キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

映画『PLAN 75』レビュー

こんばんは、キタガワです。

 

『日本が高齢化の一途を辿っている』という事実は、きっと誰もが理解しているはず。ただ調べてみると日本の平均年齢はほぼ50歳。このまま行けば我々若者世代がどんどん損をする時代になるとのことで、思った以上に状況は深刻なことが分かる。……そんな現状を打破するには何が出来るか。最も効果的なのはもちろん子どもを産みやすい社会にすることだが、それはなかなか難しい。となれば、残る手段はひとつしかない。そう。高齢者の数自体を減らすことである。

今回紹介する『PLAN 75』は、75歳以上の高齢者が安楽死できる制度を取り入れた、未来の日本を描いた物語だ。主人公は75歳を迎えた女性(倍賞千恵子)で、仕事はホテルの清掃員。けれども程なくして高齢者を雇うことで若者の雇用を奪ってしまっていること、また「あんなおばあちゃんたちが働いてるなんておかしい!」と抗議の電話が入ったことで、高齢者全員が退職に追い込まれてしまう。過去の同僚らと今後の生活について話す中、否が応にも聞こえてくるのは『PLAN 75』の政策だった。ただ彼女中では死の選択肢はなく、今後も働きたいと願う。けれども現実問題として雇ってくれる場所は激減し、同僚は孤独死を遂げ……。次第に生きる活力が失われていくことに気付いた彼女は、遂に『PLAN 75』の説明会に参加する。というのが、今作の簡単なあらすじである。

この映画を語る上で避けて通れないのは、あまりにもリアルで、また非常に心が辛くなってしまうその描写にある。この『PLAN 75』の政策は国が率先して取り組んでいるということもあり、テレビで流れる内容は「今後の老後の未来を考えましょう!そんなあなたにこの制度!」と好意的なものばかりで、世間的にも受け入れられている。まずここが怖い。そしてそんな状況下に置かれた、肩身の狭い高齢者の生活。何度もハローワークに通いながらも陰口を言われて落とされたり、孫に迷惑をかけないように安楽死を選んだりと、生きようとする行動がにっちもさっちも行かなくなった『ポジティブな末路』であることも、悲しみを感じさせる。約2時間、絶望的なドキュメンタリーをずっと観ているような感覚というか。

ただ悲しいかな、もはや高齢化社会を打破するための行動はもうこれしかなくて、今日本に生きる我々自身がこの政策を「こんなの実際ありえんだろ」と一蹴出来ない怖さというのもある。だからこそ、この数年後に訪れかねない未来の当事者意識が、この映画の描写を更に色濃くするのだ。『PLAN 75』に加入すればご飯も食べれるし、お金も国から10万円出る。……それこそ僕が暮らす島根県では高齢化が進んでいて、実際家族もおらず一人暮らしをする人とも何度か会ったことがあるのだけれど、その人たちに「もしそれほど辛いんなら、マジで一回『PLAN 75』の説明会行ってみん?」と悪気もなく言ってしまいそうな、無自覚なヤバさ。

しかしながら、ともすればネガティブ一辺倒になりがちなこの映画は、クライマックスにかけてグンと盛り返すシナリオも秀逸だった。鍵になってくるのは『PLAN 75』の加入者を獲得しようともがく、学生の電話オペレーターと営業マンのふたりの人物。本来であれば業務的な関わりで終わるはずのオペレーターの女性は「本当はダメなんですけどね」と主人公と直接カフェで会話をしたり、ボーリングをすることで、75歳以上の高齢者を安楽死させることの悲しみに触れる。対する営業マンの男性は、偶然『PLAN 75』に加入しようと訪れた自分の叔父と会ったことで、制度そのものの仕組みに疑問を抱いていく。このふたりの存在が感情を動かし、最終的には『PLAN 75』は正義なのか悪なのか、また人の命の尊さまで問う形で、感動的なクライマックスに突き進んでいくのだ。

死を扱う映画というのはどれだけ入念に考えても、どうしてもフィクションによる面白さが強いものだと思う。時間を巻き戻したりだとか余命が短いとか、殺害されたりとか。けれどもこの作品の75歳以上が安楽死を選べる日本というシナリオは、どう考えても否定できない未来のような気がするのだ。「高齢者が生きづらい世の中にする」→「安楽死なら葬儀も無料でお金ももらえる」→「いつしか安楽死がポピュラーなものになる」……。この流れ、本当に怖い。物語の終盤ではニュースキャスターが「『PLAN 75』の制度で我が国の高齢化率は解消傾向。また今後は対象年齢を65歳に引き下げる法案が可決される見通しです!」とも笑顔で語り、高齢者がそのニュースにキレてテレビの電源を抜くシーンがあるのだが、めちゃくちゃにやるせない気持ちになったりした。

