キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

[前編]珍しい楽器を使うアーティスト10選

こんばんは、キタガワです。


令和の新時代を迎え、昨今の音楽はかつてないほどに発展傾向にある。こと海外ではヒップホップやポップスが席巻し、ロックに至っては「ロックンロールは死んだ」と著名人から揶揄されるほど下火となっている。日本においてもSNSを巧みに使い楽曲を売り出す手法やYouTubeでのバズを象徴化する現象が一般化し、更にストリーミングサービスの台頭でアルバム以上に1曲単位の爆発力が重要視されている。


そんな中、昔とほぼ変わらないものとして象徴的に映るのが、ミュージシャンが用いる楽器である。シンガーソングライター、ロックバンド、インターネットアーティスト……。どのような形態であっても、基本的にはギター、ベース、ドラムの3種類の楽器があれば音楽は成立する。そして今の時代においてはPCでの打ち込みによる代用も可能で、総じてわざわざレアな楽器を用いる必然性は限りなく低くなったと言っていい。


そこで今回は『現在ではほぼ使われない特殊な楽器』に焦点を当て、前後編に分け時代と逆行する稀有なアーティストを紐解いていきたい。当記事が音楽ファンのみならず、全ての楽器マニアの心に響く存在となれば幸いである。

 

 

坂本慎太郎(使用楽器:スティールギター)

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元ゆらゆら帝国のフロントマンであり、サイケデリックロックの礎を築いた立役者、坂本慎太郎。


かねてより漫画家・水木しげるに多大な影響を受けていると公言する坂本。ゆらゆら帝国時代にも“3×3×3”や“誰だっけ?”など極めてホラーな楽曲も多かった坂本だが、“できれば愛を”はそのサイケデリックぶりに拍車がかかり、まるでお化け屋敷のBGMの如きおどろおどろしい雰囲気に満ち満ちている。


ホラーな雰囲気作りを担う楽器は『スティールギター』と呼ばれ、主に海外音楽シーンにおいてサウンドに変化を加えるような、言わば飛び道具的に使われるもの。しかしながら坂本はこのスティールギターをサウンドの主軸とし、ゆっくりかつ小刻みに動かすことで、不協和音一歩手前の脱力的サウンドに昇華することに成功している。


初期のゆらゆら帝国では爆音のロックを鳴らしていた坂本だが、《俺のぱっくりと割れた 傷口見てください/かっこいいでしょ いかすでしょ/まってください》といった分かるような分からないような言葉の羅列やサウンドを鑑みるに、50歳を迎えた彼が坂本が今鳴らしたいサウンドはこれなのだろう。


現在は主な活動拠点を海外とし、こうした楽曲群をライブで再現している坂本。その海外の人気は日本以上に凄まじいらしく、ライブの“できれば愛を”ではイントロの時点で歓声が上がり、観客が踊り狂うという。日本では考えられない光景ではあるものの、おそらく海外でもこんな音楽は存在しない。

 


Love If Possible (できれば愛を ~ Live In-Studio Performance, 7/12/2016) / 坂本慎太郎 (zelone records official)

 

 

平沢進(使用楽器:テスラコイル)

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唯一無二の個性と世界観で、一種宗教的な人気を誇るアーティスト、平沢進。下記の動画のサムネイルで緑の光線迸る謎の物体こそが、平沢が独自に開発した楽器『テスラコイル』である。


動画を見てもらうと一目瞭然なのだが、テスラコイルには自身の歌声や音色が細かにプログラミングされており、平沢自身の手で触れると音が鳴る仕組み。一見単純明快な奏法にも思えるが、触れる際の強弱や箇所によって音程を変化させる高性能ぶりであり、歌声を何層にも重ねる平沢ならではの手法となっている。


なぜ平沢がここまで熱狂的な視線を集めているのかと言えば、それは音楽の魅力に加えて、彼自身の音楽姿勢にある。彼は活動歴は長いがその反面、楽曲のリリースは少ない(現状最後のアルバムは2015年)。更には上記の特殊な楽器の存在も重なって平沢がライブを行うこと自体も極めてレアであり、チケットは瞬時にプレミア化するほど。


