キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

【音楽文アーカイブ】幻想的かつミステリアスな音楽の海 〜自身初のオンラインライブ『前世』で魅せた、ヨルシカの存在証明〜

『圧巻』という言葉がここまで適した瞬間が、かつてあっただろうか。繊細な芸術作品、はたまた綿密に練り上げられた舞台演劇のようでもあったヨルシカ史上初となるオンラインライブ『前世』が終幕して数日が経過した今でも、僕はあの時の衝撃を忘れられないでいる。


定刻より少し早めにライブ画面にアクセスすると、まずは画面を覆い尽くす程のエイ、シュモクザメ、マイワシの大群など多くの魚が回遊する巨大水槽の内部が映し出され、一瞬のうちに興奮へと誘われる。アーカイブ配信終了後、今回のライブ会場が横浜市金沢区に位置する水族館・八景島シーパラダイスであることが明かされたが、この時点ではそうした裏情報は知る由もない。故に実際の水族館で誰もが無意識な行動として取るように、ただただ行き交う魚を目で追うばかりである。無論こうした試みは開幕までの期待値を底上げするために設けられたオープニングムービー的な代物であろうと推察するが、魚たちによる自由な動きは元より時折射し込む光の屈折やブクブクとした音が楽しく、開幕までの待ち時間は体感的にはごく僅かだ。


暫しその光景に目を泳がせていると、画面にはいつしか幾何学的を模した謎の紋章がいくつも浮かび上がり、次いで長針と短針を有した時計とおぼしき物体が出現すると針が高速で逆回転。そしてすっかり暗黒に包まれた画面上にヨルシカのアーティスト写真が出現すると、カメラは複数のストリングスが織り成す壮大なSEと共に水槽の内部から徐々に後退する形で遠ざかっていく。カメラの移動が限界に到達するとそこは水槽の外……つまりは八景島シーパラダイスにおける実際の観賞空間で、画面左側から今回のライブを彩るストリングスセクション・村田康子ストリングスからバイオリン2名、ビオラ、セロから成る4人のメンバーと、サポートメンバーとしてかねてよりヨルシカの活動を下支えしてきた平畑徹也(Pf)、首謀者にしてメインコンポーザーであるn-buna、下鶴光康(A.Gt)、キタニタツヤ(Ba)、Masack(Dr.Perc)が横一線に並び、そこから数メートル先の起伏した段差の頂上に据えられた椅子に腰かけているのは、ヨルシカの絶対的フロントウーマンたるsuis(Vo)だ。なお会場内は背後に据えられた巨大水槽がもたらす僅かな明るさのみで発光的なライトは照らされておらず、更にはヨルシカの2人、並びにサポートメンバーには黒い照明が当てられているのか、その姿はシルエットと化し、表情はおろか服装の色合いも、輪郭に至るまでが判別不可能。その極めて非日常的な光景が、ぐんぐんと内なる緊張が高まっていく感覚に陥る。


ストリングス主体の壮大なSEが穏やかに鳴り終わると、カメラは全体を映すカメラワークから一転、椅子に座り精神統一を図るsuisにフォーカスを当てていく。そしてsuisが顔を上げ一息つくと、決意を込めてとある一節を歌い始める。オープナーとして選ばれたのはフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』のリード曲たる“藍二乗”である。suisの声を抑えたボーカルと少ない音数で魅せるその開幕こそ穏やかであったが、suisが《空っぽな自分を今日も歌っていた》と吐露した直後には楽器隊が一斉に音の塊を鳴らし、ボルテージは一気に沸点へと到達。多種多様な音色が渾然一体となり鼓膜を揺さぶる、極上の音楽空間が形成された。激しい音像とは裏腹にサポートメンバーは地に足着けた演奏でどっしり構え、n-bunaは素早い単音弾きとチョーキングを駆使した飛び道具的な演奏で印象部を奏で、右手に自身の武器を携えたsuisはと言えばボーカル的高低差を空いた左手と顔を上下に動かし高らかに響かせている。バンドメンバー、及びsuisは基本的に視線を下げていて誰ひとりとして視線を合わせることはなかったけれど、その一点の曇りのないサウンドメイクには相当な練習量と、何より双方向的な信頼を感じさせる。ヨルシカを知る大半のリスナーにとってはCDやサブスクリプション、若しくはYouTube上に挙げられたMVが彼らの音楽と出会う最大の契機であろうと推察するが、各音楽媒体と比較しても今回のライブはサウンド的にもほぼ遜色ないどころか、それ以上の凄まじい臨場感で響き渡っていた。

