キタガワのブログ

島根県在住のフリーライター。ロッキン、Real Sound、KAI-YOU.net、uzurea.netなどに寄稿。ご依頼はプロフィール欄『このブログについて』よりお願い致します。

スシローやGalaxyのCMの人?違う。MOROHAを語らせろ

こんばんは、キタガワです。

 

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MOROHAを知ったのは2年前。某バラエティー番組での俳優、東出昌大氏の発言からだった。


とあるコーナー内で、彼ははっきりとMOROHAの名を口にした。今では世間に広く知られるようになったMOROHAだが、当時の認知度は極めて低かった。


出演者は顔を見合わせて口々に「知らない……」と言っていたし、テレビを観ている僕も同様だったのだが。後に満を持して登場したMOROHAは、人生の酸いも甘いも閉じ込めた応援歌『革命』でもって、文字通り鬼気迫るパフォーマンスを見せてくれた。

 


革命 MOROHA


〈真っ暗闇の世界に書き殴る 蛍光ペンを求めて〉

〈半径0メートルの世界を変える 革命起こす幕開けの夜〉


飾らない言葉で、裸の思いをぶつけたMOROHA。上がりに上がったハードルを軽々と超えるパフォーマンスに、曲が終わると出演者一同「これは売れる」と太鼓判を押し、ネット上では賛辞の声で溢れた。


しかし僕の心に、MOROHAの曲は刺さらなかった。


漠然と「いいなあ」とは思うものの、それからCDを購入することもなければ、『革命』を繰り返し聴くこともなかった。


そんな僕の気持ちが変わったのは、数ヵ月後。地元でのとあるライブハウスで披露された『革命』で、僕の心は大きく揺さぶられることとなった。


〈今日が終わる いや今が終わる〉

〈そう思えた奴から明日が変わる〉


目を血走らせ、汗まみれになりながら言葉の散弾銃を撃ち込むアフロ。ロボットのような正確さで、超絶技巧でギターを弾き倒すUK……。皮肉なもので、テレビの画面越しでは全く心に響かなかった『革命』がきっかけとなり、僕は一瞬でファンになってしまったのである。


アルバムを買い、ライブがあると知れば足しげく通った。僕の脳天に渾身の一撃を喰らわせた『革命』は、行く先々のライブ全てで演奏され、その度にアフロは血管が浮き出るほどの力を振り絞りながらメッセージを送り続けた。そして地道に、かつての僕のような新たなファンを獲得していった。


現在の音楽シーンにおいて彼らの音楽は、はっきり言って異端である。編成はMC、ギターのふたりだけ。ギターのUKはコード進行を排除し、叩くように一音ずつ鳴らす。MCのアフロはボーカルではなく、もはや詩人だ。彼らの手本となる者も存在しなければ、後続のミュージシャンもいない。だが彼らは一貫して自分たちのスタイルを曲げなかった。


そうしてがむしゃらにもがき続けたひとつの結果が、メジャーレーベル移籍とだと思う。彼らは決して天才という言葉では語れない。言うなれば『努力の凡人』だ。


6月6日に発売されたベストアルバム『MOROHA BEST~十年再録~』に収録された『革命』の冒頭、アフロは語る。「いやーしかしあっという間だよな。俺たち今年で30だぜ」。過去に発売されたアルバムでは「俺たち今年で26だぜ」と言っていた彼らだが、気付けば4年も経つのか。月日の流れは早いものだ。

youtu.be


これからも続いていくMOROHAのライブに、僕はあと何回立ち会えるだろう。もしかしたら以前のように、頻繁にライブに参戦することは叶わないかもしれない。だが彼らはどんなときでも、僕が「行けばよかった……」と後悔するようなライブばかりをやってくれる違いない。


MOROHAの活動は今年で10周年を迎えたけれども、いつかの『革命』の冒頭で「俺たち今年で50だぜ?』と言うくらいまではやってほしいと思う。できるだろ?MOROHAなら。

Twitterで大ブレイク。ogros作『ヨヨハラ』は本当に買いか?

