キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【後編】音楽活動と並行して本業(副業)を行うアーティスト10選

こんばんは、キタガワです。


かねてより穿った視点から音楽を説いてきた当ブログ。今回は先日公開した『音楽活動と並行して本業(副業)を行うアーティスト』なる特集記事の後編をお届け。政治家や漫画家、果てはプロデュース業を主体とする多種多様なアーティストに焦点を当てて紹介した前編と比較すると、意外性はおよそそれ以上。各々の興味・関心と共にめくるめく未知の音楽の世界へ没入していただければ幸いである。

 

 

粗品(職業・お笑い芸人)

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M-1グランプリ2018にて全国4640組の頂点に君臨し、その後はバラエティー番組出演や公式YouTubeチャンネル『しもふりチューブ』開設、テレビCM出演など破竹の勢いで芸能界を闊歩するお笑いコンビ、霜降り明星。彼らのネタの根幹部分を制作している人物こそツッコミ担当の粗品その人であり、霜降り明星のみならず大喜利やピンネタ、一人話芸を行う粗品の才能はお笑いのみに留まらない。


その中でも突出してかねてより趣味として独学で行ってきたものこそ『音楽活動』であり、具体的には2歳からピアノ、13歳からギター、高校からはEDMに熱中。持ち前の絶対音感で街中に流れる様々な音楽を瞬時に演奏出来るスキルも相まってお笑いに心血を注ぎつつ、趣味ながらもぐんぐん知識を吸収。そんな彼が自粛期間中である2020年より、遂に音楽活動を本格始動。突如としてYouTube上に投下された“ビームが撃てたらいいのに”が反響を呼ぶと、以降は“ぷっすんきゅう”、“希う”、“最高に頭が悪い曲”といったボカロ曲(ボーカルは初音ミク)を次々発表。そして自身の音楽レーベル『soshina』を大手音楽会社・ユニバーサルより発足……というのが彼の来歴であるが、公式YouTubeチャンネルを毎日更新、テレビ出ずっぱり、インタビュー複数と多忙を極める中よくぞここまで。


楽曲自体の完成度もなかなかに高く、特にネタ番組で見せる粗品の独特なワードセンスがこれでもかと落とし込まれている点も評価したい。『突拍子もない状況+切れ味抜群のツッコミ』がお馴染みの霜降り明星のネタと同様、楽曲も良い意味で意外性たっぷり。今後の粗品の動向には、お笑いと共に音楽的な意義においても注目する必要がありそうだ。

 


粗品『ぷっすんきゅう』feat. 初音ミク

 

 

Childish Gambino(職業・コメディアン、映画監督)

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近年における最大のヒット曲のひとつと目されるキラーナンバー“This Is America”の絶対的シンガーにして、マルチな活動を精力的にこなすチャイルディッシュ・ガンビーノ。


こと日本国内においてガンビーノは現時点で7.5億再生を記録している世界的ヒットソング『“This Is America”を歌っている人』との認識が強い傾向にあるが、海外におけるガンビーノは空前絶後のエンターテイナー、ドナルド・クローヴァーとしての認識が大前提にある。他にも自身がメガホンを取る映画監督やドラマの脚本家としての一面もあり、彼にとってアーティスト活動は自身の興味・関心に委ねた様々な活動の一環のひとつだ。ただ既知の通り黒人差別や武力、貧富の差を挙げての《黒人なら金を稼げ》《イカれた警察》《密輸品》といったネガティブなワードの数々をThis Is America(これがアメリカだ)とする強烈なリリックを展開していくこの楽曲の大バズにより、彼の立ち位置は今や国内外問わず『アーティスト寄り』となり、特にBlack Lives Matterムーブメントの勢いを増す人々の間では、彼の名前は一際大きな存在感を放っている。


すっかりアメリカの代弁者たる存在となったガンビーノ。しかしながら明らかなスーパースターとなった今でも自身の信条を頑として崩すことはなく、テレビ番組ではシリアスなMVとは真逆のエンタメ性を見せつつ報道番組では怒るところは怒り、事実と反する部分は訂正する自分らしさも維持している。全くの予告なしでサプライズリリースした新作アルバム『3.15.20』では大半の楽曲タイトルが数字で構成されるミステリアスぶりでファンを驚かせたけれど、コロナ禍で憂う今日もきっと、彼は新たな計画を練っている最中のはずだ。

 


Childish Gambino - This Is America (Official Video)

 

 

恵比寿マスカッツ(職業・セクシー女優)

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一見清楚可憐なアイドルグループ。けれどもその実……という稀有な意外性が話題を呼び、取り分け『男性』から絶大な支持を集める恵比寿マスカッツ。彼女たちがにわかに脚光を浴びる理由というのはズバリ、彼女らの本職がセクシー女優であるため。正確にはメンバー全員がセクシー女優ではないにしろ、長年グループを牽引してきた主要人物は総じてFANZA等で作品を複数リリース済みの名女優ばかり。無論世界的に見ればストリッパーから転身を遂げたカーディー・ビーやレディー・ガガのように、性的職業に身を置きながらアーティストとして花開いた例も少なくはないが、前もってセクシー女優を公言し、更にその現状を売り文句として活動を行う例はない。


レギュラー番組での立ち居振舞いやキャラクター性も相まって、20代以降の層へ着々とアピールを続ける恵比寿マスカッツ。当然の如くメンバー人気は凄まじく一人のブレもなくほぼ均等にファンが付き、チェキ会では大勢の男衆が囲う。故に移り変わりの激しいAVシーンらしくメンバーが事あるごとに加入・脱退を繰り返す流動性もまた、時代に沿った形である意味好感が持てる。


楽曲についてもある種アイドル然とした構成でありながら、従来の『恋愛禁止のアイドルが恋心を歌う』という某国民的グループで散見された歌詞ではなく、恵比寿マスカッツは元々の土台がこと恋愛に関しては色々な意味で鉄壁であるため、その伝わり方は段違いだ。更に現在では先述したバラエティー番組やYouTube上の活動によって認知を伸ばし、バラエティーアイドルの立ち位置も視野に入れての活動を行っている彼女たち。言うまでもなく本業の比重が圧倒的に高い珍しいグループではあるが、彼女たちがアイドルとしての地位すら確立した時、その追い風はとてつもなく強いものになるはずだ。

 


EBISU MUSCATS (恵比寿マスカッツ) "マジョガリータ (Majogarita)" Official MV

 

 

ゲーム実況者わくわくバンド(職業・ゲーム実況者)

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HIKAKINやフィッシャーズ、スカイピース等、大々的に名を馳せたYouTuberは今や幅広い広告塔として、またアーティストとしても重宝されていることは周知の通りである。しかしながらその実態はある軽度傾向が偏っている感もあり、大半は商品レビューを行うグループという元々発信イメージが確立しているYouTuberが改めてアーティストとして開花する場合がほとんど。


けれども以下のゲーム実況者わくわくバンド(以下わくバン)は全員がその名の通りゲーム実況者であることに加え、ギター、ベース、ドラム、キーボードのプレイヤーである点において、特殊性が著しい。曲調は所謂ポップロックであり、耳馴染みの良い湯毛(Vo.Gt)のボーカルとメジャーコードを多用した直接的ロックサウンドが光る。実際スタンダードなバンドだが、その中にもキーボードが飛び道具的なサウンドを混在させてしていたりと、なかなかどうしてバンドとしての地力が極めて高いのも面白い。


現在わくバンは通算4枚目となるシングル『心誰にも』を発表。表題曲たる“心誰にも”はテレビアニメ『シャドウバース』のエンディングテーマにも抜擢されるなど、実力も折り紙つきだ。加えて来たる某日には渋谷のライブハウスにてワンマンライブも敢行。チケットは既に完売済みで、ファンの期待値の高さを雄弁に示している。アーティスト活動+YouTuberという、おそらくは世界中のYouTuberが夢見るシンデレラストーリーの渦中にいるわくバン。今後もコンスタントなスタンスが求められること必至だが、質を落とすことなく猛然と駆け抜けていってほしい。

 


ゲーム実況者わくわくバンド『心誰にも』MV

 

 

THE 南無ズ(職業・僧侶)

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ラストに紹介するのは、バンドサウンドとエンターテインメントを融合させたコミックバンド『坊主バンド』からスピンオフ式に結成されたTHE 南無ズ。なお現在約100万人ものフォロワーを抱える大喜利アカウント『坊主』の中の人は、以下に記述する飲食店『坊主バー』の元従業員である。


