キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

7月某日

7月某日、17時。久方ぶりの休日を持て余していた僕は、ふらりと立ち飲みのバーに赴いた。開店直後に入店したため怪訝な顔をされる事も覚悟していたが、店のマスターは予想に反して、僕の来店を歓迎してくれた。僕はこの店が移転する以前から通っていた、言わば常連と呼ばれる類いの人間だ。しかしながらコロナ禍に陥ってからというもの、ここ数ヵ月はバーのみならず駅周辺の店舗へ赴くことすら一切なく、必然、長らく空白の期間が長くなっていた。

僕とマスターの間にはいつも、主だった会話はない。マスターは只いつものように視線を巧みに逸らしながら「今日は何飲まれます?」と問うのみで、僕がビールを頼むと直ぐ様サーバーから生ビールを注いで眼前にグラスを置き、その後は店の奥に引っ込んで姿を見せなくなる。端から見ればあまりに不用意だが、そんなマスターとの双方向的かつ不思議な関係性が、僕は心底好きだった。

テーブルに生ビールが置かれると、懐で出番を待ち望んでいたであろう愛用のイヤホンを装着した。眼前には、白く塗り潰された壁。A4ノートを開くと端がはみ出しかねない小さなスペースでひとりグラスを傾けるのが、この店における僕の基本スタイルだった。

《あれほど刻んだ後悔も/くり返す毎日の中でかき消されていくのね/真っさらになった決意を胸に/あんたは堂々と また肥溜めへとダイブ》

無意識的に普段好んで聴くロックンロールではなく、スローリーなジャズ的な音楽を選んだことが功を奏したようだ。緩やかな音楽に身を任せているためか、必然酒も進む。……バックでは今世間でバズを記録しているイケメンアーティストの音楽が流れており瞬間的に憂鬱を起こしたが、イヤホンから流れる音量をふたつほど上げたことで、次第に気にならなくなった。

僕は酒を飲む際は、つまみを一切食べない。故に自身の酩酊をコントロールする術もそれなりに身に付けている筈ではあるが、まだ1杯目にして連日の労働が祟ったのか、思ったよりアルコールの回りは早かった。開きっぱなしにしていたメニュー表の文字はやたらと歪み、窓から見えるまだ明るい筈の空は空転して見えた。

僕には普段ほとんど言葉を発しない代わりに、酔っ払った際は饒舌になるという酷く自覚した悪癖がある。ビールを3分の2程飲んだ後にトイレから出てきたマスターを捕まえた僕は、この日初めての発語がもたらす酷くひび割れた声で問うた。「……どんな感じだったっすか。最近」。

主語も述語もぶん投げられた僕の言葉に、マスターは「店開けてはいたんですけどね。やっぱり人は少ないですよ。誰も来ない日も多くて、だんだん閉めざるを得なくなりました」と優しく語った。僕自身報道等で重々理解していたつもりではあったが、やはり現実は厳しいらしい。そんな赤裸々な内情を真摯に語ってくれたマスターとは裏腹に、僕は「そっすよね」との素っ気ない言葉を返し、そこからはビールをチビチビと飲みつつひとりイヤホンから流れる爆音の音楽と、この日新規感染者数が100人の大台を突破した事に端を発した東京都知事の記者会見を肴に日本酒や再びのビールをオーダーし、ひとり泥酔の果てへと突き進んだ。その間1時間半。バーには最後まで僕以外に、一切の客は来なかった。

眼前には、マスクを着用した人々が足早に帰路に付く様子がガラス越しに映っている。子供連れ。カップル。学生。集団で屯する若者。サラリーマン……。そのうちの大半が、幸せそうな笑顔を浮かべていた。そんな光景に謎の苛立ちを覚え、僕は飲みさしてあったビールを一気に飲み干した。混濁する意識の中、いつの間にか通りに人はいなくなっていた。そんな一部始終に瞬間的な憂鬱を自覚したことが嫌でたまらなくなり、追加で濃い目のハイボールを注文した。1杯だけのアルコールを引っ掻けて帰宅の途につく計画は、いつの間にやら破綻していた。

マイペースに執筆活動に励むこの生活が、いつか実を結ぶことはあるのだろうか。僕の名前を見て誰かを感化させたり、何らかの依頼に繋がることはあるだろうか。そんなことは、おそらく今後もないだろう。だが僕には音楽と文章しか残っていないという事実も骨身に染みて理解していたし、同時に自分は正社員や結婚、金の蓄え、マイカー購入といった世間一般的な『普通の生活』に適応出来ない劣等な人間であることも、重々承知していた。僕が連日アルコールを摂取する根元的な理由はおそらく、島根県でひとり憂鬱の沼に沈むひとりの劣等生が、肯定感を錯覚するための最良の手段であるからだ。

景色が空転を通り越して曼陀羅模様に見えてきた頃合いを見計らい、会計とした。「それじゃ、また」とのマスターの声をバックに、僕はまた日常へと戻る。店を出た瞬間、ファミチキを食べながら談笑する男子高校生の集団を目撃した。その姿に再び不明瞭な怒りを覚えつつ、僕は帰りがけに立ち寄ったファミリーマートでハイネケンを購入し、プルタブを空けた。……音が酷くこもっている感じもしたが、今度は大して気にならなかった。

 


藤井風(Fujii Kaze) - “何なんw”(Nan-Nan) Official Video