そして改めて思うのだ。本当に評価されるべき映画は、こうした痛みを伴うものではないかと。観るものを完全に黙らせる大問題作にして、社会に警鐘を鳴らすメッセージ性も強い『PLAN 75』。気になった方は是非劇場で。避けられない未来の姿を、より多くの人に大画面で目撃してほしいと願っている。

ストーリー★★★★★
コメディー★★☆☆☆
配役★★★★☆
感動★★★★★
エンタメ★★★★☆

総合評価★★★★★

倍賞千恵子主演映画『PLAN 75』予告編【2022年6月17日公開】 - YouTube

【ライブレポート】TOTALFAT・BIGMAMA『BAND FOR HAPPY Tour 2022』@出雲APPOLO

こんばんは、キタガワです。


『幸せのためにバンドをやる』……。このタイトルを見た瞬間、何故だか笑みが溢れてしまったのを覚えている。こんなどこまでもド直球なTOTALFATだからこそ、彼らは長年愛され続けているのだと。この日行われたのは、ツアーも後半戦に差し掛かった20本目。対バン相手として選ばれたのは盟友・BIGMAMAで、先日コラボシングルをリリースしたばかりか、TOTALFATのShunとBIGMAMAの金井政人(Vo.G)は学生時代の先輩後輩の関係性としても知られている。どんな化学反応が起きるのかを見届ける期待値の高さからか、チケットは瞬殺でソールドアウト。とてつもない熱気に包まれつつ、かくして灼熱の1日は幕を開けたのだった。

 

バックに巨大な『TOTALFAT』の垂れ幕が掲げられたステージが印象的な今回のライブハウスは、定刻ジャストに暗転。思えば新体制になって久しいBIGMAMA、どこかで聴いたことのあるクラシックのSEに導かれながら柿沼広也(G.Vo)、安井英人(B)、Bucket Banquet Bis(Dr)らBIGMAMAの面々が登場。頭にバケツを被ったBucket Banquet Bisの出で立ちや、東出真緒(Vio.Cho)がピンクのパジャマ姿だったり、金井が早くも自身のバンTで登場、という驚きもありだ。

 

BIGMAMA "荒狂曲“シンセカイ”" MV - YouTube 

 

気になる1曲目は“荒狂曲“シンセカイ””。金井は「ライブハウスへようこそ!」と一言放つと、そこからはまさしく荒々しくも綺麗な演奏が展開していく。かつてBIGMAMAはクラシック音楽をモチーフにした『Roclassick』というアルバムをリリースした経験があり、そのうちの何曲かはライブ定番曲に位置することとなったが、この楽曲はリリース直後から毎回披露されてきた代表曲でもある。当然ファンとしても盛り上がり方については熟知しているようで、開幕から飛び跳ね飛び跳ねのカオス地帯が出来上がっていた。


中でも印象的だったのはやはり、東出と金井の一挙手一投足。東出はサウンドの中心をロックバンドとしてはかなり異質であろうバイオリンで奏で、対する金井は端正な顔立ち+艶っぽい声で魅了。「ああ、これがBIGMAMAのライブだったなあ」と改めてハッとさせられる、至福の時間が流れていく。しかもよく観ると「スタッフかな?」と思っていたドラムの真横には、TOTALFATのメンバーが何故かこの時点で全員立っていて、一緒に口ずさんだり腕を挙げたりしている!正直対バン形式のライブはこれまで何度も観てきたけれど、ここまで距離感が近いのはもちろん初だ。

 

BIGMAMA "神様も言う通りに featuring FM802" MV - YouTube

メンバー増減により新体制になったBIGMAMA。元々のライブ回数が少なかったこともあり、彼らの現在地を目撃するために参加した人も決して少なくなかったはず。そんな中で“神様も言う通りに”や“MUTOPIA”といった既存曲や若干新し目の楽曲含め、今回は全方位にアピールする鉄板セトリだ。特に出雲大社にお参りに行った結果「オオクニ(オオクニヌシノミコト)さん一生推します」と推しメンがひとり増えたという東出のMCの後、彼女がおみくじで第9番が出たことから急遽セトリに加えられた“No.9”は、数少ない長らくのライブアンセムとして確立していた印象があった。ストレートなロックとも違う独自の世界観というか。

