キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

映画『ひとよ』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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今回鑑賞した新作映画はこちら。『ひとよ』である。


非常に印象的なタイトルでも話題を呼んだ『ひとよ』だが、実際は『人よ』ではなく『一夜』……。つまりは一つの夜をきっかけにして起きた出来事とその後の生活について、徹底的に掘り下げる作品となっている。


そんな一夜の事件とは、殺人の中でも極めて罪が重いとされる『家族殺し』だ。15年前にとある家庭で殺人事件が発生した。殺されたのは父親。殺したのは母親で、3人の幼い子供がいた。この映画での重要な部分は、この殺人が『子供たちを守ろうとして行われた苦肉の策であった』ということ。そう。母親は常に暴力を振るい続ける父親を殺すことが子供たちの幸せに繋がると判断し、『考えうる最善の行動』を取った。それこそが殺人だったのだ。


結果的に母親は、15年間もの間留置場で暮らすこととなる。だがそれぞれの生活を送る3人の前に15年後、釈放された母親が現れた……。あらすじとしてはこのような具合であろうか。


この映画で主に描かれるのは犯罪を犯したらこうなるというあまりにも悲しい現実だ。


もしも家族に殺人者がいたら……。読者の皆様はこの絶対に起こり得ないはずの非現実的なことについて、真剣に考えたことはあるだろうか。


少し話は脱線する。神戸連続児童殺傷事件(通称・酒鬼薔薇聖斗事件)では残された両親が数億円規模の賠償金を背負い、世間から大バッシングを受けた。秋葉原無差別殺傷事件を引き起こした加藤智大の実兄は自殺した。彼が死の間際に書いた遺書の一部分には、以下の言葉の数々が書かれていたという。


「被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは遥かに軽く、取るに足りないものでしょう」


「『加害者の家族のくせに悲劇ぶるな』、『加害者の家族には苦しむ資格すらない』。これは一般市民の総意であり、僕も同意します。ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります」


「そもそも、『苦しみ』とは比較できるものなのでしょうか。被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちの方が苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです」


……そう。殺人は本人だけの問題ではない。親戚や知り合い、職場といった様々な場所に拡散し、家族全体を生きにくくさせてしまうのだ。『ひとよ』の主人公は3人。母が殺人を犯した結果、3人はこの15年の間全員犯罪者の子供であることを刻み込まれながら生活してきた。そして15年越しに母が帰ってきたことから、また新たな火種が噴出することとなるのだ。


この映画は間違いなく万人受けはしないだろうし、例えるならば『徹底的にダークな万引き家族』とも言うべきシナリオに仕上がっている。そして上で語ったように『犯罪を犯した人間の家族は100%こうなるぞ』というある種悲劇的な、しかしある意味では絶対に避けられないリアルが襲い掛かってくる。正直上映中は胸が抉られる思いに駆られたほどだ。


『ひとよ』の没入度は、そんじょそこらの映画とは比較にならない。何故なら『大切な家族が殺人を犯した』とイメージするだけで、誰しもが3人と同じ境遇になれるからだ。だからこそこの映画は心に刺さるし、精神的にダメージを負うし、感動的に映る。


『ひとよ』には、映画でしか体験できないリアルがある。もしもこの映画を「クソ映画じゃん」と一蹴する人間がいるとすれば、その人はきっと人生が輝いている人なのだろう。


ストーリー★★★★☆
コメディー★☆☆☆☆
配役★★★☆☆
感動★★★★☆
エンターテインメント★★★☆☆
家族度★★★★★

総合評価★★★★☆
(2019年公開。映画.com平均評価・星3.9)

 


映画【ひとよ】予告 11月8日(金)全国公開

ブログ運営を辞める人、辞めない人の差

こんばんは、キタガワです。


先日、ブログ開設からちょうど2年の歳月が流れた。しかしながら2年前と特に変化があるわけではない。相も変わらず記事を執筆し、チョコチョコと更新し続ける日々である。


けれども変わっていないのは自分自身だけの話だ。思い返すとこの2年間、読者登録をしていた人間や相互フォローで境遇を分かち合ってきたブロガーが、引退する場面を目撃する機会が増えてきたようにも思う。


正確には「引退します!」とはっきり公言して辞めていく人間というのはごく稀。大半の人間は何の音沙汰もなく蒸発し、いつの間にか見掛けなくなる。


個人的な一例を挙げるとすれば、当ブログの読者数は26人(2019年11月20日現在)となってはいるものの、その中で定期的に記事を更新している人間はほとんどいない。ギリギリ生き延びているブロガーでさえ1週間に1回程度、思い立ったようにポツポツと更新するのが実状である。


さて、そんな訳で今回は『ブログ運営を辞める人、辞めない人の差』と題し、何故ブログを挫折するひとが多いのか、実際の僕の実例を元に紐解いていきたいと思う。


今回の記事がブログに夢見る盲目な人間や、今現在ブログ運営に悩んでいるブロガーにとって、何かしら考えるきっかけになれば幸いである。

 

結果が出ない(お金・閲覧数)

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ブログというのは世間一般的に『稼ぎやすい』と思われがちな行動のひとつだ。だがそんなハッピーエンドを吹聴しているのはブロガー・ピラミッドの頂点に君臨する者のみで、実際は『ブロガー』と名乗るだけで底辺を這いずっている人間の方が圧倒的に多い。だからこそ安易な気持ちで手を出すと、早い段階で必ずや理想と現実のギャップに打ちのめされることだろう。


基本的にブログを始める人間というのは、2種類しかいない。自己承認欲求の極めて強い人間か、アフィリエイト等で収入を得ようと画策している人間である。


しかしながらそもそもブログというのは、当然の如く読まれなければ話にならない。とどのつまり、ある程度有名になって初めて、ブロガーとして認められるのだ。


ここで一旦、収入面の話に移ろう。ブログの収入というのは、YouTuberといった媒体とは違って非常にシビアである。YouTuberは動画を再生した瞬間に強制的に広告が表示されるため、1再生につき100%の収益が確約されるが、ブログは記事中の広告をクリックされて初めて収益が入る計算。よってただ単に閲覧者が多いブログであっても、収入が比例することは絶対的にない。


事実僕はこのブログを2年以上に渡って続けている身だが、この2年間での収入は僅か1万円足らず。そう。2年で1万円である。日当で換算すると1日あたり13.6円だ。カイジの地下帝国ばりの超低賃金である。


約2年、がむしゃらにブログ運営を行ってきた僕でさえこの有り様だ。ずぶの素人である人間がブログを開設したとて、日常生活の足しに成り得る収入を得られるはずがない。だからこそ、ブログ開始前にブログに対する夢や理想が大きければ大きい人ほど、挫折するスピードも早い。


自己顕示欲の強い人間に至っては、更に悲惨な末路を辿ることとなる。ブログは総じて「好きなことだけ書きます!」では話にならない。流行にひたすら敏感に、かつ読者にとってためになることをしっかりとした文字数と文章構成でもって、それらを量産する必要があるのである。


開始時こそ「やったるぞ!」と意気込んで毎日更新を心掛けても、1ヶ月もすれば「俺何やってんだろ……」と落胆と寂寥に飲まれること請け合い。ブログのみならず何でもそうだが「楽に金が手に入る」などという世迷い言は全部嘘であるか、運よく大成した一握りの人間の感覚だ。凡人が信じてはならない言葉である。

 

そもそもブログをやるべき人間ではない

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続いて提唱したいのは『そもそもブログをやるべき人間ではない』というもの。


繰り返すが、ブログ運営は継続すれば継続するほど、自身が事前に思い描いていた理想と現実のギャップに苦しめられる。だからこそ、結局のところは『ブログをやるべき人間』か『そうでないか』の2択に収束するのが必然なのだ。


