キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

未来はTSUTAYAの棚の中

こんばんは、キタガワです。

 

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長年使い続け、すっかり車輪が軋みを上げるママチャリに乗り、いつもの場所に向かう。目的地はかねてより通い続けているTSUTAYAで、この日はレンタル商品の新作が店頭に並べられる、週に1度のラッキーデイだった。辿り着くなり、一直線に新作コーナーへと歩を進める。途中様々な歌手のポスターが掲出されているのを見てふと立ち止まった。BTS、NiziU、Snow Man、米津玄師……。名実共にミュージックシーンのトップをひた走るアーティストばかりが、まるで「今の流行りはこれなんだぜ」と言わんばかりの無機質感でこちらを見詰めている。


幾多もの視線を潜り抜けレンタルコーナーへ進むと、そこに目当ての商品はなかった。いや、なかったというより、全国的には入荷はするけれども島根県のような地方都市には入荷せず、そもそも対象として選ばれていないと知ってガックリと膝を落とした。代わりに入荷していたのはSNSで今大注目のポップシンガーや街中で流れる流行歌ばかりが、支配的なまでの物量で棚に入れ込まれていた。ふとコーナーの隅っこに作られたレンタル落ちのワゴンセールの中を見ると、商業音楽から外れた所謂『売れていないアーティスト』の作品が50円~100円の激安価格で無造作に収納されていた。


……音楽と出会う契機はその人ごとに当然異なるものだし、むしろサブスクの発達やYouTube、TikTokなど音楽と接する機会があらゆる点において増え音楽飽和状態となっていることを鑑みても、今はとても良い時代だとも思う。ただ簡易に音楽と出会えることはイコール、流行にも強く左右されやすいということでもあって、人気のある楽曲が検索の最前線に君臨する図式がある限り、それこそノーマネジメントで孤軍奮闘するアーティストにスポットが当たることは結局少なかったりもするのだ。


我々の世代……今の若者より10~20歳くらい歳を重ねた年代の頃には圧倒的なCD史上主義の文化が存在していて、YouTube自体が発達していなかったのもあって音楽と出会うにはまず自分から出向くしかなく、大量に並べられたCDの中から良いかどうかも分からないものに2000円を払って聴く形がほぼ主流だった。これは確かに今となっては考えられない代物だけれど、これによって陽の当たらないアーティストにもある程度恩恵があり、ライブのアンダーグラウンドシーンが活性化していたのも事実だった。


では現代はどうかと言うと、ことインディーに目を向けた場合にかつてよりも困難な時代に直面している。繰り返すが僕は懐古主義という訳でもなく、それこそジャケ買いをしなければならなかった時代と比べても最高の時代に突入していると嬉しい気持ちでいるが、その弊害として『売れているアーティストこそが正義』の時代になり、更にはアーティスト側も音楽以上に「どうすれば売れるか」を絶対に思案しなければならなくなっていることには、ある種の危機感すら覚えていたりもする。


特に顕著に衰退の影響を感じるのは先述のCDシーン。当然若者にとってもはや購入の必要性自体がなくなったCDは次第に規模が縮小しつつあり、先日発表されたWANIMAのニューアルバムのように、全ての楽曲を配信でリリースしCDとしてリリースされない形もこれからどんどん増えていくはずだ。それでも何とかCD事業を存続させようと思った場合はこれも仕方ないことだがアイドルの握手券商法とか、同じ作品を何形態も発売して注目度を伸ばすしか手はなく、広く売り上げを伸ばしたものが結果として『今売れている作品!』として平積みされているのが今だ。それではランキングも代わり映えもしないのは当然なのだが、もはやこれも仕方ないことなのだ。


ただ、やはり音楽というのは売れる売れないに関わらず誰もが全力を尽くしているものなので、どうか型に嵌まらずに様々な音楽に出会ってほしいと思う。100個のCDがあったとしてそのうち10個のみに光が当たっている状況で、敢えて残りの90個にもチラッと目を向けてみる、そのひとつの行動が数多いるアーティストに何よりの力をもたらすし、いち音楽好きとしても新たな引き出しを開けることにも繋がっていく……。そんなことを考えた某日真っ昼間。

 

DOTAMA『音楽ワルキューレ2』(Official Music Video) - YouTube

映画『総理の夫』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。


菅首相が退陣し、時期総理大臣を決定付けると言っても過言ではない29日の党開票。その日に向けて現在各陣営の動きは加熱化を続けている。立候補者は岸田、河野、高市、野田の4名であり、それぞれコロナ対策も理念も主張もバラバラ。今記事執筆時点では岸田と河野の一騎討ちになるだろうとの見方が強まっているが、果たしてどうなることやら。ともあれ新首相誕生の瞬間を目撃出来ることはとても素晴らしいものだし、いろいろ思うところはあれど期待はしている。


ただ「未だ日本の総理に女性が就任したことがない」という事実については、確かにひとつの疑問として浮かんではいた。世界に目を向ければ一国のトップに女性が就くことは珍しくないし、そもそもの話として男性と女性とで考えに大きな差がある訳でもないのである。なお今回の選挙にしても女性立候補者の高市、野田が勝利することはまずないというデータが出ており、世論がある程度男女平等に近付いてきた中でも女性の就任は未だ難しい状況が続いている。

 

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そんな総裁選挙真っ只中に公開された映画こそ、今回取り上げる『総理の夫』だ。今作は日本の内閣総理大臣に就任した初の女性総理誕生と、その妻を支える夫に焦点を当てたヒューマンドラマ。物語はバードウォッチングを生業にしている夫の相馬日和(田中圭)に対して妻の相馬凛子(中谷美紀)が「私が総理大臣になったら不都合なことはある?」と問い、夫はその深意も分からぬまま電波の届かない北海道の山奥に1週間滞在。そして戻ってくると空港で直ぐ様メディアに囲まれ、妻が本当に総理大臣になってしまった事実を知る、というあらすじで始まる。


今作を鑑賞する上で重要な点として挙げられるのは主に2点。それは生活が一変し普段のような生活が出来なくなってしまう夫の葛藤と、妻が総理大臣になったことによって訪れてしまう事象の数々である。まず最初の点について見てみると、全体として「日本初のファーストジェントルマンとなった夫にしては少しばかり現実味がないかなあ」と思うところがまあまあある。まずもって絶対に描写しなければならない「毎日が多忙です」という至極当然の日常については描写されているので良しとするが、妻が消費税アップという強行的な政策を行っていることから考えても、家にマスコミがほぼ押し掛けなかったり、夫の勤務先に良くも悪くも影響(仕事の依頼が大量に来る、もしくは嫌がらせがされるなど)が何らなかったりと、確かに場面場面を観ればあまり気にならないまでも、それこそSNS社会の今によく考えれば「この行動を総理の夫がやったら普通にダメじゃね?」と考えられる事柄も何ら話題にならず消えてしまうことに気付いた瞬間、かなり御都合主義のようにも思えてしまう。


『妻が総理大臣になったことによって訪れてしまう事象』の1点についても同様に、突っ込みどころが多々。これについては分かりやすいところでいくと金銭的政策の是非であろうと思うのだが、例えば先述の「消費税上げます」にしても、絶対的に世論は賛成派と反対派に別れる。今作は基本的には総理の追い風的なムードで進む(つまり賛成派多数)なのだけど、そうした場合にも当然『賛成に値する理由』と『反対派を唸らせる論破』が必要になるのだ。で、今作はどうかと言えば消費税賛成派の意見は主に「総理大臣カッコいいから」や「女性だから頑張ってくれそう」といったゆるーい意見ばかりで、逆に反対派に対してはよもやの『総理が慈愛を見せ付ける』というまさかの説得で話が終わってしまう。総理大臣は国のトップ。ならば何かが起きたときは何かで交渉材料にする、というのが簡単な方法だが、そうした事柄がかなりぼかす形で描かれていたので、少し残念だった。


ただし、今作が完全な駄作だった訳ではない。正直思うところはいろいろあったが観る人によっては些細なものだし、物語の根幹部分はある程度起伏もあって楽しめた。更に個人的には原作とは大きく異なるラストも好感触で、腑に落ちた部分もあったのは紛れもない事実だ。けれどもこの時期を敢えて狙って公開したようなハードルが上がるタイミング然り、それこそ近年公開された映画の『新聞記者』や『記憶にございません!』といった政治を題材とした映画と比べてネガティブを超えて明らかにポジティブ方面の展開に寄っていたりと、そうした点を踏まえるとやや微妙だった、というのが個人的な思いである。


