キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター等。

ツユの新曲“過去に囚われている”に見る、過去に囚われ続ける少女と未来を見据えるツユの対比

こんばんは、キタガワです。

 

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ツユの快進撃、来たる。2019年6月12日に“やっぱり雨は降るんだね”を突如としてYouTube上に投下し、一躍注目を浴びたツユであったが、公式ホームページも確固たる所属契約も未だ存在しない彼女たちは現在、楽曲の魅力のみで着実に人気を獲得するのみならず、その間にも楽曲という名のリモート爆弾を大量にこさえていた。音楽業界を揺るがしかねない大爆発が起こる日は、着々と近付いている。


ツユが今回YouTubeに投稿したニューMV“過去に囚われている”は、先日公開された“泥の分際で私だけの大切を奪おうだなんて”のMVが公開されてから1週間にも満たない、短スパンでの公開に至った。思えばツユのファーストアルバム『やっぱり雨は降るんだね』がリリースされたのは、去る2月19日。加えて8月に公開された2曲のみならず、6月にも“くらべられっ子”のリミックスと新曲“雨を浴びる”のMVが突如投下された経緯からも、首謀者であるぷすが極めてワーカホリックな状態にあることはおよそ間違いないだろうが、それにしてもまるで焦燥に駆られたような制作スピードには脱帽するばかりだ。

 


ツユ - 過去に囚われている MV


“過去に囚われている”は、ツイッター上で「そろそろブチ上げゾーンに入りたいと思っている」とのぷすの呟きを体現するかの如くのBPM速めのロックナンバー。過去の楽曲にも見られた事柄ではあるが、今作もミュージシャンにおける楽曲制作のセオリーを完全に度外視した独自性の高い進行で、それに伴って礼衣のボーカルパートは息継ぎが困難なレベルの言葉の洪水が襲い来る代物。実際ツユの楽曲においては、希死念慮を抱く思いを絶唱的歌声で表現した“あの世行きのバスに乗ってさらば。”然り高音と低音を幾度もスイッチする“ナミカレ”然り、歌唱の難度が極めて高く設定されているのも特徴のひとつだが、この楽曲の歌唱はかつてないほどハードだ。


ぷすも過去にはツイッターにて「ツユの曲の難易度は多分日本トップレベルだと思うんだけど、それを当たり前のように歌いきる礼衣はガチで特別な人間だと思う」と礼衣のボーカリストとしての強みを綴っていたが、今回の歌唱難度はそれらを大きく上回る。一瞬訪れる空白の後に突如として《黒 黒 黒 黒 黒だ》と高音に転じる場面に顕著だが、今回の彼女の歌声は普遍的な日常が一転、何らかの拍子で絶望に囚われてしまう少女の心情を最も直接的に表すのに一役買っていると共に、サビでその勢いは最高潮に達する。裏声の一歩手前まで声を振り絞ったかと思えばAメロに戻る頃には再度低音に逆戻りし、その後も幾度も声色をスイッチしていく。カラオケ等でキーの高い楽曲を歌った際に突然声が飛んだ経験をした人は少なくないだろうが、それと同様のことがひとつの楽曲で頻発するのである。無論楽曲制作の運命を司るのはぷすであるため、歌唱を礼衣に託す際には難易度の高さや声色、場面場面の強弱等を事前にレクチャーしているはず。しかしながらまるでボーカロイドに歌わせるレベルの難しい楽曲を抵抗なく礼衣に依頼し、結果として礼衣自身も軽々と歌ってのけるあたり、総じてツユというユニットでトップを目指す上で、ぷすが礼衣に、そして礼衣もぷすに対して絶対的な信頼を寄せていることさえ感じた次第だ。


そして前述の通り、この楽曲はかなり異質な作りをしている。実際街中で流れる流行歌や音楽番組で猛プッシュされている楽曲というのは基本的に『Aメロ→Bメロ→サビ。Aメロ→Bメロ→サビ。Cメロ→サビ』の構成になっている。この構成は最も歌われやすく聴く上で馴染みやすいということもあり(海外やクラシックシーンはともかくとして)、特に日本ではある種教科書的な作曲方法として使われることが多い。それを踏まえて“過去に囚われている”を改めて聴いてみると、常識破りのメロの頻発や明暗をはっきり区別するサウンド、突然の無音等明らかにスタンダードな進行に意図的に背き、あくまで自己の音楽性を第一義に捉えていることが分かる。ツユをツユたらしめる主犯格とも言えるぷす、絶好調である。


ここまではサウンドメイクやボーカル面といった、楽曲における聴覚的部分に焦点を当てて記述してきたが、続いては今楽曲“過去に囚われている”の極めて重要な点とも言える歌詞について迫っていきたい。


“過去に囚われている”におけるイレギュラー部分の最も分かりやすい箇所として挙げられるのは、『今』というワードが幾度も出現することがまずひとつ。その数、4分弱の楽曲内で34回。しかもそれがサビではなく、言わばロック然とした爆発に至る助走的ポジションであるAメロ部分で連発される点に関してもあまりに異質だ。けれども悲しいかな、少女が当たり障りのない『今』を過ごし続けることが結果として、自身の空っぽな人間性を痛感してしまう一種のトリガーとなってしまうのだけれど……。


《今 私は息を吸っている/今 普通の生活送って/今 私は上を向いている/今 飛行機が飛んでるわ/今 あの雲を追いかけたくて/今 走ろうにも動かなくて/今 立ち止まって何になるんだ》


