キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

ハガキ職人と音楽ライター

こんばんは、キタガワです。

思えばこのブログでも、また自身のツイッターアカウントでもほぼ公言することはなかったが、僕はガラケーを持ち始めた時分から大学卒業までの約10年間、ハガキ職人として活動していた。『ハガキ職人』とは端的に言い表すならば『お笑いの投稿活動をする人』のことで、少なくとも僕は現在の音楽の文章執筆と同程度、高校時代までの青春をこの活動に捧げてきたつもりだ。

かつての僕にとって学生生活は、体感としては刑務所の服役生活に等しかった。これは生まれついての持病の悪化によるところが大きかったためで、今では上手く付き合うことが出来ているのだけれど、とにかく。取り分け小学校から高校生までの期間は生き地獄そのもので、現状を打破するために「自分にしか出来ない何かを成し得なければ」との考えに至ったのは必然だった。

そこで目にしたのが当時購読していた週刊少年ジャンプの巻末にある読者投稿コーナーで、おそらく今では存在すらしていないだろうと思うのだけれど、そこには『学校の教室の昼休みあるある』や『こんな体育祭はいやだ。どんなの?』といった大喜利じみた読者投稿の数々が記されていた。元々お笑いのテレビ番組を観るのが好きで、また小説を書いて入選したりと『才能あるんじゃないか感』を抱いていた僕にとって、ここが唯一の居場所のように思えた。僕は直ぐ様投稿欄をチェックし、毎日授業中にネタを考え、帰宅後にメールやハガキで送りつける生活が始まった。主な投稿先はケータイ大喜利やファミ通町内会、IPPONグランプリ等で、他にも広義のお笑いという点においてはトリビアの泉やナニコレ珍百景にも逐一応募。その投稿数は多いときには1日100通にも上った。

その中でも熱中していたのが、現在でも連載されている週間ファミ通の読者投稿コーナー・ファミ通町内会だった。この頃にはアスファルト(当時リリースされたPS3版ソフト・『428 ~封鎖された渋谷で~』の黒幕・アルファルドからもじったもの)の名義を使い、投稿を重ねた。まさかクラスメイトも、クラスの隅で本ばかり読み、学校中からミステリアスな野郎だと思われている人間がお笑いの活動を行っているとは夢にも思うまい。地獄のような環境に光明が射した思いだった。

特に投稿に拍車をかけたのは、掲載時に記される『島根県・アスファルト』という文字。現在活動している某執筆投稿サイトでも同様だが、所謂『47都道府県で最も影の薄い件』とされる島根の人間が投稿活動をしている例は様々な媒体を鑑みても少なく、大抵は東京・大阪・神奈川といった都市部在住の人ばかりで、島根の人間が選ばれていることだけでもかなりの優越感を得ることが出来た。かくして僕はイジメやら嘲笑やらでダメダメな学生生活を、脳内でネタを量産しながら記憶から遠ざけることで過ごしていた。当時のネタとしては特に文字モノに関しては穿った思考によるものが多くネガティブなものばかりだったが、それもある種の『味』として評価に繋がり掲載が増えていった。地獄のような学生生活が自分を苦しめる元凶であったとするならば、その生活が活かされるのもまた、ハガキ職人だったのだ(ちなみに現存するもので当時ウケたネタはこれら)。


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それから程なくして、僕はいつしか完全に音楽へと傾倒する。元々ハガキ職人として活動していた期間も相当な音楽オタクだったが、その勢いは大学進学を機に広島で一人暮らしを始めた頃に重症化。それまで僕が暮らしていた島根県には天童よしみやさだまさしといった演歌歌手以外はまずもってアーティストが来ることはなく、かつCDショップの取扱いも所謂『売れ線』のアーティストばかりをプッシュしていたけれど、広島は音楽的な環境だけで見ても本当に天国だった。僕は22時~6時までの深夜アルバイトを週に何度か入れ、その収入をライブやCDに全ベットする生活を4年間続けた。思えばハガキ職人としての活動をほぼ行わなくなったのも、この頃からだった。

そうした紆余曲折を経て、本格的に音楽の文章を書こうと決めたのが今から4年前。2017年の11月である。新卒カードで入社した会社を人間関係のいざこざでクビになり、必然「人となるたけ関わらない形で、自分らしい人生を歩むにはどうすれば良いか」と思いを巡らせた。……これまでの自分はと言えば、音楽については誰にも負けない知識があると自負していたし、短編小説も書き続けていて、ハガキ職人として文字での笑いも取っていた。気付けば幼少期から僕は全く人付き合いが出来なかった代わりに、『音楽』の『文章』を『書く』要素は揃いきっていたのだ。じゃあやるしかねえなあ、と思った。

 

キタガワの松江珍道中~ホームランドーム編~ - キタガワのブログ

 

今でこそ当ブログは堅苦しい表現を多用してはいるが、開設当初はハガキ職人上がりというか、文章の各所に笑いの要素を取り入れる形の記事が多く、どこか完全にお笑いとしての活動を捨てきれていない心中が窺えた。そこからいろいろと試行錯誤を繰り返し、ハガキ職人も引退。結果僕は未だにフルタイムでバイトをしながら売れない音楽ライターを島根で名乗っている。

もしもあのときハガキ職人の活動を突き詰めていたら。ふざけた表現に徹した文章を書き続けていたら。広島に残って別の正社員の仕事に進んでいたら。上京していたら……。そんなたらればを、今でもよく考える。「2年で結果が出なかったら諦めよう」「今年は絶対にいけるはず」と強い思いで臨んでいたあの日々も、今や遥か昔の記憶だ。ただどれほど結果が出なくとも、おそらく今後も音楽の文章を書くことを辞めることはないだろうとも思う。端から見ればあまりに緩やかな歩みだが、それでも足は前に進んでいる。……この先に何があるかは分からないが、取りあえずは。

 

SEKAI NO OWARI「サザンカ」 - YouTube