キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

くだらないたられば

「いらっしゃいませー!」

今日も今日とて、ニコニコして過ごす。嫌なことでも何でも、取り敢えず二つ返事で答えて文句を言わなくなったのはつい最近である。そしてその甲斐あってか、周囲の評価もある程度はついてくるようにはなった。けれども自身を取り繕う弊害なのか、『自分にとって一番最高の環境とは何か』と堂々巡りな理想郷について、考えることが増えたような気もする。ここで定義する『一番最高の環境』とは、そう。雑に表現するなら『ストレスが皆無の世界』とも言っていい。ある程度お金があって、自分のやりたいことだけで日々を消費して。大好きな人たちとだけ関わって最後は大往生で天寿を全うする……という、そもそも絶対にあり得ないたらればである。

そもそも、人生は日々ストレスとの戦いだ。馬車馬のように仕事に従事して、帰宅すれば娯楽を僅かながら楽しむ、その繰り返しを世の中では人生と呼ぶ。ただそんな生活の果てに待っているのは明らかな死である訳で、言わば我々の生活はエンディングへ向かうまでの旅路を、自ら右往左往しながら自傷的に進んでいるに過ぎないのではないか。ならば少なくともこんな日々の繰り返しくらいは、ノンストレスで生きた方が絶対に良いのではないかと、そう考えてしまうのだ。

……例えば、自分がもしも巨大財閥を持つ家庭の御曹司として産まれたとする。美味い飯を食い、召使いを従えながら。幼少期から何不自由ない暮らしをする。確かにその置かれた立場により周囲から距離を置かれたりはするものの、その都度金で解決し友人を大量に作り出す。20歳になれば親のコネで大手企業に就職、根回しにより直ぐ様指折りの権力者となり、休日には贅沢三昧。そのままセレブと結婚して80まで過ごして死ぬ。これは我々が政治家らを見て漠然と感じる、分かりやすい成功者の例だろう。

……例えば、満足に衣食住が保証されない家庭で生を受けたとする。飯は栄養失調寸前のものしか与えられず、体は貧相に。気付けば学校でもイジメの対象になる。その経験から人付き合いに欠陥が生じ、友人と呼べる人は数えるほど。20歳からはホームレスとして過ごし、生きているのか死んでいるのかさえ分からない生活を送る。これはおそらく、あまり良くない生活であろうと思う。

ただ。長期的な目で見れば総合的な幸福度はほぼイコールになるのではと、ぐるぐると回転した思考の果てに思うのだ。どれほど恵まれていても地に落ちる時はあるし。……もはや人生哲学みたいなものだが、結論すればまあまあの人生なのかなと感じてしまうのは、ままならんなあというところ。むしろアル中&メンタルヨワヨワの人間としては、及第点の位置なのかもしれぬ。何だか菩薩みたいな物言いだけども、それもまあいいじゃないか。くだらない世の中で生きてるけど、それもまあいいじゃないか。

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