 

TOTALFAT x BIGMAMA "WE RUN ON FAITH" Music Video - YouTube

TOTALFATとBIGMAMAが対バンをするという事実から、期待していたファンも多かったことだろう。後半にかけてはTOTALFAT・Shunを招いての“WE RUN ON FAITH”へと雪崩れ込みだ。演奏前、無意識に肉食系なShunと優男の金井を比較してしまい「一体どうなるんだ」と思ったものだが、実際のコラボもなかなかどうして、音源以上の化学反応が起きるから不思議。歌唱中、何度もポーズをキメるShunの姿(以下公式ツイート参照)の姿も本当に楽しそうで、これこそ対バンの醍醐味だなと実感した次第だ。

 

最終曲はベストアルバムにもリードとして収録されていた“Let it beat”。まるでBIGMAMAの多様な作品性を一纏めにしたようなキャッチーさのオンパレードだ。それこそBIGMAMAの活動初期あたりは、何かとバイオリンを有する編成の珍しさや、クラシック音楽への傾倒といった、意外性のある部分にフォーカスを当てられることもあった。けれどもあれから何年も経ち、メンバー増減を繰り返した彼らの今はどこまでも真っ直ぐ。統率の取れた演奏の果て、「ちょっと遠いけど10月21日に、東京でフリーライブ用意してます。是非皆さんのご来場をお待ちしています」と語った金井。これから新生BIGMAMAは本格始動するけれど、その第一歩をこの場所で観測出来たのは、とても幸福だったように思う。


【BIGMAMA@出雲APOLLO セットリスト】
荒狂曲"シンセカイ"
I Don't Need a Time Machine
神様も言う通りに
No.9
MUTOPIA
Perfect Gray
CPX feat.Shun(TOTALFAT)
WE RUN ON FAITH feat.TOTALFAT
Let it beat

 

BIGMAMAが会場を大いに温めてくれたところで、続く後攻はお待ちかね、荒ぶる3人組TOTALFATである。SEと共にシュタッと定位置についたJose(Vo.G)、Shun、Bunta(Dr.Cho)。見れば3人共がタンクトップを着用しており、これから始まる汗だくの狂宴を暗示しているかのよう。1曲目に選ばれたのは、ニューアルバムから“Miracle”。開幕を飾るに相応しい猪突猛進ぶりで会場のボルテージを上げていく。早くも彼らの体には汗が輝いていて、確かに我々としてもこの時点で「凄く楽しい!」の感想に尽きるものではあった。しかしながら、この時まだ我々は知る由もなかったのだ。彼らがこのテンションをまさかの1時間キープし続ける、壮絶なライブを行うことなど……。

 

Miracle - YouTube

MCでも語られたひとつの事実として、今回のツアーはアルバムリリース後である関係上『BAND FOR HAPPY』からの楽曲は大前提として全曲届けられた。ただそれ以外のセットリストはその時々で完全に入れ替えるアドリブなもので、これまでセットリスト入りをあまりしてこなかった楽曲も多く披露されるに至った。そんな中でも異様だったのは、まるで何かに取り憑かれるように楽曲を連発する彼らの姿。指にピックを貼り付けて弾くという特殊な奏法のJose、ポカンと空いたステージ正面に何度も体を動かすShun、忙しなくクルクルとスティックを回すBunta。全部全力、故に汗はもはや流れ過ぎてサウナ状態だが、それでも。溢れ出るバイタリティーで捻じ伏せる、スポ根顔負けのハードライブがそこにはあった。


彼らにとって出雲という場所は特別な地、そのためMCではそんな出雲への愛情を深く感じさせるものに。初期曲“マイルストーン”や“DA NA NA”が今回鳴らされた理由とも重なるが、彼らは活動初期から毎年この場所でライブを行っていてもはやホームと言ってもいい。この日も興奮のあまり、早朝から5キロのランニングをし、Shunは出雲で新タトゥーを彫ったりと、全身の毛穴が開くほどこのライブを楽しみにしていたというし、他にもGYAOのクイズコーナーでの「ツアーで一番美味しかったご当地グルメは?」にJoseが出雲そばと答えた一幕もそうだが、こうしたMCは地元民としては本当に嬉しい限り。