今回のライブは事前に発表があったように全編アコースティック編成。故に下鶴がアコースティックギターを演奏していたり、Masackがドラム以外のパーカッション要素を担うなど正規の音源とはまた違った形で再構築し、アコースティックならではのアレンジで、原曲を何度も聴いたことのあるリスナーにとっても驚きに満ちた新鮮なサウンドの楽曲が並ぶ結果となった。実際アコースティックと言えば音が軽やかさを帯びることによりやや物足りなさを覚える可能性も否めないが、今回のライブが全体として『アコースティック感』に食傷気味になることは一切なく、メンバーに関してもsuisを含め計10名の大所帯となったことからも分かる通り、奥行きのあるサウンドで、かつsuisのボーカル的魅力も強く感じることの出来る素晴らしいアレンジであったように思う。


セットリストに関しても特別仕様。去る2019年に行われたライブツアー『月光』では『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』から成る2枚のコンセプトアルバムからセレクトされ、他のミニアルバムの楽曲は一切演奏しないという挑戦的なセットリストで構成されていたが、今回のライブは今までにリリースされた作品から幅広く選ばれ、現時点におけるヨルシカのベスト的なセットリストで展開。具体的には全17曲(インストを除くと14曲)中およそ11曲が公式にMVが制作された楽曲という大盤振る舞いだ。


“藍二乗”後は、最終的に音楽を挫折するに至った青年・エイミーを観測者とする『だから僕は音楽を辞めた』と、エイミーに影響を受けた少女・エルマが楽曲を手掛けた『エルマ』から“だから僕は音楽を辞めた”、“雨とカプチーノ”、“パレード”の3曲を投下すると、突如平畑によるダンサブルなソロ演奏が進行。小気味良いリズムに暫く耳を蕩けさせていると、次第にその打鍵に楽器隊がジャムセッションの如く追随し、n-bunaによる印象的なギターリフが次曲を想起させるように響き渡る。次いで焦らしに焦らした助走の後、suisが『かの一言』を呟くと、ロックな音色が猛然と雪崩れ込んだ。そう。次なる楽曲はヨルシカのファーストミニアルバム『夏草が邪魔をする』収録曲にして代表曲の一端を担う“言って。”だ。


ヨルシカの数ある楽曲の中でも、極めてロック色の強い“言って。”。声色を変化させて足の爪先をしきりに上下しリズムを取り、より中性的な魅力を宿らせたsuisによる軽やかな歌唱をはじめ、無意識的なヘッドバンギングを幾度も繰り出して演奏を行っていたキタニや、スティックをいつになく大振りに打ち下ろす平畑らサポートメンバーのアクションも心なしか激し目。首から下のみをカメラに収められていたn-bunaもその表情こそ見えないが、饒舌に主張を繰り広げるギターサウンドから察するに非常に楽しげだ。後半の歌詞で明かされるように“言って。”の深意は言語的な『言った』と死去的な『逝った』のダブルミーニングであり、センシティブな内容を扱ってはいる。ただそうしたハッピーサッドな楽曲展開も確固たる『ヨルシカらしさ』のひとつ。楽曲は潔く余韻を残さず終幕し、本来のライブであれば多数の拍手が鳴り響いて然るべしな状況と完全に逆行する沈黙に支配されたが、そうした沈黙さえ楽曲のメッセージ性をより際立たせているようでもあり、どこまでも印象深い。

ここからは中盤らしく、天上知らずの盛り上がりに導かんとばかりにアッパーな楽曲が続く。まずはキラーチューン“ただ君に晴れ”が定位置から移動したsuisが楽器隊の演奏をテレビ越しにウォッチングしながらの歌唱で届けられ、先生へ様々な事象を詰問する“ヒッチコック”と売春をテーマに穿った主張を展開する“春ひさぎ”が海外のラジオを彷彿とさせるコラージュ的インタールード“青年期、空き巣”を挟んで鳴らされる。そしてMasackが次の楽曲に移行する合図たるカウントを声高に叫ぶと、“思想犯”と“花人局”が圧倒的な叙情を携えて響き渡った。


この2曲が収録されたフルアルバム『盗作』では、音楽の盗作を試みた男による悲しき物語が描かれ、その内容自体もタイトルの通り、国内外問わず様々な芸術家の作品から着想を得た作りとなっている。その中でもn-bunaがジョージ・オーウェルの小説や尾崎放哉の俳句をオマージュした“思想犯”は取り分け、男にとってのある意味では愚行、けれどもある意味では最終選択となる盗作行為を自己正当化する楽曲となっており、サウンド面についてもアコースティックギターとストリングスを軸としたアレンジではあるものの今回披露された楽曲の中では突出して荒々しく、まるで男の心中に燻り続ける葛藤を体現しているよう。対して“花人局”では男が盗作を犯す要因となった『妻との別れ』に焦点を当てた作りとなっていて、その重厚なストーリーのキーポイントたる役割でもって、深く物語を想像させる。いつしか背後の青々とした水槽に垂らされた照明は赤紫に染まっていたが、それすらも男の精神に間接的に影響を及ぼす、妻が残した《窓際咲くラベンダー》と楽曲のラストで歌われる《夕焼けをじっと待っている》のフレーズに間接的な意味合いを持たせており、万感胸に迫るものがあった。


