を行っている彼ら。秋葉正志(Vo.Gt)によるソロ活動も本格化し、ザ・ビートモーターズもその歩みを止めることなくワンマンライブの開催も決定。流行のあおりを受け、昨今はロックバンドにも何かと多様性やネットバズを求められる時代になったが、良い意味で不変な活動を続けるザ・ビートモーターズは格好良く、逞しくもある。『是非とも売れる曲を!』とは言うまい。今後も彼らなりのペースで、彼らなりの方法で音楽を掻き鳴らしてほしいと願うばかりである。

 


ザ・ビートモーターズ / アンドレア 【CD音源】

 

 

chili pepper japones/くるり(1分19秒)

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言わずと知れたロックの重鎮、くるり。毎年欠かさず予想を超える作風の新作をリリースし、日本の音楽シーンを牽引する存在となっていることは周知の通りだが、そんな彼らの中でも最短、最速BPMとの呼び声も高い1曲こそ、フルアルバム『坩堝の電圧(読み:るつぼのぼるつ)』に収録されている“chili pepper japones”だ。


歌われる内容はズバリ刺激的な香辛料たる山椒で、身も蓋もない表現をしてしまえば『山椒は美味い』といいう岸田繁(Vo.Gt)の持論を体現しているに過ぎない。ただ先日公開されたフルMVと合わせて観ることで、“chili pepper japones”は極めて強いエンタメ性を含んでいることが分かる。このMVの出演者のオーバーなリアクションにうっすらと見覚えのある人も少なくないだろうが、この楽曲はテレビ番組『タモリ倶楽部』における空耳アワー(英語が日本語に聴こえてしまう楽曲を集めたワンコーナー)のオマージュであり、出演者は全員空耳アワーの再現VTRに出演するバイプレイヤーたち。そして一聴しただけでは何を歌っているか理解不能なその矢継ぎ早に繰り出される歌詞も、確かに『日本語なのに英語で聴こえる』という空耳アワー的要素がある。昨今のくるりは特に“Tokyo OP”然り“益荒男さん”然り、アルバム内に何かしらの自由奔放な楽曲を組み込む傾向にあるが、今作が収録された『坩堝の電圧』におけるネタ曲は間違いなく“chili pepper japones”である。


来たる4月28日には“天才の愛”なるフルアルバムのリリースを発表したくるり。現時点で発表されているのは曲名のみだが、前述の既発曲“益荒男さん”をはじめ“大阪万博”や“watituti”、“ぷしゅ”といった気になるタイトルの楽曲群にも期待が高まるところ。様々な思いを巡らせながら、その日を座して待ちたい。

 


くるり - chili pepper japonés

 

 

ファイト!!/ハルカミライ(0分57秒)

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エネルギッシュなライブで観る者を一瞬にして引き込むロックのホープ・ハルカミライ。彼らのライブでほぼ必ず演奏され、時には1度の公演中に複数回鳴らされるという珠玉の1曲こそ、性急なファストチューン“ファイト!!”。


放たれるのは《あいつのことなら俺が/ぶっ飛ばしといてやるから/ぶっ飛ばしといてやるから/気にしてるんなよ》との絶唱から幕を開ける、力強い鼓舞的メッセージだ。「ストレートなパンクソング」と言ってしまえばそれまでだが、橋本学(Vo)の歌声と楽器隊のサウンドが渾然一体となったとき、“ファイト!!”は聴く者の耳に訴え掛ける何よりも強い外部的要因となる。今記事における全15組にも及ぶバンドの中でも、取り分けライブの比重が大きいハルカミライ。無論彼らがここまでの知名度を獲得した背景にはそうした無骨な活動があってのことで、実際未曾有のコロナ禍にあっても精力的に全国ツアーを回り、ライブバンドとしての質を高め続けていることからも、彼らにとってライブは音源を肉体的に魅せる場以上に、ある種の生き甲斐なのだろう。


