キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

僕等と宮本浩次

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去る6月12日に開催された宮本浩次の単独ライブ『宮本浩次縦横無尽』。そのアーカイブを第1部まで見終わった時点で、今この文章を書いている。今回のライブに関してはまた後日、凄まじい分量でライブレポートを投下すること間違いなしなので一旦保留とさせていただくが、とにかく。僕は今回のライブで大いに笑い、喜び、そして泣いた。無論僕自身が日々感染者ゼロの島根県に住んでいて遠征が叶わない関係上、オンラインの参加となってはしまったけれど、それでも素晴らしいライブだった。

思えば若き頃の僕は宮本浩次という人間と出会ってしまったことがきっかけで、人生はある意味では大いに狂ってしまった。始まりは確か、10歳以上歳の離れた従兄弟が何気なく見せてくれた最新型のiPad。今となっては別段珍しいことではないだろうが、当時画面をタッチしてアルバムを選ぶことが出来るシステムを採用していたのはiPadの最新機種のみであり、僕が数千円をはたいて日々使っていたiPod shuffleの圧倒的上位互換だった。検索すれば一目瞭然だが、iPod shuffleは掌に収まるコンパクト感を売りにしていて、故に操作方法もシンプルだったが、CDジャケットをくるくるとスライドさせて曲を選択できるiPadは正に最先端の文明の利器を体現した代物だった。当時から音楽馬鹿だった僕は図々しくも従兄弟に「貸して!」とせがみ、キタガワ家にわざわざ来てくれた従兄弟をよそに意味もなくアルバムを回していたのをよく覚えている。

 

 

そこでふと目に留まったアルバムこそ、エレファントカシマシの『ココロに花を』だった。当時の僕はといえば40歳を超えて僕を産んでくれた母親の影響で古い歌謡曲ばかりを嗜んでおり、まだ中学校1年生くらいだったこともあって今ほど音楽馬鹿ではなかったのでくまなく聴くことまではしなかったものの、そこで引き込まれた楽曲こそ“悲しみの果て”だった。何故だか知らないけれど、従兄弟が世間話をつらつらと両親に語っているのをよそに、僕はこの楽曲を何度も何度も繰り返し聴いていた。「そろそろ返してよ」と従兄弟にせがまれるまでずっとだ。そして僕の脳内ではそれ以降、常に“悲しみの果て”が流れるようになった。

それからの僕は、中学2年生頃に出会ったASIAN KUNG-FU GENERATIONの楽曲“ループ&ループ”を契機にロックにのめり込むようになる。未だ付き合いのある当時の友人曰く、美術やら技術やら音楽やらワイワイガヤガヤやる類いの授業の際「ずっと僕にロックの話してて気付けば授業が終わってた」とするレベルのクレイジーぶりだったらしいが、そうした日々の情報収集の中でも“悲しみの果て”は常に頭で鳴り響いていた。ただマイペースを貫く当時の僕は何故かエレカシのアルバムを借りることもなければ、“悲しみの果て”以外の曲を一切知らないにも関わらず「“悲しみの果て”って知ってる?えー?知らないのー?」と吹聴しまくるヤバい生徒だったのである。

時は流れ、僕は大学を卒業し、月10万のフリーター生活をしながら日々誰にも読まれない文章を書く底辺野郎に落ち着いた。これまでの軌跡については当ブログで約4年間に渡って記述しているけれども、その全ては中学生時代からの延長である。好きなことは音楽以外になく、期せずして文章を書く部活やサークルに入っていたり、大学で言葉を専攻していたために「じゃあ音楽の文章書くか」となった、ただそれだけだ。ただそれだけのことを4年間やり続けている。これについても、ただそれだけなのだ。しかしながら内面的部分以外にも、少しながら変化はある。

 

 

 

まず、服は黒と白しか着なくなった。長らく親のお下がりを着ていたのだけれど、ある程度の年齢で服を買おうとなった時、白と黒以外の服に何も興味を抱かなくなったのだ。下は黒スキニー固定。シャツの下のみ白か黒を選ぶけれど、その上に羽織るシャツは黒固定だ。これに関しては当ブログの宣材写真が顕著に表していて、要はこのシャツの白部分が黒か白か、というのが僕の服の絶対条件である。もはや宣材写真もこうして見れば完全に“俺たちの明日”のミヤジである。

そして髪型。大学入学から、僕は髪を著しく伸ばすようになった。半年切らず、中心から分けて左右に流す髪型を4年間ずっとしていたし、ちなみに今もそうである。短い髪型には一切興味がないし、何ならどこまでも伸ばしたい感さえある。加えて、いつの頃からか髪をグシャグシャ掻き乱す癖がある。ここまで記してご理解いただけただろう。僕は宮本浩次に多大な影響を受けている人間であると。

そんなこんなで昨日6月12日。取り敢えず「宮本さんのライブあるから観ようや」と僕は母親と共に今回のライブを鑑賞した。ライブで演奏されたのは往年の名曲から宮本浩次名義まで様々だったが、その中には“異邦人”や“化粧”、“ジョニィへの伝言”、“あなた、”“ロマンス”といった母親の大好きな名曲たちと、そして“悲しみの果て”もあった。母親はもう70近く。一人息子の僕も三十路を迎えてすっかり中年ではあるけれど、何故だかあの頃に戻った感覚さえあった。新型コロナウイルスの影響により、県外遠征は未だ困難な状況は続いていて、未だ今回のような東京でのライブ参加は難しい。もしかしたら、近場でさえ母親同伴でと考えれば一生無理なのかもしれない。「いつか島根に来るといいねえ」。すっかり歳をとった母はそう言った。「きっと来るよ」と、“悲しみの果て”で涙を堪えながら僕はそう返した。