こんばんは、キタガワです。


いきなりネガティブなことを言うようだが、近年『漫画を買う』という、読者にとって当たり前であるはずのこの行為について、風向きがよろしくないと思う。


週刊誌で連載している作品ならわざわざ買わなくても、毎週立ち読みすれば大体の話は分かるし、最近では無料で漫画が読める害悪サイト、漫画村が猛威を振るった。


知名度が上がるなら無料で読んでも良くね?」派と「作者の今後のためにも買うべき」派が真っ向から対立し、その是非を巡って現在でもSNS上、ひいてはニュースで論戦が繰り広げられている。


そんな騒動を俯瞰していたのが、Twitterでの拡散に重きを置く、いわゆる『Web漫画』だ


誰でも手軽に投稿でき、リツイート+いいね機能により爆発的な拡散力が見込めるそれは、現代の新たな漫画の在り方として、主流になりつつある。ネット第一主義の現代において、理にかなった手法であると言える。


今回取り上げる『ヨヨハラ』も、そんなWeb漫画のひとつである。

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さて、今回の記事は要するにこの『ヨヨハラ』をべた褒めするものなわけだが、「ヨヨハラって何だよ」と思っている読者貴君のために、個人的にオススメのポイントをいくつか紹介しつつ、ラストの「買う価値はあるのか?」という本題へと進みたいと思う。

 

 


ストーリーとogrosという人物

そもそもWeb漫画は紙媒体の漫画と違い、一話一話のインパクトが重視される傾向にある。


紙媒体であればコミック3巻くらい丸々使ってひとつのシリーズを完結したり出来るが、Web媒体は無理だ。Twitterでの拡散と人気は一過性のものだから、例えば『毎週少しずつ話が進んでいきますよ』といった漫画は、人気が継続しづらい。


なので多くのWeb漫画は、分かりやすいストーリーにしたり、破壊力抜群のオチを各話ドン!と配置したりするなどして、飽きさせない工夫に躍起になっている。


元々『ヨヨハラ』もご多分に漏れず、男衆がハッとなるエロシーンや、男女の日常風景が多く描写されている。ここだけ切り取ると「ああ、こりゃ人気出るわ」と思うものだが、物語が進むにつれ、『ヨヨハラ』という漫画の特殊性について知ることとなる。


ある場面までは、毎週漫画が投稿されるたびに何千ものリツイートで溢れ返っていて、おそらくogros氏の思い描いた通りの評価のされ方だったろうと思う。その環境が一変したのは、18話『疑心暗鬼』から。

 

ogros氏は『疑心暗鬼』以降、直接的なエロ表現を減らし、文字数を増やし、シリアスなシーンに重点を置くようになった。もちろんエロやイチャイチャを期待していた読者の中には、離れていく人も多かった。リツイート数も明らかに減った。


だが僕は言いたい。ogrosよくやったと。


後半のシリアスなシーンは、実はかなり良くできている。幾重にも張り巡らされた伏線がカチッとハマる様には「おお!」となったし、やり尽くされた『それ系』の話とは一線を画す作りとなっている。


何というか、ogros氏の「俺が本当に描きたいことはこれなんだよ!」という思いをひしひしと感じるストーリーだ。僕の見立てでは、ogros氏は相当の策略化であり、知的な人物であると見た。


日常回もシリアス回も、全部面白い。


エロい

『後半からエロくなくなる』と前述しておきながらデカデカと『エロい』と書いてしまって申し訳ないが、エロの部分は、ヨヨハラの最大の武器であり魅力であると考える。


ヨヨハラは普段はクール、かつ頭脳明晰で周囲の評判も上々。だが好意を寄せるハルくんの前では女豹である。


ハルくんが入浴中に全裸で風呂に乱入。胸を押し付ける。谷間。下着。水着。彼シャツ。コスプレ……。表紙の可愛い女の子が、あんなことやこんなことをする……。それだけで読む価値はあると思わないか?


その健康的な体型とエロさも相まって、男性陣のヨヨハラはヨヨハラしてしまうに違いない。


エロ目的で読むのも全然アリ。それほどの魅力が詰まっている作品であると思うし、絶対に後悔しないはずだ。


で、買う価値はあるのか?