元々の彼らは僧侶と並行して『坊主バー』なる飲食店を経営。世間一般的に僧侶と言えばともすればある種聖人君子のような厳かなイメージが脳裏を過って然るべしであるが、笑いを広く展開する坊主バー然り笑いのエッセンスを取り入れた楽曲然り、彼らの枠を廃した驚きの活動の数々は『仏教を広めるため』との思いが主軸として垂直に立っている。確かに法事の際に飲食の場が設けられることは多々あるし、一定のリズムで数ある難語を放ち続ける般若心境もルーツは音楽。故に彼らが僧侶と並行して音楽活動を行うというのも、あながち間違ってはいない……のでは。


『現代社会における安定した生活水準はほぼ下降線』とする彼らが様々な可能性を模索する心情は至ってフラット。若者言葉を随所に取り入れた“てら・テラ・寺”がTikTokを中心に広がりを見せていることも、僧侶による新たな試みとしては秀逸。昨今は彼らの所属する別バンド・坊主バンドが映画『君の名は。』のラストシーンを盛大に模倣した『君の宗派は。』なるツイートで万バズを記録したことは記憶に新しいが、それらの試みさえも純粋なエンタメ性プラス、閲覧者を仏教への興味に導く道筋のひとつなのだろう。

 


THE 南無ズ「てら・テラ・寺」MV/The Namuzu「Temple Temple Temple」Music Video

 

 

……さて、いかがだっただろうか。音楽活動と並行して本業(副業)を行うアーティストの世界。


2021年現在、音楽はサブスクリプションやSNS、YouTubeの発達に伴って素晴らしき飽和状態にあり、個々人にとっての良い曲、悪い曲はより鮮明、かつ瞬時に分かるようになった。YouTubeでバズったYOASOBIやTikTokで話題を博した瑛人が紅白歌合戦に出場したことからもそれは明白で、様々な既存の枠組みは少しずつ廃されつつある。であるからして『音楽へ至るためのバックボーン』というのも同様に、リスナーにとってはさして重要にならないと思うし、むしろ「こんな人たちがこんな音楽を!」と驚きを纏った興味としてはプラスに働く、そんな予感もする。


今回の前後編、文字数にして1万字オーバーの記事で、読者の方々に多大な影響を及ぼすことはおそらくないけれども、新たな音楽と出会う契機としては十二分だとも思うのだ。是非とも様々なアーティストの動向に目を凝らしてみてほしいと強く願って、今記事の締め括りとする。

【前編】音楽活動と並行して本業(副業)を行うアーティスト10選

こんばんは、キタガワです。


音楽で生計を立てることを夢見る者のみがアーティストと呼ばれるサクセスストーリーは遥か昔。現在では俳優や声優はもちろんのこと、YouTuberやVTuber、果てはTwitterやTikTok発のインフルエンサーに至るまで、音楽アーティストの裾野は大きく広がりを見せていて、極端な話で言えば不変的な日常に生きる我々でさえ、ひとたびカメラ片手に口ずさんだメロディーが話題を呼んだその瞬間アーティストと名乗ることが可能な素晴らしき時代に突入した。実際、日本一の音楽の祭典と謳われる紅白歌合戦で菅田将暉やFoorin、桐谷健太、ビートたけしらが歌手顔負けの歌声を披露したことからもそれは明白で、間違いなく今後は更に様々な界隈から音楽が産み出される、言わば『ジャンルレス』のアーティストが次々台頭することは必然であろう。


今まで『映像がループするMV』や『ライブ演奏が印象的なバンド』といった風変わりな紹介を行ってきた当ブログだが今回も例に漏れず、本業(副業)の傍らアーティスト活動に精を出し話題を振り撒く、ネクストブレイク必至な総勢10組のアーティストを前後編に分けて紹介。その各組における活動の振り幅に大いに驚くと共に、音楽との新たな出会いの契機としてもらいたい。

 

 

GReeeeN(職業・歯科医師)

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もはや言わずと知れた国民的流行歌となった“キセキ”や“愛唄”をはじめ、昨今では連続テレビ小説の主題歌“星影のエール”でお茶の間にアピール。結果紅白歌合戦初出場を勝ち取るに至った4人組ボーカルグループ。


様々なメディアで語られているため広く知られている事実ではあるが、彼らの本業は歯科医師。GReeeeNがデビュー当初から本名を公開せず、更には一貫して素顔を明かしていないその理由は歯科医師としての活動に大きな支障をきたすためだ。なおGReeeeNのアーティスト写真に決まって笑顔にも似た独特な『e』の字が湾曲して並べられている理由についても笑顔になるときに見える歯並びをイメージしてのデザインで、加えてその角度がぴったり18度となっていることについても『18=いーは=良い歯』であるため。ただそんな過酷な生活を余儀無くされている渦中においても彼らの楽曲の素晴らしさはもはや説明いらずで、日本で誰も成し得ていない壮絶なダブルワークを完璧に両立している。


GReeeeNの魅力は計4名という声の厚みを生かしたボーカリゼーションで、清らかかつ耳馴染みの良いHIDE、navi、92のハーモナイズと低音域で印象度を増幅させるSOHの歌声がマッチし、GReeeeNをGReeeeNたらしめる極上のボーカル面を形成。謎の覆面グループとしてデビューから始まり、素顔を隠してライブ活動やテレビ出演を行う現在も彼らの知名度が廃れる兆しさえ見せないのは間違いなく、類い稀なる歌声にある。ハードワークの中でも決して音楽を捨てないGReeeeNは今年ニューアルバム『ボクたちの電光石火』を発売。所謂『転勤族』である関係上、現在は各自が全国各地に拠点を置きながらの活動を行っているGReeeeNだが、その勢いは留まる気配さえ見せない。

 


GReeeeN - 「星影のエール」MUSIC VIDEO

 


感傷ベクトル(職業・漫画家、脚本家)

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卓越したピアノサウンドと共に清らかな歌声を響かせる田口囁一(Vo.Gt.Piano)は過去に『僕は友達が少ない+』や『フジキュー!!!』、そして現在はコミック百合姫にて作品連載中の現役漫画家であり、対して唯一無二の相棒である春川三咲(Ba)は田口作品をはじめ、様々な作品の脚本を手掛けるシナリオライター。


故に感傷ベクトルは二人三脚で活動を行う漫画家と脚本家が、共に音楽シーンにも足を踏み入れた極めて異質なバンドという認識でほぼ間違いない。けれどもその音楽は極めて綿密に練り上げられていて、決して音楽活動を打算的に捉えていないことが分かる。事実感傷ベクトルは2012年にメジャーデビューを果たし、複数枚のアルバムを発表。彼らを知るリスナーの中には『あの田口と春川によるロックバンド』との認識と同等程度、『感傷ベクトルを好んで聴いていたが、調べた結果メンバーが偶然漫画家と脚本家だった』とする逆転現象も少なくない。


中でも彼らの知名度を飛躍的に高めた“エンリルと13月の少年”では、自身が音楽と脚本を手掛けたアプリゲーム『エンリルと13の暗号』と連動したストーリー展開で魅せるオリジナリティー溢れるサウンドメイクがてんこ盛り。全ての活動に手を抜くことなく、完成度の高い作品を制作し続けるある種焦燥的なワーカホリックぶりには驚かされるばかりだが、これこそが彼らなりの、一本筋の通った創作活動なのだろう。以降の感傷ベクトルは2016年に春川のライブ活動休止を発表し長らく沈黙を続けていたが、昨年遂に再始動。約4年ぶりとなるアルバム『In other colors』を配信リリースし、現在は漫画連載の傍ら既成概念に縛られないマイペースな活動を行っている。

 


感傷ベクトル / エンリルと13月の少年 (Music video)

 

 

WORLD ORDER(職業・格闘家、政治家)

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K-1 WORLD MAXへの出場経験も持つ須藤元気が発起人となり結成されたダンスパフォーマンスグループ・WORLD ORDER。2013年には日本パフォーマーとしては異例の日本武道館公演を完遂、テレビ番組を含む様々なメディアに出演を果たしたが、現在は須藤が政治家に転身。政治活動の多忙により実質的な活動休止中。


WORLD ORDERの何よりの魅力として挙げられるのが『整髪料で髪を固めてスーツと眼鏡を着用する』というジャパニーズ・サラリーマンのイメージを踏襲しての一糸乱れぬロボットダンス。今でこそYouTubeを流行の起点としてブレイクを果たすアーティストは珍しくないが、当時は現在と比べてYouTubeからシーンを席巻する例は少なく、更には元々某かの活動で名を馳せている人物が音楽活動を行う希少性は極めて高かった。そんな中日本の中心部でのゲリラ的なパフォーマンスMVが受け、取り分け海外圏で広いアクセスを獲得。注目が日本に伝播し、メディアが取り上げたことから火が点いたWORLD ORDERは、言わば現代流行の先駆者的立ち位置のようにも思える。


