キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

コロナ禍について歌った楽曲5選

こんばんは、キタガワです。


未だ収束の兆しの見えない、新型コロナウイルスの大流行。周知の通り先日発令されたばかりの緊急事態宣言は今月末までの延長が決定し、東京と大阪では連日感染者数が1000人の大台を突破するなど、依然深刻な状況が続いている。無論音楽シーンも例に漏れず、逆風が吹き荒れる状況は1年前から変わらない。けれども当時と異なるのは、アーティスト全体がコロナに負けじとポジティブな思いを抱き、強い精神性で楽曲を生み出し続けている点である。そこで今回は『コロナ禍について歌った楽曲5選』と題し、先の見えないコロナ禍においても未来を希求する、毛色の異なる頼もしき音楽の数々にスポットを当てて紹介。この未曾有のコロナ禍だからこそ生み出された珠玉の名曲群に、是非とも酔いしれてほしい。

 

 

最悪な春/森山直太朗

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紅白歌合戦出場回数、特別出演も含め4回。春の季節になるとこぞって集計される『桜ソング特集』では決まって上位にランクインするなど、もはや説明すること自体野暮な完全無欠のシンガーソングライター・森山直太朗。そんな彼が新型コロナウイルスが蔓延し始めた昨年、いち早く制作に着手したのが以下の“最悪な春”である。


“最悪な春”はそのタイトルにもある通り、花見やハイキング、山登りといった様々な幸福行事を予定するだった2020年の春に起こったリアルを、独自の着眼点と歌詞表現でつまびらかにした楽曲。正式な音源としてリリースされたのは今年4月に入ってからだが、昨年の夏には既に新曲としてレコーディング済みであることをSNSにて明かしており、以降のライブでも積極的にセットリストに取り入れていた関係上、「その存在は知っていた」という人も少なくないだろう。楽曲は閑古鳥が鳴くカフェ、感染拡大防止の観点から中止された卒業式など、今春の憂いを帯びた日々をひたすら書き連ねる代物。それは一見ネガティブ一辺倒のようにも思えるが、あえてポップなメロディーに乗せてそれらが歌われていることからも、森山の中ではある種の泣き笑いのような「辛いときこそ笑顔を」という前向きな精神性が如実に表れている楽曲であるとも言える。


今作のCDジャケットは晴れ晴れと澄み渡った空に加え、小学生のテストで教員が付けるような「よくがんばりました」とのスタンプのみで形成されていて、初回限定盤には桜色のマスクで口元を覆い、ほぼ隠されてはいるが少しばかりの笑顔を見せる森山の表情が映し出されている。無論在りし日を回顧したり、この1年何も変わらない現状に憤ったりと、この楽曲を聴いての反応は人それぞれではある。ただ制作者本人である森山の根底には、絶対的なポジティブな思いが常に存在し続けている。森山なりのコロナ禍を表した楽曲“最悪な春”に、果たして貴方は何を思う。

 

 

 

2020年はロックを聴かない/バックドロップシンデレラ

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全国各地のフェスを総なめにするのみならず、毎年大規模なツアーを幾度も実施。でんでけあゆみ(Vo)によるダイブ・モッシュの扇動など、その常識はずれのステージングでも話題を集めるロックバンド・バックドロップシンデレラ。今回取り上げるアーティストの中でもソーシャルディスタンスや発声禁止、そして何より無秩序にモッシュを引き起こすことの出来ない感染拡大防止策の観点から、今までのようなライブ方式が実質的に不可能となり、極めて大きな痛手を今も受け続けているのがバクシンだ。


そんなバクシンが発表した新曲は“2020年はロックを聴かない”とする衝撃的な楽曲であり、その痛烈な彼らにしか歌えない歌詞の数々は大きな反響を呼び、結果今楽曲のリリースの報はバクシンの長いバンド歴で最大のリツイート数を記録するに至った。この楽曲内では、取り分け『自粛期間』と呼ばれた第一波の頃、ライブが軒並みキャンセルとなり、強制的な活動停止に追い込まれた彼らの悲痛な心境が綴られている。かつてライブに参加した際、彼らは汗だくになりながらひたすらライブの楽しさを熱弁していた。……長らくライブを止め、更にはほぼ全てのライブを無観客で実施せざるを得なかった昨年、彼らがどんな思いで過ごしていたのかは想像に難くない。


こと海外音楽シーンで「ロックは死んだ」と揶揄されて久しいが、彼らはこの楽曲において明確に《ロックが死ぬ2020年》と記している。彼らにとってライブが出来ない2020年の生き地獄的な日々は、正にロックの死そのものであったのだろう。現在、様々な制限を行いながらライブ活動を再開した彼らは、この楽曲を必ずセットリストに加えている。その際は激しいアクションは一切行わず、まるで祈るように直立不動で歌唱するでんでけの姿を見るたびに思う。バクシンのライブで暴れ狂う日が、一刻も早く到来して欲しいと。

 

 

 

感染源/感覚ピエロ

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思いもよらない角度から急襲を続けるロックバンド・感覚ピエロ。彼らの新曲“感染源”がYouTube上に公開されたのは、去る2020年3月13日。そして全国で初めて緊急事態宣言が発令されたのは更に先、4月7日。すなわちこの楽曲は全国的にコロナウイルスが拡大する遥か前に驚異的なスピードで制作、マスタリング、MV撮影までの一連の流れを終わらせた楽曲であるということはまず最初に記しておくべきだろう。