ストーリー色の強い2曲が終わり、早いものでライブも後半戦に突入。suisによる高らかな歌唱が空間に溶けた新曲“春泥棒”、牧歌的なインタールード“海底、月明かり”、情景と重ねつつとある人物に思いを馳せる“ノーチラス”、エイミー視点でエルマとの日常を描く“エルマ”……。前述の通り今回のセットリストは公式YouTubeチャンネル上で公開済みのMVの楽曲が中心に据えられていたが、ここでの演奏曲は前半と比較すると、BPM的には幾分穏やかだ。ただ先に演奏された“言って。”や“ただ君に晴れ”、“だから僕は音楽を辞めた”といったアッパーな楽曲が数字的には広く認知されているけれど、思い返せばいつもヨルシカのストーリーテラーであるn-bunaは、アルバム全体のメッセージ性をより深く結び付ける役割をこうした緩やかな楽曲にこそ担わせていた。ライブはしっとりとした展開でもって幸福たる始まりと終わりを繰り返し、趣深く緩やか、だが確実にクライマックスへの道程を形作っていく。


Masackによるリズミカルなドラムとn-bunaが織り成す単音の連発、その音に乗るsuisによる幾度も繰り出されるコーラスの果てに披露された最終曲は“冬眠”。ほんの少しばかり全体に点った照明に照らされた楽器隊はラストに相応しいアグレッシブな演奏で楽曲を牽引しつつ、suisは清らかな歌声でもって、未だ見ぬ未来へと希望的なメッセージを届けていく。原曲と比べて明らかな長尺となった最終部ではsuisによる呟きにも似た《君とだけ生きたいよ》とのフレーズが繰り返される中、次第に音圧が上昇。完全なるシルエットと化したsuisの姿を映した画面が次第に真っ白な光に包まれると、ストリングスをバックにオープニングと同様の水槽の内部へと遷移し、エンディングを告げるスタッフロールがゆっくりと流れ始めた。かくしてヨルシカ史上初となるオンラインライブ『前世』は誰もの心中に名状し難い満足感を残したまま、消えるように終幕したのだった。

素顔を明かさない匿名性。作品にメッセージを込める物語性。アッパーもバラードも、両刀使いな音楽性……。此度のライブは今やインターネットシーンのみならず、日本の音楽シーン全体を通しても絶大な支持を集めるアーティストの一組となったヨルシカという霧に包まれたバンドの存在証明を、これ以上ない環境で見せ付けるライブであったように思う。


MCが一切挟まれなかった関係上、彼らが記念すべき今回のオンラインライブの場所に水族館を選んだその深意も、そしてライブタイトルに『前世』を冠したことについてもまた、最後まで語られることはなかった。無論いちリスナーがどれ程考えても答えは見出だせないだろうし、そもそも考えること自体が野暮だろう。ただエイミーとエルマというふたりの人物を描いた『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』、音楽を盗んだ男にスポットを当てた『盗作』、そしてCDを同梱したType AとCDを付属しないType Bの2種類展開でリリースされた挑戦的なEP『創作』を経てヨルシカが更なる躍進を果たさんとする今、今回のオンラインライブには我々が絶対的に知り得ない深い意味が込められているように思えて仕方がない。例えば水族館を会場に選んだ理由が『大半の来場者に好まれる魚がいる一方、素通りされてしまう地味な魚との対比』である可能性も捨てきれないし、輪廻転生よろしく『今回演奏された楽曲群は全て別の人間の記憶』というような超次元的な代物なのかもしれない。


純粋に見れば極めて素晴らしいライブ。けれども考えれば考えるほど堂々巡りに陥ってしまうライブ。オンラインライブが発達した昨今、完成度の高い代物は数あれど、ここまで様々な『裏』を思案してしまうライブは初めてだ。だからこそ公演終了からある程度の時間が経過した今でも、あの幻想的かつミステリアスな『前世』は僕の記憶の奥底から時折顔を出し、ぐっと心を揺さぶるのだろう。


※この記事は2021年1月29日に音楽文に掲載されたものです。