新たにZEDDをヘッドライナーに迎え、全体像が見えた『SUPERSONIC 2021』の動向を解剖する

こんばんは、キタガワです。

 

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「内容的には一気にダンス寄りなものに変貌します」……。洋楽誌『rockin.on』7月号に掲載されたクリエイティブマン代表にしてSUPERSONIC主催者・清水直樹氏のインタビューにおけるこの一文を読んで、ハッと気持ちが切り替わった洋楽ファンは少なくないだろう。昨年は新型コロナウイルスの影響により延期、結果今年にスライドさせる方向で動いていたスパソニは心機一転『スパソニらしさ』全開の洋楽・ダンスフェスとしてリニューアルする。


前回の記事では未だ開催することのみが発表されたタイミングであったために筆者視点の予想を中心に記してきた。ただそれらは単なる情報も何もない渦中の予想であったが、今回のインタビューで清水氏はそんな我々が抱く多くの疑問に答えてくれている。今回のインタビューで述べられた『SUPERSONIC 2021』部分は主に3つで、ヘッドライナーと出演者、そして各日のイメージである。中でもやはり注目すべきはそのラインナップについて触れる一幕で、ほぼ暗中模索的だった我々の思考はこれで一気に晴れた。「良いことでも悪いことでも一度決めたら心がスッキリするよね」とは清水氏の弁だが、ある意味では残念である意味では嬉しい彼の開催に至る言質を取ったことは、とても意味のあるものだったように思う。


まずは気になるヘッドライナーについて。元々スパソニはThe1975とスクリレックス、ポスト・マローンをトリに配置する形で動いていたことは周知の通りだが、このうちThe 1975とポスト・マローンはキャンセルが正式に決定。そもそもThe 1975は早い段階で2020年ツアーの全キャンセルを決定していたり、ポスト・マローンも異様な多忙ぶりが取り沙汰されていたため「本当にスパソニ来れるのか?」と不安になる感覚は正直なところあったのだけれど、こうしてキャンセルが正式に明言されるとやはりショックは隠せない。The 1975の“Guys”で号泣するワンシーンは遂に来年に持ち越されたが、万全の状態でライブを迎えるその時を今は座して待ちたい。


この部分だけを切り取ると至極残念にも思えるが、The 1975とポスト・マローンの代打として新たにヘッドライナーに抜擢されたのが、よもやのゼッドだと明かされたのだから結果最高だ。以下のライブ映像は2019年のSUMMER SONICのもので、単独ライブさながらの豪華なセットで会場を興奮の坩堝に誘っていたのが印象的だった。このセットが今回も組み上げられるのかどうかは不明であれど、あれから2年の歳月を経て進化したゼッドが日本で、しかもヘッドライナーで観ることが出来る幸福はとても言葉では言い表せない。スクリレックスとゼッド。この今や世界が取り合う名物DJ2組が日本でライブをすること自体、世界的に見ても異次元である。

 


出演者に関しても、冒頭に記した通り今年はEDMを基盤とするアーティストが大半を占めることが決定。なお現時点で今回のスパソニ出演を断念したアーティストで分かっているのはリアム・ギャラガー、イアン・ブラウン、イージー・ライフ、スクイッドら。逆にスパソニ参加がほぼ確定しているのは元々発表されていたEDM陣に加えてトーンズ・アンド・アイやオーロラ、ビーバドゥービーら若手女性アーティストで、どうやら両日とも『ダンスミュージック+新進気鋭の若手アーティスト』の構図で進んでいくようだ。一見サマソニと言えばロックバンドのイメージが強く、実際2018年あたりのサマソニなどはそうしたラインナップだったのだけれど、思えば2019年には初めてアラン・ウォーカー、ゼッド、ザ・チェインスモーカーズの順で進行するEDMデイが爆誕して若者の来場を多数獲得していた訳で、むしろサマソニ(スパソニ)の裾野を広げる上ではこれが最適解のような気もする。それでいてしっかりとロックEDMとポップEDMの住み分けもされているので「ロックバンド出ないならちょっと……」というファンも引き込む、どちらにしてもスパソニらしい日になりそうだ。


各日のイメージも、昨年延期時に漠然と抱いていたものとはある意味で大きく変わるものとなる。まず東京公演は1日分が切り取られ、感染拡大防止の観点からステージ数も減少、おそらくは2ステージ。多くとも3ステージが限界なコンパクトなものに。キャパシティについても同様に、かつては1日6万人の来場を見込んだ東京では3万人、大阪では2万人の位置付けでほぼ確定。ただ邦楽と洋楽の比率は敢えて洋楽を高め、具体的には3分の1は邦楽で残りの3分の2を洋楽で占めるという洋楽特化型の形で行われるのが今年のスパソニとなる。例えば今年、同じ土壌でありながら洋楽のラインナップを全面的に断念し邦楽フェスへと移行したのがフジロックであるとするならば、スパソニはこの情勢だからこそ洋楽アーティストを招致して未来へ繋げるように考えていることが分かる。これは決してどちらが良い悪いではなく、rockin.onのインタビューにて清水氏が「じつは邦楽でスーパーソニックやったら?っていう意見もあったんだけど、やっぱり、スーパーソニックやサマーソニックは、それでは成り立たないんだよね。洋楽アーティストあってのフェスだって」と語っていたように、そもそも洋楽フェスを都市部で敢行するという土壌を長年かけて形成してきたSUPERSONIC(SUMMER SONIC)だからこそ至った真理こそがこうした状況下での洋楽アーティスト来日宣言なのだ。