『ブログをやるべき人間』というのは、要するに『ブログをやるしか脳がない人間』のことを指す。あなたが映画よりもゲームよりも、食べ歩きや友人と酒を飲んで談笑することよりも、自身がやりたい最優先事項として『ブログ』がある人間なのであれば、絶対にブログをやるべきである。もちろんブログ運営を続けるうち、数々の困難も待ち受けている。だがそれに勝る思いとやる気があれば、どんなことでも立ち向かっていける。おそらくは今有名になっているブロガーは全員がそうした人間であるだろうし、だからこそブログをやっている。


後者の『そうでない人間』は、端的に言えば『別にブログをやってもやらなくてもどちらでも良い人』だ。日本に生きる99%の人間はこの部類に入る。


……だからこそ安易にブログを始めた結果挫折し、諦めた大半の人間は、その中間に位置する行動をとる。つまりは『有耶無耶』である。


大っぴらに「ブログ辞めます」と公言して辞める人間が少ないことを冒頭で語ったが、考えてみれば簡単だ。中間の行動を取る人間は、テレビゲームやアプリ等と同様で「ちょっと飽きちゃったな」、「ちょっとやる気が出ないな」といった思いのままズルズル行ってしまい、最終的には積みゲー状態となっているのだ。


おそらくそうした人にとっては、ブログは特にやるべき行動ではなかったのだろう。そうした人はゲームや飲み会などの『タノシイ行動』でもって、勝手にブログの代替を図れば良い。どれだけ意気込んで金を稼ごうと思ったとて、自分の心の底から『ブログ』という文字が埋もれてしまった瞬間、ブロガーとしての精神的な道は絶たれてしまったも同然である。

 

終わりに

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ここまでいろいろと語ってきたが、僕個人としては知っている読者や知り合いがブログを辞めようが諦めようが、特に何も思わない。むしろブログをせずに生きていけるならその方がいいし、辛い思いをしながら惰性でブログ運営を続けるくらいならスッパリ辞めて、FXなりゲーム実況なり、稼げそうな新たな道を模索した方が有意義なものとなるだろう。


正直自分自身も、何故こんなにも金にならないブログを2年間に渡って続けてきたのか、その理由については分からない。しかしながらただひとつ確かなことがあるとするならば、『ブログに過度な期待をしていない』ためではなかろうかと思う。


ブログ開設当初こそ糸をピンと張り「頑張ろう!」と一心不乱に記事を書いてきたが、その過程で理想を打ち砕かれ、ブログ以上に大切なものを見付け、今では日常的執筆活動の場としてブログを活用し、フラットな気持ちで向き合っている。だから続けられるし、やり甲斐もある。


一度貴方の脳内で問いかけてみてほしい。「一生ブログ書く自信はありますか?」と。もしも少しでも悩んだりたじろいでしまったら申し訳ないが、貴方はブログ運営に向いていない。そんな貴方を必要とする別の道がどこかにあるはずなので、それを探すことに時間を使ってほしい。


言葉は悪いが、ブログを継続して行うことの出来る人間というのは総じて社会不適合者、またはクレイジー野郎である。


今回の記事で現実を知り「ブログ辞めよう」と思った人。今までお疲れ様でした。それとは対照的に「それでもブログやりたい!」と思った人。多いに歓迎する。共に辛酸を舐め、泥を啜り、底辺の中の底辺で頑張っていこうではないか。エイエイオー。

【ライブレポート】美波『TURQUOISE2019⇆2020 ONEMAN TOUR』@広島セカンドクラッチ

こんばんは、キタガワです。

 

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11月3日、美波のライブツアー『TURQUOISE2019⇆2020 ONEMAN TOUR』の3公演目にあたる、広島公演に参加した。


今回のツアーは春に行われた『カワキヲアメク ONEMAN TOUR』から約半年ぶりとなる全13都市、15公演を回る大規模なもの。2019年は“カワキヲアメク”がアニメのOPテーマに抜擢されたことを契機に、一躍ネットシーンの中心へと躍り出た美波。そんな彼女にとって北は北海道、南は沖縄と全国各地に足跡を残す今回のツアーは、画面越しでは決して伝わらない、言わば美波の真髄を見せ付ける絶好の機会であると言っても過言ではないだろう。


しかしながら今回のライブは、セットリストの全容が掴めない稀有なライブでもあった。何故なら過去に発売されたミニアルバム『Emotional Water』とファーストシングル『main actor』は全て完売しているため、現状聴くことが出来る正規の音源はシングルカットされた“カワキヲアメク”に収録されている4曲のみ。加えて彼女の公式ツイッター上では新曲を予感させる歌詞もいくつか発信していたりと、ニューモードの美波も顔を覗かせているためである。


そう。今回のライブは所謂『定期的に開催される美波のツアー』という単純なものではない。この日行われた約2時間にも及ぶ存在証明は、今に至るまでの美波の楽曲群を総ざらいする意味合いは元より、美波の新章を先んじて体験することの出来る、貴重な一夜でもあったのだ。


会場に足を踏み入れると『勘弁してくれ時代の波』との言葉をキーワードとして活動している美波らしく、波の音が緩やかに流れ、心地良いムードを形作っていた。しかしながら背後から時折聞こえる「一歩ずつ前に詰めてください!」というスタッフの声にふと我に返ると、周囲は大勢のファンですし詰め状態と化している。言うまでもなく今回のツアーは全公演がソールドアウト。必然スピーカーから流れるBGMとは対照的に、心の内では静かに熱が高まってくる感覚にも陥る。


開演時間を5分ほど過ぎ、暗転。淡い照明が照らす無音空間の中、まずは今回のライブのサポートメンバーである角本雄亮(Dr)とcoba84(key)がステージに降り立ち、リラクゼーションミュージックを彷彿とさせる音楽を奏で始める。


cobaのピアノのみの演奏でしっとりと聴かせていた序盤こそ穏やかな雰囲気に包まれていたものの、次第に角本による力強いドラムが合わさってのジャムセッションに変貌し、徐々に会場を温めていく。そして熱を帯びる音楽に呼応するように大塚巧(Gt)となんぶし(Ba)、そしてフロントウーマンである美波(Vo.Gt)が配置に着き、各々の準備を始める。なおこの段階では照明は点いてはいるものの未だ暗く、メンバーの一挙手一投足こそ視認出来るものの、メンバーの表情に関してはほとんど伺い知れない。


しばらくしてギターを構え、メンバーと目配せした美波。瞬間美波のブリッジミュートと共に、目映い光が会場を包み込む。かくしてライブは最新シングル『カワキヲアメク』収録の“Prologue”でもって、華々しく幕を開けたのだった。


《今日も歯を食いしばって 何のために生きればいいの?》

《次までは 次まではって 追い込むことで成り立ってきたの》

《ああいいよなあ お前はいいよなあって》

《君って 僕って 迷って 未完成品 プロローグ》


“Prologue”は開幕に相応しい、ロックテイストを前面に押し出したファストチューン。その性急なサウンドもさることながら、美波の感情を乗せた喉が枯れんばかりの絶唱が、壮絶な説得力を携えて会場に降り注いでいく。


メディアでは一切素顔を見せることのない美波の風貌は、金髪に白シャツ、黒ズボンという極めてボーイッシュな装い。更には「かかってこいや広島!」、「後ろの方が(声が)デカいぞ!」と焚き付けるように叫ぶ場面も多々あり、全体の熱量を底上げ。会場は早くも蒸し風呂状態と化した。

 


美波「ホロネス」MV


その後も“ホロネス”、“Monologue”と比較的ロック色の強い楽曲で魅了すると、ここで角本を除いたサポートメンバーは楽器を持ってステージを降り、ステージ上には美波と角本のみに。ギターやベースのみならず、スタンドマイクさえも撤去された殺風景なステージの中心に設置された椅子に、美波がゆっくりと腰掛けて始まったのは“水中リフレクション”と“先生、あのね”だ。