 

TOTALFAT - Smile Baby Smile(MV) - YouTube

例えば洋楽がよく槍玉に挙がるように、英語詞の楽曲は我々日本人にとっては刺さりにくい音楽ではある。というのを大前提として、感動的に映ったのはこの日演奏された“Smile Baby Smile”だった。偶然僕はすぐそばにいたのだけれど、『どんな時でも笑顔で』の精神を具現化したこの楽曲中、前方の女性が号泣しているのは何となしに理解はしていた。女性はTOTALFATの長年のファンであり、おそらくはこの楽曲に強い思いがあるのだろうと勝手に推察しながら聴いていると、Shunがその女性に向けて一言発した。「お姉さん!涙を拭いて笑ってくれよ!」と。その女性は一瞬にして泣き笑いの表情になり、Shunは敢えて目を空中に逸らしながら笑顔で歌う。「生の体験に勝るものはない」とは誰が言った言葉だったか、これこそがYouTubeの動画などでは絶対に味わえないライブ体験であると実感した次第だ。

 

そして演奏後、何やら「わかったわかった!わかった!」と理解したShun。そこで放たれたのはよもやの「決めた!今年もう1回出雲来ます!」というライブ宣言だ。まずもってこの時点でTOTALFATのライブ予定は白紙であり、そのためこの発言はShunによる突発的な提案に過ぎない。けれどもすかさず「このあと店長のスッスーさんと真剣にミーティングします!」とする彼らの目からは、強い決意が伝わってきた。もちろん次のライブをこうした形で決めるのは異例中の異例で、特に「また来るぜと言ったバンドが二度とこない」とする自虐ネタさえ知られている訳で。少なくとも僕は島根でライブを観てきて長いけれど、今回の絶対的な再会宣言は初だった。

 

TOTALFAT - ONE FOR THE DREAMS(MV) - YouTube

興奮はその後も一切途切れることなく続き、最終曲は“ONE FOR THE DREAMS”。最初から最後までパンクでまとめる潔さは元より、笑顔、ハッピー、幸福ときて、ラストにバンドの存在理由の最たる『夢』で締める。何と彼ららしい最後であろうか。最後と言っても特段変化がある訳ではなく、いつも通りがむしゃらにパンクを届けるTOTALFAT。Joseは幾度も開催地の場所を叫んで煽り倒し、Shunはポッカリ空いたステージ中央に何度も移動と目にも楽しいステージングで魅了。パンクの真髄を明らかにした、とてつもなく愚直な灼熱。

 

TOTALFAT - 晴天(MV) - YouTube

まだまだ聴き足りないと巻き起こるアンコール。ステージ袖……と言うよりは完全にステージに出てきてしまっているのBIGMAMAのメンバーを尻目に、TOTALFATの3人が再び登場。ただそこに遅れて現れたのはBIGMAMAの金井と東出。そう。アンコール1曲目はよもやのコラボ曲となった、TOTALFATの“晴天”である。舞台袖のメンバー、更にはスタッフも含めての大盛りあがりとなった空間に、金井と東出の甘いサウンドと声が響き渡る感動的な演出。ここまで来るとやりたい放題というか、TOTALFATのメンバーも顔を突き合わせながら笑顔を振り撒いていて最高だ。現在も様々な規制が敷かれているライブハウスだが、少なくともこのステージ上ではコロナ前のワチャワチャ感が復活していたように思う。

 


最終曲を終えて颯爽とハケたメンバーを見送る我々。パンクなBGMをバックに退場案内を待つそこには、漠然とした『楽しい』の感情だけがあった。それこそいろいろな『楽しい』の種類があるのがライブの醍醐味のため、例えば演出が良かった、セトリが良かった、雰囲気が良かったなど様々存在するはず。でもこの日は本当に、純粋なハッピーな感情のみを残す最高の一夜。他のことなんてもうどうだっていいと遮断する強制的な楽観主義は、こと悲しいことばかりが起こる現在において、とても大切なものだったのでは。


