キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

売れ(る訳が)ないバンドマン

すっかり夜も更けた午前4時。ビール缶を6つ開けた酩酊の果てに、僕はLINEを大した理由もなく数週間ぶりに開いた。Wi-Fi経由で自動的にアップデートされたのか、随分とこれまでの記憶と異なってしまったトップ画面に目を彷徨わせながら、今や関わり合うこともないまま無機質に『友だち』とカテゴライズされているそれを何となしに見ていく。やたらと各自のプロフィールが子供の画像に変更されている割合が高いことに辟易しながら、スクロールする手がふと止まった。そこには大学時代共にバンドを組んでいた『彼』が、幸福な家庭を築いている事実が抽象的に刻まれていた。「since 2020〜♡」や「今が最高」など、多くの友人による所謂匂わせ的な投稿については心底勝手にやってくれと思うのだけれど、やはり事実として彼のプロフィールには少しばかりグッと来るものがあった。……それが、かつて共にライブを行ったバンド仲間であれば尚更である。


僕が彼とバンドを組んだのは、大学に入って間もなくのことだった。元々音楽を大量に聴いていた僕が「バンドを組もう」との結論に至ったのは半ば当然のことだったが、現実としては見るからに陽キャに分類される先輩が主導となって毎月行われる合宿や飲み会、加えて明らかに周囲の人間もそうした類が取り巻く日常に苛つき、僕は居場所がないまま隅っこで週一のミーティングに参加するだけの日々を送っていた。無論コミュニケーションが出来ない人間がバンドなんて組むことが出来るはずもなかったが、そんな僕に声をかけてくれたのが彼だった。聞けば彼と僕は今まで顔を合わせてはいないまでも同じ学科に所属していて、同じくサークルの空間に馴染めないことからバンド仲間の確保に四苦八苦しているようで、意気投合していろいろと語り合った末、僕らはその日のうちに彼の小学校からの幼馴染みであるという友人も誘ってバンドを組んだ。ボーカルとギターは僕。ギターは彼。ベースはその友人。なおドラムは最後まで決まっておらず、最終的には本番1週間前に焦った僕らが別の学科の人間にサポートメンバーを求める形で落ち着いた。


演奏曲はアニオタであった彼の意見を取り入れ、DOESの“修羅”と“曇天”、放課後ティータイムの“Don't say lazy”、MONGOL800の“小さな恋のうた”に決定し、その日からゆるりと練習する日々が始まる。彼とその友人は高校時代も楽器を弾いていたらしく、互いにとてつもなく演奏が上手かったが、僕はズブの素人だったためイチから教わる形となった。それではさぞ練習を重ねただろうと思いきや、一人暮らしのアパートの壁が薄いだの夜勤のバイトが終わるの朝6時だからキツいだのいろいろ理由を付け、ほとんど練習はせず仕舞い。苦肉の策としてフワッとしたパワーコードだけを覚えただけの状態で本番を迎えることとなったが、彼はそんな僕を「何とかなるっしょ」と鼓舞してくれた。


会場に選ばれたのは広島の4.14という地下にあるライブハウスで、僕らは新入生歓迎ライブの丁度中盤あたりの出順だった。ほぼ喋ったこともないサポートメンバーのドラムと少し話をし、フロア後方のバーカウンターでセトリを見せつつPAさんに「この曲のサビの部分で激し目の照明とかってお願い出来ますかね……」とプロっぽいことを伝えるとあとは本番を待つばかり。この日は先輩方が友人らを誘ったのか、何故かほぼソールドアウト状態の意味不明な状況となってしまったことも相まって、緊張は高まるばかりだった。

 


そうして迎えた我々のライブは、それはそれは最悪なものに終わった。まず1曲目の時点でギターのトラブルが起きて友人のギターが鳴らず、下手くそな僕の不協和音が轟く地獄絵図。2曲目は「最後飛んで終わろうぜ」と示し合わせたはずのジャンプがほぼ誰も覚えておらずドン滑り。3曲目で喉を潰す。ラストナンバーとなった“曇天”ではPAさんに伝えた通りの照明が思った以上に激しかった反動で歌詞を忘れ、最前の観客がサビで拳を降ろす前代未聞の自体を引き起こし、我々(というか僕)はあまりの恥ずかしさに挨拶もせずそのまま帰路についた。今ではある程度の歳を重ねてきたが、間違いなくあの日が人生最悪の夜だったと断言出来る。


そしてその日を境に、彼とその友人は一切サークルに顔を出さなくなった。僕としても彼らがいないサークルはもはやいろいろな意味で耐えられなかったのと、他のサークルも掛け持ちしていた関係上「もう無理だ」と感じ、いつしか行かなくなってしまった。ただバンドを解散しても彼らとの友情は顕在で、以降大学卒業まで関わりを持つことになったのは本当に有り難いと思っているのだが、とにかく。バンド時代とは違ってそれなりに付かず離れずの関係になってしまったのは、若干悲しい気持ちではある。


そんな彼はあれから数年経ち、一家の大黒柱となった。そのことに僅かながらも心が揺らいでしまったのは、僕自身が心から望む現状を手にしていない証左なのだろう。ギターを辞めながらも、理想的な生活を送る彼。武器を持ち替え、音楽の文章を執筆する僕。彼が今の僕を見たら、何と言うだろう。批判?応援?……いや、おそらくはあのバンド結成と同じように、「何とかなるっしょ」と煙に巻くことだろう。もはや「結婚おめでとう」と伝えることさえ難しい程距離は空いてしまっているけれど、彼が背中を押してくれて開設したこのブログの場を借りて。

 

氣志團 - 結婚闘魂行進曲「マブダチ」 - YouTube