キーボードの柔らかな調べに乗せ、真っ白なマイクを介して歌う美波。感情を楽曲に憑依させ、まるで号泣するかのように声を絞り出して歌うその姿は演劇における悲痛なワンシーンのようでもあり、思わず息を飲む。中でもアカペラで歌われた“水中リフレクション”での《なぜ笑うのです?泣けばよいでしょう》のサビ部分は叙情的な感動を呼び起こし、呼吸をすることすら躊躇われたほど。終了後にはっと思い出したように送られた疎らな拍手は、彼女の発するメッセージが集まった観客の心の奥底まで届いた事実を、何よりも雄弁に証明していたように思う。


新曲“アメヲマツ、”後は大塚によるMCへ突入。今回は新メンバーを加えての初の広島公演ということもあり、まずは各自が『今まで広島に何回行ったのか』をテーマに、他愛のないトークを展開。更には同年3月に広島で行われた『カワキヲアメク ONEMAN TOUR』にも触れ、今回のライブと総合して改めて広島に住むファンの熱量が凄まじいことや、この日のライブがいかに楽しいものなのかを、ファンと共有しながら熱弁していく。


前述の通り、2019年は間違いなく美波史上最も知名度を獲得した年であったと言えよう。その爆発的な勢いは日本国内のみならず海外にも広がり、公式動画は僅か4本しか公開されていないにもかかわらず、動画の総再生数は今記事執筆時点で9600万回以上と、驚異的な広がりを見せている。


MCにて「このライブハウスでやるのは3回目」と美波は語っていたが、現在の美波の人気を鑑みるに今回会場に選ばれたライブハウスは明らかに狭く、一見今の人気とは釣り合っていないようにも思える。しかし美波の行動理念は数年前から一貫して『良い歌を作り、美波の音楽を必要とする人の元に届ける』というものであり、それは会場の大小や集客には一切左右されない。


事実“水中リフレクション”や“先生、あのね”といったピアノと歌のみで進行する、ライブならではのアレンジが施された楽曲群は小さなライブハウスに相応しい世界観を構築していたし、アッパーな楽曲ではひしめき合うファンによる「オイ!オイ!」のコールが鳴り止まなかったりと、結果的には美波とファンとの絶対的かつ双方向的な関係性を密に感じるには最適な環境下と言えた。


そして「ここから後半戦です。盛り上がって行けますか!」と大塚が観客に問い掛けて始まったのは、美波最大のキラーチューンとして話題を集める“カワキヲアメク”だ。

 


美波「カワキヲアメク」MV


《もういい ああしてこうして言ってたって 愛して どうして? 言われたって》

《遊びだけなら簡単で 真剣交渉無茶苦茶で》

《思いもしない軽(おも)い言葉 何度使い古すのか?》


イントロの時点で大歓声に湧いたフロアの中心を、孤独を孕んだ言葉の数々が切り裂くように響き渡っていく。“カワキヲアメク”は全体の言葉数が多く、声を張り上げる箇所も多数存在するため歌唱の難易度は極めて高い。しかしながら美波は息が続かなくなりそうな場面は精神力でカバーし、髪を振り乱しながら鬼気迫る演奏を繰り広げるなど、CD音源とは大きくイメージを変えた肉体的なサウンドに昇華。ひとつのハイライトとも言える盛り上がりを見せた。

 


美波「ライラック」MV


その後は《代わって、化わって、変わってよ》との歌詞が印象深く響いた新曲“ヘナ”、美波が「跳べー!」と絶叫し、突き上げられる拳とタオルが入り乱れたライブアンセム“ライラック”と続き、この日何度目かのMCへ。


「ライラック凄かったね。あんなに盛り上がってくれたの初めてかも。3公演目だけど、トップかな」と美波がクールな笑顔を浮かべながら語る。気付けばサポートメンバーは全員ステージを降りており、ステージには美波ひとりになっていた。


発する言葉を選んでいたためかしばらく無言の時間が続き、美波が再びゆっくりと語り始める。……それは美波が今まで表沙汰にはしてこなかった、注目度の上昇と共に膨らみ続けた内に秘めたる思いであった。


「これまで2公演終わってさ。正直ボロボロだったんだよ。何か私、だっせーなって思って……。最近悩むことも多くなって。誰かと比べられたりとか、周りの人たちから『美波は○○っぽい』って言われたりとか……。それを見たり聞いたりして、『美波は美波なんだけどなあ』とか『私は私なんだけどなあ』とか、いろんなことを考えてました」


「(次に歌う曲は)私がまだ高校生の頃、お客さんが0人のフロアで歌っていたりして。終わった後はずっと楽屋で泣いてました」


ミュージシャンには大きく分けて、ふたつの人間が存在する。音楽は音楽、自分は自分と割り切って活動を行う人間と、音楽=自分自身であり、音楽を作り続けなければ自己が保てない人間だ。その中で美波は間違いなく後者の人間であり、彼女の生み出す音楽は《こんな3次元なんて逃げたくなるにきまってんだろ》と現実を憂う“ホロネス”然り《決められた固定概念なんて捨てろ》と絶唱する“ライラック”然り、幾度も彼女自身に寄り添い、また奮い立たせる役割を担ってきた。


しかし彼女は同時に、音楽への思いが強すぎるが故の葛藤と悩みも、人一倍経験してきた。2018年には自身初となるメジャーデビューに伴う悩みから最後まで歌えない状態になってしまったり、体調不良によりライブ自体が中止となったり、過去には弾き語りの生放送中に涙を流したこともあった。詳しい理由については明言されていないものの、過去と現在の痛みを赤裸々に叫ぶ彼女の楽曲を聴いていると、それらは彼女にとって音楽という存在があまりにも大きすぎるゆえ、重みに耐えきれず潰れてしまった一幕であったとも思うのだ。


……このMC中、美波の瞳は濡れていた。それでも彼女は過去と現在の自分を照らし合わせながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ、思いの丈を集まったファンに届けていた。もちろん今回語られたMCと演奏だけでは、美波の音楽生活の全てを理解できたとは言い難い。だが総じてこの数年間の彼女がどれだけの思いで音楽と向き合い、また苦難の日々を送っていたのかは、痛いほど感じ取れた次第だ。


そして「今日は前を向くためにこの歌を歌います」と語って始まったのは、主人公になれない日陰者に焦点を当てた“main actor”である。

 


美波「main actor 」MV


〈ひとつだけ ひとつだけ ひとつだけ ひとつだけ〉

〈僕がここにいる証明を〉

〈僕にしか 僕にしか 僕にしか 僕にしか〉

〈出来ないことの証明を〉


美波は時折声を震わせながら、アコースティックギターの弦が切れそうなほどの力強いストロークで、自身の全てを出し尽くそうと言わんばかりの気迫で魅了していく。後半にかけては歌詞の一部分を絶叫したりフラつきながらも、限界突破のパフォーマンスで圧倒。周囲には涙を流す観客も多数見受けられた。もはや“main actor”は美波だけの歌ではない。同じように辛い悩みを抱える若者たちに徹底的に寄り添った、一種の応援歌とも言うべき壮大さで鳴り響いていた。


“main actor”後はサポートメンバーが三たび配置に付き、美波が「次が最後の曲です」と呟く。そうして本編最後に披露された楽曲は“フライハイト”と名付けられた新曲だった。