曲調は打ち込みを多用したテクノポップであり、緩やかに進行する冒頭から徐々に熱量が高まり、サビ部分で爆発する楽曲多数……という当時海外で流行していたある種分かりやすい音楽構成もまた、ダンスを基軸とする彼らの存在証明に拍車を掛けている印象が強い。単純に奇をてらった魅せ方をするのみならず、ネットでの広がりやイメージ、流行りの曲調など、多角的な視点で向き合った結果のバズだ。

 


WORLD ORDER "HAVE A NICE DAY"

 

 

Charisma.com(職業・OL)

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社会に対するリアルなヘイトをラップに乗せて放つ痛快な楽曲群が印象深いラッパー、カリスマドットコム。メジャーデビューから年月を経た現在こそ退職しているが、かつていつか(MC)は雑貨メーカーの事務、ゴンチ(DJ)は精密機器メーカーの事務職として会社に属していた所謂『OL』であり、朝夕は会社員として勤務し、夜にはアーティスト活動を行う稀有なダブルワーク状態にあった。


メジャーデビュー以後はアーティスト活動が多忙を極めた関係上、当初よりの代名詞的存在として知られていたOLとしての仕事を辞め、音楽活動に専念。しかしながら彼女らの毒舌リリックの根幹部分には、常に会社員時代にいつかが肌感覚で感じていた他者の独善的な言動や穿った倫理観がつまびらかにされていて、いつか自身がラップという行為を何よりの怒りの捌け口としていることが見て取れる。ただ、それだけのストロングポイントで留まらないのがCharisma.comが移り変わりの激しいラップシーンで生き残ってきた証明で、徹底してキャッチーなメロや矢継ぎ早に詰問するが如くのボーカルもやはり、彼女たちを語る上で避けては通れない。


現在ではオリジナルメンバーであったゴンチの脱退に伴い、実質的ないつかのソロ名義となったCharisma.com。未だ正式な音源のリリースこそないものの、再始動ライブでは新曲を続々披露するなど、次のイメージは明確だ。未だ彼女の2021年現在の活動予定は未定であるが、今後未曾有のコロナ禍を経て投下される楽曲はきっと現代社会へのヘイト以上の切れ味を伴って心中を刺すはず。故に今はその爆発の時を座して待ちたいところ。

 


Charisma.cоm / イイナヅケブルー

 

 

HANAE(職業・モデル、ランジェリープロデュース)

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うら若き少女としてのキュートアイコン的一面もありつつ、現在は音楽活動の比重を幾分減らし、かねてより自身の夢としてSNS上で綴っていたランジェリーセレクトショップのプロデュースに加え、自身もモデルとして新作商品を身に纏っての販売促進活動を行っているHANAE。


そんな現在フリーとして様々なビジネスに着手する謎多き女性・HANAEの正体は、かつて僅か16歳にして大手音楽プロダクションに所属し、“神様はじめました”や“神様の神様”といったアニメ主題歌を歌唱、更にはミュージックステーションへの出演経験も持つシンガーソングライター・ハナエ。独特のウィスパーボイスと打ち込みを多用したきらびやかな音像が鼓膜を揺さぶる彼女の楽曲群は極めてポップテイスト。けれどもその内容はと言えば曖昧模糊なフレーズが頻発する良い意味での異物感が覆い尽くしており、独自性の高いテイストが幅広く評価されるに至った。中でも彼女の名を広く知らしめる契機となった“神様はじめました”は数年前の楽曲でありながら時を越え、今やTikTok上でプチブレイク。更なるファンを生み出し続けているというのだから面白い。


前述の通り現在はランジェリーセレクトショップのプロデュース業に精を出している関係上、レコード会社を退社しフリーの身ではあるが、音楽への底知れぬ探求心は未だ健在で、ソロとは違う新たなユニットの結成や作詞、クラウドファンディングを用いたリリースも行っている。音楽家・ハナエの殻を脱し、多種多様な事柄を好奇心に委ねて取捨選択するHANAEの姿は彼女のSNSから察するに非常に身軽で、心から人生を謳歌しているように思える。

 


ハナエ - 「神様はじめました(Short Ver.)」

 

 

……さて、以上で『音楽活動と並行して本業(副業)を行うアーティスト10選』前編はここまで。次回はM-1グランプリ優勝経験を持つあの芸人や連続テレビ小説に出演する人気女優、YouTube再生通算20億回の化物コメディアンなど、幅広いラインナップでお届けする。過酷な状況に身を置く中でも、決して音楽活動に対する思いを緩めない稀有なアーティストたちの歩みを是非とも認知し、未だ見ぬ音楽との出会いに繋げていただければ幸いである。

 

→後編はこちら

The Strongest Weapon

話の発端は喧騒の果てにふいに訪れた、僅か1分程の些細な時間だった。ここ数時間、無意識的に昼飯時を過ぎた頃に赴いたのか、はたまた混雑する頃合いを見計らってのことなのかは定かではないが、半無尽蔵に押し寄せる『お客様』とタグ付けされた群衆に揉まれながら機械的な時を過ごしていた僕だったが、とある時間帯を過ぎた瞬間、あれほど目を血走らせて一直線に整列していた人々は何故か波が引くように去ってしまい、思いがけず空白の時間が到来した。

これ幸いと多忙にかまけて着手出来ずにいた釣銭と梱包材の補充、個人的な水分摂取等を試みるも直ぐ様手持ち無沙汰の状態へと回帰し、再び半径3メートル以内が沈黙に支配された。ただ現状はあくまでも一時のピークを越えた状態でしかなく、先程の混雑を鑑みるに直ぐ様第二・第三のピークは訪れると推察する。故にそそくさと持ち場を離れる訳にもいかず、僕は取り敢えずお客様が来るであろう方向を見据え、虚無的な時間を過ごしていた。

こうなると新たな試練は、沈黙との戦いである。ふと隣を見ると先日入社したばかりの男性新人スタッフが周囲に目を凝らしていて、来たるフィーバータイムに備えてアンテナを張り巡らしていることは一目瞭然だった。僕は彼の緊張を解きほぐすための免罪符……もとい、自分自身が沈黙に耐えきれなくなった現状を打破するように、柔らかに声を掛けた。

「どうすか?最近」

主語も述語もぶん投げたこのトークこそ、普段ろくすっぽ会話が出来ない、けれども心の奥底ではあらぬ沈黙に間接的なダメージを負ってしまう僕にとっての何らかのコミュニケーションを成す契機となる、最大限のジョーカー・カードだった。相手はまず会話を振られた時点で無視を決め込むことは出来ない。となれば返答の分岐はふたつに絞られる。『適当に相槌を打つ』か、はたまた『その会話を経て更なるロングトークの糸口とする』か。ただ前者の回答であっても数分間の暇潰しにはなるし、後者であればより深くその人のストーリーに傾聴出来る訳で、僕としては結果がどう転ぼうとも良かった。我ながら悪どい手法であるが、これこそが苦手な人間関係をなるたけ円滑に進めるための苦肉の策であり、幾度も繰り返すうち、いつしか口癖のようになってしまった。そんな自己防衛と虚無で塗り固められた言葉に対し、不承不承といった様子で彼は言った。

「うーん、何もないですね……」

成る程そうきたか、と思った。事前に某かのトークテーマさえ放り込んでくれればそこから広く展開させるイメージでいた僕にとっては、その短絡的な思惑はひとつ瓦解した。ただひとたび上記の話題を投げ掛ければ僕は音楽だ私はスポーツだと捲し立てる人がいる一方『完全なる無趣味』と豪語する者も若者の中には一定数いて、休日はスマホを眺めて寝て過ごすという回答に関しては今まで幾度も聴いたものである。

しかしながら、例え課金課金で暇潰しの一環としてプレイするアプリでも、定期的にアクセスする2ちゃんねるでも、生粋のロングスリーパーで15時間睡眠の果てに1日が終わってしまったとしても、当人にとってどうであれ全くの無趣味という人は実質的にはほぼ存在しない。むしろそれが何ら生産性のない代物であったとしても、トークテーマ然り将来的な価値観然り、プラスに働くのではなかろうか。……思えば僕が大学を卒業してからもう何年も経つ。故に「こうしたことを考えるのは歳を取ったからだろうか」との思いが一瞬頭をもたげるが、おそらくこの考えはおよそ間違っていて、そしておそらくは正しいのだ。

そうしたある種の尋問にも似た詰問をするうち、彼はひとつの答えへと行き着いた。

「うーん、強いて言えば最近のアニメの○○ですかね……」

何だ、あるじゃないか。確固たる趣味。それも、自分にしか無い唯一無二の武器が。将来どのような人生を歩むのか、彼の未来については知る由もない。けれども最強武器は気付かないだけで、しっかりと手持ちに入っている。事実予期せぬ回答に鼻息荒くした僕が矢継ぎ早に質問すると、登場人物の豊かな個性や重厚なストーリー展開、更にはその作品がどれほど世間的に認知されているかというデータまで事細かに教えてくれた。そう語る彼は今までに見てきたどの表情より柔和であり、その光景だけで彼にとってアニメという媒体が如何に大切なものであるのかを感じ取ることは容易だった。

……一息に彼が答え終わった瞬間、偶然にも遠くからレジを目指して一直線に歩いてくるお客様の姿が見えた。僕は「後で休憩時間の時に調べときますね」とだけ答え、通常の業務へ舞い戻った。

後の休憩時間、有言実行とばかりに冷やかしもかねてYouTubeで聴いた。結論から述べると彼が語っていた某アニメにおけるストロングポイントは全て真実で、ストーリーもキャラクター性もドンピシャだった。無論「めちゃくちゃ面白そうだな」との思いが頭を駆け巡ったが、後にそのアニメが全4クール、話数にして48話もの一大巨編であることを知り、僕は心から「聞かなきゃ良かった」と後悔したのだった。

 


竹原ピストル /よー、そこの若いの (Short Ver.)