 

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ここまで、というかこれまでもずっと、僕はSUPERSONICの行方についてつらつらと書き連ねてきた。ただこの場で初めて率直な気持ちを綴るとするならば、チケットを長らく所持し続けているいち個人としては開催は大賛成で本当に有り難く思っているが、僕は今年のSUPERSONICへは参加しないつもりだ。その理由はひとつ。僕の暮らす島根県では感染者はほぼおらず、他県への移動……それこそ大型フェスとなればかなりの風評被害を受けると考えられるからだ。少なくともワクチンくらいは接種せねば、なかなか厳しいものがある。


ただもしも僕が大阪や東京に住んでいれば、僕は今年のSUPERSONICに迷わず行くだろう。そこに大好きなThe 1975もリアム・ギャラガーも、スクイッドもいなくても、である。何故ならそれほどこの『SUPERSONIC(SUMMER SONIC)』というフェスには心底楽しませてもらった恩義があるためだ。洋楽好きにとってこれほど幸福な空間は他にないと断言出来るほど、気付けばこのフェスは夏になくてはならない代物となっていた。しかも開催されれば間違いなく約2年ぶりの洋楽フェスの復活となれば、その思いは例年とは段違いだ。だからこそ僕はこのフェスの成功を祈っているし、微力ながらフェス成功の手伝いを担いたい……。そうした気持ちでSUPERSONICの文章を書き続けている次第である。洋楽ライブが行われなくなって早1年半。コロナニマケズ。今年こそはあの素晴らしい景色をもう一度参加者のテキストなりライブレポなりで拝めることを願っている。

最高の夏こと『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021』の開催が正式決定。大いなる変革を遂げた今年のロッキンはどうなる?

こんばんは、キタガワです。

 

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ロッキンジャパン、復活……。新型コロナウイルスの影響を受け開催直前に断念せざるを得なかった悪夢の昨年度を乗り越え、この度今年の開催が正式にアナウンスされた。今年も例年通り2週に渡っての計5日間開催。現時点で判明している出演アーティストは日付順で8/7にthe HIATUS、宮本浩次、WANIWA。8/8に[Alexandros]、KANA-BOON、sumika。8/9にあいみょん、東京スカパラダイスオーケストラ、マキシマム ザ ホルモン。週を跨いで8/14にUVERworld、THE ORAL CIGARETTES、きゃりーぱみゅぱみゅ。最終日8/15にクリープハイプ、MAN WITH A MISSION、ヤバイTシャツ屋さんという豪華な面々で、その全てのアーティストが今までに最もキャパの大きいメインステージ・GLASS STAGEに出演経験のあるアーティストである。


そして今までほぼ来場者が一度は訪れる、かのGLASS STAGEについて今年は大きく変革が成される。そう。今年のRIJにおいて何よりも重要な点。それは今までステージは計7ステージであったのに対し、今年はGLASS STAGEたったひとつに絞られるということだ。必然出演者も大きく減り、かつては200組のアーティストを越える大型ライブイベントの様相を呈していたロッキンは今年1日8組。5日間で総勢40組のアーティストの編成となる。もはや言うまでもなく、ここまでの規模縮小の背景には我々のことを考えたコロナウイルスの感染防止対策があってのことで、そこには賛否両論は当然ながらある。しかしながら例年同様の金額設定で、移動手段は公共交通機関は基本的に使わずシャトルバスか車。当然発声も飲酒も禁止。加えて1ステージのみということは当然ステージ後方で、ほぼほぼポツンとしか見えないアーティストに対してなるたけ盛り上がるを得ない図式も容易に想像出来る訳で、言葉を選ばない本音としては現状ネガティブな意見の方が大きいのではと推察する。


ただ上記の事柄は、まだ開催まで2ヶ月以上前の現状でしかないというのもまた事実。1年の空白期間を経てのRIJ。過酷な情勢の中でステージを構築するひたちなか。全国ツアーでさえままならないけれども「ロッキンに呼ばれるなら」と参加を決めたアーティスト。そして何よりも様々な思いを胸に参加を決めた、若しくは決めかねているライブキッズに向けて今発信しなければならないのは、やはり希望に満ちた事柄だとも思うのだ。だからこそ今回は大いなる変革を遂げるに至った『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021』の幾分前向きな事象について、来たる祝祭への期待値を底上げすべく書き記していきたい。


まず、全体的なレギュレーションについて。今年のRIJは収容人数を例年の半分以下とすることが決定事項となっているため、間違いなく集まった観客が皆「人少ないなあ」と感じる程には人口密度が緩和される。故に今までフェスで当然とされてきた所謂『フェス飯』の長蛇の列や、会場に向かうまで押しつ押されつの押しくらまんじゅう状態になることは可能性として低い。元々RIJは万全の数のトイレを設置するなど『日本で一番快適なフェス』の異名を持っていることは広く知られているけれど、今年はRIJに例年足しげく通ってきたファンでさえ、とても快適なものになること請け合いだろう。更には一長一短という言葉があるように、その他進行に数々の賛否両論はあれどフェス参加者には酒を嗜まない人やダイブ&モッシュが苦手な人、遠方でゆるりとライブを観賞したい人間も多く、そうした人々にとっては至極快適なフェスと化す。