さて、長々と書いてきたが、上記は無料で読めるオリジナル版の感想でしかない。ではここで本題だ。


ズバリ、『買う価値はあるのか?』ということ。


ネガティブなことを言うようだが、『ヨヨハラ』はogros氏のTwitterやpixivに飛べば、全て無料で読むことが出来る。


「コミックスよりスマホでサクサク読む方がはっきり言って楽だし、コミックスは1000円。買わんでも良くない?」


おそらく購入を躊躇っている人たちは、そういう思いもあるのではないかと思う。


で、それらを踏まえての僕の意見だが、『ヨヨハラ』は買う価値は十分にあると断言する。


只でさえ美麗なイラストは大きくなってより描き込まれている印象だし、一気読み出来るため話の全体像もわかりやすい。最後の書き下ろし短編もファン必見の内容だ。


そして何より声を大にして言いたいのは、各所で『湯気が薄い』と言われている『アレ』のことである。これがとんでもない。


僕はそのシーンを見たとき、悔しくもヨヨハラがヨヨハラしてしまったのだが。いやはや、エロ方面で注目されたヨヨハラならではのやり方であり、うまいなあと思った。


ヒントは『ピンク』である。僕はそれしか言えない。それ以上何かを書こうとすると、謎の支配によって文字が全てデリートされてしまう。許してくれ。


総評。買って良かった。


このブログを見ている人は全員『ヨヨハラ』買え。以上。

 

ogros氏Twitter

https://twitter.com/ogrosman?s=09

 

ogros氏pixiv
https://www.pixiv.net/member.php?id=315656

エスパークでまたまた飲んできた話(島根県松江市)

また飲んでしまった。その日一日のバイト代をすっからかんにする魅力が、この店にはあるのではないか。


バイト、こりごりである。毎日毎日バイトで、7月には11連勤ときたもんだ。手取りは12万。正社員の方がよっぽど楽なはず。


でも僕はこの人生を自分で決めた。今さら泣き言を言うのも気が利けるが、本心では『働くの辛い』の一言でもって終了である。


彼女もいない。遊ぶ相手もいない。そりゃ一人でバーに行くわっつー話である。お母さんごめんと思いつつ、「今日遅くなる」の文面をメールに記す。おそらくバイトの残業が何かだと思っているだろうが、まさかバーでベロベロに飲んだとは夢にも思うまい。何かめっちゃヤイヤイ言われそうな気もする。


ちなみに今、酒を4杯飲んだ状態でブログを書いている。支離滅裂な文章が続くが、どうか許して欲しい。多分、後で見返したら全く覚えておらず、かつ死にたくなるブログを書いていると思うが(前回もそうだった)。今、スマホで全然文章が打てない。もう終わりだ。畜生。


1杯目 テキーラトニック

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未経験の酒である。僕はトニックウォータージントニックとかに使うやつ)がすこぶる好きで、後味なんかはサッパリの味わいで「うわあ!」となるのだが、テキーラ+トニックもなかなか爽快感がある。


テキーラのグワンとした(主に酔いの)力を残しながらも、後にトニックのサッパリ感が来る。非常に飲みやすく、玄人好みの味でもある。


だが冷静に考えるとテキーラをガチガチに使っているので、クソほど酔う。そういえば、これを飲んでパズドラをやったあたりからかなり酔ってきた気がする。


2杯目 生ビール

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あー!文章が打てねえ!


80%くらい酔った僕を見たことがある人ならわかると思うのだが、僕は酔うとかなり適当な注文をすることが多い。


中でも酷いのが呼び出しボタンを押すまで注文を一切決めず、「何が良いと思いますか?」と聞くことなのだが、これが酷い。「店のオススメは○○で~」とい店員を遮り、「いや『店』じゃなくて、店員さんは居酒屋行ったら何頼みます?」なんて聞き方をする。


で、『蛸の唐揚げですかね……』とか『カシスソーダとか……』の返答に、「じゃあそれで」と返す形で注文する。面倒くさいですね。


……で、今回も同じ形で、たまたま入ってきたカップルが「生で!」と頼み、それを僕の眼前でせっせと作っている店員を見て、「あ、じゃあ僕もそれで」と頼んでしまった。


「了解です!あ、じゃあこれどうぞ」と注いでいた生ビールをそのまま渡す店員。そうなりますよね。


出てきたのはジョッキ。嗚呼、なぜジョッキで飲む酒はこんなに上手いのだろうか。


もうここら辺から正直記憶がない。


3杯目 ソルクバーノ

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ラムとグレープフルーツ、そしてトニックを混ぜた酒である。


