エレファントカシマシ、今年も野音の地へ。彼らの日比谷野外大音楽堂公演は毎年決まって行われる、エレカシにとって、またファンにとっても年に一度の恒例行事とも言うべき代物として広く知られている。しかしながら既知の通り、今年は新型コロナウイルスが猛威を振るう中での開催である。そのため全体のキャパシティを下げ、観客にはマスク着用と発声制限といった協力を求めることに加え、野音の外でライブの音と雰囲気を楽しむ『音漏れ勢』に関しても、公式より控えるようアナウンスが成される等、かつての野音とは結果として大きく異なるものとなった。
そして今回最も大きな変革として挙げられるのは、リアルタイムのオンライン配信を敢行したことだろう。彼らにとってオンライン配信は初の試みであったけれども、チケット争奪戦必至なプレミアチケットと化した今回のライブが従来通り会場内で観ることが出来るのに加え、一切の不安要素を介さず自宅で鑑賞することも可能になった点においてはすこぶる良心的であり、結果的に大多数のファンが各々の異なる環境下でライブを鑑賞し、ライブの感動を媒介するに至る重要なツールとなった。
幸い雨も降ることなく、晴天となった当日の野音。定刻を少し過ぎると、未だ空も明るい野音のステージにメンバーがひとり、またひとりと降り立ち拍手喝采を浴びる。かつては途中途中でメンバーが入れ替わり最終的には総勢10名以上に及ぶ場面も存在した野音ライブだが、今回はもはや紹介するまでもないオリジナルメンバーに加えサポートメンバーとしてギターに佐々木貴之、キーボードに細海魚を加えた徹頭徹尾6人編成のパフォーマンスとなった。
開幕を飾るのは、長い沈黙を破ってこの日セットリスト入りを果たした“「序曲」夢のちまた”。ギターを爪弾く調べに乗せて日常の情景と感情の起伏が移り行くそれを、宮本浩次(Vo.G)は歌謡曲を彷彿とさせる緩急をつけた歌唱でもって時に囁くように、時に咆哮にも似た壮大さを携えて歌い上げていく。長らく一定の熱量をキープし続けていた“「序曲」夢のちまた”であるが、終盤に差し掛かると宮本の背後でじっとその時を待っていた楽器隊の面々が覚醒。圧倒的な物量でもって野音の空に轟音を響かせ、演奏終了後は息を呑むことさえ憚られるような沈黙に支配された空間に、ハッと思い出したようにまばらな観客の拍手がそこかしこで上がっていた。
一転凄まじい熱量に変貌する契機となったのが、宮本が「ワンツースリーフォー!」と叫んで鳴らされた屈指のパンクアンセム“Easy Go”。冒頭からノイジーなメジャーコード進行でエレキギターを掻き毟っていた宮本は、時間経過と共に体の芯から迸るエネルギーが理性を凌駕。次第にギターを弾く手は止まり、まるでブレーキを失った暴走列車の様相で鬼気迫る絶唱を繰り広げていく。息継ぎする間もなく襲い来るキーの高い歌詞もなんのその。宮本は歌唱のスピードを自由自在にコントロールし、ラストは倒れ込みそうになる体をマイクに掴みかからん勢いで保ちながらの《俺は何度でも立ち上がるぜ》との勝利宣言たるフレーズでもって終え、その後は肩で息をしながらも“地元のダンナ”、“デーデ”といったロック然とした楽曲に繋げていく。
エレカシの野音は、フェスや単独ライブでは滅多に披露されないレア曲が広く展開されることでも毎年注目を集めている。今回も例に漏れず、長年のファンであっても初めてライブで刮目したであろう稀有な楽曲群を次々ドロップし観る者を楽しませたが、とりわけ大きな驚きと共に迎え入れられたのは中盤における“星の砂”、“何も無き一夜”、“無事なる男”、“珍奇男”、“晩秋の一夜”、“月の夜”、“武蔵野”、“パワー・イン・ザ・ワールド”の8曲。それもそのはず、これらの楽曲の大半は彼らがまだエピック・ソニーに在籍していた頃……つまりは約20年以上も前に世に放たれた代物であり、野音以外の単独ライブでも何度か披露されている“珍奇男”はともかくとして、エレカシの長い歴史で見ても、あまりにレアな代物であったためである。
