キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

僕等と宮本浩次

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去る6月12日に開催された宮本浩次の単独ライブ『宮本浩次縦横無尽』。そのアーカイブを第1部まで見終わった時点で、今この文章を書いている。今回のライブに関してはまた後日、凄まじい分量でライブレポートを投下すること間違いなしなので一旦保留とさせていただくが、とにかく。僕は今回のライブで大いに笑い、喜び、そして泣いた。無論僕自身が日々感染者ゼロの島根県に住んでいて遠征が叶わない関係上、オンラインの参加となってはしまったけれど、それでも素晴らしいライブだった。

思えば若き頃の僕は宮本浩次という人間と出会ってしまったことがきっかけで、人生はある意味では大いに狂ってしまった。始まりは確か、10歳以上歳の離れた従兄弟が何気なく見せてくれた最新型のiPad。今となっては別段珍しいことではないだろうが、当時画面をタッチしてアルバムを選ぶことが出来るシステムを採用していたのはiPadの最新機種のみであり、僕が数千円をはたいて日々使っていたiPod shuffleの圧倒的上位互換だった。検索すれば一目瞭然だが、iPod shuffleは掌に収まるコンパクト感を売りにしていて、故に操作方法もシンプルだったが、CDジャケットをくるくるとスライドさせて曲を選択できるiPadは正に最先端の文明の利器を体現した代物だった。当時から音楽馬鹿だった僕は図々しくも従兄弟に「貸して!」とせがみ、キタガワ家にわざわざ来てくれた従兄弟をよそに意味もなくアルバムを回していたのをよく覚えている。

 

 

そこでふと目に留まったアルバムこそ、エレファントカシマシの『ココロに花を』だった。当時の僕はといえば40歳を超えて僕を産んでくれた母親の影響で古い歌謡曲ばかりを嗜んでおり、まだ中学校1年生くらいだったこともあって今ほど音楽馬鹿ではなかったのでくまなく聴くことまではしなかったものの、そこで引き込まれた楽曲こそ“悲しみの果て”だった。何故だか知らないけれど、従兄弟が世間話をつらつらと両親に語っているのをよそに、僕はこの楽曲を何度も何度も繰り返し聴いていた。「そろそろ返してよ」と従兄弟にせがまれるまでずっとだ。そして僕の脳内ではそれ以降、常に“悲しみの果て”が流れるようになった。

それからの僕は、中学2年生頃に出会ったASIAN KUNG-FU GENERATIONの楽曲“ループ&ループ”を契機にロックにのめり込むようになる。未だ付き合いのある当時の友人曰く、美術やら技術やら音楽やらワイワイガヤガヤやる類いの授業の際「ずっと僕にロックの話してて気付けば授業が終わってた」とするレベルのクレイジーぶりだったらしいが、そうした日々の情報収集の中でも“悲しみの果て”は常に頭で鳴り響いていた。ただマイペースを貫く当時の僕は何故かエレカシのアルバムを借りることもなければ、“悲しみの果て”以外の曲を一切知らないにも関わらず「“悲しみの果て”って知ってる?えー?知らないのー?」と吹聴しまくるヤバい生徒だったのである。

時は流れ、僕は大学を卒業し、月10万のフリーター生活をしながら日々誰にも読まれない文章を書く底辺野郎に落ち着いた。これまでの軌跡については当ブログで約4年間に渡って記述しているけれども、その全ては中学生時代からの延長である。好きなことは音楽以外になく、期せずして文章を書く部活やサークルに入っていたり、大学で言葉を専攻していたために「じゃあ音楽の文章書くか」となった、ただそれだけだ。ただそれだけのことを4年間やり続けている。これについても、ただそれだけなのだ。しかしながら内面的部分以外にも、少しながら変化はある。

 

 

 

まず、服は黒と白しか着なくなった。長らく親のお下がりを着ていたのだけれど、ある程度の年齢で服を買おうとなった時、白と黒以外の服に何も興味を抱かなくなったのだ。下は黒スキニー固定。シャツの下のみ白か黒を選ぶけれど、その上に羽織るシャツは黒固定だ。これに関しては当ブログの宣材写真が顕著に表していて、要はこのシャツの白部分が黒か白か、というのが僕の服の絶対条件である。もはや宣材写真もこうして見れば完全に“俺たちの明日”のミヤジである。

そして髪型。大学入学から、僕は髪を著しく伸ばすようになった。半年切らず、中心から分けて左右に流す髪型を4年間ずっとしていたし、ちなみに今もそうである。短い髪型には一切興味がないし、何ならどこまでも伸ばしたい感さえある。加えて、いつの頃からか髪をグシャグシャ掻き乱す癖がある。ここまで記してご理解いただけただろう。僕は宮本浩次に多大な影響を受けている人間であると。

そんなこんなで昨日6月12日。取り敢えず「宮本さんのライブあるから観ようや」と僕は母親と共に今回のライブを鑑賞した。ライブで演奏されたのは往年の名曲から宮本浩次名義まで様々だったが、その中には“異邦人”や“化粧”、“ジョニィへの伝言”、“あなた、”“ロマンス”といった母親の大好きな名曲たちと、そして“悲しみの果て”もあった。母親はもう70近く。一人息子の僕も三十路を迎えてすっかり中年ではあるけれど、何故だかあの頃に戻った感覚さえあった。新型コロナウイルスの影響により、県外遠征は未だ困難な状況は続いていて、未だ今回のような東京でのライブ参加は難しい。もしかしたら、近場でさえ母親同伴でと考えれば一生無理なのかもしれない。「いつか島根に来るといいねえ」。すっかり歳をとった母はそう言った。「きっと来るよ」と、“悲しみの果て”で涙を堪えながら僕はそう返した。