正直頼んだ覚えはあまりないのだが、撮った写真が証明している。頼んだ……気はする。多分。


そもそもラムという酒は、クソほど酔う。僕の友人でIOくんという友人がいるが、真っ昼間から一緒に行ったライブハウスでラムコークを飲んで吐き倒し、死にかけたこともあるくらいだ。ラムコークは怖い。


……で、酔った拍子で頼んだのがこのラムである。死んでしまうぞ!


かなりサッパリ、かつ飲みやすい。最高。でもあと1杯は飲みたい。


4杯目 何か知らん酒

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何か知らん酒。従業員の方に作ってもらった。何かいろいろ説明された気がするが覚えていない。だってクソ酔ってるもん。多分オリジナル。


酸味、ゼロ。爽快感、最高。ひたすら重いウイスキー感が脳内を支配する。おーい、これ、合法ドラッグ


ちなみにこの酒を頼んだ時点で、僕の自転車を無料時刻を完全に超過した。まあ押して帰るんだけど。


はい、どうだったでしょうか。エスパーク。


今日分かったことは、『酔った方がブログ書ける』ということです。毎回酒飲んで書いてるんすけどね。度数が足りないんすかね。まあまた帰ったら飲みますけど。


それでは、この辺で終わります。


あと、最後に書いておくと、今日のブログを書いたこと、明日完全に忘れてると思います。おい!書いてるぞ!キタガワ!

映画『羊と鋼の森』感想(ネタバレなし)

こんばんは、キタガワです。


羊と鋼の森という名前が話題になったのは、2年前のこと。


宮下奈都氏の小説であるそれは、ある時期を境に多くの書店で平積みされるようになった。その理由が本屋大賞である。


本屋大賞とは要するに『書店員が選んだ一番オススメしたい本』という意味である。受賞の有無が売上に直結するのはもちろん、歴代受賞作で言うところの『海賊と呼ばれた男』、『64』、『舟を編む』などのように、後に実写映画化がほぼ確約される重要な賞だ。


羊と鋼の森』はそんな2016年度の本屋大賞で堂々の1位を獲得した作品なのだ。


大賞最有力候補と言われていた『君の膵臓をたべたい』を抑え、トップに君臨したこの小説は、たちまち有名になった。重版がかかり、『本屋大賞1位!』のポップが各書店にずらりと並べられた。


まさに2016年の小説業界は、『羊と鋼の森』の年であったと言えるだろう。


……で、今回の実写化である。

 

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えもいわれぬ人気作の実写化とあって、そもそものハードルが高く設定されていたと思うのだが、個人的に実写化に際し、気になる点が2つあった。


ひとつ目は『主演である山崎賢人の危惧』。ふたつ目は『調律というテーマの描きかた』である。


まず、ひとつ目の点から見ていこう。


ネット上でも予告の時点で「え?山崎賢人?」と思った人はいるだろう。山崎賢人と言えば、ラブコメ映画の主演を多く務め、テレビに出ればキャーキャー言われるイケメン俳優。まあ容姿に関しては非の打ち所がないと思っているのだが、問題は彼の出演する作品にあった。


こんなことを書くのは申し訳ないのだけれど、彼主演の映画はいわゆる『駄作』の烙印を押されることが多かったように思うのだ(僕が個人的に観た作品で言うと、『氷菓』や『リアル鬼ごっこ3』がそうだった)。


なので世間的には「山崎賢人が主演=地雷」という声も、少なからずあったのではないかと想像する。


だが今回の『羊と鋼の森』に関しては、良い意味で予想を裏切られた。全くの杞憂でした。すいません。


山崎賢人演じる外村は、とにかくネガティブな性格の持ち主。上司に怒られまいと些細なこともメモし、「すいません」と繰り返す。しかし、調律に関しては明確なやる気を見せる。そんな人物だ。


