キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

あのときの言葉は嘘だったのか?ReVision of Sense解散について率直に思うこと

こんばんは、キタガワです。

 

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『ReVision of Senceからいつも応援してくれている皆様へ。解散のご報告です』……。リビジョンの公式ツイッターから発信された上記の一文を読んで、心底怒りを覚えた。そしてメンバーそれぞれによる長文のコメントや彼らの楽曲を改めて聴くたびに、少しずつ状況は脳内整理され、今、ある種脱け殻のような心持ちで筆を取っている。思いの丈を書き殴る形で執筆している関係上、乱文についてはどうかご容赦願いたい。


僕がリビジョンのライブに足しげく通っていたのは、もう7年近くも前のことになる。島根県から広島の大学に入学、一人暮らしを始めたロックファンの僕は、かつての島根のような地方都市にはほぼ皆無だった最大の娯楽たる『ライブ』に酷く心酔した。しかしながら深夜から早朝にかけてのアルバイトをこなしつつ月に何度かあるライブに赴く日々は金銭的にも辛いものがあり、苦学生だった僕は次第に「あまり知られておらずらかつ楽しめるバンドのライブ」の存在を探し求めるようになる。そして行き着いた先が所謂『インディーズバンド』の枠組みで括られる、若きロックバンドだった。


一般層に周知されるバンドのアリーナライブも勿論良いが、インディーズバンドのライブには一風変わった心地好さが内在する。まるで日常生活から隔離されたような地下の小バコで、こと『売れているバンド』よりも距離が近く爆音、更にフロアに降りてのパフォーマンスやライブ後にアーティストが直接物販でファンと語り合ったり、そのディープな距離感がとてつもなく好きで、自然と夢番地やgigるといったサイトでライブの存在を把握してライブに赴く日々を過ごした。そしてそんな中でも一際異彩を放っていたのがリビジョンであったと、今となっては思うのだ。

 


リビジョンが何故ここまでのインディーズバンド好きに好まれたのか……。その理由は言葉を選ばずに言えば『手段を選ばない活動方針』にある。採算度外視の金額でライブツアーを敢行したり、友人を招いたらほぼ無料になる公演、盛り上がりを基盤とするパフォーマンス。ライブ以外では無料のCD配布など、現在のようにサブスクも発達していない時代に彼らの試みはクリティカルヒットし、泥臭い活動で正に『口コミ』でファンを獲得していった。無論こうしたライブツアーや無料CD配布場所には広島もたびたび選ばれていて、その都度僕はライブに通ったし、おそらく同様の形で彼らを認知し、またファンとなったライブキッズは大勢存在するものと推察する。


彼らの魅力がライブであることは前述の通り。ただその中でも彼らが人気を博した要因として映るのは『ストレートな思い』でもある。実際彼らのライブでは河井教馬(Vo.以下ずーまー)がたびたび「俺はステージの上で死ぬ」「売れるために俺らは手段を選ばない」「何でこんな無謀なことやってるか分かるか?それはお前らが大好きだからや」(意訳)と語っていて、そうした熱い思いが伝播して更なる興奮へ誘われる……。そんなライブがいつしか彼らの通例と化していた。


ただ僕が次第に彼らの活動とかつての熱いMCに疑念を抱き始めたのは、ずーまーがツイッターやYouTube、TikTokで動画をアップし始めた頃からだった。『好きな男を落とすキラーワード5選』『脈アリな男のYESサイン』『女に絶対に送ってはいけないLINE』『S●X中にやりたくなる行動』……。楽曲内でもたびたびテーマとしてきた恋愛について赤裸々に語るずーまーの動画は飛躍的な再生数(中にはツイッターで1万リツイートを越えるものもあり)を記録し、一躍YouTuberとして台頭した。今ではツイッターのフォロワー数がリビジョンの3.3万人を越えてずーまーの個人アカウントは17.8万人(共に執筆時点)で、日々更新される『恋愛あるある』は軒並み数百リツイート。YouTubeのずーまーチャンネルの動画投稿数は480越えで彼らが今までに発表した楽曲より遥かに多い。更には彼の呟きを列挙した書籍も出版された。おそらくだが、彼を知るフォロワーの大半は彼をバンドマンとして以上に、動画配信者として見ていたのではなかろうか。


