キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

『SUMMER SONIC 2022』邦楽アーティスト再追加は、逆にサマソニらしい大英断だった

こんばんは、キタガワです。

 

f:id:psychedelicrock0825:20220414033810j:plain「今年は洋楽アーティストが例年に比べて少なくなる」というクリエイティブマン代表・清水氏の発言を裏付けるように、前回の追加出演者発表は基本的に邦楽が中心で、対して洋楽アーティストの起用は圧倒的に減少した。ちなみにこの理由については新型コロナウイルスの影響により全盛期の頃の100%のブッキングが不可能であるためで、言わば今年のサマソニは「またここから次に繋げていこう!」という決意を前面に押し出したフェスであることが分かる。けれども今回の追加ラインナップの邦楽勢を見て、落胆した人などまずもっていないだろう。何故なら正直ここまでの盤石の起用は邦楽フェスであっても難しいだろうから……。


各々好みのアーティストは異なって然るべきだが、今回の発表で抜群の印象度を誇るのはKing GnuとENDLICHERI、SPARKSの3組だろう。まずKing Gnuは言わずもがなの紅白出場も果たした国民的バンドであり、大舞台でのライブも多数経験済みのため満を持してと言ったところ。フロントマンである常田大希の別ユニット・millenium paradeとKing Gnuが昨年フジロックで驚愕のステージを見せてくれたことは記憶に新しいけれど、今年のサマソニは新曲も含め、また一味違ったパフォーマンスで魅了してくれるはず。対してENDLICHERI(読み:エンドリケリー)は国民的人物である堂本剛が自分の本当にやりたかった音楽を具現化したソロ名義であり、アイドルのKinKi Kids時代とは全く違うファンクサウンドが持ち味。筆者がかつて参加したサマソニでは黒人シンガーを有する総勢10名以上の編成、それでいて一番注目されるはずの剛は基本的にサングラスをかけて表情も分からず、更には「オー」「イェー」など歌うというよりは単音のグルーヴ強化の歌唱を試みていたことが印象深く、個人的にはこの日のサマソニで一番の衝撃を受けた程。これはKing Gnuにも言えることだが、注目されるアーティストには必ず大きな理由があって、それを体験する上でも今年のサマソニは大切な代物だと思う。

"ENDRECHERI TSUYOSHI DOMOTO" Live Digest Movie - YouTube


そして今回発表された洋楽勢は一組のみ。さあそれは誰だと期待していた我々の目にドカンと飛び込んできたのは、まさかのスパークスなのだから感動だ。全くスパークスを知らない人に対して端的に説明するならば、スパークスは『活動歴約50年以上の謎バンド』『リリースされたアルバム全てで曲調が違う』『ライブパフォーマンスがカオス』という、好奇心を刺激される要素ばかりが覆っている。これについては絶賛公開中の以下の最新映画PVを是非とも鑑賞いただきたいけれど、もはや長年のファンでさえその本質を知らないまま追い続けているバンド、それがスパークスなのだ。そんな彼らが数年ぶりにサマソニに出演することの意義は、きっと全てが終わった後に分かるはず。おそらくはライブ後もフワフワとした感情に襲われることだろうが、それすらも彼らの策略と言って良い。

【4月8日(金)公開】映画『スパークス・ブラザーズ』予告編 - YouTube


その他きゃりーぱみゅぱみゅやmilet、ゲスの極み乙女。など邦楽出演者が大盤振る舞い。名実共に、誰もが聴いたことのある名物アーティストが一堂に会する祝祭である。…。確かに洋楽フェスとして知られるサマソニではあれどその実『洋楽を観るためだけにサマソニに行く』という人は全体を見ても少ないため洋楽も見つつ新たな邦楽の良さも見付けていくのは日本で開催される洋フェスの強みだろう。とするなら、今年のサマソニはむしろ現状の最適解。超著名なアーティストを含めて本来チケット代6000円は下らない邦楽アーティストもまとめて観れるフェスはどれだけ考えても破格だ。贅沢を取るも良し。自分の好きな音楽性を取るのも良し。全く周囲に左右されない楽しみ方が出来るのも、サマソニの強みである。なお今月にはまた新たなアーティスト発表、加えてステージ割りも出る予定なので、今後も発表にアンテナを張りながら待ち続けていきたい。

【ライブレポート】バックドロップシンデレラ・八十八ヶ所巡礼『2ndカヴァーアルバム「よりいろんな曲でウンザウンザを踊ってみた」リリースツアー』@広島CAVE-BE

こんばんは、キタガワです。


確かに事前情報として、最強のロックバンド・バックドロップシンデレラが対バンツアーを行うと知った時点で忘れられない1日は確約されていた訳だし、チケットが早い段階でソールドアウトした事実を知っても、特に驚きはなかった。ただ正直ここまで素晴らしいライブになることもまた、想像していなかった。以下対バン相手に盟友・八十八ヶ所巡礼を招いて行われた去る広島ライブ、その全貌に迫る。

