こんばんは、キタガワです。
去る11月23日、RADWIMPSにとって自身10枚目となるニューアルバム『FOREVER DAZE』がリリースされた。かねてより彼らの音楽に親しんできたファンはもちろんのこと、チャート成績もオリコン初登場3位と好調であることを考えると、多くの人の耳にこのアルバムは届いていることだろう。
野田洋次郎(Vo.G)が様々なメディアで語っている通り、今作はコロナ禍でなければ生まれなかったアルバムだ。蔑み合う政治と世論をラップ調で一刀両断する“匿名希望”、暗がりの中に未来を希求する“鋼の羽根”、意味のない自問自答を繰り返す“SHIWAKUCHA feat.Awich”……。いつものRADWIMPSらしさを残しつつもどこか儚く、荒々しささえ覚える楽曲群は間違いなく今も、そしてこれからも『コロナ禍』という苦難の日々を再考するために必要とされる作品だと思う。ただ、その中で今作では“ココロノナカ”を筆頭とした自粛生活中に制作され話題を呼んだ楽曲群が徹底して外されているのもポイントで、この事実が示すものはつまるところ、現在の野田がそうしたモードから開放されつつあるということ。にも関わらず、実際の彼がコロナ第6波を過ぎて感染も減少傾向にある中でどう現状を俯瞰しているのかは、未だ分からないままなのだ。
RADWIMPS - SUMMER DAZE 2021 [Official Music Video] - YouTube
故に彼の心を我々が慮る手段として位置しているのはやはり、今作のリード曲たる“SUMMER DAZE 2021”を置いて他にはない。野田はこの楽曲について「なんだかまた鬱屈した夏が来そうだね。せめて聴いている間は気持ちが晴れて、どこまでも駆けていけそうな、踊り続けられるような夏のアンセムを作ろうよ。この夏の眩惑を一曲に閉じ込めよう」と友人である野村訓市との当時の会話を再現して語っているが、その内容もあまりにも直接的にコロナ禍を指している。
“SUMMER DAZE”の歌詞の大半を占めているのは英詞。我々日本人にとって英語の詞は当然日本語詞よりは共感し辛いものだが、動画のチャット欄に載せられた公式リリックを見ると、意味をはっきりと読み解くことが出来る。特に冒頭の《「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ」/「なんでもっと違う未来にできなかったんだ」/そんな言葉がこの世界を今日も覆っている》という一節には、大前提としてネガティブな思いが広がっているリアルを呼び起こす。
個人的な、正直な気持ちです。 pic.twitter.com/kcPdrOVNXt
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2021年4月22日
数日前に中止の連絡をもらい、ここまで自分の中に溜まっていった個人的な気持ちです。 pic.twitter.com/8oiyFpqoiO
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2021年7月7日
話は少し脱線するが、かねてより野田は「人間とは辛さを携えて生きていかなければならない」とする考えと「だから他者の助け(恋人や友人)が絶対的に必要」という考えのふたつを持って楽曲を制作することが多く、逆に徹底してポジティブな楽曲はほとんど作らない。それはここ数年の野田のコメントとインタビューで赤裸々に語っているように、彼自身が常日頃から様々なことに悩み、考える人間であることが強く影響しているのだが、結果RADWIMPSの楽曲は「辛いことはたくさんあるけど頑張ろうよ」と優しく弱者の背中を押す、唯一無二のバンドとして確立した。
翻って、後半の歌詞だ。ここでは英詞を極力使わずにどこまでもポジティブに生きようとする力強さに満ち満ちているけれど、よく見ると歌詞の全体数としては少なく、その大半を壮大な同音で固めている。その理由はおそらく、言語化不能な我々の心を代弁しているからではなかろうか。オンライン授業。マスク姿ばかりの写真。黙食。卒業旅行の中止。部活の自粛。距離の確保。……この1年半の生活は本当に様々な苦難があったけれど、それらを全て思い出して言葉にすることが我々にも難しいように、野田が重要なコロナ的歌詞としていくつかを抜粋して綴ることもまた不可能。であれば、残す手段はひとつ。そう。それぞれの思いを隠れた歌詞にして、“SUMMER DAZE”に溶かすことだ。
“SUMMER DAZE”は現在フワフワとした雰囲気を携えながらゆっくりと、音楽ファンの間に広がっている。その中には何度も聴き返して歌詞やサウンドの重厚さを称賛する者、はたまた「よく分からないけど最高」と感じる者など様々であろうと推察するが、どんな接触であれ、楽曲を聴くことで『何か』を感じることが出来れば、少なくとも“SUMMER DAZE”に関してはそれで良いのだ。そしてこの楽曲が本当の意味で再評価されるのはおそらくコロナ収束後の話になるだろうけれど、今は我々聴き手が“SUMMER DAZE”を通して、逆説的にコロナ禍をプラスの出来事へと思考変換するツールとして用いることも、先行きの不透明な道標を照らすために必要だ。