執筆の為に立ち寄ったいつものカフェテリアで、僕は何を思案するでもなく、ただ呆然とスマホを見詰めていた。すっかり温くなったコーヒーを啜ると、連日の深酒で痛みきった胃が「くそったれ」と鳴いた。
コロナ禍に陥る前……いや、おそらくそのずっと前から、僕の人生は曇天模様だった。自殺未遂から生還し「ライターになりたい」と一念発起して奔走してきた毎日だったが、日々のアルバイトと突発的に襲い来る希死念慮に心殺されるうち、音楽や執筆といったかつての人生の基盤としていた事象はいつしか視界から消え去り、目の前には底知れぬ絶望だけが横たわっていた。
見詰めたスマホには、とある音楽ライターのSNS。そこには知り合いのライターとのツーショット写真や自身の記事の感想を呟いた人間の引用リツイートが晴れやかな顔文字と共に踊っていた。呟きを遡ると、彼女がライターとして開花した大きな要因は、ツイッターやインスタグラムで積極的に自己推薦を試みた末の結果であるといい、人との関わりを極端に避ける自分と比較して、また落ち込んだ。あらゆる手段を模索し、遮二無二に実行に移せる人間が成功するとするならば、僕には生きることそのものが不適合なのだ。
数十分間の無の時間を越えた今、震える指で文字を打っている。皮肉なことに無意識的に生み出される文字の羅列は意思を持ち、最終的にはあれほど僕の精神を蝕む要因となった『文章』になった。随分と久方ぶりに書く文章は酷くあまりに滑稽で支離滅裂な代物であったが、それでも良いと思った。僕はまだ、完全には死んではいない。
明日、僕はまたひとつ歳を取る。執筆活動をスタートさせてから早3年。未だ一銭の金にもならず、誰にも見向きもされない現状ではあるが、絶望の淵でもがきながら生きていこうと思う。ハッピーバースデイ。