 

f:id:psychedelicrock0825:20220411015027j:plainまず先行はプログレ界の異端児、八十八ヶ所巡礼。これまで彼らは何度も広島に訪れてくれていて、その際の会場はほぼ例外なく広島4.14というライブハウスだったが、今回は珍しく別の会場。もちろんそんな一風変わった形での彼らに期待する人続出で、対バン式のライブで最初に参加者に尋ねられる「今日はどのバンドを見に来ましたか?」とする質問に「八八です」と答える人はかなり多く、実際会場に入ると彼らのバンドTシャツを着用する人多数。


ステージが暗転するとKenzooooooo(Dr)、Katzuya Shimizu(G)、マーガレット廣井(Vo.B)の順にメンバーが登場。Kenzoooooooはもちろん鍛え上げられた肉体的を見せ付けるように上半身裸で、Shimizuは真っ赤な衣装で今回はサングラスなし。そして廣井は黒を貴重としたヘソ出しファッションで、念仏がびっしりと記された腕でヘッドレスベースを構えると、SNSで自身をアルコール依存症と自虐することも多い彼らしく、ステージドリンクとして持ち込んだ一升瓶を掲げて一気にラッパ飲み……。もはやこの時点で情報量がとてつもないが、そんな非日常的な光景さえもどこか「八八のライブを観に来た!」という興奮へと繋がっていく。

八十八ヶ所巡礼 「攻撃的国民的音楽」 - YouTube

 

そして「ドキドキしてますか!」と絶叫すると、その興奮とは対象的にライブハウスの熱量をいきなり沸点に持っていくことが如何に難しいことを話す廣井。個人的にはこのMCから漠然とオープナーは“怒喜怒気(ドキドキ)”だろうと考えていたのだが、「徐々に温めていこう。貴様らのための攻撃的国民的音楽」との一言から雪崩れ混んだのはまさかの最強ライブアンセム“攻撃的国民的音楽”!気だるげな廣井のベースラインを経てShimizuがバカテクギターを弾き倒した瞬間、ライブハウスはまさしく興奮の坩堝と化した。目の前で繰り広げられているのはおよそ世間一般的なロックバンド然とした理解の遥か上……というより理解不能なそれであり、全体重を乗せて打ち鳴らすKenzooooooo。「ぶっ殺せー!」と叫んで妖艶な歌声を響かせつつ、同時にブリブリベースを弾く異様な廣井。見たことも聴いたこともないような速弾きをほぼ手元を見ずに弾きまくる(!)Shimizuのアンサンブルは何度見ても、音楽の教科書から逸脱し過ぎている。しかもそれが何故かしっかりロックとして成立している不思議さも魅力。徐々にどころか圧倒的な盛り上がりを見せ、ライブの熱量は増加の一途を辿る。

JOVE JOVE / 八十八ヶ所巡礼 - YouTube


思考が追いつかないままライブは“幽星より愛を込めて”、“JOVE JOVE”、“極楽いづこ”と続いていく。結果として今回の八八のセットリストは意図してのことなのかは不明にしろ、マイナー曲を多く配置する一風変わったものだった。けれども興奮が損なわれることは全くなく、むしろどんどん熱量を増幅させていく最高の空間だ。MCではバックドロップシンデレラと3日間に渡ってツアーを回ることの出来る喜びを噛み締めていた彼らだが、何とリスペクトのあまり今回Kenzoooooooは鬼ヶ島一徳と同じドラムを。Shimizuは豊島“ペリー来航”渉、廣井はアサヒキャナコのアンプ配置と全く同じという、バックドロップシンデレラメンバーと敢えて被せたライブ形にしていることが判明。ちなみにその間も廣井は一升瓶をあおりまくり、Shimizuは真正面を睨みながら直立不動。そのどこまでも『映える』佇まいには、思わず見惚れてしまう程。

八十八ヶ所巡礼/金土日 - YouTube


この日のハイライトは紛れもなく、中盤に披露された“金土日”。グルーヴ感溢れるイントロがぐるぐる回るカオスな幕開けから雪崩込んだ“金土日”は明らかにCD音源の3倍近い長さにアレンジされたライブverであり、《やってる意味のないことが大切 僕なりに頑張ってる》のフレーズを「貴様らも」「ライブハウスも」「CAVE-BEも」に変えながら、果てはライブハウスの困窮とは対象的に安全圏で利権を貪る政治家を指し《やってる意味のないことが大切 イジワル金持ちジジイ》と言語攻撃する一幕さえも、彼らの本心を見た感覚があり更にヒートアップする感覚さえあった。


そして廣井がセットリスト進行を盛大に間違える一幕を経て、ライブはクライマックスへ。“絶妙Σ(読み:絶妙シグマ)”でShimizuが背面ギターでバクシンの“台湾フォーチュン”のリフを弾き倒す再現不能な離れ業が炸裂したところで、最終曲は“怪感旅行”。これまでライブの定番とされてきた“具現化中”でも“日本”でも“仏狂”でもない、これまた予想外の選曲だったが、こうした反骨精神も実に彼ららしく好印象。ラストは異様なギターソロを天井を見ながら弾くShimizuとベースラインをぶちかます廣井が背中合わせで演奏し、全ての観客の視線を一身に浴びた彼らは最後までその存在感を緩めることなく、ステージに立ち続けた。時間にして僅か45分。けれどもその満足度は計り知れないものがあった。

 

