こんばんは、キタガワです。
思いがけず全国的に雨模様となった某日。amazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』が、札幌は真駒内滝野霊園より全国に届けられた。昨今のコロナ禍ですっかりオンラインライブの裾野は広がりを見せ、日々多くのアーティストが画面越しに熱演を繰り広げているが、そんな中行われた今回のamazarashiのライブは、コロナ禍で誰しもの心に暗雲が立ち込める今だからこそ、逼迫が続くリアルと改めて前向きな意思を伝える切なるメッセージ・ライブであったと言えよう。
開演時間の少し前にアクセスすると、そこには秋田ひろむ詞曲のおどろおどろしいBGM、その名も“雨天念経”がリピート再生で延々と流れ続ける中、『開演迄◯分◯秒』とのカウントダウンが刻々と迫るミステリアスな画面がお目見え。設置されたコメント欄には、リアルタイムで集まった多数のファンによる開演を待ち望む声が、もはや追うことが不可能な程のハイスピードで流れ続けており、来たるライブへの期待を底上げしていく。暫しの待機時間の後にカウントダウンの残り時間が1分を切ると、全国ツアーの延期、そして約数十秒後に迫ったこの日のライブの思いを綴ると共に「やむにやまれぬ歌から始まったamazarashiの十周年を迎えるのが、やむにやまれぬライブであるのは必然なんだと感じています」との言葉で締め括られる秋田ひろむ(Vo.G)のコメントが大写しに。気付けば“雨天念経”のBGMは止んでいて、完全なる無音空間が支配。必然内面的な緊張が高まる感覚に陥るが、思えばそれはかつてamazarashiのライブにおいて開演時間を過ぎた辺りで感じていた、あの興奮にも良く似ていた。
ライブは定刻ジャストに開演。ゲーミングキーボードでプロジェクションマッピング画面を操作するスタッフの一挙手一投足、僅かに聴こえるギターチューニング……。『Loading Disaster MOD…』と表示された画面のロードが終了。開始を伝えるスタッフの声が飛ぶと、ステージ上でギターを構える秋田へ、定点カメラがフォーカスを当てる。画面中央でチューニングを試み、臨戦態勢を整える秋田。秋田の表情は照明により完全に逆光となり、顔の輪郭さえ判別出来ないのはかつてのライブと同様だ。ただ今回のライブはamazarashi初となるオンライン。故にステージ上には多数の試みが詰め込まれていて、まず印象的に映るのは背後に聳え立つ全長13.5メートルもの大きさを誇る頭大仏で、その運命的瞬間をその眼下に収めんとどっしり鎮座。更には演奏場所が天井がぽっかり空いたほぼ野外である関係上、秋田の姿は音を逃がさないため四方に設置された透明のアクリルパネルに囲まれる形で、秋田の手の届く距離にはストローを挿したステージドリンクの他、縦長の暖房器具も完備。そしてツイッターで事前募集された「令和二年にやるせなかったこと」をテーマとしたメッセージの数々が刻まれた『雨天献灯』が、幾つもステージのそこかしこに点在し、炎を揺らめかせている。
秋田による緩やかなギターストロークの果てに鳴らされたオープナーは、メジャーミニアルバム『爆弾の作り方』より“夏を待っていました”。事前に告知されていた通り、今回のライブは全編秋田ただひとりによる弾き語りスタイル。amazarashiの楽曲は結成当初よりのオリジナルメンバー・豊川真奈美(Key)を始め、両脇を固める多数のサポートメンバー、更には打ち込みのサウンドも相まった重厚なアンサンブルが大きな魅力のひとつとして位置しているが、今回はそうした楽器隊が織り成す音圧を廃した裸一貫の演奏に終始。ともすれば地味な印象を抱かれかねない孤軍奮闘。けれどもそうしたスタンドアローンの姿勢はむしろプラスに働いている印象で、秋田のフロントマン然とした歌声とamazarashiの楽曲に込められたの説得力を、最も雄弁に伝える手段として、垂直に立っていた。