“フライハイト”は今回演奏した楽曲で例えるならば“ライラック”に似た、BPM速めのロックナンバー。美波は「おい!そんなんで良いのか!最後だぞ!」と観客を焚き付け、出し惜しみなしの完全燃焼を図る。前半こそ矢継ぎ早にサウンドを展開させていた“フライハイト”だが後半にかけては一転、落ち着いたサウンドに変化。中でもサビ部分における《しょうもなーいぜー》、《タラッタラー》から成るコール&レスポンスの一体感は筆舌に尽くしがたいものがあり、今後美波のライブを語る上での新たな定番曲となる印象を受けた。


4人がステージを去った後、自然発生的に巻き起こされた「みーなーみ!」コールで舞い戻った美波とメンバーたち。美波は大歓声に沸く観客を眺めつつ「ヤバいね。バイブス高めで良いですね」とご満悦。


そう語る美波は広島カープのユニフォームを身に纏っており、「せっかくのアンコールなんで、カープ女子になりたかった」と思いを吐露するも、直後に自身が構えたギターとユニフォームが全く同じ赤色であることに気付き「服もギターも赤……」と笑いを誘う。


続いて自身の着ているユニフォームがカープ選手の実際の背番号であることを語った美波は、おもむろにギターをストロークし「カープ、カープ、カープ広島……」と“それ行けカープ”を披露するこの日ならではのサプライズが。しかしながら美波はサビ以外はほぼうろ覚えの状態らしく、メロ部分は曖昧な発音と鼻歌で力技で進行。最終的には観客が残りの歌詞をサポートしつつ、角本のドラムも加わって大盛り上がりで終了。恥ずかしそうに笑う美波とメンバーに、大きな拍手が送られた。


その後は1年刻みで、この日集まった観客の年齢層を挙手制にて把握。結果15歳から20歳までのファンが最も多かったことや、最年少は中学校2年生のこどもであることを確認し、美波は「凄くない?こんなにいろんな年代の人たちに聴いてもらえて嬉しいね」と嬉しそう。


MCの盛り上がりが一段落した頃、美波が神妙な面持ちで語り始める。それはネクストステージに向かう決意を固めた美波の、明確な決意表明であった。


「美波は来年、第二章に行かなければなりません。アンコール、1曲だけやります。……って言ってもさっきもやったんだけどさ。この曲だけは絶対に覚えて帰ってほしいから。ありがとう広島、絶対忘れない。また絶対帰ってくる。お前ら忘れるなよ!」


そう叫んで始まったのは、この日2回目となる新曲“フライハイト”。美波は「来れんのか?来れんのかって!もっと来いよ!」と今まで以上に観客を煽り倒し、目をひんむきながらの渾身の絶唱でもって、フロア全体が揺れに揺れた。何よりも印象深く映ったのは、観客の絶大な盛り上がり。それは“フライハイト”が2回目の演奏となったことも理由のひとつではあるが、何より第二章へと歩を進めようと未来を見据えた美波に対する、ファンからの祝福のようにも感じられた。


事実コール&レスポンスも本編よりも数倍大きく感じられ、多数の「オイ!オイ!」コールでもって新曲であることを感じさせない、言うなればライブで何度も披露されているキラーチューンのような天井知らずの盛り上がりを記録。演奏終了後に「ありがとうございました!」とステージを去った美波とメンバーに観客は割れんばかりの拍手を送り、大団円で幕を閉じたのだった。


令和の新時代に突入し、新進気鋭の若手アーティストが台頭する昨今。サウンドに変化を加えたバンドやオリジナリティーを武器にした歌手などその形は様々だが、何故美波は群雄割拠の中においてここまでのブレイクを記録し、若者を中心に巨大なムーブメントをもたらしたのか。……その答えが、今回のライブには如実に現れていたように思う。


とりわけ今回のライブを通して最も強く抱いたのは『孤独感』だった。弾き語りの形で披露された“水中リフレクション”や“main actor”といった楽曲に顕著だが、美波の楽曲には上手く生きられない人間の悩みや葛藤、寂寥が等身大で描かれている。そしてそうした事柄は間違いなく美波自身が経験した……もしくは今も抱え続けているリアルである。


けれども美波の抱える『孤独』という鬱屈した感情は同時に、今を生きる若者の悩みにも置き換えることが出来る。スマートフォンの普及とSNSの発達に伴い、こと人間関係におけるストレスは年々肥大化している印象が強い。検索すれば上位に表示される『答え』を知ることができ、暇さえあれば友人らの心からの呟きをチェックしてしまう……。それらのインターネットを主とした技術の発達は、確かに便利にはなった。だがそのひとつの弊害として、1対1で行われる他者との関係性は幾分表面的なものとなり、無意識的に相手との距離を測ってもしまう。


だからこそ、血を吐かんばかりの熱量で心の叫びを代弁する美波の存在は、ある種の救いにもなり得ると思うのだ。悩みを具現化する彼女の楽曲は、これからも同じように悩みを抱える人間に寄り添い、心を解きほぐしていくだろう。そして今回披露された“アメヲマツ、”や“ヘナ”、“フライハイト”といった3つの新曲群は、美波の知名度を飛躍的に上昇させる契機となると共に、唯一無二の武器となるだろう。


断言しよう。来年に訪れる美波の第二章は、間違いなく光輝いていると。


【美波@広島 セットリスト】
Prologue
ホロネス
Monologue
水中リフレクション
先生、あのね
アメヲマツ、(新曲)
カワキヲアメク
ヘナ(新曲)
ライラック
main actor
フライハイト(新曲)

[アンコール]
それ行けカープ
フライハイト(新曲)

紅白歌合戦の初出場組の面々に感じた、『今』の音楽時代

こんばんは、キタガワです。

 

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先日、今年の紅白歌合戦の出場歌手が発表された。


毎年リーク情報がインターネット上で錯綜したり、予想外だの何だのと揶揄される紅白歌合戦。結果としては今年も例年同様の騒動めいた事象はあったものの、最終的にはいつもの紅白の発表と相成った。


何より驚きなのは、その顔ぶれだろう。


SEKAI NO OWARI、Sexy Zone、三代目 J Soul Brothersといった長年紅白歌合戦を彩ってきたアーティストは軒並み落選。それだけに留まらず、今年は特にお茶の間に広く鳴り響き、より一層のブレイクを期待されたはずのあいみょんやIZ*ONE、米津玄師といったネクストジェネレーションを代表するアーティストもおらず(おそらくあいみょんと米津玄師は自分から出場辞退したのだろうが)、例年になく物寂しさが残る結果となった。


そんな中注目したいのが、今年初出場となる面々だ。


間違いなく今年最もバズったと言われるOfficial髭男dismとKing Gnuを筆頭に、完全に出場のタイミングが1年遅れたFoorinがハレルーヤ。坂道グループからは満を持しての最後の刺客、日向坂46(元けやき坂46)が紅白内定を勝ち取った。更にはGENERATIONS、Kis-My-Ft2といった男性アイドルグループや、おそらく世間一般的は完全なる大穴だったであろうLiSAと菅田将暉という男女それぞれのソロアーティスト……。近年稀に見る異種格闘技ばりの様々なアーティストが集結した。


さて、今回は流行やオリオンチャートの奥の奥。3つの独自の視点から、主に初出場組に焦点を合わせながら紅白歌合戦を切っていこうと思う。


それではどうぞ。

 

 

何だかんだ米津

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僕は今年の3月に『米津玄師は宗教だ』という記事を執筆し、その最後に「今年の紅白で米津玄師繋がりで出場するのは何組だろう?」と書いた。


思えば2017年のあたりから、米津の勢いはある種宗教じみたものを感じるほどに留まることを知らなかった。音楽業界のみならず日本全体が米津が呟いた言葉の数々に翻弄されている感すらあり、そうした実情を危惧した当時の僕が思いの丈を爆発させた結果、それが『米津玄師は宗教だ』という色々とひん曲がった記事として帰結してしまったのである。