なお余談だが、今作『総理の夫』を観て改めて政治映画制作の難しさを感じたのも、新たな気付きとして位置していた。まずもって政治を語れば間接的に右か左かの話にも言及してしまうので賛否両論は避けられない。だからこそ今回政治映画としては珍しい『初の女性総理』という新たな引き出しを開けたのは素晴らしいと思うし、逆に言えば半ばフワフワした物語に終始してしまったのは、そうした『誰も傷付けない映画』を目指そうとした結果なのだろうとも。……ともあれ、2時間を要して観る作品としてはこの点数。悪い映画ではないのは間違いないので、以下の公式動画を観て気になった方は面白く観ることが出来るハズ。


ストーリー★★★☆☆
コメディー★★★★☆
配役★★☆☆☆
感動★★★☆☆
エンターテインメント★★★☆☆

総合評価★★★☆☆

 

映画『総理の夫』予告🕊【9月23日(木・祝)公開】 - YouTube

【ライブレポート】OverTheDogs『解散ライブ「バカの日」 夜の部』@立川BABEL

こんばんは、キタガワです。

 

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全ての演奏が終わった後、心の中にぼんやりと浮かんだ思い。それは「本当にオバ犬は解散するのか?」という、実質的な解散ライブとして行われたこの日にしてはおよそあり得ない感想だった。何故なら随分と久方ぶりに観た彼らの勇姿は、数年前と何も変わらないマイペースな雰囲気に満ち溢れていたのだから。


解散発表と共に発表され、チケットが僅か1時間足らずでソールドアウトした今回のライブ。場所は活動当初よりオバ犬が懇意にしていた立川BABELで、客席は本来のキャパシティをコロナ対策で大幅に絞った中、半ばプレミア化したチケットを入手した多数のファンが詰めかけた。なお今回のライブはツイキャスにて生配信も行われ、彼らが有終の美を飾る瞬間を実際にオバ犬の音楽に救われてきた多くのファンが目撃した。

 

OverTheDogs「イッツ・ア・スモールワールド」Music Video - YouTube


定刻になると“映幻の花”や“チーズヘッドフォンデュ”といった過去曲のBGMが緩やかに流れる会場にメンバーがゆっくりと足を踏み入れ、疎らな拍手を一身に浴びる。今回が解散ライブということもあり必然「何が最初に披露されるのか」との予想もファン誰しもがしていたものと推察するが、1曲目はメジャーデビューアルバム『トケメグル』リリース当初よりオープナーの定番と化していた“イッツ・ア・スモールワールド”での幕開けだ。原曲のキーボードよりも僅かにギターの主張が勝ったサウンドをバックに、中央に立つ恒吉豊(Vo)は飛び道具的なギターを弾きつつ、鼓膜にしっとりと寄り添う歌声を響かせていく。正直長年ライブに参加してきたファン視点からすると年齢の経過からか、彼の歌声は明らかに数年前より声のトーンは下がっていて特に高音部分は若干辛いところもあるようには思えたし、1年半以上ぶりのライブであることも影響して楽器隊のミスタッチもある程度はあった。けれどもそれ以上に今まで培われてきた19年間(現メンバー在籍からは数えて13年間)の歴史と歌の力がぐんぐんとエネルギーを牽引していくような、そんな素晴らしい空気が“イッツ・ア・スモールワールド”には早くも宿っていて、それを観ているこちらとしても「本当に最後なんだ」と突き付けられるようでもあり悲しいやら楽しいやら、何とも名状し難い感覚に襲われる。

 

OverTheDogs - ココロデウス - YouTube


OverTheDogsは解散を発表したその日に、約6年ぶりとなるニューアルバム『amazing box』のリリースを発表。恒吉いわく「このバンドで出来ることはしたと思う」とするこのアルバムはオバ犬の最後のアルバムであると同時に彼らの全ての力を注ぎ込んだ代物で、そうした観点からもこの日のライブは『amazing box』を支点にするものだろうと事前予想を立てていたのだが、実際はこのアルバムからの楽曲は予想に反して何と1曲も披露されず、更にはここ最近リリースされてはいたものの売上が伸び悩んだ楽曲すらも徹底的に排除していた。それこそ筆者が最後に彼らのライブを観たのはもう6年以上前のことだが、具体的にはこの時のセットリストと当時のセットリストを見比べてもほぼほぼ同じと言って差し支えない、言わばOverTheDogs絶頂期のライブの定番曲や人気曲を隅々まで散りばめたベストセットとなった。


突飛な演奏や「オイ!オイ!」といったコール&レスポンス、ライブならではのアレンジ……。そうしたロックバンド然とした行動はOverTheDogsのライブにはまずもってない。実際これまでの彼らは楽曲の合間合間にゆるいMCを多用することで独自の世界観を構築していくことも多かったのだけれど、“どこぞの果て”後のMCで恒吉が「今日はMCよりも今日をたくさんやりたいなと思って」と語っていたように、今回はある意味では無骨に音源を投下し続けるという強気のスタイルで進行。長らくのブランクがあったとはいえ、佐藤ダイキ(Ba.Cho)はしっかりとした低音ベースとコーラスで楽しませてくれるし、同じく樋口三四郎(Gt)も肩肘張らない演奏。この中では唯一解散後も恒吉と音楽活動を続けていくことを宣言している星英二郎(Key)も、トレードマークの帽子を被りつつ綺麗な打音を響かせている。なおドラムのサポートは長年オバ犬と共に歩んできた比田井修(Dr)で、これが本当に最後のライブになるのか逆に実感が湧かない。ただこれは覆ることのない決定事項なのだということも集まった誰もが理解していて、それが「最後の勇姿を見届けよう」とするエネルギーにも繋がっていた。

 

OverTheDogs「愛」Music Video - YouTube


そんな彼らの『らしい』マイペースぶりと、多くの観客の思いを同時に体現した楽曲こそが、中盤に披露された“愛”であったように思う。ライブ後の公式ツイッターにて恒吉は「最後のライブで盛大に放送事故レベルで歌を外した」と自虐的に綴っていたが、どうやら1曲目の“イッツ・ア・スモールワールド”から9曲目の“愛”までの間、彼の耳に付けられたイヤモニの調子が悪く(恒吉は「本番で力入り過ぎてるせいかリハの倍くらい音がデカい」と言っていた)、歌声の調整にかなり意識を費やしていたらしい。その中でもこの“愛”を演奏した数分間が最もイヤモニに翻弄された時間として位置しており、恒吉は何度も音を外し、高音や声の強弱についても終始おぼつかなかった。ただ思い返せば、機材トラブルでギターが鳴らなくなったり、MCをしすぎて曲を削らざるを得なくなったり、野外ライブ中に突然雨が降ったりとこうした突発的な困難もオバ犬の恒例だった。だからこそこのワンシーンには……本人たちは納得のいかなかった部分もあったろうが、個人的には「解散ライブでもオバ犬は最後までオバ犬なんだなあ」と感じ、気付けば笑ってしまった次第である。


“愛”を終えると暫しのMCへ移行……の前に、まずは「自分の声が凄くおっきいかも知れないです。テンションが上がってるのかな」と先程から不調続きのイヤモニの修正をPAに頼む恒吉。するとすかさずダイキが「気持ち爆上がりしちゃってる?」と突っ込むも恒吉は無視。更に恒吉が「後で“愛”もう一回歌いてえわ。これが最後の愛……LAST LOVEにしては……」と語れば「その時うちら全員いなくなるから」とダイキが横槍を入れるも再度無視されるという、高校生時代から同じ釜の飯を食うふたりの親密な関係性を改めて確認すると、恒吉は初めてゆっくりと今回の解散、そして何故解散する身でありながら毎年9月22日にだけ再結成しライブを行うのか、その理由について口を開いた。


「一応、今日で解散になります。ただ普通に『今日でもう会わないぜ』っていうのは凄く寂しいなと思っていて、バンドの在り方なんていろんな形があっていいと思っていて。……元々OverTheDogsは僕がボーカルではなくて、荻野彰(オギノアキラ)っていう、19歳の時、当時僕がドラムでバンド組んでたんですけど、彼が亡くなってしまって。僕が引き継いでバンドやって。9月22日っていうのは彼を思い出す日にしようという意味で、こういう形を始めたんですよ。今となっては正直思い出さない日も出てくるんですよ。10何年も経ってると。で、思い出すときはハッピーな感じで思い出そうと思って。OverTheDogsも無くなるんじゃなくて、荻野のことを思い出すように続いていきたいと思うので、今後もよろしくお願いします」


