こんばんは、キタガワです。
日々猛威を振るう、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。日々増大する恐怖心に比例するように、報道されるニュースはいつしか国内外におけるコロナウイルスの近況報告で一色となった。
当初新型コロナウイルスは限られた国における一過性の流行であるとされ、大規模な感染拡大予防措置を講じる必要はないとされていた。しかしながら予想に反してその勢いは留まることを知らず、現在ではかつてのSARSや新型インフルエンザを超える世界的大流行となり、去る3月12日に世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が「新型コロナウイルスはパンデミックであると言える」と見解を述べたことにより、国内を覆い尽くす危機感は更に引き上げられた。そして現在においてもイタリアでは医療崩壊の危機が叫ばれ、アメリカでは50人以上が集まるイベントを今後8週間見合わせるよう勧告するなど、今や新型コロナウイルスは何よりも優先するべき国家の重大案件として取り沙汰されている。
無論、新型コロナウイルスの影響は海外諸国のみならず、ここ日本にも多大な弊害を及ぼしている。言わば密閉された培養空間と化したクルーズ船・ダイヤモンドプリンセスの集団感染を契機とし、以降新型コロナウイルス感染の報告は全国で相次ぎ、今なお際限なく増え続けている。その結果海外旅行客からのインバウンドに重きを置く各地のホテル業や飲食店は売上が減少し、接客業以外の様々な企業にも影響が及んだ。日常に生きる我々にとっても例外ではない。マスクの在庫不足や中国輸入品の入荷遅れ、果ては誤った情報によるトイレットペーパー不足といった問題も起きた。今でもコロナウイルスの影響はその大小に関わらず様々な事象に飛び火し、当たり前だった我々の生活を締め付けている。
そんな中コロナウイルスによって甚大な被害を被った存在こそが、ライブハウスである。
音楽を愛するファンたちにとって欠かせない遊び場であったライブハウスは「ライブの参加者とその接触者が次々と感染した」とする悪魔の報から一転、濃厚接触を誘発する可能性の高いクラスターの一因として、世間から後ろ指を指される存在と化した。
加えてライブ自粛の風潮に拍車をかけたのが「多数の人が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については大規模な感染リスクがある」、「今後2週間は中止、延期、または規模縮小等の対応を要請する」との2月26日に安倍晋三内閣総理大臣の口から放たれた一言である。決して強制ではない。けれども間違いなく鶴の一声の効力を宿したそれを契機として、数多くのライブイベントが軒並み中止、もしくは延期を余儀なくされた。なおこの件に関しては後に延期の継続を求める表明がなされ、今現在でもライブ自粛要請改善の見込みは立っていない。
そもそもの話として、首相が述べた一連の要請は一概に全てのライブ自粛を強制するものではなかった。首相が述べたのはあくまでも「開催の必要性を改めて検討してほしい」との所謂『要望』に過ぎず、ここまで極端な全国規模な中止・延期の措置を求めていたとは一概に言い難いものがある。
しかしながら、闇営業然り政治資金問題然り、少しでも悪評が轟いてしまえば何らかの措置を講じる必要があるのが世の常である。各地のライブハウス及びイベンターがここまで大規模なライブ中止・延期の決断を下したのも、日々報道されるライブハウスへの悪評を鑑みてのことだろうと思う。個人的には満員電車や飲食店における感染リスクもライブハウスと同等のものがあるのではと疑念も抱いてしまうのだが、とにかく……。確かにライブハウスはある種の密閉空間であることは事実であり、新型コロナウイルス専門家会議がまとめた『換気の悪い密閉空間』と『多くの人が密集する場所』、『近距離での会話や発声』との3つの条件の重なりにも該当する。総じて蔓延の可能性は完全には拭いきれないのが実状だ。
けれども声を大にして言いたいのは、このライブ自粛の試みは何も「ライブハウスがコロナウイルス蔓延の根元的な原因のひとつであると認めた形」では決してないということ。そう。これはあくまでも万にひとつでも感染の可能性があるならばと、集まる観客の健康のために、ひいては日本全体のウイルス蔓延防止のためにライブハウスが下した、言わば苦渋の決断であったのだ。