しかしながら、一度冷静に考えてみてほしい。今の日本の音楽シーンは読者の皆様方が思っている以上に、何だかんだ米津玄師1強時代なのだ。


米津自身の楽曲は“すべて”、某動画サイトにて5000万再生以上を記録。中には1億再生、4億再生なんてものもある。そして彼が手掛けた楽曲も軒並みブレイクを果たし、流行の中心へと躍り出ている。中田ヤスタカの『NANIMONO』。DAOKOの『打上花火』。Foorinの『パプリカ』。菅田将暉の『灰色と青』と『まちがいさがし』……。今まで世間一般的に見向きもされていなかったはずのアーティストたちが、米津の楽曲によってみるみるうちに名が知れ渡り、知名度を高めていった。


それは確かにアーティストとしては喜ばしいことだけれども、個人的には若干の怖さも感じさせる部分もあった。そしてそれは今年の紅白歌合戦にて、現実のものとなったのだ。


まず今回の紅白歌合戦の初出場組であるFoorinと菅田将暉が歌う楽曲はほぼ100%、米津が作詞作曲を務めた『パプリカ』と『まちがいさがし』である。そして僕の記憶が間違っていなければ、確かKing Gnuが大ブレイクを果たしたのも米津がツイッター上で「今一番オススメのバンド」としてプッシュしていたのがきっかけだった(特にKing Gnuは米津がオススメしてから、本当に驚くほど有名になった)。


こうして例を挙げただけでも、今年米津繋がりで紅白内定を獲得したのは間接的なものも含めて3組。そして昨今のリリース状況とオリオンチャートを鑑みるに、十中八九米津サイドは自分から内定を辞退しているが、もしも前回のような「祖父が~」といった話を持ち掛けられていたのであれば、米津自身も2年連続の紅白出場を果たしていただろう。


……今一度言わせてもらいたい。今の音楽シーンは何だかんだ米津である。

 

ストリーミングサービスの台頭

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音楽業界全体で見て今年の大きな出来事は、ストリーミングサービスの台頭であった。


はっきりと書いてしまうが、今や『CDを購入して聴く』という人間は、少なくとも若年層にはまずいない。特に今年はSpotifyやAmazon Music、LINE Music、Apple Musicといったストリーミングサービスが普及し、更にそこにTikTokや違法ダウンロードが入り込んでしまったために、音楽自体の価値は限りなく落ち込んでいる。極端な話をしてしまえば、『アルバム全体を聴く』という人間というのは若年層の50人に1人であると考えていい。


そんな時代だからこそ重要になるのは、ズバリ『1曲のバズ』である。


今年の初出場組で言えばヒゲダンの『Pretender』やKing Gnuの『白日』、Foorinの『パプリカ』、アニメ主題歌となって話題となったLiSAの『紅蓮華』がそれに該当する。先程の米津玄師の話にも繋がる話ではあるが、1曲だけでも爆発的に弾けた瞬間、そのアーティストにとっては何よりも勝るブレイクのきっかけとなるのが今の時代なのだ。


例えば個人的にはヒゲダンやFoorinならいざ知らず、King Gnuはメジャーデビュー1年目ということもあり、あまりにも紅白内定には早すぎると考えている。だからこそその裏にはストリーミングサービスの大バズが関係していることは明白で、言うなればNHK側も「ここまでブレイクしてしまっては流石に看過できない」と判断しての起用なのだろう。


これに関しては今の世の中の良い点なのか悪い点なのかは分からないが、とにかく。初出場組が今回内定を勝ち取ったその背景には間違いなく今の音楽事情が反映されているということを、忘れてはならない。

 

アイドルには絶対に勝てない

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これに関しては今年のみならず毎年毎年言われていることではあるのだが、やはりアイドルは人気が高い。


あまり知られていないことではあるが、紅白歌合戦の出場歌手の選考に当たって重要視されている事柄は、『今年の活躍・世論の支持・番組の企画演出』という3項目である。その中でCD売上やカラオケ、世論調査といった情報を総合的に判断し、NHK側が最終的に決定する。


さあ、勘の良い読者の方はお分かりだろう。まず『今年の活躍(CD売上)』の時点で、AKBグループ(坂道グループも同じ)は絶対的に上位に来るのである。


これに関しては僕が以前書いたこちらの記事を参考にして貰いたいのだが、『CD1枚に数秒間の握手券を封入し、握手の時間を増やすには何枚も購入するしかない』というこの悪どい手法でもって、AKBグループのCD売上はそんじょそこらのベテランアーティストが束になっても敵わない。


例えば今回内定が確定している日向坂46の最新シングルの売上は、初週で約47万枚。ちなみに同じく紅白に内定したヒゲダンの新譜は約8万枚である。この情報だけを見ても、いかにAKBグループのCD売上がとてつもないものなのか、ご理解いただけると思う。


次に『世論の支持』という点。これについては言うまでもないが、ファンが多いということはすなわち『曲が歌われたりリクエストされる回数も多い』のだ。例えばカラオケで『AKB縛り』のようなオフ会を開催したり、推しがSNS上で「全国のラジオでリクエストお願いします!」と語るだけで、あり得ないレベルの数字が動く。


最後の『企画演出』というのも、考えると簡単だ。アイドルはゴールデンボンバーのように大量の仕掛けを用意したり、バンドのように重い機材を準備する必要はない。必要なのは人数分のマイクだけ。しかも『電源が入っていなくても良い(要は口パク)』のだから、テレビ局にとってこれほど楽なものはないだろう。

 

おわりに

長々と語ってしまったが、僕は今年の紅白歌合戦をとても楽しみにしている。


今回の記事でボロクソに語った部分はあるにしろ、やはり大衆に多く認知される音楽番組というのは紅白歌合戦が一番だ。これをきっかけに音楽に対する興味が高まり、未だ見ぬ音楽に触れるきっかけになってくれれば、それは何よりも喜ばしいことである。


しかしながら声を大にして伝えたいのは、『全てを盲目的に捉えないでほしい』ということだ。


あなたが紅白歌合戦を観て、「菅田将暉かっこいい!」でも「King Gnuの井口さんやっぱり最高!」でもどのような感想を抱いても結構だが、今回の記事で書いたように、その裏にある部分を決して忘れないでほしい。


紅白歌合戦は清純なテレビ番組だ。だからこそ分かりやすく売れたアーティストを起用するし、売れた曲を演奏させるし、万人受けしたアーティストにオファーする。だが『音楽』というのは、それだけではないはずだ。もしも気に入って貰えたなら、そのアーティストの他の曲も聞いてほしい。その裏側にある深意を汲み取ってほしい。そして何より、紅白での1日のパフォーマンスだけが全てだとは思わないでほしいのだ。


以上が、僕が今回の記事で絶対に伝えたかったことだ。


貴方にとって今年の紅白歌合戦が最高のものとなることを、心から願っている。

ブログ開設2年目に突入したので、ちょうど2年前の話をば

こんばんは、キタガワです。

 

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某日、一通のメールが届いた。宛先ははてなブログから。そこに書かれていた文言は「キタガワのブログを開設して2年が経ちました」……。全く実感が湧かないが、要はそういうことらしい。


2年間。2年間である。この世に生を受けた赤子がたどたどしくも話せるようになる期間。仕事を始めた人間がようやくある程度の業務に慣れるほどの期間。それだけの長きに渡って、僕はブログを書いてきたわけだ。感慨深い気持ちは然程ないにしろ、ブログ開始当初は『最低2年は続けよう』という暗黙のルールのもと活動を行ってきたこともあり、ひとつの到達点に達した感すらある。


そんなこんなで今回は、2年目に突入した今の赤裸々な心境について洗いざらい語り、中でも今までの記事であまり語ってこなかった、ブログ開設時の話を書き進めていければと思っている。当ブログでは節目節目で現在の境遇をさらけ出しているため、何点か重複する部分は出てくるとは思うが、ご容赦願いたい。