卓越した演奏スキルで魅せるライブバンド5選

こんばんは、キタガワです。


新型コロナウイルスの影響により、未曾有の困難に直面している現在。言うに及ばず、人々の生活に親密に寄り添っている音楽もその限りではない。演劇、映画、お笑い……。考え得る限りの様々なエンターテインメントは苦難の時期に突入。取り分け音楽シーンでは今回取り上げるメインテーマたる『ライブ』が、未だかつてない危機的状況に陥っている。


周知の通り、現在では三密回避や外出自粛の煽りを受け、ライブは従来のような実際に現場に赴き体験するものではなく所謂『オンラインライブ』として画面越しで観るものと捉えられている節もある。そこで今回は、ライブシーンの中でも『卓越した演奏スキルで魅せるライブバンド5選』と題し、こんな時代だからこそ印象深い、音源とライブの比較が著しいバンドにスポットを当てて紹介していきたい。難しい状況が続いているが、苦境に立たされるライブシーンに興味を抱くのみならず、最終的にはライブハウスに赴くその契機の一端となれば幸いである。

 

 

Cornelius

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伝説的ロックバンドことフリッパーズ・ギターの主要メンバーのひとり、小山田圭吾(Vo.Gt)によるソロバンド・コーネリアス。彼らの魅力は何と言ってもグラフィックデザイナー・辻川幸一郎の映像と絶妙にシンクロしたバンドアンサンブルである。実際彼らの楽曲はCD音源においても几帳面を極めていて、一聴した瞬間誰もが「ライブでの再現は不可能なのでは?」との直感的な思いを抱く楽曲も少なくない。ただこうした超絶技巧の楽曲を難なく弾きこなすのが、コーネリアスが世界的に名を馳せている要因。特にセットリストの中盤以降におけるハイライトとして位置している“Gum”と“Fit Song”は高水準のパフォーマンスとの呼び声高く、メンバーのうちひとりでもタイミングを逸した瞬間に破綻する、キワキワの緊張感を放つライブ風景は圧倒的異次元さ。


プロモーション活動をほぼ行わないそのペースこそ緩慢だが、CDのリリース以上にライブ演奏を主とした存在証明を長らく行い続けているコーネリアス。昨今ではCM、ドラマ、バラエティー番組のワンシーンを切り取ってコラージュした“Another View Point”、マイクチェックに複雑なアレンジを施した“MIC CHECK”など、ライブならではの『映える』楽曲も多数披露。その引き出しをぐんぐんと広げている。昨今では思わずタイトルを二度見してしまう意味深な新曲“サウナ好きすぎ”を発表。フジロックが延期となり、彼の心底望む海外公演も実現不可能となった現在。けれどもそうした事象も重々理解しつつ、彼は今日も人知れずロックを鳴らしている。

 


CORNELIUS - GUM (ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW)

 

 

Applicat Spectra

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2011年に彗星の如くデビュー。以降大手音楽雑誌のニューカマーとして取り上げられるのみならず、後述する稀有な演奏で話題を博した4人組ロックバンド。惜しまれつつも2015年に解散し、現在はボーカルであるナカノシンイチ(Vo.Gt.SP)は音楽を離れ、他のメンバーは音楽活動とそれぞれ別々の道を歩んでいる。


音源ではナカノによる高音ボーカルや四次元的な歌詞にも注目が行きがちだが、ライブにおいて多くの観客が驚愕するのは前述のナカノをはじめナカオソウ(EGt.AGt)、イシカワケンスケ(Gt.syn)、ナルハシタイチ(Dr)というバイオグラフィーからも分かる通り、次から次へと楽器をスイッチするその類い稀なるマルチプレイヤーぶりだ。彼らの楽曲の魅力は宙に溶ける浮遊感溢れるサウンドであることは間違いないが、その音像の役割を果たしているものこそ、シンセパッドやシンセサイザーといった電子楽器の数々。それもそのはず、彼らはライブにおいて同機(PCに保存されたサウンドを出すこと)を徹底して行わないことを信条としており、故に彼らのステージ上の機材量ははとてつもなくライブ中、メンバーが持ち場を離れることはほぼ不可能な程。実際、多彩な音像と言うのは現代の音楽シーンではポピュラーで、特にシンセ系統の話となるとその裾野は更に広がる。けれどもほぼ大半の音をPCのみで代用可能な現代の音楽シーンにおいて、基本実機でプレイすると言うのは1周回ってレア。上記の通り、残念ながら現在は解散している彼らだが、是非とも再びの活動を願うばかりだ。

 


Applicat Spectra セントエルモ(Live Ver.)

 

 

Royal Blood

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海外が誇るロックバンドの無骨代表、ロイヤルブラッド。彼らのサウンドは至ってシンプルで、何とベースとドラムの2名のみ。無論、上記のツーピース編成はは『ロックバンド』としての最小形態。そのため彼らの真髄を最大限魅せる場であるライブ会場では、当然『CD音源との差異』に大きな注目が集まることとなる。ただそんな人々を一瞬で沈黙させるのが、ロイヤルブラッドが唯一無二の存在と語られる所以。彼らのライブでは横長に組み上げられた異様なベースアンプと要塞じみたセッティングが施されたドラムセットがサウンドの全てを担っているのだが、とにかく音圧がデカい。特にベースに関しては足元のエフェクターでこれでもかと音圧を増幅させている関係上、サウンド的にはベースと言うよりもほぼギターである。


彼らの海外人気は凄まじく、フェス等に出演する際はメインステージに据えられることが多い。しかしながらそんな中でも基本スタイルを崩すことはなく、VJ(ライブのバックに映像を投影すること)が使われることはなく、それどころかサポートメンバーさえ演奏に加わらない徹底ぶりには驚かされるばかり。ちなみにロイヤルブラッドのライブに足しげく通うファンの中にはマイク・カー(Vo.B)のミスを楽しむという一風変わったファンも少なくなく、トラブルで音が出なくなった瞬間に歓声が上がる一幕も。それはすなわち超絶なサウンドが全てマイクの指先から奏でられていることの何よりの証明であって、辛口の海外評論家さえ唸らせる多大な説得力を秘めている事実も納得。

 


Royal Blood - Out Of The Black (Glastonbury 2017)

 

 

ZAZEN BOYS

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「マツリスタジオからやって参りました、ザゼンボーイズ」の一言でお馴染み、ザゼン。彼らはNUMBER GIRLの絶対的フロントマン・向井秀徳(Vo.Gt.syn)が母体となって結成されたバンドで、現状ザゼンの楽器の大半はMVで公開されておらず、楽曲を聴くためには最低限ストリーミングサービス、若しくはCDレンタル等を用いる他ない。何故そうした手法を取っているのかと言えばもちろん、彼ら自身ライブバンドとしての確固たる心情を持っているからだ。


ライブで彼らの楽曲がCD音源のままのパッケージングで披露されることはまずもってなく、シンセサイザーの有無はもとより楽曲のブレイク、キメ、展開は自作のハイボールをチビチビ呑みながらライブを行う向井のアドリブに大きく左右され、楽器隊が必死に追随するスタイルがザゼンの真骨頂。結果向井以外の誰も予想出来ない……と言うより向井自体も制御を放棄したカオスのライブが話題を呼び、気付けば約8年間に渡って正式音源をリリースしていないにも関わらずライブは都度ソールドアウト。そのカルト的人気を体現している。