何故OverTheDogsは解散するのか、その理由を紐解くのはどちらかと言えば簡単だ。当然いろいろな思いを抱えての決断だったことだろうと推察するが、言葉を選ばずに言えばOverTheDogsは最後まで売れることはなかったし、今回のライブに関してもコロナの感染助長の可能性があると最後まで悩んでいたことから察するに今後も続くコロナ禍を考えてのことだったかもしれないし、他にも恒吉が結婚して、障害のある子供達の学童保育で働きつつ音楽活動を行うことに思うところがあったのかもしれない。しかしながら毎年9月22日にのみ再結成するという方針には些か疑問を抱いたものだったが、2016年の恒吉執筆のブログ記事を改めて読むと、その心中に思いを馳せることが出来る。

 

gamp.ameblo.jp

 

OVER THE DOGS うつらうつら MV - YouTube

 

9月22日は荻野彰が電車事故で他界した命日で、以降彼らはこの日を『バカの日』と呼び自主企画を毎年行ってきた。そして文中でも記されている「荻野とOverTheDogsを作った以上、このバンドはどんな形になってもメンバーがいる限り続ける。それが俺のさだめだと思ってる」との言葉こそが、全ての答えなのだ。オバ犬は確かに解散を選んだが、恒吉における荻野の存在と同じくオバ犬は一生なくならないし、ずっと続ける。何にも迎合しなかった彼ららしい、どこまでも意固地な主張だ。そんなMCが終わって鳴らされた“さかさまミルク”は、中でも荻野を強く意識した楽曲として切なく響いた。この楽曲はこれまで恥ずかしながらOverTheDogsが様々な楽曲で歌っている『私と貴方』の関係性を描いているものだと認識していたけれど、このMCを聞けば明らかに意味が変わってくる。《さしあたり今日も僕が/思う事は君がいないその事だけ》《どーせ僕は君の事を思いながら生きるしかない》との歌詞を鑑みるに、この歌は亡き荻野に対して描かれたものだったのだ。他にもその後に披露された《今日もまた君について考える》と歌うバラード曲“うつらうつら”も、《流れ星が生まれ変わって きっと人になるんだ》とする“メテオ”も、遡ってみれば冒頭の“イッツ・ア・スモールワールド”もそう。OverTheDogsは4人で歩んできたバンドというより、最初から最後まで荻野を入れた5人で続いていたし、そしてまたこれからも続いていくのだ。

 

 

今回のライブは先述の通り、今までの活動の総括的なセットリストで進行していた。故に集まったファンひとりひとりにとって大切な楽曲は異なるだろうし、逆にこの日演奏された17曲だけでは全然足りないと感じるファンも多いことだろう。翻って、僕個人にとって最も思い入れのある楽曲をひとつだけ挙げるとすれば、それは『トケメグル』に収録された“うた”という楽曲だった。詳しくは上記の個人アカウントで記しているけれど、とにかく自分にとって“うた”は特別な存在で「もう一度だけ聴きたい」と願い続けながらも結果、オバ犬は解散するに至ったのだ。……“メテオ”終了後「バンドがなくなるって初体験なんですけど、それでもやっぱり歌っていきたいなと思っております。ずっと歌って生きていって良いと思いますか皆さん!」と叫んだ恒吉。そこから雪崩れ込んだのはよもやの“うた”であり、思わず涙腺を刺激された。「歌を歌いたい」と願いつつこの日は基本的にギターを持たず歌唱に徹した恒吉と、「もっとオバ犬の曲を聴きたかった」とする我々ファンの気持ちを汲んでか、誰もが望むセトリで寄り添ってもらったファン……。その関係性は本当に最後まで、素晴らしいものだった。

 

OVER THE DOGS チーズヘッドフォンデュ MV - YouTube


最後の長尺のMCは、“チーズヘッドフォンデュ”後に。ここではメンバーひとりずつ、今の思いを聞く時間となった。まず口を開いたのは樋口で、2006年の3月にギターが全く弾けない状態にも関わらずダイキの「一緒に伝説作りましょう!」と書かれた印象的なメン募を見て加入してしまい、ギターが一切弾けないことが分かった瞬間のスタジオ練習で空気が凍ってしまった懐かしい記憶に触れつつ、最後には「いろんな景色を見せてもらいました」と感慨深く思い出を語ってくれた。

 

続いてはこの中では唯一、恒吉と音楽活動を続けることが発表されている星。「人にはそれぞれゴールがあって、でもバンドは始まってみたらゴールってなくて」とし、OverTheDogsで普通の人生では味わえない経験が出来たことから悔いは全くないと力強く語った。区切りとしてギスギスすることもなく、「ここで終われることがわりと幸せ」であると、彼らしい屈託のない笑顔を見せた。


一方、最も感情を露にしていたのが高校時代に荻野、ダイキ、恒吉の3名で結成されたOverTheDogsの初期メンバーでもあるダイキだった。彼は感謝の気持ちを述べようとするも直ぐ様声が詰まり、以降は涙をこらえながら訥々と言葉を紡いでいく。だがいつも剽軽なキャラクターで皆を笑顔にしてくれる彼らしく、これ以上は喋れないと察したのかMCを早々に切り上げ「今までもこれからもOverTheDogsはずっと残ると思うので、これからもよろしくお願いします!」と力強く叫ぶと、それから次曲に移行するまで、声を出さずに涙を流していた。

 

最後を飾るのは恒吉。まずは「長い間OverTheDogsをやって。売れてるバンドはいっぱいいて。売れてるバンドがずっと続いてるのは当たり前で、ずっと悔しい思いをしながらバンドを続けてて、よく一緒についてきてくれたなと思います」とメンバーへの率直な胸の内をさらけ出すと、「暗い別れではなくて。良いことを作ろうと思って解散を選びました。OverTheDogsで歌いたい、でもそれよりもっと楽しいことが出来るような気がしたんです。だから正直に言うと、今のメンバーとは出来ないと思いました。でも最高に楽しいんですよ。このメンバーと音楽やることは。だからそれは嘘じゃないし、今日は本当にありがとうと思いながら歌えてるし。関わらない人が多い中、本当に関わってくれて本当にありがとうございました」と未だ心の整理がつかない我々に向けて、しっかりと解散の理由について述べてくれた。……毎年9月22日にだけライブを行うとはいえ、解散は解散である。ただ音源も作らず取り敢えずレーベルに籍を置くだけのグループや、無期限活動休止と言いながら10何年活動していないバンドより遥かに潔いこの選択はきっと、彼らなりの『筋を通す』ことと同義なのだろう。確かにこうした解散のスタンスを取るバンドは今までになかったけれど、そもそもの成り立ちが“さかさまミルク”前のMC通り荻野ありきで、また荻野の命日である9月22日を境に大きく変化したもので。しかも彼ら自身が納得しているのであれば、こうした形も悪くないのではと思えた。

 

OverTheDogs「本当の未来は」@渋谷WWW - YouTube


本編ラストに演奏されたのは『トケメグル』から、これまで多くのライブで最終曲としてプレイされてきた“本当の未来は”。この楽曲で歌われるのは端的に言えば、予想も出来ない未来の希望的予測。空飛ぶ車、癌の治療薬、疲れない靴、海外まで5秒の旅行手段……。それらは『トケメグル』が発売された10年前、彼らが「未来はこうなったらいいのに」とする素晴らしいイメージを具現化したものである。ただ2021年現在の『本当の未来』のリアルは、景気は衰退、謎のウイルスが蔓延し、そして当時の彼らが予想すらしていなかったバンドの解散というよもやの出来事が立て続けに起こってしまっているというのが事実で、嫌な話をすれば、彼らが望んでいた未来とは完全に真逆の道を進んでいると言っていい。ただ少なくとも、解散を自ら選択した彼らの心に一切の後悔はない。というより、彼らにとって未来は解散よりも更に先……。未来はメンバーたちがジジイの歳になってもそのまだまだ先にある事柄なのだという、徹底したポジティブ・シンキングなのだ。そして様々な思いを乗せたMCを経て展開した楽器隊に関しても幾分フラットな空気感で、特に恒吉に関しては以下のブレイク途中の映像と比べても手を交差したり身ぶり手振りで雰囲気を作り出したりという『魅せる』アクションがほぼ廃されており、今までに観てきたどのライブよりも自然体だった。彼らの予想もつかない未来に向けて高らかに鳴り響いた“本当の未来は”は、間違いなく彼らにとっても本編ラストに披露する必然性を携えた楽曲であったことだろう。