【八十八ヶ所巡礼@広島CAVE-BE セットリスト】
攻撃的国民的音楽
幽星より愛を込めて
JOVE JOVE
極楽いづこ
金土日
絶妙Σ
怪感旅行

 

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八十八ヶ所巡礼ならバトンを受け継ぐのは、もちろん我らがバクシン。暗転後、視界を遮っていたスクリーン(注:バクシンの対バンライブでは基本的に転換は観客から一切見えないよう配慮されている)が廃されると、エミールクストリッサ & ノンスモーキングオーケストラによるお馴染みのSE・“UNZA UNZA TIME”が流れ出す。もはやバクシンを熟知している観客たちが手拍子で盛り上げる中、豊島“ペリー来航”渉(Vo.G.Cho)、アサヒキャナコ(B.Cho)、鬼ヶ島一徳(Dr.Cho)が登場。1曲目はここ数年不動の位置を貫く“たいやき”であり、かの“およげ!たいやきくん”と同様の節回しで、豊島はこの1週間で5本という通常あり得ないペースでライブをこなした結果、この日のリハーサルでは全員のテンションがとてつもなく下がっていたことを謝罪。しかしながら本番が近付くにつれてどんどんやる気が高まっていたとも語った豊島、そのままでんでけあゆみ(Vo)がステージにシュババと現れると“祝え!朝が来るまで”をドロップする。バクシンと言えば、その振り切ったパフォーマンスが魅力のひとつ。無論この日も初っ端からフルスロットルで観客を煽り、レスポンスを求め、そして何より継続して踊らせるアグレッシブさが気持ち良い。

バックドロップシンデレラ/台湾フォーチュン - YouTube

 

続いてはここで来たか!の“台湾フォーチュン”で、まるでトランポリンを使っているように錯覚する高さまで飛び上がるでんでけあゆみを観て、改めてバクシンのライブに来ている実感を得る。今までのようにモッシュやダイブはないけれど、決して失われない熱量。それはきっと、彼らがライブバンドとして前を見続け活動してきた地力が成し得るものなのだろう。……その他、今回のセットリストはカバーアルバム『よりいろんな曲でウンザウンザを踊ってみた』リリースツアーということもあり、基本的には同アルバムを軸に構成。“チキ・チキ・バン・バン”や“買物ブギー”、“オゾンのダンス”といった往年の世界的名曲を彼ら流の味付けで披露する様はとても面白く、敢えてニッチな選曲ながらも、楽曲をあまり知らない我々のような20〜30代が「原曲聴いてみようかな」と素直に感じる、素晴らしいアレンジが光る。

 

中盤のMCでは、まず豊島がメンバーを笑顔で一喝。どうやら彼の発言はやはり5連チャンライブの影響で全員のテンションが下がっていることが一因のようだったが、話は徐々にマイペースに移行。次第に宿泊先のホテルの屋上の風呂で休んだ話や、豊島の別バンド・韓流セレブレイトのメンバーが小麦アレルギーでラーメンを食べられない話、アサヒキャナコが先日のライブで“みずいろの雨”を披露したところ「もう絶対やらない」と断言する程の悲劇が待ち受けていた話を展開。その都度腰砕けになって爆笑するでんでけあゆみとの対比が面白く、会場全体にゆるーい空気が広がっていたのは言うまでもあるまい。

バックドロップシンデレラ『免許とりたい』 - YouTube

 

その後も矢継ぎ早に披露される楽曲群。豊島の50年ぶりの免許取得に意気込む“免許とりたい”やフェス出演志願ソング“フェスだして”、ロシアの隠蔽工作が連日報道される中での“国家の不正を暴きたい”……。彼らの楽曲制作はその時々に実際に体験した出来事や疑問がテーマになっていることが多く、それは誤魔化しのきかない本心。だからこそ飾らない叫びは我々の心を強く動かすのだ。そんな彼らのストレートな思いが爆発したのは、紛れもなく終盤で披露された“2020年はロックを聴かない”だろう。言わずもがな、“2020年はロックを聴かない”とする真意は新型コロナウイルスの蔓延によりライブシーンが完全停止し、彼らの足取りも同様に止まっていたことを指している。そして年月は経ち2022年現在のライブシーンはどうかと言うと、まだかつてのようなライブは難しいものの、少しずつ動き始めている。故に“2020年はロックを聴かない”は、ある意味でのライブシーンの復活を願うエールである。彼らはまるで何かを訴えかけるように荒々しく、対照的に我々は歌詞のひとつひとつを噛み締めながら踊り続けた。

【LIVE】バックドロップシンデレラ『さらば青春のパンク』 - YouTube

 

恒例の《踊るやつがエライのだ それがここのルールさ》との中毒性溢れる“月明かりウンザウンザを踊る”の果て、鳴らされたラストソングはバクシンの定番アンセム“さらば青春のパンク”。幾度も繰り返されるでんでけあゆみの跳躍と観客のヘドバン……。この光景を思わず『美しい』と感じてしまった理由は、きっとこの場にいた全ての人なら分かるはず。何故ならそれは、我々が長らく辛い世の中でイメージし続けたバクシンのイメージそのものだったから。最後までライブハウスを守り続けたバクシンは、様々な規制がある中にも関わらず本当にいつも通りバクシンらしく終わってくれた。やっぱりライブは何度考えても不要不急ではないなと、改めて思った最高の一夜だった。

