キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

前日に溜めた書類仕事を含む業務にかまけ、粗方やり終わったのは昼過ぎ。小腹が空いてきたので一旦外に出ると、土砂降りの雨が聞こえてきて驚いた。そう言えば、出勤前に観た天気予報では「午後から大雨被害に警戒」と表示されていた気もするが、こうなっては仕方ない。小走りでコンビニに向かい、適当な飯を見繕っていると、何やら周囲の異変に気付いた。いつもこの時間帯は人でごった返しているはずが、何故かしんみりしたムードが漂っている気がした。結果その理由はコンビニ内の学生の会話で知ることとなるのだが、気付けば僕は何も買わずにコンビニを出て、それからはテレビを見続ける休憩時間を過ごした。

辛いことがあったと思えばちょっと嬉しいことが起こったり、その逆も然り。総じて『人生何があるか分からない』というのは、おそらく長く生きた人であればあるほど身に染みる言葉であろう。このふたつに共通することがあるとすれば、半ば強制的な『絶対に生きなければならない』とする絶対観念。だからこそ、もう結婚も昇給も幸せさえも諦めているけれど、死の選択肢だけは排除出来ないからクソッタレな人生をずっと送り続けている人、というのも一定数いるように思う。

そんな人間の思考が行き着く先は、主にふたつ。それは自ら命を断つか、他者に影響を及ぼして拡大としてのそれを図るかだ。少なくとも僕は前者を選ぶ人間だろうけれど、こちらもまた逆の意見の人もいるはず。だからこそ、僕はこのふたつの行動の善悪を断言出来る高尚な立場には決してない。だってその本人がどれだけ辛かったかを推し量る術を、我々は持っていないから。

ショックを受けつつ、休憩室のテレビをザッピングする。もしも自分が無敵の人で、最後の最後に社会に復讐しようとする人だとしたらと考えると、あながち他人事でもない気がする今回のニュース。フィクションのような感もあるけれど、これは紛れもない事実であって……。こんなことを書くのは状況的におかしいとは思いつつも、悲しきひとつの備忘録として。