思いがけず全国的に雨模様となった12月某日、amazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』が、札幌・真駒内滝野霊園より全国に届けられた。すっかりオンラインライブの裾野が広がりを見せる昨今、日々多くのアーティストが画面越しに熱演を繰り広げているが、そんな中行われた今回のamazarashiのライブは、コロナ禍で誰しもの心に暗雲が立ち込める今だからこそ、逼迫が続くリアルと改めて前向きな意思を伝える切なるメッセージ・ライブであったと言えよう。
開演時間の少し前にライブページにアクセスすると、秋田ひろむ(Vo.G)詞曲のおどろおどろしいBGM、その名も“雨天念経”がリピート再生で流れ続ける中、『開演迄◯分◯秒』とのカウントダウンが刻々と迫るミステリアスな画面がお目見え。設置されたコメント欄には、リアルタイムで集まった多数のファンによる開演を待ち望む声がもはや追うことが不可能な程のハイスピードで流れ続けており、来たるライブへの期待を底上げしていく。暫しの待機時間の後にカウントダウンの残り時間が1分を切ると、全国ツアーの延期とこの日のライブの思いが綴られた果てに「やむにやまれぬ歌から始まったamazarashiの十周年を迎えるのが、やむにやまれぬライブであるのは必然なんだと感じています」との言葉で締め括られる秋田のコメントが大写しに。気付けば“雨天念経”のBGMは止み完全なる無音空間が支配していて、内面的な緊張が高まる感覚に陥る。思えばそれはかつてamazarashiのライブにおいて開演時間を過ぎた辺りで感じていた、あの興奮にも良く似ていた。
ライブは定刻ジャストに開演。微かに聴こえるギターチューニングをBGMに光輝くゲーミングキーボードでプロジェクションマッピング画面を操作するスタッフの一挙手一投足がつらつらと映し出され、いつしか『Loading Disaster MOD…』と表示された画面のロードが終了。開始を伝えるスタッフの声が飛ぶと、ステージ上でギターを構える秋田へと定点カメラがフォーカスを当てる。画面中央でチューニングを試み、臨戦態勢を整える秋田の表情は照明により完全に逆光となり、顔の輪郭さえ判別出来ないのは今までの有観客ライブと同様だ。ただ今回のライブはamazarashi初となるオンライン。故にステージ上には多数の試みが詰め込まれており、中でも印象的に映るのは背後に聳え立つ全長13.5メートルもの大きさを誇る頭大仏で、その運命的瞬間を眼下に収めんとどっしり鎮座。更には演奏場所が天井部分がぽっかり空いた半野外である関係上、秋田の姿は音を逃がさないため四方に設置された透明のアクリルパネルに囲まれる形で、秋田の手の届く距離にはストローを挿したステージドリンクの他、縦長の暖房器具も完備。ステージの周囲にはツイッターで事前募集された「令和二年にやるせなかったこと」をテーマとしたメッセージの数々が刻まれた『雨天献灯』がそこかしこに点在し、炎を揺らめかせている。
1曲目に選ばれたのはメジャー移籍第一弾EP『爆弾の作り方』より、秋田による緩やかなギターストロークが印象的な“夏を待っていました”。事前に告知されていた通り、今回のライブは全編秋田ただひとりによる弾き語りスタイル。amazarashiの楽曲は結成当初よりのオリジナルメンバー・豊川真奈美(Key)を始め、両脇を固める多数のサポートメンバー、更には打ち込みのサウンドも相まった重厚なアンサンブルも大きな魅力として位置しているが、今回はそうした楽器隊が織り成す音圧を廃した裸一貫の演奏で孤軍奮闘。けれども『理論武装解除』と題されたかつての秋田によるソロライブを彷彿とさせるスタンドアローンの姿勢はむしろプラスに働いている印象で、秋田の凛とした歌声とamazarashiの楽曲に込められた説得力を最も雄弁に伝える手段として、この空間においての紛れもない最善手であったようにも思う。