加えて、誰もが気になる出演アーティストにも期待大だ。確かに総合的に見て出演者が少ない、それは純然たる事実としてある。ただその分濃密なラインナップとなることは確実で、実際冒頭にも記したように現時点で確約されているアーティストは全員かつてGLASS STAGE出演……。つまりRIJのメインアクトとして名を連ねてきたアーティスト。そこに今回の価格据え置きとGLASS STAGEオンリーの配置から見えてくるものは即ち、ほぼロック界の紅白歌合戦レベルのアーティストの多数参加に他ならないと思うのだ。個人的には例年のRIJの傾向的と貢献度的には櫻坂46やBiSH、KEYTALK、ASIAN KUNG-FU GENERATION、サカナクション。他にも注目度的にはELLEGARDENやNUMBER GIRL、よもやの爆弾起用としてサザンオールスターズやMr.Children……なんてこともあるかもしれない。フェス単価がどこも高いことはまずもって当たり前だが、その中でも十分お釣りが来る程のラインナップがRIJでは実現されるだろうし、事実今までそうされてきた事例から考えても今回の発表はまだまだ序章。開催が間近となった7月頃には「このチケット代でこの豪華アーティスト!?」という嬉しい悲鳴がTLで駆け巡るはずだ。


そして、このコロナ禍で幾度も繰り返されてきた突然の延期・中止が今回のフェスには十中八九起こり得ないないこともプラスの要因だ。「公式のコメントには公園、県、市、地元関係者の方々と何度もの話し合いを重ねて私たちが出した開催の形」とあるが、これは即ち「よほど予期せぬ事態が起こらない限りは開催される」との判断に他ならない。思えば夏フェスの大規模中止や年末フェスの中止が昨年は広く通達されたけれど、それらに関して最も大きな理由として主催者側が挙げていたのは『大阪府からの要請により』『緊急事態宣言発出のため』といった外部的要因によるものが多かったように記憶している。ただ今回はワクチン接種の加速化と昨年以後培ったフェスシステム、何より「今年のRIJはこうして開催しますよ」と厳しい枠組みを(県や市にも)はっきり明言し周知しているため、流石に直前になっての中止・延期は考えにくい。日本全国のライブキッズの中には「チケットを購入していたのに中止になった」経験をした人は少なくないだろうが、この懸念事項がほぼ消失しただけでもかなり大きい希望だ。

 

ここまで感情の赴くままに書き記してきたが、やはりどれだけポジティブな内容を列挙してもまだ難しい部分はある。以前の記事にも記したように、再びフェスがクラスター助長やら何やらとメディアの槍玉に挙げられる可能性もあるだろうし、ネガティブな意見も散見されるだろうし、参加を断念する人もいるだろう。そうしたことを踏まえて、公式サイトではひとつ断言している。「たくさんのルールがあります。たくさんの規制があります。もしもこれが面倒だと思うのなら参加を断念してください」と。……誰もが傍観者になると共に、誰もが加害者になりうるコロナ時代。こうした情勢の中でフェスを運営する側も、参加する人も言わば一蓮托生で、協力がなければフェスは永久に頓挫する。様々な制限はあるのは間違いないが、どうか希望に満ちたフェスが安全に開催されますように。

 

お笑い芸人ともYouTuberとも違う境地。霜降り明星・粗品による神曲『乱数調整のリバースシンデレラ feat.彩宮すう』に震えろ

こんばんは、キタガワです。

 

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「おい!人殺したんか!」「日付変更線で遊ぶな!」「ボラギノールのCMか!」……せいやのアグレッシブな動きに粗品がドンピシャなツッコミを放つ新時代型漫才により、僅か26歳そこそこという若さでM-1グランプリ2018を制したお笑い芸人・霜降り明星。現在ではレギュラー番組を多数持ち、度重なるテレビCMやバラエティー番組出演のみならず公式YouTubeチャンネル『しもふりチューブ』では執筆時点でチャンネル登録者数135万人、しかも忙しい合間を縫って何と毎日、更新総視聴回数にして4億回(!)に迫る勢いという快進撃を見せていることは、もはや記述するまでもない。彼らのような若き芸人が『お笑い第七世代』と括られるようになって久しいが、この一端を作ったのは間違いなく霜降り明星であると断言できる人間は、おそらく我々が思っているよりもずっと多いものと推察する。


霜降り明星のネタ作りの大半を担っている人物は、ツッコミ担当の粗品。そんな粗品が学生時代よりお笑いと平行して趣味の一貫として行っていたものこそボーカロイドを用いた楽曲制作で、無論芸人として様々な努力を行ってきた中ではあれど、持ち前の絶対音感を生かしたコード進行や旋律等を具現化させる最適解として、コンスタントな楽曲制作をゆるりと行っていたという。


そして粗品はある時人気絶頂の渦中、ユニバーサルミュージックより自主レーベル『soshina』を突然立ち上げて音楽活動を本格化。お笑い芸人の傍らかねてよりの夢であった楽曲制作を実行に移し“ビームが撃てたらいいのに”、“ぷっすんきゅう”等雰囲気も展開も異なる多種多様な楽曲を発表。なお粗品がこれまで発表したボーカロイド楽曲についてはマスタリングや制作過程も全て粗品の独学で行っていて、そこには貪欲な好奇心はもちろん、何より「名前の売れたお笑い芸人が趣味で音楽をやっている」と思われないようにするための、言わばこれまでシーンを作ってきた先駆者に筋を通す意味合いであるのは特筆すべき同義であろう。

 