翻って僕はと言えば、そうした彼の行動を外野から静かに見詰めるに留まっていた。その理由はただひとつで、かつて彼がライブで語っていた「手段を選ばない」という手段の一貫であると捉えていたため。SNS社会の現在、アーティストのみならずイラストレーター、漫画家などがそうであるように努力や楽曲の良さ以上の付加価値(SNS上のバズ)はどうしても必要になる。故に「思案の末に彼らが選んだ方法が動画投稿なのだな」と、僕はそう思っていたのだ。どれほどハードコアな動画を出そうと、かつてライブで熱いMCを展開してきた彼が動画で行う「どうもー!日本で一番付き合ってはいけない男、ずーまーでございます!」とのキラキラ効果音と共に発せられる開幕宣言も。全てはリビジョンのために行われているものだと、てっきりそう思っていた。

 

 
そんな中で発表された今回の解散である。当然ながら、僕は失望した。落胆した。激怒した。リビジョンのボーカルとして活動していた彼からバンドが消失すれば、無論ただの『バンドよりも広告収入で多くの金を手に入れるYouTuber』でしかないではないか。YouTubeの方がバンドよりも楽しかったのか?はたまたバンド自体のやる気が失われてしまったのか?何より「俺はステージで死ぬ」と語った彼の言葉は嘘だったのか?……様々な思いが頭を駆け巡った。

 


混乱の極みで何も手につかない中、解散発表の翌日にはずーまーチャンネルにて『バンド解散について』と題された動画が公開された。そこには彼が台本なしで訥々と思いを述べる形で約20分間用意されていたが、ファンへの感謝やメンバーへの思い以上に自身について語る場面が散見され、再び肩を落とした。「僕という人間にも少なからずそういう(人間的)問題は抱えてて、何かが足りないとか、人の愛情なのか人の温もりなのか何かが足りないなーって(9分50秒~)」という言葉からは彼自身の自慰行為的な快楽の切望も思わせるし、「僕にとってはお客さんが全てだし、応援してくれるみんなが第一なんですよ。どこまで行ってもこれは揺るぎようがなくて、お客さんを喜ばせたい、人を喜ばせたい、もっと喜んでくれる人を増やしたい。もっと多くの人に認められたいっていう、そういう気持ちが揺るぎなく一番だから、それ以外のものは結構捨てられるんですよ(10分20秒~)」は解散理由としては最も対極に位置するものであるし、「音楽はやってたいなあという思いはぼやぼやとあるんですよ。でも怖いなあという気持ちと、何を歌えばいいんやろっていう気持ちは凄くありますね(8分30秒~)」という発言には”ヨノナカカネ“や”ダメ、絶対、現実逃避“がそうだったように「それを歌うのがリビジョンだろ」とも思ってしまうのだ。そうでなくとも、神妙に語る動画内で切り裂くように幾度も挟まれる明るい広告に遭遇すると、やはり彼にとってYouTubeやツイッターといった媒体が承認欲求を満たす手段として巨大化し、バンドとして本腰を入れられなくなってしまったのかな、とも邪推してしまう。約20分の動画中、9回も広告(現時点で1万再生。広告1再生につき1円なら計9万円貰える)が挟まれたことも含めて。

 


ただ「渋谷でライブさせてもらったときに思ったんですよ。YouTubeも凄い嬉しいし、楽しいしありがたいですよ。ありがたいですけど、それでもやっぱり人に触れたい。それがなかなかYouTubeだと実感がなくて、だからやっぱりYouTuberにはなりきれないんですよね僕は(19分00秒)」と最後に彼が語っているように、生涯YouTuberとして生計を立てる考えは然程なく、それ以上の何かを成し遂げるためにYouTubeという媒体を活用する様が彼には適しているのだろう。それが音楽なのか、それ以外の何かなのか。はたまたほぼ2日に1回ペースで現在も更新を続けているYouTuberとしての活動を存続させていくのかは不明だが、また音楽業界に戻って来て欲しいと切に願うばかりである。”ヨノナカカネ“でぐちゃぐちゃになりながら「誰や俺のチンコ触ったやつ!」と笑い、なかなか話しかけられない僕に対して「また来てよ」と握手をしてくれ、熱いMCで盛り上げてくれた彼の姿を、いつまでも思いながら。