キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

全ての社会的弱者に送る、amazarashiの代表的名曲+歌詞10選

こんばんは、キタガワです。

 

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日常で巻き起こる悲喜こもごもを歌うロックバンド・amazarashi。今でこそ日増しに知名度を広げている彼らだが、今の地位を確立したひとつの要因に挙げられるのは、フロントマンである秋田ひろむ(Vo・G)による等身大の描写で綴られる、多大なる求心性を宿した歌詞であろう。


3月11日に渾身の一手たるフルアルバム『ボイコット』をリリースし、関心の目が注がれるに相応しいこのタイミングだからこそ。今回はamazarashiの楽曲及び特筆すべき歌詞を10個抜き出し、彼らの楽曲群が何故聴く者の心を掴んで離さないのか、その真髄に迫っていきたい。


amazarashiにおける心に染み入る印象的な楽曲と歌詞は、聴く人の現在の境遇や立場によって千差万別である。そのため以下に挙げる10曲はあくまでひとつの足掛かりとして捉えていただき、現状発表されている音源の隅々まで目を向けてほしいと切に願う。総じて今記事が未聴の人間にとってはamazarashiのいう名の新天地へ足を踏み入れる起爆剤として、そしてかねてよりのファンにとっては、より一層彼らに傾倒するに至る契機となれば幸いである。

 

 

 ①つじつま合わせに生まれた僕等

《善意で殺される人 悪意で飯にありつける人/傍観して救われた命 つじつま合わせに生まれた僕等》

 


amazarashi 誦読『つじつま合わせに生まれた僕等 (2017)』 Music Video

 

結成初期から歌われ続けるamazarashiを代表する名刺代わりの1曲とも言える“つじつま合わせに生まれた僕等”は、世界の成り立ちから他者の生死といった本来思いを巡らすこと自体ナンセンスな存在意義について一考する、極めて哲学的な楽曲だ。


ごく狭い視野で日々を生きている我々だが、ふと世界に目を向けると何処かの国では人が土に還り、動物が死に、絶望の底で涙を流す人もいる。……そうした諸行無常の事柄から至る結論こそが「つまるところ世界は個々の集合体でしかない」という真理と「この世に生を受けた理由は世界の均衡を保つための辻褄合わせに過ぎないのではないか」との不明瞭な解なのだ。


しかしながら、そうした繰り返しの果てに誕生したのが今我々が生きる世界であることは紛れもない事実。総じて生と死を対比させる“つじつま合わせに生まれた僕等”は、絶望の淵においても死の選択肢だけは絶対に回避せんともがく心情が如実に表れる、生をより身近に呼び起こす哀歌と言えよう。

 

②奇跡

《つまずいたのが 奇跡だったら このもやもやも 奇跡 奇跡/立ち向かうのも 引き返すのも 僕らの答え 奇跡 奇跡》

 

前述の“つじつま合わせに生まれた僕等”が存在意義を主軸にしているとするならば、“奇跡”は全ての事象自体が天文学的確率であるとの思いを巡らせる、人生の根幹部分を歌う楽曲である。


何度も繰り返される《奇跡》のフレーズは一見幸福なイメージを暗喩する《奇跡》のようでいて、楽曲全体に目を向けると本来のそれとは大幅に異なることが分かる。そう。この楽曲で歌われる《奇跡》とはつまり、理想と現実のギャップにうちひしがれる中での精一杯の詭弁なのだ。上手くいかない現実も挫折も、それら全ての事柄を奇跡であると言いくるめることで心の安定を保つ、上手く生きられない人間ゆえの不安定さが見て取れる。


けれども《つまずいたのが 奇跡だったら このもやもやも 奇跡 奇跡》とする思考変換は一種の現実逃避に他ならず、一切の根本的解決には至っていないのも事実。絶望の淵で彷徨う人間が共通して最も欲しているのは問題解決の手段ではなく、少しでもざわついた心を落ち着かせるための『何か』である。だからこそ“奇跡”は狭い視野で絶望に落ち行く人間の考えを緩めるひとつの契機となり、暗黒の日常に少しの光をもたらす。たとえそれが、一時の慰めに過ぎないとしても。