そんな中更なる音楽活動への重要な起爆剤として投下されたのが“乱数調整のリバースシンデレラ feat.彩宮すう”。ボーカルにはボーカロイド・初音ミクではなく声優の竹達彩奈を起用し、ギターにはシンガー・ソングライターのRei、 ドラムスには石若駿という名だたるプロミュージシャンたちがドドンと顔を揃え、 シンセサイザーやベース、 ピアノに関しては粗品本人が手掛ける意欲的なポップロックチューン。過去作では自身ひとりで制作した関係上、良くも悪くもある種のDIY精神が見え隠れしていたのに対し、今作は完全に『プロっぽい』形に昇華している印象だ。


何よりも注目すべきは、粗品が実質的な監督・監修を務めたそのMVであろう。物語の主人公は彩宮すうと名付けられた一国の姫で、ありとあらゆるものを手ににきってしまった反動で退屈な日々を過ごしていた彼女は、来たる舞踏会に向けてひとつの余興を計画する。それは町中の男衆からひとりだけ選出し、姫の舞踏会に参加する権利が与えられるというもので、姫は次第にその計画に熱中するあまり、執事とメイドに命じて『万が一』のために備えて寝室を掃除したり、姿見の前で大観衆に御披露目する用の一張羅を着てみたりと単独で期待値爆上がり。ただメルヘンチックなストーリーと共に気になるのは、常に画面右下に配置され続けている数取機らしきカウンター。楽曲内の歌詞における《“八百万”の愛》や《“百万ドル”の夜景》といった数字を抜き出し次々加算されていく様は、純粋に「面白い魅せ方だなあ」とも、それ以上の何かをも感じさせる。


そうして迎えた余興当日。当然余興の報は反響を呼び、容姿端麗な若衆やダンディズムな紳士など大勢の参加者が姫にアプローチ。ただ残念ながら姫が渇望する王子様と称すべき人物はなかなか出現せず、姫はいつしか楽曲ジャケットでも描かれている退屈な表情となる中、姫の視線はひとりの男を捉える。長身でハンサムな顔立ちの青年……。それは姫が考え得る最高の『運命の人』で、直ぐ様一目惚れ。姫は全ての余興が終わると青年を呼び出し、ふたりきりで幸福な時間を過ごすが、時刻が0時を僅かに過ぎた瞬間、青年の姿は消失。地面にはガラスの靴のみがポツンと残されていた。


姫は翌日から町中をくまなく奔走し、ガラスの靴の持ち主を探し回るも童話のシンデレラのような単純な展開が待ち受けているはずはなく、無情にもなかなか持ち主は現れない。そうした果てに迎えるクライマックス。先の見えない日々が続き、自室のベッドですっかり意気消沈する姫の元に現れたのはよもやの人物だった。何故この楽曲のタイトルが“乱数調整のリバースシンデレラ”なのか。謎のカウントの意味とは。姫の淡い恋の結末とは……。様々に張り巡らされた伏線を回収するその衝撃的な展開には、誰もが驚くこと請け合いだ。

 


このMVを観て改めて感じたのは、粗品という人間の高いクリエイティブ気質である。紛れもなく粗品は最も世間的に認知されているお笑い芸人のひとりだが、彼の目線はある意味では意識的に、またある意味では無意識的に徹底して大衆を向いている。Adoの“うっせぇわ”が認知されていると踏めば自身のギャンブル狂ぶりを替え歌でカバーして本人にリツイートされ、そこから次第に『粗品=ギャンブル』の図式が露呈したと見るや更にネタにし、違法アップロードで粗品の奇声が注目されれば『しもふりチューブ』で取り上げる。粗品は未だ28歳でここまで知られているタレントの中ではかなり若い部類に入るけれど、インターネットとSNSの発達を上手く活用したこれらの活動は、おそらく現在に生きる若者ならではの柔軟さがあって、結果認知が認知を呼んでここまでの追い風になっている。


今回の“乱数調整のリバースシンデレラ”は、そんな彼の柔軟な発想と「やるからには良いものを作るぞ」という元来のプロ気質が合致した作品であると言わざるを得ない。『しもふりチューブ』の毎日更新、CM出演、バラエティー番組出演、お笑いの舞台……。過労死寸前の多忙ぶりだろうが、そんな中で楽曲も歌詞も、MV作りに至るまでを徹底して作り上げた今作を彼は、総じて「楽しかった」と形容している。何よりも自分自身が楽しみながら制作し、それが一般大衆に間接的にどんどん波及する稀代のヒットメイカー・粗品。去る6月4日には何とファーストサマーウイカに書き下ろした新曲“帰り花のオリオン”が、全国ネットのドラマ主題歌に抜擢。お笑い芸人のみならず楽曲制作者としても、今後の彼の活動に目が離せない。

映画『アオラレ』レビュー(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。

 

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煽り運転。今や車を定期的に運転する人でこの言葉を聞いたことがない、というのはほぼ100%いないだろう。煽り運転とは連続蛇行で通り道を塞いだり、衝突寸前まで車間距離を空けず、走行者にプレッシャーを与える運転の総称で、言葉の通り人を煽るような運転を指す。最近では宮崎文夫被告の恫喝・暴行動画が広く拡散されたことを契機に瞬く間に危険性が取り沙汰され、類似事件も多数発生した。こうした社会的影響を受け、警察庁は煽り運転を昨年6月に事実上厳罰化した改正道路交通法・妨害運転罪を創設。現在では違反した際には最悪の場合の措置として一発免停となる、重大な罪と化したのだ。


