こんばんは、キタガワです。
音楽文、サービス終了……。公式にアナウンスされた瞬間、今までに感じたことのないような喪失感が心を襲った。総投稿数は『ONGAKU-BUN大賞』時代とボツも含めて97本(採用数75本)、総受賞数は5本。おそらくは最多受賞者・最多投稿者の形になる。多少投稿頻度に波はあったろうが、約4年間に渡って全力で書いてきたのは間違いないと胸を張って言えるので今回のサイト閉鎖には様々な思いがあるのだが、とにかく。良くも悪くもこれまで音楽文一筋で活動してきた僕自身の経歴として、ゆるりと書き記していきたいと思う。なおサイトは2022年3月まで存続しているので、気になった文章があれば是非とも閲覧願いたい。
音楽文に初めて記事が採用されたのは、2018年4月18日。僕が23歳の頃だ。記事内でも、そしてブログ内でも何度か綴っているように、この頃の僕は新卒で採用された会社を半年でクビになってからというもの、数ヵ月間様々な会社に履歴書を送りつける日々を過ごしていた。ただ現実は非情なもので、全く面接に漕ぎ着けられる雰囲気すらないまま不採用通知が20件を超えたあたりで僕はすっかり病んでしまい、次第に日々はアルコール缶と職務経歴書の山に囲まれながら日々自死を考えるだけの代物に変貌するに至った。
そんな折、飛び込みをしようと決意したはずの駅のプラットホームで、amazarashiの楽曲“フィロソフィー”を聴いたことで僕の視界は一変した。そう。当時様々なメディアで吹聴されていた考え方のひとつに「好きなことを仕事にするべき」という意見があったが、前述の会社で人間関係が上手く築けず仕事も出来ない二重苦を経験していたため、もはや自分は「好きなことを仕事にすることしか生きられない人間なのだ」と改めて思ったのだ。そして僕が好きなものは昔から音楽しかなかったし、ハガキ職人だの短編小説だので文章にはずっと触れていた。だからこそもう音楽の文章を書くしかないと、本気で決意したのだった。
その一先ずの目標を、僕は東京に本社を置くロッキング・オン社に決めた。理由は中学生時代からロッキング・オン・ジャパンを毎月購読していたからという安直なものだったが、目標を定めることで俄然やる気が出た。当然「目指すはロッキンの正社員!」と意気込んだものの、一人っ子で両親がどちらも70歳を超える高齢であることからやはり上京することはなかなか難しいものがあって、更には「正社員経験を3年間積んだ者」との募集要項の時点で半年でクビになった自分はほぼほぼアウトだった。……であれば、残す道はひとつしかない。僕はロッキン側から逆オファーを貰う方法を必死で考えた。そこで辿り着いたものこそ、投稿サイト『音楽文』だったのだ。
そこからの歩みは、もはやここで語るよりも音楽文公式サイトを参照してもらった方が断然早いのだが、毎月当ブログ『キタガワのブログ』の更新と平行して音楽文への投稿のコンスタントな活動を行いつつ、過去の受賞者の作風やrockin'onのプロライターの言葉遣いを少しずつ自分の文章に取り入れる形で、「行く行くはプロになりたい」と願う自分自身の未来を意識した上手っぽい文章作りにシフトしていった。実際初期の投稿作品は基本的にスペースの使用率が高かったり『僕は~と思った』といった自分が語り手になる手法、更には『感じた』や『思う』といった言葉の多用が目立ったが、そうした言葉も少しずつ変えていった。なお余談だが、この『キタガワのブログ』の開設理由も実はロッキンを目指してのものであり、音楽文以外にも編集者に音楽好きをアピール出来るようなフラットに書ける場を考えてのことである……ということは本邦初公開情報として是非とも認知してもらいたいところ。
ただ、音楽文での活動が順風満帆なものであったかと言えば、必ずしもそうではなかった。むしろ辛い出来事の方が圧倒的に多く、特に23歳~24歳までの活動期間は敢えて強い表現をしてしまうならば様々な投稿者に嫉妬し、怒りに狂ったかなりナーバスな1年間であったと記憶している。それは音楽文上に取り入れられたリツイートやいいね数が表示されるシステムが大きく影響していて、実際当時の僕自身は(今もそうだが)直接「これ読んでください!」とファンにリプライを送ったり、印象的なタイトルで目を引いたりといったある意味では媚びへつらうようなやり方を本気で嫌悪していて、だからこそ全体的にかなり閲覧数は少ない傾向にあったのだけれど、やはり音楽文でもSNSで何千人かのフォロワーを持つようなある程度名の知れた物書きが書いた文章が圧倒的な評価を受けたり、某アイドルアーティストの文章を書くだけで検索に引っ掛かり多くの人に見てもらえたりする場面を目撃するたびに、自分の存在を否定されるような感覚に陥っていた。「多分商業的な成功を考えれば正解はこっちなんだけど、それでも絶対に従いたくない。でも僕は自分なりのやり方でどうにか成功したい」……とどのつまりそれは僕自身のプライドの高さによるものなのだろうけれど、受賞も逃し続けて全く見向きもされないこの1年間はかなり辛いものがあった。だからこそ、僕が本当に望むものは受賞しかなかった。ロッキンに顔を売るための手段として始めた音楽文。ならば読者より何より、これを読んでくれているだろう編集者に刺さればOKだと……。