僕が当ブログを開設したのは、2017年11月7日。その頃はちょうど僕が新卒で入社した『某社』で、どん底の地位を確立していた時期だった。


前述した『どん底の地位』と言うのは、決して誇張表現などではない。当時の僕は間違いなくどん底だった。それだけに留まらず、僕は毎日毎分毎秒、最悪な行為ばかりをひたすら空想していた。


11月になったばかりのある日、僕は店の方針と意見が食い違い、店長と未曾有の大喧嘩をした。そして11月30日付けで退職するという旨の退職願いをその場で書き殴り、店長に手渡した。4月に勤務を初めてから約半年。あまりにも短い正社員生活だった。


そして次の日の朝礼時には、店長直々に全従業員へ「キタガワは絶対に売り場に出すな」との命令を下された。よってそれから退職までの1ヶ月の間は、『ショップ店員のキタガワ』として売り場に一切出ることは一切なかった。そして僕はそのまま誰にも存在を感じさせることなく、制服と帽子だけをロッカーに返却してひっそりと姿を消したのだった。


その間の僕は何をしていたかと言えば、ただ掃除をしていた。朝10時から夜21時まで。もちろん従業員しか通らないバックスペースなど僅かなものだったが、そんな『掃除の意味すらない場所を掃除すること』こそが、僕に与えられた唯一の仕事だった。今思えば誰からも口を開かれず存在意義すらないそれは、所謂『社内ニート』と呼ばれるものであったと思う。


当然の如く、僕の心は疲弊していた。退職願いを店長に手渡したあの瞬間の出来事は、今でも夢に見る。店長に呼び出されての「キタガワくんって従業員の皆に嫌われてるってこと分からない?」に端を発した罵詈雑言の数々に怒り狂った僕は、「こっちも言いたいことあるんで言っていいですか」と前置きした上で、今までの鬱憤を晴らすかのように思いの丈をぶち撒けた。


「そうした言葉を同じ人間に吐くのは、お客様第一を謳う営業店舗の最高責任者として如何なものか」


「高齢者に高額な商品を売り付けるよう従業員に指示したり、単価の高い商品だけを売り場に出して安価な商品はバックに下げるなど、やっていることは詐欺ではないか。そうした手法で高額商品を売り付けることが正義であり正社員の在り方だと言うのなら、僕は今すぐに辞める」


「僕は僕が良いと思った商品を、しっかりと納得して買ってもらいたい。もしもそれで問題が生じたら僕が全責任を取る。借金したっていい」


……詳しい内容は覚えていないが、僕は確かそうした言葉をぶちまけた気がする。その結果出された答えが「じゃあ辞めるしかないね」、「少なくとも君はもう売り場には出せないね」というものだった。


話は少し脱線するが、僕は『社内ルール』というものが大嫌いである。例えばコンビニで年齢確認のボタンをお客さんに押してもらわないといけないとか、お客さんが口頭で電話番号を言うのはタブーだとか、電話は5分以内に切り上げろだとか。


そうしたルールは一見お客様目線に見えるが、その実態は決してお客様目線でも何でもない。それらはただ単に『店は責任を負いませんよ』という会社本意のためだけのルールである。しかしそのルールを守るのが、最低限の正社員に課される使命でもあるわけで、かつて店長に言われた「ルールを守れない人は売り場には出せない」という発言は、確かに理にかなっていると思う。


だが僕は僕で、譲れない一線というのはある。「売り上げを伸ばすために高齢者に高額商品を売れ」とか。「労基が視察に来るから出勤時間を改竄しよう」とか。「オススメ商品と偽って売れてない商品を売ろう」とか。それがどれだけ大事なルールと言われるものだとしても、譲れないものは譲れない。


僕はそうした『自分の中で譲れないこと』があるたびに、自分が腹落ちするような納得のいく答えが出るまで上司と徹底的に討論したい類いの人間だった。そして僕は、気付けばひとりになっていた。


セブンイレブンの夜勤、セブンイレブンの朝勤、セブンイレブンの昼勤、ファミリーマート、片側交通警備員、焼肉屋、ライブ運営、学童保育の教員、映画館、カラオケ店、販売員、携帯電話小売店、ホームセンターの棚卸し……。両手の指に収まらないほど様々なバイトを経験したが、その全てにおいて人間関係の悪化により自主退職、もしくはクビという末路を辿ってきた。


生き方は年々多様化してはいるものの、その中でも絶対に欠かせないものが『コミュニケーション能力』である。仕事をする上ではまず教えを乞わなければならない。分からないことがあれば聞かなければならない。どんなときでも社内の人間と良好な関係を築かなければならない……。僕はそうした『普通の人が当たり前に出来ること』が、何故か意図しない形で伝わってしまう人間だったのだ。


僕が乞音持ちだからなのか、負のオーラを身に纏っているからなのか。はたまた態度が不快感を与えるのか……。詳しい理由は分からないが、どうも僕は人間関係が極端に苦手で、特に職場の人間から嫌われる確率は異常に高いらしかった。


そう。長い人生経験でただひとつだけ分かっていることがあるとするならば、僕は社会で生きていくにはあまりにも難しい性格で、たったひとりで生きていく選択肢以外は完全に絶たれているらしい、ということだ。


日々職場に出向いているにも関わらず、誰とも関わらない生活を送らざるを得ない人間の気持ちが分かるだろうか。分からないことを質問しても、まともに教えてもくれない疎外感は。仕事終わり、職場の全員が飲みに行く姿を暗闇でひとり見送る気持ちは。影で僕の悪口大会で盛り上がる中、素知らぬ振りして愛想笑いをしなければならない人間の気持ちは。


そんな友人とも家族ともまともに話せない、けれども本心では話したがりの人間である僕が、自身の思いを好きなだけ発散する場所。それがキタガワのブログだった。ひとりで何もかも解決でき、誰にも邪魔されることのないブログの存在は、いつの間にか僕にとって大きな救いとなっていた。


僕が残された道は、ひとつしかなかった。最近気心知れた友人らから「そんなに文章書けて凄いね」と言われることはあるが、何ということはない。僕にはこれしかないのだから。


だからこそ僕は日常的な執筆活動の場としてブログを2年間に渡って続けてきた。今の僕がある程度の精神状態を保ち、最悪な行為を実行に移さず自身を説き伏せられているのは、紛れもなくブログの存在が大きい。


しかしながらいつぞやの記事で語ったように、僕の最終目標はブロガーではない。僕の目標はあくまでも『音楽ライターとして安定した収入を確保すること』であり、ブログはそのためのステップに過ぎない。そのため最近は更新頻度も1年前と比べて圧倒的に少なくなっている。


今年は某音楽雑誌に文章が載ったり、月間賞をいくつかいただいたり、直々に執筆依頼をもらったりと、音楽ライターとしての道を少しずつ登っている感覚はある。だが今の僕は未だ島根県で細々と暮らすだけのただのフリーターであり、確固たる地位を築いているとは言いがたい。だからこそ今の僕の正直な気持ちとしては「早く音楽ライターとして結実したい」との思いが強い。もしかすると今後はブログの更新頻度は更に減るかもしれない。


だが、ブログを辞めるつもりはない。


ひとつひとつの記事に対して真剣に向き合っている自負はあるし、そんじょそこらのSNSを利用して読者を獲得したり、適当な記事を連投してアクセス数を記録するようなつまらないブロガーには負けないと本気で思っている。結果として底辺ブロガー感丸出しの現状ではあるが、これはこれで良いんじゃないかと。


……普段はあまり感謝の気持ちを述べることはないのですが、応援していただいている読者の皆様方には、本当に感謝しております。


今後とも『キタガワのブログ』を宜しくお願いいたします。

 