今回観賞した海外映画『アオラレ』はまさしくこの煽り運転をメインテーマに据えた作品となっていて、遅刻ギリギリで焦る渦中で渋滞に巻き込まれた家族が、信号が青になっているのにいつまで経っても進まない前方の車に一発クラクションを放ったことを契機に、あまりに絶望的な報復を受ける、というストーリーで進行するミステリーホラー映画である。


この映画での肝は間違いなく、煽り運転に短を発するラッセル・クロウ演じる加害者の異常な行動の数々である。身も蓋もないことを言ってしまえばこの映画は『13日の金曜日』や『スクリーム』、『ファイナルデッドシリーズ』とほぼほぼ同じ展開で突き進むシンプルな流れになっていて、観賞時には「これどこかで見たことあるような展開だなあ」などと既視感を強く覚える人も多いと推察する。ただ確固たるオリジナリティーとして映るのはやはり煽り運転という異質な空間にあるようにも思っていて、それこそ『13日の金曜日』ではホラーシーンと逃亡シーンが頻りに移り変わるためにある種の心の平常が保てるのだが、今作はまずもって「常に背後から追われ続けている」恐怖が持続するのでかなりハード。その他詳しい明言は避けるが「そうきたか!」と思わず口を押さえてしまう加害者の驚愕の思考回路……というか「絶対に追い詰めてやる」との執拗な執念がぐんぐん押し寄せてくる展開で一時も目が離せない。正体不明のサイコ野郎が襲いかかってくるホラーはもちろん怖いが、怒りの中にも冷静沈着な感情は未だ残っているにも関わらず、それでも「どうせ俺の人生はこれで終わりだ」と腹を括って犯行に及ぶ普通の人間の方が最も怖いと思い知った。


実際観賞後は心臓バクバク。手はブルブル。劇場からの帰路はいつもより幾分スピードを落として走行してしまうこと請け合いの間接的な説得力があった。道を譲って貰った時に、感謝のウィンカーを出し忘れてはいないか?ふとした拍子にクラクションを押してしまったことは?対向車優先道路にも関わらず、こちら側が先に曲がったことは?……今まであなたが気にせず取り続けてきた行動はもしかしたら、デス・ドライブの始まりに直結する可能性もあるかもしれない。全ての車運転者を戦慄させる最怖のミステリーホラー。是非その真髄を劇場で体感してもらいたい。

 
ストーリー★★★☆☆
コメディー☆☆☆☆☆
配役★★★★☆
感動★☆☆☆☆
エンターテインメント★★★★★

総合評価★★★☆☆

 

行きたくても行かなかったチケット代を、結果的に3万円分失った話

総額にして3万円。3万円である。時給800円のアルバイトに当て嵌めれば休憩除いて5日分、仮に貯蓄に回せば精神的にグッと安定する大きな金額を、僕はこのただでさえ厳しいコロナ禍の時代に支払ってきた。用途はズバリ、ライブである。ただ結果として僕の大枚はたいて入手したチケットは霧散した。……何故なら僕はそれらのライブに、一度も足を運んでいないのだから。

今でこそ共存を余儀なくされる悪しき新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたのは、思えば昨年の春頃のことだった。当時こそ東京都の観戦者数は100人を下回る日が続いてはいたが、原因不明のウイルスの驚異に人々は恐れ戦き、緊急事態宣言の発令が引き金となり、街からは人が消え、当然ながら多くのライブイベントは中止を余儀なくされた……というのは周知の通りである。

実際、タイトルに冠した『3万円』に当たる何割かはこのコロナ禍が今より更に絶望的な雰囲気で伝わっていた頃のライブについてである。当時(2020年3月~7月頃)開催予定だったライブは基本的に延期か中止の措置が取られ、対象となるライブチケットも同様に払い戻しとなることが多かった。なお『払い戻し』とは、ざっくり言えば現在発見済みで手元にあるチケットを最寄りのコンビニエンスストアに、もしくは電子チケットの場合はクレジットカード会社に連絡し返金の旨を伝えてチャラにする試みのことで、チケットの額面金額、各種手数料は実質的にほぼほぼ返金され、総じて実に良心的な対応であると言える。

ただここに分類されないものもいくつかあり、僕の場合はまず『ファンクラブの月額費』がこれに該当した。チケットというのはなるたけ良番を入手したいと誰もが願うことであろうが、最も手っ取り早いのが『ファンクラブ先行』を用いることだ。500円~高いもので1000円の月額の会員費こそ必要になるが、CM等で頻りに伝えられる『良い席はお早めに』の良い席はまずもってこの先行でしか取ることが出来ず、『ファンクラブ先行』『各種プレイガイド(ローチケ・イープラス・チケットぴあ)先行』そして『一般発売』と移行するライブチケットだが、実際ほぼほぼこのファンクラブ先行で8割方売り切ってしまうことも多い。だからこそ僕はこのファンクラブ先行を多用し、チケットを多々購入していたのだった。

しかしながら前述の通り、このファンクラブ先行の会員費は払い戻しの対象には一切当て嵌まらない。つまりは関ジャニ∞のチケットを得るために年間1万円超えのファンクラブに入ろうが、月額500円程度のファンクラブをいくつも登録して先行に応募しようが、極端な話で言えば先行応募した次の日に退会しようが、結果その会費は戻ってこないのである。まあこの末路に関してもしも席が後方になっても良かったり、そもそもチケットが売り切れる可能性のほぼないライブであったりもしたため、そもそも自分が仕出かしたミスでもある。

