キタガワのブログ

島根県在住。文筆。rockinon.com外部ライター。

ずとまよ、ヨルシカ、YOASOBI……。『夜』の世界で今、何が起こっているのか?

こんばんは、キタガワです。


毎年少しばかりの変遷を繰り返し、発展を遂げてきた音楽シーン。けれども数年前のある時期を境に、音楽シーンは新たな局面へと突入した感すらある。その主たる要因こそ、正体不明の謎のアーティストの台頭である。


今や楽曲どころか、かつては名前すら聴いたことのなかったアーティストが次々脚光を浴びる『音楽新時代』とも称すべき令和二年。無論それら度重なるムーブメントの背景には、SNSとYouTubeを筆頭としたバズの存在があるというのは言うまでもない。そう。一昔前には『一発屋』の烙印を押されていたそれは、現在ではインターネット上での爆発的人気のみに留まらず、日本全国が認める楽曲としても街中で流れ、結果多くのタイアップに繋がる最大の武器として誰もが欲する名誉のひとつ。無名どころか曲すら1曲も発表していなかったアーティストが初出したひとつの楽曲により、翌日にはシンデレラストーリーを突き進むレベルのロケットスタートを切ることも可能な時代となったのだ。


そんな謎のアーティストがブームを呼び起こす中において、取り分け昨今の音楽シーンを牽引する存在がいる。それこそが今回のタイトルにも冠したずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)、ヨルシカ、YOASOBIらに象徴される、徹底して楽曲の力だけで大いなるバズを記録したアーティストだ。


ピアノを主軸としている、ボーカルが女性、YouTube上で数千万回を越える閲覧数を記録した等何かと共通項のあるこの3組。けれども一目で視認可能な直接的な共通点として挙げられるのは、3組とも『夜』をモチーフとした名で活動している点ではなかろうか。ずとまよは言わずもがな、ヨルシカは『夜しか』、新進気鋭のYOASOBIは『夜遊び』……。実際、夜を名前に冠した謎のアーティスト3組がひとつもあぶれることなくブレイクを果たしたことについては、かねてよりファンの間でも議論が交わされていた。当然彼女らが日本全国にバズをもたらした根元的な理由については「楽曲の完成度の高さ」の一言に尽きるだろう。しかしながら確かに3組全てに『夜』のワードが使われるのみならず、ひとつの例外もなくバズをもたらしているというのは偶然にしては出来すぎのような気もするのも事実としてある。


そこで今回は、各自のとりわけ『夜』の部分に焦点を当てて、3組におけるそれぞれの独自性について迫っていきたい。当記事が新たな音楽への出会いとして、ひいてはメッセージ性の強い彼女らの楽曲群に一層心酔するひとつの契機となれば幸いである。

 


ずっと真夜中でいいのに。

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完全無名の状態で投稿された初音源“秒針を噛む”が大いなるバズを記録し、一躍ネットシーンのトップを駆けるに至ったずとまよ。彼女らについて語られる際には姿を一切見せず活動するミステリアスさや曲調、意味深なMV等にスポットが当たることも多いが、やはりずとまよをずとまよたらしめている最重要項目はズバリ、何にも増して歌詞であるとの認識でいる。


それは《でぁーられったっとぇん》との異次元的造語から幕を開ける“こんなこと騒動”や《近づいて遠のいて 笑い合ってみたんだ》のサビが最終的には《チカヅイテ トーノイ十 ワライアッテミタンダ》に変化する“正義”、しゃっくりの応援団と元気のない亡霊、そしてその仲間の髑髏による一部始終を“居眠り遠征隊”とする特異な視点にも表れている通り、言葉を濁すというよりは敢えて抽象的な物言いに終始するずとまよの歌詞はあまりに独特であり、何度歌詞を観察したとて、その本心を読み解くことはほぼ不可能である。