 

③ジュブナイル

《「人間嫌い」っていうより 「人間嫌われ」なのかもね/侮辱されて唇噛んで いつか見てろって涙ぐんで/消えてしまいたいのだ 消えてしまいたいのだ》

 


amazarashi 『ジュブナイル』

 

他者から蔑まれる現状を自分自身の性格的な問題以上に『人間的欠陥』であると置き換えることで、より一層自己否定を強め、憂鬱を増幅させてしまう負のサイクル。そうした堂々巡りの自問自答は精神を殺す何よりの凶器であるということは、おそらく誰もが理解しているにも関わらず、頻りに思い悩んでしまう。その最大の理由はやはり、トラウマティックな事柄と増大する憂鬱に起因する自己否定の存在が大きいのではなかろうか。


突如出現したモンスターから逃げ惑う上記のMVに描かれているように、正体不明の憂鬱というのは突発的に起こるものだ。中でも最も極端な悪手として描かれる逃げ場を失った少女が屋上から身を投げる一部始終に顕著だが、たとえそれが他者からすれば一笑に付される事柄であったとしても、当人にとっては何よりも強大な『今消えたい理由』になり得るのだ。


そうした無形の絶望を、最終的に《物語は始まったばかりだ》との希望的観測で締め括る“ジュブナイル”は「結局のところ生きるしかないのだ」と分かりきった結論を改めて突き付け、絶望と直接的に向き合わせる力強さを秘めている。

 

④スターライト

《夜の向こうで何かが待ってて それを照らして スターライト/情熱 希望なんでもいいけど 僕らはここに居ちゃ駄目だ》

 


amazarashi 『スターライト』

 

アマチュア時代から形を変えながら歌われ続けてきた、言わばamazarashiにおける重要曲のひとつでもある“スターライト”は、宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』に見立て、果てなき旅路を歌うミドルチューン。けれどもその物語上の観測者として描かれるのは、原作の主人公・ジョバンニでも友人・カムパネルラでもなく、他でもない自分自身だ。


“スターライト”は当時一種の引きこもり状態であった秋田が、自身を鼓舞するために作り上げた楽曲である。現状維持に甘んじることで訪れるであろうバッドエンドを《僕らはここに居ちゃ駄目だ》と思考変換し、現状を好転させる何かしらの事柄を模索する……。楽曲内で示されている光は徹頭徹尾どこか朧気で確実性がない。しかしながら光を渇望する思いに関しては力強く明白で、何としてでも絶望から這い上がろうとするバイタリティーに満ち溢れている。


ことライブでは決まって終盤に位置し、クライマックスに向けての重要な役割を担う“スターライト”。永遠にも思える長い夜であっても、いずれは明ける。暗黒の夜を抜けたamazarashiの旅路が今絶望する人間の希望の光となっている現状は、おそらく偶然ではないのだろう。

 

⑤名前

《どんな風に呼ばれようと 好きにやるべきだと思うよ/君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない》

 


amazarashi 『名前』Short Version.

 

絶大な説得力を伴って進行する“名前”は、タイアップへの起用やライブ動員数が増加傾向にあった当時のamazarashiにおける言わば転換期に発表された。今回取り上げる楽曲群の中では唯一のカップリング(B面)曲ではあるものの、後に個別MVも制作されたほど根強い人気を誇る楽曲でもある。


人間は学校や会社といった組織に必ず属していながらも、他者を「○○っぽい」、「○○だから」との勝手な理由と解釈で外見的、もしくは性格的特徴を指して定着化させてしまうことがある。


問題なのは、通例化した“名前”が例え本人の意に沿わないものであったとしても、人物を端的に表す固有名詞として拡散されてしまう点だ。楽曲内では嘘つきや社会性不安障害、フリーター、自殺志願者、無神経、高卒といった世間一般的なイメージに照らせばおよそ避けられないネガティブな『名前』の数々が、現れては消えていく。そんな悪口めいた“名前”を指し《君を語る名前が何であろうと 君の行動一つ程には雄弁じゃない》と結論付けるこの楽曲は、有毒かつ不本意な言葉で心を蝕まれる弱者の心を溶かし温める、慈悲深い楽曲と言えよう。