最も重大なのは『チケットを購入していながらも特段払い戻しの対応もされず、結果行けなかった』というもの。敢えて『行かなかった』としている点が、今も心の奥底で魚の骨のようにつっかえている部分でもあるのだが、とにかく。地方都市在住者の筆者にとっては、これが一番ネックだった。以下、1週間以内に行われたごくごく最近のライブに『行かなかった』出来事について書き記していきたい。

元々、今回のチケットの何枚かは今(2020年5月)から数えて約半年前にファンクラブ先行で入手したものだった。ただ当時は感染者が東京都で連日数百人を超えることこそザラだったが、地方では未だ感染が拡大しているとは言えず、筆者の住む都道府県だけで考えても長い間感染者の報告はなかった。そこで「ライブの開催は半年後」となれば「これは行けるかもしれない」と思うのはもはや必然であった。

月日は流れ、5月。結論から書くと、行く予定で動いていた半年前の時点で感染者がほぼ出ていなかった都道府県に、緊急事態宣言が発令されたためである。職場からも上から「不要不急の用件で緊急事態宣言が発令された場所には絶対に行くな」という半強制的な遠征禁止命令が出され、僕の遠征計画は瞬時に水泡に帰した。手元には約8000円のチケット。この日に備えて有給も取ったし、ホテルも予約済み。ファンクラブで取ったため手数料もかかる。半年前、なけなしの金をはたいて手にしたものは、結果単なる休日と化した。いや、ライブに行けないストレスを鑑みれば、むしろデメリットの方が大きいかもしれない。

そして何より辛かったのが、こうした状況にも関わらず払い戻しの対応が一切成されないことだった。公式アナウンスでは感染防止対策を徹底した上での開催を周知するものが大半であったが、もしも予期せぬ事態(緊急事態宣言)が発令された場合はどうなるか、またその際の対応については言及されず、実質的に売れたチケットは売れっぱなしの状態となっていて、そもそもライブに赴くにはほぼ他県から遠征、更には行きたいけれども行けないという状況下に置かれた数少ない人間の意見はほぼ見てみぬ振り、といった有様だった。中にはリセール(ライブに行けなくなった人がチケットを正規ルートで販売するシステム)を取り入れているアーティストもいるいはいたが、それはある程度有名どころのアーティストに限った話。そして勿論売買が成立しなかった場合は実質的に返金が成されないので、損することには変わりないのだ。

かくして僕は計5公演、金額にして総額3万円弱の『行かないライブチケット』を放棄した。これに関しては責任の多くは自分自身にあるし、間違いなく僕がライブに行かなかった関係上、当日のライブでは最前列に近い席にも関わらず空席が出来てしまったことについては本当に申し訳ないとも思う。ただ、元々の生活に余裕がない身としては失った金のことを考えてしまうことは仕方がないというもので、堂々巡りの果てに「もしこの3万円があったらなあ」とか、そんなことに着地してしまう感覚もあるのだ。

チケットの購入は自己責任。しかしながら新型コロナウイルスの突破的感染拡大の可能性があるにも関わらず、未だ払い戻しの敷居は低い現在。是正も求められているのではなかろうか。少なくとも、行きたくても行けない地方民からすれば。

海外音楽シーンを丸ごと変えた、My Bloody Valentine史上最大の怪作『ラヴレス』、その前日譚を今こそ

こんばんは、キタガワです。

 

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90年代におけるシューゲイザーの神との呼び声高いマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。3月31日には遂にストリーミングサービスでの配信を開始し、よもやのSpotifyのバイラルチャートの1位に“Only Shallow”が君臨。そしてアルバム4枚は5月21日同時発売で再イリシューされキャリア何度目かの絶頂期である今だが、よくよく考えると最新アルバム『m b v』リリースからはもう既に8年の月日が流れていて、更には33年間もの歳月の中で『ep's 1988-1991』を除けば正式にリリースされたアルバムは何とたった3枚しかないのだ。


中でもその衝撃的な作風とインパクトで、『ラヴレス』と題された1991年発売のセカンドアルバムは歴史に名を残した。これは何も誇張した表現ではなく、海外では特段ロックに興味のない層でさえ「このアルバムなら知ってるよ」とする人は一定数いて、海外音楽シーンのみならずここ日本でも、シューゲイザー系問わず数あるアーティストに影響を及ぼした罪なアルバムと言える。


そこで今回は4枚のアルバムがリマスタリングされてリリースされるタイミングだからこそ映える『ラヴレス』の魅力と『ラヴレス』制作時の様子について、過去海外音楽ライター・MICHAEL BONNER氏が刊行したインタビューを元に紐解いていきたい。総じて今記事がホラーでカラフルで、何より衝撃的な『ラヴレス』一聴に至る契機となれば幸いである。

 


『ラヴレス』の背景を語る前に、まず「そもそもこの作品は何ぞや?」という疑問から解凍せねばなるまい。ただ問題なのは、どれほど核心を突いた表現をしたとしても確固たる解は得られない点だ。轟音シューゲイザー。バケモノアルバム。歴史的名盤……。今まで様々なメディアで綴られた『ラヴレス』代名詞をざっと挙げてもどこか霧を掴むようで、要領を得ない。ただ間違いなくどのメディアでも焦点を当てている今作の魅力を抜き出すとすれば、注目すべきは歌詞よりも何よりも、やはりサウンドになるのだろう。