臨場感に拍車をかけた外部的要因のひとつが、背後に据えられた頭大仏の存在。頭大仏とその周辺の空間には綿密なプロジェクションマッピングが施されていて、大仏本体には星屑、炎、雨といった物体的な映像を、対して大仏を覆うように広がる空間には実際のamazarashiのライブよろしく歌詞を列挙することに加え、楽曲のシーンごとに色彩変化が都度投影され、その姿を楽曲ごとにガラリと変貌させていく。加えて頭大仏の眼下には世界各国における現時点でのコロナウイルスでの累計感染者数、死亡者数の詳細が次々更新される形で映し出されていて、今回のライブが間違いなくコロナウイルスがなければ実現に至らなかった事実と、コロナとの共存を強制された今現在の自嘲的ネガティブ感を携えて鼓膜を揺らす。
今回のライブで披露されたのは、10年間に及ぶamazarashiの歴史の中から、広いレンジでセレクトされた全17曲。取り分け前半部では“あんたへ”、“無題”、“ワンルーム叙事詩”を筆頭とした半径3メートル以内の幸福と憂鬱を、後半部では昨年リリースされたニューアルバム『ボイコット』、そして今回のライブの数日後にリリースされた待望のEP『令和二年、雨天決行』収録の楽曲群を軸に構成されていた。おそらくはどのような状況下で出会ったのか、またどのような精神状態でその楽曲と向き合ったかでリスナーそれぞれの此度における『印象深い楽曲』は異なって然るべしだが、その全てに強い秋田の思いと、短編集をよみ進めるが如くの深い読後感を抱かせるものとなった。加えて曲間には基本的に次曲への布石の役割を果たすポエトリーリーディングが挟まれていたことも、否が応にも続いて鳴らされる楽曲を推理してしまうエンタメ的効果を成していて、此度のライブにおける強いメッセージをより際立たせる効果をもたらしているようでもあった。
中でも前半の印象部として映ったのは、とある絵描きと彼女による二人三脚の制作過程をつまびらかにする“無題”。本能のままに作品を量産する主人公の姿も、それを献身的に支える彼女も、主人公が最高傑作とする《誰もが目をそむけるような 人のあさましい本性の絵》を描いた瞬間に潮が引くように去る人々も。それは言わば現代のネットリテラシーの縮図のようでもあるが、演奏前のポエトリーにて「だから僕は、誰にも聴かせる予定が無くて、誰にも必要とされていないその寂しい歌を、せめて『無題』と名付けた」と語られたことからも分かる通り、これはかつての秋田自身の生き写しでもある。前述の希望が打ち砕かれる《信じてたこと 正しかった》が《信じてたこと 間違ってたかな》と変換された直後、大仏の顔にヒビが入り、次いで顔、胴体と、次々に剥がれ落ち、ラスサビに突入するとその崩壊は一層激しさを増し、最終的には大仏の姿そのものが消失。完全なる黒に包まれたバックスクリーンに《正しかった》の文字のみが踊る万感の幕切れは、観るものに多大な印象を残したことだろう。
圧倒的叙情を携えながらライブは続き、『ボイコット』のオープナーに冠されたポエトリー楽曲“拒否オロジー”で社会への反抗を描けば、早くもライブは折り返し地点に突入。残酷な現実からの救出(逃避行)を描く“とどめを刺して”、クリスマスを数日後に控えたこの日久方ぶりにセットリスト入りを果たした“クリスマス”、コロナ禍を契機に憂いを帯びる心情を歌った“曇天”と間髪入れずに続き、ライブは今だからこそ強く訴えかける“令和二年”でもって、ひとつのハイライトを迎える。
amazarashi 『令和二年』“A.D. 2020” Music Video | Giant Buddha Projection Mapping
