広島の大学時代、僕の生活は音楽と共にあった。沼に片足を突っ込んだのはもうかなり前のことだし、今も変わらず音楽愛は強い自負はある。ただ大学時代は特に音楽に関しての執着が強かったために、それ以外をほとんど見ようとしていないレベルの依存ぶりだったと思われる。
その最も極端な例が、今でも広島に訪れた際は必ずと言って良いほど寄ってしまうTSUTAYAだろう。当時のマンションから自転車で40分の距離にある毘沙門台のTSUTAYAは広島県内でも圧倒的なラインナップであるとされ、僕はそこに通常あり得ないペースで通っていた。通うと言ってもパッと借りてすぐ帰る一般的な類のものではもはやない。何故なら僕のそこでのスタイルは、夜の21時あたりに来店し、そこから閉店時間の朝2時までずっとCDレンタルの場所に居続けるというものだったのだから。そこにはCDの視聴機があり、気になったCDはいつでも聴いて良いサービスがあったため、ずっと「お客さん閉店ですよ」と言われるまで音楽を聴き続けて夜の3時過ぎに帰宅。そこから空が明るくなるまでYouTubeで音楽をザッピングして寝る生活が、たまらなく好きだった。
他にも、学生の誰もが一度は経験するであろうアルバイトに精を出す理由に関しても常に音楽だった。ライブに行くため。CDを買うため。物販を買うため……。傍から見れば「何でそんなに金使うの?」と思って然るべしだろうが、逆にこちらから「何で音楽に金使わないの?」と聞きたくなるほど自分にとってはそれが当たり前で、コンビニ3社やらカラオケやら焼肉屋やら道路交通警備員やら学童保育教員やらいろいろバイトをしながらも、思考はいつも「今日稼いだ金で音楽に還元出来る!」の一点のみだった。正直、そんな音楽漬けだった大学時代を僕は全く後悔していない。もしも後悔していることがあるとすれば、それは「もっと音楽に触れれば良かった」ということくらいか。
濃密だったあの4年間から何年も経ち、その生活の果てに辿り着いた今の自分が世間一般から見る『普通』に合致しない有様になっていることには、一抹の不安を覚えたりもする。ただこれに関しては若干の諦めもあって、そもそも自分は音楽以外のことについて、頭が機能しないのだ。例えば人と雑談をしたとして内容を覚えていないことはザラだし、社内ルール一覧表と2時間にらめっこしたにも関わらず一切覚えていなかったり。大学時代の最寄り駅の名前も分からないし、最も酷かった出来事として語り草なのが、もう20年以上の付き合いで週に1度は電話をしていた友人の就職先、家族構成、出身校の情報を完全に忘れていたりしたこともある。馬鹿とかそういう次元以上に、自分ではどうしようもない圧倒的な無理感。対照的に、音楽に関してだけは異常な関心を向けるのだから世話ないというものだが。
そんなこんな、ままならん日常を今日も送る。真っ昼間、文章を書く気力も湧かずベンチに座って缶ビールを飲む足元を、数羽の鳩が馬鹿にしたようにてちてち歩いている。無性に居心地が悪くなって、手元にあった音楽プレイヤーに逃げると、先程までの憂鬱がさっと消えていくのを感じた。やはり少なくとも自分は、あれから何年経っても音楽から切り離せずにいる。