本編が終わりしばらく続いた手拍子の後、アンコールで再びステージに舞い戻ったメンバーたち。しかしステージに立つなり、恒吉は恥ずかしげに笑みを浮かべながら「アンコールありがとうございまーす!……ちょっともう1回“愛”やっていいすか。成功するまで“愛”やろう」とよもやの宣言。なおダイキは「成功するまで帰れま10みたいな」と先程の感涙を帳消しにする弄りを展開するも、恒吉は当然のように無視。なおこの突発的な“愛”2回披露の裏では立川BABELの社長による「もっかい“愛”やってくれ」との鶴の一言があったためであるらしく、もはやどう転んでもやらざるを得ない状況になったとのこと。


そうして演奏に漕ぎ着けた2度目の“愛”が、樋口のマイクが落下したこと以外は概ね完璧(?)な形として取り敢えずの成功を収めると、残り1曲という状況もあってか恒吉は感慨深げに「何か寂しいね。終わるの」とポツリ。ただダイキは「でもボチボチお腹空いてきちゃったから……」と最後までマイペースで、思わずファンからな笑いが。そして恒吉が「惜しまれますけども、次の曲で最後かな。本当にあの、来年もあるかもしれないし、4年後に1度かもしれないけど。何回も言うと嘘くせえから最後にするけど、本当にありがとうございました!」と語ると、正真正銘最後の楽曲となる“マインストール”でもって大団円を迎えた。

 

OverTheDogs「マインストール」 MUSIC VIDEO - YouTube


バンド名表記を変え、恒吉の歌声を変え、所属レーベルを変え……。彼らは十数年の活動において様々な変化を経験してきたが、その中でも唯一不変だったものこそが自分たちの音楽スタイルだった。自分が動けばきっと最高の未来が待っているとするOverTheDogsの活動は、それこそ我々のようなファンではない人間から見たら見ればどう映ったかは分からないし、中にはきっと近しい親戚からすると「まだ売れないバンドなんかやってるの?」とか、インディーバンド好きからしても「OverTheDogs?いたなあそんなバンド」など、決して肯定的ではない意見も多かったことだろう。しかしながら最後のMCでも語られていたように、彼らはこの選択に一切の後悔は抱いていない《将来は君の想い通りだよ/最高の想像を信じればいい/生涯は君の中にある/そうさ 変えてゆける》……これは幾度も繰り返されるサビのフレーズだが、その歌詞の通り、OverTheDogsという殻を破って未来を見据える彼らの姿はとても美しく感じられる。そんな希望的未来を暗示するようにボーカルパート以外の部分ではメンバーが「せーの!」と叫んでファンが(声は出さないまでも)「オーイ!」と返す感動的な空間が形成され、恒吉は声を枯らしながらの絶唱でもって最後の歌声を響かせていく。その姿は解散ライブというよりも、まるで数年前に小バコで観た彼らの姿とリンクするようでもありある意味ではとても普段通りだったけれど、全てが終わった今改めて思う。本当にOverTheDogsは、どこまでもOverTheDogsだったのだ。


……最後までフワフワとした空気感で我々を包み込んでくれたオバ犬は遂に解散してしまった。おそらく名も広く知られていない彼らの解散について、メディアは何も言わないだろう。実際某有名音楽サイトも懇意にしていた媒体からも、更にはWikipediaにも現在解散の報は乗せられること自体されていないし、正直長年彼らのライブに何度も参加してきたファン視点で見ても、フロアにとてつもなくゆとりのある環境でしかライブを見たことはなかった。恒吉は最後に「売れてるバンドはいっぱいいて。売れてるバンドがずっと続いてるのは当たり前で、ずっと悔しい思いをしながらバンドを続けてて」と語っていたけれど、大衆に認知されなければやがて自然淘汰されるという図式は変わらない。いちファンからすれば「もしも彼らが売れていたら解散はなかったのだろうか」と考えてもしまうけれど、完全には分からない。


しかしながらどれだけ考えても、我々がどれだけオバ犬の楽曲に救われてきて、また彼ら自身が素晴らしい活動を続けていたということも紛れもない事実。そして結果としてこの日、恒吉の声質を『A STAR LIGHT IN MY LIFE』から大幅に変え、あまりにも短かった所謂『絶頂期』と呼ばれる時を経てインディーズに戻り、名前をOVER THE DOGSに改名したりと迷走を続けた果てにあったのは、彼ら史上最もリラックスした空間だった。何の欲もない、自身を良く見せようとする思いもない。ただ純粋に応援してくれたファンに向けて、歴代の代表曲を網羅する2時間に、心底後悔がないほどに圧倒されてしまったのだ。……この日あらゆる事象がひっくり返った世界でOverTheDogsはひっそりと姿を消したけれど、飼い犬が家を飛び出して主が心配するも結局普通に戻ってくるのと同じように、彼らはきっとこの先もどこかで楽しく暮らし、また9月22日にひょっこり顔を見せに来るのだろう。どこまでもマイペースで自分たちを信じ抜いたオバ犬の居場所は我々の心の中からずっと消えることはないのだから、後はゆっくり待つのみである。


【OverTheDogs@立川BABEL セットリスト】
イッツ・ア・スモールワールド
ココロデウス
カフカ
どこぞの果て
ラバーボーイラバーガール
スターフィッシュストーリー

さかさまミルク
うつらうつら
メテオ
うた
おとぎ話
パンダの名前に似た感情
チーズヘッドフォンデュ
本当の未来は

[アンコール]

マインストール

【ライブレポート】爆弾ジョニー・忘れらんねえよ・THEラブ人間『サポートやろうぜ』@渋谷WWW X

こんばんは、キタガワです。

 

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爆弾ジョニー、忘れらんねえよ、THEラブ人間という、ことライブハウスを中心に活躍するロックバンド好きにはたまらないスリーマンとなった、爆弾ジョニー主催の対バンイベント『サポートやろうぜ』。そのタイトルからも分かる通り、この日はかねてより爆弾ジョニーのメンバーがサポートとしてアシストしてきたふたつのバンドに声をかけ実現したイベントだが、コロナの影響により延期を重ね、ようやっとこの日に実現に至ったという訳だ。では今回のライブがエネルギーを異様に迸らせたものだったのかと言うとそうではなく、あくまで普段通りのテンションだったということも含め、総じて「らしいなあ」と感じる幸福な一夜だった。

 

 

THEラブ人間

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トップバッターとしてステージに立ったのは下北沢が誇る恋愛ロックマエストロ、THEラブ人間。まずはコロナ禍に制作された未音源化の新曲『太陽の光線』でフロアを温め、ロック的な布陣+バイオリンによる独自性の高いサウンドをゆるりと聴かせていく。その姿は至って自然体だが、きっと義理深い彼らのことだ。言葉より何より自身の思いを歌に乗せて伝えることが感謝の強い体現であると考えての、敢えて肩肘張らない形に終始したパフォーマンスなのだろう。


今回のライブはライブハウスが短縮営業であるためか、比較的全組とも持ち時間は少なく、中でもTHEラブ人間は演奏曲にして5曲とある意味では「もっと聴きたい!」とファンをやきもきさせる罪なライブでもあったが、そうした中でも彼らの現在地を存分に見せ付けていたのはすこぶる頼もしかった。今回のライブのハイライトとして位置していたのは紛れもなく“砂男Ⅱ“と”砂男”から成るキラーチューン2連発で、“砂男Ⅱ”の後半に爆弾ジョニーの“なあ~んにも”をこの日限りのサプライズ披露した他、結成当初からこれまで何度もセットリスト入りを果たしてきた“砂男”は原曲の歌唱部分の大半を崩しつつ、前をしっかり見据えて届けるというライブならではのアレンジで魅せた。

 

【砂男 / THEラブ人間】 - YouTube

 