“令和二年”で歌われるのはそのタイトルの通り、昨年突如として世界中を混乱の渦に陥れ、今なお収束の見通しの立たないコロナ禍における憂鬱である。ソーシャルディスタンスやマスク着用、外出自粛といった誰しもに当て嵌まる自助行動のみならず、その他諸々の自制と強制停止を余儀無くされた令和二年は、今まで当たり前だと思っていたことがその実、決して当たり前などではなかったということを痛感する1年であったはず。“令和二年”をプレイする秋田の歌声こそ優しく語り掛けるように穏やかだが、歌われる内容は極めてシリアスかつ無希望的だ。背後の大仏の顔面はいつの間にやらガスマスクを装着した完全防備で、更にはその下半身には立入禁止テープを彷彿とさせる黄色と黒の斑模様が胸が詰まる閉塞感を増幅。個々人の孤独と封鎖された公園に咲く桜、職の減少に反比例して高まる支出の果てに歌われた《見捨てられた市井 令和二年》のフレーズでは、言葉の間には「せい」なる『SAY(言え)』にも似た響きが確かに挟まれる。実際この一幕は実際の音源にも加えられてはいたものの、無論amazarashi、ひいては秋田が楽曲中に観客にレスポンスを求めることは絶対的にないという観点から考えても、コロナ禍における人々の心情を近付けるが如くのこの一幕には、思わずハッとさせられた次第だ。
そしてライブは、気付けばクライマックスに突入。冒頭、ポエトリーとして“つじつま合わせに生まれた僕等”のMVにおける前口上が秋田の口からから放たれると、画面上に表示されているプロジェクションマッピングのモードが『type:amazarashi』に変化。万感のラストを飾るのは、ライブにおける代表的アンセム“スターライト”である。
今まで徹底して照明的な役割を果たしてきた大仏には、ギョロギョロと視線を変える多数の目玉が出現し、秋田、ひいてはamazarashiの進む先を監視するようにライブを見守っている。秋田はギターを力強くストロークしつつ、先の見えない絶望の中に確かに輝く、一筋の光を追い求めていく。かつては秋田自身が経験した長い下積み生活の中、希望的未来を切望する意味合いが強かった“スターライト”はこの日、コロナ禍に憂う人々への一筋の光として高らかに響き渡っていた。秋田のラストを告げる秋田がギターストロークを掻き鳴らすと、これまで投影されてきたプロジェクションマッピングを網羅する形で映像が次々と大仏に映し出され、秋田がギターをミュートした瞬間、遂には大仏の姿自体が完全に消滅。そして楽曲が終わり、ボソリと秋田が「ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた瞬間に暗転。amazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』は、終演を告げるエンドロールと共に緩やかに幕を閉じた。
……amazarashiは既知の通り、秋田の心に巣食うあらゆる感情を音に乗せて直接的に吐き出すバンドであり、かつては秋田が自分自身の憂鬱の捌け口として綴っていた楽曲群は、今や巡り巡って同じように日々希死念慮に苛まれ、生き辛さを抱える精神的弱者に寄り添い、傷心を解きほぐす代弁者たる役割を担っている。ただ今回ギターと歌のみで奏でられた17曲はそうした意味合い以上に、新型コロナウイルス下の現在におけるある意味ではポジティブ、そしてある意味では自傷的なメッセージを携えていたように思う。
新型コロナウイルスは未だ終息の見通しは経っておらず、現在では所謂『第三波』と呼ばれる新たな局面に突入している。今回のライブを秋田がどのような思いで試みたのか、その真意について当然ながら一切公にはされていない。けれども当時国内に蔓延していた感染症の収束を願うことを祈願して奈良の大仏が造立された事実が示しているように、頭大仏の眼下で行ったことにも大きな意味があると推察するし、現状ツアーが1年コロナ禍を起因として1年以上の延期が決定している今、彼がどれほどの思いでライブを駆け抜けたのかは想像に難くないだろう。……絶望の令和二年を抜け、希望の令和三年へ。未曾有のコロナ禍だからこそ敢行された此度の『末法独唱 雨天決行』は、紛れもなく現在進行形で暗い世情と闘う誰しもの心に、某かの強い感情を抱かせる代物であった。
【amazarashi『末法独唱 雨天決行』セットリスト】
夏を待っていました
未来になれなかったあの夜に
あんたへ
さよならごっこ
季節は次々死んでいく
無題
積み木(インディーズ時代未発表曲)
ワンルーム叙事詩
拒否オロジー
とどめを刺して
クリスマス
曇天(新曲)
令和二年(新曲)
馬鹿騒ぎはもう終わり(新曲)
夕立旅立ち
真っ白な世界
スターライト