キタガワのブログ

島根県在住。音楽ライター。酒浸り。

コロナ禍の今だからこそ、ライブハウスの未来を真剣に考えてみよう

こんばんは、キタガワです。

 

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猛威を振るうコロナ禍。先日には緊急事態宣言の延長が正式発表され、一時期のピークと比べれば感染者が減少傾向にある現在においても、未だコロナの恐怖は日々我々を締め付け、大いなるフラストレーションを抱える要因となっている。


そんな中大いなる被害を被っているのが、ライブハウスだ。


大阪のとあるライブハウスがクラスターと化し、コロナウイルスが全国的に蔓延……具体的には密閉・密接・密集という所謂『三密』の危険性が叫ばれるようになった頃からライブハウスに対する風当たりは悪くなる一方で、当初細々とライブを行っていた小箱のライブハウスでさえ世間からの同調圧力に屈するかの如く次々とライブ延期・中止を決定。今では実に日本全国の90%以上にのぼるライブハウスが営業を自粛している。


そこで今回は全国を飛び回り年間数十にも及ぶライブレポートを執筆し、曲がりなりにも音楽ライターとして活動する僕が考える『ライブハウスの今後』を、飾らない本音で洗いざらい語っていきたいと思う。


まず結論から述べてしまうが、僕は最低でも今年1年間、ライブハウスは営業出来ないと踏んでいる。更には全国的に数十のライブハウスは潰れることもほぼ決定事項で、ライブという概念自体が認知の埒外へと追いやられるのではないか、そして最終的には音楽全体として、ライブに代替する新たなムーブメント(生配信、過去のライブ映像配信等)が更に広がるのではとも危惧している……というのが正直な予測である。


緊急事態宣言の延長が正式発表された去る5月4日。安倍内閣総理大臣は記者団の前で「コロナの時代の新たな日常を作り上げなければいけない」とし、ウイルスの存在を前提としながら勤務・登校・日常生活を送る新たな生活様式に取り組む必要性を明らかにした。ワクチンが出来ようが体内に抗体が出来ようが外出を控えようが、感染の核部分を叩かない限り、コロナウイルスはおそらく今で言うところのインフルエンザや麻疹等と同様『誰でもいつかはかかる』病になる。とどのつまり政府はコロナ終息という可能性が著しく低いと捉えており、共存の道を模索していることをほぼ決定事項としたことと同義なのだ。


ここで一度、その『コロナウイルスと付き合っていく新世界』とは何かを考えてみよう。


今後は外出自粛が解除され、日がな一日マスクを着用する人間も次第に減っていくだろう。スクランブル交差点や居酒屋も、人で溢れ返るかもしれない。けれども給付金や救済措置で湯水の如く金を使った弊害で、日本の国債は膨れ上がっている。そこで経済を回すため絶対的に行わなければならないのが、飲食店やパチンコ店、バー、各種イベント等金を生む事柄の自粛解除だ。もっともおそらくこうした状況下においても、国は一応「三密の場所は避けてください!」と呼び掛けはするだろうが、暗黙の了解で表立って自粛を呼び掛けることはしないだろう。何故ならそうした店が消滅すれば、経済が死んでしまうためである。


さて、ここでライブハウスに焦点を当ててみる。果たしてライブハウスは、直接的に経済に利益を生む存在なのだろうか。答えはおそらくノーである。何故ならライブハウスの運営は徹底して『ライブハウスと所属事務所』という双方向的な図式になっているため、たとえライブで大入りになったとして所属事務所(運営会社)やライブハウスが潤うことがあっても、それが社会に還元されることは然程ないからだ。


例えば人気を博したアーティストにKing Gnuがいるが、「彼らが評価されたのはライブなのか?」と問われればそれは違って、答えは純粋に楽曲が良かったためである。そう。今やストリーミングサービスやYouTubeの台頭で、手早く楽曲に触れる機会が広がると共にライブ市場の重要性は限りなく落ち込んでいる。日常会話においても「King Gnuの曲知ってる?」や「King Gnuの白日良いよね!」との会話は多々あれど「King Gnuのライブ良いらしいよ!」との会話というのはほとんど成り立たないだろう。星野源やOfficial悲男dismも同様に楽曲を聴いたことのある人間はごまんといるだろうが、実際ライブに参加したことのある人間というのはファンの中でも圧倒的に少数派なのだ。