無論このファン垂涎ものの楽曲群は野音という空間がエレカシにとって、またファンにとってどれほど特別な場所であるかを重々理解した宮本が悩み抜いて決めた選曲であることはほぼ間違いなく、その判断が完全に正しかったと証明するように、楽曲が披露されるたびに大半の観客は基本的に直立不動で聞き入り、対してある一定のファンは熱狂的に腕を上下に振る対極構造が出来上がっていた。そうした中宮本は《ハレンチなものは全て隠そう》との歌詞に合わせて自身の乳首を指で覆い隠し(“星の砂”)、時にはパイプ椅子上で絶大な存在感を示し(“珍奇男”)、淡い照明に照らされながらしっとりと奏でる(“晩秋の一夜”)等、千変万化のステージングで魅了。途中で幾度かの機材トラブルにも見舞われたものの、予期せぬ事態すらものともしない力強さで古き良き楽曲群を野音の空に溶かしていった。
以降は画面越しに鑑賞するファン含め誰しもの琴線に触れた“悲しみの果て”からBPMを原曲よりも更に速めて投下されたファストチューン“RAINBOW”、「死ぬ時がこの世の中ときっとオサラバってことだろ?だったらそれまで出来る限り己自身の道を歩むべく、戦いを続けてみようじゃねえかエブリバディ!」とのグッと来るワードが繰り出された“ガストロンジャー”、穿った日々とパートナーとの連帯を描く“ズレてる方がいい”と続き、絶好のタイミングでエレカシにおけるかの代表曲“俺たちの明日”が涙腺を緩ませていく。宮本は同曲のMVよろしく黒スーツを背負って振り回し、明日への活力たる鼓舞的言霊を何度も絶唱。「さあ、まだまだ行けるぜ?一丁やってやろうぜ!」と叫んだ後に雪崩れ込んだ渾身のラスサビでは、多くの観客の拳が天に突き上げられた。
演奏が終わると先程の熱演から打って変わって自然体な宮本による「イエーイ!センキュー野音ー!どうもありがとう、1部終了です。まだ2部がありますんで一回引っ込みます」との嬉しい報告と共にステージから去ったメンバーたち。結果的に彼らは数分後に再度姿を見せることになるのだが、その間集まった観客はひとり残らず2部の存在を熟知している状態のため、手拍子はなし。椅子に座って来たる第2部に向けての臨戦態勢を整える者、スマートフォンを取り出して現在の時間を一瞬だけ確認する者、ステージをじっと凝視する者など観客のアクションこそ様々だが、その光景は今や遥か遠い出来事にも感じられるエレカシのワンマンライブでよく観られた代物でもあり、生のライブの素晴らしさを視覚的に感じる一時でもあった。
そしてしばらくの暗転の後、静かにステージへ帰還したメンバーたち。宮本がマイクに向かい「ありがとうございます。じゃあ第2部……」と言葉を切る形で、第2部は“ハナウタ~遠い昔からの物語~”、“今宵の月のように”という鉄板アンセムの投下で万感の開幕である。ここまで約1時間以上に渡ってバラード、ミディアムナンバー、パンクチューン等様々な楽曲を展開してきたエレカシ。だが第2部は取り分けライブバンドとしての真骨頂を体現するようにアッパーな楽曲を次々披露するモードに突入し、“今宵の月のように”以後は「立ち止まったっていいぜ!斜めでも後ろでも、何でもいいぜエブリバディ!」との宮本の咆哮が涙腺を緩ませた“友達がいるのさ”、文字通り日々を駆け抜ける男の様を描いた“かけだす男”、美しくも激しい音像で魅了した“so many people”、宮本による即興的テンポ変化による緊張と緩和で大いに盛り上げた“男は行く”と、特段休憩を挟まずシームレスに続いていく。
中でも第2部における極上のハイライトとして映ったのは、もはや語るも野暮なお馴染みのナンバーこと“ファイティングマン”。宮本が盟友・石森敏行(G)の背中を押し強制的に前方へと移動させた冒頭から、ここまで立て続けに楽曲を披露し若干の疲れも内在しているはずの宮本は縦横無尽にステージを駆けずり回る驚異のステージングを見せると共に、サビ部分では幾度も腕を天に突き上げての日常生活で起こり得る多種多様な事象への闘争を表明。観客もそれに答えるように力強いレスポンスで応じる双方向的な関係性が光る。
