キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

友人をふたり亡くした話

常日頃から、死にたいと心から思っている。こうした気持ちを不特定多数が見る媒体で綴ってしまうのは良くないとは分かっているけれど、それでも。このストレスだらけの生き地獄のような人生に価値を見出だせないし、何より、そんなことを考える自分が今日も「死にたい」と願うにも関わらずのうのうと生きていることに、大いなる不条理すら感じてしまうのである。

そして似たような関係性の話として、僕には互いを感情の捌け口として利用する、所謂『鬱友達』のリョウがいた。リョウと僕は小学校から中学校まで一緒のクラスで、それこそ当時はワイワイ音楽の話で盛り上がっていたけれど、あるタイミングから彼は精神的に不調をきたし、その後を追うように僕も落ち……。僕らが大学を卒業する頃には、揃って鬱状態に陥ったのだ。なもんで、学生時代のような明るい話は次第に消えていき、気付けば会うたびに「生きるのしんどいよね」といった話ばかりをする、ネガティブな間柄に変化していった。もちろん、あれから何年も経てばふたりで酒を酌み交わしたとてネガティブな話をすることはあまりなく、今のリョウはとても前向きに日々を生き、僕は微妙なポジションに落ち着いてはいるけれど、今でも「何であの時俺らはヤバかったんだろうな」と語り合うことがある。その互いの共通項……というより巨大な枷のような存在に思い当たったのは、本当にごく最近の話だ。

思えば高校時代の僕らと同年代の在校生には、同級生タカシと同級生フクダ、ふたりを亡くした経験がある。彼らは元々クラスでもあまり話さなかった人たちだったし、当時も、あれから何年も経って行われた成人式の時も、まるでその話はタブーであるかのようにひっそりと誰しもの心の秘密となった。ただひとつ問題があるとすれば、その彼らとおそらく最後に会ったのが他でもない、僕とリョウであることだった。

最も早くして亡くなったのは、取り分け僕と関わりが深かったタカシだった。彼は陰キャの括りでクラス内で見られていたものの、特段イジメられることもない不思議な位置をキープしていた人物だったが、何故だか彼と妙に馬が合ったのが当時の僕だった。そんな互いの根本的な暗さが良い意味で周りにも伝わっていたからか、彼が不登校気味になったある時から、僕は先生の使命で彼の家に毎日プリントを届けに行っていた。いつも出迎えてくれるのはお母さんで、お母さんが「タカシー!」と呼ぶとパジャマ姿のタカシが出てきて、そこから少し玄関で雑談して帰る。時間としては僅かなものだったが、クソみたいな学校生活の帰りがけに彼の屈託のない笑顔を見ながら一緒に笑うことが、いつしか僕にとっても当たり前になりつつあった。

そしてお互いが別々の高校に進学し、めっきり関わることもなくなったある日、タカシが亡くなったことを人づてに聞いた。

タカシの死から時を同じくして、フクダもひっそりとその生涯を閉じた。ただ、彼と関係性が深かったのは悪い意味で僕以上にリョウであった。というのも、彼が亡くなる前日まで、リョウはフクダにイジメを受けていたから。僕はフクダとは保育園の頃から仲が良かった。でもあれから付き合いはどんどん減り、当時はリョウばかりと毎日関わるようになっていたので、僕としてはどちらかと言えばリョウの味方をしつつお互いの仲を取り持つ、良くも悪くも中立の立場になっていた。リョウが僕にイジメられた話をされるたび、僕はフクダをなじる。逆にフクダからリョウのイジメの一部始終を語られた時は、なあなあな態度で逃げる……。お互いとかつて仲が良かったからこそ、僕の立ち位置はどんどんずる賢いものになっていった。

そしてフクダはある時突然亡くなった。彼の死は学校全体を大きく揺るがせる事件となり、今現在でもその死因については様々な憶測が流れている。

タカシとフクダが亡くなってから何の定めか、残された僕とリョウの関係性は更に深くなった。その理由は間違いなくフクダか亡くなったことでリョウがイジメられなくなったからだったが、目に見えてリョウには笑顔が増えた。対して僕はクソッタレな生活を続けながらも、どこか毎日タカシの存在を思い返す日々を続け、それから何年も経ったある日、僕は「タカシの家に線香をあげに行こう」という前々から考えていた計画をリョウに伝え、それを実行に移すことにした。

