「少し帰るの遅くなるけん、晩飯は大丈夫」
バイトの帰りがけ、ポケットの奥底に仕舞い込んだスマートフォンを取り出し、一通のメールを送った。直ぐ様返信があったが、無視を決め込んで自宅までの道程とは逆方向に歩みを進めた。主だった理由は特にない。帰宅するのが気が引けたという自分本位極まりない心中を察しての行動であったが、只それだけのことが今の自分には必要であると、何となしに理解していた。
僕は休憩がてら立ち寄ったコンビニでビールを購入し、すっかり夜の帳に呑まれた公園に足を踏み入れた。こちら街灯を視認すること自体が困難な片田舎である。当然深夜に近いこの時間帯にはひとっこ一人おらず、見知らぬ誰かが居るとすれば精々、時折冷風君が頬をぶん殴る程度である。これ幸いと公園の傍らのベンチに腰掛け、ビールのプルタブを開ける。一気にそれを飲み下すも、やはり連勤最終日に、それも急速にアルコールを注入する手段は不適当であったらしい。次第に視界は歪み狂い、気付けば僕は滑り台の頂上に移動していた。
かつては友人らと毎日のように鬼ごっこに興じ、子供時代ならではの特殊防御術『バリア』の場に度々選ばれていた、滑り台の頂上である。鬼ごっこの他にも缶蹴りや色鬼、果ては強風の吹き荒れる中デュエル・マスターズで対決していたあの無敵の日々は、遠い昔の出来事だ。……そういえば、あの頃の友人は今何をしているのだろう。少なくとも、良い年齢になりながら飲酒の場に公園を選ぶような人間にはなっていないだろう。僕は謎の優越感に浸りつつ、およそ場違いなビールを飲んだ。
あれから何十年もの時を経て、この公園も変わってしまった。辺りを見回すと、現代社会の煽りを受けてか遊具の大半は撤去され、遠目に見えるフェンスの一角にはボール遊び禁止のプラカードが掲出されている。今の子供はこの公園で、何をして楽しむのだろう。いや、そもそも公園で遊ぶ思考自体が古いのかも。家でぬくぬくスマホゲーム。オンラインでニンテンドースイッチ。YouTuberの動画。このご時世、娯楽は山ほどあるはずだ。中にはAmazon Primeで鬼滅を繰り返し観て暇を潰す子供だっているかもしれない。思考をぐるぐる巡らせているうちに何故だか泣けてきてしまい、僕は鞄の奥底ですっかりシェイクされた2本目のビールを開け、再度酩酊の海に沈む。
……何事も変わらないようでいて、確かに変わっている。そしてそれは完全に大人になり、分別を弁える立場に置かれる我々も同様なのだろう。酔いも相まって当時の自分に思いを馳せるべく、寝転がって星を見上げるかつての癖を数十年ぶりに実践する。光輝く小粒の物体をじっと見ていると、ネガティブな感情に囚われていた心が少しずつ修復するのを感じた。……晩酌としてはこれ以上ない環境である。僕はちびちび飲み続け、久方ぶりの良い具合の酩酊を楽しんだ。
暫くの後、夜風に触れたことで幾ばくか酔いが冷めた僕は公園を後にする。辛いことだらけの人生ではあるが、もう少しだけ踏ん張ってみよう……。そう前向きな思考で帰宅の途に着いた。なお後に、その背中には滑り台で遊び狂った子供たちの靴による大量の泥が付着していることを知り絶望するのだけれど、それはまた別のお話。