山崎賢人はそんな癖のある外村を、うまく表現していた。


声の出し方(吃音)、仕草。それらの行動全てが外村のキャラクターとして、うまく昇華されていると感じた。山崎賢人、恐るべし。


次に、調律の件について。


大きなグランドピアノを分解してチューニングしたり、悪い部分を直すのが調律師の仕事なわけだが、とりわけ小説版は描写が細かかった。


一つずつ鍵盤を確かめる描写なんかは特にそうだが、『調律』という一連のテーマをどう映像で魅せるのか、気になっていた。


で、実写化。実にうまい描写が続くので見やすかった。まるで楽器が生きているかのような、躍動感と迫力溢れるピアノ。加えて調律前と後の比較が、伸びやかな音でもって鮮明に理解できる。


これは『調律』というテーマそのものに言えることだが、非常に実写化に向いていると感じた。


6月に入ってから多くの映画レビューを書いてきたが、今作は『友罪』『万引き家族』と比べると大衆向きな作品だと思う。どちらかと言うと『恋は雨あがりのように』寄りの一般受けする作品かと。


物語の起伏もはっきりしているし、『調律師』という難解なテーマながら、ストーリーは極めて分かりやすかった。小説版も良かったが、実写もなかなか良かった。


この映画、ぜひ高校生、大学生に見て欲しいと心から願う。夢を持っている人。夢破れた人。夢が今ない人。


自身の将来について考える年頃の人には、必ず得るものがあるはずだ。加えて、クラシック音楽が好きな人やピアノの演奏経験がある人もマストだ。


どんな終幕を迎えるのか。意味深なタイトルは何を意味するのか。ぜひ劇場で確かめてみて欲しい。それでは。

 


『羊と鋼の森』予告編

映画『万引き家族』感想(ネタバレなし)

こんばんは。キタガワです。


僕は映画館でアルバイトをしている人間だが、お客様に『今話題の映画は?』と尋ねられることがよくある。そのとき、僕はこう答えるようにしている。


万引き家族です」。

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映画『万引き家族』の勢いは、はっきり言って凄い。僕の勤務先である映画館でも連日大勢のお客様が訪れ、ここ数週間はほぼ満席だ。


最近では「従業員が少なくて捌ききれない」との理由から勤務時間が前倒しになったり、ジュースやポップコーンの補充に四苦八苦する日々。「万引き家族コノヤロウ」と思ったことは、一度や二度ではない。


で、「なぜ『万引き家族』はこれほど人気なんだ?」っつー話である。理由はただひとつ。パルムドールを受賞したからだ。


パルムドールとは、カンヌ国際映画祭における最高の賞である。要はフランスという『国』が、「アンタの映画、今年出た作品の中で一番ダヨ!」と認めた証である。


しかも日本人(是枝裕和)での受賞は、なんと21年ぶりだそうだ。ひとつの国が「一番面白い」と太鼓判を押し、ニュースでも緊急ニュースとして報じられた。そりゃみんな観るわという話である。


……というわけで『万引き家族』、観てきた。


結論としては、めちゃくちゃ面白かった。上がりに上がったハードルを軽々越えてきた。素直に「良い映画だったなあ」と思える出来だ。


だが同時に、「万人受けはしない映画だな」とも感じた。以前紹介した『友罪』でも感じたことだが、賛否両論がはっきりと分かれる作品なのは間違いない。


僕は家族一同で観賞したのだが、『友罪』をボロクソに批判していた父親なんかは微妙だったらしいし、逆に『友罪』に好印象だった僕や母親は「もっかい観たい!」と言っていた。


まず大事な部分を書いておくと、万引き家族』は、かなりスローな作品である。


要は、物語の起伏が少ないのだ。日常を淡々と描くシーンがかなりあるが、それに起承転結は存在しない。例えば大ヒットを記録した『君の名は。』なんかは、随所に盛り上がるシーンが設定されており、飽きずに楽しめた映画だったのだが。


おそらく気が短い人や、心にズドン!と来るシーンが複数ある映画が好きな人には、この映画は向かない。多分途中で眠くなると思うから。


逆に、淡々と進行する、雰囲気を重視する映画が好きな人には、確実に刺さる。類似する日本映画は『あん』や『パレード』などだろうか。

 

