キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

ナナヲアカリの新曲“アイがあるようでないようである”の『愛の行方』は一体どこなのか?

こんばんは、キタガワです。


SNSの急速な発達に起因してか、我々の親世代から現代の若者を指して叫ばれる『またスマホばっかりして!』との弁。そもそも何十年前と今を比較すればあらゆる点で変化しているから批判があるのは当然として、若者視点で考えると別段悪い訳でもない。大好きなものについては手軽に情報を得ることが出来るし、面倒なものはスルーすればいいネット社会はある意味とても過ごしやすい、言わば第二の生活空間なのだ。……しかしながらその一方で、スマホ生活を通して少しばかりの悪影響が心身に及んでいるのも事実。中でも肥大する承認欲求は大きな弊害だと言わざるを得ず、インスタでもツイッターでも、果てはラインのプロフィール更新でも何かと『いいね!』を求めてしまう精神性に作り変えられてしまったことには、一抹の不安を覚えてしまったりもする。

 

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https://www.nanawoakari.com/

アイがあるようでないようである / ナナヲアカリ - YouTube

 

先日MVが公開されたナナヲアカリの新曲“アイがあるようでないようである”も、そうしたSNS社会の悲しき『いいね!』主義に焦点を当てている楽曲だ。そのナナヲのポップイメージを全面に押し出したピノキオピー制作の楽曲の素晴らしさはもちろんのこと、MVに関してもイラストは寺田てら、映像はライブVJとしても活躍する野良いぬという、これまでナナヲの楽曲に絶大な印象を付与し続けてきた豪華面々が大集結。現在ナナヲは7ヶ月連続配信リリースと題して新曲をハイペースで制作しているけれど、その開幕を飾るに相応しい最高のナンバー。きっと今後のライブでも(野良いぬの振り付けありで)セットリストの軸になる楽曲であると推察するので、特にナナヲファンは何度も聴きこむことマストだろう。


先述の通り、ポップを主体としたサウンドで誰しもの鼓膜にアピールする“アイがあるようでないようである”が『アイ=いいね!』をモチーフにしているのは、先述の通り。そこでひとつ注目したいのが、『その愛の行方は一体どこなのか?』という点。というのもこの楽曲では《渇いてるから欲しがってる倍》といいね!を更に希望する主人公の思いや、《アイがあるようでないようで あると胸張って/真似できないことをしよう》とインフルエンサーならではのネタ探しなどが描かれてはいるものの、いいね!を貰い続けた先の目標には『シャングリラを目指す』こと以外にはほぼほぼ明言されていないのだ。……我々の良く知るインフルエンサーで考えると、例えばHIKAKINは登録者数1000万人を目指していたし、渡辺直美は世界的に注目される芸人を目指していた。では今回のMVの主人公たるアイちゃんの愛の行方は一体どこなのか?という至極簡単な疑問が、意図的に描かれずに終わっていることについては、何か制作者側の考えがあるのだろうと思った次第だ。 


そこで再び、楽曲を巻き戻してその歌詞に目を落としてみる。1番のサビが終わっても、2番のサビが終わっても。歌詞の内容は一貫して承認欲求としてのアイ(いいね!)を求めていて、そこに大きな変化はない。だがCメロに差し掛かった瞬間、この楽曲の全てが明らかになった気がしてならなかった。それはズバリ、《何が楽しいかわかんない なんで生きてるかわかんない/それでも心は歌いたがってる!》との、一際サウンドが熱を帯びる直前の一節である。そう。インフルエンサーとしての欲求が一切ないこの言葉を通して明らかになった解釈こそ、“アイがあるようでないようである”の『アイ』は『いいね!』を指しているのではなく、自分自身の『私(I)』を表しているということだった。


そう考えると、これまでの歌詞解釈は完全にひっくり返る。とどのつまり、今まで何かをバズらせようともがくインフルエンサー視点で見ていたところを、一個人としての心情として再度解釈してみるのだ。すると今作で綴られる全ての思いは、ネガティブな気持ちに捕われながら前を向こうとする、ひとりの少女の葛藤を描いているようにも思える。……私があるようで、無いようで、ある。結果最後まで悲観的な思いを克服したアイちゃんがどのような未来を進むのかは敢えて描かれないままだが、それは間違いなく輝かしいものなのだろうと、それから何度もMVを繰り返しながら、冒頭から1音上げたラスサビに突入する瞬間を見ながら改めて思う。“シアワセシンドローム”や“インスタントヘヴン”など、これまで多くの『いいね!曲』を世に送り出してきたナナヲだが、これは彼女にとって分岐点ともなり得る稀有な、SNS時代を反映した楽曲なのではなかろうか。


かつては自分自身を『ダメ天使』と称し、様々な思考変換でもって日々沈んでしまうネガティブな性格を楽曲に落とし込んできたナナヲ。そんな彼女が満を持してリリースしたこの楽曲は彼女だからこそ歌えて、更には彼女だからこそ聴く人に刺さる珠玉のメッセージソングに違いない。ひとりでも多くの、ふとした瞬間に『私』を見失ってしまう人々に届いてほしい名曲だ。