上に記した歌詞は、この楽曲の冒頭を飾るAメロ部分である。この部分だけを見ても、前半部分は当たり前の日常が描かれているのに対し、後半部では心の奥底に仕舞い込んだネガティブな思いが顔を出していることが分かる。そんな中で《黒 黒 黒 黒 黒だ》との絶唱の後にサビに突入した頃には、少女はすっかり強大と化した絶望でもって一切の身動きが取れなくなってしまう。少女にとっての『今』は無機質で憂鬱な、空虚な存在。同時にふとした拍子に脳裏を過ってしまうのが、かつての輝かしい自分自身である。そう。MVで真っ黒な姿に変容してしまう少女の姿に顕著だが、突発的に「昔は良かった」「こんな筈じゃなかった」「今の私は何をしているんだ」と焦燥に駆られ、暗中模索状態に追いやられる少女は、言わばセルフネガティブとも称すべき勝手な自意識過剰さでもって、少女自身を緩やかな絶望へと落とし込んでいる。


大人になった我々は今だからこそ、当時の鬱々しく悩み続けていた『今』を「そういうこともあったなあ」という『過去』として、笑い話として昇華することが出来る。人間は様々な辛い経験の果てに大人になるし、それはこの楽曲の主人公として画面に映る少女も同様。とどのつまり“過去に囚われている”と冠された意味深なタイトルは、彼女の長い人生における絶望期のほんの1ページなのだ。ただ、またひとつ確固たる事実として垂直に立っているのは、そうした事実を踏まえてもこの物語の少女が今を……常に自死を考える程悩み苦しんでいる事実も同時に、変えることが出来ないということだ。


《今 私は塞ぎ込んでいる/今 私は息を吸っている/今 私は塞ぎ込んでいる/今 砂浜に立っている/今 あの雲を追いかけたくて/今 広い海原を走って/今 立ち止まらない私に出会えたね》


故に『過去に囚われていた』との過去形ではなく、悩む自分自身を『過去に囚われている』とする彼女の未来は暗い。就職。お金の蓄え。夢の実現。結婚。出産……。世間一般的に幸せと見なされる事柄が将来的に訪れたとて、おそらく彼女は心のどこかでネガティブな思いを抱えてしまうはずだ。楽曲は上記のアクションでもって幕を閉じる。絶望の底に沈んだ少女が入水自殺を試みたバッドエンドが最も可能性は高いだろうが、MV内で死んだ魚の目で日常を過ごし、堰を切ったように大粒の涙を流してしまう少女の姿を見ていると、やはりその中でも雲を追いかけるが如くの目標に出会い、それに向かって奔走するという希望的な未来地図の可能性にも、期待したいと思ってしまう。


そしてこの楽曲と対極に位置するように、ツユは一貫して未来を見据えている。


ぷすは自身のツイッターにて「実は今、『ツユ』は超大手メジャーレーベル7社からスカウトされてていつでもデビュー出来るんだよね」とリアルなツユの現状を吐露し、続けて「そしたら速攻で朝の番組とかで特集組まれて、『今若者が最も共感するアーティスト!!』とか言って、くらべられっ子~~って流れ始めて即有名になると思う」とも綴っていた。そして間違いなく、彼の言葉は正しいだろう。YouTubeに公開されたMVの総再生数。ファーストアルバム『やっぱり雨は降るんだね』のチャート順位。礼衣の歌声。作り込まれたMV。そして首謀者であるぷすが形作ったサウンド……。どこを切ってもブレイクに至る要因は揃っているし、更に踏み込んだ話をしてしまえば『年に1枚は必ずアルバムを出してツアーを回る』といったメジャー的契約事項も今の制作スピードなら十中八九クリア出来る。カラオケの本人映像でツユのMVをバックに歌ったり、様々なメディア(雑誌・テレビ番組・ラジオ等)で注目され、果てはツユ初となる全国ツアー等も、メジャー契約如何では今後あるかもしれない。


ただ、彼らは今現在も無所属を貫き、どこのレーベルや事務所にも属していない。それは言うまでもなく、ぷすの「どうしても自力でそうなりたいんだよ」とする思いを体現したものであり、実際無所属のまま今後大々的なヒットを飛ばせば、それは今までのセオリーとして位置していたメジャーアーティストのブレイクとは趣を異にする風を吹かせることだろう。


今年、誰もが予想のしなかったコロナウイルスが猛威を奮い混沌とした数ヶ月を全国民が耐え忍んだように、未来は誰にも分からない。そしてそれは此度“過去に囚われている”を発表し更なる躍進を続けるツユも同様だ。けれどもそうした『未来』の出来事さえも年を追うごとにいずれは『今』になり、最終的には『過去』になる。であるからこそ“過去に囚われている”はこれからのツユの巨大なキラーチューンとして名を馳せてほしいと強く願っているし、今後インディーシーンでは異例とも言える争奪戦必至なライブ活動で披露されるたびに、集まった観客にも、そしてステージに立つツユ自身にも様々な思いをその都度巡らせるものになればと思う。


過去に囚われ続ける少女とは対照的に、未来を見据えるツユ。けれどもその悲壮的な楽曲を世に送り出したのも言わずもがな、ツユである。そして今、ツユの不思議な自己同一性は大きなうねりをもって多数の共感者に広く伝わり、結果として“過去に囚われている”の総再生数は40万回を越えた。……売れてしまってからではもう遅い。彼らに出会う契機があるとすれば、ズバリ『今』しかないのだ。