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僕が観賞後に思ったのは、この作品がカンヌ国際映画祭で評価されたのは、かなり意外だということ。なんというか『万引き家族』は日本人にしか作れないし、日本人にしかウケない映画だと思うのだ。


日本人初の快挙。連日映画館は大盛況。まさに天晴れな映画と言えよう。僕はあと2回は観れる。


最後に。カンヌ国際映画祭審査員であるCate Blanchett氏が「もし今回の審査員の私たちがこれから撮る映画の中で○○をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」と語っていたが、なるほどと思った。安藤サクラの演技、一見の価値ありだ。


万引き家族』ブーム、まだまだ続きそうである。明日のバイトも面倒くさそうだ。

君はビリー・アイリッシュを知っているか?

こんばんは、キタガワです。

 

君はビリー・アイリッシュを知っているか?

 

知らないならば、今すぐチェックすべきだ。今彼女の存在を知ることは、すなわち近い将来スターダムを掛け上がるであろう歌姫を、最も早い段階で認識することに他ならないのだから。
 

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ビリー・アイリッシュは今年、米ビルボードの『次にブレイクする21歳以下のアーティスト』に選出された、弱冠16歳のシンガーソングライターである。
 

彼女の大きな特徴は、特異な人生経験から生まれた個性的な楽曲の数々。そして、端正なルックスからは想像出来ないエネルギッシュなパフォーマンスである。
 

まず、楽曲の点から見ていこう。彼女の注目度が一際高まったきっかけは、某動画サイトで公開された『Bellyache』という楽曲からだった。
 


Billie Eilish - Bellyache

 

晴れ渡った空の下、景色の変わらない荒野をひたすら歩く銀髪の女性。この人物こそが主人公、ビリー・アイリッシュその人である。
 

〈私どうしちゃったんだろう 私の心はどこに行ったの(和訳)〉

〈(中略)〉

〈あ、でも、お腹が痛いわ(和訳)〉
 

物悲しいメロディーの中、彼女は繰り返しこう歌っている。人生は全部自分で決めるもの。でも次第に、自分が自分ではなくなってしまう気もする……。
 

決して解決しない哲学じみた自問自答を考えた結果、絶え間ない腹痛を引き起こす。そんなストーリーだ。
 

実は彼女は生まれてから一度も、学校に通ったことがない。その代わりにホームスクールでの学習や地元合唱団での活動を行ったりした経験が、現在の彼女を形成している。
 

それは他の同年代の子と比較すると、特殊なものだったに違いない。クラス内のグループに属したこともなければ、部活動に精を出すこともなかった。しかし彼女は『普通じゃない人生経験』を噛み締めながらも、「私は私だし」という達観した心持ちでいる。
 

人一倍悩み、苦しんだ果てに掴んだ『私らしさ』。しかしふと出現する黒い感情に惑わされることもある……。特に『Bellyache』の歌詞は、16歳の彼女にしか書けない至高のものであると思う。
 

次に、ライブパフォーマンスについて。
 

彼女のステージでの立ち振舞いは、環境によって大きく異なる。
 

まず、バンドメンバーを従えたライブでは、自由奔放な彼女を見ることが出来る。髪を振り乱し、ステージ上を所狭しと動き回るそれは、どんな場所も遊び場に変えてしまう、年相応の若い少女の姿そのものである。


Billie Eilish - Bellyache (Live On The Tonight Show Starring Jimmy Fallon, US / 2018)


 

ダンスの経験も豊富であり、ライブ中はほぼ全曲において、感情を爆発させるような情熱的なダンスを見せる。ミステリアスな彼女の雰囲気とちょっとダークな楽曲とのコントラストは、抜群の組み合わせでもって観客を魅了する。
 

逆に、ぐっと音数の減ったアコースティックライブでは、安定した歌唱に終始する。ひとつひとつの歌詞に思いを乗せ、まるで演劇を観ているかのような説得力でもって、聴く者の心に訴え掛けてくる。


Billie Eilish - 'bellyache' (live on triple j)


 

バンド編成の時のような躍動感こそ無いものの、それを補って余りある彼女の『歌の力』には、驚くこと間違いなしだ。
 

バンドでも、アコースティックでも。どんな環境であっても最上級のパフォーマンスを見せてくれるビリー・アイリッシュ。繰り返しになるが、彼女は必ず近い将来、海外のポップ・アイコンになると断言できる。
 