MDが切り捨てられてCDになったように。CDが切り捨てられて違法ダウンロードになったように。違法ダウンロードが切り捨てられてストリーミングになったように……。ライブが切り捨てられた後、そこには純粋に『今まで通りの音楽』が残されるだけなのだ(YouTube上におけるライブ映像の違法アップロードも、実際にライブに行かない空気に拍車をかけるのではなかろうか)。だからこそ社会的に不要なものとして真っ先に槍玉に挙げられるのはきっとライブハウスで、然程ライブに恩恵を感じていない世論は真っ先に首を絞めにかかるだろう。


……前述した通り、今後は新たな生活様式がスタンダード化していくことになる。ボーリングでは1レーンに2人だけであったりカラオケでは距離を離し、居酒屋は全てタッチパネルを廃して注文制……そうした未来もあるかもしれない。そんな中絶対的に討論が必要なのは、「果たして危険を犯してまでライブハウスに行くのか?」という根本的なトークテーマだ。


もはや言うまでもないが、ライブハウスは三密だ。爆音で音楽を鳴らすが、その爆音が外に漏れないように分厚い壁で『密閉』する。ライブを鑑賞する人間が肩を寄せ合い、時にはぶつかり合い、共に熱唱しながら『密接』する。数百人規模の人間が狭い空間に『密集』する……。僕自身数多くのライブに参加してきた自負はあるが、ひとつの例外もなく全てのライブハウスはこれ以上無い三密で、実際ライブハウスがクラスター化したニュースを観て「そりゃ感染するわな」と思った自分もいた。


少し話は脱税するが、コロナウイルスの恐怖は何も死に至らしめるだとか感染力が高いだとか、そうした次元の話ではもはや無い。家族への感染の危険性はもちろんのこと、今までニュースで観てきた通りひとり感染者が判明すればその数日間関わった人間や立ち寄った場所といった情報のみならず、数日間の足取りや家族構成、勤務先や本名年齢まで一網打尽にされてしまう危険性がある。これがコロナの特筆すべき点なのだ。


思えばここまで大多数の人間がSTAY HOMEやらソーシャルディスタンスやらを頑なに守ってきた理由は、何より『他者にコロナをうつさないため』というのが最も大きかった。実際「たまには外に出たいな」と思うことも多々あったろうが、その都度間接的な否定言動をSNSや家族間で目の当たりにした結果「やっぱ外出ちゃダメよな」とする思考変換でもって、ここまで耐えてきた人はとてつもなく多いはずだ。


だからこそ、ライブハウスが再開したとて、普通の人間ならば危険性と楽しさを天秤に掛けた結果「行かない」との選択を取るのが当たり前。もしそれでも行こうものなら、おそらく周りの人が必死で止めるだろうし、大いなるヘイトを買う。「めちゃくちゃ楽しいけど100回に1回墜落する遊具」があったとして、そこに行きますかと問われれば答えはノーに決まっているのだ。


……ここまでつらつらと筆を走らせてきたが、今後のライブハウス市場が絶望的な状況となることはほぼ避けられないだろう。都市部のライブハウスでは土地代だけで毎月数十万~数百万とする試算もあり、実際ギリギリもギリギリ。本当に身を削る思いで何とか潰れないようもがいているのが現状だ。


ただひとつ希望的観測があるとすれば、ひとつしかない。それはライブハウスに訪れた人間が、ライブハウスでしか味わえない衝撃を体験しているということ。音楽を聴かない人間にとっては一笑に伏されるような事柄だろうが、たった一回のライブで命を救われたり明日への活力となったり、「○月のライブのために頑張ろう」と奮起する人間は山ほど存在する。だからこそ、僕は声を大にして唱えたい。ライブハウスは絶対に無くしてはならないと。音楽好きの遊び場が無くなるなんてことは、あってはならないのだ。ライブハウスが完全に元通りになることはおそらくないだろうが、それでも、希望の光は今後も持ち続けていたい。

 


コトリンゴ -「 悲しくてやりきれない 」