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音楽の話→こちら

 


amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌

【ライブレポート】集団行動『ミッチー的 集団行動「承」』@TSUTAYA O-nest

こんばんは、キタガワです。

 

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10月27日。集団行動にとって初となるメンバープロデュース型ワンマンライブ、『ミッチー的 集団行動「承」』に参加した。


『承』なる意味深なタイトルからも分かる通り、今回のライブはバンドの発起人でもある真部脩一(Gt)総指揮のもと、9月の『西浦謙助的 集団行動「起」』、10月(今回)の『ミッチー的 集団行動「承」』、そして来たる11月には『齊藤里菜的 集団行動「転」』と、各メンバーによる異なる趣向で3ヶ月に渡って同会場で開催されるものだ。


しかしながら集団行動が本格始動したのは2017年ということもあり、まだまだ彼らの活動歴は短い。毎年コンスタントにアルバムをリリースしてはいるものの、現在までに発売されているアルバムはミニアルバムである『集団行動』と『充分未来』、そして今年発売されたフルアルバム『SUPER MUSIC』の計3枚のみ。


通常のワンマンライブでは、今までにリリースした全アルバムの中から満遍なく選曲し、公式のMVとして上がっているようなキラーチューンを網羅しつつ進行していく形が一般的である。


にも関わらず先月行われた『起』の本編では、今までにリリースした『集団行動』、『充分未来』の計2枚のミニアルバムの楽曲を収録順に全曲披露。最新アルバムの楽曲に至っては本編で1曲も演奏されないという予想外なものだった。


それでは今回の『承』の本編はどうだったのかと言えば、何と『起』とは対照的に2枚のミニアルバムからは2曲ずつ抽出されるのみで、残り12曲は全てニューアルバム『SUPER MUSIC』からというこれまた予想外なものだった(記事執筆時点では未だ『転』は開催されていないが、ここまで来ると全く予想出来ない)。


定時を迎えると、ステージにゆっくりと歩み始めたミッチーは、スポットライトを浴びながら今回のライブのストーリーについて語る。


先月行われた『起』の終盤にて暴君に銃殺され、脳だけになってしまった真部(詳細は割愛)。集団行動の全作詞作曲を務める彼を救うべく旅に出たミッチーは、とある力を身に付けてライブハウスに帰還したそうだ。


その力の正体はタイムリープ。彼の胸には時計が身に付けられており、この時計を操作することで時間を巻き戻すことが出来るという。早速時間を巻き戻したミッチーは撃たれる寸前で真部を庇い、代わりに自身が銃弾に当たったことにより真部の死は回避された。


しばらくして、ステージに舞い戻ったミッチー。その頭には包帯が巻かれており、僅かに血が滲んでいる。


もう一度ライブの初めからやり直すことを決意したミッチー。「うん。お客さんにも気付かれてないし……。このまま行こう!起承転、スタートです!」と叫ぶと、ダンサブルなSEに合わせてメンバーが登場。銃殺されたはずの真部も元気そうだ。


遅れてゆっくりとステージ中央へと進んだ齊藤里菜(Vo)が「集団行動です。最後までよろしく」と発してスタートした1曲目は、ニューアルバムでも同じく1曲目に位置していた『SUPER MUSIC』。


〈最高の瞬間を 最高の快感を まだまだ死ねないdon't stop the music〉

〈青春の衝動を 存在の証明を残そう 踊ろう さあdance dance dance〉


『SUPER MUSIC』はライブの開幕に相応しい、タンサブルに進行するポップロックナンバー。齊藤はごく稀に体を翻して後ろを向く程度で、基本的にはじっと前方を見据え、圧倒的な集中力で歌唱に全身全霊を注ぐ。かつて『ミスiD 2016』のファイナリストにも選ばれた経歴を持つ齊藤。その美貌も相まって、じっと目を釘付けにさせられる。バンド結成前は「ほとんど音楽に興味がない」とインタビューで語っていた彼女だが、今回のライブでは明らかに歌唱力が向上していたのもひとつのポイント。いちボーカリストとして完全に自立した印象を受けた。

 

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真部、ミッチー、西浦、そしてサポートメンバーの奥野大樹(Key・ルルルルズ)から成る楽器隊はタッピングやスラップ、早弾きといった高度なテクニックこそ使わないものの、ずっしりとした演奏で土台を固め、抜群の安定感でもって雰囲気を形作っていく。


続く『テレビジョン』も同様に、アッパーながらもテンションの高さをほとんど感じさせないマイペースな雰囲気で魅了。日本の音楽シーンに大きな影響を与えた相対性理論時代(ちなみにかの名曲『LOVEずっきゅん』の作詞作曲も真部である)にも感じていたことではあるが、やはり真部の織り成すサウンドと歌詞はかつ一度聴いただけで「真部だ!」と分かるような唯一無二の存在であり、そうした音の数々が目の前で繰り広げられている光景には、感動すら覚えてしまう。


しかしながら、集団行動の素晴らしきライブは早くも不穏な空気を見せることとなる。時間の概念を超越したミッチーは、今なら全てが自分の思いのままであると考え、完全なる暴走状態と化す。そして「せっかくの機会だからメンバーへの日頃の鬱憤を晴らしてやろう」と考えたミッチーの高笑いが響く中、『セダン』へと移行。


冒頭こそ順調な滑り出しではあったものの、ピタリと静止した状況の後に全員が一斉に演奏するという最も良い場面で時間を停止したミッチー。だがミッチーの所業はそれだけに留まらない。今まで散々弄り倒された鬱憤を晴らすべく、まずは西浦のドラムスティックを奪い取ると、その代用品として大根をセット。キーボードの奥野には「出す音全部和音にしてやる!」となべつかみを装着し、真部には「プライベートがキザだから」との理由でピックの代わりに一輪の花を持たせる。フロントウーマンの齊藤には背中に“何か”を括り付け、時間停止解除。


必然、演奏はぐちゃぐちゃ。あまりの不協和音ぶりに急遽演奏を止めさせたミッチーは、ここぞとばかりに「真部さん!何で花なんか持ってるんですか?真面目にやってくださいよ!あなたも大根なんて持っちゃって!」と満面の笑みで説教モードに。


数分後、ピックやドラムスティックに改めて持ち替えて再開したものの、齊藤の背中に括り付けられた“何か”の存在は未だ不明のまま。しかし直後にギターソロ齊藤が後ろを向くと、そこには大きく『←バカ』と書かれており、矢印に示されていたのはギター担当の真部。目を瞑りながら高難度のギターソロを繰り出す真部と、そんな彼を文字通り馬鹿にする『←バカ』のくだりに会場は爆笑の渦に包まれる。演奏終了後は背中の貼り紙に気付いて怪訝な表情を浮かべた齊藤だが、その後は無表情でそれを観客に手渡すと、何事もなかったかのように歌い始める。

 


集団行動 / 「ザ・クレーター」Lyric Video(Short ver.)