薄情だが、僕はタカシが亡くなってからそれまで一度も彼の家に赴いていなかった。それが突然扉を叩いて「お線香をあげてもいいですか」などとのたまうのである。正直門前払いも覚悟していたが、すっかり見る影もなく細くなったお母さんは、僕らをゆっくりと彼の部屋に案内してくれた。タカシの部屋はお母さん曰く、彼の生前の部屋の状態を保っているとのことで、僕がかつて貸したソフト含め、いろんなゲーム類が棚にしまい込まれていた。ただひとつの違和感があるとすれば、その一角にタカシの仏壇が供えられていたことだけ。当時大学生の僕らにとっては死はフィクションに近いイメージだったけれど、その瞬間、本当にタカシは亡くなったのだと実感した。

タカシのお母さんは、本当に様々なことを僕らに話してくれた。生前の彼のファッションや帰宅した後の様子。そして僕がプリントを届けに行った時がとても楽しそうにしていたこと、タカシが亡くなった後に線香をあげに来た初めての人が僕らだったことなどを、涙ながらに語る。僕とリョウはまるで何かの機械のように相槌を打ちながら、ただ40分程、お母さんの話をただ聞いていた。今でも彼の仏壇の笑顔と、お母さんが繰り返し感謝を伝えてくれたことは夢に見る。

タカシの家を出た僕らは、どちらが示し合うこともなく「死ぬのだけはやめような」と言った。あの光景を見てしまったら、最悪の行為だけは絶対に考えられない。自分が死ぬことで誰かを悲しませる可能性が100%なら、それを避けるためだけにでも死ぬのはやめようと、あまり覚えてはいないがそうしたことを話したような気がする。

ここで、話は冒頭に戻る。それから何年も経ったある時から、僕らはそろって鬱になった。それも躁鬱みたいな波のあるものではなく、いつも鬱である中で突然ドカンと巨大な鬱が襲ってくるような感覚。僕とリョウの電話の最後は決まって「でも死ぬのだけはやめような」というあの頃と同じセリフで、リョウも「そうだな」と返して終わり、また3週間ほどすれば連絡があって数時間鬱トークをするサイクルが形成された。けれどもその会話の中でタカシは出てくるにしろ、長らくリョウをイジメ、そして亡くなったフクダに関する話がリョウの口から出ることが一切なかったことから、僕は次第に「リョウは何かを隠しているんじゃないか」という気持ちにもなった。

そんなある時、僕とリョウは居酒屋でしたたかに酔って、とりとめもない話を繰り広げた。もちろん話の最初こそ趣味嗜好だの人間関係に求めるものだの様々なテーマを巡ったが、どんどん話が人間値みたいなどこか精神的なものに達した頃、僕はリョウに「話すのえらかったらええんだけど。前から思っちょったけどお前フクダの話とか全然しちょらんがー」とタブーを斬り込んだ。すると彼はうーんと悩んだ後、「本当に申し訳ないんだけど、俺はフクダがいなくなって良かったと思ってるよ」とはっきり言った。何となくそんな予感はしていたが、普段他人のネガティブな部分を一切言わない彼がこうした強い言葉を発することに、若干の驚きはあった。結果それ以上追求することもなく、その日の飲みは終わった。

何故だか関わるようになった僕とタカシ。加害者と被害者という歪な形の関わりを続けたリョウとフクダ。そして今彼らの死を経て、互いに死にたい気持ちと向き合っている僕とリョウ……。多分、人間には『類は友を呼ぶ』部分が少なからずあるのだろう。だからこそ交わるしだからこそ反するが、それでも生きていくしかないのだ。決してタカシとフクダの分まで生きようという訳でもないけれど、少なくとも彼らと交わった僕らは生きなければならない。……来月、随分久しぶりにリョウと会う約束をしている。どうやらとても毎日が楽しいようで、僕は憂鬱を押し殺しながら相対する予定だ。で、多分それも楽しい思い出になるのだろう。

 

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