以下に記した“泥沼”ではへべれけになった向井が観客へレスポンスを促す場面が観られるが、別動画ではメンバー全員を呼び寄せてコーラスを任せたり(“kimochi”)、緊張感ある一糸違わぬ演奏を繰り広げたり(“COLD BEAT”)と、まさにライブは絶頂の連続。実際筆者が体験したものとしては何故か向井が不得意なロボットダンスをかます、言語化不能のラップを連発する、楽曲中にスタッフを呼び寄せてハイボールを作らせるといった一幕も。図らずも鋭利なロックを鳴らすNUMBER GIRLとはまた違う魅力で注目を集める彼らのライブは、いつまでも観ていたい麻薬の如き依存性に包まれている。

 


ZAZEN BOYS - 泥沼 @ ボロフェスタ2013

 

 

あぶらだこ

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1983年結成。フジロック出演経験もあるロックバンドの礎を築いた歴史的サイケロックバンド・あぶらだこ。今までにリリースしたアルバムタイトルは全て『あぶらだこ』(CDジャケットを模して“月盤”、“青盤”、“亀盤”、“船盤”等と呼ばれる)、長年活動を行っていないにも関わらず活動休止宣言なし、そもそも何を歌っているか分からない等、そのバンドの実態は未だ謎だらけで、枚挙に暇がないカオスっぷり。


そんな彼らの魅力と言えば、不協和音にも似た変拍子の連続で形成される、クレイジーなサウンドメイク。実際『サイケデリックバンド』とジャンル分けされるアンダーグラウンドな音楽というのは、基本的に性質自体が異次元的であったり、演奏する当人が何らかの奇妙さを携えていることが多い。けれどもあぶらだこは一貫して『サウンドが狂いに狂っている』バンドで、下記の“冬枯れ花火”のMVでは脳の許容量を遥かに凌駕する圧倒的な情報が鼓膜を刺激する。ただ驚くべきは、一見アドリブで演奏されているように見える様々な楽曲は何百何千と練習を繰り返した果てに織り成されたものであり、事実公開されている希少なライブ映像ではCD音源と同様の演奏に徹し、意図的に変態性を作り上げていることが分かる。故にあぶらだこのライブでは、長谷川裕倫(Vo)によるボーカル面よりもサウンドに陶酔する聞き方がセオリー。現代の音楽シーンではおよそ考えられないが、こうしたバンドが第一線で活躍していた時代は間違いなくかつては存在し、そうした歴史があるからこそ今の音楽シーンがあるということは、ゆめゆめ忘れてはならない。

 


あぶらだこ - 冬枯れ花火

 

 

……さて、いかがだっただろうか。卓越した演奏スキルで魅せるライブバンドの世界。前述の通りコロナウイルスの世界的蔓延によりライブシーンは窮地に陥っていて、おそらく完全に元通りになるには更なる時間がかかると推察する。ただ多くのアーティストの年間活動がかつて『アルバムリリース→全国ツアー』という流れに沿っていたように、アーティストをアーティストたらしめるアクション、それこそがライブであることは今も不変だ。


だからこそ、現在自粛自粛で沈痛な思いで日々を生きるアーティスト側から見ても、今後の希望的未来……すなわちコロナ収束後のライブ活動は凄まじいバイタリティーを伴ったものになることは必然と言える。そしてそうした強い思いで敢行されたライブへの参加を決めるのは、他でもない我々。コロナ収束後には、きっと今記事で取り上げたような素晴らしいライブバンドが貴方を待っている。故にそれまでに是非ともこの自粛期間中、出来るだけ多くの人々に来たる参戦に備えて様々なバンドに思いを馳せてほしいと、強く願うばかりである。

【ライブレポート】ヨルシカ『前世』@八景島シーパラダイス

こんばんは、キタガワです。

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これまであっただろうか。『ミステリアス』という言葉がここまで適した瞬間が。ヨルシカ史上初となるオンラインライブ『前世』。それは今やインターネットシーンのみならず、日本の音楽シーン全体を通しても絶大な支持を集めるアーティストの一組となったヨルシカらしさを凄まじい経験でもって体現する、あまりに異次元的な一夜であった。


定刻前になると画面はエイ、シュモクザメ、マイワシの大群など多くの魚が回遊する巨大水槽の内部へと切り替わる。後にn-buna(E.Gt)のツイートにて、この場所が横浜市金沢区に位置する水族館・八景島シーパラダイスであることが明かされたが、この時点ではそうした事実は露知らず。故に実際の水族館で誰もが無意識な行動として取るように、ただただ行き交う魚に目を動かすのみである。無論こうした試みは開幕までの待ち時間を体感的に僅かなものとするために設けられたものであろうが、魚たちによる自由な回遊は元より、時折射し込む光の屈折やブクブクとした音さえも目にも耳にも楽しく、開幕までの待ち時間は体感的にはごく僅かだ。


暫しその光景に目を泳がせていると、画面にはいつしか幾何学的を模した謎の紋章がいくつも浮かび上がり、次いで長針と短針を有した時計とおぼしき物体が出現すると針が高速で逆回転。そしてすっかり暗黒に包まれた画面上にじんわりとヨルシカのアーティスト写真が出現すると、カメラは複数のバイオリンが織り成す壮大なSEと共に水槽の内部から徐々に後退する形で遠ざかっていく。カメラの移動が限界に到達するとそこは水槽の外……つまりは八景島シーパラダイスにおける実際の観賞空間で、画面左側から今回のライブを彩るストリングセクション・村田康子ストリングスからバイオリン2名、ビオラ、セロから成る4人のメンバーと、サポートメンバーとしてかねてよりヨルシカの活動を下支えしてきた平畑徹也(Pf)、首謀者にしてメインコンポーザーであるn-buna、下鶴光康(A.Gt)、キタニタツヤ(Ba)、Masack(Dr.Perc)が横一線に並び、そこから数メートル先の起伏した段差の頂上に据えられた椅子に腰かけているのは、ヨルシカの絶対的フロントウーマンたるsuis(Vo)。なお会場内は背後に据えられた巨大水槽がもたらす僅かな明るさのみで発光的なライトが照らされることはなく、更にはヨルシカの2人、並びにサポートメンバーは黒い照明が当てられているのか、その姿は完全なるシルエットと化し、表情はおろか服装の色合いも、輪郭に至るまでが一切判別不可能。その極めて非日常的な光景が、ぐんぐんと内なる興奮を高めていく。

 


ヨルシカ - 藍二乗 (Music Video)


ストリングス主体の壮大なSEが穏やかに鳴り終わると、カメラは全体を映すカメラワークから一転、椅子に座り精神統一を図るsuisにフォーカスを当てていく。そしてsuisが顔を上げ一息つくと、決意を込めてとある一節を歌い始める。そう。オープナーとして選ばれたのはフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』のリード曲たる“藍二乗”である。suisのボーカルと少ない音数で魅せるその開幕こそ穏やかであったが、suisが《空っぽな自分を今日も歌っていた》と吐露した直後、楽器隊が音の塊を鳴らし、ボルテージは一気に沸点へと到達。多種多様な音色が渾然一体となり鼓膜を揺さぶる、極上の音楽空間が形成された。激しいサウンドとは裏腹にサポートメンバーは地に足着けた演奏でどっしり構え、n-bunaは素早い単音弾きとチョーキングを駆使した飛び道具的な演奏で印象部を奏で、suisはと言えばボーカル的高低差を空いた左手と顔を上下に動かし高らかに響かせている。バンドメンバー、及びsuisは基本的に視線を下げていて誰ひとりとして視線を合わせることはなかったけれど、一点の曇りもないサウンドメイクには相当な練習量と、何より双方向的な信頼を感じさせる。もはや言うまでもないが、ヨルシカは表舞台に出ることはなく、ライブの回数も極めて少ない。故にヨルシカを知る大半のリスナーにとってはCDやサブスクリプション、若しくはYouTube上に挙げられたMVであると推察するが、それらの媒体と比較しても今回のライブはほぼ遜色ないどころか、それ以上の凄まじい臨場感である。


今回のライブは事前に発表があったように全編アコースティック編成。故に下鶴がエレキギターでなくアコースティックギターに持ち換えていたり、Masackがパーカッション要素を担うなど正規の音源とはまた違った音像で再構築し、アコースティックならではのアレンジで、結果として原曲を何度も聴いたことのあるリスナーにとっても驚きに満ちた新鮮なサウンドの楽曲が並ぶ結果となった。実際アコースティックと言えばやや物足りなさを覚える可能性も否めないが、所謂『アコースティック感』に食傷気味になることは一切なく、今回のライブがsuisを含め計10名の大所帯となったことからも分かる通り、奥行きのあるサウンドでかつSuisのボーカル的魅力も、強く感じることの出来る素晴らしきアレンジであったように思う。