その後は間に1stミニアルバム収録の楽曲やミッチーの故郷である大阪・難波の話を挟みつつ、ニューアルバムの楽曲を惜しみ無く披露した集団行動。ミッチーが「ありがとうございましたー!」と叫び、本編最後は『鳴り止まない』でシメ。


『鳴り止まない』は「鳴り止まないなないなななない……」のリフレインがぐるぐる回る、集団行動としては珍しいシンプルなロックンロール。ラストの楽曲にはない相応しい目まぐるしい疾走感でもって駆け抜け、笑顔でステージを去っていった。


ここまでで約40分。あまりにも早い幕切れに疑問を感じ、現時刻を確認する観客も多く見受けられたが、当然ながらまだライブは終わらない。


アンコールを求める手拍子が広がる中、再びステージに舞い戻ったミッチー。「いやー、ライブ良かったなあ!」と語りつつ、若干の物足りなさを感じたミッチーは、もう一度ライブを最初からやり直すことを決める。早速時間を巻き戻した彼だったが、予想以上に時間を戻しすぎたようで、気付けば今まさに真部が銃殺されようかという状況であった。


危険を察知したミッチーは「ちくしょう!間に合ってくれ!」と再び真部を庇う行動に出たのだが、冒頭では1発しか放たれなかった弾丸が何故か今回ばかりは数発発射され、戻ってきたミッチーは全身包帯だらけで満身創痍。


そんなフラフラの状況の中「今度はセットリストも変えてみよう。起承転、スタートです!」と叫ぶと、40分前と同じ形でメンバーが再登場。

 


集団行動 / 「充分未来」Music Video Track(充分未来~オシャカ~会って話そう~モンド)


齊藤の手拍子から始まった『充分未来』終了後は、またもや不穏な空気に。ドS心が芽生えたミッチー、今度は「次のターゲットはあんただ!フロントウーマンさんよー!」と次は齊藤ひとりに狙いを定め、演奏中に『何かしらの方法』で辱しめることを明言すると「さーて、いつ止めようかなー!」と上機嫌なミッチー。そのまま移行したのは『皇居ランナー』だ。


ここでは後半の周囲の演奏が止み、齊藤の歌唱から再スタートするという最も盛り上がるタイミングで時間を止め、「これこれー!」とテンション高め。ちなみに先に語っていた『何かしらの方法』とはすなわち齊藤が使っているマイクを巨大化させることであり、裏からは顔をすっぽり覆い隠すほどの巨大マイクが登場。


ここでミッチーが齊藤のマイクに近付いて巨大マイクのセッティングを施すのだが、巨大すぎてどう足掻いても齊藤の顔に当たってしまう。そのためどうしてもマイクの位置自体を移動させる必要があり、いたずらに時間が経過していく。もちろんその間は時間は停止している設定ではあるため全員が静止してはいるのだが、特に齊藤は目の前でマイクの設置に手こずるミッチーのグダグダ感に、笑いを必死で堪えているのが面白かった。

 

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今回のライブは企画者であるミッチーを主軸に置いたライブであり、ストーリーのみならずMCも全編通してミッチーに丸投げ。今までのライブではあまりMCを担当することがないミッチーらしく、「さっきの大阪の話の続きなんですけど、その後神奈川の実家に帰ったんですよ。したら胸に『芋掘り体験』って札を付けたおじいちゃんが歩いてきたんですよ!うん……。パタタス・フリータス!」と無理矢理楽曲に繋げたりと、どうにも歯切れが悪い。


そんなこんなでライブは続き、ラストは本日2度目となる『鳴り止まない』で大盛り上がりの幕切れだ。


本編最後の楽曲ということもあり、今まではほぼ感情を表に出さず歌唱に徹していた齊藤も幾分朗らかで、ミッチーを初めとしたメンバーに関しても緊張から解き放たれた感すらあった。終盤では楽器隊が客席ギリギリまで近付いてのライブハウスならではのパフォーマンスで魅了し、「ありがとうございました!」と大団円でステージを後にした。


しばらくしてアンコールに答えてステージに三たび登場したメンバーは、ここで本日初のフリートークの時間へ移行。


まずは真部が「今回のシナリオってさ……」と語ったことから端を発した『バンドメンバーはミッチーが時間を巻き戻していることを知っているのか問題』について話が及ぶ。ミッチーいわく「どっちでもいい」とのことで、最後までグダグダな設定を見かねた真部が「あのね、素人がSFに手を出したらダメだよ」と苦言を呈する場面も。


更に今回のミッチー作のシナリオが前回の『起』のシナリオと地続き(真部が銃殺されて脳だけになった等)になっていることを受け、来月『齊藤里菜的 集団行動「転」』を担当する齊藤はこの流れを受け継ぐかどうか問われると、齊藤は断固拒否。現段階ではライブが行われていないので結果は不明だが、おそらくは全く新しい形で進行していくことだろう。


ちなみに「こんなグダグダで終わってどうするの?」と疑問を感じる真部に対しては「最後はめちゃくちゃ笑い死ぬレベルのやつがあるんで!」と自信満々のミッチーであった。


現在、3ヶ月連続の新曲配信を行っている彼ら。よってアンコールでは先日配信されたばかりの新曲を立て続けに披露することを宣言。「新曲聴きたいかー!」(サカナクション山口一郎の「新曲聴きたい?」のオマージュ)との真部の一言から披露されたのは『ガールトーク』と『キューティクル』だ。

 


集団行動 / 「ガールトーク」Music Video(Short ver.)


新曲群は、今現在の集団行動のモードを色濃く反映したメロウチューン。『ガールトーク』では真部が担当楽器をギターからキーボードに持ち替え、打ち込みを用いたサウンドでもってゆったり聴かせる。『キューティクル』も同様に心地良い浮遊感を感じさせる美メロで進行し、今までとはまた一味違った雰囲気で会場を魅了した。


最後の曲はニューアルバム『SUPER MUSIC』に収録されている楽曲の中で、本編で唯一披露されていなかった『チグリス・リバー』。


メンバー全員が楽器を置いて横並びになり、オケを流しながらそれぞれがマイクを持って歌った『チグリス・リバー』。正直長らく真部の音楽に触れてきた身としては、海外の民謡音楽を彷彿とさせる壮大な『チグリス・リバー』はある種異質な楽曲というイメージが強かったのだが、サビ部分の一体感は確かに、ライブで強い一体感を共有するのにピッタリだった。事実、この場では全員が腕を左右に振りながらの大合唱。多幸感に包まれながら大団円を迎えた。


後半に差し掛かった際にはミッチーが突如体調不良を訴え、ヨロヨロとステージ裏へと撤退。これにはメンバーも顔を見合わせながら困惑する一幕もあったが、『チグリス・リバー』はそのまま続行し、「ありがとうございました!」と全員がステージを降りた。


ただひとつ体調不良により『チグリス・リバー』中に去っていったミッチーが気掛かりだったが、その後白髪に顎髭、更には腰も大きく曲がってすっかり老人の姿となったミッチーが登場。そして「これが力を使いすぎた者の末路なのか……」と語るオチが挟まれ、客電が点灯。『ミッチー的 集団行動「承」』は、誰も予想だにしていなかったまさかのバッドエンドで幕を閉じたのだった。


『起承転』と名付けられた今回のライブは、もちろんメンバー初のプロデュース型ワンマンライブという点でも貴重ではあるが、何よりも集団行動の楽曲群を時系列で振り返るコンセプトライブの様相を呈していたことが大きい。


漢詩において何かが起こる始まりを意味する起承転結の『承』に位置したこの日のライブで今年発売されたフルアルバムである『SUPER MUSIC』がセットリストの大半を担っていたことからも、ここからまた新たな始まりを経て、集団行動は次なる目標へと踏み出すことだろうと思う。


今月には最終公演となる『転』が行われ、更なる新曲のリリースも決定している。果たして今後の集団行動はどのように変化し、ファンを楽しませてくれるのだろう。これからの集団行動のメンバーたちによる『集団行動』に、目が離せない。


【集団行動@TSUTAYA O-NEST セットリスト】
[第1部]
SUPER MUSIC
テレビジョン
セダン
婦警さんとミニパト
1999
土星の環
ザ・クレーター
鳴り止まない

[第2部]
充分未来
皇居ランナー
クライム・サスペンス
パタタス・フリータス
スープのひみつ
ティーチャー?
ホーミング・ユー
鳴り止まない

[アンコール]
ガールトーク(新曲)
キューティクル(新曲)
チグリス・リバー