けれども《すぐ比べ合う 周りが どうとかじゃ無くて/素直になりたいんだ》と絶唱する“蹴っ飛ばした毛布”然り、内向的な少女が空想の世界でアイドルへと変身する“ハゼ馳せる果てるまで 然り、”他者の顔色を伺い自身が精神的に疲弊してしまう結末を防ぐための策のひとつとして『ACAねの感情参考書』を事前に熟読しておいてほしいと切望する最新曲“お勉強しといてよ”然り、ひとつ確かなことがあるとすれば、ずとまよの歌詞には元来感情を表すことができない……しかし心中では様々な悩みが渦巻いているボーカル・ACAねによる、おそらくは自分自身でさえ理解不能な無形の寂寥と孤独がずとまよの楽曲には落としこまれている。


ずとまよにおける夜を感じさせる一幕があるとすれば、間違いなくこうしたACAねの心中の部分である。自身の活動名を『ずっと真夜中でいいのに。』という酷く無希望かつ意味深なものとし、鬱屈した感情を記しつつもストレートに暗さを感じさせないように言葉遊びを駆使するずとまよは言わば、本心を具現化することに加えて、今回紹介する3組の中では最も私小説的なグループと言っても良いのでは。

 


ずっと真夜中でいいのに。『お勉強しといてよ』MV(ZUTOMAYO - STUDY ME)

 

 

ヨルシカ

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日常で起こり得る憂鬱を俯瞰で見ることで、更に多面的に世のダークな部分にフォーカスを当てた歌詞が特徴的なヨルシカ。ヨルシカはかつてボーカロイドプロデューサーとしても活躍していたn-bunaが手掛けていることは周知の事実だが、彼の楽曲にはある種の哲学的視点と、物事を俯瞰して見る客観性とが混在している印象を受ける。


実際彼らの知名度を飛躍的に高めた契機とも言える楽曲“言って。”では、《私実は気付いてるの/ほら、君が言ったこと》と幕を開ける展開が一転、後半では《私実はわかってるの/もう君が逝ったこと》ともうこの世に存在しないことが示唆され、最終的にはその人物が生前に『言った』ことに繋げている。そうしたある種悲観的かつ重厚なストーリーは結果として、無表情な少年を描写し続けるMVと共に大きく広がるに至った。また2019年に発売されたふたつのアルバムではまるで小説における上下巻の如き作りとなっており、1枚目『だから僕は音楽を辞めた』では音楽に挫折したエイミー、2枚目『エルマ』では彼の音楽に影響を受け音楽活動を始めたエルマの対比が描かれている。総じてヨルシカはソングライティングの中心を担うn-bunaの日常的な思考を体現する、極めてコンセプチュアルな音楽グループであると見なすことが出来る。


そして類い稀なるストーリーの中心には、決まって死や憂鬱、自問自答、希望的未来の渇望が描かれている。ヨルシカという名前自体が彼らのとある楽曲の歌詞から拝借されていることからも、意図せずして夜のイメージを担ってしまったのは結果論に過ぎないだろう。だが約3年間に渡る活動を紐解いていくと結果的に『夜』を無意識的に活動の主軸としているようにも、楽曲自体も今の生き辛い世の中と密接にリンクしているようにも感じられ、単なる偶然と一蹴出来ない部分というのもある程度存在している。

 


ヨルシカ - 言って。(Music Video)

 

 

YOASOBI

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突如音楽シーンに降り立った新進気鋭のユニット・YOASOBI。今メディアやSNSで注目される一因となっているのが、彼女らの独特の活動姿勢である。それはYOASOBIの楽曲は全て、既存の小説をテーマに楽曲を書き下ろす『セルフ主題歌制作』というひとつの音楽革命の体を成している点だ。


ではYOASOBIとは「ただ単純に原作に180度沿ったオマージュ音楽を作るユニットなのか?」と問われれば、それはまた違う。YOASOBIが取り上げる小説は数十分もあれば読み終えることが可能な短編ばかりだ。故にシナリオが完璧な形として着地しないものや、描写の詳しい明言が成されないままに終わってしまう作品も多いのだが、楽曲中では小説内で語られるストーリーと共に別角度からの解釈も複数織り混ぜることにより小説における考察や補完の役割も果たしているという点においても、あまりに独自性が高い。