“ファイティングマン”後はギターを下ろした瞬間に行われたカウント、マイクスタンドの突発的移動、肩を引っ掴んでの《歩こうぜ》との絶叫といった、取り分け石森に対する宮本の横槍が笑いを誘ったエレカシ野音の名物的叙情歌“星の降るような夜に”を披露すると、宮本が「みんな今日はありがとう。思ったより長くなっちゃったけど、素晴らしいコンサートになりました。みんな良い顔してるぜ、多分。マスクしてるからよく分かんないけど、良い目してるぜ。格好良いぜエブリバディ!」と感謝の思いを述べ、宮本が手を振る挙動に合わせて観客が同様に手を半月状に振る幻想的な光景が夜空の直下で繰り広げられる、本編最後の楽曲“風に吹かれて”が壮大に響き渡ると、チームエレカシは宮本による「お尻出してプッ」との一発ギャグと共に再び颯爽とステージを後にした。
数分後、アンコールの声に答え三たびステージに帰還したエレカシ。先程まで黒のスーツを脱ぎ捨て、上半身は第4ボタンまで開けた白シャツでパフォーマンスを行ってきた宮本だが、アンコールではその上に黒いスーツを羽織り正装とも言うべき服装に。正真正銘、運命的一夜の最後を飾った楽曲は1988年にリリースされたセカンドアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』から“待つ男”である。
宮本はこの日イチの本能的な挙動に振り切ったパフォーマンスで、全てを出し尽くさんと言わんばかり。バックでは重厚なサウンドが一定のテンポで奏でられているにも関わらず、それをほぼほぼ無視した独自性の高い発語がぐんぐんと牽引していく宮本の歌唱はあまりにも圧倒的であり、その姿はまるで傍若無人に突き進む宮本の背中を楽器隊が必死に追随するようでもあった。もはや異次元の領域に達した宮本に翻弄されているのはこの場に集まったファンも同様で、観客は拳を振り上げるでも手拍子をするでもなく、鳩が豆鉄砲を食らったように眼前を見詰めている。けれどもそれはネガティブな意味合いなどでは決してなく、言わばステージ上で繰り広げられる演劇とも演説ともつかない異次元的な光景に圧倒された末の直立不動だ。ラストは言語化不能の宮本の絶叫が幾度も繰り返され、宮本が全ての言葉を放出し尽くしたと同時にピタリと演奏も停止。しばらく静まり返った野音に終演を告げる投げキッスが宮本自らの手で放たれると、瞬時に拍手喝采の海が広がった。かくして2時間以上、総曲数にして28曲にも及んだ今年の野音は幕を閉じたのだった。
思えば昨年から今年にかけての宮本はソロとしての活動に傾倒していて、特に今年は自身初となるファーストフルアルバム『宮本、独歩。』とカバーアルバム『ROMANCE』をリリースし、彼のソロ活動は文字通り順風満帆な渦中にある。何故エレカシの絶対的フロントマンである彼が突如としてソロ活動をスタートさせたのか……。その動機のひとつは言うまでもなく『シンガー・宮本浩次』としてのステップアップ。そしてもうひとつの大きな理由として挙げられるのは『エレカシとしての活動を生涯続けていくため』に他ならない。
ソロとは打って変わって無精髭を剃り落とした外見的な変化然り、個々の歌詞を噛み締めるように歌い上げたステージング然り……。去る1月の『新春ライブ2020』から8ヶ月以上のスパンを経て開催された此度のエレカシのライブは心なしか、宮本の意識的改革及び音楽に対する真摯ささえ思わせる、素晴らしき代物だった。宮本が独歩へ至る契機となった理由のひとつがエレカシであったとするならば、そこからぐるりと巡った終着点に存在するのは、やはりエレカシである。コロナウイルスの第三波とも言える流行が押し寄せる現在、予断を許さない毎日が続いているが、きっと来年のエレカシは形はどうであれ、我々の想像を超える素晴らしき存在証明を見せてくれることだろう。その証拠に、最後にステージを降りる際に宮本がうっすらと浮かべた笑顔は次なる猛進を予期するに相応しい、強い魂胆を伴って見えた。
※この記事は2020年11月27日に音楽文に掲載されたものです。