こんばんは、キタガワです。
ナンバーガール再結成の一報を受けたとき、何かの冗談だろうと頑として信じなかった。
向井秀徳のもうひとつのバンド『ZAZEN BOYS』は現在ニューアルバムの製作に取り掛かり、全国ツアーも決定している。更には他のメンバーの活動も本格化している中、いきなり17年の沈黙を破って再結成するわけがないだろうと。
だが、結果としてナンバーガールは再結成した。本当に再結成したのである。正直、こんな日が来るとは思ってもみなかった。
さて、今回はそんなナンバーガールの再結成を記念する記事である。彼らのデビューから解散までの間、その存在自体がどれだけ衝撃的だったのか、また、日本のロックシーンにどのような影響を与えたのかを、ふたつの点から読み取っていこうと思う。
どこにもなかったオルタナ・サウンド
ナンバーガール(以下ナンバガ)を語る際に決まって取り上げられるのが、その独特のサウンドである。
ナンバガの楽曲は、ギターのイメージが何よりも強い。中でも特徴的なのはギターの音色で、キンキンと鳴り響く鋭利な金属音を孕んでいる。これは通常「全体のイメージを著しく損なう」として、現在のロックバンドではまずやらない奏法なのだが、ナンバガはこの奏法を取り入れた。
その結果生まれるのは、圧倒的な音圧。特にロックバンドのライブをよく観る人ならご理解いただけるだろう。音楽を聴く上で「音がデカい」というのは、至極単純ながら、ある意味絶対的な魅力なのだ。
ロック好きな人間の中には『音楽を聴くと勝手に体が動いてしまう』という人がたまにいるが、ナンバガのサウンドはそんなライブキッズたちの内に秘めたロックスピリッツを、無条件で表に引きずり出す麻薬的な何かがあった。
今でもギターリフが印象的なバンドや、Aメロからサビまで同じコード進行をプレイするバンドが多いが、その先駆けは間違いなくナンバガである。
こう語ると「それはおかしい!普通、歌で大事なのはボーカルでしょ!」と反論する人もいると思う。その気持ちは大いに分かる。しかし残念なことに、ナンバガのCDでは向井のボーカルはほとんど聴こえないのだ。他の音があまりにもデカすぎて。
だからこそ今回提唱した『ナンバガはサウンドが第一説』はどうしても立証されてしまうのだ。僕自身カラオケでナンバガを歌う際、歌詞はほとんど歌えないにも関わらず、ギターリフはなぜか口ずさめてしまうのだから不思議だ。
↓ライブ会場でナンバガを聴いたら最後、こうなることは必然である。
Number Girl - OMOIDE IN MY HEAD (Live from FUJI ROCK FESTIVAL 2001)
向井秀徳の歌詞
おそらくはナンバガのファンの方々は、ほぼ決まって向井秀徳信者であると予想する。なぜなら『向井秀徳』という人間は頭が狂っているから(褒め言葉)。
ヤバいさらにヤバい バリヤバ
笑うさらに笑う あきらめて
(ZEGEN VS UNDERCOVER)
メルカトル図法によって 書かれた地図を見ながら
俺は3号線を 狂う目から可笑しいへ向かって北上
土曜に北上 していたことがある
(URBAN GUITAR SAYONARA)
その公園の シーソーでオレは
「ワニ殺し」という 新種の遊びを開発した
(YARUSE NAKIO の BEAT)
この歌詞を見て、あなたは何を思うだろうか。何というか、分かりにくいという以前に『意味が分からない』レベルである。
しかも時には耳馴染み良い歌声で、時にはラップ調。時にはシャウトしながらと、その都度変則的に畳み掛けてくるものだから余計に難解。
これこそが向井の神髄であり、卓越したワードセンスが織り成す謎の世界観は、聴く者の思考を遥か遠くにトリップさせていく。更にはそこにギターの爆音も乗っかり、気付けばナンバガにしか成し得ない唯一無二のサウンドが出来上がっている、という具合だ。
……以上ふたつの理由でもって、ナンバガはロックシーンの代表として君臨したと推測する。
星野源、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ストレイテナー、秋山黄色……。日本ロックシーンを代表するバンドや若手ミュージシャンまで、ナンバガに影響を受けた人物は数えきれない。ナンバガがいなければ、おそらく今の音楽シーンはまた違ったものになっていただろう。
RISING SUN ROCK FESTIVALへの出演も決まったナンバガ。観客を前にしての演奏は、実に17年ぶりである。毎年ソールドアウト必至のフェスではあるが、特にこの日は歴史的な日になるのは間違いない。
OMOIDE IN MY HEADの時代は終わった。ナンバガが活動再開した今、思い出は新たに紡がれる。ライジングサンにて、ナンバガはどんな景色を見せてくれるのだろうか。ライブまであと数ヵ月。各種アルバムを磨り切れるまで聴きつつ、その時を待ちたいと思う。