“ファイト!!”はハルカミライのライブで決まってセットリスト入りを果たす代表的なナンバーのひとつだけれど、世間へのメッセージたる“世界を終わらせて”や希望的な未来を希求する“カントリーロード”とも違う、『頑張れ』『生きろ』とのメッセージを力付くでぶつけていることからも、ストレートにハルカミライらしいがむしゃらさを体現している点で評価が高い。コロナウイルスが徐々に収束に向かっているということは、彼らの次なるアクションはひとつ。そのとききっと抑圧から解放された日常に落とされる“ファイト!!”は、更に多数のファンの涙腺を緩ませることだろう。

 


ハルカミライ - ファイト!! (Official Video)

 

 

花瓶のうた/ズーカラデル(1分25秒)

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ラストを飾るのはズーカラデルの“花瓶のうた”。彼らにとっては初の全国流通版のファーストアルバム収録曲であり、当時は全国ツアーで幾度もライブの幕開けを飾ってきた珠玉の1曲だ。


開口一番に放たれるのは『しばれた』との北海道出身の彼ららしいワード。以降はギアを瞬時に切り替えて突き進むロックサウンドが鼓膜を揺らす。こと1分少々の楽曲では出音から爆発的に鳴らすサウンドがセオリーとされている中、彼らは冒頭からの約30秒にあくまで助走としての役割を込めている点も面白い。以降叙情的な歌声とクリーンな音像で織り成される約1分間の絶頂は、世間一般的なイメージのロックバンドとはまた違う。夕焼けにも似た照明も作用してか、誰しもを優しく包み込む包容力さえ感じさせる代物だ。ロックバンド期待の新星としてズーカラデルが注目されるようになったのはごく最近だけれど、やはりライブバンドというよりは楽曲そのものの強みが伝播を重ね、大衆に浸透していったためであろうと推察する。


昨年、遂に念願だったメジャーデビューを果たしたズーカラデル。《窓辺に置いた花を枯らした/歌うよ 意味ないけど》とは“花瓶のうた”の締め括りとなる一節だが、いつしか彼らの歌は意味を持ち、大輪の花を咲かせていた。多数のミニアルバムを発売している中、未だセットリストの多くを占めているのはファーストアルバム『ズーカラデル』から。そして唯一の短い楽曲たる“花瓶の花”のドロップは瞬時にフロアを沸かす力を担っており、いつしか屈指のライブアンセムとなりつつある。北海道からの最強の刺客、ズーカラデル。ふとした瞬間に刺される前に、まずは出会うことから始めてみては。

 


ズーカラデル "花瓶のうた" (Official Music Video)

 

 

……さて、いかがだっただろうか。爆速で終わるロックバンドの楽曲群の世界。


暗黙の了解として、これを過ぎると冗長、これより短ければやや性急とされる音楽の平均時間は長年に渡って約3分半とされている。イギリスのデイリー・メール紙の記事によれば「最近のリスナーはイントロが5秒以上続く曲は曲の良し悪しにかかわらず、すぐスキップして次の曲に移行する傾向がある」との研究結果が示されているが、この記事は約4年前のものであるため、当時以上にストリーミングの普及が活発化した現在では、更に拍車が掛かっていることだろう。故に今回紹介した2分以内で駆け抜けるファストチューンはその実、理にかなっているのでは、とも思う部分もある。スピーディーな楽曲が必ずしも良いとは言わないまでも、スピーディーさを取り入れることで意義を強めていく楽曲というのもやはり、存在するのではないか。


例えば紅白歌合戦披露曲としてお茶の間に広く流れたSuchmosの“VOLT-AGE”は7分を超える楽曲であるし、海外に目を向ければ現状約2000万再生を記録しているThe Offspringの“All I Want”は2分未満。つまりは何をもってして『素晴らしい曲』とするのかは様々で、最終判断を下すのは結局のところ個々人における嗜好なのだ。今回の記事が誰しもの心に刺さる代物であるとは到底思えないけれど、邦楽バンドのファストチューンに少しでも興味を抱くその一因としては十二分。であるからこそ、欲を言えば様々なアーティストの楽曲を一聴してもらいたいし、中でも気になったアーティストには更に深く足を踏み入れてほしいと、切に願う。音楽の世界は貴方が思うより、ずっと広いのだ。