先日のラジオで「平沢さんの曲を友人に布教したいです」との質問に対して「勧めないでください」とバッサリ切って捨て、音楽を聴く際はその人物のバックボーン(いつどんな状態でその曲に出会うか)が大事であると語った後に流行歌への嫌悪感を口にした平沢。彼が確固たる信念を抱いて楽曲に向かい合っていることは言うまでもないが、この発言でひとつ腑に落ちたのは、彼を崇拝するファンも間違いなく平沢と似た部分を持っているということ。世の中には様々な音楽があるが、「これこそが唯一無二の魅力を孕んだ音楽なのだ」と改めて感じる一幕であったように思う。

 


Susumu Hirasawa - Parade (Live Hybrid Phonon)

 

 

Noel Gallagher's High Flying Birds(使用楽器:ハサミ)

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イギリスの伝説的バンド・oasis(オアシス)が壮絶な兄弟喧嘩の末2009年に活動休止し、その後メインソングライティングを務めていた兄ノエルはNoel Gallagher's High Flying Birdsを、ボーカルを務めた弟リアムはLiam Gallagherとして、別々の道を歩んだ。


中でもファンが求めていたoasis像を地で行くリアムとは対照的に、oasisを過去のものとして決別したノエルとの差は年を経るごとに顕著になり、以下に紹介する“She Taught Me How To Fly”収録のアルバム『Who Built The Moon?』が発売される頃にはノエルは完全にoasisに区切りを付け、打ち込みを多用したダンサブルな音像に変化した。なお今現在でも、oasis再結成を願うリアム(ライブではoasis楽曲を5割演奏)と全くその気がないノエル(oasis楽曲はほぼ演奏しない)との対立は続いている……。


上記の通り、現在のノエルはoasis時代をほぼ無視した楽曲を打ち出しており、それに伴ってライブ形態も変化の一途を辿りライブは総勢10名近い大所帯となった。


黒人シンガーや管楽器隊といったアリーナ級の編成の中一際目を引くのが、ノエルの背後で佇むひとりの女性。彼女の名前はシャルロット・マリオンヌと言い、ライブにおけるパーカッション的役割を担っている。‘’She Taught Me How To Fly”のライブ映像がテレビ放映された際にハサミ奏者としてのパートを担った彼女に対して驚きの声が上がったというが、これは「タンバリンとシェイカーは演奏できるか?」の問いに対してシャルロットが「出来ませんが、ハサミならできます」と語ったことから実現に至っているとのこと。ちなみにノエルは後に「あの番組に出るまでは誰もハサミ演奏について言ってなかったけど、よく考えたらあれは狂ってると思った」と述べている。


ハサミ以外にも、楽曲ごとに電話(“It's a Beautiful World”)や木管楽器(“Holy Mountain”)を巧みに使って話題を浚った彼女であるが、2019年をもってノエルバンドからの脱退を表明。かつてノエルはシャルロットについて「彼女がリアムの正気の最後となるリボンを切り落としたんだよ」とふざけて語っていたが、その言葉を裏付けるように後の兄弟間の仲は更に悪化。今ではノエルが「もしポケットに50ポンドしか残ってなかったとしても、リアムと組むなら路上ライブした方がマシだ」と語る始末。さあ、どうするどうなる。

 


Noel Gallagher's High Flying Birds - She Taught Me How To Fly - Later… with Jools Holland - BBC Two

 

 

Open Reel Ensemble(使用楽器:オープンリール式テープレコーダー)

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摩訶不思議な演奏集団、Open Reel Ensemble(オープンリールアンサンブル)。あまりに衝撃的なその奏法はツイッターにて数千リツイートを記録し話題を呼んだばかりか、今では日本のみならず世界各国にその魅力を伝えている。


現代において主な音楽記録媒体はCD-ROMだが、その前はカセットテープだった。そしてその前に録音機器での使用を中心に使われていたのが、彼らが用いる『オープンリール』である。……オープンリールとは1960年代以前に使われていた古い録音機器であり、現在では金銭的な面や場所の確保といった点において、人々の手に渡ることはほぼない。