「音楽なしだとちょっとキツいわな、人生は。アフターコロナが終わったあとに、みんながまた歌ったりする世界が戻ってくるかは分かんない。でもこの3バンドはみんなが歌えなくても、大丈夫って思ってます。みんながこの先ライブで歌えない未来が来ても2倍3倍、10倍デカい声で歌いますんで。音楽を好きという理由の前では、どんなことでも取り払えます」……。30分の持ち時間に唯一もたらされたMCで金田康平(Vo.Gt)が語った言葉が、今でも印象に残っている。もはや音楽はコロナに憂う現代において、必要と見なしていない人にとっては圧倒的に優先度が低い存在となってしまったが、対照的に音楽を心から欲する人々にとっては改めて音楽の必要性に気付かされる1年半であったのも事実で、このMCで彼らは音楽を鳴らす立場として、集まってくれた音楽好きたちを全面的に肯定した。彼らの楽曲は全曲がラブソングだが、この日の『恋愛対象』は他でもない我々に向けてのものだったようにも思え、とても感動した次第だ。

 

THEラブ人間「ズタボロの君へ」【Official Music Video】 - YouTube 


ラストソングは最新作『夢路混戦期』から“ズタボロの君へ”。ツネ・モリサワ(Key)が前方に躍り出て煽り倒したり、金田が直撃しすっかり背が低くなったマイクに齧り付くように歌う一幕を経てアグレッシブに駆け抜け、最後はベースのサポートを務めた爆弾ジョニー・小堀ファイヤー(Ba)の名前を連呼する連帯感抜群のクライマックスでステージを去ったTHEラブ人間。その表情はまるで後輩に後を任せるかのように満面の笑顔だった。


【THEラブ人間@渋谷WWW X セットリスト】
太陽の光線
大人と子供(初夏のテーマ)
砂男Ⅱ(間奏:なあ~んにも)
砂男
ズタボロの君へ

 

忘れらんねえよ

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THEラブ人間からバトンを引き継いだのは、遂に先日40歳の誕生日を迎えた柴田隆浩(Vo.Gt)によるロックバンド・忘れらんねえよ。ライブでは必ず笑いを重要なエッセンスとしたパフォーマンスを行うことでも知られる彼ら。必然その登場シーンにも期待が高まるところだが、今回は数日前に週刊誌でいろいろあったRADWIMPSの“前前前世”を流しながらオンステージ。柴田は「何か最近揚げ足とるやつばっかですけど、いいんだよバンドマンは格好良いことやってれば!バカヤロー!」と叫びつつ、急いでギターの用意を始める。よく見るとサポートはロマンチック☆安田(Gt)、小堀ファイヤー(Ba)、タイチサンダー(Dr)と柴田以外の全員が爆弾ジョニーメンバーで、まさしく『サポートやろうぜ』に相応しい編成である。


1曲目は彼らを一躍表舞台に押し上げた代表曲“CからはじまるABC”で、その勢いでもって一気にフロアの熱量を高めていく。楽曲自体の性急さもさることながら、柴田は《いつのまにか三十路になっていく》を「40歳になりました!」、《グループでスノボに行った》を「(今年は)夏フェスなかったな!」など歌詞を所々突発的に変化させ、笑いの燃料も次々投下。すっかり灼熱地獄になったフロアに対し「それでも足りない」とばかりに更なる熱を帯びる演奏……。忘れらんねえよにおけるCD音源とライブの相違点についてはこれまでにも体験してきてはいたが、それでもこの圧倒的なパワーは何度観ても驚かされるばかり。

 

[PV] CからはじまるABC - 忘れらんねえよ - YouTube


今回の忘れらんねえよのセットリストは所謂『フェスセトリ』と呼ばれる、キラーチューンを多数披露する極めて激しい内容で展開。ただ基本的には後半に向けて次第に上がっていくのが通例のフェスセトリとは違い、この日の彼らは特に前半部分に代表曲を散りばめる一風変わった形を取っていて、ある意味では新鮮だ。演奏曲についても“ばかばっか”では早くもサポートメンバーへのパワハラ的ノンアルコールビール一気を見せ、“踊れ引きこもり”では今回のイベントのアンサーとして“バンドやろうぜ”とTHEラブ人間の楽曲を弾き語り、菅田将暉に提供した“ピンクのアフロにカザールかけて”をセルフカバーしたりとサービス精神も旺盛で、一切息つく暇もないのも○。


加えて、サポートメンバー3人との親しい関係性が白日のもとに晒されたのもファンには嬉しいところで、爆弾ジョニーのライブでは自由奔放なメンバーたちが忘れらんねえよのサポートをする時にはとても腰が低く、謙虚であることを暴露した柴田にすかさずタイチサンダーが「遊ぼうや柴っちゃぁん!」と悪ノリイメージ全開で返すも、柴田が「楽屋ではこんな感じ(体育座り)で座ってたじゃん」と隠された真面目ぶりを新たに暴露してしまう流れ然り、磐石のパフォーマンスはこうした信頼関係で成り立っているのだと再認識。

 

「俺よ届け」LIVE (2021/4/23 忘れらんねえよ 主催『ソーシャルディスタンスなツレ伝』より) - YouTube


最後に披露されたのは“俺よ届け”。本来であればもう1曲演奏する予定だったようだが、ラスサビの時点でスタッフに確認を取っての「興奮しすぎてこれが最後の曲になりました!」という予想外の幕引きとなったのも、実に彼ららしい。暴風のような激しさで駆け抜けつ気付けば去っていった怒濤の30分は、きっと集まった観客の心に絶大な印象を与えたはず。この分だと10月にZeppで開催されるワンマンライブも満員御礼は間違いなしだろうと確信する、そんな魂のこもったライブだった。


【忘れらんねえよ@渋谷WWW X セットリスト】
Cから始まるABC 
ばかばっか
踊れ引きこもり(間奏:砂男、バンドやろうぜ)
あの娘に俺が分かってたまるか
ピンクのアフロにカザールかけて(菅田将暉セルフカバー)
俺よ届け

 

爆弾ジョニー

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楽しい時間ほど過ぎるのは早いもので、気付けば残すところ出演バンドは爆弾ジョニーただ一組だけとなった。これまでTHEラブ人間と忘れらんねえよの濃密なライブを観た後であることもそうだし、彼ら自身もこの直前にニューアルバムのリリースをツイッターで発表していたことからも、セットリストの予測が全く出来ない状況下でのライブとなった訳だが、りょーめー(Vo.Gt)が「誰も知らない新曲やります。爆弾ジョニーです!」と語って1曲目に披露されたのはよもやの新曲。それもニューアルバムに収録されているものでもないらしく、正真正銘の本邦初披露の楽曲でスタートする驚きの幕開けである。

 

爆弾ジョニー 『なあ~んにも [Music Clip]』 - YouTube

 

以降は観客誰しもの心中のシンガロングを巻き起こした“なあ~んにも”、りょーめーの傍若無人な振る舞いで視線を一身に集めた“唯一人”と続き、その唯一無二のステージングでみるみる観客を虜にしていく。思えば爆弾ジョニーが新進気鋭の高校生バンドとしてシーンに降り立ってから10年が経過、当然そのライブスタイルもかつての怖いもの知らずな若者らしさから少しずつ経験を積んで、現在では地に足着けた演奏になってはいる。ただ根本的なライブ姿勢は不変であり、まず第一義に自分たちが楽しみ、その相乗効果で観客も楽しくなるという幸福な循環は更に磨きがかかっている印象すら受ける。


そのうち中盤に披露されたライブアンセムこと“キミハキミドリ”は、爆弾ジョニーのライブの楽しさを雄弁に物語るワンシーンとして位置していた。この日THEラブ人間の物販として販売されていたスペシャルワッペンを額に貼り付けたり「授業を無視してラブ人間を思って勉強しました」「マス掻いた後に柴田のことは思わなかったでーす!」など歌詞の変更、途中の振り付けに関しても「世の中知った方がいいことと知らなくていいことがあるんで……」と突発的な言動で翻弄するりょーめーも噴飯ものだったが、後半に差し掛かると突如タイチサンダーが自分のサポートメンバー(?)である『MacBook Proくん』の力を借り、無機質な声を合図に呪文を言い放つ一幕で爆笑の嵐に。ロックバンドのライブの魅力は「ひとつたりとも同じライブはない」ことであると個人的に思っているけれど、本当に爆弾ジョニーはそんなロックライブの素晴らしさを体現してくれる存在なのだなあと、思わず頬が緩んでしまう。


その後のMCでは今回のスリーマンがこの3組になった理由や諸々の爆弾ジョニーの近況について語られた。ロマンチック☆安田(Key)いわくTHEラブ人間は下北沢ニテ、忘れらんねえよはツレ伝というツアーで頻繁に誘ってくれるため、そのお返しの意味合いも込めて企画されたものらしく、以降もニューアルバムリリースの報や物販など様々なお知らせを試みようとするのだが、時間の都合上バッサリカット。予定を変更して残りの時間は全て演奏に使う割り切りぶりも、音楽至上主義の彼ららしいと言うものだ。

