その日は通常通り働いていて、いつものようにアルコールを買って帰路に着いた。帰宅すると直ぐ様プルタブを開けて、酒を胃に流し込む。それから半酩酊状態でゲームやら音楽やらを楽しんで、寝る体制に入り、ようやく気付いた。「そういえば今日は誕生日だったんだなあ」と。……そしてこの「誕生日が来ました」という話題自体も、今から数ヶ月も前の話。これまではツイッターで報告をしていたけれど、それも億劫になり、今年はそれ関係を呟く気さえも起きなかった。
人は歳を取るにつれ、感情が希薄になるとされる。あの頃楽しかったことは楽しいとも思えなくなり、現状を打破しようともがいていた青い炎は、いつしかか細い達観の火へと変わっていく。「これが歳を取ることなんだ」と一蹴するのは容易だが、反面、正体不明の悲しい気持ちにも襲われることも多くなってきた。
学生時代も今も、コンプレックスとしてあるのは『人間関係の不出来』である。イジメだったり肉体的な病気だったりと理由はあったが、とにかく。人生における最も多感な時期に、自分は人と極力距離を置き、それどころか人前で口を開くことさえほぼない生活を送った。そしてその弊害からか、今でも『他者を経由せざるを得ない行動』の大半が苦手である。人と一緒にどこかに行く。フォロワーにリプライを送る。ライン。オンラインゲーム。スポーツ……。歳を重ねた今でこそ娯楽は増えたが、それも基本的には他者を必要とする。なもんで「そんなことをするなら一人で過ごすよ」というスタンスで生きることは、おそらく一生変わらないだろう。どんな幸福より、なるべく一人でいる。それこそが自分にとっては最もダメージを負わずに済む処世術なのだ。
ただ社会に出て痛感したのは、自分が自傷的に持ち続けているそうした個人主義よりも、他者を介在させるアクションをする方が圧倒的に是とされることだった。中でも大人になった今よく言われるのは、「男なのに風俗行ったことないの?」「合コンとか行けば良いじゃん」といった女性を交えての娯楽の勧めだ。これももし自分が女性からの地獄のようなイジメを受けずに学生時代を過ごしていたら、逆側の立場だったのかなと思う。ただ他人からすれば「その歳で◯◯したことないってどうなの?」的な奇異の目で見られてしまうのは、難しいところである。
確かに、様々なことを経験してきた人は端から見ても格好良い。まるで経験値がオーラに出ているようだ。そして大人になればなるほど、そうした経験値を見せ付けるような立ち居振る舞いが、自身の評価にも繋がる感覚は否めないのだ。なもんで、職場では何に対してもポジティブに返すことで乗り切っている。でも帰宅後はまるで遅効性の毒のように、精神を侵されていく感覚にも陥るのが正直な気持ちだ。
「そういえば今日誕生日でした!」。あの時、なぜ自分はそう言えなかったのだろう。対人経験値の不足か、はたまたプライドによるものなのか……。たらればの話を考えても仕方ないが、ひとつ分かることがあるとすれば、もし言っていたとして、その一言で夜な夜な悩んでいただろうということだ。