 

⑥エンディングテーマ

《あなたの胸に焼き付いて 消えないような/気の利いた言葉を 言いたいんだけど/そんなこと考えてたら もう時間か/最後はやっぱり 「ありがとう」かな》

 


amazarashi 『エンディングテーマ』Real Time Face Mapping Music Video

 

生きとし生きるものに平等に訪れる終着点でありながら、おそらくは誰もが考えない……いや、考えたくもない事柄のひとつ。それこそが『死』である。そんな頭の埒外にある未来をストレートに描き、聴き手に喚起させる楽曲が“エンディングテーマ”だ。


天寿を全うする今そのとき、数え切れない苦楽が最終的に《ありがとう》の一言に集約される一部始終は、死に目を目撃した第三者から見れば「理想の大往生だった」と評されて然るべきだろう。しかしながら最期の言葉として落とされた《ありがとう》には数え切れないほどの苦楽が秘められているのも事実で、この楽曲を聴いている我々は今まさに《ありがとう》に至るまでの過程を歩む存在であるとも称することが出来る。


人生100年時代が叫ばれる現在において、酸いも甘いも入り乱れた生活を送っている我々もいつか辛い生活の果てに、人生を全肯定して《ありがとう》と思える時が来るのだろうか。その答えを知るためには、絶対に今は生きなければならないというのは素晴らしくもあり、また残酷にも思える。総じて“エンディングテーマ”は過酷な現実に疲弊した末、今まさに死の選択肢が眼前に迫るどん底の人間であればあるほど、涙腺を刺激するはずだ。順風満帆に過ごす人間の理屈では決して測れない何かが、この楽曲には秘められている。

 

⑦僕が死のうと思ったのは

《僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから/満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから》

 


Ω Amazarashi - The Reason why i thought i'd die 僕が死のうと思ったのは Ω

 

日常生活における様々な事柄が遅効性の毒の如く心を侵食し、逃避の最も極端な最善手として心中に浮かぶ『死』の選択肢。


自死の選択は言わば、自分自身による自分自身に対しての殺人行為である。では何故そうした考え得る限りの極端な妄想を抱いてしまうのかと問われれば、そこには他者からすれば到底理解の及ばない、支離滅裂な思考が人それぞれに存在するはずだ。ひとつだけ確かなことがあるとするならば、「今が辛い」ということと、「きっとこの先も輝かしい未来は訪れないだろう」というどこまでも穿った未来予想図だ。つまるところ死による救済こそが現実を消失させる唯一の手段であり、自分にしか理解できない、……いや、自分でも理解できない名状し難い無形の絶望が、際限なく心を覆い尽くしている。


……“僕が死のうと思ったのは”と心的弱者が希死念虜を抱く理由については上記の通り抽象的で、明確な解は存在しないことが多い。けれどもサビ部分で歌われる《満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから》との真理は、必ずや日常的に希死念慮を抱く人間にしか理解しえない、何にも勝る雄弁さを伴って等しく胸を打つ。

 

⑧たられば

《もしも僕が生まれ変われるなら もう一度だけ僕をやってみる/失敗も後悔もしないように でもそれは果たして僕なんだろうか》

 


amazarashi 『たられば』Music Video

 

「もしも○○だったら」とは誰もが空想するifの世界線であると同時に、絶対的に実現不可能な理想である。しかしながら全てが上手くいく世界線へと歩みを進めることは当然の如く不可能で、結局のところは様々な事柄に折り合いを付けて生きていくしか道はない。


《もしも僕が○○だったら》の始まりから《困ってる人は全員助ける》や《喜怒哀楽の怒と哀を無くす》といった正義的な空想の果てに、最後のたらればとして歌われる《もしも僕が生まれ変われるなら もう一度だけ僕をやってみる/失敗も後悔もしないように でもそれは果たして僕なんだろうか》との真理へ着地する一幕は、思わず膝を叩く説得力に満ち満ちている。


