キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

カネか自分か、自分かカネか

新しい職場で働き始めてから早いもので、数日が経過した。勤務前こそ一抹の不安も過ったものだが、有り難いことに人間関係的にはストレスフリーな環境に身を置いていると思う。もちろんまだぺーぺーなので肉体的にはハードだけれど、それでも。これまで約5年間に渡って夢見ていた『世間的に見て普通の生活』を現実に出来た点では及第点だろうし、友人らと喋っていても「仕事が」「勤務日数が」といったこれまで一切話に参加できなかった正社員ならではのトークにもある程度は参加可能になったことで、少しずつ『異端者による普通の上辺』は確保してきてはいる。

ただ普通の肩書きを得る代償もある。最も大きな弊害として浮かぶのは、やはり仕事を第一に考えざるを得ない状況になった点だろう。朝早く出社、夜遅くに帰宅というサイクル。しかも夜勤で朝10時頃に帰宅することすらも練習モードとばかりに繰り返す日々の時点でハードだが、よくよく考えればまともな自由時間は1日2時間程度しかなく、帰宅すれば「あと○時間で寝なきゃいけない」との思いに捕われてこれまで楽しんでいた娯楽にすらなかなか手を付けられない。これが普通の生活。これが平均的な年齢層における当たり前なのだろうと思いながら、どうもモヤモヤした感覚も残る。

確かにこれまでのプライドを捨てて真摯な姿勢を見せた結果、現状の日常は有り難いものにはなっている。先輩方は本当に親切丁寧で、ポジティブな精神で日々の業務をこなすことは楽しくもあり、特段のストレスもないまま働くことが出来ている。おそらくはこのまま何年何十年と働くことも、間違いなく出来る程に恵まれている感覚がある。ただ、この生活がそっくりそのまま社会的な普通だと言うのなら、僕は間違いなく不適合者であるとも、同時に感じてしまうのである。

そもそも、1日のうち12時間を仕事で忙殺される日々を間違っても楽しいとは到底思えない。たとえこの生活が続いた果てに結婚したりある程度の収入を得たとしてもだ。でも生きるには金が要る。どうやら収入がその人を語る上で大きなステータスになるらしいが、何かそれ以上に重要なものもある気がする。ただその重要なものを暗中模索でガサガサと探し求めて、その果てに憂鬱を発見してしまった末路がこれなのだ。今が楽しいとも思わないし、かつての生活が良かったともまた思えない。嗚呼悲しき人生。僕の人生はこうしてあと何十年もして、フワフワとした心持ちのまま終わっていくのだろうか。

いろいろ考えつつもう何十年経過したのか分からないが、とにかく。少なくとも他者が感じる幸せ……つまるところある程度の金を稼ぐ見返りに自分を殺す生活は自分にとっては全くメリットのないものであることは分かった。ではその逆、自分がやりたいことをやって過ごしつつも「社会的ステータスゼロの生活に戻るとしたらどうだろう」と考えたら、お笑いの活動をやっていた頃も、サークル活動をしていた頃も、ライターとして依頼を受けていた頃も……。僕はそうしたやりたいことをやっている場でも、常に死にたい感情を抱える人間だった。ならばどうするかと言えば答えは単純で、折衷案を模索するしかないのだ。その最適解が今の職場なのかはまだ分からないが、人間なかなか死ぬことができないということもはっきり理解している。なので今はやることをやって、その中でキツいと思ったら考えようと思う。……なお来月のシフトは24時間勤務あり。やるしかない。

 

高橋優 - ボーリング - YouTube