彼らはそのレア物であるオープンリールを改造し、何と独自の楽器として使っている。僕自身ずっと真夜中でいいのに。のZepp Tokyo公演(当時Open Reel Ensembleがサポートメンバーとして加わっていた)にて彼らの演奏を目撃したクチだが、オープンリールを回してスクラッチ音を出したりテープを叩いてパーカッションを担ったり、果てはボーカルの声をテープで加工したりと、ライブを支えるキーパーソンとして垂直に立っていた。


上記の通り、現在の彼らの活動は他アーティストのサポートを主としている。そのためOpen Reel Ensemble単体としての活動は年々減少してはいるものの、当然世界広しと言えどもオープンリールを用いるアーティストは彼ら以外には存在しない。そう遠くない未来、テレビで大々的に紹介される日も来ると思うのだが……。

 


OPEN REEL ENSEMBLE - LIVE @ FREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013

 

 

Aphex Twin(使用楽器:Cheetah ms800)

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イギリスのミュージシャン、Aphex Twin(エイフェックスツイン)。2017年のフジロックでは野々村竜太郎やHIKAKIN、松井和代といった著名人をVJに映しつつ、ラストは抑揚もリズムも皆無の鼓膜破裂レベルの爆音を数分間流し続けた、言わば破壊的EDMのパイオニア的存在である。


全7曲が収録された『Cheetah EP』。世界中の機材マニアの間でもほぼ市場に出回らなかったとされる極めてレア、かつほぼプログラミング不可能な珍しいハードウェアとしても知られる、Cheetah ms800という機材で制作された。


かねてより「大事なのは楽曲だから曲名には興味がない」と語る彼。そのため過去作においても“4 bit 9d api+e+6”や“fz pseudotimestretch+E+3”、“Peek824545201‘’といった意味不明な文字の羅列をタイトルとしていたが、今作『Cheetah EP』では楽曲の大半が“CHEETAH○○‘’といったタイトルとなり、否が応にも機材の存在を感じさせる形となっている。


そんなCheetahの特徴は、レトロな音像。『Cheetah EP』では様々な音が脳を麻痺させるエイフェックス作品の中ではどちらかと言えばミニマルな構成となり、浮遊感を抱かせる独特なサウンドがゆったりと流れる異色な形で進行していく。その後のエイフェックスが再び極悪サウンドのEDMに回帰したことを踏まえても、今作は極めて実験的な作品であったと言える。

 


Aphex Twin - CIRKLON3 [ Колхозная mix ]

 

 

……さて、いかがだっただろうか。珍しい楽器を使うアーティストの世界。


次回の後編では、フジロック初参戦で話題を浚った民族楽器集団や活動歴30年に渡るベテランバンド、新進気鋭のインストバンドなど、多種多様なアーティストの珍しい楽器を紹介していく。乞うご期待。

 

→後編はこちら

映画『パラサイト 半地下の家族』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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あの話題作『ジョーカー』を退け、韓国映画としては異例となる、アカデミー賞4部門独占という快挙を成し遂げてしまった『パラサイト 半地下の家族』を観た。


僕が『パラサイト』鑑賞に至った要因は、やはりアカデミー賞の存在が大きかった。昨年度も多くの映画を鑑賞してきた自負はあるが、個人的には『ジョーカー』と『イエスタデイ』、このふたつのどちらかがアカデミー賞を取るだろうなと思っていたため、今回大穴の『パラサイト』が受賞したことには驚きを禁じ得なかった。……総じてかねてよりの映画ファンを公言している僕としては、是が非でもこの目で確かめなければいけないと思ったわけだ。


しかしながら、鑑賞前からある種の懸念事項も頭をもたげていたことも否めない。二の足を踏む何よりも大きな要因となっていたのは、やはりこの映画が韓国映画であるという点。僕は別段韓国アンチではないにしろ、世界的規模で見ても韓流作品は『チャングムの誓い』然り『冬のソナタ』然り、どこか品行方正で絢爛華麗な雰囲気がある。更にはあの独特の言葉の羅列は耳で聴く分にも厄介で、実際問題『パラサイト』の冒頭では矢継ぎ早に吐き出される韓国語の数々に辟易してしまったのは、正直な気持ちとして存在した。