 

爆弾ジョニー「イミナシ」PV - YouTube

 

最後に披露されたのは本来ならば中盤に位置することが多い“イミナシ!”で、過去を振り返る必要性や生まれてきた意味といったある種哲学じみた事柄を全てまとめて“イミナシ!(意味無し)”とする彼らなりのポジティブ・メッセージを響かせた……。かと思えば、余韻も残さずステージから撤退。そしてアンコールで再び戻ってきたりょーめーが「時間がねえって言ってんだろ!チューニングとか野暮だから止めよう!」とやたら忙しない挙動でファストチューンな未発表曲“ララララ”を爆速で鳴らし、またもふわりと去っていった。今回は爆弾ジョニーの自主企画で、ともすれば力の入ったライブにもなるだろうな、と事前に予想していたのだが、蓋を開けて見れば最後まで自由奔放だった27歳の若者たち。1年の延期もコロナも、そんなことはどうだっていい。今音楽を鳴らす場所があって、好きで聴いてくれる人がいればそれだけで良いのだという馬鹿正直なそのライブには「頑張った!」といった努力主義の達成感という以上に、明らかな楽しさがあった。

 

【爆弾ジョニー@渋谷WWW X セットリスト】
コバルト(未発表新曲)
なあ~んにも
唯一人
キミハキミドリ
メドレー(123346→緑→賛歌)
イミナシ!

[アンコール]
ララララ(未発表曲)

 

 

THEラブ人間の貴方へのメッセージ性、忘れらんねえよの猪突猛進ぶり、爆弾ジョニーのフリーダムさ……。今回のライブは『サポートやろうぜ』と題されてはいたもののその実、ありとあらゆる面で「ライブバンドかくあるべし」なロックの魅力を強く見せ付けた代物だったように思う。当然、コロナ禍における今回の彼らのライブはコロナ前と全く同じな訳はない。個人的に彼らのライブにはそれぞれ何度かずつ赴いている身だが、例えばTHEラブ人間がハンドマイクで客席に寄りかかることはなかったし、忘れらんねえよが観客の頭上でビールを一気することもなく、同じく爆弾ジョニーは観客と一緒に謎の呪文を叫び合うことも出来なかった。それは様々な制限が課されている関係上不可能なことは当たり前で、逆に言えばそうした観客とのレスポンスが廃された状態でどれほど観客の心を掴むことが出来るか、というのも大きな課題として乗し掛かっていたのも事実だ。


そして結論から言えば、彼らは限られた中で一組の例外もなく、見事に観客の心を掴んだ。それは元を辿って見れば各自10年以上、愚直にライブ活動に励んで培われた地力がこのコロナ禍でも何ひとつ損なわれることなく、観客に届いたことの表れだったのではないだろうか。おそらくコロナが完全に収束するにはあと丸々2年程度はかかり、THEラブ人間の金田がMCで語っていたようにライブハウスで声が出せない、或いは収容人数制限などの措置は変わらず継続されると推察する。ただ彼らの今回のパフォーマンスと精神性を見る限り、少なくともライブ活動においては安泰であると心から安心することが出来た。……『ロックバンドは最高』。この気持ちに改めて気付かされた今回のライブの記憶は、まだまだ続くコロナ禍できっと参加者の心に希望の光として輝き続けることだろう。

自分から出会って好きになった音楽は絶対に愛せ

こんばんは、キタガワです。

 

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音楽特化型の当ブログを無我夢中で書き続けて、もうじき4年になる。開設当初に思い描いていた理想とは程遠いけれど、現在では少しばかり新たな音楽を知る契機となったとの報告もちらほらあり、微力ながらも閲覧者に何かを与えられたのかもしれないと感慨に浸る今日この頃である。当記事のコンセプトは主にふたつで、ひとつが『自分自身が好きなことを書く』という言わば自慰行為的な側面と、もうひとつは他ならぬ『新たな音楽の認知度を広げる』ためだが、正直な気持ちを記してしまえばいち個人が運営するチンケなブログが誰かの音楽の興味を変遷させる契機になるとは思っていないし、正直なところ「筆者の趣味・嗜好に凝り固まった代物で新たな音楽に出会うことは然程良くないことなのでは?」というネガティブな側面すらも携えている。


そもそも、音楽と出会う契機として最も適したものは『自分が勝手に出会い、好きになった音楽』に他ならない。流行だとか動員だとかそういうことではなく、例えば変顔がデカデカと描かれたCDジャケットを見て興味を抱いて買ったら良かったとか、たまたまYouTubeを漁っていたら再生数1万にも満たない動画に出会ったけど何故か聴いてしまったりとか、そうした類だ。そしてその時分に出会った音楽はほぼほぼ、一生かけて聴き続ける音楽になるし、やはりそうした音楽に奇しくも出会ってしまった貴方だけは一番に愛して、たとえ活動を止めてしまったとしてもずっと聴き続けてほしいと願っている。


ただ、SNSやYouTube、音楽番組の発達によりそうした音楽との出会いは100%ではないまでも、流行に大きく左右されるようになったのも事実としてある。例えば今年流行したもので語ればAdoの“うっせぇわ”、緑黄色社会の“Mela!”らがそうだが、売れたアーティストは直ぐ様フィーチャーされるが、それ以外の楽曲をほぼ聴かないし、自分のブームが終われば勝手に「一発屋だった」と判断していつしか記憶の埒外へと葬ってしまう、ある種とてつもなく贅沢な時代だ。Adoの“うっせぇわ”。yamaの“春を告げる”、緑黄色社会の“Mela!”。Awesome City Clubの“忘勿”。優里の“ドライフラワー”、和ぬかの“寄り酔い”、……他にも様々あるが、そのうち他の楽曲を聴いたことのある人は非常に少ない印象を受ける。なお海外ではこうした一時的なブレイクを果たしながらも人気が下火になったアーティストを『ワン・ヒット・ワンダー』と呼び、世間的にそれに該当したと見なされるアーティストはある種の救済措置として「1年前に流行ったあの人は今どんな曲を出しているのか」といった現在進行形をメディアで取り上げて高評価を受ける動きもあるが、こと日本は現状売れなくなったら直ぐ様記憶から淘汰する流れは不変で、これが進んだ結果「メディアに出演し続けるアーティストが売れ続けていると見なされる」現象にも繋がっている。


しかしながらこうした現状を一概に『NO』と切り捨てるのは、それこそ懐古主義的だ。これが現代の通常思考であるとすれば受け入れざるを得ないし、見かたを変えればこれまでわざわざCDを購入しなければ得られなかった音楽と簡易に出会えることはとてもプラスだと思う。アーティスト側に立って見てもイケイケドンドンの姿勢は変わらず貫かれ、なおかつ出すからには良いものを制作せねばという競争意識にも繋がるため、総じて現在は良い意味での音楽飽和状態であるとも称することが出来る。そしてそうした当たり前が広がり続けた結果待ち受けているのは、所謂『マイナーな音楽』の撤退に他ならない。実際筆者の暮らす島根県のCDショップでも店頭に並べられる主要なCDはジャニーズを筆頭としたアイドルと流行歌が占め、ニッチな層に受けるインディージャンルについては1枚50円のワゴンセールに軒並み突っ込まれている。かつてのようにジャケ買いをしたり、まだ見ぬジャンルを開拓する姿勢はそこにはまるでなく、本当に『売れない音楽は淘汰すべき』の考えに音楽業界全体が変化しつつあるのだ。……となれば生き残る方法として一番簡単なのは流行ジャンルに順応する思考変化だろうが、もしそうなったとして音楽はとてつもなく普遍的なものになってしまう。ただ今のままではそもそもの売れ行きが期待出来ないので結局は売れる音楽に頼らざるを得ない、というのも紛れもないリアルとしてある。


では、一般大衆にすっかり見向きもされなくなった音楽への救済はどうすればいいのか、その答えはもうひとつしかない。それは冒頭でも記したように、少なくともその音楽に救われた人間だからこそ可能な、自分が勝手に出会って好きになった音楽だけは愛し続けるという強い気持ちである。今はワゴンセール行きかもしれない。まだそのアーティスト活動してるんだと怪訝な顔をされるかもしれない。だがかつて貴方がその音楽に救われてきたことは事実で、そんな貴方が音楽の未来を信じ続けなくてどうするのだと。