今回のツアーが『幸せのためにバンドをやる』と題されているのは、冒頭に記した通り。ただ生きていくには楽しいだけでは駄目で、副業を蹴って公務員を目指す若者がトップを走るデータからも、自分のやりたいことより将来性を考えるのが主流になりつつある。そんな中で彼らは、高校時代からの欲望のままパンクロックをやり続けている。その理由は『どんな安定差し置いても音楽を鳴らすのが楽しいから』……。そしてそんなパワーはこの日、何よりも強いエネルギーとして炸裂した。クソッタレな今の時代に欲するものは何なのか。世間一般的な人たちの考えはよくわからないが、少なくともこの日集まった人々は、それこそ彼らが鳴らすあの音楽を欲しているのだろうと強く思った。


【TOTALFAT@出雲APOLLO セットリスト】
Miracle
Steer This Band
Dirty Party
Ashtray
Phoenix
夏のトカゲ
My Secret Summer
Lucky Boy
Welcome to Our Neighborhood
Show Me Your Courage
Drive‘s High
Summer Frequence
Dear My Empire
DA NA NA
マイルストーン
白煙
Smile Baby Smile
PARTY  PARTY
ONE FOR THE DREAMS

[アンコール]
晴天 feat.金井政人&東出真緒(BIGMAMA)
Place to Try

前日に溜めた書類仕事を含む業務にかまけ、粗方やり終わったのは昼過ぎ。小腹が空いてきたので一旦外に出ると、土砂降りの雨が聞こえてきて驚いた。そう言えば、出勤前に観た天気予報では「午後から大雨被害に警戒」と表示されていた気もするが、こうなっては仕方ない。小走りでコンビニに向かい、適当な飯を見繕っていると、何やら周囲の異変に気付いた。いつもこの時間帯は人でごった返しているはずが、何故かしんみりしたムードが漂っている気がした。結果その理由はコンビニ内の学生の会話で知ることとなるのだが、気付けば僕は何も買わずにコンビニを出て、それからはテレビを見続ける休憩時間を過ごした。

辛いことがあったと思えばちょっと嬉しいことが起こったり、その逆も然り。総じて『人生何があるか分からない』というのは、おそらく長く生きた人であればあるほど身に染みる言葉であろう。このふたつに共通することがあるとすれば、半ば強制的な『絶対に生きなければならない』とする絶対観念。だからこそ、もう結婚も昇給も幸せさえも諦めているけれど、死の選択肢だけは排除出来ないからクソッタレな人生をずっと送り続けている人、というのも一定数いるように思う。

そんな人間の思考が行き着く先は、主にふたつ。それは自ら命を断つか、他者に影響を及ぼして拡大としてのそれを図るかだ。少なくとも僕は前者を選ぶ人間だろうけれど、こちらもまた逆の意見の人もいるはず。だからこそ、僕はこのふたつの行動の善悪を断言出来る高尚な立場には決してない。だってその本人がどれだけ辛かったかを推し量る術を、我々は持っていないから。

ショックを受けつつ、休憩室のテレビをザッピングする。もしも自分が無敵の人で、最後の最後に社会に復讐しようとする人だとしたらと考えると、あながち他人事でもない気がする今回のニュース。フィクションのような感もあるけれど、これは紛れもない事実であって……。こんなことを書くのは状況的におかしいとは思いつつも、悲しきひとつの備忘録として。

映画『ベイビー・ブローカー』レビュー

こんばんは、キタガワです。

 

『万引き家族』の是枝裕和監督、そして『パラサイト 半地下の家族』の主人公役として抜擢されたソン・ガンホがタッグを組んで制作されたのが、今作『ベイビー・ブローカー』。カンヌ国際映画祭でもノミネートされたりと話題沸騰中のこの映画は結果何というか……。心のどこかを突き刺しにかかるような、不思議な雰囲気を纏った映画だった。

印象的なタイトルの通り、『ベイビー・ブローカー』は赤ちゃんの人身売買を題材にした物語。ある日とある女性が赤ちゃんポストに子どもを入れるが、その職員はよもやの人身売買の商人で、翌日からなるべく高い値段で売り手を見つけようと動き出す。しかし彼らにとって誤算だったのは、母親が翌日赤ちゃんが連れ去られたことに気付いて、彼らに直接迫ったことだ。「どうせ売るなら私も連れて行って。なるべく高い値段で買わせて」と語る母親を連れて、彼らは4人で買い手を探しに奔走する……というのが、今作の簡単なあらすじである。

まず大前提として、この作品を語るではほぼほぼ『万引き家族』の既視感は必ずついて回ると思う。『万引き家族』が好きな人は『ベイビー・ブローカー』も好きだし、また逆も然り……という、単純に制作監督が同じなことによって起きやすいあるあるだ。ただ『万引き家族』が生活困窮で仕方なく万引きをしていた偽家族だとするなら、こちらは更にディープ。何故ならこのグループは加害者と被害者が、ほぼWin-Winで行動を共にする家族でも何でもない関係性なのだから。

