キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

赤い公園解散と、津野米咲と佐藤千明

こんばんは、キタガワです。

 

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赤い公園、解散……。ツイッターを無為にスクロールし、目に留まったひとつの記事。衝撃のあまり瞳孔を開いてそれを凝視し、直ぐ様公式サイトに飛ぶも、ページはアクセス過多により重くなかなか開かない。数分後、幾度も再読み込みを繰り返しようやっと観ることが出来たアナウンスの全貌と、メンバーの一言一句にゆっくりと目を通す。それから約30分間、ツイッターで『赤い公園』とエゴサーチし様々なファンの声を目に焼き付けた今、改めて思う。彼女たちは本当に愛されていたのだと。


全ての始まりは約9年前。弱冠20歳という若さでメジャーデビューを果たした赤い公園は、独自のポップ路線を打ち出した『透明なのか黒なのか』とダークな楽曲を中心に構築した『ランドリーで漂白を』の2枚でもって、音楽シーンに殴り込みを掛けた。以降赤い公園は確かにベクトルとしてはロックでありながら、あらゆる要素ををごった煮した独特な曲調や難解な曲展開で、およそガールズバンドでは数少ない『ジャンルレスバンド』として根強い人気を獲得するに至った。

 


そんな赤い公園の中心人物こそ、当時ボーカルを務めていた佐藤千明(Vo)、そしてソングライティング全般とギターを担う津野米咲(Gt)のふたりだった。前述の通りシューゲイザー、ポップス、フュージョン等様々な音楽性が犇めき合う赤い公園の楽曲を鑑みるに、元々ジャンルに拘らず雑多な音楽を好んでいた津野が総指揮を執っていたことは間違いないが、その音楽にパワフルな歌声で命を吹き込んだのは佐藤の力によるところも大きい。2013年以降には当時のSMAPの代表曲のひとつ“Joy!!”を作詞作曲したことで津野は名を上げ、佐藤についても浮遊的な楽曲に力強い歌声が乗るという良い意味での異物感が話題を呼び、赤い公園の動員は右肩上がり。その後リリースされた3枚のフルアルバムは各方面から絶賛され、赤い公園の未来は希望的な報告へ向かうと、誰もがそう思っていた。


だが順調にバンド街道を突き進む最中、赤い公園には複数の暗雲が立ち込める。それはどちらも誰もが予想だにしていなかったことで、そのうちのひとつは佐藤の脱退である。佐藤は脱退理由について「7年の活動の中で自分の手に負えない程のズレが生じていることに気付いた。そのズレが迷いとして音楽にまで介入してきたとき、赤い公園のボーカルという使命に限界を感じた」としており、その発言通り程なくして佐藤はソロアーティストとして転向。しかしながら言うまでもなく、ボーカルの脱退はバンドの根幹を揺るがす非常事態。必然赤い公園は長らく実質的な活動休止状態に陥り、暫く表舞台から遠ざかるも、数ヵ月後には元アイドルユニット・アイドルネッサンスのメンバーであった石野理子(Vo)を迎え再始動。オリジナルメンバーより8歳近く若く、ピンボーカルとしての活動もほぼない彼女の起用は多方面に衝撃を与えたが、そうした戸惑いの声は度重なるライブと音源制作の面でカバー。あれから数年が経過し、今では石野のボーカルははっきりとした実力を携えて響き渡る形に変化。赤い公園の第二章の成功を決定的なものとした。


そして忘れることのない2020年10月18日。そのニュースは瞬時に日本列島を駆け巡り、全てのバンドマン、ひいてはロックファンに衝撃を与えた。そう。津野の急逝である。思い返せば津野は確かに体調不良で活動を休止していた時期もあったし、思うようにライブが出来ず自宅で孤独に過ごすことを余儀なくされていたコロナ禍も、もしかすると彼女の精神状態の悪化に拍車を掛けたのかもしれない。ただ我々が津野の
死をどこかフィクションの世界で起こった出来事のように受け入れられなかったのは、彼女には笑顔のイメージしかなかった、というのも大きいのではなかろうか。少なくとも僕が何度かライブに赴いた際には彼女がネガティブな表情を湛えていたことはなかったし、それはメディアでも同様だった。当然の如く、現在YouTube等で観ることの可能な赤い公園のMVの全てに津野が映っているが、やはり暗い表情はない。だからこそ今でも僕は彼女の死を受け入れられていないし、おそらくファンの大半もそうだろうと思う。


ただ、状況は極めて深刻だった。未だニューボーカルの石野を入れた赤い公園のライブを目撃していないファンも多い中、全楽曲の作詞作曲を務める津野が亡くなったことで、バンドは大きくコントロールを失った。結果として昨年、津野急逝後の赤い公園のスケジュールは長らく懇意にしていたrockin.on主催の大型フェス・COUNTDOWN JAPAN 2020への出演のみであったが、コロナウイルスの影響によりフェス自体が中止に。そしてSNSもホームページも長らく更新されない時期が続いての、今回の解散である。それはあまりにもショッキングだったが、心のどこかでは解散の可能性を予想していた自分もいる、というのが正直なところだ。ただ赤い公園という素晴らしいバンドが完全に消えてしまうことだけはどうしても避けてほしかった、という思いもやはりある。今となっては単なる我儘だけれど、長年彼女たちの音楽を愛聴してきたいちファンとして……。


赤い公園は解散する。それぞれのメンバーは音楽活動を今後も続けることがアナウンスされているけれど、赤い公園の音楽が今後何かのライブで披露されることはおそらくないだろう。故に我々が出来ることは、今後も彼女たちの音楽を愛し、聴き続けることだけである。日本ロックシーンの宝物こと赤い公園よ、永遠に。


《せめて せめて/Please Don't Stop The Music Baby!!》