 

【バックドロップシンデレラ@広島CAVE-BE セットリスト】
たいやき
祝え!朝が来るまで
台湾フォーチュン
チキ・チキ・バン・バン
免許とりたい
フェスだして
BREAKAWAY
国家の不正を暴きたい
買物ブギー
オゾンのダンス
魔がさした夜空に
YONOSSY CALLING 〜よのっしーの7日間戦争〜
少年はウンザウンザを踊る
サンタマリアに乗って
2020年はロックを聴かない
月あかりウンザウンザを踊る
さらば青春のパンク

[アンコール]
本気でウンザウンザを踊る

フリーターから正社員になった生活のリアル

「○○さんって家帰ったら何されてます?」……。沈黙を繋ぎ止めるが如き役割を果たすこの質問に対し、未だかつて満足の行く回答を得られた試しがない。少なくとも筆者調べである程度多かったものとしてはYouTubeやゲーム、アニメ等。そして圧倒的大多数を占めたのは「特に何も」という、フワっとした回答だった。もちろんこれは言葉のあやで、本当に何もしていない人などいない。けれども彼らはいくら追求しようが「特に何も」の主張を崩さず、次第に「何もしていない人生とはどんな日々なのだろう」と考えるようになった。そんなつまらない人生に、何の価値があるのかと。

ただ長らくのフリーター生活を抜け、ようやく仕事に忙殺される日々を倍返し的に受ける現在、ふと気付く。自分も明らかに『そちら側』へ向かっていることに……。遠方なので朝7時に起きそこから出社、時計が一周する仕事に12時間拘束。ようやく家に帰る頃にはもはや日付が変わるまでに寝なければ平均睡眠時間を大きく下回る現実。これが社会的な普通だと言えば聞こえはいいが、そうまでして得るものが基本的に金しかないというのは如何なものか。もっと大事なものがかつての僕にはあったはずで、追い求めるべきは金ではなくそちらの歩みではないのか。そんな漠然とした思いが首をもたげる毎日だ。

ここで一度、こうした仕事に忙殺される日々で得られるものは何なのか考えてみる。先述の通り、明らかにその人にとってプラスになり得ることは間違いなく『金』だ。確かに金があれば車も貯金も、世間一般的な常識人としてのステータス足り得る代物は絶対的に手にすることが出来るし、その果てに結婚だったり娯楽のパチンコだったりと、必要最低限の金があって初めて成立する事柄も新たに出現する。実際回りでもそれこそ高校・大学を出て社会人になってそのまま同じ会社で何年も務めている人は、約6〜7割がこうした行動を報告する傾向にある。

では逆に、これらの行動に特に興味もない、ないしは人生を半ば諦めている人にとってはどうだろう。無論金の優先順位が低い関係上、金の安定供給によって得られる幸福度も比例して低くなる。しかしながら自分のやりたいことに関しては絶対に時間が必要なため、折衷案を模索することも難しい。今の僕がまさしくこのタイプで、それこそ金と自分の時間を天秤に掛けた結果金が上回ることもないので、ただ1日疲れた気にしかならない。思えばフリーター時代は今ではほぼ絶交になっている友人らからいろいろ陰口を叩かれたものだが、それすらも『人並みの幸せを幸せだと感じる』人たちからの陰口だった訳で、やはり当時から思考的に双方が水と油状態だったのだろう。

そんなこんなで、今日も7時起き。残業も加味すれば、帰宅するのは一体いつになることやら。有り難いことに職場は優しい人ばかりで、そこは安心しているけれども、僕が一瞬でも本来のネガティブな面を見せてしまえば関係性もすぐに破綻する。その恐怖に打ち震えながらただ金を貰う生活を是とするか否かは、まだ分からない。取り敢えず今はやることをやるだけ。光明は未だ見えない。

ジャパハリネット【心の音】 - YouTube

ジョナス・ブルー、ジャック・ホワイト、そしてまさかのホールジーまで……。第一弾発表から見る『フジロック2022』の注目ポイント

こんばんは、キタガワです。

 

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フジロック、カムバック!先日遂に発表された第1弾発表アーティストを見て、思わず何度も画像を見返してしまった人は少なくないだろう。フジロックにピッタリ嵌まる自然派アーティストから、全く予想もしていなかった大物アーティストまで……。フジロッカーひとりたりとも置いていかない力の入ったラインナップには「最高!」と言う他ない。

それでは気になる、各日の特色について見ていこう。1日目は洋楽勢にボノボを筆頭にドーズ、ハイエイタス・カイヨーテ、そして現在サブスクを中心にブームを巻き起こすジョナス・ブルーなど。対する邦楽勢にはD.A.N.やオウガ、スペアザといったアーティストが集結する、非常にフラっとした空気感で楽しめるフジロックのイメージに近い構成。EDM派はジョナス、ゆったり派はハイエイタス、加えて、今のところはボノボとジョナス・ブルーの存在が際立っているが、どうやらトリはボノボではないということなので更なる発表にも期待したいところ(SNS上ではテーム・インパラ説が出ているがどうか)。

