眠気眼で飯を食い、髭を剃る。歯を磨いてカッターシャツに腕を通し、仕上げにネクタイをキュッと締めて真っ黒なスーツを装着する。「さあ今日もクソッタレな人生が始まるぞ」……そんな躁鬱入り乱れた感情になりながら扉を開けると、異様な熱気がダイレクトに浴びせられる。そう言えば、日本のどこかでは6月にして観測史上最高の40度を記録したと聞く。This is 異常気象。このフラフラは日々の深酒のものか、はたまた。
やれ寒いやれ暑いと、気候にいちいち一喜一憂していたのは遥か昔。歳を重ねたせいか今では気付けば寒くなったり季節が変わったりして、もう1年が過ぎ去っている。故に夏にも大した思い入れなど無かったりするのだが、それにしてもキツい。片道30分の自転車通勤者には尚の事、この気候は体に来るのである。
幸いなのは、この体はあまり汗をかかないこと。元々痩せ型なのもあるが、とにかくメタボ体型でチャリをかっ飛ばすことは少なくとも今の自分には無理だ。ヒイコラ言いながら自転車を漕いでいると時たま高校生の集団……それもムッチリ体育会系の奴らが笑顔で過ぎ去って行くけれども「それが出来るのは若い頃だけだぞ」と、何か真理を得た気にもなる。嗚呼、これこそが老化。またこれこそが『あの頃は良かった』との在りし日の回顧である。あの頃嫌っていた世間を斜めに見る類の人間に、自分がなりかけているという寂しさもありつつ。
こんなうだるような暑さで思い返すのは、やはりかつての夏フェスのこと。……というより、海や花火といった陽キャ行動に元来無縁だった音楽好きとして、言うなれば夏フェスが唯一『夏』を感じられる場所として位置していた。なもんで、当然ながら(住む環境的に)あれから何年もフェスが止まってしまった現在の状況を考えると、とてつもなく寂しくもなってしまう。改めて思うが、少なくとも音楽好きにとっては音楽の無い夏など単なる囚われの灼熱であろう。
時計の針が丸々1週し、今日も過酷な仕事が終わる。次の休みが一体何日後になるかすらも不明瞭な生き地獄で、もうずっと次のライブ予定を考えている。ある程度会社に順応した果てに分かったのはふたつ。『そもそも休日自体が取れない』ことと『ライブは他人にとっては単なる娯楽に過ぎない』こと。ライブのために休むなど言語道断。百歩譲って家族サービスやデートだったら休んでもいいよ、という暗黙の了解だ。ただ自分はその槍玉に挙げられるライブを、何よりの生きる希望として見ているのだ。その双方の思いの乖離が連日のアチチで態度として可視化されつつある状況には心底辟易するが、とにかく。何度考えても音楽以外に生きる理由などないと、再確認する日々が続いている。
果たして、今年は何かしらのフェスに行けるのだろうか。音楽の濁流に流されながらビールを飲んで、危機としてライブをレポートするあの輝しい日々が……。多分それは無理だろうと思いつつも、どうにかやり遂げなければどこかで精神が死んでしまうと、そう肌感覚として理解する自分もいる。クソッタレな人生の中でも、本気で「生きてて良かった」と思える。そんな真夏の幸福とまたどこかで会えることを信じて。
崎山蒼志 Soushi Sakiyama / A Song [Official Music Video] - YouTube