キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

バズを記録したアーティストが戦うべき『ワン・ヒット・ワンダー(一発屋)』問題について

こんばんは、キタガワです。


すっかりSNSが流行の中心を担う現在、より多くの注目を集めようと誰もが躍起になっているのが所謂『バズ』の存在である。ただその代償として数年後揶揄される可能性を秘めているのは日本で言うところの一発屋、海外で言うところの『ワン・ヒット・ワンダー』と呼ばれる現象であり、入れ替わりの激しい音楽シーンで何とか生き延びようと、そう呼ばれることだけは断固として避けようと藻掻いている。


そもそも一発屋(ワン・ヒット・ワンダー)を当人ないし一般人がどう捉えているのかについては、各自様々な意見がある。それこそ我々日本人的には大方一発屋のイメージとしては『一時的にも注目を浴びることが出来た成功者』、若しくは『一発当てた後急速に廃れた人』に二分されることだろうし、そのどちらのイメージにおいても後にYouTubeなどで台頭したりと、絶対的に一度ブレイクした余波というのは何らかの追い風として発生する傾向にある。では海外のワン・ヒット・ワンダー事情はどうかと言うと、実際はかなりシビア。結論から先に述べると、他アーティストとはほぼ区別なく平等に扱われることが多いのである。


この『平等に扱われる』との一般思考は寛容な措置のようで、だからこそアーティストにとっては恐怖を覚える代物となる。何故ならどれほど絶頂期と比べて売上が減ってしまっても注目が得られなくなっても、全ては自己責任。常に今に焦点を当てることを余儀なくされるため、『昔はあれほど売れたのに』という成功体験が大きいほど後のギャップに苦しむことにもなるからだ。例えばエムシー・ハマー、t.A.T.u、O-Zoneといった我々が幼少期くらいの年齢の頃に活躍したアーティストたちは今でもそうしたイメージの中で名前が知られている存在であり、総じてどう捉えるかはそれぞれとは言え、ワン・ヒット・ワンダーの呪縛は色濃い、というのが今も昔も音楽シーンあるあるとして記憶されているのだ。

 

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そんな中今年爆発的にブレイクしたリル・ナズ・Xなどは、かつてのブレイクを経て、再び勢いを盛り返していたりもする。7週連続で全米チャート1位、更には老若男女問わず町中で歌う姿も散見された約2年前にリリースされた“Old Town Road”が彼の契機になった楽曲だが、当時まだ19歳、加えてアーティストデビューからまだ間もないことから多くのメディアで『一発屋になる危険性』についても言及されていた。元々SNSを中心にミーム制作に没頭していたとするリル・ナズ・Xはこれらのインタビューに対して「自身もかつては(自分を上げる為に)一発屋批判とおぼしき行動をしていたこともあった」とし、どちらかと言えばワン・ヒット・ワンダーに否定的な意見であったことが明かされている。


ただ彼は自分がアーティストになった辺りから、そうしたワン・ヒット・ワンダーかそうでないかについて一切気にしなくなったという。「本気で取り組んでいれば結果は出るし、それから一般的なイメージとして下火になってしまおうとも、当人が楽しんでいればそれでいいじゃん」とも言うように、彼は今でも朗らかにメディアに出る。今年に入って“MONTERO”で再ブレイクするまでの期間、ひたすらに爪を研ぎ続けてきた結果がこうした精神性に繋がっているのだろう。なお多くの経験を積んだ彼の放った『一発屋肯定主義』のこれらの発言は瞬く間に広まっていき、共感の意見が相次いだ。中には今一度ワン・ヒット・ワンダーという言葉自体を再考する動きさえあり、こうしたざっくばらんな枠組みは終わりを告げる日は近いのでは。

 

Lil Nas X - MONTERO (Call Me By Your Name) (Official Video) - YouTube


これまで幾度となくアーティストを揶揄する言葉として用いられてきた、ワン・ヒット・ワンダー。もちろんこの言葉は今後も使われ続けることだろうけれど、かつての知名度を上手く利用し、YouTuberや『あの人は今』的に企画で一層ポジティブな雰囲気に飛躍に近づいていこうとする動きを見ていると、より今後はポジティブな意味で用いられて然るべき存在のようにも感じられる。例え一過性のブレイクだとしても、それこそ40代後半にして日の目を浴びたスーザン・ボイルのように、その人の人生が好転する契機となれば何よりのプラス。いちリスナーの我々としても、売れる売れないの関連性を取っ払ったフラットな音楽的思考を常に持ちながら聴き続けなければならないな、と思う。