見放題他、様々なサーキットイベントの主催を務めるとある人物は自身のツイッターにて「ゼロか100で判断するなら、もちろんライブハウスは感染リスクがゼロではないです。でも、それはどこだって同じこと。だけでは済まされない今の日本の空気感。それはとてつもなく重いものでした」と悲痛な胸の内を明かした。サーキットイベント2本が中止に追い込まれ、会場費は主催負担で必然的に収入はゼロ。加えて33にも及ぶ会場がキャンセルとなった事実を語り、続けて「イベント屋は本気で死ぬよね。コロナと民意と情報に殺される」と締め括った。実際SNS上に非情な現実を白日の下に晒す人々は彼以外にも数多くいて、まるで彼らの絶望の表情が文字数制限ギリギリの呟きを通して透けて見えるようでもあり、そうした呟きを目撃するたびに胸を締め付けられる。
この数週間、具体的に何が駄目で何が良いとの明確な線引きもされないまま、時が過ぎていった。SNSには日々アーティストによる開催自粛・延期の報告が並び、それに対してファンが励ましのコメントを送る光景も何度も見てきた。中にはこんな状況だからこそと採算度外視で無観客ライブの配信や過去にリリースしたライブ映像をYouTube上にアップするなど、アーティストが一丸となって音楽を盛り上げようとする動きも見られた。
実際のところ、自身の趣味を『音楽鑑賞』とする人間であったとしても、実際にライブに足を運ぶ人というのはごく少数だ。極端な話『音楽好き』のフィルターを介さず広い規模で見れば、おそらく日常生活において音楽の比重がそこまで大きくない人間の方が圧倒的に多数派であろうと思う。
しかしながら、流行の音楽を動画サイトやストリーミングで消費する人間がいるように、ライブを心の拠り所としている人間も一定数存在する。そうした人々にとっては一向に収束の兆しが見えない現状は日常に靄がかかったように、拭い切れない違和感として残っている。たかがライブ、されどライブ。アーティストにとってもイベンターにとっても、そしてひいては音楽以外で生計を立てている我々にとっても、「ライブ自粛は当然」との同調圧力が加速する今現在の苦悩は、筆舌に尽くし難いものがある。
そして何より、来たるライブのためにリハーサルを重ねてきたアーティストやイベンターサイド、ライブハウス運営の方々の心痛は計り知れない。この問題はもはや「少し延期になっただけ」、「またすぐに元に戻るだろう」というような軽々しい問題ではない。間違いなく今のライブハウスに降り注ぐ諸問題は我々が思っている以上に深刻であり、ライブハウスの運営側はライブハウスそのものが潰れるかどうかの瀬戸際で戦っている。
単純に広く知られていないだけであって、日々赤字がかさんだり、中にはどう足掻いても返済しきれない負債を抱えるライブハウスもあるだろう。だが前述の通り、今回のライブ中止・延期の決断はそうしたライブハウスを愛するアーティストと、何より音楽を愛するファンに対して行われているということは、絶対に忘れてはならない。
そして音楽を愛する我々はこんな状況だからこそ、音楽という名の娯楽を維持するためには何が必要なのかを一考し、行動に移していかなければならない。中止となったライブのグッズを通販で買うも良し、CDやDVDを購入するも良し。SNSでアーティストの行動を拡散することも、ひとつの応援の形だ。貴方が好きなアーティストも、それを支える人たちも皆一丸となって頑張っている今だからこそ、である。音楽を愛し、また音楽に救われてきた我々ファンが音楽の火を絶やさずに守り抜いていくことこそが、未来へ繋がるのだ。
国内外で感染者は増え続けている今は確かに、解決の兆しも見えない暗中模索の状況ではある。今記事を執筆しているのは3月18日だが、おそらく国内外の情勢は刻一刻と悪化するに違いない。コロナウイルスの一刻も早い終息と共に、ライブハウスへの風評被害がこれ以上肥大化しないことを切に願う。エンタメ関連各社が発表した声明文にも記されているように、どれだけ辛い日々が続こうとも『春は必ず来る』のだ。収束に向かうのがいつになるかは不明だが、晴々しい未来を迎えるためにも我々は全力で、今やるべきことを成そうではないか。