Jonas Blue - Mama ft. William Singe (Official Video) - YouTube

 

続く2日目は、現段階ではポップ・ロックデイ色が強い布陣だ。ヘッドライナーに元ザ・ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトを大抜擢し、単音ロックの重鎮ことフォールズと、超轟音演奏でかつて街中のライブハウスを出禁になったダイナソーJrが脇を固める。ポップ路線のアーティストはやはりアーロ・パークスとブラック・ピューマズが頭一つ抜けている印象があるものの、フジロックではお馴染みのThe fin.や折坂悠太らの抜擢も楽しい。総じてこの日はロックを見るかポップを見るかで、かなり多くの人が迷いまくる1日になること必至。

Jack White – Taking Me Back (Official Video) - YouTube

 

最終日3日目は、どこまでもポップに振り切った日になる。中でも圧倒的な存在感を誇るのはトリを飾るホールジー。かつてのシーアでも思ったことだが、彼女に関しては本当に金額的にも話題性的にも「よく呼べたな……」と驚くレベルのビッグネームで、最近でも日本で大いに跳ねたアニメ映画『Sing』に出ていたりもするので集客にも期待したい。しかもEDMのムラ・マサとゆったりトム・ミッシュという雰囲気の全く異なる2名がドドンと鎮座しているのも嬉しい。日本からはずとまよやPUNPEE、ハナレグミといったここ最近のフジロックでの注目株も出演が決定しており、一体どんな化学反応が起きるのか楽しみでならない。

Halsey - Without Me - YouTube

 

昨年のフジロックが日本勢オンリーで開催されたことは広く知られているが、元々フジロックはサマソニと肩を並べる洋楽フェス。つまり、ここからようやく本来のフジロックの火は灯されるのだ。正直今後の感染状況がどうなるかは分からないし、サマソニもそうだったように洋楽アーティストの来日数は本来の約3割程度に留めなければならないはずだけれど、この圧倒的な布陣なら最高のフジロックの口火を切ることが出来ると確信を持っている。むしろ歴代最高の可能性も十分。もう少し当日までは時間を要する部分はあれど、それも来たる興奮への幸福なお預けと考えればお釣りが来る。またあの場所で会えることを祈って。

アルコールを5杯飲んで泥酔した客にライブを台無しにされた話

こんばんは、キタガワです。


「ライブハウスの利点って何だろう」と、歓声も密集も禁止された最近のライブシーンで、改めて考えることがある。もちろん人それぞれ思う部分はあれど、個人的にはライブハウスの素晴らしさは『誰も置いていかないところ』にあると思う。腕を挙げても挙げなくても、踊り狂っても直立不動でも……。何かに縛られることなくオールオッケーとされるあの空間はやはり音楽好きにとってなくてはならない環境だと、行くたびに実感する。


ただコロナの状況下である以上、ライブハウスに行くからには絶対的な制限も理解して臨まなければならない。人それぞれが好きなように楽しむことは変わらないまでも、距離や発声制限といった制限は100%守ることが絶対条件。それらを守って初めて、素晴らしい現実逃避が確保されるというのは流石に誰もが知っていることだろう。……が、今回参加したライブは違った。これまで当ブログは参加したライブは基本的に全てライブレポートを記す形で約5年間やってきたけれど、申し訳ないが今回ばかりはパスさせてほしい。それ程までに、僕は今回のライブでショックを受けたから。


最初に断っておくと、今回のメインアクトであるとあるバンドのパフォーマンスは本当に最高だった。観客と目線を合わせ、愚直に楽曲を圧倒的な音で畳み掛けるスタイルは感動したし、最後の物販で思わずいろいろ購入してしまった程完璧なライブだった。では何が問題だったのかと言えば、それはひとりの観客の存在。全体のキャパで考えればおよそ100人いる中でのたったひとりだが、そのたったひとりの馬鹿な行動が全体のイメージを下げたのだ。


結論から書くが、彼はマスクを着けず、時にはステージ前方の柵に跨がって大声で叫び続けていた。彼はステージから数えて2列目の真ん中、運悪くちょうど観客の大半にとって視界に入ってしまう位置に陣取っていて、おそらくは開演時にはそのフラフラな姿を見てほとんどの人が、彼が何杯かのアルコールを摂取していることが理解出来たはずだ。


SEが鳴り、バンドがステージ裏から出てくる。そこからライブは始まるのだが、彼はとにかく腕を大きく上げる、立ち位置から外れる形で動くなどのアクションが多く、目に付く存在だった。けれどもそうした行動を取る人は本当にこれまでいろいろなライブで目にしてきてもいるし、それらのアクションひとつとっても、シラフで行う人もいるはず。故に僕はその時彼がそこまで酔っているとは思っておらず、むしろ「全力で楽しんでくれてるなあ」「これこそがライブハウスの良さなんだよなー。分かる!」と、心底嬉しくなった程だった。