そうした事前情報を加味しての結論。個人的には早くも今年度の映画で断トツの1位。それどころか、過去鑑賞した様々な邦洋映画の中でも1.2を争う出来だった。もうこの時点で発表してしまうが、総合評価は文句なしの星5である。それほどまでの衝撃だった。


前半の展開は主にブラックコメディ。ネタバレに触れる事象なので明言は避けるが、例えるなら事故を起こした瞬間に「俺終わったわー」と自然に笑みが零れてしまったり、学年1位の人間が死んでしまった結果2位だった自分が1位に繰り上がったり、葬式中における念仏の発音を面白く感じてしまったり……。おそらく人道的には反しているが、しかし何故か面白いというある種の嫌悪感を伴った笑いが次々と起こる。言うなれば『笑ってはいけない笑い』。全体的に「よくこんなこと思い付くな」というか何と言うか……。ただひとつ間違いないのは、この脚本を書いた人間はとんでもなく性格が悪い。


そして後半では怒濤のクライマックスへと突き進んでいくのだがこれがまた痛快で、前半の伏線を高速で回収しつつ、おそらく前半部分で誰もが感じた今作のイメージは瓦解。恐るべきミステリーホラーの真髄を観ることができる。……全体通して発想の勝利というか、「映画でこんなこと出来るのか!」という驚きと称賛の雨が降る。


どうしても比較対象として浮かんでしまうのが、同じく2019年度に話題をさらった『ジョーカー』である。『ジョーカー』は徹底してアメリカに苦言を呈し、富裕層と低所得者層を対比させ、観るものに正義を考えさせるものだった。


対して『パラサイト』は、韓国における少しの問題提起こそあるにせよ、完全に『ジョーカー』とは違う名作として垂直に立っていた。けれども観賞後には名状し難い「何かヤベえ映画観ちゃった……」との感覚だけが頭を支配するこんな映画は間違いなくあと数年は現れないし、久々に度肝を抜かれた感覚を味わった。


狂気とコメディ、ホラーとミステリーという様々な要素をごった煮した意欲作『パラサイト』。この映画を観ずして2020年の映画は語れない。頭をハンマーで殴られたような衝撃は、ぜひ劇場にて経験してほしい。


ストーリー★★★★★
コメディー★★★★☆
配役★★★★★
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★★★

総合評価★★★★★

 


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

2月某日

人生で何度目かの挫折を味わった。

1件目のバーによるアルコールへの逃避は大した効果を生み出さなかったため、せめてもの憂さ晴らしをとの思いで起動したカードゲームアプリだったが、課金者が繰り出すチート級モンスターに盤面を支配され、あっさりと敗北を喫した。ゴールドからシルバーにランクが落ちたのを見つめながら、理不尽なゲーム展開で少しだけ怒りが沸いたことに、少し安堵する僕がいた。

「お前はまだ正常だよ」。そう語りかけられている気がした。脳内で語りかける無形の野郎の正体は、最後まで分からずじまいだったが、それも含めて自分らしいなとの思いに駆られた。

バーの外に出ると、まるで今の心境を体現するかのような小粒の雨が降っていた。誰も行き交わない島根の街。まるで僕だけが存在しているようにも思えた。財布の中には6000円しか入っていなかったが、今日だけはしこたま飲もうと決めた。

コンビニでビールを買い、大した味も感じられないそれをチビチビ飲みながら、2件目のバーへ向かう。傘も差さずに項垂れて歩く僕の横を、飲み会帰りのサラリーマンの集団が掠めた。新入社員であろう若いスーツ姿の男性の肩を、上司が小突く。「ちょっと先輩!酔ってますー?」新入社員が笑顔で語り、当の上司は「酔ってねえよ!」と返した。おそらく彼らには、ちっぽけな僕の存在など見えてもいないのだろう。

……結論から書くと、2件目に赴いたバーは当たりだった。1杯あたり1000円はくだらない強気の値段設定ではあったが、頼んだ酒全てが美味かった。そして何より、絶望した僕に必要以上に干渉しないマスターと店内の控え目なBGMの存在に、少しばかり生気が戻った気がした。今宵の悲壮的な舞踏会は、何とか完遂出来そうだ。

「僕あれなんすよ。何かあの……うるさいバーが苦手でですね。賑やかであの……ワー!みたいな。だからあの……いろいろあって。個人的に。だからその、あれです。良かったです。今日。来れて。また来ます」