そして1年後の2019年3月10日、僕は初めて受賞に至った。島根県民会館で行われたサカナクションのライブレポート。今や腰痛で長時間立てない親父と行った現状最後のライブであったことや、今日がヤマだと伝えられていた祖母がライブレポートを執筆した翌日に亡くなったりと個人的に奇跡だらけのライブ記事だったが、とにかく。受賞報告があった日の夜はひとり枕を濡らしたことを今でも覚えている。ブログも読まれない、音楽文も読まれない。けれども自分では良い記事を書いているのにと悩み続けた1年がようやく結実した感覚があったし、それ以上に「本当に編集部の方々はしっかり読んでくれているんだ」「やってきたことは間違いじゃなかったんだ」と嬉しくなった。加えて、曲について書くことに若干の疲労感を抱えていた時分であったことも作用して、ライブレポートで受賞したこの辺りから、僕は大学時代にコンビニやら道路交通警備員やらカラオケやら飲食店やらの深夜アルバイトで稼いだ貯金を全て切り崩し、広島や大阪など様々な県に遠征してライブレポートを執筆→音楽文に投稿する流れが確立するようになった。
こうした前傾姿勢が功を奏したのか、サカナクション以外にもヒトリエやAvicii、The 1975とこれまでの苦悩が嘘のように多数受賞へと至ったのもこの年。ヒトリエは僕が広島で一人暮らしをしていた大学時代に追い掛けていたバンドで、The 1975は大阪のサマソニに3か国語を話すことが出来るという同じ島根のバイト先で出会った友人と赴き、ボーカル・マシューが語った言葉を正確に和訳してくれた。これらについては本当に縁というか、今までの生活が全て結実したような形だったので本当に有難く思っている。
中でも特筆すべきはAviciiの記事『生きた証、ここに』で、何と月間賞に選ばれた数日後に別の連絡をいただき、かねてよりの夢であったrockin'on誌面に掲載されるに至った。正直この時点で数十回記事がボツになっていたこともあり「多分無理だろうな」と思っていたのだけれど、受賞するとは考えていなかったし、更に誌面掲載になるとも全く思っていなかったので感動もひとしお。前回のサカナクションの倍ほど電話口で号泣してしまい、通話口の方にも大変なご迷惑をおかけしました。
そして25歳になった頃。2019年10月より、遂にお呼びがかかった。そう。ロッキング・オン社からの正式契約である。詳しい内容は守秘義務もあるので省くのだが、僕は島根から東京に飛びいろいろな話を交わした後、rockin.on内のコラム記事の作成を依頼されることになった。結果音楽文への投稿から約1年半で、目標にしていたロッキング・オン社の依頼に着手することが出来た計算になる。以降の足取りについては以下にまとめるが、文字通り命を救ってくれたamazarashiのみならずずとまよ、ポルカドットスティングレイなどほとんどの記事はご本人にリツイートしていただいたし、リツイート数も1000近く獲得し現在でもWikipediaの真下に表示されるような記事も多い。本当に2019年は総じて濃密過ぎる程濃密な時間を経験させてもらったし、近所のファミレスで6時間近く集中し続けた結果運ばれてきていたはずのオムライスとビールがカチカチになっていたり(運ばれてきたことに気付いていなかった)、ほぼ徹夜で書き続けたりと音楽文とは違う、様々な思いのつまった記事を書かせていただきました。本当に感謝しています。
あれから数ヵ月。今の僕は新型コロナウイルスの影響で一切仕事依頼がなくなり、取り敢えずとして音楽文への投稿だけは絶やさずに続けている状態だ。包み隠さずに書いてしまうが、正直2020年は様々な要因を経て持病の鬱症状がかなり重い状態になり、アルコール依存症とかライブ行けないとか何故かバイトで昇進してしまって多忙になったとか何やらで精神的におかしくなってしまったので、もし依頼があったとしてもまともにこなせなかった状況ではあった。けれどもようやく快復し「これから頑張って行くぞ!」と意気込んでいた矢先の音楽文サービス停止でもあったため、複雑な心境ではある。出来れば通算100回投稿や最優秀賞受賞まで漕ぎ着けたかったが、それも難しそうだ。確かにとてつもなく辛いこともあったが、それ以上に素晴らしい思い出を経験させてくれた音楽文サイドには感謝しかない。
現在でも日々大量に音楽文内に記事が更新されることからも分かる通り、「自身の愛する音楽について語りたい!」と情熱を燃やす人間はおそらく我々が思うより遥かに多く存在する。そして音楽文はそうした未来の音楽ライターにとっての、最高の受け皿だった。誇張でも何でもなく「音楽を愛する書き手と読み手が出会うサイト」とする音楽文がかねてよりメインテーマとして掲げていた代物は、それこそBUMP OF CHICKENや米津玄師といった様々な音楽文を通じてツイッター上で新規の出会いとして関わる場面もこの数年何度も目にしてきたし、広義で言えば音楽文がきっかけで契約に至った僕のような人間も「音楽を愛する書き手と読み手が出会った」と称することが出来るかもしれない。……23歳から27歳までの4年間、音楽文に関わらせていただき、本当にありがとうございました。これからも精進します。
→『キタガワ』の音楽文記事はこちら
【寄稿記事集】
・amazarashi
・ずっと真夜中でいいのに。
・サカナクション/くるり
・ポルカドットスティングレイ
・ミオヤマザキ
・キュウソネコカミ