そんな歪な彼らがいつしかひとつの家族として距離を縮めていく流れは、まさしく唯一無二。この点に関しては『万引き家族』と比較してもこちらの方が好み、という人は決して少なくないだろうし、作りとしても良く出来ていた。こうした雰囲気重視の作品にありがちな冗長な感じも然程なかったので、この点を鑑みればかなり評価は高くなることだろう。重苦しい展開になると思いきや意外にキャッチーなのも◯。

けれども物語を詰めすぎたのか、はたまた余韻を残したかったのか……。映画を見終えて「あの人どうなったの?」「あの展開からどう転んだの?」とする疑問が噴出した部分は明らかなマイナスだろう。想像の通り、曲がりなりにも犯罪に手を染めている関係上、この話がハッピーエンドで終わることはない。そのため重要なのはその果てに描かれる後日談にあるように思うのだが、こと今作に関しては明かされない事実があまりに多い印象を受けた。確かに最後にフワッと終わる手法は映画の良い締め方としてあるあるになってもいる訳だが、それはあくまで大事な部分が一箇所程度だからこそ成立する。それが「◯◯さん逮捕されたよね」→「じゃあ子どもはどうなるの?」→「そもそも他の人の描写足りなくない?」といろいろ疑問が積み重なることは、やはり悪手だったのかなと。

ただ、この作品には他の映画にはない魅力がたっぷりと秘められている。目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、全体を包む無言の意思というか、何も言わずとも目の動きでYesとNoが分かる没入度は、実は韓国映画としては稀有だったり。そもそも赤ちゃんの売買というあまりにダークな世界をこのオチでまとめた脚本だったり……。『母と父の行為によってこの世に産まれてしまった』という、悲しき幸せと葛藤を描く『ベイビー・ブローカー』。一体何が正解だったのかは、この映画を観た誰もが分からないはず。

ストーリー★★★★☆
コメディー★★★☆☆
配役★★★★★
感動★★★☆☆
エンタメ★★★☆☆

総合評価★★★★☆

 

是枝裕和監督最新作『ベイビー・ブローカー』本予告 6月24日(金)日本公開【公式】 - YouTube

音楽やフェスとは無縁の人たちに囲まれる、夏。

眠気眼で飯を食い、髭を剃る。歯を磨いてカッターシャツに腕を通し、仕上げにネクタイをキュッと締めて真っ黒なスーツを装着する。「さあ今日もクソッタレな人生が始まるぞ」……そんな躁鬱入り乱れた感情になりながら扉を開けると、異様な熱気がダイレクトに浴びせられる。そう言えば、日本のどこかでは6月にして観測史上最高の40度を記録したと聞く。This is 異常気象。このフラフラは日々の深酒のものか、はたまた。

やれ寒いやれ暑いと、気候にいちいち一喜一憂していたのは遥か昔。歳を重ねたせいか今では気付けば寒くなったり季節が変わったりして、もう1年が過ぎ去っている。故に夏にも大した思い入れなど無かったりするのだが、それにしてもキツい。片道30分の自転車通勤者には尚の事、この気候は体に来るのである。

幸いなのは、この体はあまり汗をかかないこと。元々痩せ型なのもあるが、とにかくメタボ体型でチャリをかっ飛ばすことは少なくとも今の自分には無理だ。ヒイコラ言いながら自転車を漕いでいると時たま高校生の集団……それもムッチリ体育会系の奴らが笑顔で過ぎ去って行くけれども「それが出来るのは若い頃だけだぞ」と、何か真理を得た気にもなる。嗚呼、これこそが老化。またこれこそが『あの頃は良かった』との在りし日の回顧である。あの頃嫌っていた世間を斜めに見る類の人間に、自分がなりかけているという寂しさもありつつ。

こんなうだるような暑さで思い返すのは、やはりかつての夏フェスのこと。……というより、海や花火といった陽キャ行動に元来無縁だった音楽好きとして、言うなれば夏フェスが唯一『夏』を感じられる場所として位置していた。なもんで、当然ながら(住む環境的に)あれから何年もフェスが止まってしまった現在の状況を考えると、とてつもなく寂しくもなってしまう。改めて思うが、少なくとも音楽好きにとっては音楽の無い夏など単なる囚われの灼熱であろう。