人付き合いが苦手で拙い言葉しか語れない僕に、マスターは言った。

「いろんな方がいますよね。話したくなかったら、話さなくて大丈夫ですよ。私もあまり賑やかなのは嫌いなたちなので。あ、何か飲まれますか?」

酩酊した頭で時計を見た。時刻は20時50分。島根は終電が早く、僕の最寄り駅は21時ジャストが最後の綱だった。

当然の如く終電を逃しかけていることに気付いたが、取り敢えずもう一杯だけ飲むことにした。

PS4ソフト『ヘッドライナー:ノヴィニュース』がもたらす、情報社会の在り方について

こんばんは、キタガワです。


随分と久方ぶりのゲーム記事執筆である。思えばPS4で発売された『AI:ソムニウムファイル』について記したのは昨年の9月。よって4ヶ月近くPS4はおろか、ゲームと呼ばれる類いのものにはほぼほぼ触れていなかった計算だ。


現在において当ブログのアクセス数上位に位置している『プラチナトロフィーが簡単に取れるゲーム12選』に顕著だが、かつての僕は相当なゲーマーであった。幼少期より「ゲーム博士」と呼ばれ、大学卒業に至るまでゲームをプレイすることが日常と化していた当時の僕からすると、一切ゲームに触れない今の僕の生活は考えられない末路であろうと思う。


そんな僕が何故ゲームをプレイしなくなったのかと言えば、それはもちろん『歳を取ったから』というのも一因ではあろうが、最も大きな理由としては純粋に『興味がなくなったから』である。


一概に『興味がなくなった』というのは些か語弊があるかもしれないが、要は付いていけなくなったのだ。かつて友人らと自宅でワイワイやっていたはずの対戦ゲームはオンラインの波が押し寄せ、課金だのアップデートだの、様々な要素がさも当然のように実装されている。例を挙げれば龍が如くがRPGになったり、ポケモンの挙動がリアルになり特性やタイプが追加されたり……。別段僕は懐古主義の人間ではないけれども、流石にここまでの変化を遂げられると「もう分からん」となってしまい、手を出す気すら失せてしまうのだ。


更に大人になったことで、幼少期には考えられなかった趣味嗜好がゲームの欲求を上回るようになったことも大きい。それこそ僕個人に当てはめると『酒と音楽』であり、ゲームにそれらを凌駕する魅力を感じないというのが正直なところ。酩酊状態でRPGをプレイしたこともあるが、「次は○○タウンに行ってくれ!」と言われた内容が酒の影響で頭に入って来ず、気付けば次なる行き先が分からないまま数時間経過したこともある。……「だったらYouTubeで音楽聴くわ」という感じでもって、ゲームからはいつしか自然に離れてしまった。

 

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そんな偏屈な性格の僕であるが、久々に当たりゲームに出会った。それこそがタイトルにも冠したPS4ソフト『ヘッドライナー:ノヴィニュース』である。


『ヘッドライナー:ノヴィニュース』は海外で製作されたインディーゲームで、発売から2ヶ月が経つにも関わらず、Amazonレビューは僅か3件とお通夜状態。プレイステーションストアにて2000円で購入できるお得さに対して、一切の噂を聞かないその無名っぷりには度肝を抜かれるが、それはそれとして。


今作の優れている点として挙げられるのは、その独特なシナリオだ。タイトルの『ヘッドライナー』は立役者、『ノヴィニュース』は地元新聞の名前。そう。もうお分かりだろう。今作は編集長となった主人公が、誌面に載せる記事をひたすら選定するのみという、至ってシンプルなゲームなのだ。


日数は15日。更に1日はおよそ10分~15分程度で終了するため、スピード感が異常に早い。使うボタンもスティックと○と×のみという単純設計で、実質的なプレイヤーの行動は記事の内容を見て「これは載せよう」「これはボツ」とただ選ぶ。これだけ。


