こんばんは、キタガワです。
俺たちのドーパンが帰ってきた。いや、帰ってきてくれた。誰のために?無論、ドーパンの再結成を待ち続けてきた我々のためにである。……2022年1月28日、遂にDOPING PANDAが10年ぶりに再結成を果たした。それはまだ実際にライブを観た訳ではないので未だフワフワとした感覚に留まっているが、内なる興奮が全ては真実であると証言している。本当にドーパンはこの令和の時代に復活を遂げたのだと。
DOPING PANDAは1997年に結成されたロックバンド。スリーピースでありながらフルカワユタカ(Vo.G.Prog)によるキラキラな打ち込み有するサウンドが注目を集め、当時からコアなロック好きを中心にじわじわと広がりを見せていたことは、おそらく現在20代後半〜30代前半のファンの誰もが理解していることだろう。ただ彼らの人気は現在スタンダードとされているアニメやドラマの主題歌起用から一気に大衆へと広がる形とは少しばかり違っていて、確かに資生堂のCMタイアップが付いた“beautiful survivor”は大衆向けに知れ渡ったもののその他の楽曲はフェスやライブによって認知へと結び付き、知る人ぞ知るロックとしてじわじわと広がりを見せていた。
話は少し脱線するが、楽曲がバズることはアーティストにとって大きな意味を持つ。それこそ我々が瞬時に思い付く『有名なアーティスト』も絶対的なヒット曲が個々に存在する訳で、バズが契機となって名前が知れ渡るという循環は今も昔も変わらないけれど、ドーパンの場合はそうしたバズに敢えて重きを置かない活動スタイルが、良い意味で魅力的でもあった。「DOPING PANDAの曲で何が一番好き?」と100人に問うたとして、それぞれはっきり異なる答えが帰ってくる存在とでも言おうか。とてつもなく変な例えをしてしまうが、瑛人やAdoで同様の質問をしたときには“香水”や“うっせぇわ”をメインとしてかなり比率が偏るが、DOPING PANDAは大体良い感じのバランスになるような……。つまるところ、認知に結び付いた楽曲は数あれど、それすらも個々人にとっての好みで入れ替わるアーティストは当時も稀有だったのだ。
DOPING PANDA 『beautiful survivor』 - YouTube
その一方で、バンドの継続と共にDOPING PANDAのフロントマン・フルカワの精神状態は日に日に悪化していった。全盛期の動員には遠く及ばない現実。売れるために様々な楽曲を制作するも、精神的に追い込まれる。ライブを行えど、どこかフワフワした無機質な感覚に捉われる悪循環……。最終的には当時のフルカワは、ライブに来てくれている長年のファンに対しても「(ドーパンを)応援しなきゃっていう感覚になってる気がする」と思うほど追い込まれており、次第にその責任の所在を考えるようにもなっていった。僕は某音楽雑誌で彼が語った「こうやってバンドは終わって行くんだなって」という発言が今でも印象的なものとして残っていて、結果そのインタビューから数ヶ月後にDOPING PANDAは解散を発表したのだが、今思えば本当にフルカワは限界の状態に達していたのだなと推察することが出来る。
フルカワは解散後、ソロ活動をスタート。なお彼のソロ活動は概ね良好に進行し、バンドとしてではない新たな音楽活動が功を奏したのか、毎年コンスタントな活動を続けて現在に至る。もちろんソロ音源も素晴らしい代物である中で、やはり脳裏をよぎってしまうのは「ドーパン再結成ないかな」という、何度も彼らの音楽に救われてきた人間としての純粋な感情だった。加えてドーパンの場合はケンカ別れでも方向性の違いでもなく、全員の現状俯瞰を突き詰めた結果の解散だったこともあり「あれから何年も経って各自の活動がポジティブに行われるようになった今なら何かが変わるのでは」との思いもあったのだ。
DOPING PANDA「Imagine」 - YouTube
そして待ちに待った、此度の再結成。中でも感動的だったのは新曲として投下された“Imagine”。フルカワのテレキャスの音、主張する打ち込み。コーラス。歌声……。あれから10年が経ったが、その全てが完璧なDOPING PANDAであることに改めて驚く。ああ、やっぱり3人で演奏すればDOPING PANDAになるのだなぁと、バカな感動さえ覚える最高の新曲だ。……涙を流すとか声を荒げるとか、そんなチャチな感動ではない。嬉しさを敢えて圧し殺すようなしみじみとした感情が、本当に彼らが戻ってきたという何よりの喜びだった。既にニューアルバムのリリースを予告し、4月からはツアーも決定しているDOPING PANDA。これからあの全盛期に到達出来るかどうか、そんなことは至極どうでも良いことで、何よりも彼らが令和の今完全復活を遂げたことを、心から嬉しく思う。ライブチケットの高い倍率を潜り抜けたその先に、一体我々は何を感じるのだろう。その言語化不能の興奮を浴びるためにも、彼らの今後の活動をチェックしない手はないというものだ。