加えて、極めて稀有な臨場感に拍車をかけた外部的要因のひとつが、背後に据えられた頭大仏の存在。頭大仏と周辺の空間には綿密なプロジェクションマッピングが施されていて、大仏本体には星屑、炎、雨といった物体的な映像を、対して大仏を覆うように広がる空間には実際のamazarashiのライブよろしく歌詞を列挙することに加え、楽曲のシーンごとに色彩変化が都度投影され、その姿を楽曲ごとにガラリと変貌させていく。更には頭大仏の眼下には世界各国における現時点でのコロナウイルスの累計感染者数、死亡者数の詳細が次々遷移する形で映し出されており、今回のライブがまずもってコロナがなければ実現に至らなかった事実と、コロナとの共存を強制された今現在のネガティブ感を携えていた。
今回のライブで披露されたのは、10年間にも及ぶamazarashiの歴史の中から、広いレンジでセレクトされた全17曲。取り分け前半部では“あんたへ”、“無題”、“ワンルーム叙事詩”を筆頭とした半径3メートル以内の幸福と憂鬱を、後半部では昨年リリースされたニューアルバム『ボイコット』と今回のライブの数日後にリリースされた待望のEP『令和二年、雨天決行』収録の楽曲群を軸に構成されていた。おそらくはどのような状況下で出会ったのか、またどのような精神状態で各楽曲と向き合ったかでリスナーそれぞれの此度における『印象深い楽曲』というのは異なって然るべしだが、その全てに強い秋田の思いと、短編集を読み進めるが如くの深い読後感を抱かせるものとなった。曲間には基本的に次曲への布石の役割を果たすポエトリーリーディングが挟まれていたことも、否が応にも続いて鳴らされる楽曲を推理してしまうエンタメ的効果と、此度のライブにおける強いメッセージをより際立たせる効果をもたらしていて巧妙だ。
前半の印象部として映ったのは、とある絵描きとその彼女による二人三脚の制作過程をつまびらかにする“無題”。本能のままに作品を量産する主人公も、献身的に支える彼女も、主人公が最高傑作とする《誰もが目をそむける様な 人のあさましい本性の絵》を描いた瞬間に潮が引くように去る人々も。それは言わばひとりの絵描きによるフィクションの物語のようにも思えるが、演奏前のポエトリーにて「だから僕は 誰にも聴かせる予定が無くて 誰にも必要とされていないその寂しい歌を せめて『無題』と名付けた」と語られたことからも、この絵描きの苦悩は下積み時代における秋田自身の実体験とも密接にリンクしている。中でも前半部分で綴られた希望が容易く打ち砕かれ、《信じてた事 正しかった》が《信じてた事 間違ってたかな》と変換されるワンシーンの直後、大仏の顔や胴体にヒビが入り次々に剥がれ落ち、最終的に暗黒に包まれたバックスクリーンに《正しかった》の文字のみが踊るよもやの幕切れは、観るものに多大なる印象を残したことだろう。
『ボイコット』のオープナーに冠されたポエトリー楽曲“拒否オロジー”で社会への反抗を描けば、早くもライブは折り返し地点に突入。残酷な現実からの逃避行をテーマとした“とどめを刺して”、クリスマスを数日後に控えたこの日久方ぶりにセットリスト入りを果たした“クリスマス”、黒一色に染められた心情を歌った“曇天”と間髪入れずに続き、ライブは今だからこそ強く訴えかける“令和二年”でもって、ひとつのハイライトを迎える。