時計の針が丸々1週し、今日も過酷な仕事が終わる。次の休みが一体何日後になるかすらも不明瞭な生き地獄で、もうずっと次のライブ予定を考えている。ある程度会社に順応した果てに分かったのはふたつ。『そもそも休日自体が取れない』ことと『ライブは他人にとっては単なる娯楽に過ぎない』こと。ライブのために休むなど言語道断。百歩譲って家族サービスやデートだったら休んでもいいよ、という暗黙の了解だ。ただ自分はその槍玉に挙げられるライブを、何よりの生きる希望として見ているのだ。その双方の思いの乖離が連日のアチチで態度として可視化されつつある状況には心底辟易するが、とにかく。何度考えても音楽以外に生きる理由などないと、再確認する日々が続いている。

果たして、今年は何かしらのフェスに行けるのだろうか。音楽の濁流に流されながらビールを飲んで、危機としてライブをレポートするあの輝しい日々が……。多分それは無理だろうと思いつつも、どうにかやり遂げなければどこかで精神が死んでしまうと、そう肌感覚として理解する自分もいる。クソッタレな人生の中でも、本気で「生きてて良かった」と思える。そんな真夏の幸福とまたどこかで会えることを信じて。

崎山蒼志 Soushi Sakiyama / A Song [Official Music Video] - YouTube

くだらないたられば

「いらっしゃいませー!」

今日も今日とて、ニコニコして過ごす。嫌なことでも何でも、取り敢えず二つ返事で答えて文句を言わなくなったのはつい最近である。そしてその甲斐あってか、周囲の評価もある程度はついてくるようにはなった。けれども自身を取り繕う弊害なのか、『自分にとって一番最高の環境とは何か』と堂々巡りな理想郷について、考えることが増えたような気もする。ここで定義する『一番最高の環境』とは、そう。雑に表現するなら『ストレスが皆無の世界』とも言っていい。ある程度お金があって、自分のやりたいことだけで日々を消費して。大好きな人たちとだけ関わって最後は大往生で天寿を全うする……という、そもそも絶対にあり得ないたらればである。

そもそも、人生は日々ストレスとの戦いだ。馬車馬のように仕事に従事して、帰宅すれば娯楽を僅かながら楽しむ、その繰り返しを世の中では人生と呼ぶ。ただそんな生活の果てに待っているのは明らかな死である訳で、言わば我々の生活はエンディングへ向かうまでの旅路を、自ら右往左往しながら自傷的に進んでいるに過ぎないのではないか。ならば少なくともこんな日々の繰り返しくらいは、ノンストレスで生きた方が絶対に良いのではないかと、そう考えてしまうのだ。

……例えば、自分がもしも巨大財閥を持つ家庭の御曹司として産まれたとする。美味い飯を食い、召使いを従えながら。幼少期から何不自由ない暮らしをする。確かにその置かれた立場により周囲から距離を置かれたりはするものの、その都度金で解決し友人を大量に作り出す。20歳になれば親のコネで大手企業に就職、根回しにより直ぐ様指折りの権力者となり、休日には贅沢三昧。そのままセレブと結婚して80まで過ごして死ぬ。これは我々が政治家らを見て漠然と感じる、分かりやすい成功者の例だろう。

……例えば、満足に衣食住が保証されない家庭で生を受けたとする。飯は栄養失調寸前のものしか与えられず、体は貧相に。気付けば学校でもイジメの対象になる。その経験から人付き合いに欠陥が生じ、友人と呼べる人は数えるほど。20歳からはホームレスとして過ごし、生きているのか死んでいるのかさえ分からない生活を送る。これはおそらく、あまり良くない生活であろうと思う。

ただ。長期的な目で見れば総合的な幸福度はほぼイコールになるのではと、ぐるぐると回転した思考の果てに思うのだ。どれほど恵まれていても地に落ちる時はあるし。……もはや人生哲学みたいなものだが、結論すればまあまあの人生なのかなと感じてしまうのは、ままならんなあというところ。むしろアル中&メンタルヨワヨワの人間としては、及第点の位置なのかもしれぬ。何だか菩薩みたいな物言いだけども、それもまあいいじゃないか。くだらない世の中で生きてるけど、それもまあいいじゃないか。

羊文学「くだらない」Official Music Video - YouTube