正直ゲームとして破綻しているようにも思えるが、特筆すべきはその選択によって引き起こされる世の中の変化である。


例えば『A店は品揃えが良い』という記事を載せたとしよう。すると必然取り上げられたA店は繁盛し、完全なる黒字となる。しかしながら、細々と生計を立てていた個人商店Bはどうだろう。もちろん客の大半がA店に引き抜かれるため、売上は下がる。それどころか「B店はA店と比べてヤバいよね」との噂も広がり、最終的にB店は店を畳まざるを得ない経営状態となってしまうのだ。


では逆に『A店は品揃えが良い』との記事をボツにした場合はどうなるだろう。まずその記事を執筆する予定であったライターは憤慨するだろうし、A店の売上は伸び悩み、行く行くは町全体の購買意欲の低下に繋がっていくのだ。そしてB店にとっては地道な商売を続けることができるが、もしかするとA店は最終的に「何であのとき記事をボツにしたんだ!」と編集部に駆け込むかもしれない。


要はこんな具合で、ひとつの選択が予想だにしない結末を生むこともしばしば。もちろん上記の内容はフィクションではあるものの、実際のゲームでは加えて「頼む!店が潰れたら娘の生活費が賄えないんだ!」とガチモンの悩みを吐露されたり、ボスから「この記事は絶対載せるな!あとこれは載せてね。先方からの指示なので」などと命令されるのでたちが悪い。行くも地獄、戻るも地獄のDead or Die状態。というより、こんな重大な仕事をひとりに任すんじゃないよ。


だがメディアの情報を第一義として信じこむ今のインターネット社会において、メディアが伝える情報の意義は極めて高まっていると思うのだ。例えば不倫騒動の果てにタレントの好感度が地に落ちるその裏では、タレコミした人物に多額の報酬が与えられているはずだし、上級国民・飯塚幸三の轢き逃げ事件にしても、メディアが報道しなければ事件の存在自体が闇に葬られていたかもしれない。メディアのみならずほぼ全ての事柄に当てはまることではあるが、ひとつの選択には大いなるメリットとデメリットが混在しているのである。


町を発展させるか、破壊させるか。国を容認するか、反対するか。友人を救うか、失うか……。もちろん今作は周回が前提の作りであり、1周目にボツにした記事を2周目に許可することで、また違った形で世論が動く。そして最終日の15日になった頃、ひとつひとつの行動が巨大なムーブメントとなって町を多い尽くしていくのだ。


そう。これは単なるゲームではない。言うなれば、痛烈なる社会風刺だ。良い部分だけを切り取って報道するニュース番組や「名簿はないっすけど……」とはぐらかしまくる桜の会問題、アメリカとイランの国際情勢などに心底ぶちギレている人にお勧めしたい名作だ。それでは最後に、公式サイトに書かれている一文を紹介し、今記事を締め括りたいと思う。


「このゲームのエンディングに正解はありません。あなたが理想とする将来が訪れるまで……」

 


ヘッドライナー:ノヴィニュース

映画『イエスタデイ』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。 

 

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『ホワイトアルバム』再評価とサブスクDL数爆増と、海外で突如巻き起こったビートルズブーム。その再燃の火付け役とも称されるのが、今回観賞した映画『イエスタデイ』である。


ポスターの写真やタイトルを見れば一目瞭然だが、今作は伝説のロックバンド・The Beatlesに焦点を当てた作りとなっている。端的に表現するならば、昨年QUEENを題材に世界的ヒットを記録した『ボヘミアン・ラプソディー』とほぼ同じ系統だ。


物語は10年以上に渡って泣かず飛ばずの無名ミュージシャン・ジャックが、とある事故を契機とし「ビートルズを誰も知らない」というifの世界線に進んだことから幕を開ける。“Yesterday”、“Help!”、“Let It Be”……。かの名曲を自分以外の誰もが知らない世界で、主人公は藁にもすがる思いでビートルズの楽曲に手を出し、一躍スターダムへと駆け上がる、というのが今作の主なあらすじである。


言うまでもなく、今作の肝となるのはビートルズの楽曲群。映画内では物語のキーとなる箇所はもちろんのこと、日常シーンにも往年の名曲が流れ、没入感を引き上げる。


少し話は逸れるが、現状CD音源としてリリースされているビートルズの曲というのは、総じて音が良くない。これに関してはCD自体が1960年代に制作されたものなので仕方のないことではあるのだが、ボーカルが右側、楽器隊が左側のみで聴こえるというその特異なサウンドは、かねてより大きな違和感として存在していたのも事実だ。