……暗かった時代を抜け、音楽の未来は明るいとメディアで語られることも増えてきた。ただ現実に目を向けるとそれはサブスクやYouTube、アイドルのCD売上のポジティブ要素を切り取ったもので、実際のところ誰にも知られず活動を続けるアーティストが報われる時代になったかと言えば、逆にインディーシーンにとっては最悪な時代に突入していると言えるかもしれない。悲しいかな、更に今後は更にその溝は深まり、具体的には全国規模でCDショップからインディーが消失したり、アイドルばかりを取り上げる風潮は加速していくことだろうと思う。「じゃあどうすればいい!」と考えても、答えはない。ただ僕は信じているのだ。音楽ファンが紡ぐ好意の力を。感謝の気持ちを。決して利益には結び付かないだろうが、それでもだ。100人が何となく愛する力より、1人が強く強く愛する力の方が、圧倒的な力を持つはずだから。

 

MOROHA「三文銭」MV - YouTube  

低音ボーカルが特徴的なアーティスト5選

こんばんは、キタガワです。


世に無数に存在する音楽に欠かせない存在……それこそがメロディーよりも何よりもボーカル面であることについて、異論を唱える人はまずいないだろう。現在ではすっかり楽曲提供が浸透しアーティスト本人が作詞作曲を担わないケースも増えてきたけれど、それも唯一無二の歌声にフィーチャーし「この曲を是非この歌声で歌ってほしい」と願うからこそ。極端な話をしてしまえばどれほど『歌ってみた』的な人物が出現したとして、それらを完膚なきまでに唸らせるボーカルを担っているかどうかが、まずもって重要になっているのだ。


そして現在のトレンドに位置しているボーカルは間違いなく『高い声』にあることも、昨今の音楽チャートを参照すれば一目瞭然。なおこうした動きは日本独自と言っても良く、海外では高い声のアーティストが売れる図式が必ずしも当て嵌まらないのもまた面白いところ。これにはカラオケ文化の発達や日本人の好みの声域といった多数の背景もあるため明言は避けるが、そうした部分も含めて心底、今の音楽シーンは極めて見所のある代物と言えよう。


そこで今回取り上げたいのは、現状のシーンとはある意味では完全に逆行する『低音ボーカルが特徴的なアーティスト』だ。確かに高音アーティストは印象深く、様々な楽器にも埋もれない耳馴染みの良さがある。ただサウンドと同調する低音ボーカルの魅了というのも絶対に存在するはずで、特に今回はその中でも低音ファンに高い評価を受けているアーティストをピックアップ。一聴した瞬間に思わず反応してしまう稀有な歌声のみならず、是非ともその背景にも着目していただければ幸いである。

 

 

Bob Dylan

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言わずと知れた生ける伝説こと、御年80歳のロックシンガー、ボブ・ディラン。彼について語る時は専ら“風に吹かれて“や“時代は変る”といった代表曲にフォーカスを当てることが多いが、取り分けディランの現在地という意味で考えればやはり独特の歌声はマストだろう。 今や音楽活動歴は70年以上にのぼり、幼少期からピアノを弾き倒していたと語るディラン。ただ初期の彼は当時の時代柄なのか、歌声よりも歌詞、歌詞より雰囲気を重要視されるきらいがあって、特に先述の“風に吹かれて”などは敢えて結末をぼかす内容も合わさって「素晴らしい楽曲!」と評価を受ける一方で、根幹的な「何が理由でここまで評価されているのか」という部分についてはあまり触れられない、ある意味では酷くフワフワとした知名度だけが広がっていく類いのアーティストとしても定着していた。


そんな彼の評価が大きく変わったのは本当にここ最近で、年齢を重ねて喫煙とアルコールで変化したディランの歌声は現在ではとても渋く、また深く沈むものとなり、更には数年前あたりから歴代の代表曲を含め全楽曲を朗読するように歌うスタイルに傾倒した関係上、これまでのディランとは別物……というより長年のファンでさえも場合によっては最後まで楽曲を聴けどもタイトルが何なのかさえ不明という、唯一無二の存在へと化けたのだ。なお先述の通り、ディランはこと現在50代後半あたりの男性にとってはまさに音楽界のドンと言っても過言ではないが、そんな中新型コロナウイルスとディランのアニバーサリーアルバムのリリースが奇しくも重なったことで、自粛期間中に若者たちの音楽情報の最前線であるサブスクにディランのアルバムが大量に出現→若者がディランを聴き始めるという逆転現象も最近では発生しており、時代が変わっても再びディランの輪が広がっていることには、改めて感動を覚える次第だ。

Bob Dylan - Blowin' in the Wind (Audio) - YouTube

 

 

The Birthday

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稀代のロックシンガーことチバユウスケ(Vo.Gt)有する邦ロックの重鎮的バンド、The Birthday 。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ROSSOときて現在のThe Birthdayになりもう何年も経つが、現在でも毎年コンスタントなアルバムリリース→全国ツアーの流れを崩さないライブバンドとしても知られる。加えて、彼らの絶対的人気を体現しているのがチバのボーカル面であることは言うまでもないだろう。元々ミッシェル時代にも彼の歌声は多大なる評価を受けていたが、まるで水のように日々バドワイザーを愛飲したり、タバコを吸ったりという歳を重ねるごとに我が道を行くチバの日常生活が影響してか、次第に歌声は低くなり、それが時に激しく時に穏やかに展開するThe Birthday楽曲に合致。結果不動の人気に繋がったのだろうと推察する。しかしながらある種破滅的な生活もチバ自身は理解しており、理解していながらもこうした日々を意図して過ごしつつアルコールや喫煙以外の日常は朝型、菜食、早めの就寝と健康的なので、別段外野がどうこう言うべきではないことも周知の事実だ。


ともあれ先日リリースされたニューアルバム『サンバースト』では緊急事態宣言下で制作されたからか比較的穏やかなロックアンセムが並び、彼の歌声の真髄を体現するキャリア最高の傑作に。もちろん全楽曲の総指揮はチバ担当で、今後はセットリストの大半を担うアルバムになりそうな予感。低く滑らかなボーカルとメロディーが奇跡的にマッチした現在のThe Birthdayは紛れもなく、ロックの最高地点に居る。

 

 

The Birthday - 月光 - YouTube

 

 

踊ろうマチルダ

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日本全国津々浦々、機材車に乗り込んでふらりとライブを行う歌うたいこと踊ろうマチルダは、今回紹介する『低音ボーカルが特徴的なアーティスト』の中では極めてマイペースに活動を行っていた人物と言える。彼が一躍その名を示したのはとある戦争ドラマの主題歌に抜擢された“箒川を渡って”で、アコーディオンの調べに乗せて朗々と歌い上げる特徴的な歌声が話題となり、まさしく知る人ぞ知るアーティストとして認知されるに至った。 


ただメディアへの出演経験もほぼなければチケットも手売り、CDも自主制作盤が大半とその注目度と反比例してフリーランス的な音楽活動を行うことから、彼について深く知る人はとても少ない、本当にミステリアスな人物として位置しているのも重要点のひとつ。実際、筆者も個人的に何度かライブを拝見したことがあるがその時もマチルダ自身が巨大な機材を運転して来ていたし、ひとたび「CDありますか」と問うとCDを懐から取り出し、その場で1000円を払って終わり、というDIYぶりだったが、そこで改めて気付いたのは彼の地声はどちらかと言うと高い部類だったことだったりもする。現在、踊ろうマチルダは『踊ろうマチルダ』としての音楽活動を引退。2019年以降はまた新たな名義で活動するとしているが未だアナウンスはないまま2年が経ち、公式ホームページも閉鎖されている。先日久々にツイッターが更新されて歓喜に沸いたが「CDを作ったけど売り方が分からない」との旨を発信するもまた再び沈黙を続けている。その姿も実に彼らしいと言うものだ。

 

『ああ素晴らしき音楽祭vol.2』踊ろうマチルダ "ギネスの泡と共に" - YouTube

 

 

Louis Armstrong

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代表曲“What A Wonderful World(この素晴らしい世界)”をはじめ、こと海外では知らぬ人などいないブラックミュージックの最重要人物との呼び声高いルイ・アームストロングも、ハスキーボイスの使い手として有名な人物だ。彼の音楽との出会いは祭りで誤って拳銃を発砲してしまい収監された少年院でのコルネットで、以降の彼がその剽軽な性格もあり俳優とミュージシャン業を両立していた、というのは代表的な話だが、それ以上にアームストロングにとって代表的な代物こそ、まるで地を這うが如き低音ボイスなのだ。