アルバムのセールスも好調で、現在は勢いそのままに新曲を立て続けにリリース中。8月にはサマーソニックにて、初の来日も決定している。このライブを期に、日本での知名度もますます高まっていくだろうと予想する。
 

僕らが歴史の目撃者となる日は近い。未来のスターと実際に出会うことができる幸福を噛み締めながら、当日を待ちたいと思う。

 

 

※音楽文 powered by rockin'on.comにて、今回のエッセイが掲載されました。ぜひ。

http://ongakubun.com/archives/5537

はてなブログの『はてなスター』と『読者数』は、コミュ障を殺す害悪だ

コミュニケーションを取るのが苦手だ。これは世間的には『コミュ障』と言われるらしく、これまで苦しい思いもたくさんしてきた。

少し僕の話をしよう。僕はほとんど人と話さない。新卒の会社は半年で辞めた。現在は陰口を叩かれながら、週7で働くフリーター生活をしている。

そんな自意識過剰なクソコミュ障が選んだ道は、『ブログで食べていきたい』というものだった。

理由は2つあった。ひとつは『好きなことを書いてお金がもらえるなら最高じゃん』というもの。もうひとつは『人付き合いがなくて済む』から。

いずれもクズが考えそうなことだが、とにかく。僕はブログを書こうと、はてなブログに登録した。そこから毎日シコシコと、少ない時間を削って書いてきたわけだ。

で、数ヶ月続けてどうなったか。何も成果が出ない。

この記事は、自意識過剰な自分大好きコミュ障が、思うようにいかない現実を殺すべく、読み手を無視して、思うがままに書きなぐったものである。

BANされようが構わない。勝手にしてくれクソ運営が。

……はてなブログには、コミュ障を殺すふたつのシステムがある。それが『はてなスター』と『読者数』という存在だ。

要は『僕たち私たち、あなたのブログ見てますよー!』という意思表示なわけだが、これが何よりもたちが悪い。

例を挙げる。僕がやっているツイッター(数年間フォロワー数がほぼ変わらない)に、とある人からいいねが来たことがある。

そいつははてなブログプロに入会し、アクセス数がそのまま収入に直結する手段を得ている人間だった。

なんとなく、そいつのブログを読んでみた。

クソつまらなかった。

文字数は1000字未満。文章もめちゃくちゃ。加えてAmazonのリンクがこれでもかと貼り付けてあり、アドセンス収入を得ようとする魂胆が透けて見える作りだった。

「なんだこのクソ文章」と思った。こんなので金を稼ぐなんて馬鹿げてると。ひとつの記事を何時間も悩んで書くブロガーを愚弄するような文章に、心底嫌気が差した。

だが流し読みで最後まで読んだ僕は、そのはてなスターの数に驚いたのである。

はてなスター、115個』

は?なんだこれ。このクソッタレなブログを、少なくとも115人は見ているわけである。何で。僕のブログなんて2ヶ月でスターひとつ付いたことないのに。

おかしいと思った僕は、そいつのプロフィール画面に飛んだ。すると、またもや目を疑う光景が飛び込んできた。

『読者数、250人』

正直悲しくなった。涙が出そうだった。

どこにも居場所がなかった人間がやっとたどり着いたブログの世界。

コミュニケーションがなくてもいけると、胸踊らせたブログの世界。

好きなことを書いて、自分だけの文章で食べていくため、寝る間も惜しんで孤独に頑張ったブログの世界。

ここでもコミュニケーションなのかよと。

誰にも見られないブログに価値はない。だがそいつはこう言うわけだ。「じゃあお前も人のブログにコメントしたり、読者になったりすればいいじゃん」と。

それが出来ない人間だって、この世にいるのだ。

じゃあ僕がブログをやる意味なんてない。読者数もゼロ。はてなスターもゼロ。それらが続けるモチベーションになるのだとしたら、僕にはそのモチベーションはない。

最後に、今回のタイトルでもって、この記事を終わりたいと思う。

はてなブログの『はてなスター』と『読者数』は、コミュ障を殺す害悪だ。