だが、次第に彼の行動は激しさを増していった。その理由はやはりアルコールで、楽曲ごとに挙げられる手に収められたジントニックの量がどんどん減って空になるたび、彼は後ろのバーカウンターでジントニックを注文。また元の場所に戻ってジントニックをあおりながらライブを鑑賞する時間が続いた。その量はライブでは必ずアルコールを数杯飲む僕からしても『飲みすぎ』と思えるレベルで、実際彼はアンコールまでの約1時間30分の間に度重なるおかわりを続け、最終的には僕が把握する限り、通算5杯のジントニックを飲んでいた。もちろんこれはライブギリギリになって入場した僕が観ていたものだけをカウントするので、実際はもっと飲んでいるとは思うが。とにかく彼の楽しみ方は『ライブのついでに酒を飲む』というより、明らかに『酒のついでにライブを観ている』ようだった。


そしてライブも後半に差し掛かり「あと3曲やって帰ります。最後は盛り上がる曲ばかりです」とボーカルがMCを叫んだ後、事件は起こった。これまで大きく腕を挙げてフラフラとしていただけだった彼が、突然前方の観客をかき分け、ステージと観客とを繋ぐ柵に飛び掛かったのだ。しかもマスクは所謂『顎マスク』状態。当然我々観客的にも彼の存在は一気に目立つものとなり、でも誰も注意も出来ないし言ったら興奮が削がれるし……という微妙な空気になったのは瞬時に分かった。ボーカルは歌っている最中にも関わらず、柵に跨がる彼に目を向けながら指を口に当て「(マスクは付けよう)」とジェスチャーを飛ばす。ふと横を観ると、先程まで楽しんでいたファンが動きを止めている。そして見兼ねたスタッフは彼の元に向かい、何やら耳元で叫ぶ……。こんな光景、誰も観たくなんてなかった。


結果、ここから彼はまだまだフラフラしつつも激しい動きは見せなくなったが、僕はその間もまた柵に跨がるんじゃないかと、最悪ライブが中断するんじゃないかと気が気じゃなかった。特に最後の方はそいつを視界に入れるのが嫌で、僕は薄目でライブを観ていた程。だから最後の一番盛り上がる3曲は正直記憶にないまま、ライブは終わってしまった。彼はダブルアンコールが終わるとそそくさとライブハウスを出ていったが、そうした『俺お前らの音楽聴くために来たんじゃねえし』的な行動さえも、ここにいる全ての人々を馬鹿にするだけして逃げるようで、心からの怒りすら覚えた。


終演後、僕はいろいろとエゴサーチをして彼のアカウントを特定したのだが、そこには今回のライブに対する鬱憤が140文字に詰め込まれていた。「俺はルールを守ってた」「注意してきたスタッフふざけんな」「こんなんだったらもうライブハウス行かねえ」というような、そんな罵詈雑言が。……繰り返すようだが、個人的にはライブハウスはどんな人でも受け入れる場所であるべきだし、今回の彼の行動を咎めることは僕には出来ない。きっとこれまでのようなライブハウスだったら、好意的に観ていた可能性だってある。でもコロナ禍で誰もが必死になっている中での今回の行動は、努力者に対する侮辱以外の何者でもない。たったひとりの間違った行動のせいで何人もの人が嫌な気分になり、しかも当の本人は無自覚ときた。今後彼が行く先々で同じような思いをする人が出ると思うと、本当にやるせない気持ちになる。


人と大きく違うことをした場合であっても、黙認せざるを得ないのが日本の常。それはライブハウスも同じで、彼に出禁の処分が下されることもないし、痛みを伴う措置が取られないのだから、彼が今後反省することもないだろう。多分今回の一件はアルコールの過剰摂取によるものが大きく、きっと彼は元々良い人間なのだと思いたいが、それでも。迫害するようで申し訳ないが、音楽よりも酒の高揚感が上回るようなら、もうお前は一生ライブハウスには来なくていいと思ってしまう。コロナによる様々な規制は今後緩やかになっていくことだろうが、他者を思いやる心だけはどうか忘れないでほしい。ライブ好きからの心からのお願いです。

友人をふたり亡くした話

常日頃から、死にたいと心から思っている。こうした気持ちを不特定多数が見る媒体で綴ってしまうのは良くないとは分かっているけれど、それでも。このストレスだらけの生き地獄のような人生に価値を見出だせないし、何より、そんなことを考える自分が今日も「死にたい」と願うにも関わらずのうのうと生きていることに、大いなる不条理すら感じてしまうのである。

そして似たような関係性の話として、僕には互いを感情の捌け口として利用する、所謂『鬱友達』のリョウがいた。リョウと僕は小学校から中学校まで一緒のクラスで、それこそ当時はワイワイ音楽の話で盛り上がっていたけれど、あるタイミングから彼は精神的に不調をきたし、その後を追うように僕も落ち……。僕らが大学を卒業する頃には、揃って鬱状態に陥ったのだ。なもんで、学生時代のような明るい話は次第に消えていき、気付けば会うたびに「生きるのしんどいよね」といった話ばかりをする、ネガティブな間柄に変化していった。もちろん、あれから何年も経てばふたりで酒を酌み交わしたとてネガティブな話をすることはあまりなく、今のリョウはとても前向きに日々を生き、僕は微妙なポジションに落ち着いてはいるけれど、今でも「何であの時俺らはヤバかったんだろうな」と語り合うことがある。その互いの共通項……というより巨大な枷のような存在に思い当たったのは、本当にごく最近の話だ。