例えばYouTube上、ひいてはサブスクリプションで大いなるバズをもたらした“夜に駆ける(原作小説は『タナトスの誘惑』)”では男女の邂逅と、終着へとに至った某日が描かれている。言わずもがな、タイトルに冠されている『夜に駆ける』とは投身自殺と同義であり、実際楽曲(MV)と小説を比較してもその内容に大きな相違点はない。しかしながらそれぞれの媒体にしか存在しない事柄もいくつか含まれていて、具体的には楽曲内で「終わりにしたい」と直接的に彼女が語る一幕は小説ではカットされていたり、片や小説では主人公がブラック企業に勤めている、加えて彼女が架空の存在の姿を視認出来ていたりと、楽曲から小説へ、小説から楽曲へと双方向的な関係性となるよう工夫が凝らされているのだ。


故にYOASOBIは上記のずとまよやヨルシカらとは異なり、自身が楽曲内で伝えるべき主なテーマを小説にある程度一任するに加え、プラスアルファで色付けすることの出来る唯一無二の音楽ユニットであるとも言える。実際“あの夢をなぞって”では純愛、“ハルジオン”では抽象的かつ意味深な人情劇を、そして前述した“夜に駆ける”では自死を選ぶふたりの男女と多種多様なテーマで記しており、曲調もバラバラ。おそらく今後はYOASOBIのイメージをガラリと覆す楽曲も生まれることだろう。よってYOASOBIは夜をモチーフに何かを試みるというよりは、その時々で夜を昼に、昼を夜に、もしくは昼を夜に見せ掛けることの出来る、音楽に新たな革命を見出だした、令和にブレイクするに相応しい稀有な存在なのではなかろうか。

 


YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video

 


本題から少しばかり外れる話で恐縮だが、思えば海外における現在の音楽シーンで所謂『流行歌』と呼ばれる楽曲の中では、社会に異を唱えるものが一種のトレンドと化している。例えばアメリカにおける銃社会や警察の失態、貧富の格差を体現したその名も“This Is America”がバズをもたらしたチャイルディッシュ・ガンビーノであったり、他にもトランプ政権を批判したグリーン・デイ、若者の薬物中毒を嘆いたビリー・アイリッシュ、LGBTQ問題に異を唱えたThe 1975……。それが今の情勢とシンクロするに加え、音楽を通して今の世の中の悪しき風潮にNOの意思を唱えるムーブメントとなっている。


片や日本では、むしろ政治や風潮といった事柄を真剣に考えること自体がタブーとされている印象すら受ける。事実そうしたネガティブな事柄を取り上げる楽曲は一定層にのみ好まれる印象で、街中で流れる流行歌は恋愛や我々の日常風景等、ポジティブなものが大半を締めている。無論そうした音楽シーンを別段悪いとは思わない。だが心中や世間のダークな部分を赤裸々に切り取った楽曲が脚光を浴びることがほとんどない事実には、少しばかりの疑問を抱いていたのも正直な気持ちとして存在した。


ここまで綴ってきたように、3組にはそれぞれの個性が確立していて、少なくとも完全に同じ部分というのは一切ない。しかしながら、楽曲をじっくり観察した結果3組には共通して「夜を感じさせる一面がある」というのもやはり、簡単には一蹴出来ない事実として垂直に立っている。


こと日本においても匿名性の高い形で、それでいて世界的に見ても間違いなく『平和』な部類に入る日本ならではの生き辛さや孤独感、他者比較をつまびらかにする3組には、YouTube発信で一躍時の人となった現代ならではの現状に加えて「ダークな部分にフォーカスを当てる音楽」の時代が遂に日本にも訪れたことの証明であり、同時に3組の楽曲が今世間一般的に好意的に受け取られていることも、間違いなく偶然ではない。言わばよく言われる「時代が彼女たちに追い付いた」というものではなく、言うなれば彼女らが時代の受け皿となったのだ。


今後の日本の音楽シーンを正常に変遷させるべく、一般大衆にとっての契機となり得る存在。それこそが今回取り上げたずとまよ、ヨルシカ、YOASOBIの3組なのではないか……。そんな確信にも似た予感が彼女らの活躍を見るたび、頭の中を駆け巡ってやまない。