キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

雨にうたえば

5月某日、11時。本来であれば様々な業種の人々が仕事に精を出す時間帯に目覚める。アルコールの缶で埋め尽くされた床から手探りで照明リモコンを掴み取ると、瞬間カッとした電気が視界を照らした。どうも予期せぬ時間帯に目覚めたのは外で頻りに聴こえる謎の音が要因らしく、窓の外では大量の雨粒が礫となって降り注ぎ、轟音をもたらしていた。この日は久方ぶりの休日であり、本来ならばもっと寝ていたいところではあるが、起きてしまったからには仕方がない。僕は床に転がっている昨夜中途半端に残していた芋焼酎の炭酸割を飲み干し、いそいそと居間へと降りていった。

居間では両親がニュース番組を、ほぼ半眼の状態で見詰めていた。僕は会話もそこそこに飯をレンジにぶちこむと、同じようにぼやけた視界でテレビに目を向ける。……僕も親父も昔から政治馬鹿である関係上、家では基本的にニュース番組しか観ない。恋愛バラエティーや連続ドラマなど母親の趣味は完全に真逆のためさぞ悩ましいことだろうが、昔気質なのか親父の行動に難癖を付けることはまずない故に、一緒になってニュース番組を観ているといったところだろう。僕は暫くして熱し過ぎてアツアツになったそれを頬張りながら漠然と「今の日本ヤバいなあ」と物思いに耽る。当然親父からすれば今のニュース関連はさぞ怒髪天を衝く勢いだろうが、僕は何というか、そこから一歩引いた俯瞰的な気持ちでニュースを眺めていた。「ライブまた行けんくなるなあ」とか「オリンピックマジでやるんかなあ」とか。まあそんな具合である。

そして予想通り、ニュース番組の画面上部には深刻な様子で『大雨洪水警報』と記されている。狙って折角の休日を潰された気がして、僕は肩を落とした。ともあれ休日にすることと言えばひとつしかない。取り敢えず親との会話もそこそこにペンとノート、簡易充電器を鞄にぶち込み、近場の喫茶店へと赴くことにした。

家の近所に程近い距離に居を構える喫茶店ーー当記事では仮にAとしようーーは、年少だった頃から親父の付き添いで通っていた、思い入れの強い場所のひとつだ。降り頻る雨を振り払うように店に到着すると、店内で暇そうに煙草を燻らせるマスターと目が合った。マスターは僕の姿を見るなり店の外に出て、僕を出迎えてくれた。

「シュワッチ!スペシウム光線だあ!ビビビビ!」

僕はマスターの『攻撃』をさらりとかわして店内へ足を踏み入れる。すると挽き立てのコーヒー豆の香りが一気に鼻腔を擽った。他に客はおらず、読み物は新聞のみ。おまけに壁に手書きで貼り付けられた「スマートフォンのご利用はご遠慮ください」となれば、一体どこの誰がこの店に来るんだと毎回心配になってしまうが、細々ながらもやっていけているらしい。 この店に来るのは随分久方ぶりだが、何も変わっていないようで少し安心した。変わったことと言えば、マスターの白髪が増えたことくらいだ。

「喰らえ大怪獣め!ビビビビ!」

未だ『攻撃』を与え続ける謎のウルトラマンの姿を見ながら、思わず笑みが溢れる。この店のマスターは僕がたかだか3才児の頃からずっとこうで、今や記憶すらないのだけれど、初めて店を訪れた時、子供をあやすことに不慣れなマスターが突発的にウルトラマンの真似をしたことで当時の僕が大層笑ったらしく、以降僕が訪ねると決まって『攻撃』を喰らわせることが半ばお決まりのようになってしまった。あれから何年も経ったある頃には恥ずかしさのあまり止めるよう訴えたのだが、結果何も変わらないまま今に至る。

僕が出入口とは真反対の角際の席に陣取ると、マスターは「コーヒー」と一言だけ告げてブラックコーヒーを差し出してくれた。何となしに「今日はちなみになんのコーヒー?」と質問すると「多分言っても分からんでしょ」と返ってきた。正論である。さて、とおもむろにノートを取り出し、昨夜のオンラインライブの様子を箇条書きにまとめようと試みる。僕は基本的にオンラインライブを観る際は決まって泥酔状態なのだけれど、ノートにはほぼ判別不可能な繋げ字で文字が書き連ねてあり、昨夜の興奮と酔い具合を体現している。思えばかねてより謎言語を正確なものに書き写す作業は、大抵この場所だった。

当のマスターは、僕が何をしているのかは一切知らない。このモードに入ればノートを覗き込むこともないし、会話を振ってくることも、まして僕の方を観ること自体しない。ただほぼ存在しないも同然の扱いをしてくれることに謎の居心地の良さを感じ、ズルズルと通い続けて早5年だ。雨の音を聞きながら、ガリガリと筆を走らせる。執筆に疲れ、ふと視界の外に見えた伝票に目をやると、マスターによる「コーヒー 500Y」との言葉が完全一筆書きで記されていた。それは泥酔した僕よりも酷い字だったが、何だか嬉しい気持ちになる。

コーヒーを1杯飲み終えた頃、レジに向かった。「最近どう?」とマスター。「コロナで色々キツいわあ」と僕。マスターはニコニコ笑いながら、いつものように古めかしいレジを操作して釣り銭を渡してくる。いち、にい、さん……とひとつひとつ数を数える様も何度見たことか。マスターは「今日は100円が少ないけん10円でもいいだ?」と言い、僕の手に大量の10円玉を握らせ、ジャラジャラと犇めくそれを問答無用で財布に入れ込んでいく。大雨から一転、ドッピーカンになった空に再び舞い戻る際、「じゃあまあ来るわ」と語った僕に最後に発せられたのは「潰れとらんかったらなあ」との自虐的な一言だったが、そうはならないだろうという希望にも似た確信が、何故だか心を満たしていた。