セットリストに関しても特別仕様。2019年に行われたライブツアー『月光』では『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』から成る対になる2枚のコンセプトアルバムからセレクトされ、彼らの名を広く知らしめる契機となった他のミニアルバムの楽曲は一切演奏しないという挑戦的なセットリストで構成されていたが、今回のライブは今までにリリースされた作品から幅広く選ばれ、現時点におけるヨルシカのベスト的なセットリストで展開。具体的には全17曲(インタールードを除くと14曲)中およそ12曲が公式にMVが制作された楽曲という大盤振る舞いだ。

 


ヨルシカ - だから僕は音楽を辞めた (Music Video)


“藍二乗”後は、最終的に音楽を挫折するに至った青年・エイミーを観測者とする『だから僕は音楽を辞めた』と、エイミーに影響を受けた少女・エルマが楽曲を手掛けた『エルマ』から“だから僕は音楽を辞めた”、“雨とカプチーノ”、“パレード”の3曲が投下されると、平畑によるダンサブルなソロ演奏が進行。小気味良いリズムに暫く耳を蕩けさせていると、次第にその打鍵に楽器隊がジャムセッションの如く追随するとn-bunaによる印象的なギターリフが次曲を想起させるように響き渡る。そして焦らしに焦らした助走の後、suisが『かの一言』を呟くと、ロックな音色が猛然と雪崩れ込んだ。そう。次なる楽曲はヨルシカのファーストフルアルバム『夏草が邪魔をする』収録曲にして代表曲の一端を担う“言って。”。

 


ヨルシカ - 言って。(Music Video)


ヨルシカの数ある楽曲の中でも、極めてロック色の強い“言って。”。声色を変化させて足の爪先をしきりに上下しリズムを取り、より中性的な魅力を宿らせたsuisによる軽やかな歌唱をはじめ、無意識的なヘッドバンギングを幾度も繰り出して演奏を行っていたキタニや、スティックをいつになく大振りに打ち下ろす平畑らサポートメンバーのアクションも心なしか激し目。首から下のみをカメラに収められていたn-bunaもその表情こそ見えないが、饒舌に主張を繰り広げるギターサウンドから察するに非常に楽しげだ。後半の歌詞で明かされるように“言って。”の深意は言語的な『言った』と死去的な『逝った』のダブルミーニングであり、確かにセンシティブな内容を扱ってはいる。ただそうしたハッピーサッドなアッパーさも『ヨルシカらしさ』のひとつ。楽曲は余韻を残さず終幕し、本来のライブであれば多数の拍手が鳴り響いて然るべしな状況と完全に逆行する沈黙に支配されたが、そうした沈黙さえ楽曲のメッセージ性をより際立たせているようでもあり、強く印象的に映った。


ここからは中盤らしく、盛り上がりに導かんとばかりにアッパーな楽曲が続く。まずはキラーチューン“ただ君に晴れ”が定位置から移動したsuisが楽器隊の演奏をテレビ越しにウォッチングしながらの歌唱で届けられ、様々な事象を先生へ詰問する“ヒッチコック”と売春をテーマに穿った主張を展開する“春ひさぎ”が海外のラジオを彷彿させるコラージュ的インタールード“青年期、空き巣”を挟んで鳴らされる。そしてMasackが次の楽曲に移行する合図たるカウントを声高に叫ぶと、“思想犯”と“花人局”が圧倒的な叙情を携えて響き渡った。

 


ヨルシカ - 思想犯(OFFICIAL VIDEO)


この2曲が収録されたフルアルバム『盗作』では、音楽の盗作を試みた男による悲しき物語が描かれ、その内容自体もタイトルの通り、国内外問わず様々な芸術家の作品から着想を得た作りとなっている。その中でもn-bunaがジョージ・オーウェルの小説や尾崎放哉の俳句から着想を得たとされる“思想犯”は取り分け、男にとってのある意味では愚行、けれどもある意味では最終選択となる盗作行為を自己正当化する楽曲となっており、サウンド面についてもアコースティックギターとストリングスを軸としたアレンジではあるものの今回披露された楽曲の中では突出して荒々しく、まるで男の心中に燻り続ける葛藤を体現しているよう。対して“花人局”では男が盗作を犯す要因となった『妻との別れ』に焦点を当てた作りとなっていて、その重厚なストーリーのキーポイントたる役割でもって、物語を想像させる。いつしか背後の青々とした水槽に垂らされた照明は赤紫に染まっていたが、それすらも男の精神に間接的に影響を及ぼす、妻が残した《窓際咲くラベンダー》と楽曲のラストで歌われる《夕焼けをずっと待っている》のフレーズに間接的な意味合いを持たせていた。

 


ヨルシカ - 春泥棒(OFFICIAL VIDEO)


ストーリー色の強い2曲が終わり、早いものでライブも後半戦に突入。椅子から立ち上がったsuisによる高らかな歌唱が空間に溶けた新曲“春泥棒”、牧歌的なインタールード“海底、月明かり”、情景と重ねつつひとりの人物に思いを馳せる“ノーチラス”、エイミー視点でエルマとの日常を描く“エルマ”……。前述の通り今回のセットリストは公式YouTubeチャンネル上のMV楽曲が中心に据えられていたが、ここでの演奏曲は前半と比較すると、BPM的には幾分穏やかだ。ただ確かにひとつのデータとして彼らの魅力は先に演奏された“言って。”や“ただ君に晴れ”、“だから僕は音楽を辞めた”といったアッパーな楽曲が数字的にはバズを記録しているけれど、思い返せばアルバム全体のメッセージ性をより深く結び付ける役割にはいつもヨルシカのストーリーテラーであるn-bunaは、こうした緩やかな楽曲にこそ担わせていた。しっとりと歌い上げるsuisの歌唱も相まって趣深く緩やかに、そして確実にクライマックスへの道程を形作っていく。


Masackによるリズミカルなドラムとn-bunaの単音の連発、その音に乗るsuisによる幾度も繰り出される『あ母音』のコーラスの果てに雪崩れ込んだ最終曲は“冬眠”。ほんの少しばかり全体に点った照明に照らされたサポートメンバーは一様にアグレッシブな演奏に終始し、原曲においても楽曲に彩りを与えていたストリングスは数的にも音圧的にも映え、ダイレクトに鼓膜に侵入。原曲とほぼ同様、しかしながら音圧的なブラッシュアップを遂げた結果、おそらくは今回のライブで最も強い臨場感を携えた“冬眠”はぐんぐんと鼓膜へ侵入。動物における冬眠の時期である秋冬を経て、未だ見ぬ未来へ希望的な思いを届けていく。原曲と比べて明らかな長尺となったラスト、suisによる呟きにも似た 《君とだけ生きたいよ》とのフレーズが繰り返される中、ラストに向けてぐんぐんと音圧が上昇。完全なるシルエットと化したsuisの姿を映していた画面はいつしか真っ白な光に包まれ、水槽をバックにスタッフロールが流れ。かくしてヨルシカ史上初となるオンラインライブ『前世』は、名状し難い読後感を携えながら終幕した。


素顔を明かさない匿名性。アルバム1枚にメッセージを込める物語性。アッパーもバラードも、完全なる両刀使いな音楽性……。此度のライブは端的に表現するならば、ヨルシカという霧に包まれたバンドの存在証明を、これ以上ない環境で見せ付けるライブであったように思う。MCが一切挟まれなかった関係上、彼らが記念すべき今回のオンラインライブに『前世』を冠したその深意についてもまた、最後まで語られることはなかった。ただ今回のライブのセットリストの中心を担っていた計4つのミニ・フルアルバムは異なる他者の視点で見るそれぞれの人生を描いており、言わば今までのヨルシカにおける総括の意味合いを強く感じさせるものでもあったのもまた事実で、彼らの前世の記憶は度重なる困難と幸福の果てに終着した。来たる27日には待望のEP『創作』のリリースも決定しているヨルシカ。彼らの歩みは未だ序章であり、本当の本編はここから始まる。……今回のライブで彼らはその決意を、圧倒的なパフォーマンスでもって、まざまざと見せ付けてくれた。

 

【ヨルシカ『前世』@八景島シーパラダイス セットリスト】
Overture
藍二乗
だから僕は音楽を辞めた
雨とカプチーノ
パレード
言って。
ただ君に晴れ
ヒッチコック
青年期、空き巣
春ひさぎ
思想犯
花人局
春泥棒(新曲)
海底、月明かり
ノーチラス
エルマ
冬眠

