こんばんは、キタガワです。
音楽特化型の当ブログを無我夢中で書き続けて、もうじき4年になる。開設当初に思い描いていた理想とは程遠いけれど、現在では少しばかり新たな音楽を知る契機となったとの報告もちらほらあり、微力ながらも閲覧者に何かを与えられたのかもしれないと感慨に浸る今日この頃である。当記事のコンセプトは主にふたつで、ひとつが『自分自身が好きなことを書く』という言わば自慰行為的な側面と、もうひとつは他ならぬ『新たな音楽の認知度を広げる』ためだが、正直な気持ちを記してしまえばいち個人が運営するチンケなブログが誰かの音楽の興味を変遷させる契機になるとは思っていないし、正直なところ「筆者の趣味・嗜好に凝り固まった代物で新たな音楽に出会うことは然程良くないことなのでは?」というネガティブな側面すらも携えている。
そもそも、音楽と出会う契機として最も適したものは『自分が勝手に出会い、好きになった音楽』に他ならない。流行だとか動員だとかそういうことではなく、例えば変顔がデカデカと描かれたCDジャケットを見て興味を抱いて買ったら良かったとか、たまたまYouTubeを漁っていたら再生数1万にも満たない動画に出会ったけど何故か聴いてしまったりとか、そうした類だ。そしてその時分に出会った音楽はほぼほぼ、一生かけて聴き続ける音楽になるし、やはりそうした音楽に奇しくも出会ってしまった貴方だけは一番に愛して、たとえ活動を止めてしまったとしてもずっと聴き続けてほしいと願っている。
ただ、SNSやYouTube、音楽番組の発達によりそうした音楽との出会いは100%ではないまでも、流行に大きく左右されるようになったのも事実としてある。例えば今年流行したもので語ればAdoの“うっせぇわ”、緑黄色社会の“Mela!”らがそうだが、売れたアーティストは直ぐ様フィーチャーされるが、それ以外の楽曲をほぼ聴かないし、自分のブームが終われば勝手に「一発屋だった」と判断していつしか記憶の埒外へと葬ってしまう、ある種とてつもなく贅沢な時代だ。Adoの“うっせぇわ”。yamaの“春を告げる”、緑黄色社会の“Mela!”。Awesome City Clubの“忘勿”。優里の“ドライフラワー”、和ぬかの“寄り酔い”、……他にも様々あるが、そのうち他の楽曲を聴いたことのある人は非常に少ない印象を受ける。なお海外ではこうした一時的なブレイクを果たしながらも人気が下火になったアーティストを『ワン・ヒット・ワンダー』と呼び、世間的にそれに該当したと見なされるアーティストはある種の救済措置として「1年前に流行ったあの人は今どんな曲を出しているのか」といった現在進行形をメディアで取り上げて高評価を受ける動きもあるが、こと日本は現状売れなくなったら直ぐ様記憶から淘汰する流れは不変で、これが進んだ結果「メディアに出演し続けるアーティストが売れ続けていると見なされる」現象にも繋がっている。
しかしながらこうした現状を一概に『NO』と切り捨てるのは、それこそ懐古主義的だ。これが現代の通常思考であるとすれば受け入れざるを得ないし、見かたを変えればこれまでわざわざCDを購入しなければ得られなかった音楽と簡易に出会えることはとてもプラスだと思う。アーティスト側に立って見てもイケイケドンドンの姿勢は変わらず貫かれ、なおかつ出すからには良いものを制作せねばという競争意識にも繋がるため、総じて現在は良い意味での音楽飽和状態であるとも称することが出来る。そしてそうした当たり前が広がり続けた結果待ち受けているのは、所謂『マイナーな音楽』の撤退に他ならない。実際筆者の暮らす島根県のCDショップでも店頭に並べられる主要なCDはジャニーズを筆頭としたアイドルと流行歌が占め、ニッチな層に受けるインディージャンルについては1枚50円のワゴンセールに軒並み突っ込まれている。かつてのようにジャケ買いをしたり、まだ見ぬジャンルを開拓する姿勢はそこにはまるでなく、本当に『売れない音楽は淘汰すべき』の考えに音楽業界全体が変化しつつあるのだ。……となれば生き残る方法として一番簡単なのは流行ジャンルに順応する思考変化だろうが、もしそうなったとして音楽はとてつもなく普遍的なものになってしまう。ただ今のままではそもそもの売れ行きが期待出来ないので結局は売れる音楽に頼らざるを得ない、というのも紛れもないリアルとしてある。
では、一般大衆にすっかり見向きもされなくなった音楽への救済はどうすればいいのか、その答えはもうひとつしかない。それは冒頭でも記したように、少なくともその音楽に救われた人間だからこそ可能な、自分が勝手に出会って好きになった音楽だけは愛し続けるという強い気持ちである。今はワゴンセール行きかもしれない。まだそのアーティスト活動してるんだと怪訝な顔をされるかもしれない。だがかつて貴方がその音楽に救われてきたことは事実で、そんな貴方が音楽の未来を信じ続けなくてどうするのだと。
……暗かった時代を抜け、音楽の未来は明るいとメディアで語られることも増えてきた。ただ現実に目を向けるとそれはサブスクやYouTube、アイドルのCD売上のポジティブ要素を切り取ったもので、実際のところ誰にも知られず活動を続けるアーティストが報われる時代になったかと言えば、逆にインディーシーンにとっては最悪な時代に突入していると言えるかもしれない。悲しいかな、更に今後は更にその溝は深まり、具体的には全国規模でCDショップからインディーが消失したり、アイドルばかりを取り上げる風潮は加速していくことだろうと思う。「じゃあどうすればいい!」と考えても、答えはない。ただ僕は信じているのだ。音楽ファンが紡ぐ好意の力を。感謝の気持ちを。決して利益には結び付かないだろうが、それでもだ。100人が何となく愛する力より、1人が強く強く愛する力の方が、圧倒的な力を持つはずだから。