思えば高校時代の僕らと同年代の在校生には、同級生タカシと同級生フクダ、ふたりを亡くした経験がある。彼らは元々クラスでもあまり話さなかった人たちだったし、当時も、あれから何年も経って行われた成人式の時も、まるでその話はタブーであるかのようにひっそりと誰しもの心の秘密となった。ただひとつ問題があるとすれば、その彼らとおそらく最後に会ったのが他でもない、僕とリョウであることだった。

最も早くして亡くなったのは、取り分け僕と関わりが深かったタカシだった。彼は陰キャの括りでクラス内で見られていたものの、特段イジメられることもない不思議な位置をキープしていた人物だったが、何故だか彼と妙に馬が合ったのが当時の僕だった。そんな互いの根本的な暗さが良い意味で周りにも伝わっていたからか、彼が不登校気味になったある時から、僕は先生の使命で彼の家に毎日プリントを届けに行っていた。いつも出迎えてくれるのはお母さんで、お母さんが「タカシー!」と呼ぶとパジャマ姿のタカシが出てきて、そこから少し玄関で雑談して帰る。時間としては僅かなものだったが、クソみたいな学校生活の帰りがけに彼の屈託のない笑顔を見ながら一緒に笑うことが、いつしか僕にとっても当たり前になりつつあった。

そしてお互いが別々の高校に進学し、めっきり関わることもなくなったある日、タカシが亡くなったことを人づてに聞いた。

タカシの死から時を同じくして、フクダもひっそりとその生涯を閉じた。ただ、彼と関係性が深かったのは悪い意味で僕以上にリョウであった。というのも、彼が亡くなる前日まで、リョウはフクダにイジメを受けていたから。僕はフクダとは保育園の頃から仲が良かった。でもあれから付き合いはどんどん減り、当時はリョウばかりと毎日関わるようになっていたので、僕としてはどちらかと言えばリョウの味方をしつつお互いの仲を取り持つ、良くも悪くも中立の立場になっていた。リョウが僕にイジメられた話をされるたび、僕はフクダをなじる。逆にフクダからリョウのイジメの一部始終を語られた時は、なあなあな態度で逃げる……。お互いとかつて仲が良かったからこそ、僕の立ち位置はどんどんずる賢いものになっていった。

そしてフクダはある時突然亡くなった。彼の死は学校全体を大きく揺るがせる事件となり、今現在でもその死因については様々な憶測が流れている。

タカシとフクダが亡くなってから何の定めか、残された僕とリョウの関係性は更に深くなった。その理由は間違いなくフクダか亡くなったことでリョウがイジメられなくなったからだったが、目に見えてリョウには笑顔が増えた。対して僕はクソッタレな生活を続けながらも、どこか毎日タカシの存在を思い返す日々を続け、それから何年も経ったある日、僕は「タカシの家に線香をあげに行こう」という前々から考えていた計画をリョウに伝え、それを実行に移すことにした。

薄情だが、僕はタカシが亡くなってからそれまで一度も彼の家に赴いていなかった。それが突然扉を叩いて「お線香をあげてもいいですか」などとのたまうのである。正直門前払いも覚悟していたが、すっかり見る影もなく細くなったお母さんは、僕らをゆっくりと彼の部屋に案内してくれた。タカシの部屋はお母さん曰く、彼の生前の部屋の状態を保っているとのことで、僕がかつて貸したソフト含め、いろんなゲーム類が棚にしまい込まれていた。ただひとつの違和感があるとすれば、その一角にタカシの仏壇が供えられていたことだけ。当時大学生の僕らにとっては死はフィクションに近いイメージだったけれど、その瞬間、本当にタカシは亡くなったのだと実感した。

タカシのお母さんは、本当に様々なことを僕らに話してくれた。生前の彼のファッションや帰宅した後の様子。そして僕がプリントを届けに行った時がとても楽しそうにしていたこと、タカシが亡くなった後に線香をあげに来た初めての人が僕らだったことなどを、涙ながらに語る。僕とリョウはまるで何かの機械のように相槌を打ちながら、ただ40分程、お母さんの話をただ聞いていた。今でも彼の仏壇の笑顔と、お母さんが繰り返し感謝を伝えてくれたことは夢に見る。

タカシの家を出た僕らは、どちらが示し合うこともなく「死ぬのだけはやめような」と言った。あの光景を見てしまったら、最悪の行為だけは絶対に考えられない。自分が死ぬことで誰かを悲しませる可能性が100%なら、それを避けるためだけにでも死ぬのはやめようと、あまり覚えてはいないがそうしたことを話したような気がする。

ここで、話は冒頭に戻る。それから何年も経ったある時から、僕らはそろって鬱になった。それも躁鬱みたいな波のあるものではなく、いつも鬱である中で突然ドカンと巨大な鬱が襲ってくるような感覚。僕とリョウの電話の最後は決まって「でも死ぬのだけはやめような」というあの頃と同じセリフで、リョウも「そうだな」と返して終わり、また3週間ほどすれば連絡があって数時間鬱トークをするサイクルが形成された。けれどもその会話の中でタカシは出てくるにしろ、長らくリョウをイジメ、そして亡くなったフクダに関する話がリョウの口から出ることが一切なかったことから、僕は次第に「リョウは何かを隠しているんじゃないか」という気持ちにもなった。