書き換えたい過去も消し去りたい思い出も。そうした絶対に巻き戻すことが出来ないたらればを間接的に示すことで、最終的には残酷な現実を直視させる“たられば”。優しくも自傷的なその一連の説得は人生における根源的な響きでもって、緩やかに鼓膜を刺激する。

 

⑨月曜日

《普通にも当たり前にもなれなかった僕らは/せめて特別な人間になりたかった/特別な人間にもなれなかった僕らは せめて認め合う人間が必要だった》

 


amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌

 

“月曜日”は漫画『月曜日の友達』にインスパイアされ制作に着手した楽曲であり、漫画のタイトル通り、とりわけ学校生活における友人との関係性に焦点を当てた作りとなっている。


形の合わないピース同士が決して嵌まらないように、自分を出した結果『普通』の枠から外れ孤立の末路を辿った人間に残された道は3つしか存在しない。本心を偽ってグループに属するか、スタンドアローンの一匹狼として後ろ指を指されながら過ごすか。もしくは、同種の人間と出会うかだ。


「みんなちがってみんないい」とは金子みすゞが遺した有名な詩の一節であるが、実際問題、人それぞれの多様性を認めることが出来るのは学校生活のずっと後のことで、凝り固まった視点での表面上の言動や容姿でひとりの人間の価値を決め、それがさも当然の如く蔑ろにする。それは悲観的な境遇に置かれている当事者についても同様で、行く行くは笑い話になる事象であっても、過去の笑い話として昇華出来るのは遥か先のこと。それがどれほど陳腐な事柄であっても、当時は何よりも強固な自己否定の要因になり得るのだ。


性格や境遇こそ違えど、辛い現実を緩和する貴重な友人関係として垂直に立つ「僕」と「君」の関係性。学校生活は元より、大切な人物の存在を心中に呼び起こす“月曜日”は、普通にも当たり前にもなれなかったあぶれ者たちの肩を優しく叩く、ニューアルバム『ボイコット』の中でも屈指の親和性を誇る暖かな応援歌だ。

 

⑩独白

《言葉は積み重なる 人間を形作る 私が私自身を説き伏せてきたように/一行では無理でも十万行ならどうか/一日では無理でも十年を経たならどうか》

 

ディストーションギターを経ての開幕から終始ポエトリーリーディングで進行する“独白”は、日本武道館公演で最終曲のテーマソングとなった象徴的事実のみならず、昨今のライブにおいてもクライマックスに至る道程を示す重要なアンセムとして位置する楽曲だ。


公開時点では検閲対象となり、ノイズにまみれその一切が不明瞭だった“独白”。日本武道館ラストで披露された際、歌詞が一部欠損状態で歌われていたことも記憶に新しいが、ニューアルバム『ボイコット』収録の“独白”では遂にその全貌が明らかとなっている。前半部では主人公・実多の人生回顧を主としているが、後半部では一転、言葉の何たるかを徹底してアナライズすることにより、現代社会に生きる我々の実生活やSNS上で見受けられる、言葉狩りにも似たアンチテーゼの風潮に切り込んでいる。


日本には『三つ子の魂百まで』という諺があるが、幼い頃に経験した趣味嗜好は、大人になっても良い意味でも悪い意味でも尾を引く。“独白”でも繰り返し歌われるように、人格形成に多大な影響を与えたその最たるものこそは見聞きした『言葉』の数々であり、それは精神をも無意識的に侵食し、本人の意思に関わらず行く行くは気付けばかつて浴びせられた言葉に相応しい人間として形成してしまう。


クライマックスに転じる《一行では無理でも十万行ならどうか/一日では無理でも十年を経たならどうか》との一文は、長い下積み生活の果てに日本武道館公演成功というひとつの大団円を迎えた秋田を指しているのはもちろんのこと、言葉によって形作られた我々が、また更なる言葉によって如何様にも変わることが出来るという希望の意味合いも含まれている気がしてならない。『言葉』に生涯を蝕まれながら生涯を終えるか、はたまた『言葉』を乗り越えて克服し前へ進むか。それを決定付けるのは他でもない、自分次第なのだ。