“令和二年”で歌われるのは昨年突如として世界中を混乱の渦に陥れ、今なお収束の見通しの立たないコロナ禍における憂鬱である。ソーシャルディスタンスやマスク着用、外出自粛といった誰しもに当て嵌まる自助行動のみならず、その他諸々の自制と強制停止を余儀無くされた令和二年は、今まで当たり前だと思っていた日常がその実、決して当たり前などではなかったということを痛感する1年であったはず。“令和二年”をプレイする秋田の歌声こそ優しく語り掛けるように穏やかだが、歌われる内容は極めてシリアスかつ無希望的だ。背後の大仏の顔面はいつの間にやらガスマスクを装着した完全防備で、大仏の下半身には立入禁止テープを彷彿とさせる黄色と黒の斑模様が刻まれ、胸が詰まる閉塞感を増幅。個々人の孤独と封鎖された公園に咲く桜、職の減少に反比例して高まる支出といったネガティブなリアルの果てに歌われた《見捨てられた市井 令和二年》のフレーズでは、言葉の間に『せい(Say・言え)』にも似た響きが確かに挟まれた。無論実際のライブにおいて楽曲中に観客がレスポンスを挟むことはなく、秋田が観客を扇動して発語を促すことも同じく絶対的にないけれど、コロナ禍における人々の心情を近付けるが如くのこの一幕には、思わずハッとさせられた次第だ。
“馬鹿騒ぎはもう終わり”、“夕立旅立ち”、“真っ白な世界”を経て、非日常的な音楽体験は遂に終演へ。冒頭のポエトリーとして“つじつま合わせに生まれた僕等”のMVにおける前口上が秋田の口から放たれると、画面上に表示されているプロジェクションマッピングのモードが『type:amazarashi』に変化。万感のラストを飾るのは、ライブにおける代表的アンセム“スターライト”である。今まで徹底して照明的な役割を果たしてきた大仏にはギョロギョロと視線を変える多数の目玉が出現し、秋田の旅路を監視するようにライブの様子を見詰め、対してギターを力強くストロークしつつ、先の見えない絶望の中に確かに輝く一筋の光を追い求める秋田の発語は次第に熱を帯び、ぐんぐんと楽曲を牽引。かつては秋田自身が経験した下積み生活の中、長いトンネルの出口を模索する意味合いが強かった“スターライト”だが、この日はコロナ禍に憂う人々への希望的な側面強く高らかに響き渡っていたのが印象深い。そして秋田がラストを告げるギターストロークを掻き鳴らすと、これまで投影されてきたプロジェクションマッピングを網羅する形で映像が次々と大仏に映し出され、秋田がギターをミュートすると大仏の姿自体が消滅。全ての音が空間に溶け切った後、秋田がボソリと「ありがとうございました」と感謝の思いを伝えると画面は暗転し、速やかにエンドロールへと移行。かくしてamazarashi初となるオンラインライブ『末法独唱 雨天決行』は、緩やかに幕を閉じたのだった。
……amazarashiは既知の通り、秋田の心に巣食うあらゆる感情を音に乗せて直接的に吐き出すバンドであり、かつては秋田が自分自身の憂鬱の捌け口として綴っていた楽曲群は、今や生き辛さを抱える精神的弱者に寄り添い、傷心を解きほぐす代弁者たる役割を担っている。ただ今回ギターと歌のみで奏でられた17曲はそうした意味合い以上に、未曾有のパンデミック下の現在においてはまた違ったメッセージを放っていた。新型コロナウイルスは未だ終息の見通しは経っておらず、現在では所謂『第三波』と呼ばれる新たな局面に突入している。今回のライブを秋田がどのような思いで試みたのか、その真意については公にはされていないが、大昔に国内に蔓延していた感染症の収束を願うことを祈願して奈良の大仏が造立された事実が示しているように、敢えて頭大仏の眼下でライブを行ったことにも大きな意味があると推察するし、現状ツアーがコロナ禍を起因として1年以上の延期が決定している今、彼がどれほどの思いでライブを駆け抜けたのかは想像に難くないだろう。……絶望の令和二年を抜け、希望の令和三年へ。未曾有のコロナ禍だからこそ敢行された此度の『末法独唱 雨天決行』は、総じて現在進行形で暗い世情と闘う誰しもの心に、某かの強い感情を抱かせた代物であったのではなかろうか。
※この記事は2021年1月28日に音楽文に掲載されたものです。