確かにこの楽曲全体に目を向けると、映像もワンカメラで東京の街を闊歩するチープなものであるし、音源に関しても然程音は良くない(スピード感重視した結果であることは疑いようもないが)。ただそれらを帳消しにする程ダイレクトに鼓膜を揺さぶるのは、耳の痛い深部にまで徹底して切り込む歌詞である。その全てを列挙することまでは今記事では行わないが、《全員容疑者です》《「自己責任」と「自己判断」/結局一人だってことですか》《最も蔓延してしまったのは/その醜い考えそのものです》など今作に含まれるキラーワードの数は圧倒的で、誰しもの脳内に『コロナウイルスの蔓延』という現実に巻き起こる惨状を思い起こさせる説得力に満ちている。


確かに悪者はコロナではある。ただコロナを拡散させ、感染者の誹謗中傷を繰り返し、特定の業種を槍玉に上げる。つまりはそうした自分勝手な行動で世間を翻弄する我々こそが『本当の感染源』である……。これこそが悩み抜いた感エロが行き着いたひとつの解だ。この楽曲を聴いた時、おそらく大多数の人間は自己の思考をハッと振り返ることだろうが、やれマスクだソーシャルディスタンスだ外食禁止だと何かと行き辛い環境下にある今、“感染源”のような強い印象を抱かせる楽曲こそが、真に必要なのではないか。そんな思いにすら至らせる怪曲だ。

 

 

 

令和二年/amazarashi

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現代に生きる精神的弱者の代弁者たる役割をも担う唯一無二のロックバンド・amazarashi。全国ツアーの1年余りに渡る延期が決定し、10周年記念ライブの有観客での実現も絶たれた2020年、彼らが急遽制作に着手したEP『令和二年、雨天決行』。「コロナ禍」をテーマにその全曲を作曲した今EPのリード曲に冠されている代物が“令和二年”である。


“令和二年”では、誰もが一目見て「コロナ禍だ」と分かる表現は然程使われていない。そこため曲中で幾度となく出現する《令和二年》という言葉を廃してしまえば、耳馴染みの良いポップチューンにも思えるテイストだ。しかしながら意図してピントをずらしたその歌詞も、無理矢理に笑顔を作ったような明るい雰囲気も、サビ部分の《令和二年》のフレーズが発されることで大きく意味を変化させる。その涼しい中にも憂いを覚える歌詞の数々は、きっと学生やアウトドア派の人間、業務がリモートに切り替わった会社員など、恒久的な日常がコロナにより一変した人々には特に突き刺さることだろう。


ワクチン接種率も全体人口の1%未満と、未だ苦しい渦中に置かれている日本。令和が三年になっても改善するどころか、むしろ悪化の一途を辿っている節すらある。だからこそ我々は在りし日の希望とリアルを比較する意味でも、この楽曲を聴き続ける必要がある。少なくとも、このコロナ禍が終わるまでは……。

 

 

 

2020 DIARY/斉藤和義

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数十年以上の長きに渡り、第一線で活動を続けるシンガーソングライター・斉藤和義。斉藤と言えば一見飄々としているようにも感じられる天然な性格がよく知られていて、訥々と語り笑いが起きる場面は、ライブで必ず1回は訪れるほどだ。


そして同様にライブでの斉藤は自分から楽曲について思いを述べないこともまた、ファンの間では有名である。では何故彼は進んで思いの丈を述べないのか……。それは彼自身、思いを雄弁に伝える手段こそが音楽であるからに違いない。実際毎年コンスタントにニューアルバムをリリースする斉藤だが、その内容は待望の愛息子の誕生した時期の『ARE YOU READY?』には子供の描写が多数あり、斉藤が怒りに満ちていた頃は『45 STONES』で自分は何故怒っているのか、世間の行く末はどうか、といった疑問を延々と書き記していて、リアルな斉藤の思いがその年その年の作品に如実に表れているのは疑いようがない。


では今作で記されている内容はと言えば、答えはひとつしかない。そう。新型コロナウイルスである。中でも以下の“2020 DIARY”はコロナ禍をよりストレートに表したメッセージ性の強い楽曲となっていて、昨年以降我々が何度見聞きしたか分からないクラスター、ロックダウンといった片仮名語、後手後手に回る政府の対応、SNS上の混乱……。おそらく斉藤の数ある楽曲群から考えても、ここまで率直に怒りと絶望をぶつける歌詞はなかったように思うし、それとは対照的に淡々と言葉を発するに留める斉藤の姿からは「どうせ何も変わらないなら好き勝手言ってやる」という諦めにも似た気持ちすら感じさせる。なお斉藤は現在、今作が収録されたニューアルバム『55 STONES』と前作『202020』を引っ提げた全国ツアーを開催中。コロナ禍真っ只中に行われる、コロナ禍をテーマとした実質的なアルバム再現ライブがどうファンの目に映るのか、期待が高まる。

 

 

 

さて、いかがだっただろうか。コロナ禍について歌った楽曲の世界。新型コロナウイルスにより、アーティストをアーティストたらしめる活動の多くが妨げられた2020年と、2021年上半期。レコーディングもツアーも、当初予定していた事象が丸々消失してしまったことは、何十年もの音楽の歴史上でも初めてだろう。そんな絶望に呑まれる音楽シーンに唯一希望的な事象があるとすれば、それはやはり「コロナがなければ生まれなかった楽曲の誕生」以外にないと思うのだ。ワクチンの接種状況を鑑みるに、今年中にコロナが収束することは十中八九ないと見て良い。だからこそ改めてこの惨状を把握するためにも、我々は日々聴くべきだ。『コロナ禍について歌った楽曲』の数々を。