キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

未来はTSUTAYAの棚の中

こんばんは、キタガワです。

 

f:id:psychedelicrock0825:20211001161557j:plain


長年使い続け、すっかり車輪が軋みを上げるママチャリに乗り、いつもの場所に向かう。目的地はかねてより通い続けているTSUTAYAで、この日はレンタル商品の新作が店頭に並べられる、週に1度のラッキーデイだった。辿り着くなり、一直線に新作コーナーへと歩を進める。途中様々な歌手のポスターが掲出されているのを見てふと立ち止まった。BTS、NiziU、Snow Man、米津玄師……。名実共にミュージックシーンのトップをひた走るアーティストばかりが、まるで「今の流行りはこれなんだぜ」と言わんばかりの無機質感でこちらを見詰めている。


幾多もの視線を潜り抜けレンタルコーナーへ進むと、そこに目当ての商品はなかった。いや、なかったというより、全国的には入荷はするけれども島根県のような地方都市には入荷せず、そもそも対象として選ばれていないと知ってガックリと膝を落とした。代わりに入荷していたのはSNSで今大注目のポップシンガーや街中で流れる流行歌ばかりが、支配的なまでの物量で棚に入れ込まれていた。ふとコーナーの隅っこに作られたレンタル落ちのワゴンセールの中を見ると、商業音楽から外れた所謂『売れていないアーティスト』の作品が50円~100円の激安価格で無造作に収納されていた。


……音楽と出会う契機はその人ごとに当然異なるものだし、むしろサブスクの発達やYouTube、TikTokなど音楽と接する機会があらゆる点において増え音楽飽和状態となっていることを鑑みても、今はとても良い時代だとも思う。ただ簡易に音楽と出会えることはイコール、流行にも強く左右されやすいということでもあって、人気のある楽曲が検索の最前線に君臨する図式がある限り、それこそノーマネジメントで孤軍奮闘するアーティストにスポットが当たることは結局少なかったりもするのだ。


我々の世代……今の若者より10~20歳くらい歳を重ねた年代の頃には圧倒的なCD史上主義の文化が存在していて、YouTube自体が発達していなかったのもあって音楽と出会うにはまず自分から出向くしかなく、大量に並べられたCDの中から良いかどうかも分からないものに2000円を払って聴く形がほぼ主流だった。これは確かに今となっては考えられない代物だけれど、これによって陽の当たらないアーティストにもある程度恩恵があり、ライブのアンダーグラウンドシーンが活性化していたのも事実だった。


では現代はどうかと言うと、ことインディーに目を向けた場合にかつてよりも困難な時代に直面している。繰り返すが僕は懐古主義という訳でもなく、それこそジャケ買いをしなければならなかった時代と比べても最高の時代に突入していると嬉しい気持ちでいるが、その弊害として『売れているアーティストこそが正義』の時代になり、更にはアーティスト側も音楽以上に「どうすれば売れるか」を絶対に思案しなければならなくなっていることには、ある種の危機感すら覚えていたりもする。


特に顕著に衰退の影響を感じるのは先述のCDシーン。当然若者にとってもはや購入の必要性自体がなくなったCDは次第に規模が縮小しつつあり、先日発表されたWANIMAのニューアルバムのように、全ての楽曲を配信でリリースしCDとしてリリースされない形もこれからどんどん増えていくはずだ。それでも何とかCD事業を存続させようと思った場合はこれも仕方ないことだがアイドルの握手券商法とか、同じ作品を何形態も発売して注目度を伸ばすしか手はなく、広く売り上げを伸ばしたものが結果として『今売れている作品!』として平積みされているのが今だ。それではランキングも代わり映えもしないのは当然なのだが、もはやこれも仕方ないことなのだ。


ただ、やはり音楽というのは売れる売れないに関わらず誰もが全力を尽くしているものなので、どうか型に嵌まらずに様々な音楽に出会ってほしいと思う。100個のCDがあったとしてそのうち10個のみに光が当たっている状況で、敢えて残りの90個にもチラッと目を向けてみる、そのひとつの行動が数多いるアーティストに何よりの力をもたらすし、いち音楽好きとしても新たな引き出しを開けることにも繋がっていく……。そんなことを考えた某日真っ昼間。

 

DOTAMA『音楽ワルキューレ2』(Official Music Video) - YouTube