個人的に『ラヴレス』に心酔する契機となったのは上記の“Sometimes”なのだけれど、これだけを聴いてもあまりの異質性に驚くこと請け合い。言うまでもなくこのサウンドの軸は音を歪ませる類の大量のエフェクター。以下の流れはおそらくバンドを組んだことのある人ならば誰でも理解してくれることだろうが、例えばオーバードライブを踏むとODになり、ディストーションを踏むとDSの音が鳴るのは当然として、もしもODとDSと連結させた場合はこのふたつを組み合わせたような音が鳴る。ギターやベースは取り分けそうした仕組みになっていて、ライブ等ではほぼ100%、楽器隊は曲ごとにエフェクターを踏み分けて音像を作り上げているのだ。


では『ラヴレス』はどうか。その答えは簡単で、ズバリ大量のノイズエフェクターを介しているのである。加えてマイブラはどれとどれを繋げればよりカオスな音が鳴るのか、どのようなアンプを使えば綺麗に聴こえるのか。その他スタジオの環境、楽器のポテンシャル、様々なエフェクターの吟味など、常識では理解不能なレベルでサウンドと向き合った。結果誰もが聴いたことのない名盤が生まれ、その弊害として制作期間は当初の予定を大幅に超過した2年半、金額にして前作『イズント・エニシング』の制作費が7万ポンド(当時の為替レート1ポンド=227円換算で約1589万円)であったのに対し『ラヴレス』は27万ポンド(約6129万円)を費やし、当時の副社長の自宅を抵当に入れなければならない程になった事実はあまりにも有名だ。

 


海外で高い評価を受けた前作『イズント・エニシング』リリース後、マイブラは直ぐ様ニューアルバムの制作に着手した。ただそんな彼らの中にはあるふたつの思いが渦巻いていて、ひとつは「前作を超える名作を生み出さなければならない」というプレッシャー、もうひとつは「音楽シーンに今までになかったような実験的なアルバムにしたい」という実験的な欲求。


彼らが長い間行ったのは『音響実験』と称するに相応しい、ただ爆音とノイズを研究して連日流し続ける異様空間だった。弦はその都度全てチューニングし直して、低音から高音までを何度も行ったり来たり。今でこそ『ラヴレス』は歴史的名盤とされてはいるが、無論前述の通り当初の予定を上回る途方もない額をつぎ込み、加えてここまで順調に来ていたリリースサイクルを放棄してまで延長に延長を重ねた制作期間を筆頭として、当時そこまで売れていないバンドが取り憑かれたように発狂寸前の実験を繰り返すケヴィン・シールズ(Vo.Gt.Ba.Sampler)の姿はメンバーから見ても関係者から見ても異常極まりなく、度重なる衝突もあったという。「ケヴィンは常にあらゆる可能性に対してオープンだけど、考え方が凄く抽象的なのよ」「あまり直線的な人ではないというか、A地点からB地点まで真っ直ぐ行かない。A地点からK地点に行く途中でどこかに寄り道したり。ぶらぶらと歩き回りながらね」とはメンバーのデビー・グッギ(Ba)の談だが、制作期間の大半は結果ケヴィン以外の誰も本質を理解出来なかった。ただ長らくバンド活動を続けてきた彼への絶大な信頼と「何かが起こる」という確信めいた感覚が、メンバーと彼とをしっかり繋いでいた。


こうしてそれぞれの精神を犠牲にし、およそひとつのバンドが考えるには想像も出来ない音楽実験の末に生まれたのが『ラヴレス』だ。ノイズ渦巻くサウンドにふわりと浮かぶ、思わず口ずさんでしまうような耳馴染みの良いボーカル……。このおよそ不協和音ギリギリ、けれどもどこかポップという絶妙な線引きには無論上記の実験が結実した故であって、当人たちは然程メディアでは語らないまでも、とてつもない苦労があったことだろう。なお昨今のマイブラのライブでは音響設備が発展を遂げた故に『ラヴレス』の楽曲をほぼほぼライブで再現することが可能になったとして、セットリストの大半をこの『ラヴレス』が担っているが、これまたお馴染みの事柄として単独ライブ、フェス問わずライブ前には事前に耳栓が配布され、ほぼボーカルが聴こえず人によっては頭痛を引き起こす程の轟音となることでも有名(詳しくは『マイブラ ライブ』で検索)。

 


そしてマイブラは『ラヴレス』後、ニューアルバム『m b v』をリリース。しかしながらその制作は何と『ラヴレス』の22年後となる。という訳で、現在日本で手に入れる、ないしは聴くことの出来るアルバムは『イズント・エニシング』『ラヴレス』『m b v』、アルバムには収まりきらなかったレア曲を収録した『ep's 1988-1991』の合計4枚のみ。繰り返すがマイブラの活動歴は33年間であって、これがどれほどの異常事態であるかは容易に理解できるはず。そしてこれ程のスローペースな活動を貫く彼らが今でも伝説とされているのは『ラヴレス』あってのことであるということもやはり同様に、ここまで当記事を読んだ誰もが理解してくれることだろう。


5月21日。マイブラのアルバム4枚全てがリマスター化し、大いなる反響を呼んだのは冒頭に記した通り。はお今記事に貼り付けた動画は全てリマスター前の音源であって、リマスター版では音の粒がよりクリアになり、更に鼓膜の深部に突き刺さる形で再構築されたリマスター音源と、1/2インチ・アナログテープからマスタリングされた音源の2枚組でズドン。今なら日本版には完成文をケヴィン自らが推敲(!)した日本音楽雑誌のライター各位によるセルフライナーノーツも付属。理解不能。奇想天外。だけれどもありとあらゆる点で唯一無二の『ラヴレス』に触れるのは今しかない。