こんばんは、キタガワです。
4月9日、島根県で遂に初の感染者が確認された。あれから数日が経ち、記事執筆時点では感染者数は10人に増えるに至った。今回はそんな島根の今の実情を、地元民からの視点で紐解いていきたい。
コロナが目に見えて猛威を振るい始めたのは3月後半~4月(報道番組で3密やクラスター、都市部の感染者が日々報道されるようになった頃合い)。しかしそれまで島根県の中ではどちらかと言えば楽観ムードであったように思う。実際僕のバイト先や家族間でも「何かヤバいことになってるね」との会話が交わされることはあるにしろ、どこか現実味のないフワフワとした雰囲気に包まれていた。更に当時感染者が確認されていない県が島根・鳥取・岩手の3県のみであったことから「非常事態宣言出たらしいよ」などの会話は日々行われはするが、最後には決まって「でもその中で島根って凄いよなあ。感染者出てないもん」と締め括られるという、言わば地元を自虐するようで自慢し、他県を持ち上げるようで落とすトークを無意識的に展開する余裕はあった。
実際僕自身も、どちらかと言えば楽観的に捉えていた側の人間であった。恥ずかしながらマスクを着けていない日もいくらかあったし、来たる3月から5月にかけてのライブのために休日申請を取っていたほどで、のほほんと日々を過ごしていた。
……そんな甘い考えは、ある日を境に瓦解することとなる。
そう。去る4月9日、島根県内初の感染者が確認されてしまったのである。それまで地元民の間でも「少なくとも一人目にはなりたくないね」との会話は交わされてはいたが、やはり街中で知り合いと出会うことが日常茶飯事と化している島根県では情報が伝播するのも早いもので、感染確認の僅か数時間後には感染者の性別や年齢、学校名、果ては家族構成やバイト先までもが白日の元に晒され、改めて過疎地において何かが起こることの重要性について思い知った。
そしてその翌日から、街の雰囲気は一変した。まず目についたのは、マスク着用率の高さだった。他県でコロナが発生した当初にも漠然と「マスク多いなあ」と感じるほどには見受けられるようにはなっていたが、今やその比ではない。誇張表現でも何でもなく行き交う人は9割方マスクを着けており、マスクを着けていない人間は村八分にされるとは言わないまでもほぼほぼ存在しないし、怪訝な反応をされることもしばしばだ。
更に店に出向くと2mおきに区切られたテープが床に貼られていたり、「当店はコロナウイルスに対してこのような対策を行っています」といった貼り紙が無造作に貼ってあったりする。ちなみに上記の島根県内で報告された感染者の勤務するアルバイト先では新たに数人の感染が報告され、今や島根県知事お墨付きのクラスターと化している。その店舗が駅に面した島根県屈指の夜のスポット(というより居酒屋はここら辺しかない)であることから、近隣の居酒屋やバー、スナックは軒並み営業自粛、もしくは時短営業の措置を講じざるを得なくなっており、ゴーストタウンの様相を呈している場所も多い。
僕が勤務するバイト先でも同様の措置が講じられている。今現在レジの前には透明な幕が貼られ、従業員のマスクは義務化。更には当然の如く消毒液の設置や「お並びの際は間隔を空けて……」とのテープも貼られ、果てはレシートを渡す際もトレイに置いて取ってもらうという徹底ぶり。
個人的に最も衝撃を受けたのは、とある業務内容の追加である。その内容はズバリ、従業員全員が普段の業務に加えて『消毒作業』的行為を1日数時間命じられる、というもの。具体的には、お客様が触れたものは逐一消毒液を染み込ませたタオルで拭く。エレベーターのボタン、自販機、エスカレーターの手刷り、果てはお客様が使った買い物かごも、ひとつずつ僕らが拭いてから元の置き場に戻すのだ。無論これは感染を広げる可能性のある不安要素をひとつでもなくそうと定められたもので、棘のある表現をするならば「コロナ対策やってます」との免罪符の元実行に移しているのだろう。
そうした日々が続くと次第に罪悪感も芽生えてしまうもので、僕は目に見えない同調圧力に屈するようにマスクを着けるようになったし、高齢で持病持ちの両親の為にもと外出の機会も減った。娯楽であったライブも収入源の執筆依頼も、ここ数ヵ月ひとつもない。世間で叫ばれる『コロナ疲れ』の意味がようやっと理解できた。
正直今の状況はとても辛いし、何より息苦しい。行き交う人全員がピリピリしている。加えてマスクを着けているため表情が分からず、不思議と冷淡なイメージを抱いてしまったりもする。僕が和やかに暮らしていた田舎の島根県の面影はもはやない。自分は絶対にかかるまいと、少しでも感染の可能性のある事柄は遠ざけようとする酷く無機質な島根県。こんなのは、島根県じゃない。自宅から少し歩く範囲の人は全員顔馴染みで、すれ違うたびに「こげなことあったんよー」と軽い会話を交わす。事あるごとに「これ貰いもんだけんね」とお菓子を手渡してくれ、緩やかに時が過ぎていく……。それこそが島根県の良さであったはずなのだ。
東京から遠く離れた田舎でさえこうなのだから、都市部の疎外感はとてつもないものがあると思う。だが今は頑張ることしか出来ないことも、全員が良く分かっている。
早く元の世の中に戻りますように。こんなに苦しい日々はもうたくさんだ。