だが今作で流れるビートルズの曲は全て新規リマスター音源。必然臨場感も段違いであり、爆音で流れる名曲の数々には、慣れ親しんだ人であっても驚くこと間違いなしだ。個人的にはあるシーン以降、ビートルズの曲が絶えずクリアな爆音で流れてくる時点で「こりゃすげーわ」と思ったものである。


しかしながら今作『イエスタデイ』において、僕には一種の懸念事項があった。それこそが後半からラストにかけての展開である。『ビートルズの曲をそっくりそのまま演奏して陽の目を浴びる』という一見輝かしいシンデレラストーリーにも思えるシナリオだが、その非人道的な行動の数々には疑問が浮かぶ。


映画のみならず、映像作品やゲーム等を観ていて思うことだが、伏線とストーリー展開を有耶無耶にして「俺たちの戦いはこれからだ!」と打ち切りになる漫画よろしく、昨今は突拍子もなく終わる作品が多くなってきている印象が強い。ゲームで例えるなら『FF15』『龍が如く6』辺りがそうだが、「内容が適当でもブランドイメージである程度売れるだろう」と製作された物には、嫌悪感を抱いてしまう。総じて作るならしっかり最後まで作ってくれよと、そう強く思うのだ。


だからこそ開始30分で頭に浮かぶ「盗作なのでは?」「ビートルズに対しての侮辱では?」「それはミュージシャンとしてあるまじき行為なのでは?」という数々の疑問に対し、僕はずっとヒヤヒヤしていた。だからこそもしもこれらの疑問(伏線)を無視して冗長なラストを作り、ただビートルズの曲を流して最後を迎えるのならば、僕は問答無用で駄作のレッテルを貼るつもりだった。


けれどもそれらの思いは杞憂に終わり、最終的にはそれらの疑問をほぼ消し去る、スッキリしたラストを迎えた。正確には、全く粗がないわけではない。多少強引な展開もあるし、よくよく考えると「ん?」となる場面も存在した。しかし総合的に極上のエンターテインメント作品として大団円で終幕するその作りには、ネガティブな点以上に「面白かったなあ」との気持ちが圧倒的に上回るのだ。


加えてビートルズを知っている人であればニヤリとする場面も随所に取り入れられ、ビートルズファンに対してのリスペクトも完璧。ビートルズを知らない人には「CD聴いてみようかな」という思いに駆られるだろうし、元々ファンである人にとってはコレクションにもなり得る、愛に溢れた名作であった。


『ボヘミアン・ラプソディー』は大衆に受け入れられ、結果的にQUEENの何度目かのブレイクに繋がった。『イエスタデイ』も同様に、この映画を契機としてビートルズへの注目が高まることを、切に願っている。……あわよくば、今までビートルズに触れてこなかった若者たちの第一歩となれば。


ストーリー★★★★☆
コメディー★★★☆☆
配役★★★★★
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★★☆

総合評価★★★★☆

 


映画『イエスタデイ』予告

平手友梨菜脱退から見る、欅坂46とこれから

こんばんは、キタガワです。

 

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1月23日、21時。欅坂46の公式サイトにて、織田奈那、鈴本美愉のグループ卒業と、平手友梨奈の脱退が発表された。


ツイッターには直ぐ様ファンによる文字制限の140文字には到底収まりきらない、けれども僅かな文章でもはっきりと絶望が汲み取れるほどの、悲痛な叫びが踊った。だが公式サイトを何度読み返しても、純然たる事実は覆らない。


平手友梨菜は、平手は、てちは、紛れもなく脱退したのだ。


……思い返せば、確かに予兆はあった。平手が初めて『山口百恵の再来』と呼ばれ崇拝されるようになったのは、彼女が初めてセンターを務めた“サイレントマジョリティー”の頃だっただろうか。ライブ映像を見れば一目瞭然だが、平手の存在感は圧倒的だ。笑顔を見せず歌詞に自分を憑依させ自傷的に歌い踊るそれは、もはや『アイドルのライブ』というより一種の演劇に近く、観る者全てを虜にするカリスマ性を持ち合わせていた。