そんなある時、僕とリョウは居酒屋でしたたかに酔って、とりとめもない話を繰り広げた。もちろん話の最初こそ趣味嗜好だの人間関係に求めるものだの様々なテーマを巡ったが、どんどん話が人間値みたいなどこか精神的なものに達した頃、僕はリョウに「話すのえらかったらええんだけど。前から思っちょったけどお前フクダの話とか全然しちょらんがー」とタブーを斬り込んだ。すると彼はうーんと悩んだ後、「本当に申し訳ないんだけど、俺はフクダがいなくなって良かったと思ってるよ」とはっきり言った。何となくそんな予感はしていたが、普段他人のネガティブな部分を一切言わない彼がこうした強い言葉を発することに、若干の驚きはあった。結果それ以上追求することもなく、その日の飲みは終わった。

何故だか関わるようになった僕とタカシ。加害者と被害者という歪な形の関わりを続けたリョウとフクダ。そして今彼らの死を経て、互いに死にたい気持ちと向き合っている僕とリョウ……。多分、人間には『類は友を呼ぶ』部分が少なからずあるのだろう。だからこそ交わるしだからこそ反するが、それでも生きていくしかないのだ。決してタカシとフクダの分まで生きようという訳でもないけれど、少なくとも彼らと交わった僕らは生きなければならない。……来月、随分久しぶりにリョウと会う約束をしている。どうやらとても毎日が楽しいようで、僕は憂鬱を押し殺しながら相対する予定だ。で、多分それも楽しい思い出になるのだろう。

 

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カネか自分か、自分かカネか

新しい職場で働き始めてから早いもので、数日が経過した。勤務前こそ一抹の不安も過ったものだが、有り難いことに人間関係的にはストレスフリーな環境に身を置いていると思う。もちろんまだぺーぺーなので肉体的にはハードだけれど、それでも。これまで約5年間に渡って夢見ていた『世間的に見て普通の生活』を現実に出来た点では及第点だろうし、友人らと喋っていても「仕事が」「勤務日数が」といったこれまで一切話に参加できなかった正社員ならではのトークにもある程度は参加可能になったことで、少しずつ『異端者による普通の上辺』は確保してきてはいる。

ただ普通の肩書きを得る代償もある。最も大きな弊害として浮かぶのは、やはり仕事を第一に考えざるを得ない状況になった点だろう。朝早く出社、夜遅くに帰宅というサイクル。しかも夜勤で朝10時頃に帰宅することすらも練習モードとばかりに繰り返す日々の時点でハードだが、よくよく考えればまともな自由時間は1日2時間程度しかなく、帰宅すれば「あと○時間で寝なきゃいけない」との思いに捕われてこれまで楽しんでいた娯楽にすらなかなか手を付けられない。これが普通の生活。これが平均的な年齢層における当たり前なのだろうと思いながら、どうもモヤモヤした感覚も残る。

確かにこれまでのプライドを捨てて真摯な姿勢を見せた結果、現状の日常は有り難いものにはなっている。先輩方は本当に親切丁寧で、ポジティブな精神で日々の業務をこなすことは楽しくもあり、特段のストレスもないまま働くことが出来ている。おそらくはこのまま何年何十年と働くことも、間違いなく出来る程に恵まれている感覚がある。ただ、この生活がそっくりそのまま社会的な普通だと言うのなら、僕は間違いなく不適合者であるとも、同時に感じてしまうのである。

そもそも、1日のうち12時間を仕事で忙殺される日々を間違っても楽しいとは到底思えない。たとえこの生活が続いた果てに結婚したりある程度の収入を得たとしてもだ。でも生きるには金が要る。どうやら収入がその人を語る上で大きなステータスになるらしいが、何かそれ以上に重要なものもある気がする。ただその重要なものを暗中模索でガサガサと探し求めて、その果てに憂鬱を発見してしまった末路がこれなのだ。今が楽しいとも思わないし、かつての生活が良かったともまた思えない。嗚呼悲しき人生。僕の人生はこうしてあと何十年もして、フワフワとした心持ちのまま終わっていくのだろうか。

いろいろ考えつつもう何十年経過したのか分からないが、とにかく。少なくとも他者が感じる幸せ……つまるところある程度の金を稼ぐ見返りに自分を殺す生活は自分にとっては全くメリットのないものであることは分かった。ではその逆、自分がやりたいことをやって過ごしつつも「社会的ステータスゼロの生活に戻るとしたらどうだろう」と考えたら、お笑いの活動をやっていた頃も、サークル活動をしていた頃も、ライターとして依頼を受けていた頃も……。僕はそうしたやりたいことをやっている場でも、常に死にたい感情を抱える人間だった。ならばどうするかと言えば答えは単純で、折衷案を模索するしかないのだ。その最適解が今の職場なのかはまだ分からないが、人間なかなか死ぬことができないということもはっきり理解している。なので今はやることをやって、その中でキツいと思ったら考えようと思う。……なお来月のシフトは24時間勤務あり。やるしかない。

 

高橋優 - ボーリング - YouTube