音楽の灯

ふと目が覚める。時刻はまだ昼前。事前に設定した時計のアラームより少しばかり早く起床した僕は、ゲームで暇を潰そうと思い至る。けれどもプレイ中も思考は宙を彷徨うばかりで、一向に手に付かない。早々に諦めた僕は最寄りのCDショップに赴き、円盤を物色する。時間をもて余しているためにその目には迷いはなく、巨大なPOPで展開されているヒットチャート上位のアーティストやかねてより気になっていた新人アーティスト、果ては普段はほとんど聴かないはずのアイドルグループの作品をも手に取り、片っ端から傍らの視聴機にかける。そこで少しでも心が震えたアーティストはスマホにメモし、帰宅後のひとつの楽しみとする。

そうしたある種無意味的……けれども絶対的に意味のある数時間を繰り返した後、ようやっと待ち望んでいた時間が迫っていることを自覚する。慌てて店の扉を明けて外に出ると、目的地に向かって早足で移動する。僅かに息を切らし辿り着いた目的地では、既に係員が街中にはおよそ似つかわしくない大声で、番号を読み上げている。「整理番号10番から20番までの方ー!」……。

かつて何十となく繰り返した素晴らしきルーティーンは、今や遥か昔に訪れた蜃気楼じみた不鮮明さでしか思い出せない。思えば鬱屈したコロナ禍に見舞われた2020年、僕は「来年はライブに行ける」との吹けば飛ぶような淡い期待を胸に、日々を生きてきた。決して安くない金を財布に仕舞い、島根県から県外へ赴く。そうした金銭的にはまずもって最悪、けれども何よりも素晴らしき日々が消え去ってから、まもなく1年が経とうという時期に発令された緊急事態宣言。感染者が数十人規模で推移していた以前と比べ、御存じの通り感染者数の推移は現在、東京だけでも数千人規模に膨れ上がっている。故にライブシーンには再び暗雲が立ち込めたと、そう断言して然るべしだろう。

この1年で世界は空転し、外食産業や娯楽施設など所謂『不要不急』の事象は完全にとはいかないまでも、ほぼ日常生活から断裂された。そして今、仕事や飯の調達といった言うなれば『有要有急』の生活を長らく続けて感じたひとつの結論がある。それは僕個人に照らせば、おそらく自粛生活じみた日常は「人間らしい生き方ではない」ということ。

そう。カラオケもたまに赴く居酒屋も、その全てはクソッタレで無為な日常を彩る大切なスパイスであり、一言で『不要普及』と括られる代物ではなかったのだ。そして僕自身にフォーカスを当てれば、全てを忘れ、また生きる糧として捉えていたのは何より『ライブ』だった。金なし地位なし女なし。ないない尽くしの生活の中で、ライブ参戦は何よりの趣味でもあり、唯一の希望と称して差し支えない程、絶対的な生きる理由であったのだ。他者からすればさぞかし一生に付されて然るべしな日常であったろうが、あの日々は確かに幸福だった。

コロナウイルスは間違いなく数年後……例えば2年後には改善に向かうだろう。けれどもその地点に到達した瞬間、僕自身は2年の歳を重ねている訳で、何より当時アルバム、ないしはシングルをリリースしていたアーティストもそれから2年が経ち、新曲に着手し、コロナ禍に発売された楽曲はすっかり過去の作品となっているに違いないし、待ち望んだライブツアーが開催されたとしても、2020年に発売されたアルバムの楽曲がセットリストの大半を担うことはまずもってない。中にはライブが思うように出来ない現状に辟易し、音楽活動自体を停止してしまうアーティストもいるだろう。「失ったものがあれば今後の人生で取り返せば良い」とはよく聞くが、「失ったものは決して戻らない」という真理もまた、抗えない現実として垂直に立っている。

ただ皮肉なことに、そんな絶望の中でも希望的未来を感じさせてくれる存在はやはり音楽なのだ。無論『ライブに行けない』……。つまるところライブでの演奏を度外視した音楽が発達することは絶対的に避けられず、所謂ライブバンドやMCバトルラッパーにとっては非常に苦しい時代になるとは思う。ただ海外でコロナ禍を歌ったテイラー・スウィフトのアルバムが100万枚を超える売上を記録したことも、宅録アーティスト(全ての楽曲を自宅で制作しリリースするアーティスト)が新時代のニューカマーとして名を馳せていることも、歌詞中にコロナへの鬱憤をぶち撒けるラッパーがブレイクする等、辛い2020年が無ければ決して生まれなかった素晴らしい音楽も、絶対に存在するのだ。

悪夢の2020年を経て、早くも悲劇的な危機に瀕している2021年。ただ困難に直面しようとも、あらゆる音楽は貴方の一番近くで、優しく背中を叩いている。どうかこうした時代だからこそ、今以上に音楽が日常に彩りを与えてくれますように。……音楽の灯は、まだ消えるには早すぎる。そしてその灯を守る防護壁は何より、音楽を愛する我々が担わなければならない。

 


BiSH / LETTERS [REBOOT BiSH] @ 国立代々木競技場 第一体育館

【ライブレポート】amazarashi『末法独唱 雨天決行』@真駒内滝野霊園

こんばんは、キタガワです。

 

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思いがけず全国的に雨模様となった某日。amazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』が、札幌は真駒内滝野霊園より全国に届けられた。昨今のコロナ禍ですっかりオンラインライブの裾野は広がりを見せ、日々多くのアーティストが画面越しに熱演を繰り広げているが、そんな中行われた今回のamazarashiのライブは、コロナ禍で誰しもの心に暗雲が立ち込める今だからこそ、逼迫が続くリアルと改めて前向きな意思を伝える切なるメッセージ・ライブであったと言えよう。


開演時間の少し前にアクセスすると、そこには秋田ひろむ詞曲のおどろおどろしいBGM、その名も“雨天念経”がリピート再生で延々と流れ続ける中、『開演迄◯分◯秒』とのカウントダウンが刻々と迫るミステリアスな画面がお目見え。設置されたコメント欄には、リアルタイムで集まった多数のファンによる開演を待ち望む声が、もはや追うことが不可能な程のハイスピードで流れ続けており、来たるライブへの期待を底上げしていく。暫しの待機時間の後にカウントダウンの残り時間が1分を切ると、全国ツアーの延期、そして約数十秒後に迫ったこの日のライブの思いを綴ると共に「やむにやまれぬ歌から始まったamazarashiの十周年を迎えるのが、やむにやまれぬライブであるのは必然なんだと感じています」との言葉で締め括られる秋田ひろむ(Vo.G)のコメントが大写しに。気付けば“雨天念経”のBGMは止んでいて、完全なる無音空間が支配。必然内面的な緊張が高まる感覚に陥るが、思えばそれはかつてamazarashiのライブにおいて開演時間を過ぎた辺りで感じていた、あの興奮にも良く似ていた。


ライブは定刻ジャストに開演。ゲーミングキーボードでプロジェクションマッピング画面を操作するスタッフの一挙手一投足、僅かに聴こえるギターチューニング……。『Loading Disaster MOD…』と表示された画面のロードが終了。開始を伝えるスタッフの声が飛ぶと、ステージ上でギターを構える秋田へ、定点カメラがフォーカスを当てる。画面中央でチューニングを試み、臨戦態勢を整える秋田。秋田の表情は照明により完全に逆光となり、顔の輪郭さえ判別出来ないのはかつてのライブと同様だ。ただ今回のライブはamazarashi初となるオンライン。故にステージ上には多数の試みが詰め込まれていて、まず印象的に映るのは背後に聳え立つ全長13.5メートルもの大きさを誇る頭大仏で、その運命的瞬間をその眼下に収めんとどっしり鎮座。更には演奏場所が天井がぽっかり空いたほぼ野外である関係上、秋田の姿は音を逃がさないため四方に設置された透明のアクリルパネルに囲まれる形で、秋田の手の届く距離にはストローを挿したステージドリンクの他、縦長の暖房器具も完備。そしてツイッターで事前募集された「令和二年にやるせなかったこと」をテーマとしたメッセージの数々が刻まれた『雨天献灯』が、幾つもステージのそこかしこに点在し、炎を揺らめかせている。

 


amazarashi 『夏を待っていました』


秋田による緩やかなギターストロークの果てに鳴らされたオープナーは、メジャーミニアルバム『爆弾の作り方』より“夏を待っていました”。事前に告知されていた通り、今回のライブは全編秋田ただひとりによる弾き語りスタイル。amazarashiの楽曲は結成当初よりのオリジナルメンバー・豊川真奈美(Key)を始め、両脇を固める多数のサポートメンバー、更には打ち込みのサウンドも相まった重厚なアンサンブルが大きな魅力のひとつとして位置しているが、今回はそうした楽器隊が織り成す音圧を廃した裸一貫の演奏に終始。ともすれば地味な印象を抱かれかねない孤軍奮闘。けれどもそうしたスタンドアローンの姿勢はむしろプラスに働いている印象で、秋田のフロントマン然とした歌声とamazarashiの楽曲に込められたの説得力を、最も雄弁に伝える手段として、垂直に立っていた。