 


欅坂46 『黒い羊』


いつしか平手の存在は欅坂46のファンのみならず、広く認知されるようになった。アイドルらしからぬ憂いを帯びたパフォーマンスは多くの支持を集め、欅坂46はいつの間にやら平手を中心に据え、日常生活における鬱屈した感情を体現する楽曲が圧倒的に多くなった。《一人が楽なのは話さなくていいから》(“避雷針”)、《目配せしてる仲間には僕は厄介者でしかない》(“黒い羊”)、《誰かと一緒にいたってストレスだけ溜まってく》(“アンビバレント”)……。そんな思いの丈を吐き出す楽曲群は、かつて“僕たちは付き合っている”で魅せた『一対一の恋愛』とも、“二人セゾン”で魅せたアイドル然とした爽やかな雰囲気とも、大きくかけ離れたものだった。


そして飛躍的なブレイクを果たした欅坂46と反比例するかのように、平手の精神状態は次第に悪くなっていった。前述の通り、平手のパフォーマンスは楽曲に自身を投影して行われる。かつてとりわけ歌詞の内容がハードで、一時期セットリストに入れることをタブーとした“エキセントリック”で平手が苦痛を訴えたことに顕著だが、辛い境遇を歌詞に敷き詰めた楽曲が大半を占めた現在の欅坂46において、彼女の負担は相当なものだったろう。


しかし彼女は今や欅坂46不動のセンター。更にはセットリストの決定権も持ち、……こんなことを書くのは申し訳ないのだが、欅坂46に一切興味のない人が「欅って平手のいるグループでしょ?それしか知らないけど」と語っているのを観たこともある。学校生活も交際も全て犠牲にし、欅坂46というグループの中心人物となってしまった、18歳の女の子、平手友梨菜。彼女は良く頑張ったと思う。それこそ山口百恵が「普通の女の子に戻ります」と語ってステージを降りたように、平手にはこの選択肢しか残されていなかったのだろうと、心苦しい思いにも駆られてしまう。そしてステージ上で見せる儚げな姿そのまま、消えるようにいなくなってしまったのは悲しいかな、彼女らしいなとも思う。


昨今のライブは欠席が続き、世間的にはミステリアスなイメージが付き揶揄されることも多かった。それでも彼女はラジオやテレビ番組に出続けたのだ。欅坂46を有名にしたのが平手なのだとするならば、平手を潰れさせた戦犯も、紛れもなく欅坂46なのだ。

 


欅坂46 『角を曲がる』


これからの平手は、きっと欅坂46に代わる新たな光を探して生きていくだろう。映画『響』にて鬼気迫る演技を見せたように女優業を主とするかもしれないし、もしくは“角を曲がる”や“渋谷からPARCOが消えた日”のように、独特な歌声を活かしたソロ活動を行うかもしれない。


脱退前最後のライブも握手会も行われない今、僕らが出来ることはひとつ。それは彼女の行く末を見守り、今までで以上に応援することである。彼女が選んだ脱退。彼女が選んだネクストステージ。それはきっと光輝いているはずだ。


最後に、残された欅坂46について。今回の平手の脱退は、間違いなく大きな痛手となって欅坂46を直撃するだろう。それは決して、売上の減少や活動ペース低下といった一面のみに留まらない。ダンスパートの見直し。シングルの完成。何より、平手を超える求心性を宿した人物をセンターに据えること……。今やることは山積みだ。そしてこの窮地を脱して平手の脱退が過去の出来事として下火になった頃、ようやく欅坂46は次の一歩を踏み出すことができる。


そして同時に気付くはずだ。欅坂46には、平手が必要不可欠であったということを。


「欅坂はずっと、世の中に何かを届けていくグループだと思ってるから。それがなくなったら、(欅坂46としての平手友梨菜は)終わりかなあって思う」……。昨年4月に発売された某雑誌にて平手が放った一言が、僕は今でも忘れられない。一体彼女が脱退を決意した理由は何だったのか。彼女は脱退の後、何をしたいのか。彼女の口から語られる真実を、今はじっと待ちたい。


てち、今までお疲れさまでした。今後に訪れるであろう素晴らしき未来を、心より願っております。