彼が亡くなったのは今から40年以上前の出来事で、我々の父親世代はもちろん、若い人たちにとっては存在すら知らないと語る人も多いことだろう。しかしながら“What A Wonderful World”を筆頭とした彼の楽曲を一度も聴いたことのない人は少数派であり、そうした意味でも「印象的な音楽は時代を超えて愛される」ということを文字通り示している。特に彼の歌声についてはジャズ要素と強く絡んだ粘り気のある独特の低音が人によっては感動や哀愁、幸福などその時々によって印象が千変万化する様を評価されており、単に「歌が上手い」の括りでは語れない魅力に溢れたものである、というのは先人たちが紐解いてくれているので、そちらにも着目すると彼の素晴らしいボーカリゼーションを改めて深く知ることが出来るはず。

 

Louis Armstrong - What A Wonderful World (Official Video) - YouTube

 

 

T字路s

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ラストに紹介するのは伊東妙子(Vo.Gt)、篠田智仁(Ba)による男女混合ブルースデュオ・T字路s。彼らは今回取り上げるアーティストの中では唯一、女性ボーカリストを有するデュオである。当然「女性なのにハスキー」という一部分を切り取ったとき疑問を抱く人も少なからずいるだろうが、以下の楽曲に触れた瞬間、疑問は直ぐ様霧散すること請け合い。その衝撃は是非とも貴方自身の耳で体感してほしいところだ。


ミニマルな音像を強く意識した曲調、柔らかな楽器の調べ……。そこに伊東によるボーカルが加わったとき、T字路sは圧倒的な存在感を纏う。なおT字路sは現在では主に単独、或いは自然的環境下で行われるフェスに出向くことが多く、逆に対バンイベントなどは然程出演しないことでも知られているが、確かに彼らの特徴的な音楽を聴いてしまえばその日のハイライトが彼らになることは確実で、理にかなっているようにも思う。加えて、彼らがここまで頭角を現した背景にあるのはやはり自然的フェスによるところが大きく、それこそフジロックも同じくだがフラっと会場内を歩いていてT字路sの音楽が聴こえ、予備知識なしで沼に嵌まってしまった、という動きも少なくない。それでなくとも楽曲全体に魅了がふんだんに含まれているので、興味を持たない方が無理と言うものだ。

 

『ああ素晴らしき音楽祭vol.5』T字路s「泪橋」 - YouTube

 

 

性格、顔、雰囲気……。生来変えることの出来ない要素はたくさんあるが、その中でも不変なのが声質だ。思えば1億人以上の人々を数えてもひとりとて同じ声質の人物はいないし、だがその実強弱や高低、雰囲気、トーンなど、相手に伝える印象の大部分を持っていってしまう代物でもある。そんな中アーティストを志す人々は本当に音楽が好きな人たちだけが目指すものであって、それこそブレークを果たしたアーティストに目を向けて見ても生まれ持った声質と努力が最大の形で発現した結果が名声である、ということにもなるのだろう。


今回紹介した『低音ボーカルが特徴的なアーティスト』もまた、おそらく様々な一般仕事(営業職や事務職等)では花ひらかない。それこそボーカリストとして位置したとき、これ以上ない魅力に繋がる個性だ。冒頭に記したように現在の音楽シーンは高く突き抜ける声が有利とされているが、それは音楽を普段ほとんど聴かない一般層に照らした場合のみ当て嵌まる話。当然その中には低音を欲している人もいるはずで、総じて今回の記事がそうした少数派の音楽好きたちに少しでも刺さってくれれば、これほど嬉しいことはない。

『良い歳した男が男性アイドルの曲を聴く』ということ

こんばんは、キタガワです。

 

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思えばヒットチャートに毎週必ず誰かしらのアイドルグループが出現するようになって、もう随分経つ。ある程度の年代感の人間からすれば『アイドル』として爆発的に世論を巻き込んだのはAKB48による握手券やセンター総選挙生中継が直ぐ様思い浮かぶけれど、その傾向は昔からあって、それこそジャニーズやモーニング娘。など継続的なブレイクの変遷を続けながら時代は巡り、アイドル界も進化を遂げていった。


あれから幾数年経って新時代の到来と謳われた現在、その勢いは間違いなく過去最大風速となっている。男性アイドルグループで言えばジャニーズのSixTONESとSnow Manをはじめ、K-POP市場もBTSの躍進やNCT 127といった新進気鋭のアーティストが盛り上げてくれているし、女性アイドルグループにおいても日向坂46や乃木坂46ら坂道系はもちろん、VTuberがアーティストデビューを果たすことも広義で言えば『アイドル』と言えるかもしれない。つまり現在のアイドルシーンは総じて飽和状態……。ある意味では出せば売れるような状況に達している。


ただそうした中で気になるのは『女性が女性アイドルの曲を聴かない』、若しくは『男性が男性アイドルの曲を聴かない』という現象についてだ。当然同性嫌悪のようなことはないにせよその比重は明らかにアイドルごとに異なっていて、例えばAKB48はかつて男性ファン6割に対して実は女性ファンも4割程存在したことがデータとして明らかになっているし、昨年ブレイクしたNiziUについては男性ファンより女性ファンの方が圧倒的に多い、というのは周知の事実としてある。けれども男性グループ……。例えばSixTONES好きな男性ファンが何人いるかと問われれば絶対的に少ないはずで、特に男性から見る男性アイドルへの視点においては「この違いは一体何なのか」と思ったりもするところだ。


そしてそのうち明らかに男性アイドルに「NO」を突き付けているのは、我々のようにある程度歳を重ねた男性であると言うこともひとつの事実として垂直に立っていて、それこそ女性アイドルグループに傾倒することこそあれど、大手を振って「今日Sexy Zoneのアルバムの発売日だから早く買わなきゃ!」などと言っている男性を、少なくとも自分は見たことがない。かく言う自分自身もかつては男性アイドルグループを毛嫌いしていた類いの人間で、街中を歩けばBGMがイケメンのパッケージング、CDショップに行けばどこも容姿端麗の平積み、片や僕の大好きなロックバンドは隅の方で埃を被っているという状況に心底辟易していたものである。

 

【LIVE映像】SWEET TASTE PRESENT/浦島坂田船【ひきフェス2021】 - YouTube


そんな僕は先日浦島坂田船のライブに参加した瞬間から、男性アイドルへのある種の嫌悪感がなくなりつつあることを自覚するようになった。当然ライブ会場は9割以上が女子だったし、演者側のパフォーマンスも女性ファンを意識したもの(投げキッスや甘い囁き等)が多かったがそれでも本当に楽しかったし、今まで大した理由もなく男性アイドルについて「俺そういう人たちあんま聴かんのよね」とふんぞり返っていた自分の考えを改めようと思ったのだ。……そしておそらく、そうした「こんな人たちもいるんだー。でもけっこう良いじゃん」的な経験から意識的に避けているからこそ、我々良い歳をした男性が男性アイドルのファンになることは少ないんだろうな、とも。


確かにそう考えると、男性が男性アイドルの楽曲に触れること自体未だ敷居は高い。ただ演者とファンが本気で接している双方向的な関係を観れば十中八九認識も変わるはずで、少なくとも男性アイドルに否定的な思いを取っ払う契機にはなり得ると僕は考えている。だからこそ例えば今回の浦島坂田船のライブでもあったように、自分たちの両親をエンタメ的な意味でライブに連れていくのはとても素晴らしいし、カップルが彼氏を無理矢理連れていくのも、僕のように男が単独参戦するのも契機としては全然アリ。……むしろ今後はそうした前傾姿勢のアクションでもって、男性アイドルを知らない男性たちだからこそ、自らどんどん沼に進んでいってほしいと思ったりもするのだ。


時代は変わり、現在では働き方改革やマイノリティーや就業多様化など、個々の多様性を認める時代に突入した。それは音楽においても同様で個人の音楽嗜好を揶揄される時代ではなく「こんな曲聴いてるんだ。オススメとかある?」と寛容に受け止める動きが広がっている。とするならば、男性が男性アイドルの楽曲を聴くことについても実際は我々が自意識過剰になっているだけで、それらを許容してくれる人の方が大多数のはず。これは極論でも何でもない。僕が今回の出会いで浦島坂田船の沼に肩まで使った人間として、本心からそう思うのだから。