臨場感に拍車をかけた外部的要因のひとつが、背後に据えられた頭大仏の存在。頭大仏とその周辺の空間には綿密なプロジェクションマッピングが施されていて、大仏本体には星屑、炎、雨といった物体的な映像を、対して大仏を覆うように広がる空間には実際のamazarashiのライブよろしく歌詞を列挙することに加え、楽曲のシーンごとに色彩変化が都度投影され、その姿を楽曲ごとにガラリと変貌させていく。加えて頭大仏の眼下には世界各国における現時点でのコロナウイルスでの累計感染者数、死亡者数の詳細が次々更新される形で映し出されていて、今回のライブが間違いなくコロナウイルスがなければ実現に至らなかった事実と、コロナとの共存を強制された今現在の自嘲的ネガティブ感を携えて鼓膜を揺らす。


今回のライブで披露されたのは、10年間に及ぶamazarashiの歴史の中から、広いレンジでセレクトされた全17曲。取り分け前半部では“あんたへ”、“無題”、“ワンルーム叙事詩”を筆頭とした半径3メートル以内の幸福と憂鬱を、後半部では昨年リリースされたニューアルバム『ボイコット』、そして今回のライブの数日後にリリースされた待望のEP『令和二年、雨天決行』収録の楽曲群を軸に構成されていた。おそらくはどのような状況下で出会ったのか、またどのような精神状態でその楽曲と向き合ったかでリスナーそれぞれの此度における『印象深い楽曲』は異なって然るべしだが、その全てに強い秋田の思いと、短編集をよみ進めるが如くの深い読後感を抱かせるものとなった。加えて曲間には基本的に次曲への布石の役割を果たすポエトリーリーディングが挟まれていたことも、否が応にも続いて鳴らされる楽曲を推理してしまうエンタメ的効果を成していて、此度のライブにおける強いメッセージをより際立たせる効果をもたらしているようでもあった。

 


amazarashi 『無題』


中でも前半の印象部として映ったのは、とある絵描きと彼女による二人三脚の制作過程をつまびらかにする“無題”。本能のままに作品を量産する主人公の姿も、それを献身的に支える彼女も、主人公が最高傑作とする《誰もが目をそむけるような 人のあさましい本性の絵》を描いた瞬間に潮が引くように去る人々も。それは言わば現代のネットリテラシーの縮図のようでもあるが、演奏前のポエトリーにて「だから僕は、誰にも聴かせる予定が無くて、誰にも必要とされていないその寂しい歌を、せめて『無題』と名付けた」と語られたことからも分かる通り、これはかつての秋田自身の生き写しでもある。前述の希望が打ち砕かれる《信じてたこと 正しかった》が《信じてたこと 間違ってたかな》と変換された直後、大仏の顔にヒビが入り、次いで顔、胴体と、次々に剥がれ落ち、ラスサビに突入するとその崩壊は一層激しさを増し、最終的には大仏の姿そのものが消失。完全なる黒に包まれたバックスクリーンに《正しかった》の文字のみが踊る万感の幕切れは、観るものに多大な印象を残したことだろう。


圧倒的叙情を携えながらライブは続き、『ボイコット』のオープナーに冠されたポエトリー楽曲“拒否オロジー”で社会への反抗を描けば、早くもライブは折り返し地点に突入。残酷な現実からの救出(逃避行)を描く“とどめを刺して”、クリスマスを数日後に控えたこの日久方ぶりにセットリスト入りを果たした“クリスマス”、コロナ禍を契機に憂いを帯びる心情を歌った“曇天”と間髪入れずに続き、ライブは今だからこそ強く訴えかける“令和二年”でもって、ひとつのハイライトを迎える。

 


amazarashi 『令和二年』“A.D. 2020” Music Video | Giant Buddha Projection Mapping


“令和二年”で歌われるのはそのタイトルの通り、昨年突如として世界中を混乱の渦に陥れ、今なお収束の見通しの立たないコロナ禍における憂鬱である。ソーシャルディスタンスやマスク着用、外出自粛といった誰しもに当て嵌まる自助行動のみならず、その他諸々の自制と強制停止を余儀無くされた令和二年は、今まで当たり前だと思っていたことがその実、決して当たり前などではなかったということを痛感する1年であったはず。“令和二年”をプレイする秋田の歌声こそ優しく語り掛けるように穏やかだが、歌われる内容は極めてシリアスかつ無希望的だ。背後の大仏の顔面はいつの間にやらガスマスクを装着した完全防備で、更にはその下半身には立入禁止テープを彷彿とさせる黄色と黒の斑模様が胸が詰まる閉塞感を増幅。個々人の孤独と封鎖された公園に咲く桜、職の減少に反比例して高まる支出の果てに歌われた《見捨てられた市井 令和二年》のフレーズでは、言葉の間には「せい」なる『SAY(言え)』にも似た響きが確かに挟まれる。実際この一幕は実際の音源にも加えられてはいたものの、無論amazarashi、ひいては秋田が楽曲中に観客にレスポンスを求めることは絶対的にないという観点から考えても、コロナ禍における人々の心情を近付けるが如くのこの一幕には、思わずハッとさせられた次第だ。


そしてライブは、気付けばクライマックスに突入。冒頭、ポエトリーとして“つじつま合わせに生まれた僕等”のMVにおける前口上が秋田の口からから放たれると、画面上に表示されているプロジェクションマッピングのモードが『type:amazarashi』に変化。万感のラストを飾るのは、ライブにおける代表的アンセム“スターライト”である。

 


amazarashi 『スターライト』


今まで徹底して照明的な役割を果たしてきた大仏には、ギョロギョロと視線を変える多数の目玉が出現し、秋田、ひいてはamazarashiの進む先を監視するようにライブを見守っている。秋田はギターを力強くストロークしつつ、先の見えない絶望の中に確かに輝く、一筋の光を追い求めていく。かつては秋田自身が経験した長い下積み生活の中、希望的未来を切望する意味合いが強かった“スターライト”はこの日、コロナ禍に憂う人々への一筋の光として高らかに響き渡っていた。秋田のラストを告げる秋田がギターストロークを掻き鳴らすと、これまで投影されてきたプロジェクションマッピングを網羅する形で映像が次々と大仏に映し出され、秋田がギターをミュートした瞬間、遂には大仏の姿自体が完全に消滅。そして楽曲が終わり、ボソリと秋田が「ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた瞬間に暗転。amazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』は、終演を告げるエンドロールと共に緩やかに幕を閉じた。


……amazarashiは既知の通り、秋田の心に巣食うあらゆる感情を音に乗せて直接的に吐き出すバンドであり、かつては秋田が自分自身の憂鬱の捌け口として綴っていた楽曲群は、今や巡り巡って同じように日々希死念慮に苛まれ、生き辛さを抱える精神的弱者に寄り添い、傷心を解きほぐす代弁者たる役割を担っている。ただ今回ギターと歌のみで奏でられた17曲はそうした意味合い以上に、新型コロナウイルス下の現在におけるある意味ではポジティブ、そしてある意味では自傷的なメッセージを携えていたように思う。


新型コロナウイルスは未だ終息の見通しは経っておらず、現在では所謂『第三波』と呼ばれる新たな局面に突入している。今回のライブを秋田がどのような思いで試みたのか、その真意について当然ながら一切公にはされていない。けれども当時国内に蔓延していた感染症の収束を願うことを祈願して奈良の大仏が造立された事実が示しているように、頭大仏の眼下で行ったことにも大きな意味があると推察するし、現状ツアーが1年コロナ禍を起因として1年以上の延期が決定している今、彼がどれほどの思いでライブを駆け抜けたのかは想像に難くないだろう。……絶望の令和二年を抜け、希望の令和三年へ。未曾有のコロナ禍だからこそ敢行された此度の『末法独唱 雨天決行』は、紛れもなく現在進行形で暗い世情と闘う誰しもの心に、某かの強い感情を抱かせる代物であった。


【amazarashi『末法独唱 雨天決行』セットリスト】
夏を待っていました
未来になれなかったあの夜に
あんたへ
さよならごっこ
季節は次々死んでいく
無題
積み木(インディーズ時代未発表曲)
ワンルーム叙事詩
拒否オロジー
とどめを刺して
クリスマス
曇天(新曲)
令和二年(新曲)
馬鹿騒ぎはもう終わり(新曲)
夕立旅立ち
真っ白な世界
スターライト